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恋人さえ、いれば。
綺麗事を人生の手札の1つに加えたいだけなんだ 人生、綺麗事で自分を飾ってないとやってられないと思う。どんなに真面目に生きたところで、必ずやそんな生き方を否定してくる人が(現実にであれネットにであれ)現れる。常識に縛られている、つまらない、愛想を貼り付けて生きている、等。 しかし綺麗事は違う。綺麗事を言うとき、彼/彼女の目は輝き、顔は火照りさえしている。そして、そんな彼らを否定することができるのは、その発言が嘘だと証せるときに限られる。つまり綺麗事は"強い"。 おそらく綺麗事を言うのは、ほとんど人の本能のようなものなのだろう。誰だって自分を強く美しく見せたいから。そう考えれば、それこそ大げさな大義や政治信条などでなくとも、たとえばちょっと自分を"綺麗に盛る"といったことだって、立派な綺麗事だ。 自分のことを言えば、とにかく彼女が欲しい(!)そうして彼女にベラベラと綺麗事を語りまくりたい。綺麗事はそれこそ悩み相談に付き合っている折りなんかにだって出る。 「毎日毎日同じことの繰り返しでつまんないわ」 「分かる。でもさ、繰り返すことこそは、人のなしうることのなかで最も美しいことの一つ。みたいに考えることだって、できるよね?」 つまるところ、生きるということの根幹に綺麗事はあるのだと思う。人に認められるには、やはりある種の美しさが必要だから。そして自らの営為が美しく思われるためには、言葉を飾るしかないことだって多いから。 逆に言えば、言葉を飾りさえすればありふれた営為すらも美しくなるのであり、その意味では著者のように「全てがほしい」なんて思わなくたっていいのだと思う。語る相手さえいれば。ともに目を輝かせてくれる相手さえ、いれば。 全て=恋人。そのように、僕はこの作品を読んだ。
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恋人さえ、いれば。 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 919.1
お気に入り数: 0
投票数 : 1
作成日時 2026-01-10
コメント日時 2026-01-17


綺麗事、めっちゃ言います。 言ってなんぼ。 ただし、彼氏には言わないカナ。 彼氏は現実だから。
1恋人つまり彼女なんでしょうが、そういうものは 三ケ月ごとにとっかえひっかえするんが一番新鮮味もあり ゴタゴタもなく、心にもカラダにもうれしい出来事なのですよ。 あんまり恋だの愛だのといったたわごとに惑わされちゃいけません。 人生後悔するのもいいけどね。あひっ。笑
1このように作品を取り上げていくことに意義を感じるので、一票。 >>人に認められるには、やはりある種の美しさが必要だから。 という一文が響きました。
1女性こそは現実的である―そんなことを思い起こしました(笑) 個人的にはやはり、互いに綺麗事を言い合えるような女性に巡り合えたらなあ、と。もちろん、地に足を着けつつ、です☆☆
1どう返信すればいいものか悩んでいたのですが、散歩中にいい応え方を閃いたのです(笑) …そんなことをすれば、彼女が悲しんでしまうでしょう。女性を悲しませるわけにはいきません(キリッ)
0投票くださり光栄です♪♪ ただ今回は、まず作者さんが想定してはいないだろう読みを強引にしてしまうという、そんなゴテゴテとした批評であり、もっと言えば我田引水な強引さがあった気がします。 これからは作者さんの意図も十二分に汲むことを前提に、その上で自分なりの読みなり解釈なりを提示する―そんな二段式で行ければ。
0そうかな? どうせ長引けば互いに飽きるか怒るか悲しむか ひどいのになると憎悪がつのる。もっとそれが高じると殺し合う。 それが男女ってものです。 彼女がもし悲しむとすればそれはエゴからであって、 独占欲からの錯覚です。 あなたのほうも錯覚を愛といっている。 せっかくコメント頂いたからありがたいのでひとつ だけお伺いしますが、愛が必ずセックスに至るのは なぜです? なぜセックスとワンセットなのです? 愛がほんものならセックスする必要ないでしょ。 でもセックスしないと愛されていると感じない。 ならば愛は最終段階のセックスに至るためのたんなる方便では ないのでしょうか。自然界の子孫存続のために鳴く 小鳥たちや犬たちと同じ。それならべつに とっかえひっかえでもいいじゃなでしょうかね。
1追記 あえて倫理的な側面からお答えしておきますと じゃあおまえは一生そいとげたいと思える彼女に 出会ったことがない哀れなやつなのかといわれそ うですが......一人だけいます。そらくだれでも。 わたしが胎児の状態だったころの母親です。 この「絶対に飽きない唯一無二の存在」の現世的 な幻想が"恋人"です。 じゃあ女性はどうなんだ、女性が母親の存在の現 実的な代替として男性の彼氏を唯一無二の存在と して幻想するのか? と首をかしげるでしょうが、 女性の場合も同じです。女の子は母親の代替とし て父を求めますが実は母親を求めているのです。 だから「父」とは=「チチ=乳」なのです。母乳 の発音をともなうのです。こんなこといってる 精神分析学者なんているのかどうか知りませんが、 恋愛とは互いにそういう幻想を互いの相手に抱く ことをいうじゃないかとおもいます。 つまり、私たちが恋愛で相手に抱く「この人こそ 運命の人だ(唯一無二だ)」という感情は、母親 との一体感をもう一度味わいたいという強烈な 「幻想(プロジェクション)」に過ぎない。 そうすると幻想は幻想にすぎませんから、いずれ 必ず破綻します。はい。そのとき憎悪や恨みや 哀しみ絶望などが襲ってくるでしょう。 だから「幻想が破綻して憎悪に変わる前に、あら かじめ関係をリセットする」という態度は、極め て高度な自己防衛、あるいは「相手を憎まないた めの優しさ」ということになります。 むかしの人が非情にみえて合理的だったのはお見合 いという婚姻形式にはこの幻想がないから、あとあと 憎悪や哀しみがなく、むしろゼロから愛のようなも のを育て上げていく過程があるからです。だから 家庭=過程というのかどうかしりませんがね。笑 あひっ。
1追記 以上はリアルな現実のはなしです。 この現実を踏まえた上で(踏まえないと次に 進めないのですが)わたしは小説や詩や映画で 熱烈な純愛─無垢で、激しく、自己犠牲的な 純愛を描きたいとして日々悶々します。それは このようなリアルをちゃんとふまえているから それへの反抗や神のオモチャとしての存在からそれから 逸脱しよう、自由になろうとして創作するので あって、まさか、現実と芸術を一緒に考えての ことではありません。現実がそうじゃないから 逆に芸術つまり表現としての虚構を要するのです。 みなさん、なにか現実の生身の人間と芸術的世界 を混濁して語りすぎじゃないでしょうかね。 長文を重ねてきまして失礼しました。ふだんは ここまでいわず、最初のコメントのようにかなり ラフな感想を述べるにとどまるのですが申し訳 ありません。ありがとうございました。
1正直なところ、室町さんの発言のことごとくに同意しかねるのですが(苦笑)、でもその熱意はしかと受け取らせていただきました。 話は飛ぶようですが今日、詩を書くとは一体どういうことだろうと、そんな大上段からの問いをクソ真面目に考えていました。仕事中に(おい) 最初に、詩とは祈りであるとベタに考えました。しかしそうすると、祈っている自分に酔うことをも肯定しなきゃならなくなる。ごく若い方ならともかく、たとえば一生涯そんなスタンスで書き続ける人を想ってみて、抵抗を感じるなという方が無理があるなと思ったのです。その人の人生そのものを否定するとかではもちろんないのですが、こと詩作においては"引いて"しまうだろうと。 といって逆に、いささかの祈りもないような詩はやはり不毛だろうということで、そうして僕は、ささやかに祈るというスタンスでこそ詩を書くべきだという、穏当というか面白みに欠ける(?)結論に辿り着いたのでした。 もう少し具体的に言えば僕は、自分の詩の実力にかかわらず、所詮一個人の感慨ですがといった謙遜とともに人に差し出す、そんな態度を浮かべていました。そして思ったのです。これって、気持ちのいい人のコミュニケーションそのものだな、と。 ここで恋愛に接続させていただくのですが(笑)、恋愛でも、恋愛においてこそ、謙遜が鍵になってくると思うのです。僕の私の、一感情でしかないものを抱き止めてくださっている、ということ。そしてそんな瞬間を積み重ねさせてくださる、どうしてだかずっと一緒にいてくださっている、ということ。そんな奇跡への畏敬の念こそが、恋であり愛ではないか。そのようにすら思うのです。 論理的に言うならば、だから恋も愛も、関係の結果であるとともに条件でもあるのだろうと。そこに折に触れて立ち返ることで、それこそあたかも"その朝"に、2人新しく出逢ったかのように感じ続け得るのではないでしょうか。 人ごとのような言い方でなんですが(汗)、特にセックスがなくたっていいのだと思うのです。語らい合い笑い合えたなら、それで十分なのだと。残念なことに片思いの経験しかないのですが、好きだった地元の人は、彼女への恋愛感情こそ薄れましたが、今でも世界で一番大切な人であり続けています。彼女を、世界で2番目に大切な人へと格下げしてしまうような、そんな女性に出逢う日を夢見て、日々を送っているところです(笑)
0評と詩を読んで見ました。評を読んで、詩を読んで。詩を読んで、評を読んで。助けてくれよ?の「?」の部分が疑問文なのか、要請なのか、この詩作者すらどっちか分からずに懐疑に陥って居るのか、判断が難しいと思いました。
1>正直なところ、室町さんの発言のことごとくに同意しかねるのですが(苦笑) そりゃそうだろうな。 わかるくらいだったら最初からきみはこんな幼年文学のような 文章は書かないだろうし、 わたしも幼稚な小学生をさとすようには書かないさ。 道端に落とした異国の紙幣はいくら高価でもだれにも拾われず 風に舞って消えていくものだよ。(ガキじゃないからきみのように 「苦笑」などは書かないよ)じゃ、お元気で。あひっ。
1https://note.com/ao10ji/n/n6d63022ab4ac
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