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セックスなんか要らねえよ
セックスなんか要らねえよ 20代前半の詩人って彼氏彼女とのセックスを題材にしているような浮かれポンチな奴らが多いイメージあるけど俺はそんな風には絶対ならねえよ そもそもやる相手が居ないとかそういう話じゃねえよ もっとプラトニックな話だよ 誰かと出会って愛を育み 時に尊重し合って 時に意地を張り合って 会いたくて胸が張り裂けそうな夜もあって 顔すら見たくない夜もあって 日々の積み重ねのその果てに 「君とならセックスしてもいいな」と思い合える間柄 そんな関係の二人に もはやセックスなんか要らねえよ というかその関係自体がもうセックスだよ 俺はお前とそうなりたいよ 俺はお前とそうありたいよ それと比べたら小さいセックスなんか要らねえよ 俺は今、この人生をかけたデカいセックスの途中なんだよ
セックスなんか要らねえよ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 664.1
お気に入り数: 2
投票数 : 3
ポイント数 : 62
作成日時 2025-08-06
コメント日時 2025-08-08
| 項目 | 全期間(2025/12/06現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 20 | 20 |
| 前衛性 | 22 | 22 |
| 可読性 | 5 | 5 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 10 | 10 |
| 音韻 | 2 | 2 |
| 構成 | 3 | 3 |
| 総合ポイント | 62 | 62 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 20 | 20 |
| 前衛性 | 22 | 22 |
| 可読性 | 5 | 5 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 10 | 10 |
| 音韻 | 2 | 2 |
| 構成 | 3 | 3 |
| 総合 | 62 | 62 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


私も浮かれポンチな詩を書いたことがあって、ハッとしました。ほんと、要らないですね。心からそう思える詩です
いい意味で詩らしからぬド直球さに思わず笑ってしまいました。 でも、本当にそうですよね。行為中の艶めかしさ、オトナな雰囲気、文字通り全てが丸裸になる感覚、そういうのが詩と相性がいいのでしょうけど。行為に至るまでの過程ありきですしね、そういうのは。 主語デカくしちゃいますが、最近の社会は、些細なコミュニケーションの積み重ねをすっ飛ばした、手っ取り早い肯定を欲しがりがちな気がします。
0適当な男(または女)とやる安いセックスよりも、死ぬまで一緒にいたいパートナーと愛を育む方が人生得してるなって感じます。 人間みがあって親しみやすい★
0セックスなんていらねえよ、といいつつも、最後はセックスの比喩で終わる辺り、まだ煩悩が 抜けきっていないのでしょうね。抜け切る必要も、ないのだとは思いますが。どこからどこまでを セックスと定義するかが、重要だと思います。たとえば、愛しい人の美しい滑らかな肌を 手で撫でてみることだって、セックスと言えば、セックスでしょう。
1パチンコパチスロ演者で1ゲームのてつ、という方がいるんですが、その方、中学生の頃、隠し持っていたエロ本を母親に見つけられ、学校から帰ってきたら、母親がてつさんの机の上にエロ本を置いていて、散々叱られたそうです。その上でてつさんは「それが俺、強烈なトラウマでさ。ここで言っとく、全国の男の子を待つ母親に。中学生になったら男はもうチンポなんだから、そう全身がチンポ。だから性的なことで叱ったり介入したりするのはやめてあげてほしい、すごく傷つくから!」と言っていました。その言葉の方がこの詩よりよほどリアルで、嘘がなく、ややもすれば魂の叫びとしての詩になり得ると感じました。
0恋愛に対する一種の潔癖でしょうか? 人と人が触れ合い、求め合い、お互いにサーヴィス精神を発揮する。sexにはそういうところがあると思いますが、そういうものが世の中を動かしている。そこで求められるのは一種の品です。しかし大人が子供に諭すようにいうのでなく、もう少し低い目線でこういうメッセージを発しているように思え、それが少し新鮮に感じました。 恋愛の過程を楽しむことを目的と捉えているようにも読めますが、過程はあくまで目的に至るまでのものであって、セックスの話は切り離せませんね。 20代前半ぐらいだとそういうことばかり考えている。それはもう仕方ないと思えるし、そこにロマンチシズムの欠如を感じるのも、あるかも知れませんが、恋愛に綺麗なものだけを求めてもつまんないんだよなあ。
0いいねえ。その意志がホンモノならば素晴らしいよ。って 、口とあたまは違うからね。 男は爺になってもずっとスケベで、女が婆さんになったらよけいにおしゃべりする。 男の興味は性に暴力。 女の興味は恋愛だろう。このことも変わらない。 その中間を跳ね回るのがセックスだ。 セックスはいいよ。 毎日のように違う相手とやれる喜び。 ゾクゾクしちゃうね。 同じ刺激でも、これは戦場で殺し合うのとは違う緊張感に溢れている。 恋愛だってそうだろう。 恋人が何を考えて自分のことを思ってくれているのか。 明日は何をしようか。 やるかやられるのか。 刺激ってこれだよね。 なので、当然しっぺ返しも大きくて虚しさだけが残ってしまう。 刺激があるので想像もある。 読む快感も同じだろう。 俺は女には飽きたよ。 わたしもう男は要らない。 これも本心じゃない。ポーズだよ。いつコロッと変わるかも知れない。 ということで、上の人たちもおっしゃっているようにどんどん遊んでください。恋愛もセックスも経験して。 若いとき、男ならば直立平行90度くらいのうちですよ。快感度数が維持できるのは。 さすればセックスのことなんて子供お遊びのように書けなくなりまして、 、書かなくなる。 フェチのような恋愛を語るのは爺や婆さんになってからでも遅くはない。でしょう。?
1すごいド直球で、思わずくすりとなってしまう詩でした。 親しみやすい。
0性欲否定という古い概念を述べている。口調は乱暴でも中身は凡庸。ちなみにイスラームは性欲否定的ではない唯一の宗教といわれています。
0がんばれ!と応援したくなる詩です。
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