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殺させてくれたのに   

作成日時 2018-09-02
コメント日時 2018-09-26

妄想の中の人たちを殺しました が、所詮それは現実でのことではないので 僕は何も変わらずにただ突っ立っているままでした 目が眩むほどのあの鮮血は全くこの世に存在を持っていないのです 僕が興奮に身を委ねながら包丁を振るった事実さえ存在しないのです ここでの僕はもうずっと前から突っ立っているだけでした 殺人の証拠は無いからと警察は逮捕もしてくれませんでした それでも僕が殺した彼女たちの首を僕だけでも視認できていたならまだ救いがありました あの愁いとも慈悲ともつかない表情で止まった彼女たちのかけら それは確かに僕の足もとに転がりました でもそれもだんだんに見えなくなっていって いま眼球に映っているのもおそらく残像でしかありません 蹴り上げたとしても足が空を舞うだけでしょう おそろしくてとても僕にはできません 蹴ること自体が怖いのではありません もし足を振ってもそこに感触が無かったら 彼女たちは惨殺されたという事実が存在しない世界に収束してしまうことが怖いのです それでは彼女たちの絶命が全くの無駄になってしまいます 僕は確かに人を殺しました そうでなければならないのです 信じてください 本当に殺しました 返り血を浴びました その血飛沫は眼にも入って視界を赤く染めました 包丁を握る手もぬめぬめしていました それでも滑らせずに僕は彼女たちの首を切りました 砕くように頸椎を押し切った時の振動は手にも伝わってきました 本当です、信じてください、僕は本当に殺しました 僕は殺しました 僕は殺しをしたということを認めてください お願いですお願いします僕は殺しました 信じてください お願いします お願いします 刃が肉を潜ったとき、僕は確かに温かさをおぼえました それさえもただの幻だと言うのですか‼ ふざけないでください、信じてください、お願いします 僕は人を殺しました 確実に、僕は笑いながら彼女たちを嬲って 目玉をえぐって、空いた眼窩の内側を指でなぞって 倒れた背中を石で削って、華奢な背骨を露わにして 肢体が動かなくなっらた口蓋を掴んでひたすらに犯しました 本当です 僕はやり遂げました 僕は殺人鬼になれたのです 彼女たちが僕を殺人鬼にさせてくれたのです そのためだけに彼女たちは僕の目の前に現れたのです 彼女たちは自らの意思をもって身を捧げてくれたのです だから僕は誠心誠意彼女たちを殺し尽くしました 僕は感謝の気持ちでいっぱいになりながら彼女たちを殺したのです その思いは一生忘れてはならないし僕はそれに報いたいのです だから、お願いします 僕は殺しました ここには何も存在しなくても僕は確かに彼女たちを殺しました それを認めてください、お願いします 僕を裏切り者にさせないでください


項目全期間(2019/09/17現在)投稿後10日間
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2019/09/17 23時54分20秒現在
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コメント数(18)
なつめ (2018-09-02):

実は、別サイトに上がっていたものを、過去作から全て拝見させていただいたのですが、この一貫したサイコパス(と表現すると少し軽々しいか)的欲求が渡辺様の詩作活動の基盤なのでしょう。描写も今回はやけにリアルな部類では。脳内にまるで映像のように浮かんでくるそれは、もしかしたら現実かもしれないし、前世の出来事かもしれませんね。私には少し分からないのですが(分からない人がコメントした所で、引っ込めと言われるだろうと思いますが)、二次創作的な死ネタとか、好きなキャラを殺したくなる思想、というか、そういうものに似ている気がします。すいません、力量不足ですが。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-03):

なつめさんへの返信に合わせて全体へ なつめさんが言及している「過去作」とは文学極道にこれまで投稿してきた作品のことで、「非現実の人たちに」シリーズとしています。 「首ちょんぱロリ美人」(http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=462;uniqid=20160303_061_8667p#20160303_061_8667p) 「脳の中で」(http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=528;uniqid=20170503_417_9587p#20170503_417_9587p) 「疲れたときに行くオタクショップ」(http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=551;uniqid=20171003_404_9934p#20171003_404_9934p) 「ありがとう」(http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=554;uniqid=20171023_770_9973p#20171023_770_9973p) ネットに公開しているものはどれも表現が過激で、こういったものはビーレビの利用者層からは賛同を得られないだろうと判断しこちらでの投稿を自粛してきました。 しかし私も新運営となりビーレビを規定していく、つまりビーレビではこういう詩が求められるよって指し示す立場になったわけでして。まだ文字数などハード面の規定だけだし、詩の内容つまりソフト面を規定するつもりは毛頭無いですが、しかしハードの意向はソフトにも自ずと影響を与えると思います。精神だって肉体の玩具なのですから。 明文化された規定が加わることへの抵抗は当然あるでしょう。しかしそれを成そうとする私自身が、ハード面の変更によってソフト面も変わってくるとしてもいくらでも良い詩は出せるんだよって示してやろうと思い今作の投稿を決めました。 この詩自体は「なんか詩書けねぇなぁ」って時に脳内の女の子たちを嬲って書いたものです。 たぶん私はサディズム側の人間です。実際の人間に暴力振るうなんてことはしませんが、でも加虐を行いたい欲求ってはどうしてもあって。それがごくたまにネット詩掲示板に出てしまいます。他人を叩き責めることに快感を覚えてしまう。 それに対しけっこう罪悪感を覚えています。私ね、地蔵菩薩になりたいんです。あらゆるものに慈悲を向けて苦しみから救いたい。なのに私は目の前の人間に対してさえ攻撃を行ってしまうのです。地蔵なんてそんな無理だ。夢語ってんじゃねぇよ。 脳内の少女たちはそんな私のサディズムを文句言わずに受け止めてくれるんですよ。彼女たちの方こそ菩薩ですよ。私は彼女たちに救われているんですよ。そのおかげで私は詩を書けたわけです。今度は私が彼女たちを救わなければ。それは私が創作物によって私の脳内のイメージを彼女たちが救われる像に造り替えなくてはならない。(「疲れたときに行くオタクショップ」のコメントのぽぽちゃんのくだりも近い理論です) それの過程が「非現実の人たちに」です。未だ成功していません。彼女たちに甘えて殺してばっかです。彼女たちがいつまで私を許してくれるかもわからないので一刻も早く救いを与えなくては。否、どこまでも彼女たちは私に身を捧げてくれるでしょう。なぜならば彼女たちは私の脳内のイメージであって私が作ったものだからです。私が思うとおりに彼女たちは動いていきます。それが申し訳ない。彼女たちの自由意思は無いのだろうか。助けてくれ。申し訳ないと思いながらも私は加虐をやめられないしそれをどこまでも彼女たちは受け入れてしまう。喜びも悲しみも無い。ただ加虐的なイメージが形而上でどこまでも続いていく。 なんてネタで書いています。 ↑ ↓ って書かないと自分も持たねぇ。 ↑ ↓ って書くことで世界観を守ろうとしている

帆場蔵人 (2018-09-06):

舞台でひとりの男がライトを浴びながら、語っている。単に狂人の独白なのだろうか。彼女たちの献身をリアルに感じている彼は信じて欲しい、と訴えてくる。警察も証拠がないから捕まえてくれない。この少女たちは男自身の投影でもあって、それを殺害した事実が認められない、ということは自分が認められない、ということだ。だから、頼む、信じて欲しい。 などと考えて読んでました。 渡辺さんのレスは敢えて読まずに書いたのですが、他作品のアドレスが気になりましたのでじっくりと読んでみたいです。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-07):

帆場蔵人さん この詩がもっかい上がってくるとは思いませんでした。 主観と客観は明確に分けられるのだろうかという疑問を私は持っています。他者の目を借りて世界を見ることができない以上、主観でしか世界を見ることはできないのでは。我々が普段思う客観など帰納の末に推測した幻影でしかない。 是非シリーズ他作品も読んでもらいたいです。一応順番にurlを並べたので上から読んでいってください。

帆場蔵人 (2018-09-07):

渡辺さま ありゃ、送信したら消えたので、再度、送信します。 提示された作品群を読ませて頂きました。喜びも悲しみもなく続く苛虐イメージ。そこに読み手は何を、どんな詩情を抱けるだろうか。 刻みつけられた詩では脳内の少女たちを嬲り、殺していく。同じくサディスティックな嗜好の方なら受入れられる内容なのか。 疲れたときに行くオタクショップのレスでホラー詩だと言われていたので、怖さ、不気味さ、不快感、などがあればいいのかとも言えますが、グロテスクな嗜好のつぶやきでしかないのかもしれません。普遍的に共有できるイメージではない事は確かです。 ぼくはホラー、オカルトからスプラッタなどの映画や漫画、小説を好みます。これらででもバンバンと消費されるように、シナリオに必要でなくとも人は殺され、死にます。もう笑っちゃうぐらいに、コミカルですらある。 だから今作も期待してしまうのです。渡辺さんならホラーを詩に落とし込めるんじゃないか、と。趣旨が違うと言われるかもしれないですが。 渡辺さんの作品だと首ちょんぱロリ美人はコミカルさがあり、疲れたときに行くオタクショップは不気味さや倦怠感、不安をくすぐる奇妙な味わいを感じます。これらは結構、面白く読めました。他の作品は生々しく過激な内容でぼくは正直苦手です。 ただ殺されてくれたのには生々しさはありますが独り舞台を観るような、何を語るのだろうか?という感覚を得ました。なつめさんへのレスで地蔵菩薩になりたい、と言われていますね。自身の中の暴力性と菩薩のようになりたい、という葛藤が作品に織り込まれていたら、いや殺した少女に報いたい、忘れてはならない、という哀願がそうなのだと、レスを読んでから考えたのですが、彼女たちが救われるまでの長い道のりの途上、次作にどんな変化が現れるのか、楽しみではあります。 長々と未熟な語り失礼しました。渡辺さんのひとりのファンでもあり、つい口を出してしまいました。

まりも (2018-09-07):

魔女狩りの記録を読みながら、へ~ほ~は~と、どこまで人間残虐になれるんだ、と感心しつつ、ちょっとワクワクしながら読んでいた時のことを思い出しました。明治大学の地下にある、拷問用具の博物館、面白いです。聖人たちがいかに残虐に殺されたか、と「悲惨さ」とそれゆえの「崇高さ」を語るはずの語りが、嗜虐趣味を満たすような逆転現象を起こしたりするところにも興味があります(ちなみに、高校時代はクトゥルフ神話にはまってました) わたしにも首ちょんぱ系の詩があるので、投稿してみますね。 作品そのものに関していえば、最初の三行は必要なのだろうか、ここは外した方が衝撃度が高まっていいのではないか、と思いました。どちらにしろ、妄想で殺しているのに、それを信じてもらえない悲哀(自分は本当に殺しているという実感が、まだまだ得られない、殺したりない)を畳みかけていくところで、非現実である、ということは明らかにされているわけですし。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-09):

ふたたび帆場蔵人さん オタクショップよりホラーに徹した詩って一応あるっちゃあるんですよ。「受験勉強」(https://www.breview.org/keijiban/?id=808)とか。ただ現在明確にホラ―って銘打って詩を書いていないのは、テーマにするまでもなく私の詩にはホラー要素が絡んでくるのと意外とホラー詩って難しいねって結論に至ったからで。ホラーなストーリーじゃダメなんですよ。むしろ風景でホラーを為さなきゃ。それむずい。 他方「非現実の人たちに」シリーズは自分としてはホラーでなく、むしろ純愛として書いている節があります。互いの血で薬指に輪を描くような感じ。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-09):

まりもさん 最初三行は「脳の中で」にて頻繁に挟まれる「脳の中で。」と同じです。虚構の世界でもさらに虚構にしてあげないと書き手の私がもたない。 と言いながらも詩にて惨殺するのを楽しんでいる節もあって。そこの矛盾だなぁ。 明大のは知ってはいましたが未だ行ったこと無いです。やっぱなぁ、そういう文化と触れ合う機会の差ってのが都会と地方の違いだわ。行ってみたい。明大には米沢嘉博記念図書館もあるし。

カオティクルConverge!!貴音さん (2018-09-12):

渡辺さんへ イマラチオ(本人)から返事を頂けました。 ちゃんとやってと伝えといたので 真面目に読んでると思います。 首ちょんぱロリ美人 俺が見てる範囲では ビーレビや文極でこの詩を書いているのは君だけだな。 ただ俺より詩を 表現を 感情を理性でよく考えて表現している。 またはしてしまっている。 ユーモア・ポップってなフィルター ブレーキが掛かってるんだと思う。 ハッピーツリーフレンズみたいだ。 おかげで読みやすいが。 俺の世界だったら空気の抜けたバスケットボールみたいに音だけ立派で 首はそんなに弾まない。 叩きつける度に地面に血の花模様を作る。 砕けた頭蓋骨や顔面骨をこねながら感じる。 脳の中で この中では一番好きな詩だ。 頭の中では俺も人殺しだ。 そして現実世界でも罪人だ。 それは良いとして 現実的な表現で脳内の女に暴力をふるっているのが良い 自分がこの能力を使えたら そんなのを妄想して超人化しているようなのがあるが そんなのより断然良い。 俺もついついやってしまう事だが 一方的なのも悪くないけど もう少し女の人間らしさ 少し抵抗とか 咳き込んで血反吐だすとか その辺の生きてる感じが欲しいよね。 人形を殺しているみたいだなってなるときがあるんだ。 後、真っ白の部屋ってよりは 自分の部屋に召喚して欲しい。 疲れたときに行くオタクショップ  俺は頭の悪い文章を書いて 自分の射精じゃ処理しきれないものを 処理しているわけだが 俺がもう少し賢くて 色んな事に関心が有れば 君の様になっていたのかも知れないな。 それが良いのか悪いのか分かんないけど。 書いてみたい詩が幾つか出来た。 女に人形を突っ込んで 射精をして 融合させて 生きた二次元ダッチワイフを作る話。 人形に視姦されて興奮する話。 大人しそうな夫婦が歩いてる。 女は孕んでいる。 こいつらのセックスを想像する話。 なんか色々と浮かんでくるよ。 ありがとう。 ありがとう これは縦書きの方が好きだな。 インパクトは感じた。 だけどさ 俺って曖昧な感じ 抽象ってのだっけ? それが苦手なんだわ。 俺はこの詩に それを感じてしまった。 殺させてくれたのに 俺さ こうやって 割り切って来たんだよ。 それで完結したかったんだよ。 だけどさ 周りがそうさせてくれないのよ。 そうしているうちに こいつらがどうでも良くなってくるの。 いつの間にか踏んでしまった蟻と 同じ位になるの。 最早空気になってさ 頭から浮かばなくなるの。 浮かんでもなんも感じないのよ。 殺人鬼になれた!ってよりは 殺人鬼に慣れてしまうのよ。 そうやって過ごしている内に 形にしたくなるのよ。 でも度胸ないから 小さいのから始める。 だけどそれにも慣れて 次に飼育小屋。 次に野生動物。 次に近所の犬猫。 そうやって人。 少年院ですわ。 俺の昔を思い出すわ。 君はそんな事なさそうで良いな。 俺もここで止まりたかったよ。 俺さ 料理と大工好きなんよ。 それと詩で我慢してんの。 辛くて助けて欲しかったのにさ 今じゃ憑りつかれちゃってんの。 馬鹿みたいでしょ? まぁさ 懐かしいって思ったよ。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-13):

カオティクル氏を仲介にしてイマラチオ氏に私の諸作品がどう読んでもらえるか頼んでいたんですね。それの返答が上記です。御二方ありがとうございます。 「感情を理性でよく考えて表現している。/またはしてしまっている。」ってのは多分そうだろうなと思います。イマラチオ氏の返答を見るにああこの人は真性なんだなと察しまして。まだ作品だけなら芸風としてやっている可能性もあったわけですが、コメントから垣間見える作者の像はこの人にしてこの作品だと言わざるを得ない形かなと。 私も書きはするわけだからそういった傾向が全く無いわけではないだろうが、しかしイマラチオ氏と比較したらフリでやっているだけだろう。「君はそんな事なさそうで良いな。」そうなんですよ。それが創作において良いか悪いかはまた違ってくるが。草間彌生だって統合失調症は彼女に大きな苦しみを与えつつも偉大なる創作力を与えてくれている。じゃあ逆に彼女が罹患していなかったらどうなっていたのかと。統失持ちを是とするかどうか。 十中八九私はイマラチオ氏の段階には行かないし、行けない。それは強さなのか弱さなのかはわからない。

羽田恭 (2018-09-15):

自分の場合、彼女たちを刺しているうちに自分自身を刺している、という風にしてしまいますね。 ただそれも妄想で。彼女たちも刃物も傷も、その衝動も。自分自身さえも。 ならそれらに苦しめられえる必要もない。 自分にも彼女たちのようなものはいないわけじゃないのですが、次第次第に、遠いものになっていっている気がします。 役目を終え、別な仏へとなっていっているのでしょうか。 >地蔵なんてそんな無理だ。夢語ってんじゃねぇよ。 アングリマーラという釈迦の弟子がいるんですが、元殺人鬼でした。 999人殺したとか。それは誇張でも、殺人鬼だったのは事実らしく、テーリーガーターという経典に自分で詩の中でそう言っています。 しかし悟りを開き、尊敬されるべき存在になっているんですよね。 なら夢ではないのでは。 >それは強さなのか弱さなのかはわからない。 ただ立場が違うだけな気はします。 偉そうな事を語ってしまいましたが、祝儀敷さんの齢の頃の自分は全方向的に酷かったんで。 変われる時は意外と変われるとだけ言っておきます。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-16):

羽田恭さん 地蔵になんてなれねぇって苦しんでいるようで、そんな中途半端な存在である自分が可愛いこのままでいいと思ってしまっている部分もありまして。悪い方面での自己肯定。ダメなままでいいんだよと。堕落するタイプです。 「非現実の人たちに」シリーズのバッドエンドは自己の欲望のはけ口としてつくられた脳内存在たちに対し詩中主体は「自分の作ったものなのだからこの暴力行為をも喜んでいるということのできるし、自分がそれを信じさえすればそれが真実になる」と一切のエゴを肯定してしまう結末です。まだそれを書くに至ってはいませんし、書いたとしてもまるでギャルゲーのように別のエンディングを求めて時間を遡らせるでしょう。しかし今はこのバッドエンド以外のゴールが見えません。エンドはエンドだし一応脳内存在の少女たちも救われる(と詩中主体が本心で思うようになる)からいいのだろうか。想像の産物とはいえそこまでエゴのままに成り立たせて良いのだろうか。彼女たちを救いたいと心から願っていた初期の詩中主体は何処に行った。 このシリーズ終わる気がしません。

鈴木 海飛 (2018-09-24):

死ぬ気でやってみろと誰かに言われても、自分が誰かに言っても胸に空洞が空いたようにスルリと抜ける感じがあります。それは奇妙で空疎な感覚です。死が分からないから、という単純な理由だけではないのかもしれません。 ただ殺す気でやってみろ。と己に言われると、実に説得力がある。 そうだ。殺す気なら分かる。 こんなことを書くとヤバイ奴だと思われるかもしれませんが、経験に学ぶことばかり繰り返してきた私にとっては、何かがピタリと来る。殺意を抱かずに生きてこれたなんて言うつもりはない。 そういう風に、(そういう風にってのもどんな風にって話ですが)殺意と一定の距離を置きながら読むと、この詩は空疎には感じられない。 想像なのに生々しい表現への技術力がある。と思いました。

み う ら (2018-09-24):

渡辺さんの作品はほっといてもコメント付くから全くコメントする気がなかったのだが、渡辺さんの返レスに「私ね、地蔵菩薩になりたい」とあったのを見つけてしまい笑ってしまいました(失礼) で、本作が持つ本質って「書かれた理由」を探らせるミステリーだと思う。カポーティの「冷血」と同じ。あれも事実の殺人者がなんちゃらよりも、創作スランプにあったカポーティの理由の方に意味がある。それは作品の本質がスキャンダラスだから。本作「殺させてくれたのに」も同じ。この作品の内容が残虐さ云々という批評は文学の世界では妥当なことではあるが、エンタメ(そもそも渡辺さんの作品は文学じゃないよ。エンタメ!)としてみれば、その訴求力の要因はスキャンダラスだということ。そこからすると、作者が創作の関係理由として地蔵菩薩になりたいと言うのだから、めちゃくちゃ確信犯だし、大した役者だ。

社町 迅 (2018-09-25):

短いコメントで申し訳ないのですが、作品と、コメントを読んで・・・ 殺しもレイプも、詩で使うなら極めないと(極まった所を知らないと?)やっぱり映像や発言に敵わないのかなあ、と思いました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-26):

鈴木海飛さん 現在私は飲食店アルバイトをしていてもう3年半以上経つのですが、最初の頃は「客を接客で殺す」という気持ちでやっていました。なにかと古い店なので教育体制もなってなく見て覚えろの世界だったのでストレスマッハ。その気持ちを接客へぶつければいくらかは上手くやれるでしょうと。ある程度は効果ありました。 今はもうベテランなので体が勝手に動くし鼻歌まじりでスラスラ動けますけどね。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-26):

三浦さん 実際これを書く際にはごめんなさいごめんなさいと苦しんでいたのですけど、その状態を俯瞰して見ていてあまつさえネタにして使えるなと思案している自分もいまして。人間に勝るコンテンツはありませんよ。 地蔵なりたいっては本心でして、Twitterでもときたま深夜につぶやきますが、それがネタとして見られるってのも重々自覚しています。 >そもそも渡辺さんの作品は文学じゃないよ。エンタメ! その通りでございます。他の皆さんも私や私の詩を芸術でなくコンテンツとして消費しちゃってください。

渡辺八畳@祝儀敷 (2018-09-26):

社町迅さん 状況説明という意味なら実録映像に文章が敵うことはできないでしょう。見ていないけど、バッキーのAVなんてやばいらしいじゃないですか。 しかし文章なら予算など関係なしにやりたい放題です。 ウクライナ21とか、最近は都市伝説の存在であったスナッフフィルムがネットでただで見れてしまいます。でもそういうの見ても結局殺し方のバリエーションは多くないわけでして。まぁそりゃねぇコストとか色々ありますから。本数だってほんの僅かですし。動物相手の方が様々な殺しを見られます。いま調べたところ、世界最古のアニマル・スナッフフィルムは1903年の像のものらしいです(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0) 「倒れた背中を石で削って、華奢な背骨を露わに」する映像なんて今後も出てこないでしょう。てか石でそんな削れんのかって疑問もありますし。詩ならそれを表すことができてしまうのです。

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