平素よりB-REVIEWへの投稿・コメント活動にご参加いただきありがとうございます。2022年4月の月間B-REVIEW大賞が決定いたしましたので発表いたします。

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目次

・月間B-REVIEW大賞
・投票作品
・概観 by yasu.na
・雑観 by 仁川路朱鳥
・活動報告 – 詩とコミュニケーション by 沙一

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・月間B-REVIEW大賞

  てんま鱗子(揶白)(ID:1047
芝生に入るべからず Keep off the grass. 』6票

 ※本作品にはR-18に該当する画像が含まれています。

・投票作品

 最終投票数が3票以上の作品を発表します。

光の国 4票
夢遊歩行 4票
Last Mail at AM10:29 3票
手足ない鱗状のほそく 3票
カレンダー 3票
優しさ 3票

・概観 by yasu.na

【イントロダクション】
 ここに一問だけの記述式試験がある。それにはこう書かれてある。「2022年4月中にビーレビに投稿された作品群から妥当と考えられる数だけ作品を選んで話を書きなさい。ただし、得票数の多かった作品を二、三必ず扱うこと。」と。下に掲げるのは私yasu naが試みた一つの解答案である。

【解答案】
 私は今年の2月選考結果発表の中の『概観』の中で、染音さんの『パレットの上で』という作品を取り上げた箇所で、次のように書き記しました。「この作品によって私は「書く」ということと「作る」ということとは厳密には違うのだと再考しました。この作品は後者です。ちょっと私自身、これまでの創作態度、創作方法について反省してしまいました。」と。こう書き記した部分の後半部については、私yasu naの拙い作品を読んで下さったことのある人であれば理解されやすいと思われます。私の「書き方」はたいてい自分にとって「真実」であると思われたことを愚直にそのままに表明するようなものです。そこに、なんかセンチメンタルであるとか、ノスタルジックな感じがするとか、自己陶酔的であるとか、そんなさまざまな批判を受けもする「書き方」であるわけです。批判は当たっていると思います。が、私が「真実」に忠実であろうと努力していることは認めていただきたいところです。「真実を書く」、こう述べることは容易でしょうし、およそものを書く人なら理想とするところだと思います。では「真実を作る」と述べることについてはどうでしょう? これは一般的にはあまり聞かない言い方です。「作られた真実」と言うと、それは要するに「うそ」のことではないかと受け取られかねません。この場合には「作る」という言葉に纏わり付いている嫌なニュアンスが働いています。「作る」と言うと「余計な人為を加えてわざと作る」かのように受けとめられやすいのです。この嫌なニュアンスを除去しましょう。私たちは感受し思考する主体であり、また表現する主体です。表現者であり作品を生み出す者ですから「作る」という言葉の純化された本当の意味をつかむことができるはずです。「作る」イコール「真実を作る」です。このことは不可能なことではなく、可能なことです。このことを確信しましょう。世に「ノンフィクション」とか「ドキュメンタリー」とか「ルポルタージュ」と呼ばれる制作物がありますが、これらですら「制作」されるものです。いわんや「芸術作品」をや、です。私たちは「虚構」に対面しても、まったく騙された気がしないことがあるものです。真の「芸術」、たとえばクラシカルな「芸術作品」に対面した場合がそうです。少し話を記号論めかしてきました、そうです、私は記号論を意識しています。記号論については私自身が初学者であるため、深く話すことはできないのですが、分かる限りで(間違えてもいいから)今回の『概観』において援用することを敢行します。記号とは極端に言えば、ありとあらゆることを表現して止まない、畏敬すべき、そして厄介なものです。そうして新しい「意味づけ」「価値づけ」「秩序づけ」をおこない、今までになかった「真実」を生み出すのです。ということで、今回の『概観』は「記号論」を参照しながら「真実を書く」ということ、および「真実を作る」ということについて考えさせられる作品をセレクトして書いてゆこうと思います。(手もとに置いておくのは岩波新書の池上嘉彦著『記号論への招待』1984年、ただ一冊)。では始めましょう。

 ねねむさんの『あかちゃんの個性』。あかちゃんがおぎゃあ、おぎゃあって泣くという私たちの既成の認識に揺さぶりをかけています。あかちゃんの泣き方をあらためて読み取ろうとする私たちの営為が生まれた瞬間、あかちゃんの泣き方はテクストになります。あかちゃんがおぎゃあ、おぎゃあって泣くと決めておけば、それはとても便利で実用的でしょう。私たちはそうしておくことによってスムーズなコミュニケーションができます。しかし一歩踏み込んでみると、あかちゃんはみんな同じ泣き方をするというこの便利で実用的な前提は崩れ、同じあかちゃんというものが実はそれぞれ異なった泣き方をし、その泣き方はおそらく無限の数の個性に分かれてしまうのでしょう。このことは日常会話のレベルでは不便でとても使いにくいことです。でも真実はこうなのであり、この詩作品はこのことを「本当に面白い事だよね。そして大切な事だよね。」と言っています。テクストをよく読み、大切な真実を掘り出すということの基本がこの詩作品にはあると思います。

 朝さんの『ひとはしぬ』。まだ熟すことができそうな感じがある作品ですが、そんな中にところどころ知性を感じさせてくれる箇所があります。挙げますと、「ひとがしぬとかんどうするひとがたくさんいるときいて むしろわたしはかんどうしてしまいました」「おはなしはしあわせにおわるとみんながよろこぶってかみさまがいっていたから」「わたしはいきることもしぬことも いかすこともしなせることも ちっともすきにもきらいにもならなくていいと だれよりもしっているようなの でした」というような箇所です。特に最後に挙げた箇所は秀逸だと思います。バランスのとれた考え方を表現しています。新しい「意味づけ」「価値づけ」「秩序づけ」がなされていると思います。この作品は「書いている」ようで、どこか「作っている」という性格を持っています。今まで誰も考えなかった「真実」を「表現」してここに新しく提示して見せています。

 河上類さんの『群衆』。五つのブロックから成るこの謎めいた作品に私たちはどのようなアプローチで臨むのが良いのでしょうか。ここでは私は人間らしい「解読」と「解釈」とをしようと思います。「解読」と「解釈」は実は異なる行為であることに注意しておきましょう。簡単に言うと、「解読」とは「コード(既成の決まり事)」を参照してテクストを読み取ることを言い、「解釈」とは「コンテクスト(脈絡)」を参照してテクストを読み取ることを言います。では作品全体を実地にざっと読みしてみますと、なんとなく以下に述べるようなイメージをキャッチできるのではないでしょうか。つまり、まず「世界を滅ぼす衝動にとりつかれた人間」が登場して、なにやら破壊とか暴君のイメージが浮かびます。それから「眼下に広がる海のような群衆の目」が登場し、なんとなく支配されている大勢の人間の騒がしさが感じられます。そして「問題を先送りしつづけていたのは一体誰だったのか。いま一度考えてみる必要がある。私も、あなたも。」という作者から読者への呼びかけのような文を印象づけられます。続いて「数十年に一度の頻度で、おそろしい災厄をもたらすと思われるほどの、ひどくただれた夏があり、そのような夏を滅ぼしてしまわねばならないという妄想に、私たちはとりつかれた。」とあり、はてここで、「滅ぼす」の語が、最初に出てきた「世界を滅ぼす」という表現と重なるような感触がします。ただ、ここでは「夏を滅ぼす」ことになっていることと、そういう「衝動」「妄想」に「とりつかれた」者が「(一人らしい)人間」ではなくて「私たち」となっていることで、なんだかズレを感じます。さらに読んでゆくと、「錦花鳥の鳴く朝に、馬のいななきが合図だった。」とあり、この「合図」で破壊らしきことが始まります。ただここでは「街」が破壊されるのであり、「世界」でもなく「夏」でもないことにまたズレを感じます。破壊のイメージが強く感じられて、そのまま読み進むことになると思いますが、ふいに、「いま一度問うてみる必要がある。私も、あなたも。」とまた呼びかけられて、読者は我に返ることになります。さっきも同じような呼びかけが出てきましたね。繰り返されるということは、この呼びかけがこの作品において重要だということになります。最後のブロックの始まりが「錦花鳥の鳴く朝に」となっており、第三ブロックの始まりとまったく同じですから、このフレーズも強く印象づけられます。最後のブロックでは「私は一人だった。」となっており、これまた唐突です。「手紙」や「枕元」などが出てくるので、「私」はどこか平和な部屋にでもいるようです。この部屋からは「地平線の街」を望むことができるようです。作品の最後の最後は「いま左手に握りしめた書きかけの手紙が、思い出すことのない幻肢痛に向かって小刻みに震えはじめ、私たちはもう一度相対するのだ。その震えだけを頼りにして。」という終わり方ですが、なかなか粋な文です。「幻肢痛」とは何か『スーパー大辞林』で引くと「手や足を切断した人が、消失した手や足の部分をまだあるかのように感じ、そこに痛みを感じること」とあります。以上が、私がざっと読みして得たこの作品のイメージであります。イメージをつかむことは「解釈」に通じますが、イメージをつかめたのも「コード」を参照して部分的に「解読」したからこそできたことです。分かちがたいのです。さて、この謎めいた作品の意味内容はどういうことなのでしょうか。あまりだらだらと読むのも締まりがないです。スパッと読んでみましょう。二度同じような文が出てきましたね。第一ブロックの「問題を先送りしつづけていたのは一体誰だったのか。いま一度考えてみる必要がある。私も、あなたも。」と第四ブロックの「あの場所を、時計のいらない空間に変えてしまったのは、一体何のためだったのか。いま一度問うてみる必要がある。私も、あなたも。」です。作者から読者への心からのメッセージなのでしょう。また、「滅ぼす」ということの対象として、「世界」「夏」「街」がありました。この三つは区別してとらえるよりも三つとも同じ事物なのだと括った方が簡潔であると私は思います。作品タイトルは「群衆」ですから無視するわけにはいきません。作品を通じて「群衆」と「滅び」のかかわりが描かれているようなイメージを確かに抱くことができます。ここはもっと踏み込んで、一般的には「滅び」の後には必ず「再生」が来ることに思いを馳せましょう。第五ブロックの静かさが何か騒乱の通過、終了を思わせます。「幻肢痛」、この言葉には威力を感じます。重要語だと思います。通過、終了しても、決して失われることのない感覚の譬えなのだと読めます。「滅び」は止むことなく地上に起こる、そこに作者は「群衆(人間たち)」に向かって「いま一度考えろ」「いま一度問え」と呼びかける、「滅び」は通過、終了して「再生」がやって来るが「滅び」の感覚はいつまでも拭いがたい、こういうことが書かれているのだと私には読めました。無論、正確な唯一の読みなどできないことです。書くのも人間、読むのも人間、その人間は不確定なものです。人間という不確定な存在がある以上、テクストは無限の拡がりを持つものです。私たちは機械のように単純な情報授受をおこなうものではないのです。もっと細かく読めば、滋味のある言葉は多いので、是非読んでいただきたい作品です。

 よんじゅうさんの『nontitle』。書き出しから既視感を感じさせない詩句、すなわち「人の中に閉じこもる。/あなたの中に閉じこもる。」、惹かれます。それから6行目の「でもまた昼も夜もないようにうっすらと明るく考えることもやはりなかった。」は、気の利いた表現だと思います。そして中盤の「膨らんでいるのか萎んでいるのか/うっそうと茂ってはほぐされる/やがて結えられ束になりそうな空を」、それから最終行の「深いことばのような空でした、」も良いです。私たちはどんな物事も「読む」ことができます。そしてまたどんな物事も記号(=言語)によって「表現する」ことができます。この詩作品の場合、作者は「空」を「読む」ことをしており、このことは「空」がテクストと化しているということです。そして「空」は新しく記号によって「意味づけ」「価値づけ」「秩序づけ」をされています。

 あらいさんの『手足ない鱗状のほそく』。このテクストは「解読」の対象ではなく「解釈」の対象だと思います。なぜなら作品冒頭からして、そして斜め読みしてみた感じからして「コード」に基づいて書かれたものではなく、慣例から外れた作者固有の「作者語」によって書かれていることが明白だからです。こういう場合は「コンテクスト」を見つめながら「解釈」するよりほかありません。しかしこれだけ非日常的な語と語の結びつきに満ちたテクスト全部を「解釈」し遂げることはここでは難しいので回避しようと思います。しようと思えばできないことではないかもしれませんが、とてつもなく長大なものになってしまうでしょう。私はすでに大切なことだけは言いました。同じようなことを繰り返して言います、この作品は「コード」を超えて、言ってみれば新しい「コード」を私たちに突きつけて、今までに存在した「コード」ではないものを提案してくる作品です。皆様の「解釈」を待っている作品です。しかも、ひょっとすると、作者はこの作品において、言語の「実用的機能」はほとんど脇に置いて、言語の「美的機能」を主に狙っているようにも考えられます。純粋に「解釈」を試みるか、それともここに提示されたままの言語の「美的機能」に身を任せてみるか、各読者は選択することができます。どういうアプローチをしようと、この作品は「真実を作る」ということをした作品であると言えそうです。

 沙一さんの『未完成の日』。この作品テクストからは容赦ない「美」が感じられますが、それはすぐ前に取り上げた『手足ない鱗状のほそく』の「美」とは異種のものです。後者は極端な言い方をすれば、読者に何かを伝達したいという志向が弱かったのに対して、この『未完成の日』は、「コード」に則り、つまりは既成の日本語の辞書と文法に則り、ドキュメンタリー風に伝わりやすく書かれています。比較してみるとおもしろいのではないでしょうか。

 satoshi iwasaさんの『蚕に纏わる伯母の幻視』。「(解読するための)コード」と「(解釈するための)コンテクスト」とが絶妙な緊張関係にある作品だと思います。六つのブロックから構成される作品ですが、構成美も感じられます。また、まったく「作者語」で書かれているというわけでもないテクストです。なので作品が「意味」不明になることを免れています。それでは何が書かれているかを考えてみると、これはこれで難題です。どちらにも傾かないので作品が、あたかも人間が地上でバランスをとって二足で立っているような頼りある緊張感で存在しています。私としては素直にところどころに刻まれている「詩的」なセンテンスを受け取って味わいたいと思います。各ブロックにそういうセンテンスはあるのですが、たとえば第一ブロックの中では「伯母は、初めて渡り廊下を歩いたときに自分の身体の中にも、外側があると思ったのを忘れることはなかった。」というセンテンスが良いと思いました。どうしたらこんな「言葉の繭」ができあがるのかと思い、感じ入るばかりです。

 つつみさんの『優しさ』。たった4行の詩です。そして、書かれていることは分かります。優しさを4個しかもっていないなら、4個分しか優しくできないのは当り前です。これで「解読」はできたとしても、急に4個と言われるのです。「意味」が分かりません。「解釈」してみましょうか。私はこの詩が4行だから、それに合わせて4個とされていると考えました。当否はどうか分かりません。でもどうでもいいのです。読む方も書く方も「自由」な人間なのだし、「言語」も「自由」だからです。ところで、「言語」は或る「表現」をもって或る「内容」を「あらわす」ものです。このことを考えると、この作品では「4個」が「表現」ということになりますが、「内容」が欠けています。なぜ4個なのか。こういう場合、この「4個」という「言語=記号」は「シンボル」と言われます。「表現」が先行しすぎて「内容」の方が遅れているのです。このあたりは私が参考書とした『記号論への招待』を読んでみて自分流にアレンジした考えなのですが、どうでしょうか。

【試験を終えて】
 今回は八篇の作品を取り上げて私は解答案を作成した。すべて4月の作品である。作品数は少ないと思われるだろうけれど、この文章は8,000字近いものになっている。
 ビーレビの運営の人員の中で、私は作品の得票数のカウントと『概観』の作成という役目を主に担っている。ユーザーが投票した票数によって毎月大賞が選ばれるという独特な選考方法を持ったビーレビ杯、その月次選考結果発表というものがあるということはビーレビの特徴であり、また看板でもあるから、運営の他の方々と等しく重要な役目を分け持っているのである。(ただし、運営にもいろいろな仕事があり、私のこの役目などは易しい)。
 単に得票数をカウントして高得票順に並べて示すだけのことなら機械に任せればいい。しかしそんなことが毎月続いては何の面白さもない。ビーレビは、この世の中に無数にある人間的な活動の中のささやかな活動の一つである。私は、人間の力でできることをしたい。
『概観』は誰が書いてもいいと思う。ただこの『概観』というものを発案した、そして書きたいと思ったのがたまたま私だったので、私が書いているのである。名称はどうであれ、そして私が運営から退いたとしても、このような文章は月次選考結果の中にあり続けて欲しいと勝手に思っている。
『概観』は「選評」ではない。私はこの文章のイントロダクションの中で「話を書きなさい」と言っている。そう表現することで、ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶというプロセス、および、カウントされた得票数の多い順に作品を並べて示す機械的作業との区別を言いたかったのである。ユーザーによる直接投票で大賞を選ぶということは、ユーザーが「選評」を書くということである。運営が「選評」を書くのではない。
 ところで、疑わないで欲しいことがある。私が『概観』を書くのは、ユーザーによる直接投票で選ばれた作品群に異論があるからではない。ユーザーによる直接投票に信を置くことができなければ、運営失格であるか、もしくはこの投票システムに欠陥があるかのどちらかである。私はこの投票システムを信頼している。その上で、「こんな作品もあったんだよ?」と、皆様に向けて話すのが『概観』なのである。
 さて、私という一人の人間がビーレビに投稿された作品群から限られた数だけ作品を選び出して「話を書く」、このことの中に公正さや妥当性はあるだろうか? 何を基準に選ぶのか? こういうように問うことを忘れないことがそもそも大切である。
 今回の「解答案」においても、前回までと同じように、文章を貫く或る一つの大雑把なテーマを最初に決めて、そのテーマに合う作品を選んで書き進めた。そのテーマは、「記号論」を参照しながら「真実を書く」ということ、および「真実を作る」ということについて考えさせられる作品をセレクトして書いてゆこうというものであった。まずまず、こんなテーマで書けたと私は感じているが、読者の皆様はどう感じられたであろうか。
 この『概観』が意味のあるものになっているならばと、願うばかりである。

・雑観 by 仁川路朱鳥

 いつもお世話になっております。仁川路です。
 すべてのB-REVIEWユーザーは星である。
 私の方は、『運営参加のお知らせ』にもあるように、色名での統計を行なっていました。統計は作品投稿掲示板にある文章を元にし、とっているため、コメントの方は拾っていません。
 ただ、今月から開催されているお題詩企画については、コメント欄からも統計をとっています。また、二重投稿の行われた作品については最初のものしか判定に入れていません。
 さて、2022年4月投稿作品中、多かった色名の表現は、
1位:赤(108点)
2位:白(99.5点)
3位:黒(75点)
 でした。4月だから桜、ピンク色や白色系統が多くなるかなと思ったんですけど、意外な結果になりましたね。もしくは、時勢の影響から、血の気の強めの詩風になる方もいたのではないでしょうか。赤色から連想する事物には、共産主義もありますし……
 今年が始まってからずっと、このような統計をとっていますが、トップ3に入る色は割と限られているみたいですね。やはりインパクトのある配色になりがちです。

・ヴェールを脱いだナイアルラトホテップ━出会うタイミングと理解するタイミングの話

 これは私の実体験なのですが、小学3年生の頃に「銀の月」という魔術のサイトを見ていました。しかし、その内容がなかなか頭に入ってこなくて、とりあえずブックマークだけしてしばらく忘れ去っていたんですよ。それが、高校1年生になって、年数差としては約7年越しにふとそのサイトを思い出して、もう一度見てみたところ、その頃には言ってることもやってることも大体理解できるようになっていました。私のケースの場合、年齢が問題だった、元々持っている知識量が問題だった可能性もありますが、「今わからないものであれば、そのうちわかるようになる」という教訓を得て、そして「わかるようになるために/楽しめるように、学ぶ」というスタンスになりました。
 なので、たとえ毎月の大賞作品に選ばれなかったとしても、時代が進めば評価されることもあり得ます(あくまで「今」評価されているだけなので)。小難しくてよくわからないようなものに出会ったとしても、そこにたどり着くための道を覚えていたら、思い出した時には理解できますから。

 上の話は本題じゃないんです。むしろここからなのです。
 エログロと呼ばれるジャンル、人の感情を容易に揺さぶり、容易に行動を起こさせることのできる分野について。私としては文章の隙間にちまちま艶かしいものが見えるとか、月に照らされていない林の中で蛇が交接しているぐらいの手触りのエログロは普通に好きですし、そのくらいなら大衆にも受け入れられるんじゃないかとは思います。比喩や暗喩の中に、そういった後ろめたいことが隠されている作風って、芸術性があるように見えますからね。
 文章だったら比喩や暗喩の中で解消すればいいのですし、直接的な言葉を出したとしても、言葉の意味を知らない上、調べない人もいますので。
 ただ、画像や動画となるとそうもいかず、「知ってしまう」ことへのリスクが高まります。物事には出会うタイミングと、理解するタイミングがあって、それは自然に訪れるようになっていると考えます(学校のカリキュラムも一般的なそれに基づいていると考えます)が、ここ最近のおかしくなりそうなほど情報過多なインターネットでは、本来の出会うタイミングよりも先に「知ってしまう」ということも起こり得ます。検索してはいけないワードに入っているぐらいのエログロを18歳未満のエンティティが摂取した場合、それ由来のトラウマや経済的損失を抱えることになります。私がそうなので。
 文学極道開設時期、私はまだ4歳でした。インターネットネイティブ世代ゆえに、その頃には検索エンジンを使いこなしたと親のブログに書かれていますが、文学を志す気持ちは特になかったはずです。保育園児がネット詩のサイトを見るような事態や、そのような報告は今のところありませんが、そのくらいのユーザーが登録してきても大丈夫な、そういうタイプの「危険なサイト」であってほしい。
 クトゥルフ神話TRPGにおいては、「知ってしまう」ことはときに混乱と破滅を引き起こします。しかし、現実においては無理解も死を引き起こします。
 まあ、何事もバランスが大事、という一般的な話になりました。

・運営の担当について

 ちなみに私は、3月度終了時点からTwitterやフォーラムの対応以外にも、掲示板本体のプログラミングも担当することになりました。とは言っても、本職ではないし、WOLF RPG EDITORを使ってフリーゲームを3作作った程度の経験しかない(しかもスクリプト式なので掲示板のプログラミング言語とはほぼ関わりがない)にもかかわらず、このような重大なことを任されています。今のところは、「選考結果発表」で飛べるページを最新のものにしています。
 おそらくこれから、少しずつ改修をする可能性がありますので、その進捗次第では雑観コラムをお休みするかもしれません。ご了承ください。
 なお、私の4月お題詩にコンピューター用語が散乱していたのはそのせいです。

・命の始まり

 さて、4月といえば春まきの植物の季節でした。今は5月。早いところではホームセンターでネタバレを見ることができます。彼らはまだ青く、青春を夢見る種子です。
 ところで青信号もそうですが、緑色のものを青と呼ぶ原因としては、日本語の「青」の範囲が広いからですね。英語では青いトマトを「Green Tomato」と呼びます。青春という言葉も、「青い」「春」とありますが、人によっては違う色になっているんじゃないでしょうかね。
 あなたにとってのB-REVIEWは、どのような色でしょうか?

・活動報告 – 詩とコミュニケーション by 沙一

 4月はコミュニケーションを活性化させる企画が2件始動しました。

①お題詩企画の復活。今回からコメントの返信機能を使って、返詩や連詩も可としています。
 →4月のお題詩「B」
 →5月のお題詩「生命」

②Twitterのスペースにて、【ビーレビ公式しゃべり場】の開催。これは運営が主体となって話す公式ツイキャスとは違い、ユーザー同士の声による交流を目的とした場です。
 毎月の投票期間終了後の週末を目安に開催する予定ですが、日時は適宜調節いたします。
 スペースやツイキャスの予定は、Twitterビーレビ公式アカウントで告知されます。チェケラ!

 詩によって出逢い、出逢いのなかで詩がうまれることもあります。〈詩〉も、言葉と言葉の出逢いによって成り立っているのですから。
 B-REVIEWが詩を愛する方たちのコミュニケーションを深めるきっかけになれば幸いです。

 以上で4月選考の発表とします。

 2022.5.29 B-REVIEW運営一同