創作者の部屋 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

わたしがいのることは

とても重い

みんな経験したことがあるであろう、とても重い"ちょっと"が詰まっている。

錠9

生きる

声なき声を拾いたいと思ったことはあるか

わたしは、ある。 あなたの胸を叩き 何故なのかと問いただしたい そう呼び止められた時 わたしは何と答えられるだろうか。 静かにだが確かにこの詩からは 張りつめた足音が聴こえる

ぼんじゅーる

天皇陛下万歳

知的破産者及び愚昧界の金字塔

平成天皇と存命中に呼び不敬を極め、大正・令和を外す選別賛美。明治から平成まで乱暴に万歳する時代錯誤と挑発精神が光る奇作。

大人用おむつの中で

好きです。

切れのいい、知性あふれる現代詩だと思いました。

ことば

ことばという幻想

純粋な疑問が織りなす美しさ。答えを探す途中に見た景色。

花骸

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)



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創作者の部屋    

昼が嫌いだった。洗濯機の回転音が胸の奥の柔らかい場所をこすっていくようで、心の輪郭が少しずつ崩れていく 「つくる」というのは、死なずにいるための嘘のようなものだ。その嘘をもう一度磨き直しながら、見たことないものを探すのがどうしてもしんどい 冷蔵庫を開けると、灯りがぱっとともる。トマトジュースの瓶の表面のくもりを指先でなぞると、自分が空の容器になったみたいで、少し希望が見えてくる 夜になれば 雨は止み、頭の奥で 微かな光が明滅しはじめる 焦りは静かだった 夢は見ない 夜を食べるだけだ 卒業式の後、片づけられない机の中を漁ると、よく混ぜられた納豆が入っていた。その粘りを何度も取り除こうとする。指先にまとわりつく糸は、ちぎれないまま、どこか別のわたしにつながっている気がするから、取り除くのをやめられない つくることと、生きることの境がどこかで絡まっている。心の底に沈んだ感情がまだ完全に流れきっていない それでも、夜になると光はまた静かに点滅をはじめる。カーテンを閉めたままの部屋の中で夜を食べ、朝になったら、また見たことないものを探しながらつくり続ける


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創作者の部屋 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 20
P V 数 : 1028.4
お気に入り数: 1
投票数   : 4
ポイント数 : 0

作成日時 2025-11-09
コメント日時 2025-11-12
#現代詩
項目全期間(2025/12/05現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
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音韻00
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閲覧指数:1028.4
2025/12/05 21時26分03秒現在
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    作品に書かれた推薦文

創作者の部屋 コメントセクション

コメント数(20)
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2025-11-09)

「食らう」が効果的にあらわれているのが印象的です。料理ってレシピがあってレシピ通りにやれば誰でもうまくいく。そんなふうに創作できればいいのだけど、なんでか、クリエイター気質ほどレシピ通りを嫌うという罠があったり。まずは食える飯をつくってからアレンジしろや!的な。

0
つつみ
おまるたろうさんへ
(2025-11-09)

コメントありがとうございます。 たしかに、料理ってレシピの手順を守ればうまくいくはずのに、どこかで型を壊したくなる衝動を抑えられないのか、レシピを見ないで作る人もいますね。 その「食える飯」をつくる前に、焦げても生でも、とにかく自分の味を確かめようとする そんな危うさや熱を「食らう」に込めたのかな?と、改めて気付かされた気もします。 今日はカレーライスを作りましたが、うちの家族はオーソドックスなものを好むので、普通に作りました。でも一人だったらいろいろ自分なりに試したかもしれませんね。

0
takoyo2
takoyo2
作品へ
(2025-11-10)

「創作者の部屋」というタイトル、やや硬質な感じが したのですが、読んでみるとなるほどこのタイトルが チョコレートのように溶けて広がっていくのをおぼえました。

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2025-11-10)

つつみさんはプロの書き手の方でしょうか? ときどき、ご自身の判断で他の作品に点数を付けておられますね。 度胸があるな。と感心しております。 他人の作品に点数を付けるなんて先生事、 僕には到底できない。 何を基準に10点、或いは100点満点としたらいいのか、 わからないからです。 ご自身の作品にも点数を付けられる。 そんな意識の高い客観性をお持ちなのでしょうね。きっと。たぶん。 夜食を食べながら僕も夜を食べてますね。いや、 夜に食べられているのかもしれない。きっと。 辺りが静まりかえる。 暗くなってから動きだす夜行動物のようなものです。 創作するにしても、その時間帯が狙い目なのですが、 ひとつわからない。 ~つくることと、生きることの境が、どこかで絡まっている。 つくること、というのはもちろん創作に対してでしょうが、 つくることと、生きることが絡まって感情に流れない、 と、思い悩むほど、創作って大事なものでしょうか? 生きることと同じくらいにたいせつな事柄ならば、 それはもう食べる糧になるくらい、 創作も重要な仕事としての役割を持ちますね。 プロでしょうか? 創作を糧にされている方ならば納得感アリアリ。 創作って

1
つつみ
takoyo2さんへ
(2025-11-10)

コメントありがとうございます。 タイトルが読後にやわらかく変化して感じられたというのは、とても光栄です。実はタイトルは、椎名林檎さんの「愛妻家の朝食」をヒントにしてつけました。なんか硬いのがカッコいいと思ったのかもしれませんね。

0
つつみ
メルモsアラガイsさんへ
(2025-11-10)

コメントありがとうございます。 「夜に食べられている」という表現、とても惹かれました。創作に没頭していると、まさに時間のほうがこちらを飲み込んでいくような感覚になりますね。静まり返った夜の中でだけ、心の奥の声が聞こえてくる。その感じがすごくよくわかります。私もよく、夜の沈黙に助けられて作品を形にしています。 ポイントを付けるというシステムは、前の運営さんが作ってくれたシステムで、特にそんなに難しく考えず、思うがままにつけてみて〜というような感じで紹介してくださったものでした。ほぼほぼ、感覚です。もちろんプロの書き手ではないので、先生のつもりでつけてるわけではないのですが、投票したときの根拠みたいなものを残したくて使っています。でも、そうですね。少しえらそうですかね。どうにか投票するくらい感動したってことを伝えたくて使っています。でも、中には気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれないですね。そのときは申し訳ないです。 さて、「つくる」ことについてですが、これは、詩ではなく、本業でとある創作をやっております。これをやめると寝込むほど生きる気力がなくなるので続けざるを得ないという感じです。本当はもっとのんびり生きていきたいのですが、不思議です。

0
takoyo2
takoyo2
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(2025-11-10)

追記 "タイトルがチョコレートのように溶けて広がって いくのをおぼえました。" だけではこの秀作に対しての感想としては寂しい。 せっかくだから、なにかもっといいたくなりました。 そこでどのような角度から感想を述べるのがいいか、 イメージの連想を追うべきか、心理的な動きを 洞察すべきか、作者の世界観を感受すべきか、迷って、 結局、昼間の「洗濯機」と夜の「冷蔵庫」に注目し、 それを光の濃淡の面から(わたしは仕事柄、光の濃淡に 特別に関心と興味があるので)そこからこの作品を 味読してみようと考え、それだけでは面白くないので そこにラカンの三界理論を適応するというアクロバットで いこうかなと思いました。 さて、 洗濯機=昼=太陽(象徴界の強光です)「洗濯機の回転音 が胸の奥の柔らかい場所をこすっていく」——この洗濯 機は昼の太陽そのものです。白い光が回り続ける機械的な 円運動は、象徴界の秩序(家事=社会規範)を強制的に照 らし出します。心の「柔らかい場所」は現実界の闇の核ですが、 太陽=洗濯機の光がそれを削り取る。回転するたびに闇の 輪郭が薄くなり、自己が溶ける痛みが生まれるのでしょう。 光の濃度は最高値——だからこそ「心の輪郭が少しずつ崩れ ていく」。 象徴界の光が現実界の闇を希薄化する暴力が、ここに凝縮さ れているようにみえる。 一方、冷蔵庫は=夜=闇(想像界の微光です) 「冷蔵庫を開けると、灯りがぱっとともる」——冷蔵庫は 夜の闇の容器。外は真っ暗なのに、内側だけが突然光る。 この逆転が想像界の鏡像段階を体現する。トマトジュースの瓶の 「くもり」を指でなぞる行為は、鏡に触れるような自己投影—— 「自分が空の容器になったみたいで、少し希望が見えてくる」。 です。 闇の深さ(冷蔵庫の内部)が、光の薄さを際立たせ、現実界の 空虚(空の容器)が、想像界の微光で「希望」という幻想に塗 り替えられる瞬間です。光の濃度は最低値——だからこそ儚い。 卒業式というなにかの終わりに、納豆が出てきますが、 納豆の粘り=別のわたし=現実界の糸「よく混ぜられた納豆」でして、 「指先にまとわりつく糸は、ちぎれないまま、どこか別のわたし につながっている」——納豆は現実界の粘着質な残渣。卒業式 という象徴界の儀式の後に残る、言語化不能な「別のわたし」でしょうか。 光(取り除こうとする手)で引き剥がそうとするほど、闇の深さが 露わになる。この糸は現実界の裂け目——象徴界の光が届かない領域です。 想像界では「別のわたし」として幻想化されるが、現実界では ちぎれない粘着として永遠に絡まるのでしょう。闇の浅深が、ここで 最も複雑に交錯するのを感じます。夜を食べる=頭の奥の微光 (三界の交差点)「夜になれば 雨は止み、頭の奥で 微かな光が明滅しはじめる」 「夜を食べるだけだ」——夜を「食べる」行為は、現実界の闇を 摂取しながら、想像界の微光を灯す儀式です。頭の奥=無意識の闇が、 光の点滅で想像界の希望を産む。象徴界の光(昼の洗濯機)は届かない領域で、 三界が最も純粋に交わるところでしょう。光の濃度はゼロに近い——だからこそ 「静かに点滅」するようにみえます。つまり、 闇の深さが、光の存在を際立たせる逆説になっている。カーテンを閉めた部屋= 創造のループです。「カーテンを閉めたままの部屋の中で夜を食べ、 朝になったら、また見たことないものを探しながらつくり続ける」—— カーテンは象徴界の光(太陽=洗濯機)を遮断する膜としてあり、閉じた部屋は 現実界の闇の密室ですが、そこで「夜を食べる」ことで想像界の微光が 生まれる。 そして朝になると再び象徴界の光が侵入し、創造の「嘘」を強制する。 このループが詩の核心にあり——光と闇の濃度が永遠に循環する。 この詩は具体象徴を通じて、光の濃度が高いほど闇の深さが際立ち、 闇が深いほど微光が幻想的に輝くという美学を体現する。 洗濯機の太陽が心を削り、冷蔵庫の闇が希望を灯し、納豆の糸が現実界の断絶を繋ぐ。 夜を食べる行為が、三界の交錯を日常の行為に落とし込み、 創造の部屋を光闇の劇場とする。 これがつまりわたしが感じた「創作者の部屋」というタイトルの 溶解と広がりです。

0
黒髪
作品へ
(2025-11-10)

生活の中の疑いと希望。ご自分の精神を、きちんと独自の形にしていらっしゃって、偉いなあと思いました。考えられたことが、無駄になっておらず、生き生きとしていますね。まだまだ先まで、いける人だと思いました。

0
つつみ
takoyo2さんへ
(2025-11-10)

再度の丁寧なコメントありがとうございます。 ここまで深く読み込んでくださって、本当にありがとうございます。まるで私の中の「夜」と「光」を代弁してもらったようで、読みながら胸の奥がじんわりと熱くなりました。 昼の「洗濯機」と夜の「冷蔵庫」を、光の濃淡として読み解いてくださった視点に、はっとしました。日常の光の中で、形を保つことの難しさ。あの部分を「象徴界の強光」と表現してくださったのが、まさにその感覚に重なります。 そして夜の冷蔵庫を「想像界の微光」として捉えてくださったところ、あの淡い灯りの中にだけ見える希望のようなもの。光ではなく闇の側からしか立ち上がらない温度。それを「鏡像段階」と結びつけて読まれているのがとても新鮮でした。自分が空の容器のようになっていく瞬間の、寂しさと救いを、こんなふうに読み取ってもらえるなんて、感動です。 納豆の場面も、あの「ちぎれない糸」を「現実界の残渣」として見ていただいたのが驚きでした。書いたときにはただ、「切り離せない自分の一部」を感じながら指を動かしていたのですが、それをこんな理論的で、しかも温かいまなざしで捉えてもらえるとは思っていませんでした。 「夜を食べる」という行為についても、現実と想像の交差点として読み取っていただけたことがうれしいです。 あの詩を書いたとき、私自身も「夜を食べながら光を探している」感覚でした。創作とはたぶん、光を生むために闇を噛みしめることなのかもしれない。そんなことを思いました 最後の「光と闇の濃度が循環する」というまとめの言葉、それがまさに私が「創作者の部屋」というタイトルに込めた思いです。私でも言語化できずモヤモヤしていたので明らかにしてもらいとても嬉しいです。この部屋は、昼も夜も、現実も幻想も、溶け合ってしまう場所で、その曖昧さの中にしか、ほんとうの創作は存在できないような気持ちになりました。 丁寧に読み、言葉を尽くしてくださって本当にありがとうございました。 このコメントそのものが、もうひとつの「創作者の部屋」のように感じます。

0
つつみ
黒髪さんへ
(2025-11-10)

コメントありがとうございます。 「生活の中の疑いと希望」という表現で、この疑うという行為を忘れないようにしたい反面、しんどいと思ってしまうことを改めて自覚しました。 たぶん私は、日々の中で生まれる小さな違和感や、ふと見える光のようなものを、確かめながら創作しているのだと思います。 それを「無駄になっていない」と言ってもらえたことが、本当に励みになりました。迷ったり立ち止まったりしながらでも、つくり続けるで少しずつ前に進んでいけたらと思います。 「まだまだ先までいける」との言葉、心にしっかり刻みます。これからも、生活の中で見つけたかすかな希望を、言葉にしていけたらと思います。

1
201
作品へ
(2025-11-10)

よく混ぜられた納豆 よく混ぜられていない納豆ではなく 食べやすくなったもの なんだか生々しいインパクトがありました 全体のアンニュイな言葉選びも好きです 今の自分の心境に近いものを感じますね

0
つつみ
201さんへ
(2025-11-10)

コメントありがとうございます。 「生々しいインパクト」と言ってもらえて、とても印象に残りました。たぶん私自身、心の中の感触をそのまま言葉にしたくて、「絶対に触ることはないだろうけど、感覚としてはよく混ぜられた納豆に近いか?」と、納豆を選んだのかもしれません。 「アンニュイ」と感じてもらえたのもうれしいです。どこかはっきり形にならない気持ちを抱えながら書いた詩でした。 今の201さんのの心境に近いとおっしゃってくださって、読んでくれた方の中にも同じ感覚の時間が流れているのだと感じ、少し孤独感が紛れました。ありがとうございます。

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ぼんじゅーる
作品へ
(2025-11-11)

おはようございます。 >>「つくる」というのは、死なずにいるための嘘のようなものだ。 死なずにいるための嘘、つくる行為が。そうですね。確かにそうです。 その嘘をもう一度磨き直す、ということが 生きる ことにちかいのかもしれませんが、それは大変に気力と自分にしか気づかないような勇気のいる作業ではないか。 少なからず僕にはそんな気がしています。 >>冷蔵庫を開けると、灯りがぱっとともる。 この後の連の描写もあいまってか、冷蔵庫という小宇宙に晴れの日が一瞬だけおとずれるような 錯覚を、覚えました。 洗濯物を取り出す瞬間にすこし、衣類が柔らかくなったように思える そんな文章達を読む時間になった、と この詩を読んで、 そう感じました。

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つつみ
ぼんじゅーるさんへ
(2025-11-11)

コメントありがとうございます。 >その嘘をもう一度磨き直す、ということが 生きる ことにちかいのかもしれませんが、それは大変に気力と自分にしか気づかないような勇気のいる作業ではないか。 まさに自分の中にある感覚に重なっていて、胸に残りました。気力がいるし、誰にも見えないほど小さな勇気が必要な作業ですよね。 それでも手を動かしているのは、たぶん、その「嘘」を少しでも光に近づけたいからなのかもしれません。 冷蔵庫の灯りを「小宇宙の晴れの日」と感じてくださったこと、とても嬉しかったです。たった一瞬の、でも確かに世界が息をするような光景を描きたくて書いたので、その小さな温もりを受け取ってもらえたような気がしました。 洗濯物のくだりまで丁寧に読んでくださって、 >洗濯物を取り出す瞬間にすこし、衣類が柔らかくなったように思える と感じる優しい視線にも救われました。私は「次は干さないといけない」という義務感だけで、そのような感覚に気づかないまま面倒な家事のひとつとしてただこなしていたと思います。今朝は少し柔軟剤の香りを感じながら干そうと思います。 色々とこの作品に想いを寄せて頂きありがとうございました。

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rona
rona
作品へ
(2025-11-11)

つつみさん、こんにちは。 上手いなぁと思いつつ、拙い感想ですが、 夜があるから光りの点滅が見えるのですよね。年がら年中真っ昼間だったら点滅する光には気付かない。 ずっと纏わり続けるものに生かされているようにも思えて、生きるって本当に不思議な行為でもありますね。 >見たことないものを探しながらつくり続ける つくり続ける(生き続ける)って、時に苦行のように感じたり、時に楽しくなってきたり、まだ見ぬモノの発見の積み重ねがやっぱり楽しいですね。最近そう感じるようになりました。

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つつみ
ronaさんへ
(2025-11-11)

コメントありがとうございます。 >夜があるから光の点滅が見える まさにそうだなぁと、改めてその言葉に励まされました。ずっと明るいだけの世界では、かすかな光の瞬きに気づけないし、周りの方たちの温かみにも気づかないかもしれませんね。 >生きるって不思議 という感覚、とても共感します。 気持ちが塞いで何もできないと思っていたときでも、ふと引き出しを開けたら、ちゃんと自分で洗って干した衣類が並んでいる。何もできてないことはない、ちゃんと生きている、とか思うんです。 >つくり続ける(生き続ける) たしかに苦しい時間もあるけれど、 その中で小さな発見が積み重なっていく。それがあるから、また手を動かせるのかもしれません。 ronaさんが >まだ見ぬモノ の発見の積み重ねを楽しんでいらっしゃるのを聞くと、とても心強い気持ちになります。あたたかな言葉を、ありがとうございました。

0
仁川路 朱鳥?|
作品へ
(2025-11-11)

>昼が嫌いだった。 私も小学生時代から昼が嫌いでした。母の介護、遠吠えのようなスマホのアラーム、粘土を食べているように不味いスーパーのカルボナーラ……辛いことがあるのは昼でしたが、楽しいことも基本的に昼ですよね…… >「つくる」というのは、死なずにいるための嘘のようなものだ。 なにかを作るということには、「不死願望」の影がチラチラ見えるもの。一般的には子どもを育てることで願望を叶えるものですが、それが文芸や手芸に持ち込まれると、別の形の子育てをしていることに繋がりますね。例えば国語の教科書に載っている作品を書いた人って、必ずしも子どもを残したわけではない。 >トマトジュースの瓶の表面のくもりを指先でなぞると、自分が空の容器になったみたいで、少し希望が見えてくる ここら辺も不死願望とマッチしているように読めます。空っぽになってしまっても、そこにあったという事実があるならそれが希望……といったところでしょうか? >つくることと、生きることの境がどこかで絡まっている。 私もそんな感じでして、スランプになって何も作れないならいっそ……とさえ思ってしまう人です。これは今年見た映画の話なんですが、「マインクラフト」の映画では『つくることは、生きること』というメッセージを受け取りました。それを踏まえると、境が絡まっていてもいい、白黒はっきりしなくてもいいんじゃないかなと思います。 創作という糸口を元にして、私たちは自身の姿も、世界の姿も写し取り、共有することができる……その奇跡を忘れないでいきたいところです。

0
つつみ
仁川路 朱鳥?|さんへ
(2025-11-11)

コメントありがとうございます。 言葉の奥まで見つめてくださっているのが伝わってきて、何度も読み返してしまいました。 確かに楽しいことも基本的に昼に訪れますね。でも私は朝起きたとき、昨日の楽しいことは昨日だけのことで、今日もまたうまくいくとは限らない――そんなふうに考えてしまう。きっと「楽しい」の前にある苦しみを、心が予感して、逃げ腰になってしまうからなんでしょうね。昼は、明るさと同時に、残酷なほど現実的な時間でもあります。なぜか夜は楽観的。どっちにしても私は損なネガティブ思考なんですね。 それもですが、カルボナーラのくだり、とても印象に残りました。私はカルボナーラが好きで、自分で作るのも、スーパーのも、冷凍のも好きなのですが、「粘土を食べているように不味いカルボナーラ」って、いったいどれほどの味なのだろうと、そこに妙なリアリティと惹かれを感じてしまいました。 さて話を戻して、「つくることは死なずにいるための嘘」という言葉から「不死願望」という読みをしてくださったこと 確かに、作品を残すことも、何かを手で形にすることも、自分という存在をこの世界に繋ぎとめようとする行為なのかもしれませんね。 >空っぽになってしまっても、そこにあったという事実があるならそれが希望 ある日の昼過ぎに飲もうとしたトマトジュースから得た感覚を、はっきりと言語化していただいたようで、嬉しいです。 >境が絡まっててもいい、白黒はっきりしなくてもいい スランプの時間も、手を動かせる時間も、どちらも生きている証の一部なんですよね。これまで何回も経験しているのにスランプはこわい。でも、仁川路さんのコメントを読んでいると、その恐怖が私をここまで導いてくれている気もしてきました。 丁寧に読んでいただき本当にありがとうございました。

1
作品へ
(2025-11-12)

作ることと生きることが一致する、その希望を求めて"よく混ぜられた納豆"の中で藻掻いている語り手さんの姿に、シンパシーを抱きます。 作ることが嘘をついているような感覚を覚えるのは、逆説的に語り手さんが自分の能力に不満を覚えているからで向上心を持っているからに他なりません。 何かを作るということは、自分を作り変えるということだと私は思っています。 自分を絶えず作り変えていくことが今を生きることだし、だからこそいつまでも嘘というよりは何かが足りないという気持ちに駆られるのかもしれません。 何かを作ったときそれは固定化されてしまっていて、そのときには私はそれよりも先に生きているからです。 結構難しい問題を明確に書き切っていると思います。

0
つつみ
類さんへ
(2025-11-12)

コメントありがとうございます。 >何かを作るということは、自分を作り変えるということ 確かに、作品を通して表現しているようでいて、実はその過程でいちばん変化しているのは自分自身なのかもしれませんね。 >いつまでも嘘というよりは何かが足りないという気持ちに駆られるのかもしれません。 作るたびに「まだ足りない」と感じるのも、理想の自分を追い続けている証のようで、その「何かが足りない」という気持ちに駆られるのも、生きている証拠のようにも思えます。 >何かを作ったときそれは固定化されてしまっていて、そのときには私はそれよりも先に生きているからです。 類さんのこの前向きな生き方、とても憧れます。私はすぐに疲れて、もう終わりにしたいと立ち止まってしまう。でも、また何かに駆られて動き出す、の繰り返しです。 類さんのコメントを読んで、創作という行為の中に流れている希望を、もう一度見つめ直すことができました。ありがとうございました。

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