《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》 - B-REVIEW
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エセ詩人

いでよ、エセ詩人!

コトダマ とはよく言ったものだ。 ハキダセ と 男は言う。 おまえは誰だ? わたしは何者だ?   

湯煙

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》    

新フォーラムができるまでの暫定的なスペースです。本投稿のコメント欄に書いていってください。


《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 25
P V 数 : 1366.1
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2018-10-01
コメント日時 2018-10-11
項目全期間(2024/04/26現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
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閲覧指数:1366.1
2024/04/26 07時42分13秒現在
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※自作品にはポイントを入れられません。

    作品に書かれた推薦文

《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》 コメントセクション

コメント数(25)
三浦果実
(2018-10-01)

この際だから、大賞、準大賞、優良、推薦のネーミングを変更することを希望します! 大賞→GOD 準大賞→ニューロマンサー 優良→ニュータイプ 推薦→シロッコ https://twitter.com/breviewwired/status/1046682502176419840?s=21

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渡辺八畳
(2018-10-02)

三浦果実さん 変えるとしてもその名称は趣味ですぎでしょぃぅぅ しかし、実は私「推薦」は変えたいなと密か思っていた。というのは、選評で選ぶことの「推薦」と賞としての「推薦」が被って、文によってはわかりにくくなってしまうから。 需要が無さそうだから提案もしなかったが、もし他にも名称を変えたいって人が出てくるなら検討もやぶさかではない

0
渡辺八畳
(2018-10-02)

花緒さん アナリティクスによると今でも34%のユーザーは検索でビーレビに到っているようです。 Googleで検索してみたところ、 「現代詩」    2ページ(1ページ目に日本現代詩人会と現代詩フォーラム) 「詩」      10ページ以降 「現代詩 投稿」 1ページ(ビーレビの上に詩人会、下に文学極道。2ページ目に現フォ) 「詩 投稿」   1ページ(ビーレビの上に詩人会、下にメビウスリング) 「現代詩 サイト」1ページ(ビーレビの上に面白いぞ現代詩、詩人会、現フォ、下に文極。) 「詩 サイト」  1ページ(トップに出てくるNAVERは情報が古いためビーレビが紹介されていない) 文学極道のカウンターサイトとしてはじまったビーレビだが、今ではその相手を出し抜いている。 しかし現代詩投稿サイトとして競合相手となる日本現代詩人会と現代詩フォーラムは検索結果によってはまだビーレビより上に表示されてしまう。「現代詩」で1ページ目に表示されるようにすることもそうだが、競合する2サイトよりも上になる位置になることも目指さなくてはだろう。 新運営ではかるべまさひろ氏がネット関係に強く、現在進行形で活躍していることは花緒氏に限らず周知のことだろう。ただ逆に言えばかるべ氏以外にサイト整備をできる者が新運営もいない。今は折りたたみ機能やフォーラムの設置など内部インフラに集中して取り組んでもらっているところである。それらが終わらないことにはSEOなどに本格的に手を付けることもできないだろう。それにフォーラムなどを終わらせたとしても他にやらなくてはいけない内部インフラはまだ沢山残っている。 彼は優秀だが、しかし人一人ができる量には限度がある。ビーレビのユーザーのなかにネットやサイト関係に聡い方がいたら是非とも協力してほしい。これまでも何度かアナウンスはしていたが依然として必要な状態である。技術面だけの参与でサイト管理などには加わらないという形でも全く構わない。誰かどうかよろしくお願いします。

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澤あづさ
(2018-10-04)

平素よりお世話になっております。ツイッターで述べていた選評の新ルールに関する私見を、こちらに提出するよう促されましたので、話をまとめて報告します。 ツイッターで述べていたのは、「新ルール下で選評を投稿しても、労力に見合う報いがないので、わたしは投稿しない」というものでした。それはB-REVIEWにとって大きな損失ではないと考えますし、自分の意見を採用されたいとは思っていません。 ただ「新ルールが理由で選考投稿を敬遠する人」がほかにも出た場合、運営はどうなさるおつもりなのだろう、B-REVIEWの選考をどうなさりたいのだろうと、不思議には思っています。 ──── 意見陳述に先立ち、旧運営陣に「準大賞」の設立を提案したのがわたしである事実を、新運営陣にご了承いただきたく存じます。 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-45.html https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-45.html#comment348 記事にある2017年11月大賞投票の候補4作に、わたしは優劣をつけられませんでした。そのため、「甲乙つけがたい候補作から1作を選ぶ理由は『趣味』しかないだろう、詩書きである投票者のほとんどは『自分に似た作風』を選ぶだろう、大賞投票が大規模になればなるほど大賞受賞作が『B-REVIEWで最もよくある作風』に偏るだろうと考えました。(喜ばしいことに、この推測はまったくの的外れでした。) わたしが準大賞の設立を旧運営に提案したのは、推測された「偏向」を防ぐためです。旧運営が公表していた選考経過から、特定の作風を偏重しないよう腐心していたことが窺えたので、多様な選者の多様な推挙を、選考にそのまま反映させるべきと考えました。 畢竟わたしは当時から「大賞投票はゲームに過ぎない、準大賞(各選者に大賞推挙されること)こそ最高の栄誉」と考えていました。この考えはいまなお強固なものになっています。わたしが参加した7月・8月大賞投票の結果から、B-REVIEWの多様性が(旧運営の腐心した通りに)維持されていると確信されたからです。 ──── 全員キュレーター制は、旧運営が腐心していた「多様性の維持」のための究極的な手段であり、その目的は「選者の数を増やして評価基準の幅を広げることにより、選考の偏りをなくすこと」にあると考えていました。そのゆえわたしはこの制度に熱烈な関心を寄せ、8月に投稿した7月分選評のコメント欄でも、熱烈な賛意を表明しました。 新運営によるフル・キュレーションの新ルールは、わたしが熱烈に賛同した全員キュレーター制の意義を、ほぼ完全に否定するものです。下記にその新ルールをに引用します。 ▼引用開始------------------------------- ①フル・キュレーションで候補にあげられた作品のうち、11作品目以降はコメント人数が少ない順に優良へ降格(10作品までが大賞候補) ②大賞候補のうち6位以下は優良へ降格(2~5位までが準大賞。同率があった場合は準大賞ボーダーを繰り上げる) ③2位~5位はアーカイブ内で順位を表示 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2368 -------------------------------引用終了▲ ①②は「10作以上の選評投稿・5作以上の大賞候補を歓迎しない」という宣言に等しく、選評の投稿を牽制するものです。自分の大賞候補に栄誉を贈りたい選者は、選評投稿数が10作(降格を恐れるなら5作)を超えた時点で、投稿を断念するでしょう。 ②③は、選者に能力を期待し重圧をかけるものです。生まじめな選者は、「好きな作品より投票者うけしそうな作品を選ばなければならない」やら、「推挙作が多くの投稿者に支持されるよう活動(選挙運動をしたり誇大広告を打ったり)しなければならない」やら、不本意な煩悶を強いられることになるでしょう。自分の推挙作が降格になってしまったら、「自分のせいで推挙作著作者に恥をかかせた」という罪悪感に苦しめられもするでしょう。 以上の推測から、わたしは新ルールが「❶熱意ある生まじめな愛読者を選考から排斥し、❷B-REVIEWの大賞受賞作を特定の作風に偏向させる」と考えました。もっとも❷は、後述の8月大賞投票結果を見る限り、効果が出ていません。 ──── 8月大賞投票BOXの投票結果は、決勝投票への流用によって改竄されてしまいました(この不備については言及しません)が、わたしの記憶では、「決勝前の8月大賞投票」の結果は下記の通りでした。 総投票数:29票 同率1位[5票]2作 同率3位[4票]2作 同率5位[3票]3作 同率8位[1票]2作 このように票が割れたのは、候補作が粒ぞろいだからだ、B-REVIEWという場が多様性に富んでいるからだ、いずれも喜ばしいことだとわたしは考えますが、新ルールはその多様性を歓迎しません。このような結果を根拠として、9作中たったの2作の作者と選者に恥をかかせるのが新ルールです。 投票BOXのコメントには「自作に投票した」と告白している人もいました。一票の差がここまで明瞭な投票で、自薦をしない作者が明白な不利を被っています。そんな条件下での5票と4票に有意差があるとは(計算していませんが)思えません。 決勝投票も長い接戦のすえ、たったの1票差で大賞が決まりました。B-REVIEWが多様性を維持している証拠だと思います。もとよりわたしが持っていた「大賞投票はゲームに過ぎない、準大賞(各選者に大賞推挙されること)こそ最高の栄誉」という考えは、なお強固になりました。 ──── 8月大賞の投票経過を、運営陣はどうお考えなのでしょう。「票がここまで割れるのはよくない、得票が特定の一作に集中するよう、場の思想が統制されるべきだ」とお考えになるでしょうか? わたしはそうは思いません。この私見がご参考になれば幸いです。

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stereotype2085
(2018-10-04)

澤さん、おはようございます。運営のステレオです。準大賞順位付け、10位以下優良降格には、私も運営チャット欄にて賛意を示しておりました。それは候補が乱立した場合、「単純に」候補が多すぎるのはいかがなものかという議論から発展したものです。ですが今となっては僕は優良降格ルールについては、まさしく「選者と筆者に恥をかかせる」という理由においても考え直した方がいい、との立場になっております。準大賞の順位付けまではそれこそ「ゲームに過ぎない大賞投票」の延長として許容されるし、許される範囲でしょう。しかし降格ルールはフルキュレーションをしてまで選評をしていただいた方に、また選ばれた筆者に、大変失礼にあたるという考えまで、個人的には深化しております。また澤さんの「多様性を保つ」という一面からも、議論すべき点は多く、この優良降格ルールは撤廃、もしくは先送りしても良いとの考えです。この点運営でも議論が煮詰まっておらず、投稿者、ユーザーのみなさまに大変ご心配をおかけしております。澤さん他降格ルールに反対の皆さまの意見を鑑みて、今一度運営にて議論を行い、もっとも適切な着地点を見い出したいと思います。意見の提出、誠にありがとうございました。

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かるべまさひろ
(2018-10-04)

まもなくフォーラムを開けそうなのですが、全員にお尋ねしたくてここで訊きます。 果たしてフォーラムは必要なのでしょうか? 月日が経ってからも、可読しやすく、議論のアーカイブ場所としての役割があるのはわかるのですが、 活発な議論という意味では、投稿掲示板と同じこのページ上の方がよいのではないか? そんな思いがあります。 もちろん、使いやすさ、見やすさが大手IT会社がつくるそれらと肩を並べられれば、よいのかもしれませんが、 また、アクティブユーザーの皆様の数的に、呼び掛けて応じてもらえる量という見方もあるかもしれません。 ただ、使いやすいフォーラムを、という思いで突き進んでましたが、 そもそも皆さんが「フォーラム」に求めるものはなんなのか、確認したいなと思いました。

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渡辺八畳
(2018-10-05)

澤さん まずはコメントありがとうございます。こうやって公の場にて意見交換できるのは運営とユーザー双方にとって良いことでしょう。 先に意見を受けての私の提案を要約しておけば ⒈優良降格でなく「大賞推薦作品(仮)」のような位を新設して、推薦作は少なくともそこへ収まるようにする。 ⒉「11作品目以降はコメント人数が少ない順に『大賞推薦作品(仮)』に位が決定され投票対象にはならない」とする。 ⒊大賞推薦の選評を集めたページまたは投稿を設け、投票前に一読してもらう。 ⒋大賞に選ばれた作品の選評も他の選評とは別枠にして表彰する。 そしてそれに到った私の意見は ⒈完全可視化された選考のなかで上位を狙えるこの制度は作者の励みにもなるだろうし、制度が機能するための制限は設けたほうが励みになっている作者を守ることにもつながる。 ⒉「選者と筆者に恥をかかせる」という懸念が意見の根幹にあるようだが、一度二度落ちたからと極度に落ち込むのでなく次はもっとうまくやろうと繋げてほしい。過度に保護することはその機会を奪うことにもなりかねない。また個人的感覚として落選したからといって「恥をかいた」とまで到るとは思わないし、投票を行っている時点で「恥をかいた」と思ってしまうような状態を作ってしまうことは避けられない。 ⒊自作品の上位入賞を得よう/自推薦作品を上位入賞させようという向上心を詩人にも持ち、それを成す為に行動してほしい。それも表現行為の一つである。 という感じです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ つまり澤氏の意見は「優良降格、順位表示制度を撤廃」ということでしょう。具体的な行動案は書かれておらずあくまで現行制度への批判なので、実際は違う(対案がある)のかもしれませんが、とりあえずこうだとして話を進めます。 私のスタンスは「投票制度が瓦解しない程度の緩和策は賛成。つまりは投票制度を維持するためには制限を設けることもある」というものです。なので順位制度や優良降格の緩和・撤廃はアリだろうが、投票対象作数は制限を設けるべきだと。 投票可能作数は今の10が限界で、むしろそれでもかなり多いとも思っております。運営が「得票が特定の一作に集中するよう、場の思想が統制されるべきだ」と考えているという推測は「酷いなぁそんなに非人道的に描かなくてもいいんじゃないのその描かれ方でいらぬバッシングを受けそうだよ(笑)」とは内心思っているものの、「この投票数でここまで割れるのは良くない」とは正直私は思っております。50票や100票の投票数があるなかで僅差になるなら「候補作が粒ぞろい」とも見れますが、30票前後の投票数での僅差は私も有意差だとは思えません。投票数に見合った対象作数に調整するべきだなと。勝負は時の運とは言いますが、排除できるブレは除いていくべきでしょう。 私が投票制度に拘る理由は「完全可視化された選考のなかで上位を狙えるこの制度は作者の励みにもなるだろうし、制度が機能するための制限は設けたほうが励みになっている作者を守ることにもつながる」からです。 おそらく私と澤氏で全員キュレーター制や投票制度に対して期待している部分が違うからこういった意見の違いが出ているのだろうと推測します。ネット詩の他サイト含めあらゆる詩の公募は選考者がクローズドな場で作品を選考し、一方的に結果を告知します。このことの問題は選考者一人の趣向が選考自体へ及ぼす影響が大きく、そしてそれが選考者が変わらない限り続くことにあると思います。つまりは個人に気に入られればそのままパブリックな評価に直結してしまう。 それの是正は全員キュレーター制がある時点で解消されています。あらゆる人が大賞推薦を行える時点で多様性は達成されている。以降につく上下差はフェアな場でついたものです。それまでも無くすことはできない。それは悪しき平等主義であり、上で述べたレースを励みにしている人の気持ちを削いでしまいます。 「以降につく上下差」として私は個々人の趣向に依らない「コメント人数」を設けました。どこかで線は引かないといけないし、その線引きがなるだけフェアな観点から行われたものなら許容されるべきだろう。たとえば投票数が3040しかないなかで20作30作も対象が並ぶレースは正しいのだろうかと。 そもそも優良降格とか関係無しに選考制度を設けている時点で優劣はついているのであり、自作は優良や推薦に選ばれなかった、そんなのを投稿してしまって恥ずかしいと感じてしまう人が発生してしまう/既に発生している可能性は否定できない。一人も恥をかかせたくなかったらそれこそ位付けを完全撤廃しなくてはならない。平等に投稿作を扱うって方針はMY DEARで行わてれいるしそれをビーレビが追従することもないだろう。結局ここからは恥をかくここまでは恥をかかないという線引きは恣意的なものです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 生まじめな選者なるものが「好きな作品より投票者うけしそうな作品を選ばなければならない」となるのは自己責任でしょう。てか一体何のための全員キュレーター制なのか。そんな忖度しねぇで自分の好きを堂々と推せよ、てか自分の好きを周りにも納得させるように行動しろよ、ってがわたしの本心です。 8月頭に新旧運営を交えて行われたツイキャスで私は「(ビーレビの)マナーのいい掲示板という特徴にはあまり価値を感じていない」という趣旨の発言をしました。今更注釈すればこれは「掲示板が荒れてもいい」ということでなく、人様に暴言吐かないとかはウリにするようなもんでなくあって当然のことでありそれは守るが、そういった一般常識ライン以上の加護はしないという意味である。実名あげれば今のビーレビに一輪車氏が来て文極のような行動をしたら私は粛々とオレンジ・イエロー・レッドカードを発行し出禁にするだろう。それは当然の行いだ。 「一般常識ライン以上の加護はしない」というスタンスは選評にも持っていて、一定以上の権利を得るには相応の義務を負わなくてはいけない、それはいやなら権利は受けられないと思っております。私のこの返信だってそうでしょう。澤氏に反対意見出すのって私すごく怖いんですよ。わかるでしょ、指摘鋭い人に自分の意見を言うのってさ。スキがあったら絶対そこを叩かれる。しかしそれが嫌なら完全同意を決め込むしかない。私は自分の意見があるのだから、叩かれる覚悟をするのは当然の義務です。 賞レースなんだから、フェアに戦った結果負けることをはあるしそれに対し負荷を感じることはあるでしょう。でもそれを取り除くことは正義なのか。ビーレビに投稿したら推薦されて落ちる可能性もあるし(それを避けたいなら杯不参加表明することです。今後それをチェックボタン式で行えるようにする案も出ています)、自推薦作品が落ちることもある。それにいちいち「恥をかいた」と思ってたら、それちょっと流石に弱すぎない? と。詩を書くような人たちがやはりどうしても繊細だってのは分かっていますが、それに過度に配慮するのは正しいとは思えない。「ただただ純粋」であることは美徳では無い。逆風に耐える力を持ち、なおもまっすぐでいられることこそが賞賛されるべき姿です。その程度の強さは詩人だとしても持ってほしい。 ただ、そういった義務を追わずとも「自分の好き」を表明できたらそれはそれで素晴らしいなと思います。義務を負うフル・キュレーションよりは表明による成果の度合いは少なくせざるを得ませんが、しかし「ここすき」へのアプローチの仕方は様々な段階があってしかるべきでしょう。権利を得たい者は義務を負うべきだと思う一方で権利は別にいらないって人には義務は負わせるべきでない。ワンポイント・キュレーションはそれを果たしていると思いますが、もっと軽い、Twitterの「いいね」程度のもあっていいかなと考えています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 自分の好きは最後まで通してほしい。それこそが正直さであり美しさだ。なので 「推挙作が多くの投稿者に支持されるよう活動」したり「自作に投票」することは他者へ過度な迷惑をかける(また実名あげれば、lalita氏みたいに自作品を執拗に自コメントで上げる)ようでなければ許容されるべきだと思っております。 しかしその「活動」を自由勝手にやらせていたらトラブルが起こる危険性もあるでしょう。○○はしてはいけないと規定したところでそれをかいくぐった行動が必ず出てきます。「活動」の代わりになる場として「大賞推薦の選評を集めたページまたは投稿を設け」ることを提案します。これまでの選評はいまいち選ばれた人以外は読んでいないなという印象がありました。アピールの場としてこれを設ければ投票の際に読まれるようになるでしょう。その場でさ、「投票者うけしそうな作品を選ばなければならない」なんて思ってないで、力づくでも自分の好きな作品の良い所を他者にもわからせるんだよ。てめぇの好きは他人の好きと並んだら霞んじまうのかよ。てめぇの好きはそんなもんなのかよ、なぁ! って私はハッパをかけましょう。 んでそれを成せるほどの良い選評は表彰されるべきです。大賞選出に一助した選評は他の選評とは分けて「優良選評(仮)」などの位置に置かれたら良いのではないでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ しかし、「選評投稿数が10作(降格を恐れるなら5作)を超えた時点で、投稿を断念する」という事態が起こってしまうのは避けたい。この点は澤氏の意見の中で私が最も納得する箇所です。ならばセーフティーネットとして「大賞推薦作品(仮)」の親切です。投票対象にはならずとも優良よりは上位な位には落ち着けば「恥をかく」ことも避けられるし、せっかく表明した「自分の好き」が過度に無碍にされることもないんじゃあないかなと。しかしこれも感覚の問題ではありますが。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ てかこれは皆さんに聞きたいのですが、自作や自推薦作が降格したら本当に「恥をかいた」と思うんですか? 私は別にそんなことは思わない、自分の力足らずだって思うでしょう。これはちょっと聞きたい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 私の意見及び対案は以上です。 こういった場を設けたのは澤氏と私だけの閉じられた意見交流でなく、第三者がそこへ参入することを望むからです。あなたはこの件どう思いますか? 是非とも書いてください。

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渡辺八畳
(2018-10-05)

かるべさん フォーラムは ①詩やそれ以外のトピックの議論 ②イベント告知、刊行告知 ③その他 に使用されるだろうと見ています。今あるフォーラムの前のバージョンでは①②③どちらもありました。今のフォーラムにもその内容がコピペされてはいます。 ①は詩集を売れるものにするにはどうすればいいか、②は私が立てた『けもポエ!』の告知、③は確か桐ケ谷忍さんが立てた自分の好きな歌詞を書いていくスペース、などが例です。 ビーレビに関する議論はここのよう投稿掲示板にあってもいいかもしれませんが、①②③は掲示板で行う内容ではないだろうと思います。そういった投稿の受け皿としてフォーラムはあってしかるべきかなと。 ちなみに、文学極道の投稿掲示板にあるブログ更新告知みたいな、フォーラムが更新(新スレ設立や新コメント)されたときにそれが表示される機能はビーレビの投稿掲示板につけられますか?

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渡辺八畳
(2018-10-05)

でもなぁ、「ビーレビ運営に関する議論」って板に各話題・意見のスレッドを立てる方式にすればログが相当整理されるのは確かなんだよなぁ……

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なかたつ
(2018-10-05)

澤さん、渡辺さん 澤さんの疑問に対する渡辺さんの回答が正直よくわからなかった。 簡潔に言えば、澤さんは現状維持でよいという理由を述べ、 渡辺さんは違う手段を持ち出してまで、制度を変えようと。 制度を変えることの理由として 「自作品の上位入賞を得よう/自推薦作品を上位入賞させようという向上心を詩人にも持ち、それを成す為に行動してほしい。」などなどと理由がいろいろとあるのですが、 そもそもフルキュレーション書いている人は、全ての作品に目を通したうえで、そのキュレーターなりの判断及び執筆という作業を経ているので、そういう向上心を多少なりとも持っている人たちであると僕は思っています。無論、内容や分量に差があり、それすらに優劣をつけたい人もいるかもしれないですが、そもそもその作業をしただけであっても、賞賛に値するのではないかと。そのため、その上で順位とか優劣だとかつける意味が僕にはわからない。 選評の中でたまに「この作品は他の人が推すだろうから、私は推さなかった」という言説を目にすることがありますが、僕は逆で「この作品は他の人が推さないだろうが、僕は推したいんだ」という気持ちがあります。どうでもいいですね。 言い方は悪いですが、大賞候補に順位付けする意味を感じませんでした。フルキュレーションという作業を経た上で選ばれた以上、フルキュレーションというキュレーターの行為がどういったものであるかが軽んじられていると感じました。 落とすとか順位付けよりも、いかにフルキュレーションする人を増やすか、しいては、読む/読める人を増やすかとか、大賞候補の投票数を増やせるか、とか、そっちを考える方が有意義だなあ、とか。 行動案がどうとかって言われそうですが、「読む/読める人を増やすか」については、近いうちに動くので。

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まりも
(2018-10-05)

澤さん、渡辺さん、なかたつさん  ルールを細かく設ければ設けるほど、なんだかよくわからない、ということになっていきはしませんかね・・・。新運営の方々が、いろいろな課題に一つ一つ、対処していくこと、を、どうなるかな、うまくいくといいな、求めているもの、目指しているもの、が、どんどん明確になっていけばいいな、という思いもあって、まずは思う通りにやってみたら?そして、それから考えよう、というのが、すこし「いいかげん」に見えるかもしれないけれど、私のスタンスです。この「掲示板上のスレッド」が生まれたのも、必然の流れなのかな、と思います。 かるべさん  フォーラムを開けるようにしてくださっている、とのこと、ありがとうございます。 確かに、今、ここで行われている「議論」は、掲示板上のほうが目につきやすい・・・かもしれないけれど、フォーラムは、こうしたリアルタイムの議論をする場所、ではなくて、どんどん動いていく掲示板より、ひと月に一回でも、じっくり読める場所があるといいな、と思う人のための場所なのかな、という気持ちがあります。「弓庭夜話」を、掲示板に貼っていくとドンドンスレッドが長くなってしまうし、その都度、上に上がってしまう、ので、こういう「目指して読みに行くもの」は、フォーラムのほうが落ち着いて読めるかな、などと思っています。 皆さん 「賞」の名前に関して言うと、大賞、準大賞、優良、入選(推薦だとヤヤコシイので、というのに同意)なんてどうだろう、と思いました。ものすごく平凡で、ありきたり、ですが。 今後、大賞、準大賞専用の展示場所をビーレビュー独自に設けるとか、冊子にして店頭に並ぶようにする、とか、そういう話が出たら楽しいな、とは、思っています。 ぜんぜん、まとまっていませんが・・・思うところを、なんとなく、つらつらと、書いてみました。

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るるりら
(2018-10-05)

こんにちは まずは、渡辺八畳@祝儀敷さんが以下の質問を投げておられるので、わたしの場合を お答します。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ てかこれは皆さんに聞きたいのですが、自作や自推薦作が降格したら本当に「恥をかいた」と思うんですか? 私は別にそんなことは思わない、自分の力足らずだって思うでしょう。これはちょっと聞きたい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ わたしは、自作や自推薦作が降格したら恥をかいたとは 思いません。ただ自推薦作が降格したら、残念には思います。 また自作作品が選ばれなくても、しょうがないです。なぜなら、 参加者増加に伴い自作作品が選ばれる確率なんて、減少傾向ですから。あは。 そんなことよりも、とりあえず みなさんがすくなくとも 私の詩の読んではくれたサイトであると思えるかどうかが、わたしにとっては大切です。フル・キュレーションをした人がいらっしゃるということは、すくなくとも 全部を読んだ人がいる。わたしの拙詩も読まれているということです。これこそ、大事です。 より読まれる場を作るには、フル・キュレーションをした人が 増加する。フル・キュレーションをした人の熱意が作者の方々に届きやすい場である必要があると考えます。 フル・キュレーションをした人の労が報われるシステムを模索すべきでしょう。 では、どのような制度が、フル・キュレーションを行う人が報われる場なのでしょう? ▼引用開始------------------------------- ①フル・キュレーションで候補にあげられた作品のうち、11作品目以降はコメント人数が少ない順に優良へ降格(10作品までが大賞候補) ②大賞候補のうち6位以下は優良へ降格(2~5位までが準大賞。同率があった場合は準大賞ボーダーを繰り上げる) ③2位~5位はアーカイブ内で順位を表示 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2368 -------------------------------引用終了▲ 上記のルールでいちばんに首を傾げたのは、①の【11作品目以降はコメント人数が少ない順に優良へ降格。】コメント人数が多いケースって、掲示板として良いケースばかりとは限らないのではないでしょうか?投稿板が炎上すればコメント数は伸びるはずです。また、コメント数がのびないケースが かならずしも不良作品とは限らないです。詩作品のあまりの感動でレスしようにも 言葉にもできないケースもあるはず。 フル・キュレーションを行うには、だれかを落とさなくてはいけない。これって、過酷ですよ。選ぶのだという気概が必要です。 全部を読んでフル・キュレーション選出を行っている人の思いに熱がないとできないです。フル・キュレーションを行う方々の熱を維持してあげるシステムが必要です。 それには、大賞に推したものが大賞候補になるという結果として反映されて、はじめてフル・キュレーションの甲斐があるというものです。 だから、わたしの意見は 大賞候補に推された作品の すべてが大賞候補であってほしいです。

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るるりら
(2018-10-05)

大賞候補者が林立した場合に追加される決戦選挙についてなのですが、 わたしは不要と考えます。 みなさんが 一所懸命に考えて選び、蓋をあけたら 何人にも該当者が現れたのなら、 複数の人が一位。大賞で、私は良いと思います。 決戦投票を行えば、すでにあたらに投稿しておられる当月の作品が閲覧する時間が少なくなるからです。 わたしにとって 大切なのは、まずは作品が 多くの人に読まれる可能性が増えることです。

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まりも
(2018-10-05)

るるりらさんへ すてきなご意見、ありがとうございました。 私は「運営」とは少し異なるスタンス・・・お手伝いなどはするけれども、どちらかというと応援団、というスタンスで関わっている(関わっていく)つもり、でおります。だから、あまりごちゃごちゃ書き込むのも、とためらいがある、のですが。 大賞候補、が、すべて「大賞」となる、これが、理想、なのかもしれません。でも、今現在、他サイトである「面白いぞ!現代詩」のご協力(ご厚意)により、ビーレビューの大賞作品を、転載させていただいている、のですね・・・。 大賞受賞者の「権利」や「特典」のように思っている方がいるかもしれない、と、時々思うことがあって・・・ もちろん、双方のサイトが、お互いに読み手が増えますように、ということを期待しての、転載のご快諾だと思います。花緒さんが尽力してくださったので、こうしたご厚意を受けることができている、ということも忘れてはいけない、でしょうし・・・ 大賞受賞作が複数になった場合、その複数をそのまま「載せてください」とお願いするわけにはいかないと思うのですね。先方に選んでいただく、という、新たな方法をご相談させていただく、ことは可能かもしれませんが。 大賞が、投票により一点に決まった時は、転載をご依頼する。 同率で複数作品が大賞、となった場合は、すべてを準大賞、として(該当作なし、として)ビーレビュー内のアーカイブで準大賞欄に掲示する。 ・・・というような方法もある、のかな、などと、思っています。

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澤あづさ
(2018-10-05)

平素よりお世話になっております。全員キュレーター制新ルールのお話です。上記でのわたしの私見は、stereoさんにすっかりご理解いただけましたし、なかたつさんのご意見は「わたしの主訴の最も重要な核心」に等しく、るるりらさんのご意見には「わたしが指摘しなかった新ルールの問題点」も含まれています。これで渡辺さんにも、わたしの主訴が伝わったと思います。 先述の通り、わたしは新運営を批判しに来たのではありません。上記はあくまで「新ルール下での選評投稿には、労力に見合う報いがないので、わたしは今後の選評を投稿しない」という意向とその理由の報告です。新運営が制度を再考する際の参考になれば幸いというだけの内容です。 それで話を終えるのは、あまりにつまらない所業ですので、以下を付記します。 ──── 渡辺さんのご存じのとおり、わたしは文学極道で擬似選考をやっているような人間ですから、渡辺さんの理想にも賛成できる部分はあります。場が文学極道(それも選考への影響を狙うもの)であれば、もちろん選評には「資格」と「覚悟」が入り用でしょう。 しかしあなたがたが運営なさっているのは「全員キュレーター制」です。無条件で募った選者に対して、能力を期待するのは矛盾しています。「入試に数学がない大学の必修に線形代数がある」くらいおかしなことです。 選者に能力や根性を期待したいのなら、偽りある看板を下ろして「能力と根性のある選者」を集め、運営が選考を独占すればよい。旧運営も以前はそれでやっていたのだから、もとに戻せばよいと思いますが、そのことは検討なさったのでしょうか。お茶を濁さずはっきり言えば、あなた(※stereoさんとかるべさんはフル・キュレーションをなさっているので話が別)は「本来ご自分がすべき仕事を、無償で他人に代行させている」のだから、それに無理な注文をつければ、敬遠する者が出るのは当然でしょう。 おっしゃる通り、B-REVIEWの選評は、ほとんど読まれてなどいません。「読まない人に読ませること」は、良心ある手段の範疇では不可能、ハッパをかけられても無理なものは無理です。村上春樹にも尾田栄一郎にも事実できていないことを、なぜ「自分がやってみせもしないで」他人に期待なさるのでしょう。 ▼引用開始------------------------------- ⒈完全可視化された選考のなかで上位を狙えるこの制度は作者の励みにもなるだろうし、制度が機能するための制限は設けたほうが励みになっている作者を守ることにもつながる。 -------------------------------引用終了▲ 上記で言われている「作者」は、「選者」と「大賞候補の作者(詩人)」のどちらなのでしょう。「詩人の励み」と「選者の利害」は一致しません、そこを混同されたままでは話が先に進みません。「向上心ある詩人を守るために、フル・キュレーター(本人でない一般参加者)が苦労しろ」とおっしゃりたいのなら、「そんなことは本人か運営がやれ。他人に代行させたいのなら、相応の見返りを用意しろ」としか言いようがありませんから。 ※渡辺さんがその見返りを用意しようとなさっているのは理解していますが、「大賞に選ばれた作品の選評も他の選評とは別枠にして表彰する」のが選者を鼓舞できるとは思えません。「大賞投票の結果と批評の巧拙には関係がない」からです。 ▼引用開始------------------------------- ⒉「選者と筆者に恥をかかせる」という懸念が意見の根幹にあるようだが、一度二度落ちたからと極度に落ち込むのでなく次はもっとうまくやろうと繋げてほしい。過度に保護することはその機会を奪うことにもなりかねない。また個人的感覚として落選したからといって「恥をかいた」とまで到るとは思わないし、投票を行っている時点で「恥をかいた」と思ってしまうような状態を作ってしまうことは避けられない。 -------------------------------引用終了▲ 「詩人と選者の混同」が最も顕著な部分ですが、わたし(選者)が忌避しているのは「自分のせいで『自分の大賞候補の作者様』に『恥をかかせてしまう』こと」です。作者様のほうがどうお考えになるかは、選者には関係ありません。「自分のせいで自分が落選する」のと「自分のせいで人様が降格する」のとでは、こともその重さもまったく異なります。 ▼引用開始------------------------------- ⒊自作品の上位入賞を得よう/自推薦作品を上位入賞させようという向上心を詩人にも持ち、それを成す為に行動してほしい。それも表現行為の一つである。 -------------------------------引用終了▲ このように「詩人と選者の混同」をしながら、運営が参加者になにを期待するのも運営の自由です。同様に、無理な要求を拒否して去るのも参加者の自由です。「読まない人にも読める選評など書けないから書かないという選択」も、まがうかたなき表現でしょう。批評も作品であり、作者にも読者を選ぶ権利があるのですから。 stereoさんがわたしの意見にご理解をくださるのは、おそらくstereoさんがフル・キュレーションどころか「全作にコメント」までなさって、それに要する労力がいかほどかご存じだからでしょう。同様の苦労を強いられるフル・キュレーターに「見返りも与えられていないのに、そのうえ恥までかかせたら、逃げられるに違いない」という危機感は、運営者というか接客業として、まっとうな感性だと思います。 渡辺さんもぜひフル・キュレーションと「全作にコメント」をなさり、批評の手本を見せてください。テキトーな一言コメントではなく「読まない人にも読ませられる批評」を書いてみせてください。自分にできないことを他人に期待し、その期待に添わない他人を無能と見なすのは横暴です。 ──── これで終わってはあまりに底意地が悪いので、さらに付記します。渡辺さんのおっしゃる「対案」に近いものです。 ●大賞投票の候補作数が多すぎると問題が起こる。 上記はstereoさんも渡辺さんも指摘なさっていることです。このことには、「候補作が30作もあったら、投票者も全作をまじめになど読めまい」といった推測から、わたしも同意します。運営が定めた適正な数に、運営が定めた適正な基準で、大賞投票の候補数を制限することに、問題はないと思います。 そこで問題になるのが、「諸事情で大賞投票進出がかなわなかった大賞候補」の扱いですが、 ●どんな理由であれ、フル・キュレーターに推挙された大賞候補を「優良に降格」させることには問題がある。 この一点に関しては、stereoさんも渡辺さんも同意なさっており、stereoさんは❶「反対者が多ければ撤廃したい」、渡辺さんは❷「準大賞に至らなかった大賞候補のために、優良以上準大賞以下の新しい等級を設置したい」とお考えなのですね。 わたしは準大賞の提案者ですので、「フル・キュレーターに推挙された大賞候補には、無条件で準大賞が授与されるべき」と思います。理由は「フル・キュレーションの労力に見合うフル・キュレーターへの報いが、それしかないと思しいから」です。 大賞投票へ進んだ作品に順位をつける(これはstereoさんが指摘なさる通り「大賞投票というゲームの内容として容認される範囲」だとわたしは思います)のなら、大賞投票へ進まなかった作品を「大賞投票の最下位より下位の準大賞」につければよいのではないでしょうか。なぜ❷の「優良以上準大賞以下の新等級」が必要になるのか、よく理解できませんでした。

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survof
(2018-10-05)

そもそも、全員参加型キュレーションを提案したのは私だった気がしますし、今回の大賞についても候補が多数ある場合についての扱いに関して意見をはじめに述べたのはおそらく私なので、私なりの意見を書いておきます。 そもそも全員参加型キュレーションを提案した真意。「選考する」「評価する」ということの意味を鋭く問いたかったからです。運営側が一方的に選ぶというシステムでは必然的に運営に携わっている方々の詩観、価値観、美学、好みによって選ばれる作品が偏るのは当然のことで、それが詩誌なりほかの掲示板なりにおける選考の「個性」となってある場合には投稿者を惹きつけるわけですが、そもそも「選ぶ」という行為の本質ってなんなんだろう、ということです。その点において運営者と投稿者の関係をフラットにすることで見えてくるものがあるに違いないと思いました。そして、この提案を快く採用してくださった旧運営陣にはとても感謝していると同時に、この「実験」に踏み込むだけの先進性と旧運営陣の思考の深さ、鋭さに私は深い敬意と憧れを持っていました。それだけの問題意識と自己批評が旧運営陣の何よりの魅力であったと私は感じています。 その延長線上に多数決による大賞決定に対する私の疑問提起というものはありました。つまり、そこに運営側の問題意識や自己批評を私は見たかったのだと思います。私の意見の直後に方針の変更があったことから、何かしらの形で私の意見を汲んでくださったのかもしれないと思えばそこには感謝しかありませんが、なりゆきをみていてとても残念な気持ちになっています。とはいっても運営陣が変わった以上、運用哲学が変わるのは当然のことなので、残念に感じるということがそもそも筋違いなのかもしれません。運営哲学が変わったのであれば何事も同じ文脈では語り得ないからです。 たとえば先月の大賞選挙が最終的に決選投票になってしまったことはやむを得ないとしても、まだ投票していない人に絞るという謎のシステム。そして、作品の「降格」という謎の概念。さらに降格させるための条件がコメント数である謎、など。 これらの運用ポリシーには「選考」という投稿者にとって非常にセンシティブな問題に対する鋭い洞察力が激しく欠落しているように感じられてなりません。鋭い自己批評の哲学を失ったビーレビはもはや私を惹きつけてやまなかったかつてのビーレビではありません。もちろん「私にとって」ですが。 逆いうと、ビーレビは旧運営陣とはまったく違う哲学のもとに運営されはじめているということで(それが何なのかは私にはわかりません)、それに対して私はほとんど魅力を感じていないというだけのことです。前述の通り、これは運営陣が交代した以上当然のことです。それはまた、運営陣の投稿者に対する対応にもはっきりと現れているように感じます。私は一連の対応をみていて新運営陣の対応にあまり好意的な気持ちは持っていませんが、だから何だと言うのでしょう。 ビーレビという看板だけは同じでも、中身は変わったのですから、投稿者も旧運営陣の方々もビーレビはもはや全く別の掲示板なのだ、という認識を持つべきなのかもしれません。運用哲学が違うのならいっそのこと全員参加のキュレーションもやめてみてもいいのかもしれませんし、名前も新しく一新されても面白いかもしれませんね。せっかく生まれ変わった訳なので。

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るるりら
(2018-10-06)

賞についての蛾兆ボルカさんの案に基本的には、賛成です。 1大賞 1から数作品(同点の場合両方受賞) 2準大賞 次点作品(大賞複数の場合、次点なし) 3大賞ノミネート賞 大賞に推挙された全作品 3佳作 審査員が褒めた全作品 大賞は複数作品で良いのではないかという意見を 私もここに書きました。だから賛成です。 ただし、確認したいのです。このサイトは どこにむかっているかによると思いなおしているところです。 まりもさんに、大賞の一作品は、他サイトである「面白いぞ!現代詩」に転載させていただいているという お話をうかがって思ったのです。一位は、おひとりだと他に紹介しやすい実例があることを、どう考えるかなと。 たしかに、ビーレビで選ばれると ほかのサイトでも紹介されたりするというのは名誉なことです。ほかに紹介することを想えば、はえある一位が存在してたら紹介しやすいですよね。賞もらうとビーレビ以外でも広がりを持つのは、ちょっと良いなと 思うのですが、みなさんは どう思われますか?

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渡辺八畳
(2018-10-06)

前後しますが先に蛾兆さんのから。 (てかまだ蛾兆さんのしかまともに読めてない。) 私意以外にも「推薦」に違和感を覚えている方はいたようで安心です。 今後各位がどうなるかはまだわかりませんが、従来の推薦相当の位の名前を変更することは視野に入れてもいいかもしれませんね。そこらへんみなさんはどうですか。ただ一方で私は「優良」という名前に違和感を覚えたことはありませんでした。ってのは私の違和感ってはつまり行為の推薦と名称の推薦が被っていたことに由来するだけで、名称が持つ意味までは頓着しいないのです。 ガイドラインは新設したフォーラムのものへ変わりました。いかがでしょうか? 名称変更ですが、これは慎重にいきたいなと。サイトのシステムを一新してほぼ旧版と同じ箇所が無くなったとかでない限りはやらなくてもいいんじゃないかなと。逆に言えばそれぐらいのリニューアルがあったなら新しくするのも手。ただそれはそうとう激しい道。 もちろんそこまでのリニューアルしても看板は据え置きだっていいわけで。つまりはあまり乗り気ではない。「B-REVIEW」という名称で困るのはtwitterでのハッシュタグが#breviewとハイフンを除いた形にせざるを得ないという点と、アルファベットだから表記される際にブレがでてきてサーチがちと面倒(B-REVIEW/breview/ビーレビ/ビーレビュー/びーれび etc.)ってぐらい。それの是正のために一応検索でも引っかかり始めた名称を捨てるってのは苦しいかなぁ。

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渡辺八畳
(2018-10-06)

サイト名に「詩」を入れたらどうだという意見だが、私としてはむしろ入れたくない。いつぞやのMiuラジ(ツイキャス)で語ったことだが、動画投稿を視野に入れている理由の一つに「詩」がカバーする領域を拡大することで今までは現代詩と無縁だったジャンルも巻き込もうしているからだ。その時に看板に「詩」があったら他ジャンルの者は遠慮してしまいそう。 こういう理由とかもさ、ツイキャスで話しっぱなしでなく活字化して企画書にでもしなくちゃいけないってはわかっているけど、残存気力的に今の私には行うのが苦しい。嗚呼。

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渡辺八畳
(2018-10-06)

てかフォーラムできたのだからそちらに移らなくてはか。嗚呼々。

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まりも
(2018-10-07)

❇皆さんへ 皆で作り上げていく場 として動き出したビーレビューだと思っていたし、今も思っています。皆さんの意見を総合していくと、ひとつ上のステージに至る道が見えてくるように思いました。 ❇渡辺さんへ  最初の出発点が見えにくくなってきているように思います。 投票数が多くないのに、大賞候補が多い、という状況で、僅差で接戦、という投票に意味があるのだろうか?という疑問や問題から発したのではなかったか・・・ その問題解決策として、細則を含めた新ルールが出てきたと思うのですが、目の前の問題解決に意識が向かいすぎてしまった結果の細則であるのかもしれません。 ❇皆さんへ 澤さんがこれまでの流れをまとめる形で再提出してくださっているので、以下に引用します。 ~~~~~~~~~~~~~ ●大賞投票の候補作数が多すぎると問題が起こる。 上記はstereoさんも渡辺さんも指摘なさっていることです。このことには、「候補作が30作もあったら、投票者も全作をまじめになど読めまい」といった推測から、わたしも同意します。運営が定めた適正な数に、運営が定めた適正な基準で、大賞投票の候補数を制限することに、問題はないと思います。 そこで問題になるのが、「諸事情で大賞投票進出がかなわなかった大賞候補」の扱いですが、 ●どんな理由であれ、フル・キュレーターに推挙された大賞候補を「優良に降格」させることには問題がある。 この一点に関しては、stereoさんも渡辺さんも同意なさっており、stereoさんは❶「反対者が多ければ撤廃したい」、渡辺さんは❷「準大賞に至らなかった大賞候補のために、優良以上準大賞以下の新しい等級を設置したい」とお考えなのですね。 ~~~~~~~~~~~~~引用終わり 全作品を読むという、時間と労力と熱意とを傾けた者に、自分の推薦する作品を推す権利がある→大賞候補作品が、沢山生まれるということは、それだけ熱意をもって作品を読み込んだ推薦者が沢山いる、ということ、でもある。 その推薦者の熱意を汲むという意味でも、一定の作品数を越えた場合、優良へ降格するという案は撤回して、元のルールに戻すのが良いと思いました。(思い直しました。) そのための判断基準を、コメント数に求める、という更なる細則も、自動的に撤回、となりますね。 やってみてから考えたら?というスタンスと先に述べましたが(運営チャットの方でも、そう考えて賛意を示していました)、新ルールを提示、ということを「やってみた」結果の、皆さんから理にかなった反対意見を頂いたわけで、私自身も納得しました。改めて考えるきっかけにもなりました。 ダントツでこれが一番、という作品が存在しないときは、すべてを準大賞にしたい。 この点、澤さんの意見に、私も賛成です。 ❇渡辺さんへ 渡辺さんが、優良以上、準大賞以下の新しい等級(大賞推薦作品、など)を設けるのはどうか、と述べたのは、等級に段階を設けて、より上位を目指したい、というモチベーションを高める、という枠組みを作りたいから、ですか? それとも、準大賞、という言葉の持つ印象が(ボルカさんが述べておられるように)大賞に準じるもの、であるからですか? ボルカさんは、準という言葉の持つ印象ゆえに、準大賞は、大賞と拮抗した数作にこそふさわしい、それ以外の準大賞該当作品は、大賞ノミネート作品、というような呼称がよいのでは、と提案されていますね。 花緒さんが指摘された、この場をどうしていきたいのか、ということが見えない、というプリンシプル問題にも関わってきますが、 賞を段階的に設定し、上位入賞を競うことで作品の向上をめざす場にしていきたいのか。 皆がキュレーションに参加し、参加者の推す多様性を確保しつつ、ある程度の総意に基づいた「おすすめ作品」を推奨していく場にしていきたいのか。 どちらなのでしょう。 作品の向上、という点に関して、 適切な批判によって切磋琢磨していく、あるいは、ふるい落としていく(他者からの働きかけによって、効率的に作品を磨く) 読み手が良作と思うもの、長所と思う点を推奨する、それを作者が読むことによって自ら学ぶのを待つ(自発的に作品を見直す目を養う) という、二つの方向がありますね。もちろん、どちらかに峻別出来るわけではなく、どんな場合でも、双方の要素があり、結局、どちらの割合が強いか、によって、方向性が決まるのだと思いますが・・・ 渡辺さんは、ビーレビューがどちらの方向に向かうことを望んでおられますか? 以上、皆さんのご意見を参照した上での、私の意見と、渡辺さんへの質問です。

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渡辺八畳
(2018-10-07)

順位制、降格制の話がひと段落ついてキリよくなったらフォーラムに移りましょう。 新たに話題がある方はこちらでなくフォーラムに書き込みお願いします。 とりあえず取り急ぎ。

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stereotype2085
(2018-10-07)

花緒さん、おはようございます。まず建設的、発展的であるならば「上から目線で」などと前置きすることなく、新運営への意見、アドバイス、叱咤激励を「B-review」を発足させた人物の一人として、先達として、提出してくださるのは歓迎する旨を書かせていただきます。早速ですが、花緒さんのご意見の中核にある、新運営は権威を標榜して、原則を反故にしていくやり方をしている、というご指摘。これは僕個人としては権威を標榜したつもりもありませんし、原則を反故にしていたつもりもありません。しかし注意深く物事を決定すべき段において、またはアイデアについて、「まずはやってみましょうか」という実験的姿勢で賛意を示してしまったことは事実で、それが前述の権威を~、または原則を~のイメージに繋がったのならば、素直に謝意を表したいと思います。3000字200行制限ルールにおいても、優良降格ルールにおいても、新運営がスタートして間もない時期の決定事項であり、僕としてはまだまだ手探りの段階であったのを斟酌していただけたら幸いだと思います。実際新運営も硬直化したり、権威的になったりせず、3000字200行制限については限りなく撤廃に近い回答を出しましたし、代替案として折り畳み表示の実装というアイデアに踏み切りました。この優良降格ルールについても、みなさんのご意見を大いに参考にした上でベストな解決案を見い出すでしょう。それまではしばしのお待ちを。また旧運営化のポリシーを後生大事に守って欲しいわけではない、とのご指南もありがたく拝聴します。同時に旧運営化のポリシーは習うべき点はあったとしても、批判すべき点はほぼないと言って等しく、大いに参考にしたいと思います。最後になりますが、「SEOをあげて、広告収入を稼いで、ネット詩の歴史を更新して欲しい」との激励、エール、ありがたくいただき、この文章で以て花緒さんへの回答としたいと思います。ご意見ありがとうございました。

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渡辺八畳
(2018-10-11)

遅ればせながら。個々人へ返信をするには量が多すぎるのでまとめての回答とさせていただきます。 順位制や降格制はポリシーや思想に基づいてのものと言うよりは、キュレーションや投票と言った仕組みを如何に今後も破綻させずに維持するかという管理的立場からの提案でありました。なのでまりもさんの「ビーレビューがどちらの方向に向かうことを望んでおられますか」という問いに答えるようなものは二制度の提案の中には無い(強いて言えば「ビーレビを破綻させずに維持したい」ぐらいで)のでして。 そういった無思想によって出された二制度、皆様がビーレビに思っていること期待していることと言った思想とは相反してしまったのが今回のことなのかなと個人的には思っております。 前述のよう二制度の提案に私の思想は無く、ただ仕組み維持のためのものなので、それの試行によってさらに混乱が生まれるならば無理に推し進める確固たる理由はありません。 二制度の施行は撤回という方向性で行かせていただきますがいかがでしょうか。 特に大賞候補数の問題は遠からずまた浮上(しかも今より切羽詰まった状態にて)すると私個人は思っております。しかし先手打つという行為自体が時期尚早なようですし、再浮上したその時にまた考えましょう。

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渡辺八畳
(2018-10-11)

フォーラムが実装されましたので以降はこちらに書き込んでください。 https://www.breview.org/forum_blog/forums/topic/space/

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