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『がんばれ万太郎さん』は、文芸作品たり得るのだろうか?
悪意の発奮と、その共有を楽しみたいというエンターテインメント感覚。 それはかつて、とんねるずが番組内でやっていた出演者いじりに似たものを思わせる。 しかし、待てよ。こうも思うのである。ここに、お笑いはあるのだろうか? と。 私は幼少期から、数年前までにかけて、30年近くの間、逮捕され精神病院に入院して再起不能の実の長男からいじめを受けていたが、彼が私をいじめる際モデルにしていたのが、ダウンタウンの浜田氏の激しいツッコミであった。 その後、彼はなにを思ったか? 同じ統合失調症を患う堂本剛氏に感情移入し、おかしな喋り方など真似するように。 私は思うのだ。あのようなお笑いは日本という国を存続させるために、あってはならないと。しかしまたこうも思うのである。あのお笑いには、プロがやっているという矜持とそこでキチンと視聴者を楽しませているという結果があった。して、この作品はどうか? 落語の世界にも楽屋話というのがある。いわゆる落語家のやる作品とは別の内輪ネタで、実はこれも作品なのである。して、この作品はどうか? その楽屋話、内輪話に匹敵する作品たり得るかどうか? くすぐりとしては、弱い。障害者を笑い物にしたいのであるならば、徹底的に顰蹙を買うようなものを文芸的に展開すればいい。昔のモンティパイソンでは足を引きずる真似がウケたが、あれはやはり上手いから、笑いになったのだ。 この作品で伝えたいのが私への悪意であり、その根源を笑いにする力が作者にないのであれば、更にどん詰まりのシリアス路線で私を切るべきであろう。ちなみに彼はまたまた変名を使って私の作品に批評文を書いている。内輪ネタが積もって私の名前ばかりがサイト内で出続けてしまうのではないか? と少し心配である。 そう言えば彼は批評文で他人を貶める行為は禁物と書いた。その前に彼が私を貶めるような内容を書いた後の批評だと記憶しているが、彼はそれさえも解禁し、私を批評文において断罪している。自分の足元を決して見ずに他人を批判ばかりする人間というのがいるそうだが、彼がそれに該当しないかどうか? また、いじめを笑いに変える力を持っている人について、とんねるずや浜田氏が自分を笑える人だったことも付け加えてお話しさせて頂きたい。プライドの高い人は、いじめを笑いにすることは出来ないと思う。例え出来たとしても、非常に狭い範囲のもの。つまりドメスティック空間におけるものである。このサイトが公共性を保っている限り、彼の笑いは受け入れられることは難しいのではないだろうか?
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作品データ
P V 数 : 700.2
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作成日時 2025-08-14
コメント日時 2025-08-14

