「お母さん、弁当ありがと。」 ワイヤレスイヤホンを耳に差し、カバンにお弁当を突っ込んで玄関に向かった。 「暑いから日傘をさしてね。いってらっしゃい。」 「分かってる、いってきます。」 ドアを開けると、むっとした熱気が体を包んだ。気持ちが悪い。日傘をさし、刺すような日差しを遮った。汗でベタつく体でバス停へ向かうと、田んぼ沿いの道が広がる。見た通り田舎だ。案の定駅はない。だから私は、毎朝バス停まで歩かなくてはならないのだ。 バス停に着くと、いつもの顔ぶれが並ぶ。暑いのに可哀想だなと思いながら、列の最後尾にくっついた。隣の市から来るバスはいつも混んでいる。今日も座席はなかった。背が低い私はつり革に届かないから、仕方なく棒を握った。周りを見ると、青い空と皆がスマホを触っている様子が視界に入った。私もそのひとりだが。スマホをスクールバッグから取り出すと、体が後ろに傾いた。 「お立ちの方は奥に進んでください。」 運転手の声にひやりとした。道を塞いでいた私は、前の人にならい片側に寄った。前の棒を無理に掴むと、気まずさがこみ上げてきた。早く駅に着いてほしい。 体が前に傾いた。私は早歩きで駅内へ向かった。ボロボロの駅にはホームドアもなく、設備も薄汚れている。だから、毎朝都会との経済格差を実感しないといけない。電車にのると、座席はなかった。この電車は都会から来て、別の都会へ向かうからだ。サイレンのような音が鳴ると、黄土色のカバンを持った男が同時に乗ってきた。ドラマの主役に似た人で、ついチラ見してしまう。ストーカーみたいで気まずいが、顔が見たくて仕方ない。突然の揺れで転びそうになり、慌てて本を開いた。 駅ごとに人が増え、車内は暑苦しくなった。「すみません」と言い、学校の最寄り駅で降りた。日傘をさし、学校に向かう。校門には生徒指導の先生が立っていた。いかにもオバサンのする化粧をしたその先生が、「髪の長い生徒は便器に髪を入れながら掃除をしている」と笑っていたことを思い出した。 「おはようございます。」 イヤホンを外し、引きつった笑顔で先生に返事をして校舎へ入った。 教室に入ると、私以外の生徒はみんな席に座っていた。みんな来るのが早すぎるのだ。3階まで上り汗だくになった私は、机にカバンをおくと友達の席までいって、「おはよう」と話しかけた。すると友達は、私の挨拶には返事をせずに昨日の出来事を話し出した。すこし気にかかりつつも話を聞き、チャイムがなった事で話は強制終了となった。 どうでもいいHRとどうでもいい授業が終わり、お昼休みの時間になった。私はたった一人の友達と、いつもお弁当を一緒に食べていた。席を移動するのは私。別に気にはしない。この人は後の席だったから、入学式の日に私から話しかけた。話していくうちにおもしろい人だなと思い、仲良くしたいと思った。実際、一緒にいると楽しくて、笑い会うことも多かった。この人は、自分の家庭環境が悪いことをステータスにしていた。ついこの前だって、「私のお父さんが浮気してた話聞きたい？」とか、「私がお母さんとお兄ちゃんに虐待まがいな事された話ききたい？」とか何とか言っていた。どちらにもうん、と言うと友達は話し出した。私は「うん」「え〜」などリアクションを取ってはいたが、視線の先は外にあった。最近は、友達が話すことはいつも同じだ。眠い、疲れた、つまらない。このうちのどれか、もしくは全てだった。 「本当になんで私はこの学校に入ったんだろう。がちでつまらない！中学校の時はあんなに楽しかったのに…。だって、私モテモテだったんだよ。4人グループで、いつもみんなが私の席に集まってたの。隣の席の男にモテモテだねって言われたし。でも今は？」 私は苦笑するしか無かった。私と笑いあっていた今までの時間は、一体なんだったのかと。 「でも私は中学の時も友達と2人だったよ。それでも楽しかったし。」 「でもあなたが休んだらわたしぼっちじゃん。絶対やだ！」 私は、何かが抜け落ちた気がした。この人は私を見ていない。私だから仲良くしているんじゃない。1人が嫌だから、私と仲良くせざるを得ないだけなんだ。この人だって「孤独は嫌だ」という思いがある。それは私も同じだ。しかし、なぜそれを私に言うのだ。私は「孤独を紛らわす道具」でしかないというのか？ この時から、私はこの人が嫌になった。テストの点数は低いくせに、プライドだけは高い。 「頭悪いやつだと思わないでね！」 なんて言っていたけど、私はこの人は頭が悪いやつだとしか思えない。その上、映画も本も音楽も何も知らない。つまり教養がないのだ。私はびっくりしてしまった。教養のない人生はどれほどつまらないのだろうと思うと、同情すらできた。 それでも、私にはこの人しか居ないのだ。この人以外に友達がいない。頑張って友達を作る気もないし、気力もない。頑張ったとしても、無理して笑うだけで帰りたくなる。どうせ、この人もクラスを離れれば話さなくなるのだ。期限付きの友達というものだ。私は、以前にも同じような人と仲良くしたことがある。それは中学校にいた時だった。・・・ 私には大親友と呼べるほどの友達がいた。その子とは常に行動を共にしていたし、大笑いしあった。2人だけで遊ぶこともあった。どこから見ても仲良しだった。私はその子が大好きだった。次の年になると、クラスが別れた。私はまだ親友のつもりだったが、その子は違うらしかった。全く話すことが無くなったのだ。私は気にしていなかった。でも、高校受験が終わり、その子が私よりも偏差値の高い高校へ行ったことを知ると、もう許せなくなった。なぜか。それはもちろん、嫉妬以外の何者でもあるまい。・・・ 今日の帰り道はあっという間だった。こまごまと書けない。何を見たかあまり覚えていないからだ。視界には常に黒いモヤモヤがいた。私は田んぼ沿いの道を歩いた。朝とは違った。私は早歩きをしていた。だから視界にはなにも入らなかった。それでもただ1つ、白い花だけはたしかに見た。それだけだった。家に着くと、午後6時。すぐに勉強をして、いろいろやると午後8時。私が食器洗いを終えると、 「そろそろ定期きれるから、更新しに行こう。」 とお母さんが言ってきたので、今日はまた駅に行くことになった。 「先に車乗ってるね」 と言い、外に出る。夏だから、この時間にしては明るい。月だ。そこには月があった。私はなぜか、その半月に惹き付けられた。そこにあるだけなのに。その1点をじっと見つめていると、なぜか悲しくなった。なぜか寂しくなった。むしむしとした空気に押されながら、私はそこに立ちつくしていた。 「ごめん、車付けてなかったね。」 と言いながら、お母さんが外に出てきた。 「別に。」 とだけつぶやいて、半月から視線を逸らした。その代わりに、心の中にもやもやが溜まった。車の中は沈黙だけがあった。何も話す気になれない。何も聴く気になれない。ただ時だけが過ぎていった。私は疲れていた。 駅に着くと、やはり生ぬるい空気が私たちを迎え入れた。お母さんについていき、この暑さの中を待つだけで終わった。ついて行く意味はあったのだろうか。夜に外出できたことは嬉しいが。 家に帰ると、私はすぐに風呂を終わらせ、ベッドに入った。まだ悲しかった。まだ寂しかった。それが嫌だった。この孤独感の正体は、一体なんなのだろう。実際、私には友達と呼べる人は少ない。だから孤独感というよりも、孤独の方が近いのだろう。ネットがあるじゃないか、と思うかもしれない。実際私にもネット上の友達はいる。でもネットの友情なんて、リアルの友情よりももっと薄っぺらいものなのだ。私は過去にそう実感した。スマホを開くと、いつも思い出す。・・・ 以前、ネットで仲良くしている人からDMが来た。 「最近鬱投稿おおいね、なんかあったのー？」 この人とは、映画好きということで知り合った。同じ歳で、同じ性別で、同じ環境（女子校）にいる。初めて見つけた時、私は嬉しかった。仲間を見つけた気がした。この人になら話してもいいかも、と思った。 「最近ほんとに鬱気味でやばい笑 話聞きたい？」 「ききたい！」 「リアルがもう最悪で死にたいみたいなところある さすがに死ねんけど笑」 「えめっちゃわかる、私も最近ほんとに辛くて〜・・・」 その瞬間、私はスマホの画面を消した。時間の無駄だった。この人は私の話を聞く気なんて初めからなかったのだ。そりゃ、この人だって「辛くて」と言っているんだから、人間なんだろう。だが所詮文字だ。所詮自分の話をしたいだけだ。 そもそも、私だってこの人が嫌いだ。 「ねーやっとレコード買えた〜！ 最高♡♡」 といういかにもギャルな文と共に、レコードとこの人のどちらが主役なのか分からない写真を載せるようなやつなのだ。つまり、承認欲求のために音楽を使うようなアホだ。こんな人間をフォローする人が300人もいるのが不思議な程。ネットの人間には、「人間らしさ」など微塵も感じられない。 私は、その投稿を見た時にこう思った。 「ブスであれブスであれブスであれブスであれブスであれブスであれブスであれブスであれブスであれブスであれブスであれブスであれブスであれブスであれ」・・・ いかにも、人間という感じだ。人間臭い。あまりにも臭すぎる。こんな自分がまず嫌いだ。だから人間も嫌いだ。人間なんて臭いものなのだと言い聞かせてやりたいところだが、第1に私が最も人間臭いのだから言い聞かせるもクソもない。なぜ私はこんなものになってしまったんだろう。 きっと、高校受験のせいだ。私はこれで捻くれた人間になってしまったと思う。私は志望校に落ちた身なのだ。だから、頭がいい高校に通っている人が嫌いだ。理由になっていないのは分かっている。本当は友達と同じ高校を受けて、その人だけが受かったからだ。これが私に現実を突きつけた。現実は見るべきものだ。見なければ先に進めない。たしかに、先に進むことはできた。だがそれ以上に深い傷が私に残ったのである。その傷が、私を人間臭い人間にしてしまった。 今の私の悩みは高校だ。だからきっと、高校が悪いのだ。つまらない人間ばかり。早く大学に行きたい。でも、田舎の頭が悪い大学は嫌だ。都会の頭がいい大学に行きたい。もし私がそこに住めたら・・・欲しいものを勝手に買えるし、行きたいところだって自由に行ける。着たい服だって、したい髪型だってメイクだってできる。夢のようだ。・・・いつまで、私はこの田舎に一人でいればいいのだろう。家族がいると思うだろうが、何をするにも家族の視線を気にしなければならないことのどこがいいのだ。少しでも露出の多い服やメイク用品、縮毛矯正をするだけでとやかく言われる。ましてや、自分がしたいことやほしいものも制限される。私だってできるなら眉を整えたいし、髪をブロンドに染めたいし、着たい服だって着る。（私の着たい服と言うのは、イギリスの60〜70年代のファッションなので日本、ましてや田舎では売っていない。）こんなのだからやっていけない。 私はイライラしていた。怒りが続くのは辛い。怒りを抑えようと、エルヴィス・プレスリーやセックス・ピストルズを聴いていた。それでも変わらなかった。ビートルズのア・デイ・イン・ザ・ライフを聴いた。メロディが私の燃えたハートを、なにかで包んだ。怒りは収まった。がその代わりに、私の気分は落ち込んだ。でもイライラよりは ましだった。 なぜ私がこんなところに居なくてはならないのだと。だからここが嫌いだ。だから都会が好きだ。都会にいけば、この孤独感だって薄まるのに。私は既に十五年もここにいる。産まれてから、ずっと。ネットを見れば大人は欲しいものをすぐに買っているし、好きなように生きている。私も早く大人になって都会に出て、暗闇のない街で生きたい。ここは、夜があまりにも静かすぎる。だから早く大人になりたくて仕方がない。半分祈る調子で、切実に願った。それでも、私にはまだ腐るほどの時間があった。3年。私は耐えられないと思った。3年間も何をしろというのだ。友達なんかで紛らわせられる長さじゃない。時間をかけて学校に行って、無駄な時間を過ごして、勉強するだけ。それを毎日。それを3年間。これで何が得られるというのだ。これを誰が耐えられるというのだ。 あと3年間も同じことを繰り返すことへの絶望と、この孤独に耐え続けなければならないことへの絶望があった。私を死にたいと思わせるには、それで十分だった。 「死にたい」 それは、自殺したいという意味でもない。あいにく、私はそんな勇気を持ち合わせていない。この世から消えたかった。時が止まって欲しかった。誰の目にも映らないで欲しかった。暗闇に消えてしまいたかった。走り去りたかった。私には未来がある。だからもっと死にたいと思った。未来への道がどこにたどり着くのか分からない。それが何よりも嫌だったし、なによりも不安だった。だから何も出来なかった。出来なくなった。私の道は、絶望に染められた。半月の光は道を照らしているはずなのに、私にはそれが見えなかった。それでもたしかに、道はそこにあるのだ。