ばかだったことがばれて、すべてのぎぜんしゃたちに、おおあわてでみはなされたおにいちゃんへ
おにいさん、しんでくれてありがとう
おにいさん、しんでくれてありがとう
すべてのきずついたこどもたちのために、このことばをささげます
おにいさん、しんでくれてありがとう
せんのかみさまがみな、あなたをみている
おふろばにぼくをつれだして、ふくのうえからしゃわ~をあびせてぼくをなぐったよね
せんたくものをしまう、どあのまえにいるぼくをじゃまだとけとばしたよね
がっこうにいくじかんにふとんにくるまっているぼくを、おとうさんにめいれいされて、ふとんからだしてぼこぼこになぐったりけったりしてまっかにはれたかおでがっこうにいかせたよね
まいにちぼくのはらをけり、かおをなぐり、ばかとちいさくしたうちしていい、まともなにんげんだったらとてもきいていられないようなおんがくでせいこうをゆめみていたおにいちゃん
それがかなわないと、ふぃっしんぐさぎのようぎをかけられ、ほうかじけんでたいほされ、せいしんびょういんに。
このくにのひとたちはあなたみたいなばかに、かわいそうだなどとこころをよせ、おとうとへのしょうがいこういはみてみぬふりがへいきでできるだいぎぜんしゃばかりなんだぜ
おまえになぐられてちちおやにもなぐられ、じなんにけいさつをよばれて、ふけいにもうそうをしゃべっていたといわれてせいしんびょういんにいれられて、せいしんしょうがいしゃにごういんにさせられた
けいさつにつれられたとき、おまえはじゅんぺいがいっちゃった~といったそうだな
おれはおまえみたいなくずのくだらねえおなぺっとじゃねえんだよ、このばか!
おまえがせいしんびょういんでころされるのを、すべてのきょうせいにゅういんにくるしむほんとうのひがいしゃたちが、よろこんでいる
おまえはもう、しんだ。このいちねんで、しぬんだ。せいしんびょういんで、ころされるんだ
もし、ころされなくても、はいじんいかのにんげんにされて、ひととしてのせいを、おえるんだよ
このしを、すべてのぎぜんしゃにはくだつされても、わたしはこのしをとりさげない
えいえんにこのくにのくずどものために、はかばまできざみつける
ことばよ、てくのろじ~よ。ぶんめいのりきよ。すべてのこどもたちのきゅうさいとこのくにとせいぎのために、つくしたまえ。ああめん。
いまも、たくさんのつみなきこどもたち。おやのひがいしゃとしてのこどもたちが、せいしんびょういんのきょうせいとおやのどういにより、せいしんびょういんにとじこめられ、くるしんでいます。
作品データ
コメント数 : 11
P V 数 : 738.8
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2025-07-11
コメント日時 2025-07-14
#現代詩
#動画
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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2025/12/05 19時00分47秒現在
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全編平仮名ですし、You Tubeも聞いてみました。決別文にように見えます。お兄さんは本当に死んだのでしょうか。この詩を読んだだけではわからない事実が隠れているのかもしれません。この詩を読んで、この詩に即した感想で言うと、このお兄さんはトラブルメイカーだったのかもしれませんし、文字通り詩に書いてある通り迷惑お兄さんだったのかもしれません。精神病院の問題点を告発しているのかもしれません。「おにいさん」を通じて、見られる社会の病理が、この詩に濃厚に反映していると思いました。
1決別文、と上の人がコメントされてるけど、そういう意味合いはあるのだろうね。 この詩、あちらで見たときにも全文ひらがなって、何か意図的にもオブラートに包まれたように読めていいアイデアだと思った。第三者が見ればね。書き殴るような辛辣な怨みで綴られているのも、ひらがな表記にされることによって幾分か和らいでくる。幼少時代に戻るからだ。 読み手を意識してわざとそのように思わせるのも、これは多分に自省心が働いているからだろう。 『レクイエム』そう、祈りのように。 葬儀のお経は死んで祀られている人間にではなく、その場に参列する生きた人間に教えを説く為のものだという。 この全文ひらがなの詩もそうだろう。 これは語らせている作者自身の供養の為に、 、それは切っても切れきれない縁を断ち切るという思い。 一文字ひともじが、作者自身の為の決別の涙でもあるのだ。
1怒りの洪水が渦巻いていますね。偽善者は質が悪い。頑張って、己の権利を使用して、生き延び、夢をかなえて下さい。
1どうしようもねえ兄でした。そのどうしようもねえ兄の父親は更にロクでもない父親でした。 勉強が下手に出来る人っているでしょう? そう言うので兄も勘違いしたんだと思うんですけど、幸せになる力がないっていうか。末路は慌てたと思います。どうしようもない。自分が完全に弱い目の立場になった時に、自分は今まで自分より弱い僕をいじめてたと言う。そしたら正義が見つからなくなってしまったと思うのです。滅茶苦茶に気が狂って赤子のようになって、もうダメでした。警察に捕まって精神病院。もう再起は不能かと思われます。 家の中で、油をばら撒いたこともありました。彼が小六の時のことですが、逮捕される前もやってたな。窓ガラスを蹴っ飛ばして、真っ赤な足でお風呂場に一緒にいた僕に謝ったこともあります。どうしようもない心の働きを止めることが出来ないと言う感じで、父は脳の病気だと言いましたが、そうしたのは父親に決まってます。 医薬品を飲んで自殺しようとしたことがあり、死ねなかったために、精神障害者として延命の30年間を送りました。あの時死ねば父親も母親も少しは反省出来たでしょう。それから少し丸くなったのですが、私からすれば気持ち悪くなりました。内的な荒れが解消されないままに無意識のダムに沈殿し、燻った状態で、命だけ延命させるのですから精神医薬や精神医療は残酷です。病理、まさにその通りですね。 決別文。正にそうです。もう親と会いたくないし、今いるグループホームから再就職までなんとか漕ぎ着けたいと思ってます。
1真剣に読んで頂き、ありがとうございます。 紐解いて解釈する能力というか、正にその通りだなと思います。 今回は笑わせてたまるかというのもあり、本気と書いてマジな作品でした。 決別は、今までの振り回されてきた被害者としての自分を終え、新たに再出発して、未来の子供達や周りの人たちのために、責任ある大人になろうという意思の現れでもあります。 長男は良くも悪くも戦後の人でした。しかしこれからは新たな戦後になるのかも知れません。どういう世の中になるのかは全く分かりませんが、日本的なものが、輪をかけて廃れていく世の中になっていくのだろうとは。
0ありがとうございます。 ジョンライドンは、怒りは強力なエナジーになると歌っていましたが、私もその怒りを一つの原動力にしていると思います。 夢かあ。才能はあると思ってるんですけど、時代環境が合わなかったというか。ラーメン屋でもやって食っていければ充分だなあとも。芸能界って嘘つきじゃないと生き残れないって思ったし、僕みたいな正直者は殺されちゃう気もするので。
1そうですね、万太郎さん、詩を書く夢はかなってますね。ラーメン屋はもうかるそうですよ。わざわざ修羅の芸能界に入る必要は、もうないのかもしれませんね。がんばって、幸せになってくださいね。B-REVIEWはあなたを応援しています。みんなの力で幸せになりましょう。
1中上健次を連想しました。 彼の兄も異常者で、さんざん家族に迷惑をかけた末、 3月3日の雛祭りに首を吊って死んだそうです。 中上健次にとって、それは一生のトラウマだったとか。
1辛いな、まずそんな言葉が浮かんだ。 胸が詰まるほど苦しくて、それがひらがな表記で描かれているから余計にこちらに迫ってくる。 児童虐待、この世にたくさんの子供がその危険に晒されているならば、この詩が少しでもその子達の救いになればいいなと思った。
1中上さん、そういうことがあったんですね。と言ってもあまり読んでないのですが、大江健三郎に噛み付いた小説家と聞いています。 殴られた人間が殴ってきた相手についてどうしても考えてしまう。それは何故なのか? ただの被害妄想だけではない。殴ってきた相手に怒りを巡らし、本人の弱い姿さえ見て、同情や哀れみの念さえ持ってしまう。本来なら不当であり、そんなものを持たなければいけない謂れはないというのに。ニーチェは同情は悪であると説きましたが、その同情と言うものにとても苦しんだ経験からそれを言っていたようです。何故私が兄などに同情してしまったか? 原因は両親です。両親が無神経に殴られている相手に、殴っている相手に苦しみがあると諭したのです。これは正に洗脳です。自分たちの意のまま都合の良いまま操るために。問題に対し、自分たちが対処するのが面倒臭いと言うその理由だけで。兄は中上さんの例とは違い、自殺を図りましたが、薬の量が致死量を超えておらず一命を取り留め、以後精神障害者として、薬漬けの毎日を送るようになりました。あの時死んでいたら両親は少しは反省出来たでしょう。しかし今や、病気の息子を持った可哀想な自分たちという自己憐憫でしかとらえることが出来ません。世間もその態度を許し、甘やかし続けるでしょう。
0ありがとうございます。公のために書いた。その思いですので、子供達にこの死が救いになればいいとは最上の褒め言葉。虐待相談窓口という電話サービスがありますが、酷いの一語に尽きますね。なんの対処もしない。ただ辛い思いをしている子供の話を聞いて終えるだけ。これがボランティアの実態です。 未だに意識が遠くなっている時、兄に暴力を振るわれている感触が襲ってきて、意識が戻ることがある。トラウマといえばトラウマだし、フラッシュバックのようなことかと。兄は優しくなかったし、やることがえげつなかった。悪趣味だったと思うし、その趣味の餌食にされたことの後遺症は癒えることはないと思います。
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