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狐火
若い頃の話だ 子を水に流した 毎年その日になると 白い花を一輪だけ花瓶に活けて その死を悼んだ 流砂のように 時は流れ 結婚し子供が生まれ 生活が忙しくなり 私はいつしかその習慣をやめた そんなある夜のこと 今日がその日であることを思い出し 私は慄然とした するとどうだろう 妖しく冷たい狐火が 目前に現れたのだ
狐火 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 474.6
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-01-19
コメント日時 2025-01-30
項目 | 全期間(2025/07/15現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
最近の自分の関心は、詩の中の「空白」なのですが、この作品から強い刺激をもらいました。 改行や連分けの間に、どれだけの空白を詰めるか。それは単なる飛躍ではいけない。 第一連の言葉が、たった二行で終わると誰が予想できようか。そして、第二連では命日にたった一輪の花を活けて死を悼む。何も説明されない。それは、説明しえない、説明など到底許されないと、自分の罪を意識する果てしない空白。 時の流れが、単純には流れない。ザラつき、わだかまりを持ちながら流れる、流砂という時の流れ。やっとこの「流砂」という単語で主体の心情が掴める気がしたが、ここも二行で終わってしまう。 少し飛んで、「妖しく冷たい狐火」とは一体何なのだろうか。異形に知見がないことが悔やまれる。見た者を誘う火だと、安直にとらえられるだろうか。現れるのは「目前」だ。道の先などではない。その距離の近さは何か。子の魂ならば、妖しく冷たいのはなぜか。もしくはそれは、かつての自身の習慣、その罪の意識から生まれた生霊か。 最後にも空白が置かれる。空白の使い方、勉強にさせていただきました。こんなにも惹きつけられるとは… 良い詩でした。
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