平素よりB-REVIEWへの投稿・コメント活動にご参加いただきありがとうございます。2022年3月の月間B-REVIEW大賞が決定いたしましたので発表いたします。

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目次

・月間B-REVIEW大賞
・投票作品
・概観 by yasu.na
・雑観 by 仁川路朱鳥
・活動報告 – サーバー契約更新 by 沙一

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・月間B-REVIEW大賞

 橙色(ID:2024
ハッピーザーメンプログラム 』10票

・投票作品

 最終得票数が3票以上の作品を発表します。

木の根明く音 風に聴け 9票
夢三夜明け前 8票
私の話をしましょう 5票
プリドーン-Predawn- 5票
幼なじみのまいちゃん 4票
異常者も非異常者も飛び込む 4票
雨(川柳) 4票
みうらくんときむらくん 4票
プーチンの祈り 4票
赤ちゃんの詩 4票
砲撃音 4票
すたあ 3票
ふたつの鐘がなるころは 3票
爆発地図 3票
やくみつるのくちびるにすべてまかせる 3票
独裁者達 3票
砂金 3票
もう恋はうたわない 3票
3票
戦争 3票
15の哀歌 3票
はりぎをらす、はをりをやす、はがりはぬ。 3票
つみのない国 3票
蜜の匂いが焼けている 3票

・概観 by yasu.na

【イントロダクション】
 ここに一問だけの記述式試験がある。それにはこう書かれてある。「2022年3月中にビーレビに投稿された作品群から妥当と考えられる数だけ作品を選んで話を書きなさい。ただし、得票数の多かった作品を二、三必ず扱うこと。」と。下に掲げるのは私yasu naが試みた一つの解答案である。

【解答案】
 20世紀にフルトヴェングラーという指揮者がいました。著書もあり、手近なところでは新潮文庫の『音と言葉』が手に入りやすいと思います。私も大学生の時、買って途中まで読んで、そしてやめました。タイトルが良いので、それで十分満足したのです。『音と言葉』というタイトルで何か自分で書きたくなる気もします。最近この本のことをタイトルによってよく思い出します。ただ、少し変えて「声と言葉」というようにしたら今の私の思いにぴったりであるように感じます。私はこれまでの人生でキリスト教に接近したことが数回あります。ギリシャ正教とプロテスタントでした。思い出します。聖書を読んでというよりは、教会の美しさやそこに集まる人々の雰囲気にひかれたのです。礼拝に列したことが何度もあります。声のない礼拝の儀式というものはあり得ません。声によって何かが話されるのはもちろんのこと、声によって歌が必ず歌われることに特に興味を持ちました。入信していない私も一緒になって歌いました。私は礼拝において歌を歌うという絶えることなく続いてきたことの内部にいたのです。歌いながら歴史の大きさに胸が痛むようでさえありました。けだし、神聖な言葉は声によって受け継がれてきたのでしょう。詩との関連で言うと、原初、詩は声と分かちがたく結び付いていたに違いありません。今回の『概観』は、書かれた言葉として固まってしまわずに「声」をも感じさせてくれる作品を中心にセレクトして書いていこうと思います。では始めましょう。

 あらいさんの『デスマスクメタファー』。この「どうしようもない」という言葉で導入される詩文はいったん読み掛ければ流れるように最後まで読ませる力があります。おそらく読者は作者の心の中の声をなぞるのでしょう。心の中の声というものはここに記述されているように意味の未完とでも言えるような性質を持った言葉の流れであるのかもしれません。しかし書き方はいい加減ではなく、インデント、句読点、改行、スペース、記号、括弧などに細かく気を遣った形跡が見られます。個々の語や言い回しの重さも相互にバランスが取れていて全体が分散しない集中力を保持しています。なかなかレベルが高いと思わせる作品です。

 鷹枕可さんの『ふたつの鐘がなるころは』。「鐘」と言えば私は狭いかもしれませんがキリスト教会堂の鐘の高く、派手目に鳴る音を思い出します。まるでピアノが鳴っているかのような音です(たとえばラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第1楽章の冒頭を思い出させます)。そしてやはり聖歌をも思い出します。この作品は読むと「鐘」の音を聴くようであり、また聖歌が歌われるのを聴くようでもあります。古くからある宗教のために新しく書き下ろされた聖歌であるかのような風格さえ感じさせます。事物の描写の仕方や物語的な進行に、また「それを命運などと、かたづけるな」というようなメッセージの箇所に、それから「日常は/醜いだろうか」「深くより、呼べば帰れるか」といった心情吐露の箇所に、聖歌のようだと思わせる何かがあります。リズムも良くて、実際に歌える詩であるように思います。どう最後を結ぶかが難しい問題であるかと思われますが、作者はこれをものともせずに、すばらしい締め方を見せています。「かえらない/ふたつの喉で」とは、脱帽します。

 川﨑雄山さんの『轟音の生』。作品タイトルは、本当のところは作者に聞くしかないのですが、「ごうおんのせい」と読むよりは「ごうおんのしょう」と読みたいと個人的には思います。本文は読み掛ければ、一気に最後まで気持ち良く読める詩です。これを書くに当たっては作者は音声的効果を十分に意識していたと思われます。そして読者の感性に映るものはと言えば、飛んで行く飛行機のどこか静的な運動のイメージ、それから二度あらわれる「方眼紙に日付と、二桁」というなんとも言えぬ味わいのある詩句の存在、それから「脈」や「心臓」や「膜」といった生命を感じさせる身体的なものの冷ややかで、かつ生き生きとしたイメージ、こういったものが主立ったところだと言えそうです。それらが音楽的に読者の心に響いて、呼び掛けてくるように思います。

 黙秘権さんの『日常』。この作品はどうでしょう? 私には見逃すことができなかったのはなぜでしょう? この作品も読み掛ければ一気に最後まで読ませる導入力を備えていると感じられます。流れが良くて、音声的につっかえるところがないのです。次々と繰り出される適切な言葉の数々に、読者としては大きな喜びを感じてしまいます。私が最も感動した箇所は「慣性の法則は可愛くて/小さな声でごめんなさいて言う」という箇所です。作品の結び方も独特で良いと思いました。

 羽田恭さんの『フィラデルフィアの夜に XXⅨ』。言うまでもなく、この作者によるシリーズものの一つですね。「針金」一つでこれまで書いてこられた執念はすごいです。しかし今作は今までのダイナミックな感じがしません。どこか静かで、落ち着いていて、抒情詩のようですし、音声的にも美しく、読みやすいです。「倉庫は人が来ない限り、真っ暗になっています。/誰かが何かをしないのだから、光をつける必要がないためです。」という最初の導入部からして惹きつけられます。「針金」という金属の素材感とその動き、これとコントラストをなすように、環境は静かな自然界のようです。「芋」から「針金」が出て伸びるのですか、おもしろい! 最後、「芋」は「針金」の力を借りて解放されます。「芋は、明るい日差しの下にいます。」以下、どこか人間の努力の報い、救いのようなことを思わせて安らかな気持ちになります。

 クヮン・アイ・ユウさんの『がんばらなきゃ』。この詩は適切な改行と言葉の発音だけで音声的効果を出しています。他に決まりはありません。それでもこれだけで書いて音声的に美しく、また記述されたことも美しく感じられます。一行一行が歌っています。詩の形のうちで最も簡素な部類の一つの理想を体現していると言っても良いかと思います。

 武田地球さんの『みうらくんときむらくん』。この作者による作品を音声的効果という面から見たことはこれまでなかったのですが、今回こういう面から読んでみるとなかなか滑らかで巧みであると感じました。書かれていること、書き方、内容、こういう面から見ても、今回の作品は今までのシンプルさとは一線越えているように思いました。どこか沈潜した落ち着きを感じさせるのです。言葉の散るような感じが抑制されているのです。そして深みがあります。後半の「僕ら」の生き方を描く辺りにこんな感触があります。読者の皆様には実際に読んでいただいてこの辺の味わいを体験していただきたいと思います。

 羊飼 ねこるさんの『不幸中毒、果ての月』。この躍動的な詩には以下のような構造上の特徴があります。まず、第1連と第4連の冒頭がそれぞれ「わからないの言葉が全てうそに聞こえるから」「うれしいの言葉が全てうそに聞こえるから」となっており、類似していること、それから、第2連と第5連の冒頭がそれぞれ「今日がどうだって言うの」「明日がどうだって言うの?」となっており、これまた類似していること、そして最後に、第3連と第6連と第8連がすべて「咀嚼音が大きくなり/苦しみの果ての血液たらり/ダンス・ダンスでラリちゃって/ほら、1to3で右、後ろ、巻き込み確認でイェイ」となっており、同一であること、です。これだけ類似と同一が繰り返されていながら、こういう構造にありがちな臭みがありません。読み進む間、常に新しい言葉を読んでいるような感じがします。ほかの部分を埋めている詩句がまたリズミカルでイメージ豊かであるので、類似や同一など忘れて読んでしまうのだと思います。おもしろい詩句がけっこう見つかるのですが、それは読者の皆様に見つけていただきたいと思います。音楽的な構造を言語表現である詩に持ち込んで成功した作品であると思いました。

 クヮン・アイ・ユウさんの『声明 流木から』。長大な傑作詩篇です。多くの人が読まれたことでしょう。そして、私の(私ごときの)保証に賛同してもらえると思います。私には、ここでこの詩篇について語ることは憚られます。うまくできそうにないのです。これだけ長く書いて、内容的にも音声的にも破綻していない詩にはめったに出会えるものではありません。今回のこの『概観』で私が取り上げたいのは「書かれた言葉として固まってしまわずに「声」をも感じさせてくれる作品」でした。そんな条件はこの詩篇は軽くクリアしています。なのでそういうアプローチはもはやこの詩篇には効きません。どこか言葉というものに捧げられた神聖な詩篇であるように感じられます。何度も何度も読んで、しかも読み過ぎということはないと思わせる作品です。こう述べておくにとどめます。

 もとこさんの『バイオスフィア3』。傑作詩篇のあとに、またこんな傑作を取り上げなければならないのです。音声的効果というアプローチなど効きはしません。私には言うべき言葉がありません。普通の文書なら、「分かりやすく伝わりやすく論理的に」というのが書き方の目標になると思いますが、ここにはそういう目標を放棄した凄い覚悟が見られます。この覚悟は、単に「詩」だからということから来ているのではないように感じます。

 嗚呼、ここまで来て私の目は眩んでしまいました。この先も3月投稿作品を読み進め、すべての作品に目を通しました。しかしこれ以上何を語るべきか分からなくなってしまいました。良いと思える作品は数知れずありました。それらを取り上げないのは私の怠慢でしょうか。いえ、詩を、文を、書き、読む人なら分かってくれるはずです、書いたり読んだりするということの大変さを、書いたり読んだりすることがどんなに孤独な行為であるかを。私の過労を分かっていただけるはずです。私がこれ以上書けないのは、私のせいではありません。投稿された作品群のせいです。私の内部と外部との間に堅固に築かれていた堤防は決壊してしまいました。これはつらいことではありますが、同時に喜ぶべきことです。それだけの力のある作品が続々とここに集まったのですから。続きは皆様の心の中に書かれるべきです。私自身はここで筆を擱くことにします

【試験を終えて】
 今回は十篇の作品を取り上げて私は解答案を作成した。すべて3月の作品である。
 ビーレビの運営の人員の中で、私は作品の得票数のカウントと『概観』の作成という役目を主に担っている。ユーザーが投票した票数によって毎月大賞が選ばれるという独特な選考方法を持ったビーレビ杯、その月次選考結果発表というものがあるということはビーレビの特徴であり、また看板でもあるから、運営の他の方々と等しく重要な役目を分け持っているのである。(ただし、運営にもいろいろな仕事があり、私のこの役目などは易しい)。
 単に得票数をカウントして高得票順に並べて示すだけのことなら機械に任せればいい。しかしそんなことが毎月続いては何の面白さもない。ビーレビは、この世の中に無数にある人間的な活動の中のささやかな活動の一つである。私は、人間の力でできることをしたい。
『概観』は誰が書いてもいいと思う。ただこの『概観』というものを発案した、そして書きたいと思ったのがたまたま私だったので、私が書いているのである。名称はどうであれ、そして私が運営から退いたとしても、このような文章は月次選考結果の中にあり続けて欲しいと勝手に思っている。
『概観』は「選評」ではない。私はこの文章のイントロダクションの中で「話を書きなさい」と言っている。そう表現することで、ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶというプロセス、および、カウントされた得票数の多い順に作品を並べて示す機械的作業との区別を言いたかったのである。ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶということは、ユーザーが「選評」を書くということである。運営が「選評」を書くのではない。
 ところで、疑わないで欲しいことがある。私が『概観』を書くのは、ユーザーによる直接投票で選ばれた作品群に異論があるからではない。ユーザーによる直接投票に信を置くことができなければ、運営失格であるか、もしくはこの投票システムに欠陥があるかのどちらかである。私はこの投票システムを信頼している。その上で、「こんな作品もあったんだよ?」と、皆様に向けて話すのが『概観』なのである。
 さて、私という一人の人間がビーレビに投稿された作品群から限られた数だけ作品を選び出して「話を書く」、このことの中に公正さや妥当性はあるだろうか? 何を基準に選ぶのか? こういうように問うことを忘れないことがそもそも大切である。
 今回の「解答案」においても、前回までと同じように、文章を貫く或る一つの大雑把なテーマを最初に決めて、そのテーマに合う作品を選んで書き進めた。そのテーマは、書かれた言葉として固まってしまわずに「声」をも感じさせてくれる作品を中心にセレクトして書いていこうというものであった。まずまず、こんなテーマで書けたと私は感じているが、読者の皆様はどう感じられたであろうか。
 最後、皆様の投稿された作品群が良すぎて、私の精神が危機に陥った。初めての体験であった。時間がもっとあれば、復活して、もっとたくさんの作品を取り上げることができたであろう。だが時間が無かった。申し訳ないと思うと同時に、皆様なら理解してくださると信じてみようと思う。
 この『概観』が意味のあるものになっているならばと、願うばかりである。

・雑観 by 仁川路朱鳥

 いつもお世話になっております。仁川路です。
 あなたがB-REVIEWを見ているとき、B-REVIEWもあなたを見ています。
 私の方は、『運営参加のお知らせ』にもあるように、色名での統計を行なっていました。統計は作品投稿掲示板にある文章を元にし、とっているため、コメントの方は拾っていません。
 ただ、今回は妻咲邦香さんの作品『』にて
>今回の私の詩はあなた方が書き込んだコメント欄そのものです
とあったため、この詩のみコメント欄からも統計をとっています。また、二重投稿の行われた作品については最初のものしか判定に入れていません。
 さて、2022年3月投稿作品中、多かった色名の表現は、
1位:白(127点)
2位:赤(126.5点)
3位:黒(86点)
 3月は採点方式によってはどちらにも傾きうる結果になっていました。4位以降は公表しないようにしていましたが、もう少しで青判定が黒判定を上回るところでした。がんばれ〜! また、これは単なる直感ではありますが、やはり春になってきたからか、詩文の中に色彩が増えてきましたね。モンキチョウも自粛をやめて、ゆうゆうと町中を飛んでいます。

・天空で起こりうることは地上にも起こりうる━どうにもならないことは天のせいにしてしまえ

 いまや過去の産物とされて久しい、卜占(ぼくせん)。朝のニュースを見る時、「XX座のあなたはYY位」といった声を聞くことはあるでしょうか。ああいうのでよくいるのが「人間は12種類で分けられない」という言説を振りまく人間ですが、実際分けようとすればどこまでも分けられるんですよね。詳しくは『西洋占星術』で検索してほしいのですが、なかなか検索しようとも、調べようとも思わないんですよね。過去の私がそう(占い本よりも化学の教科書が好きな小学生時代)だったので。
 「天空で起こりうることは地上にも起こりうる」ですが、これは「世界で起こりうることは個人にも起こりうる」とも言えます。若干ディープな話になってくるので、付き合いきれない場合は私の雑感をスクロールしていただいても構いません。
 かつて、西洋占星術では太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星までの惑星(当時は天動説が採用されていました)を使って占いを行なっていました。というのも、昔は肉眼で見えた惑星が土星までだったからですね。それから技術が高まって天王星、海王星、冥王星(準惑星になりました)が発見され、占いに組み込まれていきました。
 現代で行われる占いはハッキリ言ってサブカルチャー的に見えますが、元々は種まきの時期や洪水を予測したり、治療法を割り出したりなど、生活に根ざしていた学問です。単なるオカルトではなく、例えば「風邪が流行った時期はこの方角にこの惑星があったから、この惑星がこの方角に来る前に風邪対策をしておこう」といったような、過去の出来事の統計を元にした学問であって、再度言いますがただのオカルトではありません。
 なお、私、仁川路朱鳥は「子どもは親を選んで生まれてくる」「今の状況は自分が望んでいるからやってきている」といった説については否定的に見ています。というのも、胎内記憶自体デタラメかもしれないし、年代によっては親御さんに言わされている可能性もありますので。前者に至っては、子宝に恵まれなかった方が悲しむでしょうし。本当にこれらが当てはまっているのであれば、警察はいません。

・春秋分点おめでとうございます(3月21日)

 今(2022/04/24)現在、フォーラムに書かれている文言「汝の意志することを為せ」の元ネタである、「法の書」という本がありまして。それの教えが『セレマ』、教えを信じ、実行する人は俗にセレマ神秘主義者、もしくは『セレマイト』と呼ばれています。この日はセレマの新年です。𝔥𝔞𝔭𝔭𝔶 𝔢𝔮𝔲𝔦𝔫𝔬𝔵

・顔料の歴史は人類の歴史

 さて、西洋絵画では聖母マリアの象徴として、青い衣がモチーフとされていることは有名です。今となってはPhotoshop、Illustrator、CLIP STUDIO PAINT、ibis paint、Art Studio、キッドピクス……ペイントソフトの名前を挙げるとキリがないのでここでやめておきます、などで簡単に出せるようになり、また、東急ハンズなどで陳列されている「青(ウルトラマリン)」ですが、かつては入手法がラピスラズリにしかありませんでした。そのため、当時の画家は、貴重なラピスラズリ製の絵の具を薄めながら使っていたそうです。
 あなたにとってのB-REVIEWは、どのような色でしょうか?

・活動報告 – サーバー契約更新 by 沙一

 B-REVIEWの利用しているサーバーの契約期限(36ヶ月間)が3月末で切れるため、更新しなければならないという連絡が契約している名義人の方からあり、更新には契約料が必要で、幸いB-REVIEWの所有している口座に寄付金が貯えられていたため、そこから36ヶ月分の契約料を名義人の方に支払っていただくことで更新が完了いたしました。
 尚、B-REVIEWの口座は、元はサーバーを契約している名義人の方が開設されて、代々の運営が責任もって預かっていましたが、この機会に名義人の方にお返しいたしました。

 3年後にまた更新の必要があり、口座の残金を契約料に充てていただく予定ですが、不足金が若干発生すると予想され、その問題については、3年後の運営に委ねるほかはないと考えております。

 以上で3月選考の発表とします。

 2022.4.24 B-REVIEW運営一同