思考する時、大概はそれは連想するといふ事を繰り返しながら、つまり、反復を繰り返す内に微妙にずれ行く差異をして何とか問ひに対する解に辿り着くものであるが、しかし、それではどう足掻いても解に辿り着けぬ事態に遭遇すると、思考する人はうんうんと唸りながらも絶えず問ひの解を求め続けて頭を回転させてゐるのである。ここで、頭を回転させるといふ表現を敢へて用ゐてゐるが、実際に思考するとは脳神経のNeuron(ニューロン)の連続して起きる発火現象が局所的にもいくつも渦として回転してそれが連鎖してゐるものと看做せなくもなく敢へて強引にさう看做してしまふと、慣用的に用ゐられてゐる「頭を回転させる」といふ表現はあながち間違ってはをらず、つまり、人間の直感は睥睨すべきもので、真理を穿ってゐる事屡屡(しばしば)である。
さうすると、うんうんと唸りながら、問ひの解を求めて寝ても覚めても絶えず頭を回転させてゐると、ひょんな事から、また、あらぬ方向から突然に解へと至る光明が見える閃きが起きることがある。この不規則な脳の働きを私なりに陳腐な理論付けをすると、まず、ストークスやガウスの名を出さずとも「頭を回転させる」事で渦を巻いてゐた回転運動といふ平面運動、つまり、二次元空間での運動は、渦動する事で、渦動面に垂直な軸をも現象に関係してくる事は、渦運動が物理学で言ふ「回転」から導かれ、それはとても自然の成り行きで、これは例へば颱風のやうなカルマン渦を見れば明らかである。これからは譬喩としてであるが、誰もが渦動は二次元空間を三次元空間へと次元を拡張させる現象を知ってゐる筈である。つまり、xy平面で渦動してゐたそれまでの思考平面が渦動に渦動を重ねる内に渦の法線方向にも時空間は三次元空間、これは時間と空間が今や未分化なものとしてどちらか一方では切り離せない四次元多様体と同じものを指すと看做せば、渦動は時間をも含有した四次元時空間で渦動する。或ひは時空間が四次元多様体と看做せるからこそ渦は渦として渦動出来るのかもしれぬ。
ここで、相転移といふ言葉を本来の厳密さを無視する形で性質を変へるもの全てを相転移とする、つまり、相転移の濫用を許してもらへれば、それまでxy軸による平面上を渦動してゐた思考はひょんな事からz軸へと「超越」してみせ、眼下にそれまでの渦動してゐた思考の「渦」を俯瞰し、それまで全く持てなかった新たな視点を思考が相転移する事で獲得し、それまで何処を向いても視界不良のまるで濃霧の中を彷徨ってゐるやうな感覚でしかなかったものが、それまでにはなかった不規則なz軸の視点を持つ事で閃くのである。それは例へば問ふてゐる事とは全く無関係の風呂に入ってゐる時などにひょいと思ひ浮かぶ時などがそれに当たるのでないだらうか。
しかし、閃きは思考を渦動に渦動を倦み疲れるまでさせねば訪れる事はなく、思考の相転移はもう思考する事、つまり、頭を回転させるEnergyが尽きた時に不意にやってくる事が多く、いふなれば思考がぴょんとz軸へと「超越」する事を過剰なEnergyが阻碍してゐるのかもしれず、裏を返せば、思考のEnergyがまだまだある内は得てして近視眼的なものの考へ方をしてゐる事が多く、または、大概、局所偏在する視点しか持ち得ず、解が気付かぬものなのである。
尤も、渦動に渦動を重ねて法線方向にも次元が生成され、思考の相転移が起きると、渦動する思考の中で衝突合体をも繰り返してゐた無数の考への一つ一つは、濃霧のやうな何も見えない思考の時空間に、内宇宙の自己相似形、つまり、Fractalと外宇宙にも拡大解釈すると、思考に思考を重ねてゐる内に太陽系のように巨大な思考の集塊が形成されてゐて、やがてz軸を獲得した事で、太陽系の団栗(どんぐり)独楽(こま)のやうな惑星群のやうに塵やGasの離合集散の上に形成され、渦は核融合反応を始めた太陽が太陽風で塵などを吹き飛ばして時空間の霧が晴れるやうに見晴らしがよくなるのと同様に、思考の見晴らしが、つまり、Perspective(パースペクティヴ)を手にした思考は、四方八方から差し込む光に刺激され、ある時不意に閃くのである。それは裏を返せば濃霧のやうな、或るひは闇の中に解は既に用意されてゐて後は見つけるだけまで、思考を酷使してゐたとも言へる。
このやうに、思考に限らずともの話だが、森羅万象も思考をしてゐると私は看做してゐて右記のやうな相転移をすると言っても過言ではないやうに、此の世の摂理から遁れ出られぬものは全て相転移をしてゐると私は看做すのである。さうして、此の世はFractalに絶えず変化して已まぬ千変万化する、或るひは流転するものとしてあると思へて仕方がないのである。ただし、ここでは科学的な厳密さには目を瞑り、物理用語などを比喩的に借用してゐるだけで、科学的な厳密さを追求してゐない。
作品データ
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作成日時 2025-12-03
コメント日時 2025-12-04
#縦書き
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| 可読性 | 0 |
| エンタメ | 0 |
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2025/12/05 19時55分41秒現在
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お気持ちはわかりますが、 お気持ちはわかりますが.....陳腐すぎます。笑 「科学的な厳密さには目を瞑り、物理用語などを比喩的に借用して」 科学的な心的現象を説明されてもまったく意味不明です。 心的現象は比喩じゃないのですから。論というのなら論理的に 語り、比喩というのなら詩的であってほしいものですね。 思考する時、大概はそれは連想するといふ事を繰 り返しながら、つまり、反復を繰り返す内に微妙 にずれ行く差..... 冒頭から支離滅裂。「大概はそれを連想する」の「それ」って 何ですか? 文脈上「それ」とは「思考」のことになりますが、 そうだとすると「思考するとき大概は思考を連想する」という 意味不明の同義反復になります。これほどひどい論などみたこ とがない。 では詩だというのなら詩でいいですが、しかし.....だとしても意 味不明です。
0コメントありがとうございます。それは思考する時を指しています。また、数学や物理用語は拡張解釈をしているので最後にそう追記しました。陳腐で意味不明ということですが、私は解る人のみに対して書いているので、解らない人にはそれでいいのです。それはあなたの勉強不足を曝露しているだけなので。もっと勉強するか、何冊もまだ、本を読んでください。
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