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生の事実
事実の直観は、 くもりを抜けて見通すことによる 苦しみがわたしに教えるのは、 存在はひとりではないということ 矛盾が苦を生み出す。 従って、矛盾の苦の存在によって、 ふたつのものがあることが証明される。 より確かに言えば、愛の光、 従って光の粒子は、ひとつではない。 聞くがよい。 愛は可能性である。 愛する者との可能性に生きよ。 求めれば与えられん。 否定作用の向こうに光はある。 心臓の中にある真理が、 汝を導くであろう。 そして全てが報われる 永遠の光の中に 溶け切っていく血の涙 明るい時代がやって来る 透明な涙が 汝らの眼を洗い流し 完全なる覚醒へと 深く導くだろう 愛を求めよ 愛は決して人を裏切らないのだ 存在の涙を 喉の奥へと飲み込め 血が巡る 身体のうごめきは すべての明日を 人にとどけようとしている
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生の事実 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 909.8
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-11-10
コメント日時 2025-11-15
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
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| エンタメ | 0 | 0 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


わたしのような無知無能の庶民大衆には高尚すぎて なにを仰っているのかさっぱりわからないのですが、 ひとつ疑問なのは、 こういう言葉をどうして自分に向けて励まないで他人に 向かって語るのでしょうか? 自分がこの言葉にどう対処しているか、その現状、動機、 失敗などを具体的に語らないで、そこはブラックホールに したままどうして自分のモチーフを他人に強制するのでしょう? そこがわたしには到底理解できないのです。 あなたはあなたがやっているところを黙って見せれば いいような気がします。他人に向かって愛を求めろとかそんな ことを強制しないでも、人はあなたの背中をみて自然に理解 するでしょう。 黙って実践している自分の背中を見せればどうでしょう。 わたしは今のところ愛よりもすこしばかりPCを買い替える 小金が欲しいのです。愛はもう腹いっぱい貰って満腹です。 そしてわたしがもらった愛はわたしにしか理解できないので他人に 与えることはできません。普遍的な愛など、どこにもないのです。 キリストですら、ブッダですら、道端に死にかけている人をみても なにもしなかった。聖徳太子は別ですよ。ちゃんと歌を詠んでいる。 しなてる片岡山に飯に餓ゑて臥せる その旅人あはれ 親無しに汝 生りけめや さす竹の君はや無き 飯に餓て臥せるその旅人あはれ あなたも人さまに愛を強制しないで、ご自分の穴を掘られては いかがかと感じたい次第です。 ちょっと厳しい言い方になりましたが心の広い黒髪さまだから すこしばかり警戒をといて甘えた次第です。ご容赦。
3そうですね、励まし合っていけばいいと思ったのです。わたしもtakoyo2さんも相互依存しており、takoyo2さんの疑問はわたしの疑問でもあり、わたしの疑問が、takoyo2さんの疑問でもあるからです。わたしの知る限りでは、ブッダは、病気の人や、疲れた人を、自らの手で、熱心に看病したそうです。キリストも、したはずですが、よく知りません。戦いの際には、背中を見せれば勇気づけられるでしょうが、そうではなく、詩の場合は、言葉を使って、正面から語った方がいいのかな、と思っています。正面からぶつかることを、takoyo2さんは、快く思いませんか?
0黒髪さま。 「正面から語る」のはいいことですし、わたしも常にそうしています。 話をしているのに相手に背中を見せて話をするのは失礼ですし。笑 わたしの言いたいことはそういうことじゃないのですが、うまく言えません。 むかし読んだ本でニーチェが梅毒で発狂する前に『この人を見よ』という 自伝を書いてます。自分のことです。つまり「おれを見よ」ということですが じぶんが神だと思いこんでいたのでしょうね。詩人にはそういう人が山程いて 自分の詩こそが最高だと内心思っている人ばかりです。口には出さないけど。 ほとんど狂気だと思うのですよ、詩人ってのはでもほとんどがおれの詩が世界 最高だ、そう思っています。そういう意味では黒髪さんは 詩人の王道を歩いているので、あまり批判はしたくないのですけどね。 う~ん、どうして批判したのかな。笑 返事を書いているうちにわから なくなりました。 たぶん、押し付けがましさを感じたのかもしれません。その押し付けがましさを なんとか消去できれば黒髪さんは、第二のモハメッドやキリストになるかも しれませんね。 失礼しました。
2愛は、マニュアルとして迎合に歌われていればいい。 なので、神や愛を言葉で語る人物を本気で信用はしていない。 わたしは矛盾に満ちた人間で、ペシミストです。 ~最後に愛は勝つ~などと歌われても、本気でそうは思っていない。皆さんはどうでしょう。 汎神論的なアニミズムを受け入れてはいますが、 仏教徒として、阿弥陀籤、じゃない、手を合わせて「阿弥陀仏」も拝んでいます。 どちらかといえば繋がりという惰性がそうさせている。 黒髪さんの語る「愛」 これも自分の中にある願望としての理想を語らせているのでしょうが、 わたしは先にも述べたようにペシミストです。 わたしを詩作に向かわせる主な動機は怨みです。 天命や天運を指す(神)人々に勇気と希望をもたらす(愛) この言葉されてはいまでも文明の河に流される二つの意味 これが憎らしくてたまらない。 なので、仮に、 ここに歌われているような文句を口にして、 白い衣を纏いわたしに近づいてくるお人がいるならば、蹴りがでる。 三秒後には、その人は階段から転げ落ちるはめになるでしょう。
2わたしは、名前のように、ブラックローブに身を包んでいますよ。
0いつものように愛の求道者である黒髪さんがジョージハリスンしている印象です。 愛はウェットなものだと思いますが、私はドライ派です。日本人にはウエットは分かるけどドライは分からないのだと大瀧詠一さんが語っていました。 恋愛をテーマにしても社会派的な側面がないと私はほとんど読みません。黒髪さんは社会問題に無関心な人ではありませんよね。そういうちょっと分かってるところに惹かれて読んだりしているのかもと思いました。 愛の問題を社会問題にまで幅を広げて歌うのはビートルズやビーチボーイズがやって来たことであり、黒髪氏もその伝統を受け継いでいると思います。 ただ、気になるのは否定や疑問を拝することにより引っ掛かりを無くしていることかな? ジョンレノンもブライアンウイルソンもどこか愛に対してもなにに対しても懐疑的だったと思う。 黒髪さんは心地いい方向に流れていくのか、そういうニュアンスを否定してザラッとした感触がなく、ツルンとした綺麗な感触に終始してしまうところがあると思う。そこで悟りまで行ってしまうというのは逆に面白いんですけどね、読んでいて。 ハードロックもヘヴィメタまで行くと元の居心地の悪さを拝して、ヨーロピアンテイストを前面に出して綺麗な方向に行くと思うんですけど、マリリンマンソンまで行くと、その毒気をだしたいっていうのがあったんで面白かった。 総合して総評すると、読みやすく綺麗な文章だと思います。そこになにかお汁粉に塩を入れるような味付けがあるとさらに良し。
1社会問題というと、社会で愛が果たす役割ということですね。エロスよりは、フィリア、アガペーなど。ビートルズは、各メンバー間の中のよさといった問題を抱えており、フィリアに関する試練に耐えきれませんでした。一方で、アガペー的な所をうたい上げた。ジョンレノンは、ヨーコとの愛が有名ですよね。ドライやウェットというのは、気質的なものを指しているのでしょうが、さらっとしているのと、ベタベタしているのとでは、クラシックと演歌の違いのようなものがあると思います。ジョンレノンの場合、両親の問題を抱えていたので、すごくかわいそうですけど、ベッドからの世界革命は微笑ましいです。日本人がビートルズというと、「Let it be」なのは、演歌との相性的なものだと思います。
1黒髪さん初めまして白い影法師と申します。 難しい事は解らないので直感で読んでみました。 矛盾が生み出すのは苦なんですね。 影を生み出すのが光 光の存在を示すのが影 愛は憎しみへと変わるやも 憎しみは愛より生まれたものやも 矛盾は一つのものでは感じれ無い 矛盾から相反するものへの 可能性は生むれないでしょうか? 喉の奥に飲み込むものは 愛が憎しみへと変わる可能性への 覚悟かもと作品を読んで感じました。 人それぞれに覚悟を持って 明日を生きてゆきたいですね。
1白い影法師さん初めまして、黒髪です。矛盾が苦を生み出し、すべてが苦しみであるという理解(苦諦)から、悟りに至る。愛と憎しみの双入(互いに手を出し合う)関係。存在の悲しみの涙をのみ込んだなら、血が巡り、身体は活性化する。覚悟とは、わたしの場合は、あらゆる苦しみを徹底的に取り除き、全無明(無知)を克服する、という覚悟です。自分の言葉に責任を持ち、他者の存在に責任を持つためには、度胸と智慧がいります。少しずつやって行けばいいと思います。慈悲の心を持ち、執着を離れるならば、人間への愛を失うことはないでしょう。限界はありますので、あまり気張らないでやって行けばいいと思います。
1Laingでも読んでろ
1そうするよ。一冊持ってるから。
1そろそろ「Bレビ運営・黒髪の駄目さ」みたいなのをきっちり言語化した方がいい気がする。そういうの書こうかな。
1大学生の頃、ダメ連にそこはかとなく憧れていました。黒髪の“駄目さ”はそのへんの残り香かもしれませんね。
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