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ミステリアスなスパイス
ねっとりとした何かとしか言いようのないものが彼を捉えている。正確を期すなら"何か"ではなく"女性"と言うべきなのだけど、それでも〈彼女〉は他の女性たちと同じ女性なる概念で捉えるには突出しすぎているということで、私はそんな彼の感覚に忠実に"ねっとりとした何か"というフレーズを用いたのだった。〈彼女〉は胸が大きめで、シャンとした美しい背をしていて、そして顔の左側(向かって右側)にいつも何か笑っているかのようなニュアンスを湛えていた。身も蓋もなく言ってしまえば歪んだ顔ということになるのだけど、しかし(というこの接続詞自体が失礼だと承知しつつ)まさにそれゆえにこそ、自分は他でもなく彼女に惹かれているのだということを、彼は痛烈に自覚しているのだった。 最初彼女を見た折り、彼は即座に不協和音とでも言うべきものを感じ取った。まるで左右で別々のことを考えているようだと彼は思った。しかし彼は彼女への(一方的な)視線がそれこそ3を数えたあたりでそんな違和が、いまやミステリアスなスパイスとなって胸をジンジン疼かせているのだと気づかないわけにはいかなかった。震えるような声で彼女へと向かって"醜い"と、たとえば、否まさに、「その言葉」を投げつけたくって仕方のないアンビヴァレンスを彼は必死で抑えている。彼女はただ1人でアマゾンの瘴気を背負っていると彼は思う。 "ハハッ"と彼は自嘲する。そんな諸々がもっぱら自身の内面で展開されているにすぎないことを、彼はもちろん(?)自覚している。むしろし過ぎているくらいなのだけど、しかし走り出した新幹線が止まることを知らないのと似たように彼は、どこまでも胸底の湿地で凛、と、その寸分の隙もないように均整の取れた背筋で湿り気を一心に集め行く女の、その行き先を、鼻腔に絡み付くほどの粘度で見届けたいと願うのだった。 「この胸、いいでしょ?」 「大きすぎないのがいい」 「大きな胸はお嫌い?」 「なんだか呑まれるような気がして」 「小心者」 「キミより15センチも背は高いけどね」― ―スコーン!(大外刈りで倒されていた) 「ほんとうアマゾネスだなキミは…」 「ねぇ、そろそろ胸から視線を外してくれない?」 「恥ずかしいの?」 「っていうよりダルいの、なんだか」 気づけば僕は正座していた。ややあって彼女も(仕方ないわねぇ、という風に)正座した。そうして僕たちは2人何かの儀式であるかのように向き合っていた。 「チャーミングな顔をしてるね」 「お世辞がお上手ね」 「失礼を承知で、言うんだけどさ…」 「どうぞ」 「キミは、にもかかわらず、いつもシャンとしている。他に100人女の子がいたって誰も敵わないくらいに、シャンと凛と、している」 「言ってくれるじゃない」 「曖昧なトーンだね。"にもかかわらず"に対する応答なのかな?」 「どっちだって構わないでしょ」 気づけば僕たちは小洒落た喫茶店にいた。散々アマゾンだ胸奥だ湿地だ等言っておきながら、そのじつ僕は軽やかに彼女と手を取り合いたいのかな。いつも作業着しか見ない彼女はオシャレをしていて新鮮だ。真珠のネックレスに漠然と南国を思う。ドロドロしすぎない程度に泥濘(ぬかる)んでいるよな彼女だ。 分厚い回転扉をのしりと開けると妙齢女がおでムカデ―猫みたいに逆さから着地し。 「南国女はどうだった?」と対照的なキツネ目で。 「まったくもって素晴らしかったさ」 「いやらしい人ね」 「なぁ君はいつも氷みたいに澄み渡っている」 「いまさらなんなの?」 「いまだ自分が分からないんだ。澄んだものを求めてるのか、粘っこいものを求めてるのか」―澄んだ瞳の色合いをサッと探った。 「心ゆくまで考えなよ」―なんだか泣きそうになって… ―というのは違うそれは、劇画的な物語展開へと酔ってるだけ…、そもそもと彼は思い起こす、たしかに僕は彼女に惹かれ、そして儚げな母とでもいうべきニュアンスに狂おしくもなった。しかし当初の霧のさなかからたなびいてくる、よなスーッとした揺らめき具合は小さくなっていまや彼女は看板娘のよに確固で、哀しいまでの水色の移ろいはもはやなかった。かつて彼女は気づけば彼の胸に咲いていて、彼はそのひらかれゆくまでの夢中の遊泳に想い馳せることになるのだった― 「ねぇ、いまの君は深い青色をしている」 「あなたの好きなシャガールブルーのような?」 「うん。でも僕は昔の水色の君の方が、ずっとずっと好きだった」― 気づけば彼女は泣いていた。自分は彼女をけなしたかったのだと直覚した。彼女の言葉が涙の奥から哀しいくらいの優しさでもって迫って来た。"心ゆくまで考えなよ"と彼女は言った。 たとえば彼女は無限の慈しみを宿しているのだとか、そんなことを思っていたわけじゃない。むしろ彼女はそれなりに薄情ですらあった。それでも彼女は湧き水のようにこの胸に現れつづけた。そこにはいつもうっすらと余韻を残すことで"次"を仄めかすような、そんな甘やかに揺蕩うリズムがあり、僕は折りに触れてそこに帰っては、2人のあいだを隔てる諸々をくぐり抜けては彼女へと着き、その底で少女時代を遊ばせているよな薄い薄い水色の波へと、小さな一枚の貝になったかのような慎まやかさで憩っていたのに。 気づけば彼女は海になっていた。僕ははなから海を見ていたのかもしれないと、彼はふっと思った。目前の海はしかしもう、しとやかでやわらかい水彩の海ではなかった。そこにあるのは美しいものの、その落ち着きによって感傷をしかと拒んでいるような青だった。僕が〈淡い夢〉のさなかに住まうことは、もう二度とないのだと彼は思った。女房を呼び寄せるようなぞんざいさで、「あいつ(あの女)に会いたい」と彼はごちた。
ミステリアスなスパイス ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 576.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-04-10
コメント日時 2025-04-11
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


こんばんはー、 タイトル なにやら ドキドキしますね。 会話のパートがとくに好きでした、 このおはなしの「彼女」結構、好きです。
1「自分事」のように読んでしまう作品です。 読者を詩中に惹き入れることが、とても巧みです。 所々、脱線するようなユーモアが入ることで、この詩を身近なものにしています。 前作でも思ったのですが、 理屈で細かく分析したくない詩です。 そのまま楽しんで貰いたいです。 今の詩の流れからは反しているのかもしれませんが、 私個人としては、大好きな作風です。 ありがとうございます。
1「彼女」を好きになってくださりうれしいです☆♪ いままでの作品に比べると遊び心を込めることができたかなと、そんなささやかな満足を感じていましたが、そう言っていただき、あらためて書いた甲斐があったなあと。 でもそれは自分的には必然的な遊びだったのだと思ってるんです。自分のなかの女性に対する感覚の変化を記録するつもりで書いたのですが、新たな理想とする女性像はまさしく、"それなりに気まぐれな"女性だったからです。 包み込む/包み込まれる、というよりは突き放し合う―というと語弊があるかもですが、母的少女的な女性よりも、いわば女的な女性と対等な関係性を築きたいのかなと、書きながらそう気づけた気がします。対等と言ってもたとえば尊敬し合うというようなものじゃなくって、「お前頭悪いなあ(笑)」「ホンマちっさい男やなあ」みたいにむしろ馬鹿にし合いながら、その言いあっている(じゃれ合っているとも言う)という事実において第三者から見れば対等に見える―そんな関係性ですね。つまり互いに互いを心の底では下に見てるかも的な(笑)そんな風に、いわば毒気をも組み込んだものとして愛を捉えられてきたことをうれしく思っている次第です。 自分語りが長くなってしまいました(笑)そんな産声を上げたばかりの女性像を評価いただけたようで、ささやかながらもたしかな自信が芽生えた気がしています♪♪
2以前レモンさんから、楽しく書くことが一番とのアドバイスをいただきましたが、ようやくながら、書くに際しての「ゆとり」を感じることができるようになった気がします。 しかしまだ肩に力が入っていると思うし、前回からの課題だった"散文詩でも小説でもなく中途半端問題"(長い笑)も、前より少しはマシになったかなあ?程度で抜本的な解決はできていません。 しかしまさに指摘くださった「ユーモア」こそが、確たる掌編小説への道筋をつけてくれるのではないか―いま、そんな予感を強く抱いてるんです。ぼんじゅーるさんへの返信にて"産声を上げたばかりの女性像"と書きましたが、ユーモアもその意味で、僕の作品で新たに生まれた大きく決定的な要素ということになると思います。 今作では彼女がユーモアを纏っていたわけですが、作を重ねるほどに多方向へと拡張していけるんじゃないかと、いまからワクワクしている僕です(笑)☆♪
1私の拙いコメントが、何かお役に立てているならば、とても光栄です。 ありがとうございます!
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