知識は体系である
それにもかかわらず
トリビアリスト達は体系を啄む
虫食いの葉のように
虫は柔らかく美味しい葉だけを食べて
葉を支える茎には目にくれない
知識は有限である
それにもかかわらず
エピキュリアンは知識を蝕む
大地に広がる青カビのように
学者気取りのカビ達は自らに酔狂し
植物の実りを妨げる
知識は自由である
それにもかかわらず
イデオロギストは知識を覆う
蓮にまとわるミドロのように
ミドロ達は知識を我がものにしようとし
知識の蕾を抑え込む
知識は植物である
それにもかかわらず
ニンゲンは
育てたものを放棄して
不味いからと言って吐き捨てて
何も生み出さず腐らせる
語るに落ちたこの愚行
滑り落ちたこの跛行
どこへ行っただろう
実りを得た果実
どうしたものだろう
実りを願うこの気持ち
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作品データ
コメント数 : 12
P V 数 : 648.1
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-12-04
コメント日時 2025-12-09
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/15現在) | 投稿後10日間 |
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| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:648.1
2025/12/15 15時50分51秒現在
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我々人類が蓄えてきた知識とは果たして有用に働いているのだろうか。 一部の傲慢な人間たちによっては、その知識も有害に作用してしまうのではないのか。 といった人間社会に向けたメッセージにとれますが、 青カビはご存じのようにペニシリン発見の立役者でもあり、 放線菌などは有機物の分解にはなくてはならない菌ですね。 有用なカビもあれば、もちろん有害なカビもある。 もう少し配慮してくださいませ。 青カビちゃん。すべて悪者にされては可哀想です。
1感想ありがとうございます。 本当に私たちは蓄えてきた知識に有用に使えているか、向き合えているか再度向き合い考えていきたいですね。 ちなみにご指摘通りもちろん青カビも有用な面もあり詩の中のような醜悪な存在ではありません。 これは虫もミドロも然りで生態系などの重要な役割を果たしています。 決してこれらを蔑んでいる訳ではなくあくまで比喩表現なのでご理解いただけたら幸いです。
0こんにちわ。 わたしは中卒で学がなく従ってこんなことを いうと何なのですが、リンゴは──ま、あの、 どうでもいいし、必要があればその都度ネット から仕入れればいいという立場です。 それより批評ですね。現代には批評が欠けている。 哲学もまったく欠けている。インテリジェンスというものを 本を読んで知識をたくわえることだと誤解する バカが山のように増えた。これも日本の詰め込み 受験競争教育のせいなんでしょうね。 本を読むことが、その内容を暗記してだれかに 開陳することだと思っている。笑 本であれ詩であれ読むのじゃなく批評しつつ 考えることが読むことであることを忘れている。 だから東浩紀がいうように「日本人はこの五十年 で底なしのバカになった」。 そんなことをこれを読んで感じましたね。 長文失礼しました。
1感想ありがとうございます。 タイトルの「リンゴ」は、アダムとイブの知恵の実の象徴性が合うと思い、拝借しました。 私自身、詩の中では「知識を蓄えることそのもの」よりもその知識をどう扱い、どう考えるかという部分を問いとして書きたかった気持ちがあ ります。 手段と目的が反転してしまうことへの違和感も、 まさにその一つですね。 読んで広い視点で受け取っていただけて嬉しいです。
0知識は戦うための道具? 知識は守るための道具? 禁断のリンゴをかじり知る事で 幸せと同量に不幸も知る事に成った様に私は思います。 知ったが故に勝ち取り守り抜かねばならなくて 新しい知識の前に手にしている知識が劣って見えてしまう。 人間の愚かな一面を観る様な作品だと思いました。
1話のテンポよく言葉がリズムを刻んでいて読みやすく、インテリジェンスも感じさせる内容でした。
1感想ありがとうございます。 知識とはただ所有するのではなく自分の身を守り強化するものだと再認し、自らの知識は何を得らせて何を失わせるか考えていかなければなりませんね。
1感想ありがとうございます。 そう言ってもらえて光栄です。 まだまだ拙い詩文ですがまた読んでいただければ幸いです。
1>知識は植物である 以降、1行開けの手法から、 畳み掛けるように詩が変化したのが印象的。 ただ、知識には必ず二面性があり、 マイナスに使えば核爆弾、プラスに使えば動力や電力になる。 どう実らせるかが、ポイントだと思いました。
1感想ありがとうございます。 行間の変化まで拾っていただけて嬉しいです。 おっしゃる通り、知識には常に両義性があり、どの方向へ枝を伸ばすかは受け手次第だと思っています。 その“実らせ方”にこそ責任と美しさがある、という思いを込めて書きました。 また読んでいただけたら幸いです。
1書かれていることにはほぼ共感なんですけど、ひとつだけ「否」と言わさせて欲しい部分があります。 >知識は有限である それは「現在立っている地点からは有限に見えるだけ」であって、天動説的な、見かけ上の話ではないでしょうか。タイトルは忘れてしまったのですが(たしか宇宙関係の2016、17年付近の新書だったかな?)、「知識はオールトの雲のようだ」と書かれた一節を強く覚えています。 知識もとい、言葉は刃物であって、使い方次第では命を救うものでもあるし、その逆もあり得る。現代では発信者と受信者の境界も曖昧になって、誰もが傷つけあうし、誰もが癒し合うような状況下になっています。六法全書は、盾として使うべきであって、間違っても角で攻撃するものではないように、気を付けていきたいところです。
1感想ありがとうございます。 「知識は有限に見えるだけ」という指摘、とても納得しました。 オールトの雲の比喩も印象的で、視点の広がる話だと思います。 また、言葉が刃にも盾にもなるという点もまさにその通りで、現代的な問題意識として強く共感します。 いただいた意見は今後の創作にも活かしていきたいです。 読んでくださり、ありがとうございました。また読んでいただければ幸いです。
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