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作品から感じた、パッションと破壊力に感じ入る
私はこの作品、ここ数ヶ月で一番良かった。心に響いた気がする。 色々な詩サイトを利用させて頂いて、未熟者の私の視点から言わせて貰えば、非常に成熟的で小難しい作品が増えた印象を受ける。自分はこの世界、向いてないと思う時も正直ある。その上でそんな私だからこその視点の提供もあっていいと思うのだ。 この作品は私が考えるパンクなフィーリング匂いがある。なにか突き破ろうとする意思。前衛意思。そう言ったものパッションを感じるのだ。作者の麦咲さんの心の中でなにが起きたかは分からない。もしかしてなにか霊的な深い直感のようなものが働いたのではないか? とも。 今度地元で普段利用している施設で絵の教室をやっている方が参加する絵の展覧会がある。その方は私の絵を、プロの域だと褒めて下さった。私の好んで聞いている落語家、立川談志について、発想が面白いなんて言ってる。 障害の重い方の絵をとても褒めたりして、ちょっと怪しいかな? と正直思ったこともあった。それでも私は普段障害の重い方達と話すことが多いのだが、その方達の支離滅裂な空想話。そこには芸術能とも言える右脳的な働きがあるようにも確かに思えるのだ。なにが、芸術かアートかなんて本当に分からない。ただ、そう言った方達の中にある脳の働きの中に確かに、学べるものもあるのではないか? などと思ったりもする。コミュニケーションが一般的な人と同じようには通じない。言葉が壊れていて、ハナモゲラ的である。ちなみにタモリ氏で有名になったハナモゲラという言葉は、鼻がもげている障害の重い方の言語という差別的な意味があるらしい。言語解体的。そう言ったものが教えてくれる破壊力。なにが重厚か? なにが軽薄か? なんて分からない。しかしこの、分からないというものの持っている力でありエネルギー。その未熟力とでもいうものを、障害者だったり、パンクというものは教えてくれるものではなかったか? 例えば、アインシュタインが天才かどうかなんて一般の人にはやっぱり分からない。それは、理論的なものを踏んだ上でこの人は凄いんだと実感を持って思った人もいるだろう。しかし、多くの人は、メディアだったり教育の成果で偉業を称えている姿を見て、嗚呼凄いんだとなんとなく納得した気になっているというのが現実ではないか? つまり私が言いたいのは、本当にこの人と話してて面白いと思う人がいたとして、その人は、アインシュタインが天才だというようなことについて、どこが凄いの? と子供のままの純真な違和感を唱える声に対し、バカと見下すような人ではないということだ。これが知らないのは、バカ! これが出来ないとバカ! こう言った世の通説的なもので人を見下すある意味での文化的な成熟脳者では、この作品のような破壊的にユニークな作品は書けないと思う。それでいてこの作品『愛とおなじく』はキチンと計算された上での言語の解体だから、素朴なフィーリングが伝わってきて分かりやすい。私の好きなブライアンウイルソンという米国の作曲家も一見人懐っこく大衆性の高い音楽を作りながら、内に破壊的な前衛性を秘めている人だった。後半の >がらるとぐりれ げろらとごりる がげらとぐごろ ぎりぎとげげろ がげるとごらり ぐらぐとがぎれ 誰もが不安の中にある は、言語が解体されていく様子を描きながら、いわゆる足場としている認識世界への不信めいたものを表現しているのだと思う。結びの文句は、分かりやすい。結局『無限』も『有限』も概念的な認識世界の問題でしかない。 この作品がなにを問題にしているか? 私は思うのだが、それをハッキリ語る必要もないし、語ってしまってはつまらなくなってしまうのではないか? 私はこの作品を通じ、機械的な文章を眺めながら、そこから深いリビドーの働きからくる強烈なエモーションを受け取った。それでいいような気がする。芸術やアートからもっと真の意味での骨太な未熟力というか青さのようなものを感じたい。本作はその期待に応えるものになっているような気がする。
作品から感じた、パッションと破壊力に感じ入る ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 996.3
お気に入り数: 1
投票数 : 3
作成日時 2025-06-30
コメント日時 2025-07-04


批評レベルのトンチキ度合いが障害者のそれですね。
1統合失調症とか、クオリティオブライフと程遠い、文化的未成熟的なイメージもあるかと思うのですけど、そういうのってお金でどうにかなったりするんじゃないかな? 今度A型作業所に見学に行くのですが、そこで体験が上手くいって入所出来たら、B型よりお金が入るのです。そのお金で地元の教養講座を受けようと思ってて。伝統文化も受けたいし、ジャズダンスなんかも受けたい。センスはあるから伸ばせると思ってます。コミュニティが欲しかったから、そう言ったところで頑張りたいんだ。ぼくは虐め体験もあったけど、今のグループホームでも結構人気があり、利用者に頼られてるし、カラオケ会に参加した時、お年寄りもよく笑わせたよ。チャンネーも夜の世界ではバリバリ喜ばせてました。 語学も勉強したいな。 詩のサイトも難しい言葉を知っていたり、高尚なものも勿論あっていいし、そういうのは勿論難しいけど、凄いんだろうなあ自分には出来ないんだろうなあと感心するけど、J-POPでさだまさしさんみたいな難しい言葉が沢山出てくるものもあれば、清志郎さんみたいに、愛してるみたいな素朴なことを歌ってる人もいるし、両方あっていいと思うんですよ。勿論合わないとか、嫌いとかは分かるんですけど、おまるさんの文章も結構狭い高尚なところがあるかも知れないし、一般受けするかというと玄人向けかも知れないし、読む層が同じサイトでも違うじゃないですか? だから両方あっていいと思うのです。
0トンチキな作品に喜び勇んで飛びついてトンチキな批評文を書いただけですね。自分に有利な場面かどうかを嗅ぎ分ける嗅覚だけは褒めてやってもいいが、浅ましいですよ。
1>自分に有利な場面かどうかを嗅ぎ分ける嗅覚だけは褒めてやってもいいが、浅ましいですよ。 これを具体的に説明して頂けませんか? よろしくお願いいたします。その上でまたご返信致します。
0本文の批評的手法は、自分が作品の内部に乗り移って恰も”作品の声”を代弁させてもらっている、という論法ですよね。今回はそれをやってもいいだろう、対象になる作品は普段自分(万太郎)も書いているメチャメチャなものと親和性もあるし、...という、作者や周囲に対する計算や甘えが感じられるということです。
1>この作品がなにを問題にしているか? 私は思うのだが、 >それをハッキリ語る必要もないし、 >語ってしまってはつまらなくなってしまうのではないか? 作者でもなければ、また作品に対する丁寧な読解を提示しているわけでもない万太郎さんが何故ここまで作品と完全にシンクロしているような凄まじい言いぐさをするのか?
1子供たちや障害者たちが描いた絵を見てすごいな、と思う。 ピカソが晩年たどり着くあのハチャメチャな絵を見てすごいな、とも思う。 あれがもしもピカソという巨人の名前が付いてこないのなら何人がすごい、と思えるのだろうか。 立川談志もブライアン・ウィルソンも自分の才能と格闘した巨人だろう。 前衛を語る上でたいせつなことは、これまでに積み重ねてきた経験や理論からの脱却や破壊も大事だが、何よりも現在の自分を捨て去るということであろう。と思うのです。 それはたぶんに影響を受ける。ということであってもいい。 他者の作品から受け取る影響というのは、これまでにない自分の感性を促してくれる。 偉大な音楽家、アーチスト。そして詩人。みんなそうして新しい創作活動に囚われてきたのです。 それには自分を知らなければならない。 あ!この絵は、この詩は、この音楽は自分には発想も浮かばない。 何がいいのか、よくないのか。そんなことは二の次で、素直に認める勇気は必要ですね。 それが感動ということでもあり、パッションにもつながるのでしょう。 そういう意味において、視点を広げて意見できるあなたは優れた読み手でもあるのです。
1端正な文章で、気持ちよく読めました。妻咲さんの詩も、いいですね。愛が伝わってきます。
1ありがとうございます。
0ありがとうございます。
0自嘲という言葉があるけれど、卑下とスレスレですからね。 俺は凄いんだという姿勢をずっと続けているのは体力がいることなので、バランスを取ることも大事ですよね。
0良かったです。そう思ってくれる人がいたことで、書いた甲斐がありました。
1>批評レベルのトンチキ度合いが障害者のそれですね。 障害を持つかたに対する侮蔑的発言は金輪際やめていただきます 聞き入れていただけない場合は予告なくコメント・スレッド・アカウントの削除の処置になります これは人種・性別・年齢などに対するあらゆる差別的発言に対しても適応されるものです 発言議論は基本的に自由ですが悪意のないものに限ります マナーガイドラインを慮っていただき場の秩序のためにご協力お願いします
6>それでも私は普段障害の重い方達と話すことが多いのだが、 >その方達の支離滅裂な空想話。 この差別的なニュアンスの文節に対する「いや、お前の批評文も似たようなもの(支持滅裂=トンチキ)だが」というあくまで批評的応答なのですが、そこまで深く文脈を読んで頂けなかったのが、残念です。
2蛇足になりますが、わたしは「すべての者が(何らかの)障害者である」という理念をもっています。今後はそのことを啓蒙していこうと思っています。Bレビューではしませんが。
0どうしよう、これ、普通に乗っかったほうがいいですかねえ。どんなノリを期待されてますか。 とりあえず万太郎さん、ありがとうございます。 麦咲で〜す。踏まれて強くなりま〜す。なんかかっこいい響きだなー、しばらく麦咲って名乗ろうかなー。
1こういうね、現代詩をなめくさったようなのもたまにはね、ないとダメだと思いますよ(なんでだよ!)。
1パッションはたぶんね、炎天下で半分熱中症になりながら書いたからだと思う。最初はあまりのくだらなさに笑いながら書いてたんだけど後半はもうわけわかんなくなって辛くなっちゃって、だからこの詩は私の汗と情熱と溢れる愛とパッションと痛風に打勝とうとする力強さが込められてるんです。しばらくビールにレバーは控えて砂肝にします。アジの干物もダメなんですって。
1作品を読むきっかけになりましたね。ちょっと最後らへんは読みづらい箇所の多い詩作品でしたが、タモリのはなもげら語との相関性や、いろいろと示唆に富んだ文章だと思いました。
1あっ、麦咲って書いてしまいましたね! 申し訳ありません。失礼致しました。 改めまして、妻咲さん。なんか現代詩サイトにそういう緩さって、あっていい気がしますね。 しかしこの作品一見壊れてるようで、よく書けていると思うけどなあ。また、こういうの期待します!
0作品を読むきっかけになったということで、ありがたきお言葉。 ふざけた作品だけど、結構きちっと書かれているところが味噌だと思います。タモリもあのふざけた芸をやるのに常に真剣肌の人ですからね。ハナモゲラ語が現代詩サイトに多少入り込んでいるのも日本語の可能性を押し広げるきっかけになるかと。
0万太郎さん、ここでは麦咲で大丈夫です。ビールの美味しい季節ですし、麦咲でグビッといきましょう。 一見壊れているようで本当に壊れてます。でもいいんです、ガチ勢なんてほっといて、くだらないのどんどん書きましょう。他所でこれやると出入り禁止になるんだから(実際なった)。 あ、私ビール今はダメなんだった、どうぞ私の分まで飲んでください。
1いや別に脳内で勝手に勝利宣言するのは構いませんけどね、まじでつまんないんですよ... 妻咲邦香さん私に絡まれて嬉ションしながらスレ書いてる姿が見え見えなんですよね(今回、コメントするかどうかマジで1分くらい迷った)わざとらしいのよ。
0はあ、ガチでオモロイ奴に会いてーなあー https://www.youtube.com/watch?v=Ov5Q1EIrbwQ
0では、麦咲で失礼させて頂きます(夏限定でね) 麦咲さん、国木田独歩の『馬鈴薯』の中で、登場人物が『驚きたい』と言う思いを吐露する場面がありましたよね? 「感動する」と言う言葉を、涙がジーンとするとか、それだけではない。森羅万象に驚くことが、感動だとあの作品は言っていたように思いますが、日本ではその感動というものを狭く考えがちなところがあるように思います。 この作品には確かに、久しくなかったその『驚く』ことであり『感動』があったのです。まだまだ受けて読み手として過激なものを貪欲に求めていく部分が自分にあったことを知る喜び。それを麦咲さんのこの作品に教えて貰って、ホップホップ、ビールが美味い。今日は近所の海鮮屋でお寿司食べました。ビールも飲める居酒屋です。新しいものを貪欲に吸収したい。そう言う自分の中に少しの間眠っていた衝動を教えてくれた麦咲さんとこの作品に乾杯! ガラガラヘビーなとんねるずも楽しいですけどね! よーし、俺もくだらねー作品今月も書くぞお!
0おまる氏、勝ち負けなんだ? 勝ち負けなんだ〜? 勝ち負けなんだああ〜? へえ〜 へええ〜〜 へえええええ〜〜 珍しいね。 じゃ勝ちあげるよ、おめでとう君が勝者だ。 つまんない人間のとこにはおもしろい奴なんて来ないよ。永遠に。 私もつまんないものしか書けないから、ほら、こんなにひとりぼっち。
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