植物園に行ったら
たくさんの妻が生えていました
娘に妻の居場所を聞いたら
喃語が返ってきました
とりあえず
娘に名前をつけてやることにしましたが
その前にわたしの名前が必要でしたので
役所に向かいました
役所にて
「あなたの名前は?」
と聞かれましたが
わたしには名前がなかったので
何も手続きができませんでした
しかたなく
植物園に戻ったら
妻は一人もいませんでした
店員に聞いたら
既に全てが売られてしまったそうです
娘が植物園に
根を張りそうになったので
慌てて抱っこしたら
泣いてしまいました
そうか、授乳が足りないのだと思い
急いで授乳室へ向かい
わたしのおっぱいをあげようとしましたが
娘は一口も飲もうとせず
泣き続けました
授乳室を出たら
妻の一人が待っていたので
娘を託しました
わたしは
わたしのまま
一人になりました
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 976.6
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-09-25
コメント日時 2025-10-23
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:976.6
2025/12/05 18時34分58秒現在
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何をどう結びつけようかイロイロ考えたのですが、単純に擬人化したままでも男のイキザマとして寓話になりますよね。でも、単幹として切り落とされる枝は選択肢、娘は夢や希望。そうすると、妻はキッカケなのかな、と、もっと大まかに捉えるべきだと納得しました。上手く単幹と結びつけているなと思った。勝手な一見解ですが、読み解くの楽しかったです。
0ありがとうございます。 アイディア一発の寓話としてとどまってしまうかな、とも思ったのですが、拡げていただけてよかったかなと思います。もうワンクッションの仕掛けがあってもよかったのかなと今になって思いました。
0とても短いお話で、複雑な言葉は使っていないのに、世界観が感じられて、魅入ってしまいました。 植物園に行ったら妻がたくさん生えていた… 出だしの光景に惹き込まれ…。動いたり話したりできるヒトと、対して移動せず言葉を発しない植物。それらが掛け合った存在って、奇妙であり可愛いとも感じます。 主人公の語り口は淡々としていて、感情の起伏は小さくみえるし、とても悲しい、嫌なことが起きる世界というわけではない。 けれど、なんだかうまくいかないことが立て続けに起こる。娘に妻の居場所を聞いても言葉がわからない。娘に名前をつけようにも、自分に名前がないから手続きができない。植物園に戻ったら、妻は全て売られて1人もおらず、寂しいような。残された娘の世話も、うまくできない。 そのうまくいかなさが絶妙で、淡白な語り口が相まって、理不尽な夢の中にいるような感覚になりました。 また、娘に「とりあえず」名前をつけようとしたり、特に、語り手は男性だとは思うんですが、自らの乳で授乳しようとする、少し突拍子にみえる行動。ストーリーに胡椒少々、といった具合に締まりができてる感じがしたし、おかしみがあって良いなと思いました。
0>植物園に行ったら >たくさんの妻が生えていました この出だしから、観念操作系の詩かと思って読んだら、もっと印象系というか、ふわっとした感じ。巧くいか無い男の、空虚さ、侘しさ、哀しさみたいなものを本人視点で、しゅーるに描きました、みたいな。 作者が意識してるかさえ微妙だけど、個人的に対比になってるかな、と思ったのが、 >たくさんの妻 と >わたしには名前がなかった の部分。 本当はたくさんの妻なんて居ないし、名前の無い私なんて居ない。物凄く月並みな言い方になっちゃうけど、自己を受け入れ愛することの無い人間に、他者を受け入れ愛することは出来無い。そう考えると、名前の無い私とたくさんの(判別のつか無い)妻はせっとかなと思った。ふざけんなよ。さっきも書いたように本当はたくさんの妻なんて居ない、1人の、娶ったはずの、愛する伴侶の判別がつか無いとしたら、それは己自身の、1人の人間に踏み込んで愛し抜く勇気が無い、その恐れ、自信の無さだ。それが、結局は >わたしは(を) >わたしのまま >一人に するならば、阿呆だ。追いかけろよ、売られ、消えた妻を、おるふぇうすのごとく、いざなぎの如く。たぶん話者は優しくて仕事も頑張る良いやつ、凄いじゃん、知らんけど。だからこそ愛する娘と妻を得られたのだろうに、そこで自信を無くすな。自分のこれまでの努力でやっと得た愛をみすみす殺すな。と言いつつ、根拠の無い、ともすればまいなすに傾いていく自己を、自分自身で持ち上げて、ましてや愛すなんて、死ぬ程難行。それは私も重々承知してるから、ほんとはこんな激励の言葉、他人にかけるなんて間違ってるかもだけど。でも、やっと得た家族をてーまに、単幹、ぽつねん。。。なんてやってる場合かよ。頑張れよ!!!(しゅうぞう)まで書いて、単幹、て、家族を1つの括りと見て、おかしみある家族の1つの物語、とも読めるかな、と思った。なら良いな。寂しくなって逃げる前に、ちゃんと向き合え。お前なら出来る!!!(しゅうぞう)なんか熱くなっちゃったwでは。金輪際、あでぃおす。
1不条理でええですね。ちゃんと物語になってるのは、すごいなと思います。ただ何か足りないです。何が足りないんだろう。これはこれでいい気もしますけど、もう少し何か機転が欲しかったなと。贅沢な悩みかもしれません。
0これは捉え方によっては様々に解釈できるおもしろい作りです。 確かに人間を植物のように例えた寓話的な創作にも読めてきます。 パパ活。 共働きから子供の世話をする自分がいる。のような、 悲哀に込められた架空の場所でもない気がする。 なので、わたしはこの場として語られている植物園が日常の空間に置き換えられている、と考えます。 たくさんの妻や、根を張りそうになる娘とは、日常現実としての雑務ですね。 このことを社会や会社組織に置き換えてみれば、 妻とは社員たちのことで娘とは所要の仕事のことでしょう。 そんな中で立場としてのわたしを振り返ったとき、 一本の単幹として立ちつくすわたしがいる。 つまり、作者は孤独の中に秘められた思いを託しているのではないかと。
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