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僕は夜の果てで君にさようならを言わなくてはいけない
ススキがざわめく海 それだけが広がる この草原という幻想性の表れの中に 僕はそっといました。 静寂は無音を意味しない 踏みしめ、そして踏み出すこの世界には ただ風の貫く寂しさと 虫たちの憐れみに似た鈴の音が ただ僕の魂を貫くように満ちていたのだから そこで呼ぶのは誰ですか 僕が忘れようと 地に埋めたはずの名を呼ぶのは その声を聴くたびに その魂の原初性の 郷愁の声を聴くたびに 僕はそっと涙を流すのです もう戻れない日々のことを思い出した 夜の果てに向かう僕にとっては帰れない日々だ 君は手を引いていた 夜の不在性を怖がっていた僕のために その手を引いてくれていたんだ 今、僕は君なしで歩いていかないといけないのです それがあまり悲しく思えて 僕はただ膝をついて、泣き出すしかなかったのです ようやく立ち上がって歩き出しても、嗚咽は止まず 星はただ世界の黎明のための夜の果てにあった ただ魂の導くがままに赴いて この声に従った 魂の原初を削り取る寂寞に従った あるいは世界の夜のための果て その果てのために奏でられる虫の鳴き声 それにただ従ったんだ 三河のこの草原はただ僕のために存在したから 星がいつまで僕を許し続けるのか あるいはあの幻影の日々の君が いつまで僕を呼び続けるのか それすらもう確かですらないのに ただ夜の果てがあったから だから僕はそこに歩いていく 夜の果てのために歩いていく あるいは綴っていく この星の律に従って ただ僕の精神が迸るがままに 人生だけが最後の最後までさようならを意味するならば 僕は夜の果てで君にさようならを言わなくてはいけない
僕は夜の果てで君にさようならを言わなくてはいけない ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1680.7
お気に入り数: 0
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2025-05-11
コメント日時 2025-06-21
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


秋の物寂しさとノスタルジックな雰囲気に相まって、もう会えなくなる君を思う気持ちが切なく感じます。 悲しいけど美しい★
1コメントありがとうございます! 寂寞と懐古だけが僕の抱くところだからね
1珍しく透明ではなく、 切なさで詩がうっすらと色づいていますね。 秋の風景だからでしょうか。 ひいやり冷たい空気を感じます。 「さよならだけが人生さ」 と何処かで聞いたことがあります。 どのみち自らの死で全てにさよならするのでしょうが、生きているうちは、 「さよならがあれば初めましてもあるので」 と思いながら生きています。 でも、 この詩はこの終わり方が相応しいように思います。 これがハッピーエンドや「また会おう」では、 この詩の空気は壊れてしまうように思いました。 星菫派と言うだけあって、 とても淡い菫色が似合う詩だと思いました。 ありがとうございます。
1淋しさと静寂に揺れる世界が、美しい展開を見せていますね。己の感受性に対して、 かなり自覚をされている詩人であられると思いました。
1コメントありがとうございます! よし、やっぱりこの終わらせ方で正解だったみたいだ……。 確かにこの寂寞の終わらせ方が納得いったんだ。
1コメントありがとうございます まあ、それで「恣意的じゃないか」とか「確信犯的すぎる」ということを言われかねないということもあるけれどね……
1ですます調と喋り口調が混在している不安定さに、叙情の中に確かに存在する現実の作者自身のゆれのようなものを感じました。それがこの詩の良さを際立たせていると思います。 また、 ”だから僕はそこに歩いていく 夜の果てのために歩いていく あるいは綴っていく” 特にこの部分はシンプルな言葉しか使っていなくとも美しく郷愁的な情景が浮かんできますし、流れがとてもリリカルであるところが好きです。 『叙情詩で読者に作者が意図した原風景を感じ取ってもらうには、語感で気持ちよくさせるのが大切なのではないか』と最近考えていたのですが、この詩を読んでさらにそう思いました。
1熱いね。熱く語られていて いいのだけれど、ティムくん、あるいは~ちょっとこの副詞が目障りのような気もするんだな。僕にはね。 「僕は夜の果てで君にさよならを言わなくてはいけない」。 僕は夜の果て君にさよならを言わなくてはいけない。で、を取った方がすっきりするでしょう? そう思うんだけど… 熱い語りを、ありがとう。
1いいものを書きたい、という意欲、野心はわかるが、 構成がよくないので、もともともっている古風なハイカラな意匠がいきない。 これを読んで「ジーンっとくる」とか、「深い」とか、そのような肯定的な感想を抱く人は、 ほとんど誰もいないと思いますね。 そこまで古風なものを復権させたいのであれば、 あまたあるライトヴァ―スから抽出した(濃縮じゃない、あくまで抽出)パワーワードっぽい ものに頼るのではなく、もっと静かに、地味にやらないと駄目だろうなと思った。
0コメントありがとうございます! 語感で気持ち良くさせるのは確かに同意。 そもそも、詩はそこから始まった部分が大きいし。 この詩は確かにゆれが大きかったと思う。 それゆえにかなりの賭けだったけどね……。
0コメントありがとうございます! まあ、僕も「タイトル、ごちゃっとしてんな」という感じは否めなかった。 だが、「熱く語っていていい」……って、メルモさんにしては珍しく僕の詩を一定程度評価している気がする……そこはありがたい。
0コメントありがとう 善処しよう
0題名から、私の好きな村上春樹を連想してよませて頂きました。 夜の自然の畏怖も感じるような作品だとかんじました。 (小学生の作文みたいなコメントでごめんなさい)
1コメントありがとうございます! いえいえ、コメントをいただけるだけでも嬉しいです!
0人工的なイメージの中での詩情を呼ぶ風景を描いているような印象を受けますね。そこにジブリ的なものと相通じるように思えて、少し違う面を感じるというか。 例えば、自然という物をどう捉えるか考えてみると、のどかな田園風景だけじゃない。人工空間の中にあっても人間がコントロールしているかのように見せている物質の一つ一つが元は自然だし、全部解体してバラバラにして元の形に戻せば全部自然なんですよね。 そう考えると野畑だって人間がコントロールして人工的に見せているわけで。 ススキだったり、草原だったり『詩』というイメージにはぴたりと合うと思うのです。でも、ジブリは泥を描いてるし、汚れをきっちり描いてると思うのです。それでいて宮崎さんは 「私は、21世紀の抱える問題とは関わりたくない」 と語っていて、その宮崎さんが関わりたくないと語っている問題と、我々から下の世代というのは今後、否が応でも向き合わざるを得ないのではないかという気がするのです。 例えば若い世代が汚れを描いたり、そこと向き合うことを極端に恐れているように見えることも、一つの問題だと思うのです。美しく人工的にデザインされた自然は、本当の自然とはまた違うものであって、その居心地の良さから抜け出て、足元を見た時、もっと深い憂いであり、物語が生まれるのではないか? この作品は人工的に美しくデザインされた絵画のようで、そこに詩文への愛を感じるのはいいと思いますが、同時に閉鎖性も感じる。恋愛というものは人間にとって途轍もなく大事なものなのかもしれない。しかし科学者や哲学者型の見方で見ると、恋愛は人生で経験するパーツの一つで、絶対的なもの比重を割かなければいけないものでもないというか。そんな感想を持ちました。 「僕は夜の果てで君にさよならを言わなくてはいけない」 それよりも深い憂いがあるとすれば 「日本人がこの数年間で60万人以上脅威的な数字で亡くなっており、いずれ近いうちに滅亡する可能性すらある」 社会問題に目を向けると、憂いの幅が広くなる。どっちが大事かなんてわからないし、言えないですよね。
0夏ですねそしてどこか懐かしい詩です はっきり言うとゲームの始めの導入部みたいでゲーム好きな私は嬉しかったです。詩を全部理解するのは難しいですが最後まで読んだら少し寂しくなりました。
1コメントありがとうございます! 夏ときたか……秋と読み解く人はいたけど、これは意外だった……
0ポエムすぎる。自己陶酔が必ずしも悪ではないにせよ、これは見るに耐えない自己陶酔に属すると思う。繰り返し現れる「僕」という一人称が幼稚な自己愛を露呈している。もう少し抑制的になったほうが良いと思う。
1どこを切り取っても、静謐で品が良くて美しいです。
1コメントありがとうございます! 「僕」の過多か……確かに自己が出すぎなような気もする。 とりあえず、抑制を考えてみよう。 大変参考になった。
0コメントありがとうございます! そう言ってもらえて、すごく嬉しいです!
0コメントありがとう 詩人(とりわけ星菫派的な種類)は一種のノブレス性を帯びるべきだと思う、というのが僕がよく言っていることではあるんだけどな。社会派(社会批判)性を帯びた作品は俗的な穢れをどうしても背負わざるを得なくなってしまう。 そういった穢れというものと星菫派的な詩人は、できる限り離れているべきであるというのが僕の持論だ。
0あっ、返信は不要だ。 この件に関しては平行線を辿りかねないし……(今までの経験からの予測)
1夜の果てとは何だろうかと思いました。タイトルでも詩行でも出て来るのですが、僕の精神が迸るままにと言う表現と相俟って、何か、人の死因だとかの深刻な事情を示唆しているのだと思いました。
0コメントありがとうございます! 実のところ……僕にもよくわからないのかもしれない。 何かの出来事か、あるいは場所なのか。
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