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湯灌
意識の雨が降りしきる 足もとに積まれた小石 開封された町並みには 軽く輪ゴムがかけられて 終いの無音が 足裏を濡らしはじめる 這いだす百合の匂いに 止めようのない なだらかな坂のうえに横たわり 生まれついた哀しみと 生き終えたうたかたが 花びらとなって 肛門から漏れだす いつから夜は つかめるように なったんでしょうね 握りしめた指を折る雨音が 東雲の歩みよる畳に響く 滴のような幸せを いただきました 息を捨て 逃げてゆく聴覚 もう何色も映すことのない瞳 渇かない母たち ひとりが一人を産み また一人を産む 母たちの数珠は つめたい膝頭でできている 百八の膝頭のまるみが 此岸を発つ舟を漕ぐ 背を向けることのない後ろ姿 さっきまで上下していた胸 頬に残されたシミ すべての重さが計られ 生きていた匂いを消し去って 言葉をもたずに慰められる つかむ すべる 意識のなかに もうどこにも逃げることのない 雪が降りはじめる ほんとうと 言い終えぬうちに 湯はとまる この世の際は あたたかい
作成日時 2019-02-21
コメント日時 2019-03-03
湯灌 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 919.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
項目 | 全期間(2023/02/09現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
自分がこの詩を読んで ふと頭によぎることがありました。 答えを熱烈に求めている訳ではありませんが、死のスケッチのなかで、なぜ肛門を言葉に選んだのだろうということでした。 普通の人は肛門という言葉を聞けば抵抗があるでしょう。そこをあえて使う理由。もしかしたらなびかの経験の裏付けがあったのだろうかと想像したりもしています。 肛門ときいて こんな話を読んだのを思い出しました。 体が不自由になり、手足が動かなくなった人がいた。最初は口で会話もできたが、口も動かなくなり、まばたきで話をする。まばたきすら出来なくなったらどうするか。 それは最後は肛門の筋肉の伸縮をつかっての合図という話です。 肛門には排泄をする機能以外の他に肛門を使った意思伝達という機能を知ったとき、私の肛門にたいするざっくばらんに汚いというイメージが少し変わりました。 もちろん、その話は体が不自由ながらも 生きている人間の最後の筋力の話であって、死人の最後の筋力が肛門かどうかは別の話です。 そられと同じというわけではないでしょうが湯灌をされているなきがらの詩の前で生きている人間の常識だけでとらえてはダメだろうなと想像しています。 つまり死人と生きている人間は別物なので生きている人間の常識で死人の清められた、それは純潔ともいえる肛門を、汚いなぁと感じるのはナンセンスなんでしょうね。 さて、しかし脳ミソパープリンのわたしにはこの詩を感想という文字に置き換えることは不可能だなという確信もありますのでここらで退散いたしますが 詩を読むなかで 死んだ人間にも意識が残されており それは雨のように降ったり だんだん、死後硬直を匂わすかのように雪へ変わる。 意識は無意識を具現化するがごとくをつかめるようにかわっている 生きている頃は、追いかければ消えて行く無意識が死んで行くことによって 不思議なことに生きている頃より 意識というものが純度を増している そういう雰囲気を感じました。 そしてその雰囲気がどうにも、 たぶん死んだらこうなのかもなと 不思議と納得もしているのです。 飛躍的に解釈しておりますが なにぶん、生きている人間の解釈なものですからどうぞお平らにお願い致します。ありがとうございました。
0くつずりさん、おひさしぶりです。 くつずりさんのお作は、息を詰めるように、次の行をおそれるように読ませていただくのですが、 大切なかたを送られた直後の、特別な時間が特別な作品となっていると感じました。 くり返し読むたびに新しく、作者のぬくみと怜悧をともに感じます。 そっと落としたものを拾って ああ、ここね!と詩友とまた何度でも語りたくなる、、、 また読ませて下さい。
0本日3月1日(金)21時より、【突発的弓庭夜話】を実施します。 場所はtwitter 作品は、くつずり ゆうさん「湯灌」→https://www.breview.org/keijiban/?id=3031 ご参加予定、閲覧ご希望のかたは、fiorinaをフォローして下さいませ。→@bara20006 初の試みで、どんな風になるのかわかっておりません。まずは、ふるってご参加下さい!
0言葉のチョイスの感覚がずば抜けてよいのだと思いました。 読者への理解の配慮と言う点では、付かず離れずのいい感じだと、私見ですがそう感じました。 私見だというのは、この詩を読みきれていないと強く感じるからです。 五感をフルに使って書かれているのは分かります。 また、飛躍や語句の新鮮な結びつきも感じられました。
0鈴木海飛さま コメントありがとうございます。 お返事遅くなりまして、申しわけございませんでした。 色々な角度から吟味していただいて、とても嬉しくおもいます。 わたしとしましては、肛門も指先も、あまり変わりなく、愛しいひとのいちぶであると感じます。 ただ、詩として言葉を置くときには、より自分の気持ちが嵌るものを選ぶようにしています。 今回の詩は、湯灌の際に納棺師の方がしてくださった様々なことがらの中から、自然と選んでいった語句でした。 そして、生き人と死人は、ほんのすこし糸のような細い境目で隔てられているだけで、とても近いものであるとも感じます。
0fiorinaさま ご無沙汰いたしております。 仕事が忙しく、久しぶりにこちらへ伺わせていただきました。 また、ツイッターでは何か催しをしていただいたようで、ありがとうございました。参加できなくて、残念でした。 また、ご縁ありましたら、よろしくお願いいたします。
0galapaさま コメントありがとうございます。 他サイトでは、何年もお世話になっておりますが、こうしてコメントを頂いたのは初めてのように思います。 とても嬉しかったです。
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