作品投稿掲示板 - B-REVIEW

こうだたけみ


投稿作品数: 76
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サヴァイヴィングライフ六年生。時々病状覚書。言葉と遊んでいたい。見様見真似の自主制作アニメ https://t.co/dIR6OZ8MCf 朗読 https://t.co/1IU62dFaKP

こうだたけみの記録 ON_B-REVIEW・・・・

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春色低音

2023-04-04

かける

2023-01-07

桜の樹

2022-12-31

ぬくい

2021-02-01

水中反転

2020-11-19

カラカラ、

2020-07-26

初夏のある日

2020-06-30

鳶に油揚

2020-06-09

ill

2020-02-29

今年こそ

2020-01-06

星月夜

2019-12-20

Goldfish scooping

2019-11-29

ほね

2019-10-05

携帯海月

2019-08-22

まるでシカク

2019-08-16

病葉堆積

2019-07-25

くちくなる

2019-05-31

Anemone coronaria

2019-04-15

鳩は水色

2019-03-02

内線303

2019-03-01

2019-02-03

「穴。」

2018-10-09

円滑水槽

2018-10-09

雨中遊泳

2018-08-08

ろくでなし

2018-06-03

名づく

2018-05-16

たまきはる

2018-04-02

PLANET NEWS LEVEL 7

2018-04-02

曇天サーカス

2017-11-08

吸収さんはじめまして。 コメントありがとうございます。 春のお彼岸には間に合わなかったのですが、一昨日、父の好きだったフリージアを買ってきました。だんだんと蕾がほころんできてかわいいです。 私は花粉症なので窓を閉め切っているのですが、風もないのに時折ふわっとフリージアの甘い香りがします。 父が来てるかなって思ったりしました。 あ、これは私の日常の話です。 (春色低音)

2023-04-05

m.tasakiさんはじめまして。 コメントありがとうございます。 ちょっと作品には書いていない話をします。 昔、たしかお台場辺りを散歩していた時、たくさんの物流倉庫の中に目を引く文字列を見つけました。「東京定温」。後で調べたら「東京定温冷蔵株式会社」という会社の倉庫だとすぐわかったし、”温度変化が少ない状態で安心安全に商品を保管します”的なことを謳った東京にある会社なんだろうなと容易に想像できるのだけど。 この「東京定温」という四文字を見た時の私は、(東京という街の定められた温度って一体何度だろう?)って思いました。東京の人は冷たいとよく聞くから、一定の距離を保った低めの温度のような気がしたのです。 では、tasakiさんのご感想に戻ります。 > 中ほどの、「角を曲がって急に現れた知らない駅で「じゃあここで」って解散した。意味もなくへらへらしながら。」というところが、何かいい意味でドライな感じでいいですね。 tasakiさんがドライだと感じでくださった部分に、実は「定温」をかけていました。 「低音」と「低温」と「定温」。最後の「定温」は作中にはっきり書いていなかったのに、見つけてくださってうれしいです。 ありがとうございます。 (春色低音)

2023-04-05

わー! 田中さんありがとうございます! ね〜、いいっしょ?(なれなれしくてごめんなさい) (春色低音)

2023-04-04

即興ゴルコンダ(仮)で「春色低音」というお題を出しました。それに対して自分で書いた詩がこちらです。 ゴル、ゆるゆると続いています。 気が向いたら参加してみてくださいな。 即興ゴルコンダ(仮) http://golconda.bbs.fc2.com (春色低音)

2023-04-04

ご無沙汰してます。 コメントありがとうございます。 疾走感、ありそうでしたか〜 はい。朝起きて、寝ぼけてしばらくぼんやりして、時計見て「やっべ遅刻じゃん!」ってなるまでの頭の中の動きをなんとなく書いているつもりでおりました。わずかな時間の出来事ですね。 (かける)

2023-02-16

素敵と言っていただけてうれしいです。 コメントありがとうございました。 (かける)

2023-02-16

室町礼さんコメントありがとうございます。 後半のコメントだけだと、「かける」というタイトルそのままのアニメがあるのか!と私は勘違いしていたと思います。コピペがハズレてむしろありがたかったです。 たしかに「時をかける少女」とかありますね。同作はアニメだけでなく何度も映画やドラマになっているので、個人的にはアニメよりも内田有紀主演のドラマの印象のほうが強かったりするのですが…(年代によって違いそう)。 この詩は即興ゴルコンダ(仮)という即興詩のサイトに出したお題「かける」に対して書きました。「桜の樹」という自作詩のコメント欄でゴルの宣伝をしたので、私はこんなの書いたよ〜という報告のつもりで投稿しました。 最初に「かける」を変換すると出てくる漢字をばーっと並べて、そこから、卯年だし最後はアスファルト蹴ってかける(駆ける、翔ける)にしたいと思って、「かける」を掛ける(あるいは×)つもりで連想ゲームをしながら遊んだ末にできた詩です。 室町さんのコメントで私がとってもうれしかったのは、室町さんがこの詩を見て『アニメ作品に「かける」というタイトルのものが/多いことをラストの一行でふと思い出し』てくださったことです。この詩を読んで、連想をしたってことですよね。つまり、私の連想ゲームに室町さんが参加してくださったのです。 室町さん、一緒に連想ゲームをしてくれてありがとうございます。よければまた遊んでくださいね。 (かける)

2023-01-14

田中宏輔さんコメントありがとうございます。 今年もよろしくお願いします。 「いったいなんのために。」はどの部分を指しておっしゃっているのかわからないので、的外れなお返事になったらごめんなさいね。 語り手が山の天辺を目指しているのは、そこに桜の樹があるだろうと思っているからです。愛は片想いだとわかっているのに走りつづけるのは、生きているからだと思います。 そして、これは作品外の話なのですが。即興ゴルコンダ(仮)という即興詩のサイトがありまして、「桜の樹」というお題が出されたまま誰も書き込まず半年以上止まっていました。とても好きなサイトなので、たまには人が来てほしいなあと思いまして。 たぶん、誰からも見向きもされない「桜の樹」は人里離れた山の中にひっそり立っているんじゃないかなと思ったので、独りよがりの片想いでもポンコツ軽自動車で会いに行った次第です。 (桜の樹)

2023-01-02

いすきさんコメントありがとうございます。 ご無沙汰しております。今年もよろしくお願いします。 「こっちにおいでの人」と認識していただけているなんてうれしいです。しばらくアニメは作っていないのですが、また挑戦しようかなと思えてきました。ゆるゆるとがんばります。 可愛い、と二回も言っていただけて恐縮しております。中学生の時に「(UAみたいな)強くてかわいい人になりたい」と思っていたので、そんな人を描けていたならうれしいなあと思っています。 (桜の樹)

2023-01-02

stereotype2085さんコメントありがとうございます。今年もよろしくお願いします。 「悲しげ」や「侘しさ」がくどくないと言っていただけて光栄です。たぶんそういう感情がしょっちゅう湧いてくる割に、ホントはそんな悲しくも侘しくもないんだろうなこの語り手、って思います。筆者自身はどうなのかと言うと、うーん、どうなんでしょうね。笑 (桜の樹)

2023-01-02

即興ゴルコンダ(仮)を話題に上げてくださったのがうれしくて。 次のお題を出してみました。 もしよかったから参加してくださいね! 「好き」と「キス」のアナグラムは、意味が異なるのか同じなのか判断がむずかしいな、なんて思いました。足の人差し指を指してくださいと言われて、なぜか親指を指してしまう。そんなむずかしさ。 (アナグラムの夜明け(即興ゴルコンダ(仮)より))

2022-12-31

ゼンメツさんが即興ゴルコンダ(仮)に言及されていてうれしかったので、最後のお題に詩を書いて、次のお題を出してみました。 お題は「かける」です。 投稿 2022/12/31(土)22:00:38〜 2023/01/07(土)22:00:37まで 投票 2023/01/07(土)22:00:38〜 2023/01/14(土)22:00:37まで 投稿、投票ともに、一週間へ変更になっています。 二十四時間はむずかしくても一週間あれば書ける! はず。 ぜひご参加ください〜 http://golconda.bbs.fc2.com (桜の樹)

2022-12-31

「みちたりる」 一つ   目をとらえられず二のあしを踏み   話されない言葉の群れに  放されないようにと間合いをとって      三歩うしろ、あるいは四歩       連        な         っ          て           鳴く             ひなどりの           五カイの窓から                 飛                 び                 降                 り                 る    なんて       妄想ではいけないからだ     もう走行距離は 瞑られて ーー左方向、衝突シマス        七曜行脚 託せないと        八方塞ぎ 戸を立てて        打ち砕く 心のままに        始終カラ 地を泣いた        攫っては           また             みちたりる (「びーれびしろねこ社賞」 応募スレッド)

2021-12-20

楽子さん、読んでくださりありがとうございます。 励みになります。 きらきらしつづけられるようにがんばります。 今のところアナウンスはないみたいだけれど、【百物語】の募集は九月もしているようです。 一部の作品の朗読を担当する予定です。 【百物語】投稿してみてね。 投稿規定はフォーラムにあります。 https://www.breview.org/forum_blog/archives/1881 (【百物語】あおくてきれいな二本の線の)

2021-09-06

百均さんの企画、遅刻ですが書いてみたので投稿します。 No.97 蛙 (【百物語】あおくてきれいな二本の線の)

2021-09-02

みうらさんありがとうございます。 もうコメントつかないと思ってました〜。 朗読の違いに気づいてくれてどうもです。 これ、詩ではなくて台詞として読んでます。普段のお経読みだと下手なラップに聞こえそうだなあと思ったので。 ちなみにお暇のご挨拶はうっすら本当です。仕切り直しをしたいなあとぼんやり思っていて。すぐ戻ってくるかもしれないけれど。笑 なんか新しいことやりたいっす! (┣gUmmI dEcO cAffE mOchA ┳ぐみでこかふぇもか┫)

2021-05-10

頭と脚を揃えました。 気をつけたのはラップ調にならないこと。 私がやってもラッパーもどきだものね。 朗読もしています。 よかったら聞いてみてください。 約五分、噛まずに読むの大変だった〜 https://soundcloud.com/user850776306/gummi-deco-caffe-mocha (┣gUmmI dEcO cAffE mOchA ┳ぐみでこかふぇもか┫)

2021-04-25

田中宏輔さんへ コメントありがとうございます。 〈耳のよい書き手〉って初めて言われました。褒められてるって思っていいのかしら?? 言葉遊びが大好きなんですけど、そうか、私は耳で書いてるのか〜。 (ぬくい)

2021-02-02

沙一さんへ 久しぶりにコメントいただけてうれしいです。 変に凝ってしまったせいでゴルの締切に間に合わなかったんですけどね〜。ほどほどにしないと。 > 単体で読ませるにはやはり弱さがあります。アイデア勝負といったところでしょうか。 まさにその通りで。ゴルでは同じお題=タイトルで何人もの投稿者が詩を書くので、お題からパッと思いついたものを素直に書くとネタが被るんですね。同じネタをどう料理するかが腕の見せ所でしょ?という考え方もあるとは思うのですが、私はどうしても被りたくない。笑。そんなわけで、奇を衒っているように見える作品ばかりが出来上がります。私としては、場を賑わせたいだけなんだけど。 (ぬくい)

2021-02-02

福まるさんへ コメントありがとうございます。 たしかに前半と後半で登場人物は違います。描いている場面が違うというほうが正確ですかね。 “射抜く”という言葉は矢で対象物を突き通すという意味ですから、そのまま見れば暴力的な行為ですね。でも“ハートを射抜く”なんていう表現もありますから、殺したのか?と聞かれればどうでしょうか。福まるさんはどのように思われますか。 ちなみに、前半はいくつかの断片的な場面の後に獣医へフォーカスしていて、後半のメインの登場人物は女性です。ストッキングを履いた足に似合うのはどんな戦闘服でしょうか。サラリーマンの男性ならスーツが戦闘服かな、なんて。 (ぬくい)

2021-02-02

ryinxさんへ コメントありがとうございます。すてきな作品と思っていただけてうれしいです。 ゴルにお題を出した1/23(土)の夜は関東にも雪の予報が出ていました。仕事から帰る最中「今ほとんどの人はお家であったかくしてるんだろうな〜、っていうかあったかくしててよね!」と思ったので「ぬくい」をお題にしました。まんが日本昔ばなしのエンディング曲を脳内再生しながら。 お題を「ぬくい」に決めたと同時に抜く“い”詩を書くというアイデアは浮かんでいたのだけれど、書き始めてみたらあら不思議。全然ぬくぬくしてない感じになりまして。自分でも驚いています。 > - 意味意義愛 意思はサインだ > > 僕はそこになにか生きる事への強い 意志を感じたのです。 意思が意志になるっていいですね。漠然としたものに、ryinxさんの中で形を与えてもらった気がしています。 (ぬくい)

2021-02-02

初出は即興ゴルコンダ(仮)2021.01.25 http://golconda.bbs.fc2.com お題=タイトル「ぬくい」はこうだが出しました。 大幅に遅刻投稿したので一日半くらいかけてます。 (ぬくい)

2021-02-01

福まるさんへ はじめまして。なんだかふくふくしたありがたい猫みたいなお名前ですね。ねこかわいい。 はい、語り手の好きな人は文芸部の部長さんです。前に「魚とバナナとラクダの話」 https://www.breview.org/keijiban/?id=1225 という作品を投稿しているのですが、本作はその前日譚みたいな感じですかね。二作品を見比べると、現実とフィクションの配合具合がだいぶ違ってびっくりするけれど(というか今びっくりした自分で)。 > 最後の連なりたかったなで少し切なくなりました 切なくなりましたか! しめしめ。笑 (ふたごらいたー)

2021-01-29

帆場 蔵人さんへ コメントありがとうございます。 百均さんとコメ欄で長々としゃべってしまったので、他の人には引かれちゃってもうコメント来ないかなーと思ってました。笑。いや〜、ありがとうございます。 > 散文と散文詩の違いてなんだろう そういう考察いいですねー。私も参加しようっと。あくまで現時点での私の考えですが、散文と散文詩の違いは“リズムと飛躍”に表れるんじゃないかなと思っています。 散文は、そこに書かれているものを読み手に理解してもらいやすいようにすることを重視するもの。しっかりと地に足がついている感じ。リズムは比較的一定で、ここぞという時だけ変拍子になったりする。 対して散文詩は、そこに書かれているもので読み手になんらかのイメージを喚起することを重視するもの。だから好き勝手にリズムを刻めばいいし急に別の話を始めたっていい。自由。 まあそんな感覚で書いているので、帆場さんには〈言葉がくるくると巡りめぐる〉ように見えるのかなあと想像したりしています。 ちなみにここ最近の私が散文詩ばかり書いているのは、改行をする理由がないからです。たまにただの散文に改行を入れただけで詩だと言う人を見かけるけど自分はそうはなりたくないなと。改行は句読点とは別ものですから。改行するには納得できる理由がほしいんですね、私の場合は。 だから私がめずらしく改行詩を書く時は、一文一文をそこに定着させたいという気持ちがわずかにでもあるような気がします。拾い集めた小石を地面に一つひとつ置いて並べては誰かに見せびらかしたいとき(子供かよ!)。滅多にないんですけどね。基本的には、書いてある内容は聞き流してほしいから、わーっと一方的にしゃべってあっという間に終わる感じの鬱陶しい散文詩が出来上がります! (ふたごらいたー)

2021-01-29

夏村木さんへ 再度のコメントありがとうございます。 「ナツムラ モク」さんですか〜。木をモクと読むと聞いたら、もくもくと煙が上がって燻されてる感じがしてきました。それが夏の手持ち花火の煙に繋がって火薬のにおい! すてきなお名前ですね。 > なるほど、似た雰囲気の言葉に発想を飛ばして、それを詩に落とし込むんですね。勉強になります。 ふたごらいだー! ええと、私は言葉遊びをとても好む人間でして。一般的な詩を書く方々からは爪弾きにされがち……なので私に学んでよいかは謎……。 あ、ちなみにこうだたけみという名前は本名の漢字をあべこべにして一音変えてひらいたものです。安部公房(あべこーべー)が好きなのと、私は言葉遊びをする人間です!というお知らせの意味を込めていたりします。 動物看護師という職業があるんですね。知らなかった。犬一匹と猫二匹を飼ってる方が大丈夫と言ってくれると、なんだかそんな気がしてきます。いつかなかよくなれるかしら。 夏村さんは、今は病気療養中とのことですが、コロナ禍が悪いほうに影響していないといいなと思っています。というのも、精神疾患ではないのですが私も同じく療養中なので。「親戚がこれ食べたら奇跡のように治ったから!」みたいな善意の押し売りを避けるために病名は公表していませんが(治療のこととかまんま詩に書くのでわかる人にはわかると思います)。三カ月に一度大学病院へ通っていますが、おっかなびっくりという感じ。早く収束してくれるといいなあと思っています。 時々甘いもので息抜きしながら、それぞれに乗り越えましょうね。夏村さんも私も! (ふたごらいたー)

2021-01-14

夏村木さんへ コメントありがとうございます。 はじめまして! お名前はなんと読むのでしょうか。一続き? どこかで区切るのかしら。 百均さんとの無駄に長いやりとりを全部読んでくださったのですね。ありがとうございます、というかお疲れさまです。笑。私は一方的にたのしかったのですが、百均さんもたのしかったならいいなあと思っています。 いつか私が夏村木さんの作品に長いコメントを送りつけるようなことがあったら、もちろんここまでじゃなくていいので相手してやってくださいね。 > こちらの作品、最初ふたごらいだーって読んでしまって、双子の仮面ライダーが頭に浮かんじゃいました。 私もふたごらいだーって読めるなあと思っていました。なので最後がフタコブラクダに乗る描写になったのでした。ふたこぶらいだー、ふたごらいだー! 笑。 〈犬の毛と臭いとうんことおしっこにまみれ〉た専門学校生活ということは、トリマーとかですかね? いいなあ。私アレルギーがあるのと怖いのとで、かわいい!って思うんだけど触れないんです、動物全般。もしそれを職業にされているなら、すてきなお仕事ですね。 大学生活はとてもたのしかったです。もう15年以上前なので遥か昔のことですが。 本作は今の自分視点で書くとすべて過去形の文になってつまらないので、卒業した直後くらいまで時間を巻き戻して、その頃の視点で書いてみました。実際にあったことを書いてはいるのだけれど、昔話であることと私目線での語りでしかないことから、これはあくまでフィクションです。 > オランジェットおいしいですよね。洋梨やりんごのチョコレート包みもおいしいですよ。 洋梨やりんごのチョコレート包みも好きです! 食べたくなってきちゃったなあ。寒い季節はチョコレートが美味しい(そして太る!)。 (ふたごらいたー)

2021-01-12

百均さんへ 最後のコメントありがとうございます。 サゲ進行ってこういうことか〜。ネットの知識がまた一つ増えたぜ。Twitter見て返信しようとしてリンク踏まないで直にサイトにきたら、あれ見当たらない??ってなりました。笑。えーと、それだと他の人に見てもらえなくてもったいないから、こちらもこれで最後なので上げますね(下げ方がわからないわけじゃないんだから! 上に移動しない機能の意味は今知ったけど。笑)。 百均さんの話、おもしろかったです。私と同じところも違うところもあって、なるほどなーって思ったり、これどういうこと?ってなったり。最初に〈相手に手の内を明かさないと有益な情報ってもらえないんじゃないかなと思っている〉と書いたせいなのか、私の文章量に合わせてあれこれ書いてくれてうれしかったです。 そうそう、私の提案した〈自作語りのギルド〉ってこういうのを求めているんですよ〜。作者も相手もそれぞれに自分語りをして、しながらそれぞれに考えをまとめたり更新したりする場。ちなみに、結論はいりません。不毛! さて、うまくまとめられるかしら。 >僕がやりたい事って結果的に、文章表現を駆使してまで書きたい事ってなんだろう? 別にメールで済むような事をわざわざなんでこうして書いているんだろう? みたいな所に全てが詰まっているといえば詰まっています。それはなんでかっていうと、仕事でやり取りしている言葉って読んでて仕事の役には立つけど、全然つまらないんですよね。何も興奮しない。そして、仕事で書いているような論理が明快で、伝える内容がはっきりしない文章を読んでいると、僕は生きている事を忘れるくらいに興奮する。それがとても楽しいんですね。というか楽しいっていうレベルじゃなくて我を忘れてしまうくらいにのめりこんじゃう。(中略) > という訳で、読んで僕が覚えた興奮を自分の作品で覚える事は正直ないです。誰かの書いた作品になく事はあっても自作には泣けない。それは言ってしまえば自分に当てた手紙みたいな部分もあるし、自分の中にあるものだけで書くってことは、要は自分の中にある物を使って書いているっていう感じなので、それって日ごろ考える事の再生産であって、わざわざ公開する必要ないじゃんってなっちゃう。 この部分を読んでいて、百均さんが人の作品を読んで得る快感と、私が人の作品を読んで得る快感とはもしかして別の物なのかな?って気分になっています。 私の場合、意味はわからないけどなんかめっちゃ好き!みたいな作品(survofさんのとか)もあるんだけど、クヮン・アイ・ユウさんの「リュウセンケイ」みたいに、読んでいて自分の中で一気に回路がつながる作品に出合うと大興奮します。だいぶ前に書いた「【ワンポイントキュレーション】からだをひらくと口から火花が出た話」( https://www.breview.org/keijiban/?id=2449 )を読むとなんとなくわかってもらえるかもしれない。これ、“回路がつながる”=“パズルが解ける”なので、自分が詩を書き終えた時に得られる快感と同じなんです。 それから、〈自分の中にあるものだけで書くってことは、要は自分の中にある物を使って書いているっていう感じなので、それって日ごろ考える事の再生産であって、わざわざ公開する必要ないじゃん〉という部分についても私は違う考えを持っています。 私はものを作る人間には二つのタイプがいると思っています。一つは、0から1を生み出す芸術家タイプ。もう一つは、すでにあるものを組み合わせることで新しい価値を生み出すデザイナー(設計者)タイプ。まあ、世間では芸術家と認められている人でもデザイナータイプの人はいるだろうし逆もしかりで、あくまで私の中でわかりやすく分類するとってことです。しかも、本当に0から1を生み出すなんてたぶん幻想で、創作物はその作者の中に積み重ねられたあらゆる経験や体験、知識などを基に作られるはずで、究極的には創造神でもない限り創作者は全員デザイナーなのだけど。 ※ただし、誰かの創作物を基にしている場合はオマージュやパロディ、二次創作の形になっていなければその基にしている創作物への敬意がない、冒涜だと見做して作品とは認めません。 で、私は典型的なデザイナータイプです。しかも駆け出しの。あれとこれとそれを組み合わせて出来たのがこれでしょ?ってすぐにばれる程度のクオリティのものしか作れない。それでも、たくさんあるものの中からあれとこれとそれを選んでさらにこんなふうに組み合わせようとしたっていうのは私のオリジナリティと言っていいよねって思うんです。 そうなると、作品のおもしろさというか深みみたいなものって組み合わせる技術も大事だけれど、“あれとこれとそれ”の基になっている経験や体験、知識などの積み重ねの量や質が重要になってくると思うんですね。 > 作品を読んで読解するにも、作品を作るのも何か意見を述べるのも、全部“今の私”です。今の私とは“過去の私にとっての今”を積み重ねることでできていて、積み重ね次第で見えることも思うことも違ってくる。だから昨日の私はそう思ったかもしれないけど今の私はこう思うし、明日の私はまた違うことを思うかもしれない。その不確かさ、変われるってことが生きているってことだと思うんですよね。 これ、百均さんへの二つ目の返信の中で私が書いたことなんですけど。百均さんが〈後から冷静になって読み返すといつも同じ手紙を自分に当てて書いてるだけだな見たくなってしまう〉という作品も、私に言わせると一つも同じものはないです。というか、同じにはなれないです。 私はよく「詩に他意はない、詩にシたいから生き詩ています」って書くのだけど、パズルが解ける快感=生きてるって実感なんだろうなって思えてきました。百均さんも私も、よく生きてるよ。うんうん。 以上、マカロンふわふわよりビターなオランジェットが食べたい気分なこうだでした。 長々とお付き合いいただきありがとうございました。 たまにでいいからこうして付き合ってねー。 (ふたごらいたー)

2021-01-11

百均さんへ 返信遅くてごめんなさい。 三回目の返信ありがとうございます。そろそろ他でやれよって怒られちゃうかしら。笑。でもこれ、他の人が読んでもおもしろいんじゃないかなって思うんだけどな。私のはどうでもいいけど百均さんの語りおもしろいもの。もし読んでる人いたら会話に横入りしたってええんやで(なぜエセ関西弁)。 > 自作解題については、なるほどなって感じ。僕が自作解題しない理由って、なんか自分の解釈っていつも同じになっちゃうってのと、やっぱり他人に読んでもらってもらった感想の方が興奮しちゃうってのはありますね。 他人からもらった感想に興奮するというのはわかります。そうきたかー!ってなる解釈なんてもうテンション爆上がり! 好きですってひとこと感想だけでも「この人が! 好きだと! 思ってくれたんだ!」ってわかったことにうれしくなる。 でも、〈自分の解釈っていつも同じになっちゃう〉っていうのはどういうことなんだろうな。よくわからない。そうだ、百均さんは二個目のコメントでこんなことを言ってましたよね。 > 多分作品に感情って直接書いちゃいけないみたいなのが僕の中にあって、それはやすっぽくなるからだみたいな信条がいつの間にか出来上がっているからだとおもんですけど、 私これ読んでうんうんわかるわーって思ったんだけど、ちょっと思ったのと違ったかしら。 私は詩を、自分の気持ちを伝える道具だとは思っていません。気持ちを伝えたいなら伝えたい相手に直接手紙でも書いとけよって思うから。私は詩を書くことで何をしたいかというと、たぶん“言葉とあそぶ”ことなんだと思います。 この「ふたごらいたー」の場合はまずお題があって、そこからイメージした光景を詩にするにはどうしたらいいかを考えていったわけだけど(こうだの一個目の返信参照)、書くときはいつだって、詩の中に自ら入って言葉と一緒に遊びながら私なりの出口を探したいんです。それで完成した時にはパズルを解いたみたいな快感があって、この快感を味わいたいがために私は詩を書き続けるのだろうし、こうして投稿するのも「パズル解けたよ、誰か見て!」って言いたいだけなんだと思うんですよね(子供かよ)。 そんなわけで、私が披露する自作の解釈というのは作者の意図みたいな御大層なものではなくて、私なりにパズルを解く過程の説明です。解き方はある程度パターン化されるけれども毎回違います。もし私が、「自分の気持ちを伝えたい」とか「信念を表明したい」とかで詩を書いていたら解釈は同じになるのかもしれないなあとは思うけど、そんなつまんないことはしないです。だって私、自分自身のことこれっぽっちもおもしろいと思わないもの。私にとって私の気持ちや信念みたいなものは、パズルのピースの一つとして利用する程度のものでしかないです。 あ、でもどの自作も私の言いたいことは「パズル解けた、見て!」なんだから、自分の解釈の行き着く先は同じってことなのかな? それって解釈が全部同じになるってこと? うーん、よくわかんなくなってきた。笑。 > 僕は書き終わった瞬間から自分の作品に飽きちゃうんですよね。最初に読んでいつも飽きちゃうみたいな感じ。書きながら一回よんじゃってるしね。書いてて落ち見えた瞬間とか、意識した瞬間にその作品に飽きてしまってこんなもんかみたいな。 そうだ、これ前も言ってましたね。その時も言ったけど、私は百均さんの〈書き終わった瞬間から自分の作品に飽きちゃう〉って感覚わっかんないんだよなー。書けた時こそうれしいって思うから。オチが見えた時めっちゃテンション上がるもん(パズルが解ける快感ね)。きっと百均さんは、ビーレビに来てない人引き合いに出して申し訳ないけど岡さんタイプなんだろうなー。何事も構想段階が一番たのしいんじゃない? で、いざ取りかかったらその瞬間から飽き始めて結局完成しないの。笑。 私もあれこれ構想練るのはたのしいですよ。〈自作語りのギルド〉なんてその代表例だし。でももっとたのしいのは、いろいろある構想の中から一つを選んで、今の自分にできる最大限のパフォーマンスでなんとか形にした時だなあ。世間的に見たらクオリティは低くても、完成したってことだけでうれしいもの。私えらい!ってなる。 ちょっと気になるのは、百均さんは〈こんなもんか〉って思う時、“何と比べて”こんなもんかって思っているのかってことかな。私の二個目の返信の最後で書いたけど、私は〈今日の私は昨日より一日長く生き延びたから昨日の私よりえらい!とか思っている人間〉なので、比較対象は常に自分なんですね。他人と比べてたら自作を人目に晒そうなんてとてもじゃないけど思えないです。他人と比較してなにくそって思いながら書くほうが成長は早いのかもしれないけどね。 うん、なんか収集つかなくなってきた。そろそろマカロンふわふわで終わりにしますかね。 (ふたごらいたー)

2021-01-10

百均さんへ またまたレスありがとうございます。たまにはたのしいでしょ、こういうやりとりも。 > ネット上で誰かと一緒におしゃべりするのって、いきなりするのなんか緊張しちゃうんですよね。僕の事が嫌いな人がいたとして、その人に長文送り付けたらどうしよう、いやかな見たいな感じですね。後は自分の書いた感想に魂込めて書いて外れたらごめんなさい。次頑張って読みますみたいな動機に利用していたのかもとか。 私も話しかけるのは緊張しますよー。長文送りつけたあと返信が二行くらいだと「あ、やっべ、めっちゃ引かれたわー」って後悔します。笑。でもまあ、それはそれでいいんじゃん?って感じ。やらずに後悔するよりやって後悔したほうがいいし。失敗は多いけど、しつこく話しかけて相手からおもしろい話引き出せたときなんか小躍りしますよ、やったー!って。動機が不純とかもどうでもいいかな。結果的におもしろくなればスタートはどこでもいい気がする(テケトー)。 > 自作改題については、なんかネット上だとタブーっぽい雰囲気ってか空気があるんですけど、なんであかんのやっけ? ってあんまりよくわからんのですよね。理由は何個か思いつくけど、それを僕は声に出したことないし、あんまり語ってきたわけでもないし、というか単にやったことないんですよね。 自作解題については、ちょっと普通の人とは違う考えを持っています。何度か書いてるんだけど、これは杜 琴乃さんが「トンボ印のちびた秋」という私の詩に書いてくださった選評のコメント欄で書いた内容の引用です。 > 私は“自作については読者の手に渡った時点で著作権以外はその読者のものになる”と考えています。読んでくださる方にはその方の好きなように読んでほしいです。そして、作者である私自身も一読者として好きなように読みたいし、あくまで一読者としての解釈をしゃべりたい! 笑。 > 一般的には作者の語ることが“作者の意図”として読み手の解釈よりも上位に置かれることが多いのですが、私は、自作においてはそうじゃないと思うのです。 私はためらいなく自作解題をしてしまうからたまに驚かれたりするのだけれど、単に私の解釈をしゃべりたいだけなんですよね。一読者として他の読者と横並びになってしゃべりたいんです。百均さんはあまり推敲をしない方だからピンと来ないかもしれないけれど、私はめちゃめちゃ推敲するので書いてる間に何度も読むんです。だから、自作の最初の読者は私だって思っているんですよね。 (百均さんが私の詩をトリップしてるって思うのもそのせいな気がする。何度も読み返すとここから始めるよりここから始めたほうがおもしろくない?ってなって段落ごと入れ替えたりするから) あと、相手に手の内を明かさないと有益な情報ってもらえないんじゃないかなと思っているところもあって。まあ、余計なことまでしゃべっちゃって身内とかに怒られたりするんだけど。笑。 〈自作語りのギルド〉については、ちょっとやってみたい気はするけど、場を作る人になる自信がないから案だけ出して満足しています。作者の意図が絶対だと思ってる人とは喧嘩になりそうだしね。笑。 (ふたごらいたー)

2021-01-08

百均さんへ 再レスありがとうございます。うざくないです、むしろ大歓迎ですよー。とてもうれしいです。 作品にコメントを書いて作者にお礼をもらって終わり。それって一方通行と大差ないと思うので、私は話してみたい作者には積極的に再レスする派です! 前にsurvofさんと数日かけて話しましたもん。コメント欄すごいことになってました。笑。 それってネット詩の醍醐味だと思うんですよねー。だって好きな作品の作者が画面の向こうにいて話せるんですよ。すごくないですか?? 紙媒体じゃ絶対にできないですよ〜。 ところで、昨日ビーレビの公式ツイキャスをやっと聴き終えたんですが、ギルドって批評がメインなんですね。なんでもありのサークル活動でビーレビを盛り上げようって話かと感違ってました。笑。 それで、批評とは離れてしまうけど自作語りのギルドがあればいいのになーと思っています。私が百均さんへ書いた返信のように、まずこの自作はどんなふうに書いていてどう見せたいのかを作者が語って、それを受けてメンバーが「そんなふうには読めない」とか「そんなふうに書いていたのか!」なんて反応をして、作者の目指す形と読者から見た形を近づけるにはどこをどう改善したらいいか平和的に知恵を出し合う、みたいなギルド。その作者の詩作方法を盗むこともできるし、双方向で勉強になりそうじゃないですか?? さて、話を戻します。 〈私ね、泣くんじゃないかなって思ったよ。〉の部分は何度も書き直してあーでもないこーでもないと苦労して、締切に遅刻したのもこの部分のせいだったりするので拾っていただけてうれしいです。たぶん〈私〉も泣きそうだったんだと思うんですよねえ。だからどちらにも取れる書き方をしたんだと思います。 > というのが誤読かもしれないし、というか書いている人が何考えているのかとか、何をどう読んだのかなんて読んでいる僕はいつもねじ曲がってしまいますけど、 “ねじ曲がってしまう”について思うこと。 私は感想を述べるとき、うざいくらいに“私は”と書きます。そしてその“私は”の前には書かないけれども必ず“今の”が付きます。 作品を読んで読解するのも、作品を作るのも何か意見を述べるのも、全部“今の私”です。今の私とは“過去の私にとっての今”を積み重ねることでできていて、積み重ね次第で見えることも思うことも違ってくる。だから昨日の私はそう思ったかもしれないけど今の私はこう思うし、明日の私はまた違うことを思うかもしれない。その不確かさ、変われるってことが生きているってことだと思うんですよね。 そんなわけで、私は“ねじ曲がってしまう”ことはあまり気にしません。すべての人間は不確かな存在だと思うから正解はないし。それがたった今の自分にできる最大限のパフォーマンスだな、と思えるならよし! まあでもなー、今日の私は昨日より一日長く生き延びたから昨日の私よりえらい!とか思っている人間なのでちょっと頭おかしいかもしれない。笑。 (ふたごらいたー)

2021-01-07

みうらさんへ 今年もよろしくお願いします。 どこをどう読んだらみうらさんのことが書いてあると思うんだろう。ウケる。 初笑いをありがとうございます。 (ふたごらいたー)

2021-01-06

大変! 百均さんへのコメントに追記です。 私は決して昔の自分を美しいと思っているわけではありません。むしろ美しさのかけらもないので、こうして作品化することで美しくなれたらいいのにな、という感じです。“自分は美しくない”という大前提は私には当たり前すぎて表明する必要がないのだけれど、他の人からはわからないですよね。失礼しました。 (ふたごらいたー)

2021-01-06

かずやさんへ コメントありがとうございます。 〈文章の流れ、拍子がとても好き〉と言っていただけてうれしいです。私は詩文を声に出して整えていくタイプなので、かずやさんの読むリズムと私の喋るリズムが合っていたんだろうなと思います。 少し話が逸れるのですが、人にはそれぞれ書くときのリズムや呼吸があって、読んだ瞬間ピタリと合うと「これ好き!」ってなるし、合わないと「これ好きじゃないなー」となったりします。でも「好きじゃない」と判断した作品も何度か声に出して読んでみるとおさまりのいいリズムが見つかることがあって、そういうとき私はとてもうれしくなります。声に出して読む、おすすめです。 それにしても〈私ね、泣くんじゃないかなって思ったよ。というところまで〉ってことは、“何かについて夢中でしゃべっている人の意識がふいっと別に移る瞬間”(百均さんへのコメント参照)を上手に描けていないってことなんだろうなー。精進します。 (ふたごらいたー)

2021-01-06

百均さんへ お題出しとこちらへのコメント、ありがとうございます。 ゴルだと投票する作品だけ軽く言及する程度で他の作品にコメントをつける人はほぼいないので、遅刻で投票対象外の詩を書いても宙に浮かんだままな気分でいたから長めのコメントがうれしいです。 > 単純に気になったのは、ここの違和感っていうんですかね。使い捨てライターが利用されて捨てられるみたいな事が書いてあるんですが、諸々賭けていてあってうまいなって思うんですが、急にトリップしているなって感じで面白いですね。なんですが、単純にここら辺どう描いたのかなみたいなのが気になった感じです。 「どう書いたか」の説明はいくらでもできるので、回答するのがたのしい質問をありがとうございます。部分だけを抜き取るのはむずかしいから「本作をどのように書いたか」の全体を説明させてくださいね。 百均さんが「ふたごらいたー」というお題を出すときTwitterで「なんかかわいいでしょ」って言っているのを見てたしかにと思いました。さらにゴルでは〈物の双子〉と書いているから百均さんは火をつけるための装置を想定したんですよね。 お題を見て、私はこんな光景を思い浮かべました。 「不思議の国のアリスに出てくるトゥイードルダムとトゥイードルディーみたいな愉快な風貌の双子のライター(物書き)が、横並びで使い捨てライター(火をつけるやつ)をカチカチしている。ふたごらいたー」 さて、この光景を詩にするにはどうしたらよいでしょうか。そのまま描写してもいいんだけどそれだけになっちゃうと広がりがない。そこで私は観察を始めます。 「使い捨てライターをカチカチし続けるってことはオイル切れだな。タバコが吸いたいのに吸えなくてイライラしているんだろう。このイライラはライター仕事がうまくいってないことも原因だな。使い捨てオイルライターを握った使い捨てのライターか」 ここまで考えて、ふと昔のことを思い出しました。 「そういえば、置きっぱなしのタバコの箱から一本抜き取って赤ペンで口紅の跡みたいなのを描いて箱に戻して持ち主が帰ったらどんな反応をするかみんなでにやにや見ていたことがあったな。その人はみんなのにやにやはわかっているから理由を探すんだけど見当たらなくて、諦めてタバコを吸おうとした時にいたずらに気づいて、これは試されてるなってことで“いたずらに気づかずタバコを吸って灰皿に置いた瞬間びっくりする”という小芝居を打った。冷静に考えると全然おもしろくないんだけど爆笑するくらいにはその人のことが好きだったな」 ならばこの昔の片想いの話が“トゥイードルダムとトゥイードルディー”につながるまで書いてみようじゃないか、ということでできたのが本作です。 >ネット記事を雀の涙の執筆料で引き受ける双子のライターが、使い捨てオイルライターを握ってカチカチしてる。利用されては捨てられて。 百均さんはこの部分に違和感があって〈急にトリップしているな〉と思ったようですが、実は作者的にはこれより前の部分でトリップしていてここからが現実なのでした。 なーんて長々と書いたけれど「言われなきゃわかんねえよ!」ですよね。はい、わかってます。笑。 私は冒頭でキャッチーなフレーズを見せびらかすような作品よりも、最後まで読んで「こうきたか!」となる作品が好きです。なので自分が書くときも、出だしより終わりに向かう過程に気を遣います。本作で私が何を書きたかったかというと、“何かについて夢中でしゃべっている人の意識がふいっと別に移る瞬間”です。 11月に「水中反転」( https://www.breview.org/keijiban/?id=6490 )という詩を投稿しているのですが、コメント欄の田中さんへの返信で〈私は高校生くらいの女の子をとても美しいと思っています〉という主旨の話を書きました。 > 本作(水中反転)では、部活帰りに気心知れた友人とご飯を食べながらダベるという状況を描いています。これは女性特有なのかもしれないのですが、こういう時の女の子は八割方“思いついたことをそのまま口にして次の瞬間忘れる”というお喋りをします。ですから、〈ねえ中華屋さんってなんでなんとか飯店ってとこが多いの〜?〉という台詞は、語り手が返事をするより早く忘れられていると思います。その、一つのところに留まらずくるくると転じてゆく〈彼女〉の美しさに、語り手は溺れているのではないかなあと思っています。 上記のような〈一つのところに留まらずくるくると転じてゆく〉美しさを描きたい。というのが、本作「ふたごらいたー」の目指すところだったんじゃないかなと思っています。 以上、なんかたくさん書いたけど伝わりますかね? てか、回答になってるのか? どうだろう〜。 (ふたごらいたー)

2021-01-06

初出:即興ゴルコンダ(仮)2021.01.03 タイトル「ふたごらいたー」は即興ゴルコンダ(仮)のお題です。 出題者は百均さん。 かわいいお題ですよねー。 (ふたごらいたー)

2021-01-04

初出:即興ゴルコンダ(仮)2020.12.28 お題「いってらっしゃい」はたかはさんより。 あなたもわたしも気が向いたら、一緒に即興詩を書いて遊びましょう〜。 http://golconda.bbs.fc2.com (いってらっしゃい)

2020-12-28

じゅうさんへ コメントありがとうございます。 まだコメント欄開いてるんですねえ。びっくり。 田中さんへの返信に書いたように、私は女子高生の“開きっ放しの無敵感”を美しいと思うのですが、それはじゅうさんが感じた〈不安定な危うさ〉でもあると思います。 (水中反転)

2020-12-28

私はたぶん液晶画面の中の文字列を読むのが苦手という理由で長い作品を読むのが苦手なのですが、最後まで読めてよかったなと思いました。とても好きです。 世間様から見て中身のあるよい作品を書けているかどうかという話は横に置いておきますが、書いても書いても中身のない軽薄なものができあがると自覚するとき私は、「今そういう状態なんだなあ、私」と思います。だから語り手の焦燥感みたいなものにはそこまで共感できないのだけれど、書けるってすごいことだなって思っています。 (さよなら、ぽえむくん)

2020-12-10

11月に投稿されている「詩の日めくり」三作品のなかで一番好きだなと思いました。六月三十一日というカレンダーには決して存在しない日が描かれているのがいいなと。 でも十二月に投稿されている「詩の日めくり」にも九月三十一日や十一月三十一日が存在しているから、私の感じた意味なんてなくてもっと記号的な何かなのかな、とも思いました。 (詩の日めくり 二〇一四年六月一日─六月三十一日)

2020-12-10

元たまの石川浩司さんみたいな語りだなあと思いました。少し後の世代だからたいして聴いたことはないのだけど。「学校にまにあわない」だけはたくさん聴いたなって思いながら聴きました。 (ごめんねぼくらもう死ぬ)

2020-12-10

あ、残念。絵文字が文字化けしてしまった。 スクショのリンク貼ります。 https://i.imgur.com/Kmlmsgx.jpg (びそあたーゃじす・続)

2020-12-08

楽子さんへ コメントありがとうございます。 好きだという言葉だけでうれしいです。こうしてコメントをいただかなければ、楽子さんに気に入ってもらえたことさえ私にはわからないので。 最近、「きっと好きだから読んでみて」と知人から紹介された高野文子さんの『棒がいっぽん』という漫画を読みました。それは、自主制作アニメつくりたいのにカメラワークってなんなのか理解できない!と嘆く私に、参考になるかもとすすめてくれた本なのですが。 読んでいて、私は詩でもアニメでも、こういうことをやりたいんだろうなあって思いました。映像的。できたらすてきですよね。 そうそう、あえて語り手の性別を書かなかったところまで拾っていただきありがとうございます。 (水中反転)

2020-11-30

てんま鱗子さんへ コメントありがとうございます。 良い緊張感になってましたか! よかった〜。 短すぎると物足りなさが残るし、長すぎると間延びするし、ヒリヒリした感じを出すには匙加減が難しいよなあっていつも思います。 それにしても〈ガラス、と少年〉……。 「硝子の少年」と「ガラスの十代」どちらを連想するかで年齢がバレそうですね。ハッ! 今の十代はどっちも知らないのでは?? 絵は、新宿南口のジャングル(ドンキとも言う)の水槽に住むウツボです。実際は4匹います。ウツボはかわいいです。 (水中反転)

2020-11-25

田中宏輔さんへ コメントありがとうございます。 ビーレビにもいらっしゃったのですね。主にこひもともひこさんからお噂を伺っております。よろしくお願いします。 飯店については「反転」にかけることが目的だったので、あまり調べずに書いていたなあと思い、改めてググりました。 中国では食事を提供する店を飯店と言うみたいです。食事のついでに宿泊を受け入れる店のことも飯店と呼んだから、ホテルのことも飯店と言ったりするそうです。 ところで、この詩に出てくる登場人物二人は高校生のつもりなのですが、私は高校生くらいの女の子をとても美しいと思っています。それは単に若さとか、いわゆる女子高生のブランド感を指しているのではありません。 高校生というのは、中学までの義務教育を脱して親や学校からある程度の自己決定権を与えられる解放感と、成人前で社会人としての責任を免れる場面が多いことが相まって、“根拠のない自信”に満ち溢れがちな時期ではないかなと思います。そして電車通学などで行動範囲が広がれば興味の対象は増えますし、目に見えている(自分の)世界の範囲がぐっと広がり始める時期でもあります。この“開きっ放しの無敵感”みたいなものを、私はとても美しいと思うのです。 本作では、部活帰りに気心知れた友人とご飯を食べながらダベるという状況を描いています。これは女性特有なのかもしれないのですが、こういう時の女の子は八割方“思いついたことをそのまま口にして次の瞬間忘れる”というお喋りをします。ですから、〈ねえ中華屋さんってなんでなんとか飯店ってとこが多いの〜?〉という台詞は、語り手が返事をするより早く忘れられていると思います。その、一つのところに留まらずくるくると転じてゆく〈彼女〉の美しさに、語り手は溺れているのではないかなあと思っています。 (水中反転)

2020-11-24

霊肉さんへ コメントありがとうございます。 好きな詩だと言っていただけて光栄です。 生活の中にはいつだってハッとするような場面がいくつもあって、それを写真で切り取るように詩にできないものか、そんなことを考えながら書いていた気がします。一枚で切り取るというよりは、印象的な場面をそれぞれ写真で切り取って、複数枚重ねて詩にするというイメージでした。 おそらくこの語り手の感情はコップにそっと水を注ぐようにして少しずつ量を増し、この瞬間、溢れ出たのだと思います。 (水中反転)

2020-11-24

初出は2017.7.30即興ゴルコンダ(仮) お題「水中反転」は私が出しました。 noteに投稿するにあたって若干修正して絵もつけたので、こちらにも投げてみたいと思います。 (水中反転)

2020-11-19

Yoshiさんへ コメントありがとうございます。 どんな小学生の頃を思い出したのでしょうか。気が向いたら私にもこっそり教えてくださいね。直接でなくても、作品にするとか、ね。 (さよなら鉛筆、トンボ印のちびた秋)

2020-11-12

かずやさんへ コメントありがとうございます。 鉛筆噛んでた元少年みつけた! 笑 実はこの「だあれ」は、童謡の「小さい秋みつけた」からきています。「だーれかさんがだーれかさんがだーれかさんがみーつけた」って曲です。子供の頃の私にとって秋といったらこの曲だったので。 そして私自身は普段「だあれ」と呼びかけるような詩を書かないものですから、自分で見ても言葉となかよくできていないなあと思います。 > 「だあれ」はとても強い呼びかけなのでできれば2回目くらいまでにされておかれるとより詩の世界に没入で来たなあとは個人的に思います。 なるほどなあと思いました。たしかに「だあれ」って強い。たとえば大人が「こんなことしたのはだあれ?」と呼びかけるとき大抵は怒るときですもんね。怒られる!って身構えますよね。 私としては、〈だあれ〉と書いてはいるけれども記憶の中の特定のあの子たちを想定していました。そして、あの子もその子もこの子も語り手も含めて〈ぼくたちはもう大人だから/トンボを追いかけなくたっていい〉よと思ったのでした。 強い言葉。なかよくなるのってむずかしいですね。 (さよなら鉛筆、トンボ印のちびた秋)

2020-11-11

杜 琴乃さんへ 選評をいただきありがとうございます。 投票が10日までだということを忘れていて(あってますよね?)、さっきまで慌ててアーカイブで十月作品を投稿順に読んでいました。それで不思議だったのが、自分の投稿作が別枠に入っていること。選評執筆という表記とともにお名前がいくつも並んでいるけれど、一番上の羽田さんのお名前をクリックしても「点」という作品の選評に飛びます。これってなんだろなーと。 で、なんとなく一番下の杜さんのお名前をクリックしてみたら、なんと私の作品に対する選評がある! びっくりしました。そんなわけでお礼が遅くなりましてごめんなさい。 作品のコメント欄にも書いたのですが、私は“自作については読者の手に渡った時点で著作権以外はその読者のものになる”と考えています。読んでくださる方にはその方の好きなように読んでほしいです。そして、作者である私自身も一読者として好きなように読みたいし、あくまで一読者としての解釈をしゃべりたい! 笑。 一般的には作者の語ることが“作者の意図”として読み手の解釈よりも上位に置かれることが多いのですが、私は、自作においてはそうじゃないと思うのです。 私は常々「私の思いつくことなんてたかが知れてるよなー」と思っています。ですから、読み手がそれまでの経験や知識を総動員して行なっているであろう解釈のほうが、私なんぞの小さな思いつきを遥かに超えるおもしろさにたどり着けるんじゃないかと考えます。 そんなわけで、今回はいろんな解釈が出てきたことをとてもうれしく思っています。 追伸 小さい頃私が捕まえられた虫はトンボとシジミチョウだけでした。パリパリ乾いた羽の感触と、人差し指と親指にきれいに残る鱗粉の模様をはっきりと覚えています。カブトムシは触れなかったです。 それから、私は子供が時折見せる残酷さや残忍さが好きだったりします。すごく大事にしていたバービーの頭を突然丸刈りにしてしまうとか。あれは、どんな感覚なんだろうなー。 (作品の世界へ導く「あの頃の私」)

2020-11-11

杜 琴乃さんへ コメントありがとうございます。 お子さんがいらっしゃるのですね。男の子かな。女の子かな。毎日たのしいだろうなあ(大変なことも重々承知の上で)。 私には子供はいないので、過去に小学生だった自分が教室の中で見た光景を書きました。それらが、杜さんから見ても〈誰もが一度は経験したことがある、ごくごくありふれたこと〉に見えたのがとてもうれしいです。 時折記憶のひきだしを開けては「そうそう、あの時そうだったよねー」なんて友人や家族と笑い合うのが好きなので、杜さんともそんな会話ができたような気持ちになっています。ありがとうございます。 (さよなら鉛筆、トンボ印のちびた秋)

2020-11-11

ABさんへ コメントありがとうございます。 初めてのお題出しでめちゃめちゃ緊張していたことを覚えています。 残念ながら投稿者数が伸びなくて、後から阿ト理恵さんに「お題だけで一行詩として完結しちゃってるから書きづらかったんじゃないかな?」って言われました。 お題出すのってむずかしい〜!って思ったのでした。笑 最近またゴルがさみしい感じになってますね。 2014年は(仮)がついてリスタートしたばかりの時でとてもとても賑わっていました。 同じくらいとは言いませんが、ずっとつづいててほしいなあと思います。 またゴルでもお会いしましょうね〜。 (さよなら鉛筆、トンボ印のちびた秋)

2020-10-29

うるりひとさんへ コメントありがとうございます。 本作は、お題に対して即興詩を投稿する即興ゴルコンダ(仮)というサイトで書いたものです。 このお題(タイトル)を出したのは私なのですが、書き終えた時、めちゃめちゃお題に引きずられているなあと自分で思いました。笑。 書いていてやたらとノスタルジーに浸ってしまったのは、秋、だったからでしょうかね。 >  最終蓮は自分の悪い癖で深読みかもしれませんが、こんな風に受け取りました。大人になってなかなか使わなくなったトンボ鉛筆、でも決してそのトンボを逃してしまったわけではなくて、握り潰している。つまり、大人になった今もあの頃の気持ちや思い出を掌の中に握り締めている。 最終連をそのように受け取っていただきありがとうございます。 大人になるということは子供の心を忘れるということではないと思うし、子供の心を持ったまま大人になることもできるのだと思っています。 (さよなら鉛筆、トンボ印のちびた秋)

2020-10-29

沙一さんへ コメントありがとうございます。 トンボ色鉛筆の愛用者でしたか! いいですね。そういえば、前に手描きのイラストを投稿されていましたよね。 > そのトンボ印の鉛筆にさよならするのは大人になったからでしょうか、それとも時代が進み鉛筆というアナログな筆記具あるいは画材によらなくてもデジタルによる筆記や作画が一般的になったからではないかと、さいごの文から思いました。 デジタル化という指摘はその通りだと思います。 ふと、高校生まであんなに好きだった鉛筆を使わなくなったなあと気づいた時がありました。カッターで一本ずつ削るのが好きだったのになあと。 それはたぶん、時間がないからなんですよね。 私の幼少期は“子供は子供らしくあらねばならない”という呪縛との戦いの側面があったのだけど、今は“大人として最低限やらねばならない”ことと戦っているなあと思ったりしています。 自分で生活するってどうしても時間を取られるんですよねえ。 > ぼくたちはもう大人だから > トンボを追いかけなくたっていい 最後の二行について、あくまでも一読者としての私の解釈は、〈追いかけなくたっていい〉のだから追いかけたっていい。つまり“追いかけねばならない”からの解放なのだと思います。 童心、いつまでも持っていたいです。 (さよなら鉛筆、トンボ印のちびた秋)

2020-10-29

楽子さんへ 私の詩を好きだと言っていただけてうれしいです。 そんなふうにバーン!と全肯定してくれる方はなかなかいないので、こそばゆいようなうれしみを噛みしめております。 ありがとうございます。 〈校舎の裏の忘れもの〉について。 私は作者なんだけれども、あくまで一読者としての私の解釈では、過去作「現代のしまうま」( https://www.breview.org/keijiban/?id=1393 )に出てきた忘れもののことを指してるんじゃないかなと思っていたりします。 私は小さい頃、家にいるのに帰りたいと思ったり、ずっと何かを忘れているような気がしたりというのがあって。 この感覚は年をとるにつれて薄れてきているので、私の中では“幼さの象徴”として存在しています。 あ、でももちろん、いじめとか他の解釈をしてくださっても構いません。 私は“自作については読者の手に渡った時点で著作権以外はその読者のものになる”と考えているので、どうぞ好きなように受け取ってください。 私は作者ですが読者でもあります。自作について私が書くことは、一読者の解釈として聞いていただけるといいなあと思っています。 > ラスト、「大人」であることをとても鮮やかに表現しているんだけど、 > 一方で、子供時代の何か(子供ならではのどうしようもなさ、なのかな)から解放された安らぎを感じました。 はい、私も改めて読んでみて、ここには解放感があるなあと思いました。 昔から大人っぽい(老けてる)と言われ続けてきた私にとって、“子供は子供らしくあらねばならない”というのは呪縛だったのだと思います。大人になれてよかったなあ。 そうそう! 〈「郷愁」って言葉の中に秋を見つけ〉るってとてもよいですね。 (さよなら鉛筆、トンボ印のちびた秋)

2020-10-29

即興ゴルコンダ(仮)に参加し始めてから初めてお題を出した時に、自分も書こうと思って書いた詩です。 というわけで、お題「さよなら鉛筆、トンボ印のちびた秋」は私が出しました。 初出:即興ゴルコンダ(仮)2014/09/16 この頃と比べると参加者が減ってしまったけれど、ゴルもよいサイトですよー。ビーレビとあわせてよしなに。 http://golconda.bbs.fc2.com 追伸 註をつけようと思っていたのにそれより先にコメントをいただけてびっくりしています。ありがとうございます。お返事は、後ほど改めて書きにきます。 (さよなら鉛筆、トンボ印のちびた秋)

2020-10-28

楽子さんへ はい、こうだでした〜。 > 山上さんと加藤さんがもう一度出会うのかはわからないけれど、地球上に人間が二人以上いる限り、やまおりたにおりはあちこちでつづけられるのだと思います。 この〈地球上に人間が二人以上いる限り、やまおりたにおりはあちこちでつづけられる〉という意味を込めて、作者名非表示としました。誰の物語にもなれるように。 そしてツイキャスアーカイブ、見ていただけたみたいでよかったです。もし「見たけど大してよくなかったからコメントしなかっただけ」とかだったら迷惑かなあと思いつつ、えいやとリンクを貼って正解でした。よろこんでいただけてなによりです。 楽子さんの「マスクの中で溺れている」は、滑舌の観点からはかなり読みやすかったです。かわいさを出すのには苦戦したけれど。笑。自分はこう受け止めたよ、というのを表現するのってなかなかにむずかしいのだけれど、練習するのはとてもとてもたのしかったです。貴重な体験をありがとうございました。 (やまおりたにおり、折り目正しい但書付き)

2020-10-07

はい、褒めています。これはどうなんだろうって気持ちが最後の二行で吹っ飛びました。 伝わらなかったみたいでごめんなさい。 ところで、〈スーパー頻出ポエムワード〉=いわゆる詩的な表現=普遍性、ではないような気がするのだけれど……。普遍性ってなんでしょうね。 (放流)

2020-10-06

パスワードを忘れ続けるさんの〈スーパー頻出ポエムワード〉という表現に笑ってしまいましたがそれは私も感じていました。 でも、最後の二行にやられました。 全部ひっくり返してきたなーって思いました。 (放流)

2020-10-06

私は酔っ払いが気持ちよさそうに歌い踊っている姿を想像しました。 たのしそうで好きです。 (からっぽのぉせんたっき)

2020-10-06

私は最後の三行好きです。 狭いベランダが一瞬にして宇宙くらいに広がったので。 好みは人それぞれですね。笑 (ベランダ)

2020-10-06

楽子さんへ 作者名非表示にしていたので黙っていたのですが、非表示解除されたので! > 短歌はまったくの初心者なのですが、時々いろんな方から影響を受けて真似事をしたくなります。 この影響を受けた方とは、楽子さんと多宇加世さんでした! やんややんや! 「マスクの中で溺れている」の朗読は聴いていただけましたか? フォーラムにリンクを貼ったのだけど時間が経つと消えてしまうので、もしまだ聴いていらっしゃらなければこちらからどうぞ。一時間半もあるので、つまみ食いをおすすめします。 【タイムテーブル】 瞼に焼き付く光跡は君をかたどる/一足遅れた戦友さん 0:10:20 解説(第五連の後半が好きなんです!という話) 0:12:30 朗読 ぬら 死の磨きたて/多宇 加世さん 0:15:30 解説(短歌畑の作者と詩畑の私との差異のおもしろさ) 0:18:40 朗読 マスクの中で溺れている/楽子さん 0:21:35 解説(キュン死にしそうな件) 0:24:32 朗読 ママンへ/斉藤木馬さん 0:25:55 解説(作者の挑戦する姿勢を見習いたいという話) 0:31:14 朗読(こうだたけみなりの挑戦) 僕の獏、獏の僕/ABさん 0:33:52 解説(力説! 抜け感のよさ) 0:39:00 朗読(一箇所ごまかせないほど噛みましたごめんなさい) 木箱/みつきさん 0:42:50 解説(作者の言葉への向き合い方が好もしいという話) 0:49:00 朗読 排除/&さん 0:50:55 解説(作品の強度って作者のいない場で測れるのかも?という話) 0:56:35 朗読 しゅっせき/なかたつさん 0:58:50 解説(こうだの妄想ダダ漏れな読解) 1:06:50 朗読 「ビーレビ6月投稿作品朗読キャス」 https://twitcasting.tv/kouda_takemi/movie/639832644 改めて、ありがとうございました。 (やまおりたにおり、折り目正しい但書付き)

2020-10-06

パスワードを忘れ続けるさんへ よかった、読んでいただけて。「びそあターャジス」の「したにひたしたあいらびゆ」に対して書きました(あ、人違いだったらごめんなさい)。 四年ほど前のランチタイム、他のテーブルで騒ぎ回る他所様の子供たちを見て当時の同僚が「子供は未来の塊だね」って笑っていて。私は、私が未来の塊じゃなくなったのはいつだったかなあ、と思ったのでした。 朗読してみたのでよかったら聴いてくださいな。こうだたけみ“うそつき”宣言です。 詩に他意はない、詩にシたいから生き(詩)ています。 https://soundcloud.app.goo.gl/xikNRD1d4v47vCsk6 (赤いはうそつきの舌)

2020-10-06

百均さんへ > こうださんのトリップコメントとか書くと失礼になっちゃうかもですけど、単純に僕と思考の引き出しが全然違うのでなんか読んでてライバル心が出てくるのはこうださんのコメントなので、単純にゆるくバチバチとやりましょうね。みたいな感じでした。 私は六月のお祭りに参加させてもらって、百均さんが言うところの〈こうださんのトリップコメント〉とともに朗読ツイキャスをしました。笑。許可をくれた八名の作品を読んでます。長いから、選考が終わってからでもつまみ食いな感じで聴いてみてね〜。人様の作品読むのってたのしいよね。バチバチやろうぜ! ファイティン! 「ビーレビ6月投稿作品朗読キャス」 https://twitcasting.tv/kouda_takemi/movie/639832644 (無乳病)

2020-10-04

百均さんおかえりなさーい! わいわい。 なんかよかったねーってニコニコしています。 「紙袋をかぶったフラミンゴの群れ」というモチーフはとてもとても好きです。が、いつもの感想が口を突いて出そうになったので黙ります。たぶん百均さんならわかってしまうだろうけども。笑 今月は選考委員が豪華だから俎上に載せてもらえるような作品を投稿しなきゃなーと思ったけれどあと二日か。どうなることやら。 選考がんばってねー! (無乳病)

2020-09-29

楽子さん 短歌はまったくの初心者なのですが、時々いろんな方から影響を受けて真似事をしたくなります。この詩では、最初に最後の一行ができて、この一行のために全体を書きました。 「ガツンとやられて」とか「オシャレ」とか普段はなかなか言われない身に余る褒め言葉に照れています。ありがとうございます。 山上さんと加藤さんがもう一度出会うのかはわからないけれど、地球上に人間が二人以上いる限り、やまおりたにおりはあちこちでつづけられるのだと思います。 (やまおりたにおり、折り目正しい但書付き)

2020-09-21

くおん 文字描きわんこさん はい、かけています。 タイトルを気に入っていただきありがとうございます。 こちらの電話がくおんさんにつながったようでうれしいです。 シャープを二回、またいつか。 (やまおりたにおり、折り目正しい但書付き)

2020-09-21

※この作品はフィクションです。登場する人物、企業等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 (やまおりたにおり、折り目正しい但書付き)

2020-09-18

度々ごめんなさい。 フォーラムに書き込んだのですが、なぜかうまく反映されないのでこちらへ書きます。 一足遅れた戦友さんへ 朗読許可をいただきありがとうございます! 私がどんな感じの朗読をするかは、以下のアニメーションなどを見ていただくとわかるかなと思います。 「鳶に油揚」 https://www.breview.org/keijiban/?id=5657 えーと、決してうまくはありません。下手の横好きです。 そして、どうあがいても私の解釈でしか読めませんので、一足遅れた戦友さんのお気に召すかはわかりません。ですが、私なりに精一杯読ませていただきたいと思います。 現在、二名の方から朗読可否の連絡をいただけておりません。ご返事がもらえたら詳細を決めて、改めてフォーラムにてお知らせします(おそらく二回に分けてツイキャスで配信します。アーカイブも残します)。 よろしくお願いします。 (紫陽花)

2020-08-13

わー! ありがとうございます! フォーラムにもお返事書きますね! (紫陽花)

2020-08-12

こんばんは。 こちらの作品へのコメントでなくて大変恐縮ですが、該当作のコメント欄が閉じてしまっているのでこちらへ参りました。 一足遅れた戦友さんの6月の投稿作「瞼に焼き付く光跡は君をかたどる」の朗読許可をいただきたいです。 フォーラムの6月の大賞発表の記事はご覧になっていただけましたか? https://www.breview.org/forum_blog/archives/1028 こちらのコメント欄で、6月の投稿作の中から朗読したい作品があるので許可をいただきたい旨を書きました。「瞼に焼き付く光跡は君をかたどる」もぜひ朗読してみたい作品です。 つきましては、朗読の可否をフォーラムのコメント欄に書き込んでいただけましたら幸いです。 よろしくお願いします。 (紫陽花)

2020-08-12

こんばんは。 こちらの作品へのコメントでなくて大変恐縮ですが、該当作のコメント欄は閉じてしまっているのでこちらへ参りました。 6月のウトイさんの投稿作「ぷろてすとたん」の朗読許可をいただきたいです。 フォーラムの6月の大賞発表はご覧になられましたか? https://www.breview.org/forum_blog/archives/1028 私の個人賞に「ぷろてすとたん」を選びました。つきましては、ぜひ作品を朗読させていただきたいです。 フォーラムのほうに朗読の可否を書き込んでいただけるとありがたいです。 どうぞよろしくお願いします。 (かいてんたい)

2020-08-12

沙一さんへ コメントありがとうございます。というか、上げていただきありがとうございます。笑 Twitterでのつぶやきが久しぶりに詩の形になったので投稿してみました。息を吸って吐くみたいに、詩が書けたらしあわせなのにと思います。 (ぼーっとしたよとつぶやいたけど、今もそうしているよ)

2020-07-26

なかたつさんへ 盛大に外しました!笑 じつはとある女性が六月に投稿してくれるかもしれなくて待っていたのです。それで最終日だし一人称「わたし」だし、これは!って。しかもお返事で「こうださん」って呼ばれてさらにそう思い込んだのだけど。あ、私ビーレビではフルネームで呼ばれることが多くて。「こうださん」「たけみさん」と呼んでくれるのは会ったことのある方かゴル常連の方。そうだよなー、なかたつさんも「こうださん」て呼んでくれる方だったわ男性だけど。笑。 六月の選考委員を務めているのですが、昨日7/5が個人賞の選評提出締切日でした。対象作品を選ぶに当たっては、ビーレビのコメント推奨にちなんで作者とある程度やりとりをしてから決めるつもりでした。そこで困ったのが作者名非表示の作品。「しゅっせき」はかなり好みなのだけど、名前を伏せたままのやりとりにもやもやしてしまって。残念ながら対象からは外してしまいました。それと、締切に遅れないよう7/3に選評を提出したのですが、その翌日にお返事をくれたみつきさんも残念ながら対象外に。期限内に選ぶのってむずかしいですね。 話は変わりますが、私は文章を読むのが苦手です。黙読だと頭に入ってこないので大概は音読をします。音読が好きだからというのもあるけれど。それで音読をすると、かつての僅かな演劇経験のせいで台詞をしゃべる回路のスイッチが入ります。するとどうなるか。自動的に作中話者の人物設定への考察が始まるんですね。ここで「この言葉この人物が言うかしら」なんて気になり始めるとスムーズに読めない。だから、私は音読をすると作者がどのように言葉を選んでいるかがわかるように思うのです。こういう言い回しかっこいいだろ〜とか思っただけで書かれたものってなんとなくわかっちゃうんですよね。 さて、前置きが長くなりましたが、本作は作者が丁寧に言葉を選んでいることがわかってとても音読しやすかったです。このことをなんて表現したらいいかここ最近ずっと考えていたのだけれど、「話者の体温と同じになるまで作者が言葉を温めている」という表現についさっき辿り着きました。作者と話者は同一であるとは限らないから、話者の体温になっているかどうかが重要なんだろうなと。 すでに無駄に長くなっていますが、本作について私なりの読解を書いてみます。 私は本作の話者を女性だと考えました。たぶん大学を卒業して数年経ったくらいの若い女性。 一連目は買い物をしているシーン。話者の現状。自分の「買い物をする」という行為をすごく客観的に見ていて不思議な感じ。 二連目は、買い物の場で急に思い出した大学の講義中の出来事の回想。ここでの会話部分の登場人物は二人もしくは三人。二人であれば一つ目と三つ目が話者。三人であれば三つ目が話者。会話は一応噛み合っているように見える。 三連目は、二連目で百円玉一つという「わたし」の行為(代返)につけられた値段から売春についての考察。私は話者を女性だと思ったのですが、たぶん話者は、自分自身を通してなのか身近な人間を通してなのかはわからないけれども売春を知っていると思いました。だから、世間一般の人が持っているいわゆる“売春”のイメージとは違うものが話者には見えているように思えます。会話部分の登場人物は三人。おそらく話者の台詞は三つ目。少しずれ始めている。 四連目は春という漢字にかかって思い起こされた青春という単語についての考察。会話は三人。話者は三つ目。他の登場人物とは違うものが見えていそうな、違うものを見たいと思っていそうな台詞。 五連目で急に偉人の手紙の話。おや、となるけれども「ものの値段」の話につながっていくから一連目に戻ってしまう感覚。季節が巡ってしまう、また春が来てしまう。会話は二人あるいは三人。話者は二番目。 私はこの「わたしは、いくらですか」という台詞が好きなのだけど、ここでガクンと音を立てて、決定的に話者が他の人のいる世間からはみ出したように感じるのです。 「あれ、背中に値札がついたままだよ」 「           」 「もうとれたよ」 上の空白の鉤括弧内に適切な台詞を入れなさいという問題があったらたぶん、「うっそやだ、とって!」とかそんな台詞を私なら入れると思うのだけど、話者は、実際についたままの値札なんて見ていない。他の人には見えていないものを見つめながらガクンとずれる。そのずれている感覚は各連に丸括弧の文章が付けられていることからもわかります。 話者はもうすでに何度も、ちょっとずつ世間からずれながら季節が巡っていくのを見ています。その間にわかってきたのが丸括弧内の部分。そしてこれからもずれたまま季節は巡っていって、いつかその〈繰り返される春のうちに潜む違い〉に気づけるのではないか。私は、気づけるといいなと思いました。 (しゅっせき)

2020-07-06

みつきさんへ やっぱり言葉遊びでしたか! 私は言葉遊びばかりしている人間なのですが、言葉“で”あそぶのではなくて言葉“と”あそぶことを目指しています。 「木箱」を読んでいて、みつきさんも言葉“と”あそんでいるように見えたのでうれしくなってしまって。 それから、私は文章を読むのが苦手なので黙読より音読を好みます。もちろん「木箱」も音読をしたのですが、音がきれいでとても好もしいと感じました。 ところで、私は音読をすると作者がどんなふうに言葉を選んでいるかがなんとなくわかるような気がしています。「木箱」からは、とても丁寧に言葉を選ぶ作者の姿が見えました。もし、この詩の古語から「なんだかよく調べもせずかっこいいからとかその程度の理由で使っているのかなー」と感じてしまっていたら、私はこちらにコメントを書かなかったと思います。 > 人との交流が少ない日本語話者は、独自の言い回しをすると想定して、造語を混ぜたりしています。 語り手である人物が日常的に話す言葉としてしっかりと考えられているのだということがわかって、ますます好もしいと思いました。 (木箱)

2020-07-04

かずやさんへ 再度のコメントありがとうございます。逆に長々と書いてしまってもうしわけないです。簡潔に述べるっていうのが苦手なもので。 > 私が調べないのは「詩を読むとき」と「本を読むとき」まさにその時だけでありまして。/やっぱり読み終われば調べるのです。/そしてその後に変わる自分を楽しむのです。 ごめんなさい、てっきり「創作するのに他人の創作物を見ると影響されるから一切見ない」主義の延長線にいる方なのかと思いました。大変失礼いたしました。あ、そもそも私の詩を読んでくれているじゃないですか。あわわ。 デュカット違い。とてもいいですね! 実は私、6月の選考委員をさせていただいていて、たったいま個人賞の選評を書いているのですが、まさに勘違いの話を書いております。もしよかったら公開された際にはご笑覧くださいな。 (デュカットは静かだ)

2020-07-03

横山はもさんへ コメントありがとうございます。 この作品が軽いのは、おそらく私の性格のせいです。そりゃ落ち込むこともあるけれど、ドーンと落ちてめっちゃ泣いたりしてみた後に少し回復してきたなーと思ったら、よく寝て、たくさん笑って、たのしい気持ちでいるほうが生きているのが楽だと思うから。 きっとはもさんは本作だけを読んでたのしんでくださったのですね。 もしご興味があれば、というか、せっかくの好もしい印象が台無しになってもよければ、エイクピアさんのコメント欄に貼った「アイリーン・モア灯台事件」 とSoundCloudの私の朗読を聴くと、全然違う印象になると思います。ある意味でおもしろ体験をされたかったらぜひに。 > ぼくはアレルギー持ちなんですけど、職場ですごく大切な会議中のときに限って鼻がつまっていて思わぬ場面でピ!とか鳴ってしまうんですよね。 私も花粉症がひどいので秋から梅雨の頭くらいまでずっとぐずぐずしています。そうか、私の鼻が通ってるのって夏だけか。どおりでいま楽なわけだ。笑 こういうごく少数の人だけが「わかるー!」ってなることをこっそり混ぜると、それが刺さった、普段は私の書くものを読まないようなめずらしい方などから「いいね」と言っていただけたりして、実はうれしかったりします。 (デュカットは静かだ)

2020-07-03

かずやさんへ コメントありがとうございます。 調べてしまいましたか〜。うひひ。 タイトルの「デュカットは静かだ」は、即興ゴルコンダ(仮)という即興詩のサイトで出たお題です。出題者のみずけーさんが、エイクピアさんへのコメント欄に貼ったURLを提示されていて、私はそれしか読んでいないのだけども「このお題、絶対書きたい!」ってなって書いたのが本作です。 かずやさんがデュカットについてどんな知識を得たのかはわかりませんが、私は「アイリーン・モア灯台事件」をとても魅力的な物語だと思っています。こういうネタをどこから仕入れてくるのかたくさん持っているのがみずけーさんで、みずけーさんの書く作品も私はとても好きです。ビーレビには参加されていないのでゴルくらいでしか読めないけども。 > 詩を読むときにはあまり文中で使われている言葉を知らべないようにしています。 そうしなければついつい読むことを怠ってしまうような気がするので。 私はまったく逆で、これはなんだろうと思うと速攻で調べます。そして、作者が意図していない意味まで盛り込んじゃったりして勝手な読解をしていきます。もちろん時々は作者に怒られますがとてもたのしいです。なぜなら、自分の知識だけで読んだ時とは作品の見え方が違うから。 よく、「他人のことは変えられない」と言ったりしますがその通りで、自分に変えられるのは自分だけです。作品の見え方が変わるのは自分が変化したからですよね。変化するのってたのしいですよ。 そうそう、私は高校で演劇部に所属していて役者も少しばかりやっていたのですが、演劇の稽古場は、人間の変化するその瞬間を目撃できる奇跡みたいな場だと思っています。 稽古をしていて、演出や他の演者、スタッフたちがダメ出しをします。何度もそのシーンを繰り返すけれどもどうもしっくりこない。 「この台詞、こう言ってみたらどう?」 「わかった、やってみる」 「じゃあいきます、はい!」 誰かのたった一言で、ガラッと役者の演技が変わる。ゾクゾクします。この役者が自分だったりしたらもう、その魔力にやられてしまいます。どうやっても変われない人もいるし、しょっちゅう出合える光景ではないのだけれど。 そんなわけで、私はもうずいぶん長いこと演劇には関わっていないのですが、いい芝居を観たりすると発作的に「芝居やりたーい!」ってなります。ああ、芝居やりたい。笑 改行をおもしろいと思われたようですが、そんなにたいした技術ではありません。まあ、私のように簡単に多用する人は少ないけれども。 かずやさん、たくさん読んで、どうぞ変化をたのしんでくださいね。 (デュカットは静かだ)

2020-07-03

トビラさんへ もしこのお客様が、「この服は子供用だと言うけれどこんな変な形の服は子供に着せられないよ」とか、「こんなにほつれていたらそもそも服としての機能を果たしていないじゃないか」とおっしゃるならば、店員も「はい、申し訳ございません。改善いたします」と言ったでしょう。 あるいは、ここが紳士服売り場ならお客様の「ここには僕の着る服が売っていないじゃないか!」というご指摘は不自然ではなかったかもしれません(男性用スポーツウェア売り場でスーツが売っていないと主張するとクレーマーになってしまいますが)。 当店の商品の質そのものについてのご指摘などはよろこんで承りますので、何かございましたらお知らせください。 (初夏のある日)

2020-07-02

エイクピアさんへ コメントありがとうございます。 こちらは2020.5.12 即興ゴルコンダ(仮)でみずけーさんが出されたお題「デュカットは静かだ」に書いた詩です。みずけーさんはお題を出される際に元ネタとして以下のURLを提示されました。 「アイリーン・モア灯台事件」 http://roanoke.web.fc2.com/foreign/Eileen_mor.htm そちらにある物語をもとに書いたのが本作です。イメージしているのは、アイリーン・モア事件を知って現場に肝試しに行った少年たち、だったりします。そんなことは本文のどこにも書いていないけども。笑。 そういえば朗読をSoundCloudにあげていますので、ご興味があればお聴きくださいな。 朗読「デュカットは静かだ」 https://soundcloud.com/user850776306/0i1eohkbo6tp (デュカットは静かだ)

2020-07-02

鈴木夜道さんへ コメントありがとうございます。 > NHKエデュケーション番組/「にほんごであそぼ」が/ぱっと念頭されて あの「にほんごであそぼ」を想起していただけたなんて光栄です。おこがましいですがまさにその通りで、私は友人とその子供たちのために本作を制作しました。コロナ禍であまり学校へ通えず友達とも遊べない子供たちに、少しでも楽しい気分になってほしかったのです。だからリズムや語感だけでおもしがれるものを目指しましたし、当の子供たちに登場してもらうという方法をとりました。どうやら子供たちには一応好評だったようです。 > すぐに「粗(あら)」として/目についてしまうようだと/舌の肥えた目の肥えた/いっぱしの消費者きどりで/語り出しがちなわたしたちです。 これは本作の粗探しをしたくなったということでしょうか? だとしたらとてもうれしいです。なぜなら、ついに四作目にして粗探しをしてもらえるくらいにまでクオリティが上がったということだからです。 一作目「くちくなる」 https://www.breview.org/keijiban/?id=3482 はアニメ作りの方法などまったく知らないくせにとにかく絵を動かしてみたい一心で作りました。下手なパラパラ漫画を無理矢理動画にしたようなクオリティの低さです。 二作目「こっちにおいで」 https://www.breview.org/keijiban/?id=5250 はシネマ歌舞伎を観たことで私の中で起こった出来事をアニメ化しました。こちらのビーレビで賞をいただいたのですがクオリティ云々ではなく“詩を書く人間が自作をアニメ化するのは新しい”という理由で評価していただいたと思っています。 三作目「鳶に油揚」 https://www.breview.org/keijiban/?id=5657 では言葉遊びの可視化に挑戦しました。これは解説が目的であるためにアニメーションとしての動きはほとんどなく、少しばかり手の込んだPowerPointによるプレゼンみたいな感じでしょうか。 そして四作目の本作で、私は“初めてアニメをつくりたいと思った時の目標”に向けて一歩を踏み出したつもりでいます。 いつかアニメづくりに挑戦したいと思ったきっかけは、NHK教育(3ch)で放送されていた山村浩二さんの「パクシ」というクレイアニメです。ディズニーやジブリなどのアニメ映画やエヴァなどのテレビアニメにハマった時期もありましたし、ウゴウゴルーガのようなCGを使った番組も大好きでしたが、それらはあくまで画面の向こうの世界。つくってみたいと思うことはありませんでした。というより思いつきもしなかった。けれども「パクシ」は中学生の私にとって、私もこれ作ってみたい!と思わせる強烈な何かがあったのです。 そんなわけで、私のアニメ作りの最大の目標は山村浩二さんです。足元にも及ばないどころかゴミ以下ですけどがんばります。笑。他にも、近藤聡乃さんやキューライスさんのアニメも大好きですし、実写+アニメだったらヤン・シュヴァンクマイエルさんの作品がとても好きです。どれもシュールなものばかりなので大変偏りを感じますが。 名前を挙げていただいた詩人たちは、お三方とも子供向けの作品を残していますね。宮澤賢治は童話、谷川俊太郎はことばあそびうた、まどみちおは言わずもがなです。彼らの作品を覚えている限り思い出してみてこんなことを思いました。詩の根底には“言葉を発することのよろこび”があるんじゃないかと。 私もこのよろこびを忘れずに、創作活動をしていきたいなと思いました。 (初夏のある日)

2020-07-02

トビラさんへ 再度のコメントをありがとうございます。 ご紹介いただいた動画を拝見しました。とてもかわいらしいアニメのミュージックビデオですね。 拝見してみて、トビラさんがお好きなアニメもトビラさんがアニメと聞いてイメージするものも、残念ながら私の目指すアニメとは別物だということがわかりました。予想はしていたけれど。 ちなみに、私の好きなアニメはこんな感じです(敬称略)。 キューライス「鴨が好き」 https://youtu.be/48-RA4BNXVc 近藤聡乃「電車かもしれない」 https://youtu.be/BYfu-ErF8xY 山村浩二「おうち」(カロとピヨブプト)https://youtu.be/y8LTgIHKocs さて、ご質問にお答えしたいと思います。 > こうださんは、アニメーションや詩文を作りたいのか? 本作は私の自主制作アニメの四作目なのですが、初めて作ったのは一年ほど前、「くちくなる」というアニメです。 https://www.breview.org/keijiban/?id=3482 iPhone向けイラスト作成アプリAdobe Drawで手描きした絵を画像化し、iPhone内蔵動画編集アプリiMovieでなんとか動画にしています。まったくの素人でしたがとにかく描いた絵を動かしてみたい一心で作りました。ノートの端に落書きしたパラパラ漫画を本当に動かしちゃったみたいな感じで、クオリティはめちゃめちゃ低いです。 ところが、この「くちくなる 」を友人の娘A子ちゃん(仮名)がとても気に入ってくれました。動画を一時停止しつつ紙にテキストを書き起こし、それを朗読してみせてくれるほどに! 私はその朗読がとてもとてもうれしかったので、A子ちゃんが登場する、A子ちゃんのためのアニメーションをつくりたいと考えました。 〈アニメーションや詩文を作りたいのか?〉と問われれば、トビラさんが想定されている〈アニメーションや詩文〉と私の作りたい“アニメーションや詩文”がまったくの別物であることがわかったので、前者の場合はNO、後者の場合はYES!です。 ただ、私は制作会社に所属するアニメーターになりたいわけではありませんので、〈原作みたいなのがあるといい〉というご意見には肯けません。あくまで個人的に自主制作アニメをつくりたいので、自分がアニメ化したいと思うテキストやシナリオがあれば、自作であれ他人様の作であれ挑戦するだけです。 > それとも、アニメーションや詩という表現手段で、表現したい何かがあるのか? 本作に限って言えば、アニメーションや詩によって表現したいことはありません(他に6月には「鳶に油揚」 https://www.breview.org/keijiban/?id=5657 というアニメも投稿しているのですが、そちらは“私の頭の中で起こっていることを可視化する”=言葉遊びの可視化を目的に作っています)。 私の書く詩は基本言葉遊びですが、控えめなものから特盛りのものまであります。「くちくなる 」と本作「初夏のある日」は特盛り。言葉と遊び倒すことが目的であって、意味なんて放り投げていくタイプの詩です。 絵本や子供向け教育番組などを見ていただければご理解いただけると思いますが、子供は意味などわからなくても、リズム感や語感だけでおもしろがることができます。私の過去作の中で、子供がおもしろがってくれそうなリズム感や語感の詩を探した時にこれだと思ったのが、この「初夏のある日」という詩だったのです。 > 例えば、タイトルが「初夏のある日」ですけど、初夏感をあんまり感じらませんでした。/感じたのは湿気た感じくらいかな。 この詩に〈初夏感〉がなく〈湿気た感じ〉だけがあるように思うのは正しいです。 この詩は、2016年6月5日に即興ゴルコンダ(仮)という即興詩のサイトで出されたお題「初夏のある日」に対して書きました。 “初夏”という言葉からは爽やかな陽気を想起するのが普通です。普通ということは誰もが思いつくということ。きっと“爽やかな初夏”については他の参加者のうちの誰かが書いてくれますから、別に私が書かなくてもいいよね、と思うわけです。 ところで、日本の初夏って陽気のいい日は大概長くつづかなくて、あっという間に梅雨になってしまいますね。それなら私は、初夏から梅雨になるまさにその日を書こうと思いました。それだって“初夏のある日”に違いないですから。 初夏はearly summer。アーリーサマーは音を漢字にすると“有様”。そこから連想した“様々”に逆にサマーザマーになってもらって、さまざまに遊ぼうとしたのが本作です。きっとなに言ってるか私以外の方はわからないでしょうけれど、たのしく言葉と遊んでおります。 そんなわけで、この詩に〈初夏感〉がなく〈湿気た感じ〉だけがあるように思うのは正しいのです。 ご質問への答えは以上です。 トビラさんとのやりとりを通じて、私はこんな場面を思い浮かべました。 ──ここは子供服売り場のフロア。私は店員。そこへお客様としてトビラさんがやってくる。 お客様「(辺りを見回して)ここには僕の着る服が売っていないじゃないか!」 店員「恐れ入りますがお客様、こちらは子供服売り場でございます。紳士服売り場のフロアは一つ上の階でございます。右手奥にエスカレーターがございますので、そちらからお上がりください」 長々と失礼いたしました。 (初夏のある日)

2020-07-02

とても好きです。とくに最後の会話の部分。 > 「あれ、背中に値札がついたままだよ」/「わたしは、いくらですか」/「もうとれたよ」 この「わたしは、いくらですか」がとても好きです。「やだ、とって!」とかじゃないところがいい。 そして作者名非表示ですが、この人かなあという予想をつけていて、もし当たったらうれしいなあと思っています。どうだろうなー。盛大に外しているかもしれないけれど。 (しゅっせき)

2020-07-01

湯煙さんへ 問題が解決したようでよかったです。 (初夏のある日)

2020-06-30

2020.5.13 即興ゴルコンダ(仮)投稿 お題「デュカットは静かだ」の出題者はみずけーさんです。 コメント20個で本当に三作目が投稿できるのか確かめたくて投稿しました。 (デュカットは静かだ)

2020-06-30

獣偏さんへ 「精神病院」というのが、よくあるモチーフとして登場しているのか実体験として登場しているのかどっちだろうなと思いながら読んでいました。なぜそう思ったのかというと、冒頭二行がとても軽い言い回しだったからです。 そして最後の二行を読んで、冒頭二行はここまで軽くしないといられないということなんだろうなと思いました。自分自身を保つために。 “体験を書く”というとき、実際にあったことを事細かに書けばいいかというとそうではなくて、出来事を一度自分の中に取り込んで咀嚼してやがて吐き出されたものが作品としての強度を持つのではないかなと考えています。獣偏さんの今後の作品もたのしみにしています。 (以上でも、以下でもない)

2020-06-30

&さんへ 初めに声に出して読んで「お、いいな」と思い、黙読してさらにいいなと思いました。 > 家に帰ろうとしたんでしょうか一日中/一日中、絶対に開かないドアの前で/もぞもぞと、帰ろうとしたんでしょうかゴキブリの/小さく弱い手足 とくに最後の連の文章の区切り方が好みです。一連目の三行目と四行目ですでに「これは」という期待感があって、最終連で「やっぱりいいなー」ってなりました。 (排除)

2020-06-30

トビラさんへ 率直にご感想をいただきありがとうございます。 逆に申し訳ないくらいなのですが、まったく傷つきませんのでご安心ください。そうかトビラさんはそう思ったのか、と受け止めるだけです。 動画も見ていただけたようですが、そちらはいかがでしたか? 素人ながら見様見真似で作り続けて、この四作目でやっと少しは動きを作れるようになってきたなあという感じなので、とくにアニメーションづくりの技術的な面でアドバイスをいただけるととてもうれしいのですが。 アニメを作る側の方と知り合いになるのはなかなかむずかしいですね。できればテレビアニメ的なものではなくて、クレイアニメとかを個人でコツコツ作っている方から学びたいです。 (初夏のある日)

2020-06-30

エイクピアさんへ コメントありがとうございます。 作者としてはまったく意識していなかったのですが、ご指摘いただいて、「たしかに記号的に見れば麻原彰晃と囚人だよねこれ、なるほどたしかに!」ってなっています。いや、めっちゃびっくりしたー。笑 じつは登場人物にはモデルがおりまして、まあ古い友人と友人のお子様たちなのですが、彼らをそのまま描いただけなので他意はないのです。仲間がアニメに登場するという内輪ウケをねらっただけでした、ごめんなさい。 えーと、もちろんテキストやアニメのストーリーにはモデルの出自などは一切関係ありません。男性のビジュアルにインパクトがあるから十分おもしろいよね、くらいの軽い気持ちでおりました。 そうかー、なんか想定していたのと全然違う読みに出合えそうな気がしてきました。どうせならモデルは友人だってことも黙っといたほうがよかったかしら。笑 あと、どうやら乗客が子供であることも伝わらなかったようなので、もっとイラストの練習しなきゃって思いました。男女の描き分けすらできていない自覚はあるので。もう四作目になったのだから、素人が見様見真似で作ってますって姿勢ではだめですね。精進します! (初夏のある日)

2020-06-30

5月の頭からずーっと格闘していたアニメーションがやっと完成しました。今回は初めて音楽まで作りました。 【使用機材】 MacBook Pro 【使用アプリケーション】 朗読録音:ボイスメモ 作画:Illustrator 音楽:GarageBand アニメーション制作:iMovie (初夏のある日)

2020-06-30

エイクピアさんへ 安定のエイクピア節だ!ってよろこんでいるのですが失礼だったらごめんなさい。 エイクピアさんの書かれる詩は読んでいるとあちこちのボタンがかけ違っていく映像を見せられているような感覚がして、ムズムズするようななんだか笑い出したくなるような奇妙な体験ができて、いつでもたのしいです。 今回の「烏頭」は、「うず」なのか「うとう」なのか「からすがしら」なのか「からすあたま」なのかわからないけれども、個人的にはタイトルを「うず」と読んで回路からの渦へとつなげたいし、最後は「からすあたま」と読んで鶏よりは賢いくらいのカラス頭にされてしまうヒーローたちを想像して「怖!」ってなりつつたのしみたい、と思った次第です。 (烏頭)

2020-06-29

木馬さんへ 差異は尊い。たしかにそうですよね。そこに踏み込んでこそ何かが始まると思います。木馬さんが、どうやら近しい考えの方のようでよかったです。 私の説明不足もあったのだろうけれど、以前百均さんに「違うって悪いことじゃないんだよ!」と力説したときには壁を作るような動作をされてしまって、「いや違いを認めるって壁をつくることじゃないし!」ってなったので。笑。(あ、そういや百均さん元気かな??) 朗読のエンターテイメント性については私もとても興味があります。なんせ、ご存知の通り妙な振り付きで朗読しますので。笑。 木馬さんは朗読を芸の域にまで持っていこうとされているんだろうな。すごいなあ。第一声から掴み、間で座らせ、そして聴かせる。そこまで考えたことなかったです。自然にたどり着いたスタイルかー。私にはそこまでの覚悟みたいなものがないのでまだふわふわしています。いつか化けられるといいのだけれど! どうぞますますのご活躍を。そしていつかどこかの朗読会場でお会いできますように。(早くコロナウイルス収まってほしい) (ママンへ(音声版))

2020-06-29

みつきさんへ かなり好きです。全部は意味を拾いきれないけれども。 > あすは渡る、揺れる橋てにをは、かけてかけがえのない、かけをば この「かけをば」がキーなんじゃないかなと思っています。一行目の喘鳴の“鳴”の音にめいめい(銘銘)が呼び起こされるところから始まって、橋を掛けて掛け替えの無い“てにをは”にかけた掛け言葉。 「にぎらせた石ころげ」は「握らせた石ころ転げ」だろうし、「垂る水は毒にてやむなし、」は「垂る水は毒にてや虚し、」と「垂る水は毒にて止む無し、」かもしれない。「手ひいておもう」は誰かの手を引くのか、何かから手を引くのか。 とこんなふうに、かけてあるかもしれない言葉を探すのがたのしいかったです。 ただ残念なことに、私に古語の知識がないばっかりに、全体の意味をとらえることができませんでした。そこまで読めるともっとおもしろいのだろうけれど。 そして、これは書いているご本人が一番たのしんでいるんじゃないかなと感じました。とてもよいと思います。 (木箱)

2020-06-29

みつきさんへ 読んでいて、「普通」と書かれてはいるのに最後は「不通」になったような、不思議な気分になりました。通じていると思っていたものが通じなくなってゆく感じ。おもしろかったです。 (普通)

2020-06-26

SNOWMAN911さんへ 一連目の、どこで区切ったらいいのか一瞬わからない文章が好みです。スノーマンよりも早く、冒頭で私の脳みそが溶けました。 (スノーマンは溶けた)

2020-06-26

オブシディアンさんへ もしも嫌韓の方だったら不快かもしれないけれどもタイムリーだったのでコメントを。 つい最近「主君の太陽」という韓国ドラマを見ました。主演の女優さんがとてもかわいらしくて好きなので。ドラマ自体はオカルト+恋愛もので、まあおもしろいかなくらいの感じでした。笑。 主人公はテ・ゴンシルという女の子。テ嬢(ヤン)と呼ぶと発音が太陽(テヤン)と同じになるそうです。テ・ゴンシルの高校の同級生にテ・イリョンという同じ苗字の女の子がいたのですが、かわいくて成績も性格もよくて人気者だったゴンシルが“大きい太陽”、地味だったイリョンが“小さい太陽”と呼ばれていました。 ところが高校卒業後、事故に遭ったゴンシルは落ちぶれて、地味だったイリョンは芸能界デビューをしてスターになります。イリョンはゴンシルを見返してやろうと躍起になるのですが、なぜか肝心のところでゴンシルに勝てない。 この設定、ドラマの本筋ではないのですが「サンストーン」を読んでいてパッと思い出しました。 ゴンシルは、自分で輝きたいと思っているわけではないのにみんなからは輝いて見える。なぜなら、常に自分ではなくて誰かのために行動するから。 イリョンは、自分が輝きたいと思ってみんなに輝いているように見せている。たしかにきれいなのだけど、それだけ。 「サンストーン」の語り手はどちらの太陽になるのだろう。私だったら“大きい太陽”になりたいけどなあなどと思ってみました。輝きのある人。私には程遠いけれども。 (サンストーン)

2020-06-26

斉藤木馬さんへ 私も最終連がいいなと思いました。「愛着はあれど執着はしない」って大事ですね。私もそんなふうに生きたいです。 (緑の石橋)

2020-06-26

斉藤木馬さんへ いいですねー。ニコニコしてしまった。あ、内容ではなくて朗読のよさによってです。 木馬さんはとてもストレートな朗読をされるんだなあと思いました。詩を介して伝えたいことに一本筋が通っている。だから迷いがないのでしょうね。 時々、ただ感情を込めているだけで自己陶酔というかナルシシズムというか、聴いていてちょっと恥ずかしくなるような朗読に出合うことがあるのだけれど、木馬さんの朗読は安心して聴いていられました。あちこちのオープンマイクに参加して場数を踏まれているから当然のことなのでしょうけれど、聴き手のことが見えている読み方をされていると感じました。 一方、私は昔survofさんにお経読みと言われたほど感情を込めずに坦々と朗読するのですが、それは一つの意味で言葉を縛りたくないからだったりします。要は、音で聞いてもダブルミーニングとかに気づいてほしいんですね、言葉遊びの人間だから。 木馬さんは朗読に対して、私とはまったく違うアプローチをされている。そのことがうれしい。だからニコニコしてしまいました。 私は、人格をそれぞれに持つ人間というのは生まれ落ちた瞬間から違いがあり、わかり合うことは不可能だと思っています。けれど、互いに考えを披露してその違いを認識すると“どうしたら近寄れるか”はわかると思うんですね。 人様と自分の違いを見つけた時、私はとてもうれしくなります。その人の輪郭が少し見えてくるような気がするから。違うってとてもいい。 よい朗読を聴かせていただきありがとうございました。 (ママンへ(音声版))

2020-06-26

ABさんへ コメントありがとうございます。少しうなっていただけましたか! うれしいです。 「よつやかいだん」も「ワ」もテキストだけでは伝わりづらいだろうなと思っていたので、無事に伝わったようでホッとしました。 「鳶に油揚」は、選考委員になるにあたってのご挨拶として作業期間五日程度の突貫で作りました。説明的なものって作りやすいんだな〜と思いました。笑 (鳶に油揚)

2020-06-24

楽子さんへ コメントありがとうございます。たのしんでいただけたようでうれしいです。 私は一つの言葉にいくつも意味を持たせることが好きです。いつか、正反対の二つの意味で読める詩が書けたらいいなと思っています。上から読む時と下から読む時で意味が変わる文章は読んだことがあるけれど、私ならどういう仕掛けを作れるかしら。 私の思う“たのしい”は頭の中にあるだけでは誰にも伝わらないので、どうしたら可視化できるかなと試行錯誤中です。そんな試行錯誤にお付き合いいただきありがとうございます。 (鳶に油揚)

2020-06-24

楽子さんへ あの二行は元々短歌だったのですね。気づかなかったです。たしかにこの二行だけでも成り立つ強度があると思います。なるほどなあ。 今月、なぜか短歌の人が多い気がしているのですが、前にとがしゆみこさんが外部選考委員にいらしたことなどが影響しているのかしら。いろんな方が参加するほど様々な作品が読めるので、私としてはとてもうれしいです。 「ぷろてすとたん」いいですよね! こちらの「マスクの中で溺れている」もいいし、多宇加世さんの「ぬら 死の磨きたて」もABさんの「僕の獏、獏の僕」もいいです。まだ今月は一週間ありますから、しあわせな気分で迷うことにします。 (マスクの中で溺れている)

2020-06-24

あ、私も誤字を。コロナ禍です。 (鳶に油揚)

2020-06-15

楽子さんへ 好きか嫌いかだけで判断すると、現在82作品の中でダントツに好きです。いいなー。6月の選考委員をさせてもらっているのですが、ウトイさんの「ぷろてすとたん」と並んでこうだの個人賞候補です。わいわい。 > ばつ、ばつ、ばつ、 > なつ、なつ、なつ この部分の対比は、前者は降り続いているけれども後者は夏であることを三回唱えて確かめているように思えます。浮かれているとは言いつつもこの言い方は、どこか慎重な感じが出ていて今の状況(コロナ禍であることと二人の関係性)に合っているなあと。 そして一番好きなのは、 > たかだか失恋ごときで/3㎏もやせる君はたぶんちょこっとだけ人魚姫 この二行です。これでタイトルが「マスクの中で溺れている」なのだから、“好きだとは絶対に認めないだろうけどでも好きなんでしょ”ってつつきたくなります。笑。とてもよいと思います。 (マスクの中で溺れている)

2020-06-15

湯煙さんへ コメントありがとうございます。 > 私はまたてっきり詩や詩的直感かなにかの喩えとの関係性からかとも思いましたが。 そういう発想はまったくなかったので、王冠ってそんな捉え方もあるのか!と驚きつつもよろこんでおります。 詩的直感ということは、もしかしたら湯煙さんは詩が降ってくるタイプの詩人さんなのでしょうか。私は降ってくるのを待っていたら待ったまま10年も無駄にしてしまった凡人なので、この頃は自ら迎えに行くつもりで書いています。 早くコロナ渦が収まるといいですね。私はマスクせずに劇場で大笑いがしたいです。それには元気に今を乗り越えなければ! 湯煙さんもどうぞご自愛ください。 (鳶に油揚)

2020-06-15

ライ麦さんへ 好もしい作品だと思いました。 疑問が一つあります。 タイトルから考えて、数人の登場人物が“上京する君”にそれぞれに話しかけている場面の切り取りだと受け取りました。ただ、一行一行を別の人物が話しているわけでもない気がするし、何人かいるはずの登場人物の姿が私にははっきりとは見えてきませんでした。 私は詩を黙読するだけでは理解できないので、まず声に出して読んでみます。そうすると、作者がどこかで見たり聞いたりして「かっこいい」などと思った言葉をただ詩行に紛れ込ませているだけのものを読むと、「こんな言葉使える私かっこいいでしょ」という意識が透けて見えて音読に躓きます。作者は自己陶酔しているのだろうけれど音読する私は陶酔できないので、小手先感というか違和感があるんです。 本作はそういった違和感はなく、ライ麦さんご自身の体を一度通った言葉で書かれているように思えました。それは、私にとってはとても好もしいことです。けれども本作は「多チャンネル同時中継」とありますから登場人物が複数いるはずで、逆に、違和感がないのはおかしいのではないかと思ったのです。 前置きが長くなりましたが、私が疑問に思うことは一つです。 本作は何人かの登場人物を想定して(実在、非実在問わず人物設定を行なって)書かれているのでしょうか。それとも、ライ麦さんの中にいる何人かの人物が話している体で書かれているのでしょうか。 (多チャンネル同時中継 上京する君へ)

2020-06-15

多宇加世さんへ こちらへもコメントくださりありがとうございます。なんだか無理矢理書かせたみたいで申し訳ないです。 詩として文字に起こしただけでは伝わりきらないものをどうやったら伝えられるかなと考えて、なぜか今はアニメーション作りに躍起になっております。トーンが揃っている感じがするのは全部一人で作っているからかもしれません。それはある意味では平面的です。 私の密かな野望は、いろんな方を巻き込んで作品作りをすることだったりします(初めてはっきり言ってしまった)。私一人で考えたおもしろいことというのは、これまで見たり聞いたりしたものの切り貼りでしかないし、私が知らないだけでどこかで誰かが先に作っているかもしれないし、けっして0から1を生み出しているわけではない。本当は、たいしたことないと心のどこかで思っているので。 物事は、いろんな要素が組み合わさったときに立体的になり、おもしろくなると思うのです。というよりも、組み合わさることで変化したその瞬間が、おもしろいのです。 (鳶に油揚)

2020-06-11

多宇加世さんへ あわわ、コメントが拾われなかったことを責めているわけではないのです。 私は定型詩にはあまり馴染みがないので、もし私が本作の作者であったなら最初の三行の後にきっと一行あきを入れるなと思ったんです。けれども多宇加世さんはそうされなかった。ということは、偶然31音になってしまっただけなのか、31音を特別なものと思わないほど慣れ親しんでいるかのどちらかだなと思ったのです。やはり三十一文字に馴染みのある方でしたか。 元は連作だったのですね。なんだか見方が変わってきそうです。読み直してみます。 拙作も見てくださったようで、ありがとうございます。 (ぬら 死の磨きたて)

2020-06-11

作者様へ ご返信ありがとうございます。 「冬が好きだから」という立派な理由があるじゃないですか! もしかしたら、ご自身や大切な方が冬生まれであるとか、もっといろんな理由がありそうな気がしますね。無意識を掘り下げてみるのもおもしろいものです。まあたまに怖いものも出てくるけれど。 ところで私は文字にも視覚的にも魚の出てくる詩をよく書くのですが、理由は「魚が好きだから」です。 (在処)

2020-06-11

ウトイさんへ ご返信ありがとうございます。 また、拙作を読んでくださり重ねて感謝します。ついでに動画も見ていただけると「ぷろてすとたん」を私が朗読したらどんな感じになるか想像していただけるかも?(無理強いはしません) さてもしかしたら、酔いに任せてわーっと書いたことを今頃後悔されているかもしれませんが、私はウトイさんの長文コメントを見つけて狂喜乱舞しました0時過ぎに。本当はすぐお返事をして、いま饒舌になっているはずのウトイさんをつかまえてお話ししてみたい!と思ったのですがいかんせん、コメントを書くのが遅いので絶対に夜が明けてしまうと思い直して寝ることを優先しました(喋るのは苦手なのでもっとだめです)。 > こうださんのおっしゃること、すごく分かります。そして概ね同意見です。 そのように言っていただけてうれしいやら恐縮するやら。 私は大学生の頃に「論じるとはなんぞや」で躓いてからずっと対象を論じることから逃げ回ってきました。ですので、自分を正当化するための言い訳の側面もあることを謝っておきます。ごめんなさい。 > これは私が尊敬する先生から学んだことですが、100冊の本を読んで書かれた作品に、本を一冊も読んでいない人の考察が太刀打ちできないのなら、批評は学問と変わらないことになってしまいます。そうだとしたら、批評はとてもつまらないものです。 ウトイさんの「尊敬する先生」という方に私も学生の頃に出会っていたら、批評への苦手意識は和らいでいたかもしれないなと思いました。そんな恩師がいらっしゃることがうらやましいです。 私事で恐縮ですが、三年ほど前に放っておけば死に至る病(ほとんどの病気がそうなのだけど)が見つかりしんどい治療とまあそれなりの手術をしまして、もっともつらい状態から抜け出せた時「やりたいことは今やらなければだめだ」と考えました。そこから少しずつ“自分の頭の中にあるおもしろいと思うものを他者に共有してもらうにはどうすればいいか”を考えて、新たな手法を学んで言葉遊びのバリエーションを増やそうとしたり、視覚的効果をより意識したり、頭の中でこんなリズムで響いているのだと伝えるために朗読音源を公開したりといろいろ試みて、なぜか今、詩をアニメ化することに躍起になっています。笑 前置きが長くなりました。私はビーレビのただの一参加者ですが、ご縁があって6月の選考委員にならないかと運営さんからお声がけいただきました。私は批評なんてとてもできないからお断りしようかと思ったのですが、こうして引き受けてみて、ウトイさんとお話しできてよかったなと思っています。私なりにではありますが、今できる最善の方法で批評と向き合ってみようと思えました。 > そもそも今私が、ある種自分の書いたものの説明をしてしまってることがおかしくて、それはミステリーの種明かしをしてるようなものです。それは二つの意味でおかしい。一つは、まず私は、ミステリーみたいなもの、つまり解き明かされる前提があるもの、意味や正解が明確にあるものを書いてる訳ではないです。もう一つは、もしミステリーみたいなものを書いているのだとして、それを解説するのはあまりにも野暮です。 この部分には、ちょっと違う意見を持っています。私は“作者とは自作の最初の読者である”と思っています。ネット上には、稀に推敲せずに作品を公開するという強者もいらっしゃるのですが、ほとんどの方は推敲とまではいかなくても、書いている途中で少し前を読み返してからつづきを書いたりすると思うんですね。だから作者というのは、ある意味でその作品の最初の読者なんじゃないかと。 とするならば、作者の意図というのは“制作過程を詳細に知る読者による解釈”という一面もある、といえるのではないかと思うのです。 私はあまり躊躇いなく自作解題をするほうなのですが、それは自作の解釈の正解を示そうとしているのではなくて、作者でありなおかつ一読者である私はこんなふうにこの作品を解釈したよと伝えているつもり、だったりします。 根本的に、私は私が自分一人で考えつくことなどたいしたことはないと考えています。私の思いついたおもしろいことというのは、これまで見たり聞いたりしてきたものの切り貼りでしかなくて、もしかしたら知らないだけで他の人がすでにやっているかもしれないし、けっして0から1を生み出しているわけではないと思うのです。 そんなわけで、私は自作については「読者の手に渡ったら著作権以外はその読者のものになる」と思っているし、井戸端会議で私の解釈を披露したいし、他の読者の目からはどんなふうに見えているかを知りたいと望んでいます。 > そしてこの掲示板は2020年現在、もっとも新しく、勢いのある現代詩・クリエイティブライティングの投稿・批評プラットフォームです。 はい、その通りですね! (ぷろてすとたん)

2020-06-11

武田地球さんへ 拙作をご覧くださりありがとうございます。 そのうえ! 私の一人お祭り騒ぎをおもしろがっていただけてうれしいです! やったー! 選考委員のお誘いをいただいた時、私は批評なんてとてもできないからお断りしようと思ったのです。そしたら対応してくださった帆場さんが「寧ろ色々なタイプの方に選考に入っていただく方がいい結果を招くと感じています」と言ってくださって。じゃあ私には何ができるかなと考えた時に、これは“お祭りわっしょい”だろうと。笑 そんなわけで、6月はビーレビ盛り上げ隊の下っ端としてがんばります。 地球さんも、一緒にあそんでいただけるとうれしいです! よろしくお願いします。 (鳶に油揚)

2020-06-10

多宇加世さんへ > いつも頭の中で音を響かせて書いています。 やはりそうですか! とてもいいですねえ。 詩の朗読というと、なんか朗々と読み上げるみたいなものを想像されるかもしれませんが、私はそういうのが苦手なので少々変わった朗読をします。6月の私の投稿作「鳶に油揚」を見ていただくと、「ぬら 死の磨きたて」を私がどのように音読するか想像していただけるかもしれません。よかったらご笑覧ください。 そうそう、前のコメントで〈冒頭三行は短歌のリズム〉と書いたのですが、反応がなかったということはあまり意識されていなかったのでしょうか。私は声に出した瞬間、31音だ!ってなって、もしや多宇加世さんは短歌の人??と思ったのですが。 (ぬら 死の磨きたて)

2020-06-10

ウトイさんへ ぎゃー読み外したか〜しかも盛大に。笑 私は言葉遊びをする人間なのですが、単語をあえてひらがなやカタカナにする時には、そこに他の言葉をかけていることが多いです。どのようにも取れるようにわざと。6月の投稿作で言うと「よつやかいだん」「ワ」なんかがそれで、四谷怪談と階段、輪とわかんむりをかけているよという目印なんです(「まぼろし」みたいにダブルミーニングになりにくいであろう単語は字数を稼ぐためだけにひらくこともあるし、リズム作りに用いることもあります)。 その、先入観で読んだのがいけなかったですねごめんなさい。ひどいなあ。ここではおそらく、ひらがなはprotestの意味の強さを和らげる働きをしているんですね。 > そういう読みの広がりがあることが面白いと思いますし、そこをコントロール出来ていないのは力量不足だとも思いました。 私、じつは〈読みの広がり〉があるもののほうが優れているんじゃないかなと思っていたりします。以前、ものすごく好みの作品を書くsurvofさんという方に“作者の意図を汲まずに読むのは失礼”みたいな感じで怒られたことがあるのですが、全然響いてないみたいです。笑 なぜ〈読みの広がり〉を重視するか。 私は詩を、子供のように読みたいんです。 絵本とか読んでる時の子供って、本当に意味を捉えているかあやしいですよね。でも、絵と少ない文章から想像力を羽ばたかせてとてもたのしんでいる。あの感じを大事にしたい。「作者の意図は何ですか」と問われるのは国語の授業だけでいいと思うんです。 だから私は、自作については「読者の手に渡ったら著作権以外はその読者のものになる」と思っています。極論だけども。 ただし! 批評をしようとする時には作者の意図を理解するのは重要です。それができないから私にはまともな批評が書けません。こんなやつなのに、なんと6月の選考委員を引き受けてしまったので、他のちゃんとした選考委員の方々からいろいろ学ぼうと思っております。 そうそう、私がポエジーを感じるのは“飛躍”です。作品そのものにイメージとか言葉の飛躍がある時や、その作品を読むことで私自身に認識の変化が起こるなど意識の飛躍がある時。最初にいた地点と連れて行かれた地点との距離があればあるほど、その落差にめまいを感じて「これいい!」となります。 本作は、読み間違いが原因ではありますが作者であるウトイさんの意図と私の受け取り方に距離がある。それはある意味“飛躍”だなと思っているので、現時点での私の個人賞候補作一位になりました! わー! まあ、まだ投稿期間三分の一しか経っていないのであくまで候補ですが。笑 ハッ! ごめんなさい、長々と失礼いたしました。 (ぷろてすとたん)

2020-06-10

多宇加世さんへ 冒頭三行は短歌のリズムですね。他にもあるのかもしれないけれど、私の中に短歌のリズムが馴染んでいないので見つけられませんでした。 私は朗読が好きなので本作も音読してみました。後半の短く区切っていくところでさえもリズムを取るのに苦労することがほとんどなくて、私のリズムと合っているのか、いや、多宇加世さんは読み上げながら詩作する方なのかしら?と思ったりしました。それくらいに音読しやすい。 余談ですが、最近たまたまApple TV+で「スヌーピー 宇宙への道」を見ていたので、宇宙デブリにも躓くことなくすんなり受け取れました。何が幸いするかわからないですね。 (ぬら 死の磨きたて)

2020-06-10

一足遅れた戦友さんへ 読みやすかったです。他の方へのコメントに書かれているように、〈説明文みたくならないよう苦慮〉された形跡は感じてしまったけれど。 私は朗読をするのが好きなので、本作も音読をしてみました。じつは、どこかから借りてきた言葉を並べているだけに思えるものを音読するとしょっちゅう躓くのですが、本作はあまり躓かずに音読できました。それは、一足遅れた戦友さん自身の言葉で書こうとしたからだと思います。 > そのうち一つは、「パレットには水色しか出さない。」とか、そんなんだったらいいな。ああ、しょっぱいってどんな色だっけ。 私はこの部分が好きです。 読めてよかったです。 (瞼に焼き付く光跡は君をかたどる)

2020-06-10

ウトイさんへ ひらがなのタイトル、パッと見て意味が掴めなくて。読めばわかるかなと思ったのですが自信がないです。 おそらくフォークは球種のことだろうから野球のプロテストのことなのかしら?? そこにprotest(抗議する)をかけていて、プロテスト譚ってことなのかなあと思ってみたのですがいかがでしょうか。違うかな? 私は朗読をするのが好きなので、本作も音読をしてみました。どこかから借りてきた言葉を並べているだけに思えるものを音読するとしょっちゅう躓くのですが、本作は躓くことなくすんなりと音読できました。おそらく、野球の知識を持っているだけではなくて、体と頭でしっかり理解している人の書いた詩なのだろなと思いました。 (ぷろてすとたん)

2020-06-09

読みやすかったです。 ただ、なぜ今この時期に雪なのかな?と疑問に思いました。私が汲み取れていない意味があるような気がするので、教えていただけたらうれしいです。 (在処)

2020-06-09

即興ゴルコンダ(仮)2020.5.16投稿 お題「鳶に油揚」は私が出しました。ことわざ「鳶に油揚をさらわれる」より。 〈鳶に油揚さらわれて〉に“皿割れて”を見つけたので、いちまい足りないうらめしや〜の四谷怪談から“階段”状に行を整えてゆくとあら不思議。ひっくり返すと王冠(コロナウイルスのコロナはラテン語で王冠の意)! 【遅ればせご挨拶】 この度、僭越ながらB-REVIEW6月の選考委員を務めることになりました。こうだたけみって誰だよ?という方々へ自己紹介代わりにこちらの詩を。ご覧の通り、言葉遊びや視覚効果を好んで用いる人間です。こうだの個人賞狙いならどんな詩を投稿するとよいかおわかりですね? ※冗談です 他の選考委員はきちんとした方ばかり(ここ大事!)ですが、いろんな人がいたほうが選考が盛り上がりますよという運営さんのご厚意に甘えて、一匹批評もろくにできないおかしなやつが紛れ込んでいますというご報告でした。 感染症も収まらないし天気もぐずついたり暑かったりゆううつなことの多い毎日ですが、詩を書いて読んでコメントもして、一緒に発散しましょう。できればたのしく! ちなみに、すでに二作品投稿している方も二十作品にコメントをつけると三作品目が投稿できるらしいです。なぜかガイドラインには書いてないみたいだけど?? どうぞよろしくお願いします! 追伸 こうだは朗読するのが好きなので、個人賞に選んだ作品を朗読したいと言い出す恐れがあります。※事前に許可を取って、たぶん音声だけをSoundCloudへ上げます 自作を誰かに朗読してもらいたいと思っている方も投稿してみるとよいかも、です。いろんなタイプの作品が読めるといいなと思っております。 (鳶に油揚)

2020-06-09

ABさんだ! ご無沙汰しております。 はい、次につなげると紙の下になって見えなくなるような、時間が経てばあったかどうかさえわからなくなるだろうものの切り抜きとして書きました。実は、このまま何事もなく元気に歳を取りたいという願かけだったりします。笑。 私は治療の関係で、手術前が一番つらかったです。今は、主治医からもう心配ないとお墨付きがもらえるのを待っているだけなので楽です。 私はABさんの書かれるもののほうがよっぽど優しいと思います。ちゃんと他者に開かれているもの。 (四月の切り取り線、あるいはのりしろ)

2020-05-03

Um Fantasmaさんコメントありがとうございます。 大気圏を突破して月でリフティング! めっちゃいいですね。私は運動はからっきしなので、もし月に行けたら謎のダンスを披露したいと思います。ひらひら。 おだいじに!って声かけがとてもうれしかったです。私は健康ではないけれども元気です。 (四月の切り取り線、あるいはのりしろ)

2020-05-01

エイクピアさんコメントありがとうございます。最近ゴルに参加できてなくてごめんなさい。 エイクピアさんのコメントを読んでいて、あ、これ失敗したなーと思いました。笑。 真ん中に出てくる看護師さん。彼女は採血をしてくれたのではなくて、太い注射針をお腹にぶっ刺して錠剤を埋め込む(?)治療をしてくれています。大学病院ですから、採血は採血室で専門の職員がやってくれます。説明不足だった〜失敗。 最初の治療から数えると二年半ほどいろんな治療を受けてきて、さらに職場の健康診断の様子などを併せて鑑みるに。おそらく採血は、比較的楽な注射です。血を抜くだけですから。注射をする人がより緊張していると感じるのは、造影剤とかなんらかの薬剤を注入するための注射の時。命の危険が伴うので。 ここに出てきた看護師さんは、別の科から移ってきてほとんど初めて薬剤を埋め込む注射を行なったらしい。だから、緊張していたのだと思います。 今の病気が見つかるまで、私はほとんど病院にかかることはありませんでした。「医者や看護師は的確な判断のもと冷静に正確な治療のできる超人的な能力の持ち主」と思い込んでいたくらいに医療現場を知らなかった。でも実際は、迷ったり不安になったりしながら働いている。みんな普通の人間なんですよね。それがわかってよかったなあと思っています。 そうそう、大学病院のCOVID-19対策。エイクピアさんはどうかわからないけれど、行かない方はご存じないと思いますのでついでに書いておきます。 都内にある、感染症指定医療機関にはなっていない大学病院の4/28の様子です。 正面玄関に二箇所ある自動ドアの左側を入口専用、右側を出口専用にして人の流れをコントロール。入口では看護師らしき人が待機していて入館者のマスク着用を確認。手の消毒の指示があり、肌にかざすだけで測れるタイプの体温計で体温測定。37.5℃以上の人は入れない。 大学病院なので予約診療のみなのだけれど、予約を極力減らしているのかロビーにいる患者はまばら。当然ながらカフェスペースやレストランも閉鎖。入院着の人を見かけたので入院での手術はできているらしい。 私の立ち寄った採血室と総合受付にはコンビニのようにビニールのカーテンがかかっていてカーテン越しのやりとり。各科の待合室も人がまばら。私のかかっている科はCOVID-19と直接的な関わりはないので、特別な緊張感はなし。むしろ、普段より診察件数が少ないうえに研修生の受け入れ時期で和やかな雰囲気さえ感じる。 一患者視点ではこんな感じでした。感染症指定医療機関だったらもっとピリピリしていたのかなあと思われます。 エイクピアさんはじめ、みなさまくれぐれもご自愛くださいね。 (四月の切り取り線、あるいはのりしろ)

2020-04-30

とてもよいと思いました。 終電に間に合う=少女というのも好きです。 そうか、終電逃してカラオケとかに雪崩れ込むようになったらもう少女ではないのかもなあなどと感慨深くなったりしました。 (独言少女)

2020-04-05

アキラさん、コメントありがとうございます。 「暗転明転〜」のところは自分の声に一段階低くなるようにエフェクトをかけて重ねました。iPhoneのiMovieアプリではできなかったので、Macbook Pro手に入れてよかった〜と思っております! 常々、Eテレのプチプチアニメで流れるような子供向けアニメを作りたいと思っています。前作と今作は、意味がわからなくともリズム感だけでおもしろいものを目指しました。いずれはコマ撮りアニメに挑戦したいです。壮大な夢! (こっちにおいで)

2020-04-05

沙一さん、コメントありがとうございます。 去年の4月末にシネマ歌舞伎「野田版 桜の森の満開の下」を観て書いた鑑賞記としての詩を、どうしてもアニメーションにしてみたくてがんばりました。ちなみに、AdobeのIllustratorとPhotoshopで作画と背景処理、AppleのiMovieで動画作成をしています。 自主制作アニメーション第一作の「くちくなる 」はiPhoneだけでチマチマと作ったのですが、今年三月頭にMacを手に入れたので、第二作目は前作よりマシな作品になったと自負しております。 イラストを描くのも動画を作るのも見様見真似なので、個人的には完成しただけでうれしいです。笑。 ご覧くださりありがとうございました! (こっちにおいで)

2020-04-02

コメントありがとうございます。返信が遅くてごめんなさい。 詩の中で飛んだり跳ねたり走ったりしたいと常々思っているので、「言葉が踊っているような気持ちよさ」が少しでもあったならうれしいです。 だだ、白状しますと今回は改行詩なので、個人的には若干窮屈でした。改行も句読点もほとんど使わずに書いている時が、私はいちばん自由な気分でいます。改行って「か/いぎょうを/なしとげるのさ」って書くくらい特別なものだと思っている節があるので、得意ではないです。 英語のお話。ice creamは不可算名詞だから、a scoop of〜とかa cup of〜とかって入れ物で数えるのだそうです。waterとかと同じ括り? 英語まったくできないからググりましたけども。笑。 数えられる形を持たないものが溶けてしまって、さらに「不可算名詞 ice cream」とノートに赤ペンで書き込んだ文字までにじんでしまう。手元にあると思っているものの存在の不確かさみたいなことが描けたらいいなと思ってこのように書きました。 感想だけでも大歓迎です。帆場さんが私の詩を読んで、さらに面白いと思ってくださったことは、こうしてコメントをいただいて初めてわかるのですから。ありがとうございます。 (ill)

2020-03-11

「popでエモーショナル」とか「ビシッと決まっていてかっこいい」とか、もったいないお言葉をありがとうございます。 高校生の頃を思い出していただけましたか。ファミレスでグダるって実は大事な時間! いいなあ。 私の頭の中身は大学生くらいで止まっているので、雰囲気が伝わったようでうれしいです。そろそろ四十路が見えているのに、永遠の文学少女気取りであります(痛)。 (ill)

2020-03-06

手触り感じていただけましたか。ありがとうございます。 お雛様企画に参加できなくてごめんなさい。Twitterでの100日チャレンジだけで手一杯で、他に手をつけられませんでした。うう。 (ill)

2020-03-06

るるりらさんへ コメントありがとうございます。 返詩、めちゃめちゃうれしいです! シマシマモコモコ   わたしは   、ここに   居ます。 ベージュモコモコ この部分はシマシマ柄毛布とモコモコ敷きパッドに挟まっている=布団で寝ている私の姿を表しているのですが、ずいぶん長いこと風邪をひいて寝込んでいたのでお布団さんと仲良くなれました。笑。 るるりらさんの返詩は、私の書いたものに一行一行お返事をしてくれているようで、またもや閉じた詩を開いてくださっている!と感動しました。るるりらさんはなんというか、とてもひらかれた方ですよね。両手を広げて私を外へ連れ出してくださるので、いつもとてもありがたいです。るるりらさんがそこにいてくれてよかった。 どうぞ今年もよろしくお願いします。 (わたしは、ここに居ます。)

2020-01-25

沙一さんへ コメントありがとうございます。もう今回はコメントつかないかなーと思っていたのでうれしいです! 返信が遅くなってごめんなさい。風邪ひいて長いこと寝込んでました。 > 一と二はわかりやすいのですが、三からは混迷していますね。 > 各連の先頭は、ひらがなやカタカナをまじえずに漢数字でどうにか統一してほしかったなと思います。 この沙一さんのコメント、とてもおもしろいなあと思いながら読みました。なぜなら私は今本作を読むと、もっと豪快に、漢数字から離れたかったと思うからです。 本作は、即興ゴルコンダ(仮)のお題「今年こそ」に対して書きました。お題を見て最初に思い浮かんだのは〈去年は十二年に/一/度の幸運期とか言っていたのにいいこと/なんてなんもなかったので今年こそ、〉の部分。だからたぶんそれが主題。でも最後まで読んでみると、十二年に一度の幸運期を逃したなんて言っちゃう「誰かの価値観に振り回されている私」から自由になりたかったんじゃないかなと、今は思うんですよね。 投稿締切は21:53。モスで晩ご飯食べつつ書き始めたのが20:00頃。締切三分前に慌てて投稿作業に入ったので、約1時間50分で書きました(遅刻しなくてよかった)。 書き始めは散文詩だったのですが、「しのごの言ってよ」辺りを書きながら「十二」から始めて「自由に」で終わらせることを思いつきました。その時点で1時間経過。残りの50分でなんとか3と6〜11を入れ込みたいと悪戦苦闘した結果が本作です。 というわけで、「十二」から「自由に」へ向けて開かれていく。それが本作で私がやりたかったこと。沙一さんのコメントを読む限り、そこにはまったく説得力を持たせられなかったようなので、失敗作です。 ところで、普段の私の力量はこの程度です。ビーレビは過去作を投稿してもよいので自分でいいと思うものを選んで投稿していたのですが、最近はストックがなくなったので、パッと書いたものをポイっと投稿しています。時間があればもっと体裁を整えられたのは確かですが、私の腕でもっと練れたかどうかは不明です。笑。「急/騰/する/土/の下にあるはずの/自/由/に/向かって。」の部分は個人的に気に入っているので、この表現が最大限活かされるような詩をいつか書きたいなと思っています。 沙一さんはお名前に「一」という漢数字が入っている通り、漢数字の羅列に美しさを感じる方なのだろうな、などと想像してとてもたのしかったです。私は本名の漢字をあべこべにしたあと一音変えて開いているので、まあ、何をか言わんやであります。 (今年こそ)

2020-01-25

即興ゴルコンダ(仮)20190106投稿。 お題「今年こそ」の出題者はまいきーさん。 学生の頃の“嫌なこととかあってつらいときには泣きながら一から百まで数える”という遊びの名残り。魚も好きだけれど(漢)数字も好きだ。 (今年こそ)

2020-01-06

文字で読んだらあまりピンとこなかったのだけど、ステレオさんの朗読聴いたらとてもいい!ってなりました。そしてこれはおそらくいろんな人の喋っているのをサンプリングしているイメージなのだろうと思ったので、女性の声バージョンもあったらいいんじゃないかと許可を取らずに勝手に朗読してみました。駄目だったら消しますスミマセン。 https://soundcloud.com/user850776306/stereotype2085 老若男女の人々の声をサンプリングしたらおもしろそうですね〜。 (また明日)

2020-01-05

とてもよかったです。好きです。コメント見たら、現役の中学生なのですね。中学生でこれだけ書けるってすごいことだ。と、素直に思いました。読めてよかったです。 (相対性地獄理論-日記)

2020-01-05

楽子さんへ はじめまして。コメントありがとうございます。 お名前はなんとお読みするのでしょうか。 楽子さんのお眼鏡にかなったようでうれしいです。 (星月夜)

2020-01-02

即興ゴルコンダ(仮)20190102投稿 http://golconda.bbs.fc2.com お題「わたしは、ここに居ます。」は、るるさん出題です。 新年のご挨拶にかえて。 本年もよろしくお願いします。 (わたしは、ここに居ます。)

2020-01-02

帆場 蔵人さんへ コメントありがとうございます。詩の中でとんだりはねたりすることを目指しているのでとてもうれしいです。 これ、元になっているのは12/12のコールドムーンと12/14のふたご座流星群です。コールドムーンは、一年で最後の満月の呼び名のひとつだそうです。 写真はその12/12の満月なのですが、iPhone7と私の腕ではうまいこと撮れませんでした。笑。きれいだったのになあ。 これを書いた12/16のさらに二日後の12/18に、今年初めて「よいお年を」と言いました。なんだろうこの二日刻みの飛び石感。 そうそう、さきほど即興ゴルコンダ(仮)で出題しました。今回のお題は「だから会いたくない」です。 もしよかったら帆場さんも遊びに来てくださいね! 誰でもウェルカムです。 即興ゴルコンダ(仮) http://golconda.bbs.fc2.com (星月夜)

2019-12-21

初出:即興ゴルコンダ(仮)20191216投稿。お題「星月夜」の出題者はネンさんです。 明日、12/21(土)の夜に、私が次のお題を出します。書ける方はぜひ投稿してね。 (星月夜)

2019-12-20

みなさまへ 今回いろんなご意見をいただいておもしろかったので、前からやってみたかった遊びを実行してみました。それは朗読における遊びです。 おそらく多くの方は頭の中でこんなふうに再生しているのではないかなと予想される、でも、こうだとしては“らしくない”朗読と、こうだの解釈のもとに行なった“らしい”朗読。二種類の朗読を録音してみましたので、もしよろしければご視聴ください。 Goldfish scooping らしくないver. https://soundcloud.com/user850776306/goldfish-scooping-ver Goldfish scooping らしいver. https://soundcloud.com/user850776306/goldfish-scooping-ver-1 これはあちこちで主張しているのですが、私の作品にとって作者である私の意図とされるものは、読者によって様々である解釈のなかの一つに過ぎません。この朗読も、“こうだの解釈”に基づいて行ないました。解釈にはどれが正解ということはありません。読んでくださった方のなかに生まれた解釈が、その方にとっての正解だと思います。ですので、私の作品に限っては、どうぞお好きに読んでやってください。 ふじりゅうさんへ 運営のお仕事ご苦労様でございます。いつもありがとうございます。 とある方が「たくさんコメントして(やって)るんだから一つひとつに対応なんてしてられないよ」という旨の主張を以前されていたのと比べると、/舜舜さんは誠実に対応してくださったと思いますよ。ただ、なぜ批判をするときは乱暴な口調になるのかは疑問ですが。 ネットでコメントを書くとき、私たちはPCやスマホの画面を前にしていますが、その向こうには生身の人間がいます。その人に直接会ったとき、その言葉遣いで話しかけますか。と、ちょっと聞いてみたい気もします。2ちゃんねるとかが流行っていた頃はネットスラングみたいなものが当たり前にあったのかもしれないけれど、その感覚は旧時代的なんじゃないかなあ。今のネットはかつての作法を知らない人のほうが多いだろうし、とうにそんな閉鎖的なものではなくなっていると思うのだけど。 まあ、若干疑問に思ったよと言いたかっただけです。わざわざフォーラムにスレッドを立てるほどのことではないのでここに書きました。終わり。 (Goldfish scooping)

2019-12-13

ねむこっとんさんへ はじめまして。コメントありがとうございます。 私がそのように思っていたのは小学生の頃でした。ねむこっとんさんのコメントは過去形ですから、ねむこっとんさんも、今はもうそういった想いにとらわれてはいないのですね。それならばよかった。 私事で恐縮ですが、アラフォーになってみると、帰る場所なんてなくてもなんとかなるわと開き直ることができたりします。生きてるってそんなに悪くないとも思えてくるし。何より、急がなくても人は必ず死にますから、たのしみは寿命が尽きる時まで取っておいてもいいよねと思いつつ、今日も“生き詩て”います。 (Goldfish scooping)

2019-12-02

真清水るるさんへ 新しいお名前、何と読むのかと思っていたら「ましみず」さんなのですね。みずみずしい感じ。鬢から外した「りら」の花はそっと水面に浮かべられているのかしら。なんちゃって。 そして、とてもうれしいコメントをありがとうございます。「五感が開いて」いると感じるその、るるさんの感受性がすごい!と思いました。かなわないや。 > 玄関を出ると死んだ金魚のにおいがしたのでまたどこかで夏が終わったんだと思う。 この最初の文ですが、じつは、私はこの一文のために本作を書きました。玄関のドアを開けて一歩踏み出したほんの数秒の間に、電気が走るみたいに回路が繋がったのが特筆すべき事柄(scoop)だったので。 ※ドアを開けたら生臭いようなにおいがする→どこかで嗅いだことのあるにおいだな→昔金魚すくいのおまけでもらって飼っていた金魚が死んだ時のにおいだ→金魚すくいは夏の象徴→どこかで金魚が死んだということはどこかで夏の思い出が死んだ→夏が終わった→いつの間にか晩秋! > 扉を開くと洋梨のにおいが立つのでお帰りと言われた気がした。 ここでの洋梨は、ごく個人的には勤め先の果物屋=現在の居場所を表していたりします。だから「お帰り」。さらに、夏の象徴である金魚すくいに対する晩秋の象徴としての役割も担ってもらっています。洋梨は11月から12月にかけてが美味しいので。 ちなみに、買ってきたばかりの硬い洋梨は数日間常温で置いて、おしりのほうからよい香りがしてきた時、あるいは肩の部分にシワがよってきたら食べ頃なのだそうです。追熟した洋梨はとろけるような美味です。 ところで、冒頭の一文のような「急に回路が繋がる感覚」は何気ない日常の中でもあるのですが、詩を読んでいるときにもあります。ビーレビでは、クヮン・アイ・ユウさんの「リュウセンケイ」という作品を読んだ時に起こりました。その衝撃を書いたのが「からだをひらくと口から火花が出た話」https://www.breview.org/keijiban/?id=2449 です。いま読むと、衝撃が書き切れていない気がするけれども。 私は詩を読むとき、この「急に回路が繋がる感覚」を常に体験したいと期待しています。そして、自作を読んでくれた人にもそんな体験をしてもらうことができたらいいな、と思っています。まあこれは意図してできるものというより、タイミングとかコンディションとかいくつかの条件が揃って初めて起こることだとは思うのだけれど。 もし、るるさんが本作に感じた驚きが、私が言うところの「急に回路が繋がる感覚」に似ていたのならうれしいです。いや違うな。似ていなくても十二分にうれしいです。読んでくださっただけでうれしいな。ありがとうございます。 (Goldfish scooping)

2019-12-02

yamabitoさんへ はじめまして。コメントありがとうございます。 > 作品としての完成度から言えばどうなんでしょうか。賞みたいなものを対象とした詩とか・・・。 この「賞みたいなもの」が何を指すのかがわかりませんでした。ビーレビにおける月間投票のことかしら?? もうしそうならば、申し訳ないけれど私はビーレビで何らかの賞をとることに興味がないです。かといってわざわざ不参加表明するなら投稿そのものをしなきゃいいんじゃないかな?となるので、ゆる〜く参加しています。他サイトの話で恐縮ですが、投票の結果優勝した人が次のお題を出すシステムの即興ゴルコンダ(仮)みたいに、場を成り立たすために必要なら投票をします。けれど今は参加するうえでの絶対条件ではないようなので、投票も気が向けばしようかなというスタンスです。 はい、完成度がイマイチなのは自覚しております。 本作にポエジーを感じてくださりありがとうございます。yamabitoさんがどのあたりにポエジーを感じたのかが気になるので、もし気が向いたら教えてくださいな。 (Goldfish scooping)

2019-12-02

なゆた創a.k.a.NORANEKOさんへ わーい、なゆたさんに褒められた! たぶん初! ありがとうございますうれしいな。 お、なゆたさんもアトピー持ちですか(勝手に親近感)。私は2歳くらいまで顔面真っ赤になってたらしいのですが、幼稚園に上がる頃にはお腹や二の腕、太腿など服に隠れる場所に出るだけになり、二十歳を超えると湿度の高い梅雨から夏場にかけては治り乾燥しだすと再びリンパ液まみれ(他人には見えない)という状態でした。 ところが一昨年病気が見つかって化学療法を受け、今も投薬治療をしているせいか体質が変わったようで、両足の脛と右手の甲にずっと出ています。やっぱり皮膚科行かなきゃだめかしら。あ、というわけで一連目の「とうに私は乾いている」は比喩でもありますが現状そのままでもあります(うれしくて喋りすぎた)。 > この着眼点好きです。よく見てるなこれってなりました。 おそらく腰の入り方が変わっているのだろうから腰の位置と書いたほうが正確なのでしょうけれど、それだと腰が低いとか別の意味合いが加わる気がしたので肩の位置にしてみました〜。 > 起承転結というか、全体の構成として内容が散漫という弱点はたしかにあって、一個の作品としての成立としては脆いのは確か はい、自覚はしております。しばらくスランプ気味だったので、ここまで書けたら合格だよね!ってことで投稿しました。 なゆたさんが私の書いたものをどれくらい読んでくださってるのかわかりませんが、そしてこの手の系統で一番よく書けていると思っているのは「魚とバナナとラクダの話」https://www.breview.org/keijiban/?id=1225だったりするのだけれど、いろいろ書けるように精進します。がんばります。 (Goldfish scooping)

2019-12-02

/舜舜さんへ 丁寧に噛み砕いてご説明いただきありがとうございます。おっしゃっていることがやっと少しわかった気がします。他人様の考えを「わかる」と言い切るのは無理だけれども、わかろうとはしていきたいのでありがたいです。 > 2連目、イメージでなく、記憶から書いてるんだろうな。 えーと、私は詩をiPhoneで書くので、歩きながらその場でメモに書くプラス通るたびどう書こうかと反芻したうえで書いた、という感じです。記憶だけから書いた、というのとは若干異なります(どうでもいい違い)。 そうですか、べたっとしてますか〜。悔しいな。ここは早足で通り過ぎながらそれらをただ見ているという感じにしたくて、声に出して読みやすい音数にすることに注力しています。朗読を聞いていただきたいけれど、しばらく練習しないと無理ですねえ。音で聞くとべたっと感は減るはず! まあ、朗読しなきゃだめならテキストとしてだめだろって言われるでしょうけども。笑。 > あたしを見つけて、 > あたしを分かって、 > あたしを探して、 > あたしを教えて。 なるほどなーって思いました。 ここ最近スランプ気味で書けなくて、詩の核になるものを、詩の書き出しになるものをって探しつづけて、やっと詩の形になった気がする!って思ったのが本作です。私は詩を探しているつもりで自分を探していたのでしょうかねえ。そりゃ子供かよって言いたくもなるわな。そして実際、私はいい歳こいて子供のままです(社会生活が問題なく送れれば中身は子供でもいいと思っている)。 (Goldfish scooping)

2019-12-01

沙一さんへ コメントありがとうございます。過去作まで引いていただいて、丁寧に読んでくださっているのだなあとうれしく思います。 二連目について。 /舜舜さんへの返信にも書いたのですが、二連目は、家から駅までの往復路で毎日気になっているものをピックアップしてただ並べただけです。それらを見てどんなことを思っているかは一切書いていないし、おそらく「なんか気になるな〜」くらいのことしか思っていません。笑。 その羅列に対し「共感したり励まされたり」「ささやかなやさしさが滲み出て」いるようだと感じてくださった沙一さんは、とてもやさしい方なのだろうなと思いました。なんだかあたたかい気持ちになります。 > 始めと終わりの連の出だしは、ちょうど対照的になっていますね。 はい。家に「帰る」ことと、対外的に用意した自分から本来の自分に「還る」こと、そしてそれを日々繰り返している(返る)ことまで描けたらいいなと思ってそのようにしました。「孵る」は寝姿(胎児の姿勢)を呼び起こすためにも用いていますが、翌日にはまた新たな私に孵って外へ出ていくので。 そういえば「私」という存在についてどのように考えているかは、「たまきはる」という詩にも書いています。もしよければご覧ください。 https://www.breview.org/keijiban/?id=1579 > 掬われた夏。には、「携帯海月」での多義的な言葉を思い起こされました。 言葉に複数の意味を持たせるのが好きなのは逃れられない性のようです。笑。 タイトルの「Goldfish scooping」は日本語にすると「金魚すくい」です。私にとって金魚すくいはまさに夏の象徴。そのままだと季節外れ感が半端ないなと思って英語にしてみたのですが、「玄関を出ると死んだ金魚のにおいがしたのでまたどこかで夏が終わったんだと思」ったことは私的にScoop(特ダネ)でもあったので、滅多に英語のタイトルはつけないけれどこれは気に入っていたりします。 (Goldfish scooping)

2019-12-01

/舜舜さんへ はじめまして。コメントありがとうございます。 > 全体的に子供っぽい詩だと思った。視点が。 とのことですが、どのあたりからそう感じたのだろう??と思いました。 そしてこの文面からは「子供っぽい=よくないこと」とおっしゃっているように思えてしまったのですが、子どもっぽいってよくないものなのでしょうか(なんか二連目の最終行みたいになっている)。本作において、なぜ子供っぽさがあるとだめなのか。そのあたりを説明してもらえたらうれしいです。 > この連は詩に組み込むほどの意味を感じなかった ご指摘のあった二行を含む二連目について。 この二連目は、家から駅までの往復路で毎日気になっているものの羅列です。ですから、組み込むこと自体に意味はありません。なぜかこれらが気になっている、という事実のほうに意味を置いています。これは作者である私にとっての必然ですから、読者である/舜舜さんにとっての必然ではないのでしょうね。 > この詩の主人公の言う孵りたいは説得力に欠けていた。 最終連で私は「胎児みたいなかっこで眠る、努力だけする夜に。」と書きました。「努力だけ」ですから本気ではありませんので、「孵りたい」には説得力などなくてもよいのです。 > それより社会的な主張を言いたげ、そう見えたから。 ちょっとびっくりしたのですが、この詩を書いたとき、じつは最終連の前にもう一連ありました。説明的すぎるからという理由で削除したのですが、そこにはたしかに主張が書かれていました。たしかこんな感じのだった。 *** うつくしい。一般的な人々がなんとなく思い浮かべる共通の美しさからは逃れたい。誰もがわかる美しさは誰のものでもないし、私のものではないし私だけのものではないし。見て触れて感じるうつくしさなら信じられるけれど、かつて美しいとされてきたものに照らし合わす美しさは判断でしかないから。一つ言えることは「私の肌は美しくはない」ということ。誰の目にも明らかで確度は高い。 *** 社会的かどうかはわからないけれど、思い切り主張が書かれていますね。笑。連をまるっと消すことで主張性をも消したつもりだったのだけれど、「何か言いたげ」な感じだけが残ってしまったようで。 ところで/舜舜さんには、この主人公はどんな主張をしているように見えたのでしょうか。私からは見えないので、とても気になります。 (Goldfish scooping)

2019-12-01

羽田恭さんへ コメントありがとうございます。 面白く読んでいただけたようでよかったです。 小樽水族館いいですねえ。それを元にしてもなにか書けそう。笑。 葛西臨海水族園は今年で開園30周年だそうです。イルカショーのような大掛かりで目を引くアトラクションはないけれど、飼育員さんがとても考えたんだろうなとわかる手作り感あふれる展示や企画が盛りだくさんで、海の生き物の生態に少しでも興味を持ってもらおうとしているのが伝わってきます。 私はどうやら水族館というものを、レジャー施設というより研究施設として見ているようです。だから飼育員さんの日頃の仕事が垣間見える展示が好きなんですね。 河童の展示、じつはまだTwitterの情報しか見ていないので、台風が去って落ち着いたら見に行こうと思っています。 (カンジョウ絶対防衛線 外回り)

2019-10-11

左部右人さんへ コメントありがとうございます。 外回り中でしたか。お疲れさまです。 タイトルは、一つ目のコメントに書いたように、まいきーさんが即興ゴルコンダ(仮)で出してくれたお題です。いいお題ですよね。見た瞬間、カンジョウ=感情と環状がパッと思い浮かびます。 私の場合は、感情に囚われすぎると〈外回り〉が疎かになるおそれがあったので、感情表現の外側から、おもしろおかしく書くことを目指しました。笑ってたのしんでいただけたようでなによりです。 七月の平日に、河童の展示が始まる前の葛西臨海水族園へ行きました。親子連れのお客さんに混じって、水槽も見ずに下を向くスーツ姿の男性を見かけました。彼の横顔から感情は読み取れなかったけれど、この作品くらい気楽な感じでいてくれたらなあ。というわけで、赤の他人のちょっとした願いが込められていたりします。 (カンジョウ絶対防衛線 外回り)

2019-10-08

即興ゴルコンダ(仮)2019.10.07投稿。 お題=タイトル「遠慮のかたまり」は管理人さんが出してくれました。 締切は22:09なので、まだ投稿できたりします。書ける方はぜひ! http://golconda.bbs.fc2.com (遠慮のかたまり)

2019-10-07

渡辺八畳@祝儀敷さんへ わー、めちゃめちゃ親切なコメントをありがとうございます! いくつかの短いコメントの少ない情報からどうにか想像するしかなくて、勝手にどんどんネガティブな方向へ陥っていたところをいやそうじゃねえだろと引き揚げてもらえた気分です。ありがたい! うれしすぎて返信が長くなりそうです。 まず、一般的な改行詩への言及例について。 リンク先で渡辺さんが指摘されたこと、なるほどなーと思いました。私がどのように納得したのかご説明すると、「これは改行によって生み出されるリズムの作り方への言及だな」と理解し、納得しました。 私は五年ほど前まで小規模無名出版社で取材原稿を書いていました。一年半しかいなかったので今も素人です。まあ、ビーレビでコメントを書くのに四苦八苦している様子を晒しているので言わなくてもわかるとは思いますが。笑。 原稿書きを許された時に編集長から言われたのは、「文末でリズムを作れ」です。例えば、とある経営者に人材育成について語ってもらい作成した、以下のような取材原稿があるとします。  独特な人材育成で多くの逸材を生み出すことで有名な東京都練馬区のA社を取材した。晴天の中、B社長がにこやかに出迎えてくれた。とてもさわやかな人物だった。B社長は「たとえ完全に理解することはできなくても、互いに相手の心情を考えて理解を深めようとする努力が大切です」と語った。それがA社の人材育成の要だった。  同社では…… これだと「〜た。」という過去形の文末がつづいて、ただの報告を聞かされているみたいですよね。リズムもない。これを私なりに書き直してみます。  見事な秋晴れの某日、爽快な気候に勝るとも劣らないほどさわやかな笑顔で我々を出迎えてくれた人物。それがB社長だ。彼が代表を務める東京都練馬区のA社は、その独特な人材育成で業界に名を轟かせる。 「たとえ完全に理解することはできなくても、互いに相手の心情を考えて理解を深めようとする努力が大切です」と熱く語るB社長。  それこそがA社の、〝逸材を生み出しつづける人材育成〟の要なのだ。  同社では…… だいぶ大袈裟に書いたので胡散臭いですが。笑。文章の入れ替えや表現の変更などで文末に変化を起こし、そこに改行を入れたことでリズムが生まれて印象が変わったんじゃないかなと思います(上手いかどうかは別にして)。 散文の改行には、特殊な文体の小説を除いて、文庫本の一行あたりの文字数換算でだいたい五行までに改行を入れて読みやすくする、みたいな大まかなルールがあります。文意の切れるところで改行を入れるのではなくて、読みやすい改行のために文意を合わせていくような感覚さえあります。 けれど詩にルールはありません。むしろ、どこに入れるのも自由であり、改行一つで様々な効果(とくにリズム)を作り出すことができる。その効果を知ろうともせずに、ただなんとなくで改行するのはどうなの? ってことを渡辺さんは指摘しているのかなと思いました。たしかにそうだよなー。 そもそもの私の例題が悪かったですね。ごめんなさい。後ほど、ご紹介のあった渡辺さんの10月の投稿作も読ませていただきます。 > こうださんのコメントでちょっと辛いなぁと思ったのは、私の批判は人格の否定だと言われてしまったところでして。むしろ私は作者の人格を徹底的に勘定から省いているわけでして。「そこになんらかのこだわりを持って臨んでいる」ことが詩文から感じられなかったら、それは無いものと判断しています。勝手に作者の人格を推測するのは不誠実でしょう。 たしかに、作者像を勝手にでっち上げて、どうしてそう判断したのか理由も言わずに意見することは、批判でも称賛でも的外れですよね。 ところで私には、本作へ最初に渡辺さんからいただいた二行のコメントから〈私は作者の人格を徹底的に勘定から省いている〉という渡辺さんの信条を読み取ることができませんでした。そんなことはどこにも書かれていなかったので。 そして「いつも」という言葉が二回も出てきたことから、この人は私の書く視覚詩を全否定しているのだと考えたのです(「まるでシカク」への褒め言葉はこの時すっかり頭から抜けていました。ごめんなさい。藤さん、思い出させてくれてありがとうございます)。 これまでに何度か、渡辺さんから「視覚詩である必然性を感じない」という批判をいただきましたが、そこには〝なぜ必然性を感じないのか〟が書かれていませんでした。私はこの批判を「なんでわざわざこんな形にするのかわからない」という意味で捉えました。そして、私なりにこういう理由でこの形にしたのだと説明して納得してもらえれば、作品に対する判断が変わるかもしれないと思ったのです。 改めていただいたコメントから、それは的外れであったことがわかりました。けれどもこのコメントをいただくまで、私は渡辺さんのことを「理由を述べずに一方的に批判をして反論には耳を傾けない人」だと思っていました。そんな人から「〝いつも〟視覚詩である必然性が感じられない」と言われたら、「お前の視覚詩なんか視覚詩じゃねえよ」と全否定されたと感じませんか? ある作者の視覚詩を全否定することは、「私は視覚詩を書いている」という作者の認識をも否定することです。ですから、私は人格を否定されたように感じました。 渡辺さんから改めて丁寧なコメントをいただけたので、私の疑念は晴れました。そして、〈目的と手段〉という新たな課題をいただきました。 私のやっていることは、「ここで改行したいから改行する」ということとたいして変わらないのかもしれません。〈目的と手段の関係性の崩壊〉どころか、〈目的と手段〉についてまともに考えたこともなかったです。 私は、言葉遊びや視覚的効果を生み出すことが好きだからやっている、という部分も多分にあるのですが、言葉遊びにどういう形式があるのか、視覚的効果を生む方法にはどんなものがあるのか、というのを実践によって学んで吸収したいと思っています。まず、あらゆる方法を体に覚え込ませる。そこから初めて新たなものが生み出せるようになるんじゃないかなと思うのです。それは、絵筆の使い分けを知っているかどうか、みたいなことです。生まれ持っての才能があれば、学ばなくても感覚的にこの絵筆はこう使えばいいとわかるかもしれないけれど、私にはそんな生まれ持っての才能はありません。 ですから、マンネリに見えるかもしれないけれど、本人的には何かを学び取ろうと必死だったりします。さらっと簡単に書いているようでいて、ものすごく時間をかけて書いているし。 > こうださんが「視覚詩」という手段を自在に操れて、さまざまな目的へカチッと活用できるような詩人になったら、それは非常に強いでしょう。 はい、そんなふうになれたらいいですね。日々精進します。 長々とお付き合いいただきありがとうございました。渡辺さんとお話できてよかったです。このコメントの最初のほうは渡辺さんのコメントを見てすぐに書いたのだけど、後半は今日の仕事が終わってから書いたのでテンションが全然違くてすみせん。今テンションは低いですが、冒頭と変わらずとてもとてもうれしく思っています。 ありがとうございます。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-06

藤 一紀さんへ コメントありがとうございます。 コメント欄が無駄に長くなっているのは私のせいです。ごめんなさい。きちんと相手に伝わるように書きたいと思うとどうしても長くなっちゃうんです。簡潔に書くことも学ばないとですね。 やられた!と思っていただけて光栄です。 私としては、視覚詩も言葉遊び詩もただの一形式に過ぎないと言われるくらいに誰もが作ればいいのに、と思っていたりするので視覚詩だらけのビーレビも見てみたいです。たぶん世界の見え方も変わる気がします。笑。 藤さんは〈わけわかんなさの面白さ〉と表現してくれましたが、この「なんかよくわからんけどおもしろい」みたいな感覚は私の目指す最大の、ある意味では最低限の目標です。沙一さんへのお返事にも書いたのですが、言葉遊びを読み解くことでしかけ絵本のようにたのしめる詩であればいいなと思うと同時に、そんなの気にしなくても「なんかわからんけどおもしろい」と思ってもらえる詩でありたいです。仕掛けがわからないとたのしめないのはつまらないので。 ロジェ・カイヨワ。たぶん初めて聞きました。遊びの研究っておもしろいですね(wiki調べ)。そういえばベルクソンの「笑い」についても読まないといけないんだった。二十年くらい積読になってる……。 そして、「まるでシカク」への言及もありがとうございます。あまりコメントがつかなかったので、読んでもらえていたことがうれしいです。それで気がついたんですが、「まるでシカク」だけは渡辺さんに褒められてるんですよね。 おそらく渡辺さんは、視覚詩=コンクリートポエムという考えなんじゃないかと。私は、ギョーム・アポリネールのカリグラムなども含めて視覚詩だと思っているんです。藤さんのおかげで、また一つ考え方の違いを発見できました。なるほどなー。違うっておもしろい。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-05

survofさんへ 若干、怒られるかなーと思いながら先ほどの返信を書いたのですが、そんなことはなかったのでほっとしています。 返信ありがとうございます。 あくまで例え話として出された「こうださんは自分の作品を対象化できていない」という指摘については、私はまったくその通りだと思います。どんなにがんばって距離を取ろうとしても、自作を客観視するなんてできないです。どうしたって書いたときのことを思い出すもの。 ただ、作者ですからどのように書いたのかを説明することだけはできます。その説明を聞いたうえでなお、それは批判に対する自己弁護だろうと判断するのは批判を投げかけた側の自由です。けれど、自作の説明=自己弁護ではないんじゃないかな?と言いたかったのです。言い方が悪かったですね。 私はsurvofさんと話すととても勉強になるのでありがたいと思っています。この、ときどきしっかりとした対話を試みられる関係性を大事にしたいです。徹底的な破壊願望とやらに顔を出されない程度に距離を保ったうえでね。 survofさんが詩作の上で何らかの突破をする、その姿を見られたらいいなと思っています。もちろん、突破できなかったとしても問題はないです。挑戦することそのものが重要だと思うので。 ありがとうございました。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-05

survofさんへ 返信ありがとうございます。 本当に早いですねえ。すごい。私は四時間かかったのに。笑! > こうださんの自己弁護が続く限り、私はきっと私の価値観でツッコミを入れ続けると思います。そしてそれはだんだん苛烈になり、最後には人格否定的な批判に発展してしまうのがわかっているので今回はやめておきます。 単純に疑問なのですが、作者がどのように考えて詩作をしているか説明することは〈自己弁護〉なのでしょうか。 それと、価値観は人それぞれなので〈私の価値観でツッコミを入れ続ける〉ことは誰に対してもできるし、誰でもできることだと思うのですが、それがどうして〈最後には人格否定的な批判に発展してしまう〉のでしょうか。 > 自分の持っている物差しと違う物差しを作者が確固として持っている、かつ、作者自身の信念のもとそれを守る覚悟でいる、というのがわかった時点でやはり一旦議論は中止すべきなのでしょう。 これも単純な疑問です。もしsurvofさんの思う議論を続けたとして、survofさんは何をゴールとするのでしょうか。私はこの文面から、「もしかしてsurvofさんの物差しにこうだの物差しを合わせられたら勝ちと思っているのかなあ」と想像してしまいました。 私は、価値観は人それぞれでまったく同じ人などいないし、むしろ同じである必要もないと思っています。ですから、私と価値観の異なる人が私から見て不思議な行動をした場合、なんでそうしたの?とは訊ねるけれど、そんなことしてはだめだと自分の価値観を押しつけることはしないようにしています。それが生死に関わるような危険な行為であれば全力で止めるけれど。 私はこういう理由であなたのこの行為はおかしいと思うけれど、あなたはそういう理由でこういう行為をしたのね。それがわかれば満足だし、いろんな価値観があっておもしろいなーすげぇなーと思います。そして、そんな人と話せてよかったなーと思います。 議論って、ディベートとは違うと思うんです。ディベートはなんらかの形で勝ち負けをつけるところまでがセットだと思うのですが、議論は、より相手のことを理解するためにする意見交換だと思うのです。いかがですか? 自己模倣については、survofさんがいろんな形式の詩を書こうとされているのを見ていたし、それでも「息継ぎなしの流れるような物言いの散文詩」というsurvofさんが得意とする形式に何度も戻ってきているように見えていたので、ご自身のことも含めておっしゃっているのは薄々感じていました。 そうですね。自己模倣は思考停止に近いですから、私は私の物差しで、少しでも成長できるように精進したいと思います。 それと、これは結構大事なことなのですが、自分が成長できているかは今の自分ではなくて未来の自分が決めてくれることだと思っています。今は停滞しているように見えても、じつは大転換への助走期間かもしれない。自分の詩がいつか化けることに希望を持って、お互いに書いていきましょう。私は、survofさんの作品がとても好きです。 追伸 survofさんとお話ができてとても満足したので、もう渡辺さんからの返信などどうでもいいような気分です。笑。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-05

survofさんへ ご質問をいただきありがとうございます。 以前の長いやりとりでも思ったのですが、survofさんは返信がとても早くてすごいですね。対する私は思考が散漫になりがちで、論理的に意味が通るであろう文章に仕上げるまでにものすごく時間と労力がかかります。気を抜くとすぐ横道に逸れたまま戻れなくなるし、端々で「ここは書かなくてもわかるだろ」という怠慢さや手抜き感が出てしまって、対話の相手を不快な気持ちにさせてしまいます。ですので、今日が休みでよかったなあと心から思っています。前回の時はたしか病気の治療で二週間置きに五日間くらい吐きつづけるような状態でなんとか返信を書いていたので、〝健康ではないけれども元気〟というよいコンディションの今、survofさんと改めてやりとりできることをうれしく思います。元気であるってありがたいことだ。survofさんとの対話が建設的なものになるかどうかは、主に私にかかっているので。 では、ご質問にお答えしたいと思います。 再び長文です。 > ・あえて魚の形にしたのはなぜか? > ・対称性を強調するという意味では魚の形はむしろコンセプトを邪魔するものになっていないか? この魚の形は、結果的に出来上がったものです。あえて魚の形にした理由というのはありません。思い返してみると、私はなんとなく人間の形にならないかなあと期待していたのですがそうはなりませんでしたね。〈作り慣れた形に甘えてしまってはいないだろうか〉というご指摘には、うーんどうなんだろう。魚に見えてきたから魚にしただけ、ですね。制作過程は以下のような感じです。 尻尾の第一連、お尻の第二連、鰭の第三連くらいまで書いて「なんかの形に見える……魚!」と気づき、骨の第四連、頭の第五連を書きました。 じつは最初に仕上がったと思った時、第三連は鰭ではなく胴でした。つまり、全体のフォルムはうなぎのような縦長でした。 仕事終わりの22時、投稿にあたり全体像を画像にしようと思ったらうまく画面に収まらなくて、Wordに貼り付けた縮小うなぎを見ながら困ってしまいました。そして職場の最寄駅から二駅分ふらふら歩きながらiPhoneとにらめっこしていたのですが、気づいてしまったんですね「あ、鰭あるじゃん」と。 そんなわけで、胴の部分だった第三連を割くようにして、骨の第四連が中央に収まりました。魚の開きの誕生です。夜道で立ち止まって必死にiPhoneをいじっていた私は完全に不審者。通報されなくてよかった〜。 > 個人的には魚の形をしたものよりも、作品の原型になったという第一連のアルファベットを使った回文単体のほうがよりコンセプトがはっきりしているしインパクトがあると思います。第一連を読んで回文や倒文を使った「遊び」であるということに気づかない人は少ないと思います。それだけ、形に必然性と説得力があります。 おっしゃるように、第一連だけのほうがインパクトがあるのはその通りです。けれども、私は私の詩を受け取る人にインパクトを与えたくて視覚的効果や言葉遊びを用いているわけではないんです。より読者にインパクトがあるのはどちらか、ということを試作において考える必要性を私は感じません。 それと、これは揚げ足を取るようで大変申し訳ないのですが、倒語が出てくるのは第二連目からだったりします。倒語とアルファベット回文の両方に挑戦しようと思った段階で、このように左右対称性がぼやけることは決まっていました。 コンセプトについては次に書きます。 > ・そもそも、一番の作品コンセプトは何か?回文や倒文なのか?魚なのか? 私は詩にコンセプトが必要だとは思っていません。私にあるのはテーマや目的だけ。 と、さっきまで思っていたのですが、本作を改めて見ていたら、本作のというよりも、私の詩作全体を通してのコンセプトと言えるようなものがあることに気づきました。それは骨を見るとわかります。  やさしい ハ 興味ない しっかり者 ハ 余裕のなさ  かしこい ハ はりぼて  にこやか ハ おあいそ  しあわせ ハ 思い込み    他意 ハ ない  詩に他意 ハ ないしね 生き詩たい ハ 蟻が鯛デス   ニシン ハ 蜂なり    日本 ハ 昔話  ニッポニ ア ニッポン    トキ ハ トキ    とき ハ 過ぎ ここまで自作解題する必要があるのかちょっとわからないのですが、賽は投げられた感があるのでもう書いてしまいます。 第四連の五行目までが、左が他人からよく言われる私の印象、右が私の本心です。 私がやさしそうなのは他人に興味がないからだし、しっかり者に見えるのは単に余裕がないだけだし、かしこそうなのも眼鏡をかけた見た目だけだし、いつもにこやかなのは愛想笑いだし、なんかしあわせそうだよね〜もそう思い込んでいる結果だし。 六行目から。でも(これを詩に書くことに)他意はありません。死にたいみたいなのもないしね。生きて詩を書きたいと思えるのはありがたいこと。蟻が鯛ならニシンが蜂。それはまんが日本昔ばなしで見たお話(ぼうや〜♪と脳内BGMがカットイン)。にっぽんと言ったらニッポニアニッポンを思い出すけど、トキはトキだよ(どこで生まれたとしても)。と、考えている間に時は過ぎ。 これ、日頃の私の思考回路です。笑。最初は少々深刻めいたことを考えていたはずなのに途中から駄洒落になったり音楽が流れ出したりして別の話に成り代わっていく。このような思考回路のおかげで私はしかつめらしい顔をせずに済んでいます。 まあそれで何が言いたかったかというと、たぶん私の詩作のコンセプトは「はりぼて」です。 私が日頃から考えたいのは、おそらくこの、第四連の一行目から五行目までのことなんです。だからこの骨は胴を割いて中央に収まった。おそらく形はなんでもよかったのだけれど、着ぐるみのように魚のフォルムをまとったことで、この詩ははりぼてとして完成したんだと思います。 要は、中身がないってことです。 空洞です。 軽々しさ上等。 (あ、もしかしたら渡辺さんは、この中身がないことを批判しているのかしら?) それから、survofさんに謝ります。 survofさんと渡辺さんのお二人が批判的なコメントをくださったので、若干切れ気味な渡辺さんへの私の返信を補足するために、survofさんへの返信を利用してしまいました。ごめんなさい。 渡辺さんがどのような意味でコメントされたのかは渡辺さんにしかわからないことですので、私は、ご本人が説明してくださるのを待ちます。 > こうださん自身が何を思って書いていたとしても他者には関係なく、ただ目に映る状態のみが真実だと言うこと。 と、渡辺さんはおっしゃっています。 > 詩というものをマテリアルとして見る視点は流石頭一つ抜けているなといつも思っています。 > ただ同時に、こういったことをする必然性をしっかりと感じさせられたら素晴らしいのにともいつも思っています。 私の目に映っているのは本作には対する渡辺さんからのこのコメントと、「必然性が感じられない」という同じようなコメントだけを何度か一方的に投げてくるだけで私に何を求めているのか説明してくれない渡辺さんの態度だけです。 survofさんの憶測は、survofさんの憶測としてだけ受け取ります。ありがとうございます。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-05

ころねさんへ はじめまして。 コメントありがとうございます。 私の妄想の中の飼育員のお茶目な行動を笑っていただけてうれしいです。 架空の生き物である河童の展示を試みる葛西臨海水族園が好きすぎて、ファンレターのつもりで書きました。 私も現実逃避したいです。笑。 (カンジョウ絶対防衛線 外回り)

2019-10-04

survofさんへ コメントありがとうございます。 返事は長文になります。 survofさんも渡辺さんも、今回は私の作品に対して否定的な発言をされていますが、お二人には決定的な違いがあると私は思っています。それは、行動の否定か人格の否定か、という点においてです。 survofさんは「たとえおもしろいものでも何度も見せられると飽きちゃうんだよね、もっと違うもの読ませてよ」とおっしゃっていると思います。これは「何度も同じことをしていることに対する否定」であり、たった今の行動の否定です。 一方、渡辺さんは「だからさ、いつも必然性を感じられないんだよね、いつも」とおっしゃっていると思うのですが、ご本人も視覚詩を書かれるので、視覚詩そのものを否定しているわけではない(と、じつはわかっていましたが渡辺さんへのコメントにはそこまで書きませんでした)。だのに、こうだの書く視覚詩はだめだとおっしゃる。渡辺さんの短いコメントに〈いつも〉が二回も登場するように、こうだが視覚詩や言葉遊び詩ばかり書いている人間であるとご存知なのは明白。ならば、そこになんらかのこだわりを持って臨んでいることくらいはわかるはず。そういう書き手に対し、どこがだめなのか説明することもなく「視覚詩である必然性がない」とだけ(だけに傍点)述べることは、視覚詩を書くという行為に対する否定を通り越して、「こうだへの詩人としての人格の否定」のように感じるのです。 というわけで、survofさんのコメントはアドバイスとしてありがたく受け取りますが、渡辺さんのコメントは保留中です(断っておきますが、私は別に渡辺さんが嫌いというわけではありません。関係性を保ちたい理由は見当たらなかったけれど。笑)。 ところで今回、私がなぜこのような言葉遊びだらけの視覚詩を投稿したかというと、芦野夕狩さんに批評してもらいたかったからです。おそらく芦屋さんは私のことなどまったくご存知ない。だったら、私の個性を全開にしたものを書いて、それを批評していただきたいと思ったのです。 ただ残念なことに、私が9/30の23時頃に投稿を完了してからフォーラムを見に行くと、批評の申し込みを書き込む記事が見当たりませんでした。悲しい。昨日、改めてフォーラムを見たら該当記事があったので、だめもとで申し込んできました。芦屋さんの批評がもらえるような奇跡が起きてほしいと願ってやみません。 そして、〈スタイルのマンネリ〉や〈遊びにバリエーションがない〉というご指摘に対する回答です。 survofさんが〈もちろん細かいバージョンアップはされているのだと思いますが、〉というクッション言葉を入れてくださったように、自分としては今回、新しい試みをしています。私が多用する言葉遊びの形式は、「前の文章の単語をもじって次の文章へつなぐ」という方法。要するに駄洒落です。魚の頭に該当する最終連がそれです。常に、もじる際にはぎなた読みやアナグラム、二文字以上使ったしりとりなども併せて用いるので、いかにもなオヤジギャグにはならないようにしているつもりなのですが。 今回挑戦したのは「びそあターャジス」というタイトルからもわかるように倒語(パリンドローム)です。代表的な倒語は、子供の遊び「てぶくろの反対は?」ですね。「ろくぶて」と答えたら「一二、三四、五六」と叩くアレ。第二連に援用しています。最近、スジャータとカンガルー特急便のトラックに書かれた逆さ文字を見かけたので挑戦しようと思い立ちました。ちなみに、魚の尻尾側から読むようになっている構造自体が、この倒語を表しています。ついでに言うと、左右対称なフォルムはもう一つの挑戦である回文を表しています。 第一連のアルファベットを使った回文は、ずいぶん前に即興ゴルコンダ(仮)でさわ田マヨネさんが出した「OTOKONOKONOKOTO」というお題に書いた詩が元になっています。短いので全文を転載します。 OTOKONOKONOKOTO  ONNANOKONANNO   OTOSAGASOTO    OKURERUKO     ONAKANO      EDADE       IMI        O       UTU       ASA こんな完成度の低いものでも書くのにすごく時間がかかったので、私の脳みそには回文をつくる回路がないのだなと思ってずっと避けてきました。でも、倒語に挑戦するなら回文にも再挑戦したい……ということで、かなりがんばりました。 このように、無駄に気合を入れて書いた作品なので、言葉遊びやフォルムの成り立ちを説明しだすといくらでもしゃべれます。笑。けれども、言葉遊びに親しくないタイプの読者なら本作を見ても、「なんか怒涛の勢いで言葉遊びしてるわー」と思うだけだということも自覚はしています。 話が逸れるのですが、survofさんは野田秀樹という劇作家・演出家をご存知ですか。野田さんの芝居は、言葉遊びをふんだんに用いた台詞をまくし立てるのが特徴です。最初のうちは「駄洒落かよ、ウケる〜」と笑って観ているのですが、物語が進むにつれ、どうでもいいと思っていた駄洒落こそが物語の核心につながっていたことに気づき感動します。私は、この感動を詩で構築できないかと考えているのです。 言葉遊び詩や視覚詩は、たしかに一般的な形式ではありません。みんなやってないし低レベルに見られるみたいだからやめておこう。そんなふうに右に倣うのは簡単です。けれど私は、やってる人が少ないからこそ、突き詰めたら新しいものに化ける可能性があるんじゃないの?と考えます。そんなわけで、私は当分このスタンスをやめません。突き詰めて何かにたどり着くか、どこにも辿り着けずに途方に暮れるまでは。 最後に、survofさんのコメントを読んで、「そうか、飽きるほどの数、私の詩を読んでくれているのか」とうれしくなりました。もし私の詩が何かに化けたら、ぜひ見てやってください。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-04

渡辺八畳@祝儀敷さんへ ご返信いただきありがとうございます。二行のコメントでは真意を汲み取れなくて困っていたので、丁寧なコメントをいただけてほっとしました。 > 返信を読み進めていくときに思ったこととコメントの内容がドンピシャで驚いています。たとえばそれこそ助詞を使った言葉遊びじゃないか、と思ったところで「屁理屈だとかやってることは同じだろとか思われるでしょうか?」が来ましまし。 ええと、これまでに三回くらいいただいた「これをやる必然性が感じられない」という内容の短いコメントからは、渡辺さんが私に何を求めているのかがわからなかったんですね。だから毎回、あなたにはなくとも私にとっては必然性がある旨を説明するのですが、それに対してはなんの反応もない。では、コメント以外に真意を読み取るためのヒントを集めようというわけで、渡辺さんのいろんな発言を見ては、こんな考えの持ち主なんじゃないかなあと勝手に想像していた人となり。それが正解に近かったようで、逆に私が驚いています。まあ、主なソースはいつも流し読みしているTwitterなんだけども。笑。 〈助詞を使った言葉遊びじゃないか〉と渡辺さんはおっしゃいますが、言葉遊びではたった一文字変えるだけで意味が逆転するようなこともざらです。言葉遊びの基本精神は、一文字を笑うものは一文字に泣くの精神です(今テケトーにつくった格言)。 では本題に。 今回なぜTwitterを使ってまで返信を求めたのかと言いますと、〝ついに離婚を切り出す古女房〟の気分になったからです。ちゃんとすてきなお相手のいる人物にこういう例え話はよろしくないとは思うのですが。 「必然性を感じられない」 「私にとってはこのように必然性があります」 「これも必然性を感じられない」 「いや、私にとっては必然性があって……」 「だからさ、いつも必然性を感じられないんだよね、いつも」 「あの、私の話きいてますか?」 というやりとりを渡辺さんとしてきたと思っているのですが、これ、 「おい、あれ持ってこい」 「あれってどれですか?」 「あれだよあれ」 「あれってこれのことですか?」 「だからあれだって言ってるだろ!」 「もう離婚してください」 「……」←なぜ離婚を切り出されたか理解できていない という、熟年離婚する夫婦みたいじゃないですか? じつはsurvofさんとも以前、これに似たやりとりをしました。その時の私は、なんとか関係修復を図りたいと言葉を尽くしました。なぜなら、survofさんの作品のファンだからです。好きな作品を書く人に、話の通じないやつだと思われたままでは悲しいので。 ところが今回は、残念ながら渡辺さんと私の間には保ちたいと思えるような関係性は見当たりませんでした。ですから、Twitterでの「返信くれるかしら?」に反応がなければ、もうコメントはいりません(心の声:だって毎回一方的に同じ発言しかしないし私の話は聞いてなさそうだし)と申し上げるところでした。 そんなわけで、とても丁寧な返信をいただけてほっとしています(大事なことなので二回言いました)。 > ただ一つ(たぶん再度)言っておきたいのは、こうださん自身が何を思って書いていたとしても他者には関係なく、ただ目に映る状態のみが真実だと言うこと。パーソナルな領域は作者しか関われないから、他者つまり読者がそれに沿うことはできない。読者は「作者的にどうか」ではなく「外部から見てどうなっているか」で語ります。こうださんが「「改行詩も散文詩も視覚詩も同列」と語ったところで、大部分の人々にはそれぞれ、特に視覚詩は異なるものとして映るわけです。だってこうださんのその論はパーソナルな領域に依存するものですから。 「あなたは人と違うことをしている。なぜそんなことをするのか、私が納得できる理由を述べよ」 このようにAさんへ言ったとき、Aさん自身に「人と違う」という自覚がない場合、Aさんからは、〈私〉が納得できるような理由が語られる確率は低いように思います。おそらくAさんは「え? これが当たり前だからやってるだけだよ。なんでそんなこと聞くの?」と言うのではないでしょうか。 今回の場合、この例えとはだいぶ違うのはわかっています。私は、一般的に視覚詩や言葉遊び詩がメジャーでないことを知っていますし、それらがどちらかというと避けるべきこと、侮る対象のように扱われていることも知っています。あるいは、奇を衒った表現だと蔑まれたり、遊び心のないごく一部の人からやっかむように絡まれる対象だということも知っています。私は無名なので被害はほとんどないけれど、私の大好きな言葉遊び詩人である阿ト理恵さんは、昔ユリイカの新人になったために嫌な体験をたくさんしたそうです。 それらをわかったうえで私は思うのです。なぜ、視覚詩や言葉遊び詩は異端視されなければならないのでしょうか。私にはわからないのですが、渡辺さんにはわかりますか。 > 改行詩に関してですが、実はすでに私はビーレビでのコメントにて必然性を問いています。正しくは「その位置で改行する必然性」ですが。私の個人ページからのコメント履歴をctrl+fで検索していただければ見つかるかと。 私はネット環境がiPhoneしかないため、〈ctrl+fで検索〉することが簡単にはできません。いつ頃の、どなたに対してのコメントかもわからない状況で、渡辺さんのおっしゃるコメントを探すことはむずかしいです。できれば、そのコメントのURLを貼っていただけると助かります。 けれど、〈正しくは「その位置で改行する必然性」ですが。〉と書いていらっしゃるので、私のいう「一般的な改行詩」への言及ではないのだろうと推測します。 渡辺さんから返信が来た うれしい 体が宙に浮かんだみたいだ 上記が私の言う「一般的な改行詩」です。 渡辺さ んから返信 が 来た う れしい 体が宙に浮 かんだみたいだ 上記が、「その位置で改行する必然性」を問いたくなるような、一般的でない改行詩です。 「一般的な改行詩」に対して「その位置で改行する必然性」を問うた例があるのならば、ぜひご紹介ください。どうして問いたくなったのか、とても興味があります。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-04

Um Fantasmaさんへ はじめまして。コメントありがとうございます。おもしろがっていただけたようでなによりです。 私はこういった言葉遊びや視覚詩ばかり作っている人間でして、望まれなくてもどんどんやっているどころか、だいぶ飽きられているようです(この後の渡辺さんやsurvofさんのコメントを見ていただくとわかります)。 ただ、私自身がまだまだ飽きていないので、当分はこんな感じでいくような気がします。次に見かけたら、こいつまたやってるよーって笑っていただけたら幸いです。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-03

沙一さんへ わざわざ確認していただきありがとうございます。 仕掛けのある部分にはちょっとした違和感を作り、「なんでこうなの?」という疑問が湧くように作っているつもりです。その疑問をきっかけに、しかけ絵本のようにもたのしめる詩であればいいなと思っています。まあ、仕掛けがわからないとたのしめないのはつまらないので、仕掛けなんて気にしなくてもおもしろくありたいとも思っています。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-03

渡辺八畳@祝儀敷さんへ コメントありがとうございます。 「魚と鳥と兎と すクロール〜TOTO-to-TO-to-TO-to すCrawl〜」の時にも同じようなお返事をしたのですが、異なる考えや価値観を持った方に読んでもらえてさらにはコメントまでいただけるのは、コメントを推奨しているビーレビのよいところだと思います。とてもありがたいです。 > 詩というものをマテリアルとして見る視点は流石頭一つ抜けているなといつも思っています。 せっかく褒めてくださったのに恐縮ですが、私は〈 詩というものをマテリアルとして見る視点〉からはなるべく離れたいと思っています。なぜなら、過去に「言葉を道具として扱っている」という批判を受けたために言葉遊びを封印しようとしたせいで、十年近くスランプに陥ったからです。 現在の私は、「言葉で遊ぶ」のではなく「言葉と遊ぶ」という姿勢で、大好きな言葉遊びを中心に据えて詩作をしています。詩の中に自ら入って言葉と飛んだり跳ねたり走り回ったりしたい。それが、私の詩作の原動力です。屁理屈だとかやってることは同じだろとか思われるでしょうか? でも私にとっては〝で〟と〝と〟の違いはとてつもなく大きいのです。ですから私にとって詩は、言葉は、マテリアルでも道具でもありません。 > ただ同時に、こういったことをする必然性をしっかりと感じさせられたら素晴らしいのにともいつも思っています。 渡辺さんは、一般的な改行詩を見て改行することの必然性を問いますか? この渡辺さんのコメントからは、「視覚詩っていう奇抜なことをするんだからそれなりの必然性がないとおかしいよね」という声が聞こえてきます。 私は、視覚詩というものを特別視してはいません。私にとっては、改行詩も散文詩も視覚詩も同列。当たり前に改行詩を書くように、当たり前に散文詩を書くように、当たり前に視覚詩を書いているだけです。だってただの一形式ですもの。ただその形式で書く人が少ないというだけ。作ろうと思えば誰でも作れるのだから奇抜でも何でもない(絵を描けない人のように、そういう発想が湧かない人もいるのでしょうが)。 そして本作について言えば、沙一さんへのコメントで部分的に自作改題をしているように、言葉遊びの成り立ちを事細かに説明することもできますし、製作過程を追ったうえでなぜこの形になったのかを説明することもできます。つまり、作者である私にとっては必然性があるのです。 渡辺さんは二行のコメントの中で「いつも」という言葉を二回も使われましたが、「春が立ちあがる音」でも「こんなにかわいい娘がいるじゃない ここに」でも、私は同じことを説明しています。私は、なんかそれっぽいものをなんとなくで書いているわけではありません。私なりの理由があってこのような詩を書いています。 さてさて、どうして何度も同じ説明をしなければならないのか。考えられる理由を挙げてみます。一つ、渡辺さんは私の返信をまったく読んでいない。一つ、渡辺さんは返信を読んだうえでなおも必然性を要求している、つまり作者にとっての必然性の説明ではなく「俺が納得できる必然性」を要求している。 私は渡辺さんのために詩を書いているわけではないので、ちょっと途方に暮れています。というか自作全般についてぶっちゃけてしまうと、これは短編小説でもショートショートでも私小説でもエッセイでもないなと思った時に、詩じゃね?と思ったからこれは詩ですと差し出している部分が多分にあります。「現代詩」を、現代に書かれている詩という意味ではなく、「戦後詩」の後に登場したある一定の形式などを有する詩と定義するならば、私は「現代詩」を書いてすらいません。私は自由詩を書いています。 〈こういったことをする必然性〉を問うのは、この自由詩の〈自由〉の否定ではないのかなあなどと思っています。いかがでしょうか。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-03

stereotype2085さんへ コメントありがとうございます。 落下するミサイル! なんだか不穏ですねえ。じつは、それはまったく念頭にありませんでした。笑。でも、同じく魚を象った「踏み止まるメザシ(千葉県産)」の時にもいろんな方から魚雷や鉛筆に見えるとコメントをいただいたので、予想くらいはできた、かも?? なんにせよ、想定外の、stereotype2085さんらしい読み方(見方)をしていただけたのがとてもうれしいです!  そして、魚とわかった後も「魚=泳ぐ」と捉えて活きのいい読解をしてくださりありがとうございます(私の解釈ではこの魚は開きなのだけれど。笑。じつは投稿直前に、第三連を第四連が切り割いてしまったので)。 詩の解釈を読むと、その人の考え方や人となりまで見えてくるのでたのしいです。stereotype2085さんは私のことを〈あなた方そんなに辛辣、深刻に考えなさんなよ。楽に生きな〉と呼びかけるような人だと思っているのかな〜とか? たのしいしうれしい! もうどんどん自由に読んでもらいたいです。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-02

沙一さんへ コメントありがとうございます。 美味しく召し上がっていただけたようでなによりです。 そして「皿」の一字! 小さな部分にまで目を向けてくださりありがとうございます。こだわりというほどのことではないのですが、気づいていただけてうれしいのでちょいとご説明を。  めがあいたら   ぎがになって  てらになる  皿  にしんかよ  ふかまるふか   ぶかふかしん この部分、「目が開いたら」の「めが」がメガ→ギガ→テラへと単位が大きくなり「さらに進化よ」とつづくのですが、そこに深化とニシンも見つけたので、ニシンが見えるように皿に載せ、ふかまるふかぶか深化していく……というように書いていたりします。 さて、沙一さんはこのサイトをPCでご覧になっていますか? それともスマホですか? もしスマホでご覧になれるのならば、本作の画像部分を表示させたまま、そのスマホを九十度回転させてみてください。じつは、そこに歪な「目」が現れます。お試しあれ〜。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-02

社町 迅さんへ お久しぶりです。 コメントありがとうございます。完成度きわまってますでしょうか。そのように見えたのならうれしいです。 スジャータのトラックの表記が徐々に「ターャジス」でなくなっているといううわさを聞いてさみしく思っていたら、「便急特ールガンカ」トラックを見かけてときめいたので、前にさわ田マヨネさんがゴルで出したお題「OTOKONOKONOKOTO」に書いたけど不完全燃焼だった詩を引っ張り出してきて目一杯「びそあターャジス」してみました(もう原形をとどめていない)。 時間ばかりかかったけれど、なんとか完成して九月の投稿に間に合ってよかったなあと思っています。よくあそびました自画自賛。 (┣びそあターャジス┳スジャータあそび┫)

2019-10-01

即興ゴルコンダ(仮)2019.9.11投稿。お題「カンジョウ絶対防衛線 外回り」はまいきーさん出題です。 (カンジョウ絶対防衛線 外回り)

2019-09-30

本作に対するコメントではないのですが、「詩人が語る言葉は、すべて詩でなければならない」の朗読がやっと録れました。大変遅くなりました。 同作品のコメント欄にSoundCloudのリンクを貼りました。よかったら聴いてください。 (うつつ)

2019-09-14

大変長らくお待たせしました。 いや、もうすっかりそんなこと忘れ去られているかもしれませんが、つい先ほどやっと噛まずに(数か所のごまかしは目をつぶってください!)読めたものが録れましたので、SoundCloudにアップしました。この作品の私なりの解釈に基づいた朗読です。 https://soundcloud.com/user850776306/survof 八分間の朗読は初体験でした。 大変だった〜。でも、やり切ったー! (詩人が語る言葉は、すべて詩でなければならない)

2019-09-14

藤 一紀さん、コメントありがとうございます。体感的な作品と受け取っていただけたようでうれしいです。 今夏はタピオカドリンクがブームでしたね。渋谷あたりではカップが路上へ大量放棄されて問題になったとか。藤さんが見たというカップの底に残されたタピオカと同じく“救われない”光景です。一つ前の私のコメントの「すくう」を拾ってくださり感謝します。 本作では、海に映る月をすくってポケットに入れたらくらげ(海月)の待受になった、というファンタジーを書いたつもりです。「すくう」に言葉遊びの毒を持たせて。けれど、他のサイトではこんなコメントをもらいました。 「すくわれる」と「つかまる」はどこがどう違うのだろう?と読後考えました。 これ、とても驚きました。たしかにくらげの立場からすると“つかまる”なんですよね。囚われの身。救いがない。わざわざ言葉遊びで毒を盛らずとも最初から毒を持っていたんだな、この詩は。 こんなふうに、読者のコメントからの気づきは、人様の目に触れる場に投稿しなければ得られない貴重な体験であり、非常にありがたいと思っています。 それと私は「自作は読者の手に渡ったら著作権以外はその読者のものになる」と思っています。 何かを読んで理解しようとするとき、私はこれまで得た知識や経験などを総動員して挑みます。どんな知識を持っているか、どんな体験をしてきたか、というのは私固有のもの。それらを通してたどり着いた結論は、たとえ結論だけ見ると他の人と同じであっても、過程がまったく異なる別ものです。そういった意味で、私の感想や解釈は私だけのものであり、他の人と同じにはなりません。それは、私だけでなくすべての読者にもいえること。ですから私は、「作品は読者の手に渡ったらその読者の解釈で読まれる=その読者のものになる」と思っているのです。 そんなわけで! 藤さんの体感的な受け取り方は、藤さんらしさが垣間見えてとても好ましかったです。ありがとうございます。 それと、本作に登場する「くちくなる」は、五月のビーレビ杯に滑り込みで投稿するも見向きもされなかった私の自主制作アニメ(動くパラパラ漫画)です。笑。友人の娘ちゃん六歳がとても気に入って何度も見てくれたそうです。Eテレっぽさを目指した甲斐があったなあ。 ‪https://www.breview.org/keijiban/?id=3482‬ (携帯海月)

2019-09-03

沙一さん、宇佐見踏繁さん、田邊容さん、stereotype2085さん。コメントありがとうございます。 みなさん、詩全体をポジティブに捉えてくださったようでありがたいです。とくに沙一さんは励まされたとのこと。 それを否定してしまうようで大変申し訳ないのですが、四名の方々とは異なる見方を少し書かせてください。 「すくう」というひらがなを見た時、私は「掬う/救う/巣喰う」という漢字を即座に思い浮かべます。ですから本作の場合、最後の一文「たぶん、すくわれないことなんてないよ。」は、「たぶん、掬われ/救われ/巣喰われないことなんてないよ。」となるのです。 その前の一文「両手ですくってポケットに入れた。」は動作が伴うため「掬」の字が当てはまります。そのまま素直に次の「たぶん、〜」を読めば「掬」を当てはめるのが普通でしょう。けれど、能動的な表現から受動的な表現に変えることで、別の意味合いがこもっていることを示唆したつもりです。それによっておそらく四名の方々は、「掬」ではなく「救」を当てはめてくださったのだと思うのですが、もう一つ、「巣喰」という漢字も当てはまるのです。くらげってふわふわゆらゆらしてきれいだけれど、致死量の毒を持っているものもいますから。 そして「巣喰われないことなんてない」だと非常にネガティブな結末になってしまうので、ポジティブに見せかける(バランスをとる)ための装置として、このような画像に仕立てました。 と、四名の方々とは異なる見方、つまり作者の意図を書きましたが、これはあくまで作者による解釈です。へーそんな解釈もあるんだな〜と、ほかの方の解釈と同じように、たくさんある解釈のなかの一つとして捉えていただけたらうれしいです。 私は自作を、公の場に出した時点で、著作権以外は読者のものになると思っています。ですから好きなように読んでいただけたらうれしいです。そのうえで、私の意図なんてどうでもよくなるくらいの独自の解釈をしてもらえたら、より幸福だなと思います。 読んでいただきありがとうございました。 (携帯海月)

2019-08-27

ふじりゅうさんへ 先日のツイキャスでは大変お世話になりました。後で録画を聴いて反省したのですが、事前にいただいていた質問事項への返答をきっちり用意して臨んだため、まるで台本を片手に持って立ち稽古しているようなしゃべりでしたね私。つまり、相手の台詞を聞いていない(余裕がない)。一方的にしゃべってしまってすみませんでした。めっちゃ緊張してたんです。 個人的にはとてもよい勉強になりました。貴重な経験の場を与えていただきありがとうございます。 さて、「円滑水槽」で自作解題をやり過ぎたので、もしかしたら、こうだのはコメントつけづらいなーとか思われていないかしら?と心配しています。 私は自作においては、「作者である私の意図」=「作者である私による解釈」だと思っているので、自作の意図を絶対視していません。作者なので制作過程を知ってはいるけれど、私だって、読者の一人でしかないのですから。 そんなわけで、聞かれれば自作解題をしますが、「私は自作をこんなふうに解釈したよ」と言っているだけなので、ほかの方の解釈と同様「へえ〜そんな解釈もあるんだ。でも自分はこんなふうに解釈したよ」ってな感じで自由に読んでたのしんでいただけたらいいなと思っています。 造形美を感じると言っていただけてうれしいです。視覚詩は、アポリネールのカリグラム、北園克衛や新国誠一の具体詩など、先人によってすでに多くの実験がなされています。後から来た私にできることは、すでに出尽くしているアイデアを組み合わせて新しいなにかを作ること。つまり、デザイン(設計)だと思っています。本作のデザインが美しく見えたのならば、とてもうれしいです。 (まるでシカク)

2019-08-21

渡辺八畳@祝儀敷さんへ おお、渡辺さんから長文のコメントもらえた。よっしゃ! ありがとうございます! そういえば、拙作「魚と鳥と兎と すクロール〜TOTO-to-TO-to-TO-to すCrawl〜」のコメントでもイデアの話をされていましたね。私は日文科出身ですが哲学は般教でしかやらなかったので、「あーイデアねえ、授業で言ってたなあ、競馬の話のほうが多かったけど、あのチョビヒゲ先生」程度の知識しかありません。おはずかしい。なので、本作はイデアについて書いたわけではないのだけれども。 たしかに、PCの画面上でも印刷物上でも、四角はドット(●)によって作られますね。〈四角とは「4本の直線で囲まれた平面上の図形」と定義されている。〉のであれば、機械であろうと手書きであろうと完全な直線は引けないし、自然界にある四角も顕微鏡レベルで見れば完全な直線ではない。つまり、本当に完全な四角というのはこの世に存在しないことになります。きっとそれはあらゆる物の形に言えることで、すべてが「まるで〇〇」なのでしょうね。 そう考えると、ボルカさんのおっしゃった〈マンダラみたいな詩〉がさらに説得力を増してきます。イデア論もマンダラも、宇宙の真理を表すのですもの。 ボルカさんも渡辺さんも、作者の意図をはるかに超えた高尚な解釈を自由にしてくださってうれしいです。 (まるでシカク)

2019-08-21

survofさんへ お、朗読許可がおりた! わーい、ありがとうございます! しばらく練習させてください。自分なりに納得のいく録音ができたらSoundCloudに上げますね。正確無比かどうかは謎ですが。笑。ちょっと声に出して読んでみた感じ、か〜なりむずかしいので来月になりそうな気がします。upしたらお知らせします〜。わいわい。 > で、自分がイメージしていたのは、まあとにかく舞台と観客席を隔てるやつです。 > で、かなり一気に書き上げたのであまりきちんと調べませんでした、汗。 緞帳の部分、あまり調べず勢いで書かれたのですね。やはり。 実は私、おもしろおかしく読んでいたのにこの部分で一気に現実に引き戻されてしまって。「緞帳? ワイン色? それって緞帳か??」という疑問で頭がいっぱいになってしまったんです最後の最後に。笑。なので、あえてそう書かれたのなら理由をお聞きしたいと思った次第です。 でも、他の方は気に留めていらっしゃらないようですし、これはこれでいいんじゃないかなとも思います。舞台を観る人や舞台に関わる人ってごく一握りだし、幕の形状や呼称まで知っている人はさらに少ないだろうし。かくいう私も、「ワイン色のって緞帳じゃなくて内側のドレープ状の幕だよね?」程度の認識しかなかったので。笑。ただ、今回の些細なことで一気に現実に引き戻されてしまったという経験を踏まえて、私は、自分のよく知らない物事を作品に取り込む場合はできる限り下調べをしたいなあと思ったりしました。まあ、なかなかむずかしいし、時と場合によるけれども。校閲さんの、月の描写が出てきたらすかさず何年何月何日のどんな月か調べるっていう感覚、あれに憧れるんですよね〜。 ところで絞り緞帳ってバレエではよく使うみたいですね。演劇でも古典なら使うのかしら? 私が現役の頃の高校演劇ではほとんど使ってなかった気がするなあ。 話のついでに、私の思う緞帳(舞台の際、客席にもっとも近い場所にある一枚布の幕)の役割と、survofさんの意図とは違うけれども私なりのラストシーンの受け止め方と、作品全体の解釈について書かせてください。 > 緞帳って観客と演者を明確に仕切るものの一つじゃないですか?それを引き裂いたってことを書きたかった感じですね。 たしかに緞帳は、観客と演者の仕切りと捉えることもできますが、私は少し違った見方をしています。 舞台は生ものです。映画やテレビドラマのように、役者とスタッフだけで作るものではありません。役者は観客の反応で演技が変化しますから、客席が盛り上がることでよりよい公演になることも、その逆もあります。そういった意味で、観る側と演じる側という役割の違いはあっても、観客と役者は“初めから”ひとつであり、その公演(虚構の世界)をともに作っています。そのうえで、公演の最後に下りてくる緞帳とは、“虚構の世界から現実の世界に引き戻すための装置”であると思うのです。 観客も役者も、緞帳が下りたら現実に戻ります。「いいものを観たな、さてご飯でも食べて帰ろう」とか「今夜はやり切った! 明日の千秋楽に備えて早く帰ろう」とかそれぞれに思うわけです。そのきっかけの装置を〈娘〉が破るラストの描写は、観客と役者の仕切りをなくしたというよりは、“虚構の終わりを否定した”ように私には受け取れました。 まず娘のモノローグという虚構が提示され、それを覆す語り手のモノローグという虚構が提示され、さらにそれらはト書きによって実は演劇(虚構)でしたと提示されておしまいとなるかと思いきや、その終わりをも娘によって否定される。そのすべてが、タイトルに対する答えなのだろうと思いました。 「詩人が語る言葉は、すべて詩でなければならない」って、ある意味そうだけどそうじゃない、けどそうだけどそうじゃない、けどそうだけどそうじゃないけどそうだけどなんかもう、眠くなっちゃうよね。 というわけで、私は本作を上記のように解釈しましたので、朗読はそれに基づいて行なわれると思います。うまくできるかはわからないけれど。よーし、とにかく練習するぞ〜! おー! (詩人が語る言葉は、すべて詩でなければならない)

2019-08-18

蛾兆ボルカさんへ わわ! ボルカさんからコメントいただけるなんてうれしいです! 思い切りコンクリな感じに振り切ってみました〜。 マンダラみたいな詩! おもしろそうですねえ。私はそこまで考えが及びませんでした。「丸で四角」を作って「まるでシカク」を視覚化し、「まるで刺客」な四角を「丸で死角」に潜ませることまでは思いついたのですが。もう一歩、引かなきゃだめでしたね〜。全体像が見えていなかった。 ボルカさんの頭の中にある〈タペストリー状の形の文学〉がどんなものなのか見てみたいです。とてもおもしろそう! ワクワクします。 (まるでシカク)

2019-08-18

これ朗読したーい!って思いました。完全に自己満足だけれど。すてきなモノローグ。芝居なら役者が二人必要だな。娘にはチェルフィッチュめいたダンスの振り付けっぽい動きをしてもらいたいな、どこかに振り付けできる人いないかな(妄想中)。 一つ気になったのは、「腐ったワインの色に似ている」のは舞台の際にある緞帳ではなくて内側にある絞り緞帳だということ。絞り緞帳はドレープ状になっていて初めから真ん中で二つに割れて開閉できるようになっているので、この娘は何を引き裂いたのかなあ、と。それに絞り緞帳って上から降ろすことってできるんだろうか?? 使ったことないからなあ。 と、そんなことを考えていたら、最近観に行った芝居はどれも緞帳使ってなかったことを思い出し、流行りなのかな〜って思いました。 は! めっちゃ脱線した。すみません。 (詩人が語る言葉は、すべて詩でなければならない)

2019-08-16

私も改訂後のほうが好きです。 漢字そのものの形を何かに見立てるっておもしろいですね。とても参考になります。 るるりらさんの作品のよいところは、読んでいるうちに「私もやってみたい!」という気持ちになるところだと思っています。作品自体にエネルギーが溢れていて、「よーし、まっけないぞ〜」ってなります(^^) (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-16

8/3、ビーレビ公式ツイキャスに呼んでいただきました。聴いてくださった方、ありがとうございます。 その際、即興ゴルコンダ(仮)で「まるでシカク」というお題を出しましたと告知したのですが、そのお題に書いた拙作がこちらです。 「まるでシカク」を視覚化してみました。真ん中に四角い刺客が潜んでいます。あ、丸わかりですか? いやあ、まいった、まいったなあ。 初出:即興ゴルコンダ(仮)20190804 http://golconda.bbs.fc2.com (まるでシカク)

2019-08-16

藤 一紀さんへ コメントありがとうございます。 うまくまとまらないと思ってもなんとか書いてくださって、よかったです。もしこうして書かれなければ、私は藤さんがこの詩に対して何か思ってくれたこと自体、知る由がないので。藤さんにとって感じるものがあったというだけで私はうれしいです。 > まず図柄としては、はじめプランクトンのようだと思いました。今日読み直していてみると、泡のようでもありました。 たしかに私は「溺れている」と書いてますね。水に関する表現は他にないけれど、頭の片隅にはあったと思います。というか、常にあると言ったほうがいいかもしれません。なかでも暗い深海のイメージを私は好みます。 本作は、即興ゴルコンダ(仮)という即興詩のサイトに投稿したものです。タイトル=お題を私が出しました。ゴルは仮営業が始まってから五年くらい経つのですが、その間に膨大な数のお題が出されています。だからお題を出す時はいつも、私が考えつくお題なんてすでに出されているんじゃないか、新しいお題なんてもうないんじゃないかという気持ちになります。そして、過去のお題をいくつか見てみたりします。沈殿しているものを攪拌するみたいにして。 > ただ、同音異義語たけでなく、音の連なりから派生する言葉へ広げていきたくなる傾向、たとえば、ツミなら「摘み」や「つつみ」や「つめ」云々(まだまだつづくので省略)と広げていきたくなる誘惑にかられる私としては、もどかしさも感じつつ、 はい、今回はかなり意識的に抑えました。たどり着きたい場所があるときや、ふざけた印象を与えたくないテーマで書く場合に、私は言葉遊びを極力減らします。 でも、私もしょっちゅう誘惑に負けます。四月に投稿した「Anemone coronaria」なんかはまさにそう。これはただただ言葉と遊ぶことをたのしんで書いた詩。言葉で遊ぶんじゃなく、言葉と遊ぶ。 > 最後の《落書かれた葉》はなんだろうと考えたのですが、「落書き」と「落ち葉」、「枯れ葉」の合成語でしょうか。というか、そう読むことにしました。そして、そこまで読んでしまって、上に目を戻すときに堆積を感じたのでした。 最後まで読んで、再びタイトルに戻っていただけてうれしいです。《落書かれた葉》は、ご指摘の通り「落書き」と「落ち葉」、そして冒頭に示した「言の葉」の合成語です。つまり、私があちこちに書きつけては堆く積み上がっていく詩の言葉です。 病気になって枝を離れた葉は、堆積するだけでなく、いずれ土に還ります。それは養分となり根から取り込まれ新しい葉になるから、葉は、循環します。だから、藤さんの視線がタイトルに戻って環になったのがとてもうれしいです。 (病葉堆積)

2019-08-02

渡辺さんへ コメントありがとうございます。 画像投稿の仕方、真似させてもらいました。よろこんでもらえたみたいでよかったです。 iPhone7だけでできることには限りがあるけれど、いろいろ遊んでみたいと思います。他にもおもしろい使い方があれば教えてください。真似して学びます世阿弥。 (病葉堆積)

2019-08-02

砅氿さんへ はじめまして。 コメントありがとうございます。 ええと、お名前はなんと読むのでしょうか(漢字に疎くてごめんなさい)。 病気になった葉が枝から離れてふわりと落ちては堆く積み上がっていく様を最小限に表せたらいいなと思っていたので、わかっていただけてうれしいです。 それと、「物凄く好き」って久しぶりに言われたのでめちゃめちゃテンション上がりました。またそうやって言ってもらえるようにがんばろうって思えました。ありがとうございます。 (病葉堆積)

2019-07-26

survofさんへ コメントありがとうございます。なんと、共鳴するものがありましたか! うれしいです。 これは即興ゴルコンダ(仮)という背景が真っ黒なサイトで、私が出したお題「病葉堆積」に対して自分で書いた詩です。 ゴルは現在の仮営業になってから五年ほど経つのですが、その間ものすごい数のお題が出されていて、お題出しが回ってくるといつもとても悩みます。こんだけ出されてたらもう新しいお題なんてないんじゃないかなって思うくらいに。 そのお題出しに翻弄されている自分の姿と、一つのサイトにたくさんのお題と様々な詩人の詩が積み重なりつづけていることへの目眩と、細胞の新陳代謝を繰り返しながら(たぶんそれは詩を書きつづけることに似ていて)どうしたって死へ向かうしかない生き物としての身体のことなどを想いつつ書きました。 〈死/とは暗い緑色をしているという刷り込み〉は安部公房によるものです。彼の作品には緑色が頻出するのですが、私が最も印象に残っているのは「飢えた皮膚」という短編の最後の一行です。 〈そしてある日、おれの皮膚は死の不安に似た冷たさを感じ、暗い緑色に変わっていた。〉 実は、私は緑系ならどんな色でも好きという極度の緑好きなのですが、この「緑色が好き」という感覚と「死は暗い緑色」という刷り込みは、私の中で対立することなく存在していて。 三年前に父が息を引き取る時に、父の手を母と妹と握りながら、私は、死ぬのは怖くないんだなと理解しました。私が怖いのは、死を迎える過程にあるであろう痛みとか苦しみのほうなんですよね。だから私は、この暗い緑色さえも好きです。むしろ、真っ赤とかショッキングピンクとかのほうが不安になります。笑。 (病葉堆積)

2019-07-26

注記:渡辺八畳さんの投稿を見て、画像だけで投稿することもできるんだー! おもしろい!と思ったので投稿の仕方を真似させてもらいました。内容はオリジナルです。 (病葉堆積)

2019-07-25

即興ゴルコンダ(仮)2019.6.24投稿。 お題は自分が出しました。 真っ黒い背景のサイトはこちら。 http://golconda.bbs.fc2.com (病葉堆積)

2019-07-25

まろふにさん、はじめまして。 コメントありがとうございます。 好いなぁ・・って言っていただけてうれしいです。 私は店内装飾の仕事をしているので、この時期はいつも笹飾りと短冊のことを考えています。 今年のポエケットは七夕ですね。私は行けないけれど、きっとたくさんの出会いがあるんだろうなあと思っています。 (そんな気はさらさらないってつぶやく口のなかでだけ)

2019-06-18

お、渡辺さんだ。コメントありがとうございます。 > 読点のない文章、改行ごとの空行、スラッシュ、それのどれに対しても申し訳ないが必要性を感じなかった 「申し訳ないが」というひとことが酷評OKタグをつけていないことへのわずかな配慮ですかね。私は、批評にかこつけて人格を否定するようなことを言われるのがいやなのでタグをつけませんが、俎上に載せられた作品そのものに対してのご意見であれば真摯に受け止めます。 あ、でも、この詩を読んで「こんなものは詩じゃない。だからだめだ」と、部分を切り取って主語を大きくしたうえに「だから」の部分の説明のないまま批判をされると「はぁ?!」ってなりますけど。この一篇だけで私の詩のすべてがわかんのかよ? まず詩の定義を示してから詩について語れよ、と思ってしまうので。笑。女は……とか男は……とか詩人は……なんて一括りに批判される(決めつけられる)と腹立つのと同じです。 さてさて、必要性を感じないと全否定されてしまったので、なぜそうしたのか説明しますね。 > 読点のない文章 これは私の趣味です。笑。というのもあるのですが、一息に読みたい文章の句読点をあえて省いています。私は詩を台詞ととらえている節があって、自分の発話しやすさを文字にするとこうなります。読者にも一息で読んでもらえたらいいなという試みです。 > 改行ごとの空行 これは、この詩を見るときの環境によって印象が変わるような気がします。きっと渡辺さんはPCから見ていますよね? 私はiPhoneでこれを書いています。iPhone7の小さい画面で見ると、四つの文章すべてが四行になります。四行もあれば連として成り立つでしょう? つまり私は、この詩を四行の行空け詩ではなく、四連の詩として書いています。 > スラッシュ これは親切心が仇になった感じですかねえ。じつは連の最後と次の連の頭で韻を踏んでいるんです(う立派に/スリッパに、れでも/寝ても、とうに/お寿司、き人よ/いいこと)。単語で韻を踏んでいるわけではないので、このほうが気づいてもらえるかなあと思ってスラッシュを入れました。最後のスラッシュは、(あれ、最後がないな、ん、このタイトルが言いたいことか?)とタイトルへ戻ってもらえたらいいな、の意です。 それから、この詩は六月に投稿したもう一作「そんな気はさらさらないってつぶやく口のなかでだけ」の続編として書きました。「そんな気は……」は、ゴル投稿時は一定の文字数で改行する、私が好んで書く四角いフォルムをした詩でした。今回転載するにあたり、一息で発話する分量で改行したほうが読みやすいかなと思って改行を入れました。本作は、それに則って形を整えた部分が大きいです。 以上、なんとなく格好をつけるために三つの手法を用いているわけではないことを説明しました。まあ、こんなものは作者である私の自己満足です。「必要性を感じない」=「おもしろくない」が渡辺さんの感想なんだろうなと受け取りました。 読んだうえにコメントまでいただきありがとうございます。 (こんなにかわいい娘がいるじゃない ここに)

2019-06-16

たぶん、三箇所くらいで声に出して笑いました。箒が好きです。 (ネット詩の読解の不可能性についてのディレッタント・カット)

2019-06-15

なゆたさんだ! コメントありがとうございます。 > 日常のぼんやりとした不満や不安やを抱えつつもふんわりとした気休めのポジティブで乗り切ろうと行きつ戻りつする、等身大の人間がいるなあと思いました。 はい、これを書いた2015年の時点で私はとっくに学生ではないので厳密には等身大ではないのですが。笑。現実に50%ほど虚構を混ぜたくらいが私にはちょうどいいようです。常々、見かけ倒しのハリボテだなあと思っております。 (そんな気はさらさらないってつぶやく口のなかでだけ)

2019-06-15

即興ゴルコンダ(仮)開催中。 http://golconda.bbs.fc2.com さっき投稿した詩を転載します。 もう一作の「そんな気はさらさらないってつぶやく口のなかでだけ」の続編になったので。 お題=タイトルはwillさんより。 (こんなにかわいい娘がいるじゃない ここに)

2019-06-15

初出は即興ゴルコンダ(仮)2015.7.4です。タイトル=お題はこうだが出しました。 (そんな気はさらさらないってつぶやく口のなかでだけ)

2019-06-15

即興ゴルコンダ(仮)2015年11月25日投稿。お題(タイトル)は私が出しました。 (ニロクジチュウ、ウカナイ)

2019-05-31

なんとか間に合った〜。 初出は即興ゴルコンダ(仮)2018.8.25です。お題は私が出しました。 アニメーション作ってみたかったので初挑戦! (くちくなる)

2019-05-31

なゆたさんへ はい、私の朗読は聴かずに「Anemone coronaria」というタイトルから一気に書いたんだろうなと思っておりました。やはり! でも返詩をいただいたからには読まずにいられませんでした。時間かかったけどたのしかった! 事後報告でごめんなさい。 なゆたさんがフロウとおっしゃるのは妙な節回しのことだと思うのですが、あれじつは、歌ものCMの影響なんです。ポリンキーとかドンタコスとかバザールでござーるとかのCMが大好きで。笑。ぜんぶ佐藤雅彦さんが作ってるって後で知って、佐藤さんすげえって思いましたけども。 私はずいぶん昔に高校演劇をやっていたので、ポエトリーリーディングというよりかは台詞として詩を考えている節があります。自作なのをいいことに、自分が発音しづらい単語はどんどん差し替えていくので自作はサクッと朗読できるのですが、人さまのはむずかしいですねえ。 > 私私私私私私色とりどりの私 この部分がどうしても読めなくて、勝手に「私色」と「とりどりの私」に分解してしまいました。 なゆたさんの朗読向けの詩も読んでみたいです。 お付き合いいただきありがとうございました。また、ぜひ! (Anemone coronaria)

2019-05-04

tOiLeTさんへ はじめまして。 コメントありがとうございます。 私が自作の言葉遊び詩に対して「意味はありません」と言うときは、ふた通りのパターンがあると思い至ったので書いてみます。 (1)ただただ言葉と戯れているだけの、ノリで書いている言葉遊び詩 =たのしんでいるだけで本当に意味はない (2)極めて個人的なマイナスの体験や感情を遊びによっておもしろおかしく昇華するために書いている言葉遊び詩 =本人と同じ体験をしていなければなんのことやらさっぱりわからない比喩表現や言い換えばかりのため、読み手には意味が読み取れない(親しい友人等にはわかる場合もある)。つまり、読み取れる意味はない (1)も(2)も、言葉遊び一つひとつの成り立ち(本作ならタイトルのAnemoneが姉もねにかかることで妹が出てきて小野妹子から芋掘りにまでかかる、とか)は説明できるし読み取れるはずなので、詩を成り立たせているパーツにはそれぞれ意味があります。 けれども(1)は、詩全体に通底する意味や作者の言いたいことなどはありません。また、(2)は書かれた体験や感情が書いた本人すらわからなくなるくらいに昇華されているのが理想形であり、書くという行為自体に意味を置いています。そのため、できあがった詩には意味がなくてもかまいませんし、読者には(1)と同じただの言葉遊び詩だと思ってもらえたほうが成功だと言えます。 そして、私は読者の手に渡った時点で作品はその読者のものになる(著作権以外)と思っているので、作者である私の想定していない意味を読み取っていただくのは大歓迎です。 > 個人的にこの作品で一番いいなぁと思ったのは全体の長さであり、 こういう作品は「どこまでやるか、どこで止めるか」ってのは大事なのかな?などと思いつつ、どこで止めるか?で、ある種の意味性も生まれてくるのでは?などとも考えました。 人それぞれ、読みやすい分量ってありますよね。なゆたさんへの返信にも書きましたが、私は言葉遊び詩を書くとき声に出して整えることが多いので、ひと息に朗読できる長さに収まることが多いです。もっと短くてもいいくらい。肺活量を鍛えれば長いものが書けるようになるのかもしれないけれど。 どこで止めるか、落とし所は悩みます。この詩ではそんなに悩まなかったのは、(1)タイプの言葉遊び詩だからですかね。ドツボにはまると締切に間に合わないです(ゴル遅刻常習者)。 (Anemone coronaria)

2019-05-04

なゆた創a.k.a.NORANEKOさんへ お返事が遅くなってごめんなさい。 わざわざ読みに来ていただきありがとうございます! はい、私はこのように「たーのしー!」って遊んでおります言葉と。 るるりらさんにつづいてなゆたさんにまで返詩をいただけて幸甚です。言葉遊び詩、やっぱり書ける人は書けますよね。 「いやこれまだもっと遊べる余地あるんじゃないの?」というご意見に関しては、田中秀敏さんへの返信の1.で書いたように、締切時間に間に合わすために一時間で書いたのが原因かも、と。ただ、私は言葉遊びをするときは大体声に出して(出せない場では出しているつもりで)書くので、自分でなんとかひと息に朗読できる分量に収まることが多いです。こんな感じに(再掲)。 Anemone coronaria https://m.soundcloud.com/user850776306/anemone-coronaria Anemone coronaria next(るるりらさん作) https://soundcloud.com/user850776306/anemone-coronaria-next なゆたさんの返詩も音読してみたのですが、私とリズム感が違いすぎてどう読んでいいかわからない(汗)。呂布カルマ……? 私が唯一好きなヒップホップの人はTOKYO No.1 SOUL SETのBIKKEなので……。笑。なゆたさんご自身の朗読が聴けたらいいのになあと思いつつ、だいぶ残念な朗読を貼っておきます。ちなみに返事が遅れたのは、満足のゆく朗読が録れなかったからです。やっと噛まずに読めたー。 Anemone coronaria next next(なゆた創a.k.a.NORANEKOさん作) https://soundcloud.com/user850776306/anemone-coronaria-next-next-a 意味の強い言葉がストレートかつふんだんに使われていて新鮮でした(私は引っ張られるのであえて使わないようにしている言葉たち)。自作詩のときとはまったく異なる貴重な朗読体験ができました。ありがとうございます。 また一緒に遊びましょう〜! (Anemone coronaria)

2019-05-04

先日、即興ゴルコンダ(仮)というサイトのお題に書いた短歌を思い出しました。 「きみはそう、わたしはこうでそれぞれにちがっていい」は壁にならない 違いを認めることは互いを尊重することだと思っています。お話しできてよかったです。 (朝、大聖堂の素描を持って。)

2019-04-28

> ただ、言葉遊びのための言葉遊びというか、「たーのしー!」というような詩はどのみち書けないというか、自分自身ただの言葉遊びだとあんまり楽しめないクチです。 違いはここだ。根本的に違う。笑。すみません、私は「たーのしー!」って書くタイプです。 もう一作とずいぶん違うので不思議だったのですが、謎が解けました。ありがとうございました。 (朝、大聖堂の素描を持って。)

2019-04-28

はじめまして。 違っていたらごめんなさい。 普段はあまり言葉遊びを使った作品は書かれない方でしょうか? 上手なのだけど、ハラハラしました。遊んでいるはずなのにたのしそうでない感じ。胃がキュッとなりました。 単に、なゆたさんのリズムと私のリズムが合わないだけなのかもしれないけれど。 なんだかそれだけな気もしてきました。失礼しました。 (朝、大聖堂の素描を持って。)

2019-04-27

はじめまして。 書き慣れている人の詩だなと思いました。 とても、安心して読める。 (キオク)

2019-04-27

田中秀敏さんへ コメントというか、ご質問をいただきありがとうございます。どうやらお返事が長文になりそうです。 ◎〈奇抜なことをする〉について 質問にお答えする前に、〈奇抜なことをする〉について個人的な見解を述べます。 > (こうだたけみさんが本当に行いたいことは)奇抜なことをすることなのだろうか。 田中さんは、本作を奇抜だと思ったから〈奇抜なことをする〉と書かれたのだと思いますが、私は、私の書くものはすべて(視覚詩も含めて)奇抜ではないと思っています。 なぜなら、たとえば本作で使用している手法(言葉遊びや単語解体、連想ゲームなど)や詩を書くために用いた言語(日本語、えせ英語、くだけた話し言葉)、散文形式などは、すでに誰かしらが詩作に使っているものだからです。たしかに「Anemone coronaria」という単語を解体して「coronだ」、「necoroがる」へ変換したのは私のオリジナルですが、この程度なら言葉遊びを用いるタイプの詩人(たとえば谷川俊太郎さんは子供向けに『ことばあそびうた』を書いているし、現代詩手帖などで見かける平田敏子さんも言葉遊びを用いる方ですよね。ネット詩の言葉遊びの代表格は、私の中では阿ト理恵さん!)であれば誰でも簡単に思いつくでしょう。まあ、思いついても詩に使うかどうかはその人次第だけれど。 もし私が、これまでにない新しい手法や言語などで詩を書いたのなら、胸を張って奇抜だと言えます。けれど、すでに存在している手法などを用いて(借りて)書いている以上、奇抜というのとは少し違うと思うのです。 田中さんのおっしゃる〈奇抜さ〉は、田中さんご自身や田中さんの馴染み深い詩人たちが用いない手法などを使っているがために、「田中さんには奇抜に見える」というだけのことだと思います。私にとっては、私の書く詩はどれも奇抜でもなんでもないです。つまり、奇を衒っているつもりは微塵もないです。 ◎こうだが〈本当に行いたいこと〉、〈本当に求めているもの〉はなんだろう、という問いに対して > こうだたけみさんが本当に行いたいことはなんだろう。 > 本当に求めているものはなんなのだろう。 この質問には、「本作において」(ミクロ的)と「私の詩作すべてにおいて」(マクロ的)という二通りの答えがあると思いますので、二つに分けて書いてみます。 1.本作において私が行ないたかったこと、本当に求めていたものはなにか 一番目のコメントに注釈として書きましたが、本作は、即興ゴルコンダ(仮)(以下、ゴル)という即興詩のサイトで出された「Anemone coronaria」というお題に対して書いた詩です。お題から詩を書くにはいろいろな方法があると思いますが、私の場合は、a.お題から浮かんだ情景を描く、b.お題とは関係ない身近なことを書き連ねて最後に力技でお題へつなぐ、c.お題に触発されて得た感情をぶつける、d.お題そのものをいじり倒す、などの方法をとります。本作はdタイプです(余談ですが、e.お題を何度もリフレインしてリズムを作りなんとか詩の形にする、という書き方もあるのですが、私の中ではそれは最終手段でありもっとも避けたい方法です。なぜなら、私でなくても書ける作品になる確率が高いから)。 ゴルでは、お題が出てから二十四時間以内に詩を投稿するというルールがあります。本作を書いた時の状況を説明します。 「Anemone coronaria」というお題が出されたのは4/13の13時15分。締切は二十四時間後、4/14の13時15分。私が出題に気づいたのはたぶん13日の19時頃。ところが、帰宅して晩ご飯を食べたりしているうちに忘れてしまって、お題の存在を思い出したのは寝る直前。翌14日も仕事だから睡眠時間を削ることはできないし、朝は忙しく午前中は働いているから書けないのは明白。今回は諦めるか。いや、締切は14日の13時15分だ。書けるとすれば昼休み、その一時間が勝負。 というわけで普段より前倒しでとったお昼休みの一時間、ハンバーガーをかじりながら書いたのが本作です。 私は基本的に花には興味がないので、このお題でaやcの方法はとれませんでした。お題を眺めているうちに「coron」「ne coron」というかわいらしい響きの単語が見つかったので、それを主軸に、ただだた言葉と全力で遊ぶdを選びました。目的を絞らないと締切に間に合わないので。 以上のことから、私が本作で行ないたかったのは「お題の中の単語と全力で遊ぶこと」、そして本当に求めていたのは「締切に間に合うように書き上げること」だと結論できます。 さて、これでは田中さんの質問にきちんと答えたことにならないような気がするので、やはり次に、「私の詩作すべてにおいて」はどうなのかを書きます。 2.詩作において私が行ないたいこと、本当に求めているものはなにか 生きていると、いろんなものを見聞きし体験して、それらを吸収しながら少しずつ変化していきます、抗いようもなく。ですから、ご質問に対する答えは「現時点では」という括弧付きの答えになることをお断りしておきます。 私が詩を書き始めたのは小学校中学年。当時はまっていた講談社青い鳥文庫『クレヨン王国 月のたまご』の主人公が詩を書いていて、「詩を書く女の子」に憧れて始めました。そこからいかにも小学生らしい詩、恋に恋する「ポエム」、中二病っぽい詩、ビジュアル系の詩などを経て、大学一年生で今の作風ができました(その間、約十年)。 大学の文芸サークルの先輩からは最初は褒めてもらえたのですが、二年生になっても三年生になっても同じ作風でいる私に「変わらないよね」、「言葉を道具として扱っている」、「あの人やこの人の詩は読んだか? 勉強不足だ」、「言葉遊びばかりで軽い」という批判やアドバイスが届くようになりました。私としては、十年かけてたどり着いた作風だったのでしばらくそれでいきたかったのですが、アドバイスはありがたく受け止めて、いくらかの詩や小説を読んではその作風を真似たものを書いたりしました。けれどもそのうちに何が書きたいのかわからなくなって書けなくなりました。スランプは、約十年つづきました。 このままではいやだと思っていた2013年。初めてネットに詩をアップしてみました。その時に知り合ったのが前出の阿ト理恵さん。言葉“で”遊ぶのではなく言葉“と”遊ぶ彼女の詩を見て、私もこうすればよかったのかと気づかされ、「言葉“と”全力で遊ぶ」ことを詩作の目的としました。 2015年には脱スランプのために一年間、ゴルのすべてのお題に詩を書きました(百篇)。2016年は父の看病から看取りまでを体験して詩作どころでなく、2017年には自分の病気が見つかって、2018年は治療と手術とまた治療に費やして今に至ります。そんなわけで、差し当たっての目標は「お題がなくても詩が書けるようになること」あたりですかね。 ところで田中さんは、山之口貘という詩人を知っていますか? 私のもっとも好きな詩人です。 彼は沖縄出身で、実家の事業の失敗などのせいで着の身着のまま上京します。当時の東京は、求人広告に「朝鮮人・琉球人お断り」と書かれているくらいに琉球差別がありました。まともな仕事には就けず汚穢屋など人の嫌がる仕事ばかりさせられて、好きな女性に出身地を言うことさえはばかられる。死にたくなったりすることもあるけれど、彼は貧乏生活や出自に関することを、おもしろおかしく詩にしました。 貘さんは、推敲の鬼として知られる詩人です。詩集の見開き二ページに収まるくらいの分量の詩に対し、二百枚、三百枚の原稿用紙を費やしたそうです。推敲過程を見たことがないのでこれは私の勝手な想像ですが、貘さんは、ネガティブなことを削ぎ落としてユーモアにするための推敲を繰り返したのではないか、と思っています。 「詩とはなにか」という文章の中で貘さんは、「ぼくは常々、詩を求めるこころは、バランスを求めるこころであるとおもっているが、そのこころは、かゆければ掻きたくなり、いたければさすりたくなるこころのようなものだからである。」と書いています。私はこの考え方を支持します。 私は、自分のために詩を書いています。今の自分ではなくて「未来の自分のため」です。詩を書いてから数分後の自分、数時間後、数日後、数年後の未来の自分が読んで「おもしろいなあ」とか「こんなのよく書けたなあ」などと、書いたのは自分なのに思ってしまうような詩を書くことが目標です。 今の私が感じているつらさや痛みや悲しみのようなネガティブな感情を、ユーモアや言葉遊びで包んでおもしろおかしいものにしてから未来の私に手渡したい。ですから、詩で「気持ちを伝えたい」という感覚はまったくありません。むしろ、「今のネガティブな気持ちが紛れれば紛れるほどいい」のです。私はその現象を「書くことで昇華する」と呼んでいます。 話は逸れますが、私はシュールな短編アニメーションが好きです。山村浩二さんの「パクシ」やキューライスさんの「鴨が好き」、近藤聡乃さんの「電車かもしれない」など。それらのアニメーションを、見たまま、なにを意味しているかなど考えずに「なんかわからんけどおもしろいわー」と眺めているのが好きです。 私の詩も、そんなシュールな短編アニメーションのように、「なんかわからんけどおもしろいわー」とたのしんでもらえたならいいなと思っています。 結論。 詩作において私が行ないたいのは「言葉“と”全力で遊ぶこと」、本当に求めているのは「昇華」。 そして、書いたものを発表する理由は、「なんかわからんけどおもしろいわー」と言ってもらいたいから。 ◎最後に > この詩は全力で楽しんでいます。 田中さんのこのコメントは、「この詩は全力でたのしんでいるように見えます。」と捉えてもよいでしょうか? もしそうならば、私の目的の一つは達成されたということであり、とてもとてもうれしいです。 長々失礼いたしました。 もう、田中さんのためにでなく自分の考えをまとめるために書いたみたいになってますけども。これ最後まで読んでくださった方がいるなら、心より感謝申し上げます。 (Anemone coronaria)

2019-04-26

survofさんへ コメントありがとうございます。 一つ前のコメントでやたら舞い上がってるこうだにちょっと落ち着けって言ってくれてるような冷静なコメントに感謝します(マジで落ち着け私)。 本作では、Anemone coronariaがcoronでnecoroがることだけを目的にしました。欲を出すとゴルの締切時間に間に合わないおそれがあったので。これは百均さんが言うところの「食感をたのしむ詩」です。自分で説明すると、意味とか気持ちを伝えるとかなにそれ? 言葉で遊ぶんじゃなく言葉と全力で遊びます、っていうタイプの。 ゴル仲間のさわ田マヨネさんによると、私のゴル作には4パターンくらいあるそうです。パターン化に自覚はあったので、痛いところを突かれたなあと思ったのが二年ほど前でしょうか。じつは、そこから成長できていません。違う枠組みや様式。はい、がんばります。 (Anemone coronaria)

2019-04-24

るるりらさんへ よろこんでいただけたようで光栄です!!! 爆笑してもらえたなんてホントうれしい。 るるりらさんの返詩を朗読させていただくににあたり、自作の音源を聴き直そうとSoundCloudにログインしたら、再生回数が少し増えていて、もしや聴いてから書いてくださったのか⁈と思いました。それならば、きっと朗読も私流にアレンジしてしまったほうがむしろよろこばれるのではないかと、好き勝手に遊ばせていただきました。いやあ、たのしかったー。 > サクラサクは達成感だしサクラチルはチルチルミチルだね。 この部分がとても好きです。マイナス要素のある「サクラチル」が一気にかわいらしさに“満ちる”ので! 合格が達成感に言い換えられているのもいいなあ、さすがだなあ。 貴重な体験をありがとうございました! (Anemone coronaria)

2019-04-24

ふじりゅうさんへ コメントありがとうございます。 はい、意味はこれといってありません。笑。 タイトル部分が即興ゴルコンダ(仮)のお題なのですが、アネモネという花にはまったく興味がなかったために、文字列から絞り出したのが本作です。この書き方は書けない時の常套手段だったり……。 〈なんかよくわからんけど好きだなぁ〉は、〈よくわからないけどおもしろい〉に並ぶ、私にとっての最高の褒め言葉です。とてもうれしいです。 (Anemone coronaria)

2019-04-24

るるりらさんへ 返詩めっちゃうれしいです! こんどはこれ朗読するんだって?と質問という名のリクエストをいただいたからには読まないわけにいきますまい。 https://soundcloud.com/user850776306/anemone-coronaria-next たのしかったー。 ありがとうございます! (Anemone coronaria)

2019-04-24

卒業制作論考がとてもおもしろかったです。すごいなー。私も今なら「参加者」になりたい。アルゴンが開催された2012年の頃の私は参加しなかっただろうけど。 よいものが読めました。ありがとうございます。 (僕はこれからも書くからね。よろしくね。)

2019-04-21

はじめまして。 この作品好きです。 愛を型にはめるのに抵抗があるのでポイントをつけられませんでした。 「好き」とか「いいね」みたいな項目があったら30ポイントつけたいです。 ちなみに私の愛は、野田秀樹が言うところのミーと吸ってハーと吐くタイプの愛です。 (ポップコーン)

2019-04-18

スナノラジオさんへ リンクの貼り返し、ありがとうございます。にっこりしました。 noteの不倫の話は、マクロとミクロの視点の違いが問題のような気がしています。マクロ的な一般論として「不倫=悪」と主張する人と、ミクロ的に「この人の不倫=悪?」と考える人。そもそもの視点が違うのだから、噛み合わないのは当然かな、と。 そしてコメントの「今思ったことって真実なのかな?」は「この先立ち入り禁止」の疑問の類ですね。深入りすると戻ってこられなくなる境界線。少し覗いてみるだけで満足しておいたほうがいい場所。生きているとあらゆるところに縁があって、それが見えてしまう人にとっては落ちないようにするのも一苦労なのでしょうね(そういえばビーレビに「穴。」っていう詩を投稿してたな。私には穴番が必要)。 > 毎秒感じたことがわたしにとっては真実です。 これは諸手を挙げて賛成です。 (真実)

2019-04-18

かるべさんへ やしろさんと会ったんですね! いいなあ。 私も不思議な世界を生きたいです。アリス気分で。もちろん、シュヴァンクマイエルのね。 (┣百┳もも┫┣色┳いろ┫┣打┳だー┫┣嗝┳ぐぁ┫)

2019-04-18

即興ゴルコンダ(仮)、2019年4月14投稿。 お題(タイトル)はみうらのばでぃすきーさんより。 本当は別の作品で動画を作って投稿したかったのだけど、どうがんばっても4月中にはできなさそうだったので、12時間前に出来上がったばかりの本作を。 朗読はしました。 https://m.soundcloud.com/user850776306/anemone-coronaria (Anemone coronaria)

2019-04-15

イェリネクコンプレックス! コメント欄まで使った長大な作品ですね。おもしろかったです。 ユリイカに載ってるかるべさんの作品は少しだけ顔つきが違っていてより好みです。最初に読んだのはなんだったかな。 ちなみに、やしろさんのツイートを見たのでここへ来ました。 (┣百┳もも┫┣色┳いろ┫┣打┳だー┫┣嗝┳ぐぁ┫)

2019-04-10

スナノラジオさんへ おお、読んでいただきありがとうございます。無理やり読ませてしまってすみません。似てますよね! この偶然を誰かと共有したかったのでうれしいです。これは昔二本立てで降りてきた物語のうちのひとつで、もうひとつも怖いです。笑。 私のは自分しか出てこないのに対して、スナノラジオさんのは対人で書かれているあたりに性格の違いというか人としての器の大きさの差を感じます……。 「真実」という言葉って、出来事に対して使うという先入観がありました。感情にも真実。おもしろい視点ですね。現実ではない夢の中で、感情だけが真実ってことですかね? 逆に真実でない感情ってなんだろう。これまで感情に対して真実かどうかを問うたことがない気がするので、パッと思い浮かばないです。芝居の台詞とかかな。あれは、役作りをしていって“真実にする”ものだけれど。 (真実)

2019-04-09

リンクがうまく貼れてませんでした。すみません。もう貼らなくていいってことですかね。でも再挑戦。 https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=289277 (真実)

2019-04-07

はじめまして。 おもしろかったです。夢オチなのに「真実」かあ。〈嘔吐しながら妙に冷静になりわたしは真実を理解した。〉という部分が夢っぽさを出していると思いました。あ、だから「真実」なのか??(混乱) じつはむかーしこんな感じのモチーフを扱った話を書いたことがありまして、「顔からパーツがなくなる夢」ってなにか意味があるのかなあと気になりはじめました。私のは白昼夢を書き起こしたものだけれど。一応リンクを貼ります。もし気が向いたら読んでください。読まなくてもいいです。 http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=9428 (真実)

2019-04-07

お久しぶりです。また読めてうれしいです。最近見かけなくなってしまったので、もう来ないのかなあとさみしがっておりました。 三段落目の〈きっと彼女の名前はカレンというのだろう。〉で吹き出し、四段落目の言葉遊びでめっちゃ好きだわと思い、最後まで読んではお元気そうでなによりですと思いました。 愛を型にはめるのに抵抗があるので、ポイントの項目に「好き」とか「いいね」があればなあと悩みつつ、私の愛は野田秀樹風に言うところのミーと吸ってハーと吐くタイプの愛ですと表明しておきます。 (おとしもの)

2019-04-06

縦書きの理由。 http://i.imgur.com/BVJ3qMv.jpg (カップの底に貼りついた焼豚よりペラい三分間)

2019-04-02

社町 迅さんへ コメントありがとうございます。 〈箸に掴まれて上にあがっている麺〉! その発想はなかったです。人の感想を聞くとおもしろいですねえ。 かつてLINDBERGが「どこにもあるわけない」と歌っていたけれど、三分でできるインスタントな愛を書いたつもりです。やしろさん若いからLINDBERG知らないっすよね〜。笑 (カップの底に貼りついた焼豚よりペラい三分間)

2019-04-02

静かな視界さんへ コメントありがとうございます。 縦書きする必要性をまったく感じなかったとのこと。静かな視界さんはそう感じたのか、なるほどと思いました。 私は、書かれた作品は読み手に渡った時点でその読み手のものになる(著作権以外)と思っています。ですので、他の読み手の感じ方に合わせようとして、ご自身の感覚を否定する必要はないと思います。他の意見を読んだら作品の見え方が変わった!みたいな前向きな変化ならよいけれど。 つまり、静かな視界さんの持たれた感想は静かな視界さんだけのものです。どうぞ大切になさってください。 さて、「まったく」と全否定のお言葉を頂戴したので、なぜ縦書きにしたのか、一応作者の意図を書きます。「一応」とつける理由は最後に述べます。 本文最後に〈三/分/間/で/百/八/十/文/字/の/ウ/ソ/を/送/り/ま/す〉とあります。一分は六十秒ですから、三分間で百八十文字とは百八十秒で百八十文字ということ。つまり、一秒に一文字ずつ送りますということです。 じつは本作では、LINEやiMessageなどのチャット形式のアプリケーションで、一秒に一文字ずつ、三分かけて百八十文字で送るウソを描いています。縦に吹き出しが百八十個並んでいる様を思い浮かべていただけたらうれしいのです。 まあ、LINEなどのアプリに馴染みのない方にはなんのことやらですね。あるいは、馴染みがあっても作品とチャット画面が結びつかないかもしれない…。作品の添付画像は、LINE風に作ったチャット画面のほうがよかったかもしれないですね。ただ、それでは狂気のほうが前面に出てしまうので、縦書きのペラさを強調するべくかっぷたろう君に登場してもらった次第です。作者にチャット風画面を作る技術がなかった、というのも大いにありますが。笑。 ところで、ここに書いた作者の意図はあくまで作者のものです。最初に〈書かれた作品は読み手に渡った時点でその読み手のものになる(著作権以外)〉と書いたとおり、作者の意図も作者のものであって、読み手のものではありません。また、作者と読み手に優位性はないと思っています。そんなわけで、作者はこんなこと考えて書いてたんだ、へえ〜、と思っていただければ幸いです。長々と失礼しました。 (カップの底に貼りついた焼豚よりペラい三分間)

2019-04-02

るるりらさんへ 沸騰するほどの熱烈なエールに感謝します。やはりおいしく食すならば熱湯(熱闘)が必要ですね。精進します。 (カップの底に貼りついた焼豚よりペラい三分間)

2019-04-02

即興ゴルコンダ(仮)2016年4月1日投稿。お題は自分が出しました。 (カップの底に貼りついた焼豚よりペラい三分間)

2019-04-01

かるべさんお疲れさまです。 ありがとうございます。 たのしみに待っていますね。 (【お知らせ】サイトリニューアルに伴う工事の予告)

2019-03-12

2014年2月に書いたもの。ハリボテ。 (鳩は水色)

2019-03-02

即興ゴルコンダ(仮)2017年3月4日投稿。お題は自分で出したやつ。卒業シーズン。 (内線303)

2019-03-01

ひとこと選評をいただきありがとうございます。 蝶をポエジーと捉えていらっしゃるところがとてもまりもさんらしいなと、勝手に思いました。うれしかったです。 (B=REVIEW 2019年1月投稿作品 選評)

2019-02-18

ここ何回か連続して名前を挙げていただいていたので、名前がない!って思いました。じつは、結構プレッシャーでした。笑。解放された気分。過去作のストックもほぼなくなったことだし、今後は好きに書いて好きなように投稿しようって思いました。 現代詩ガチャたのしいです。 ただ、これいいなって思っても、古いものだとコメントをつけられないのが残念だったりします。今のルールではどうしようもないけれど。 いつもありがとうございます。 (【フル】かるべまさひろの選評<2019年1月分>)

2019-02-09

かるべさんへ めっちゃ笑いました! たけちゃんさんと末永く仲よくしてくださいな(^^) ('\' OR 1 = 1; -- ';/*悪意のあるソフトウェアによる攻撃を検知しました*/)

2019-02-06

おもしろかったです。〈戦国武将を女体化〉と〈かわいいはコチラ〉に笑いました。初挑戦、いいですね! サイトの修正ありがとうございます。半角の&が入力できるようになったということは、ゴルへのリンクを貼ってもちゃんと飛べるということですね。わーい。 環希さんがどんなふうに視覚詩をつくるか書かれているので、私も乗っかってみます。 私の場合は、この詩はこういう形にしたらおもしろいんじゃない? こんな形に見えるかも?と気づいてしまったら嬉々として始めます。そのため、視覚的効果を作り出そうとしているときは“たのしい!”が中心。前に百均さんから「こうださんの詩は四角いですよね」と指摘されたことがあって、窮屈そうだという旨のことを言われたのですが、どっこい書いてる本人はたのしくて仕方がないのであります。 ('\' OR 1 = 1; -- ';/*悪意のあるソフトウェアによる攻撃を検知しました*/)

2019-02-06

社町さんだー! コメントありがとうございます。 〈読み終わってから思い出してみると、写真で旅行をしていたような感覚〉って、たとえば友達に旅行の写真を見せてもらってたら自分も一緒に行った気になっちゃった、みたいなことでしょうか。追体験? なんか違うかしら? 〈まだ知らないメロディ〉に関して。 私自身は音楽よりも演劇に親和性が高いので、台詞回しを意識しているとは思います。状況的に許されるなら、何度も音読した上で微調整したい。とりあえず最後まで書いたら頭から読み上げて、二行目くらいで躓いて「あ、ここ違う」って表現や“てにをは”を変えたりするのを繰り返し、最後まで通して気持ちよく読めたら完成、というように。 そんなわけで私の詩には、私が苦手とする発音の言葉が出てきません。笑。それに気づいたのは、ジャック・ロンドンさんの朗読をしたからです。人様の書いたものを読むのってむずかしい!(我々の活動が早く日の目をみるといいですねえ。岡さん、飽きちゃったのかも〜。笑。どうか気長にお付き合いくださいね) (キリマンジャロの雪)

2019-02-06

仲程さんコメントありがとうございます。 この詩は、私の中ではかなりの早口でまくしたてるように再生されるのですが、仲程さんの頭の中ではどのように読まれているのか気になります。 よく考えたら、語り口は全然牛歩じゃないですね。笑。 (キリマンジャロの雪)

2019-02-04

沙一さんコメントありがとうございます。 思いうかべていただけたなんてとても光栄です! 音づれって言い方がよいですね。音がずれるというより音をつれてゆく、つられてゆく、つらなってゆくみたいで。いいなあ。 春が立つ日、東京はとても暖かかったです。でも夜にはぐっと冷えてきたので、ここから三寒四温が始まるのだなあと思ったり。体調を崩しやすい時期でもあります。どうぞご自愛ください。 (春が立ちあがる音)

2019-02-04

環希 帆乃未さんコメントありがとうございます。 「春が立ちあがる音」というお題に解体できる漢字が二つも入っていることに気がついて、嬉々として書きました。あっという間に書けたので、めずらしくこねくり回していません。もしかしたら、それが環希さんの感じてくださったみずみずしさにつながっているのかもしれないですね。うれしいです。 (春が立ちあがる音)

2019-02-03

渡辺さんコメントありがとうございます。そうか、不十分に見えましたか。残念。 この詩では漢字解体をしています。 春という字は三人日。 音という字は立日。 そこに気づいてもらえたらいいなという理由でこの形になっているので、作者としては必然性のある形だったりします。 (春が立ちあがる音)

2019-02-03

即興ゴルコンダ(仮)2016年2月19日投稿。 お題「春が立ちあがる音」は流川透明さんより。立春に寄せて。 (春が立ちあがる音)

2019-02-03

即興ゴルコンダ(仮)2016年2月3日投稿。 お題「を」は阿ト理恵さんより。 こちらへ投稿するにあたり若干の修正をしています節分。 (を)

2019-02-03

即興ゴルコンダ(仮)2016年1月15日投稿。 お題「キリマンジャロの雪」はあまさらさんからです。 (キリマンジャロの雪)

2019-01-30

沙一さん、コメントありがとうございます。 〈雑音というよりは、古いビデオテープの映像にまじる掠れみたい〉と感じていただけたのがうれしいです。はい、安部公房大好きです。 各連をパズルのピースのようにはめ込んで、冒頭にタイトルを収めるときれいな長方形になるように作ってあります。こだわりがあるというよりかは、形をつくるのがとにかくたのしい、というのが本音だったりします。 (夜明けに蝶のとどく)

2019-01-22

環希 帆乃未さん、コメントありがとうございます。 「胡蝶の夢」ってなんだっけ?と思ってググってみて、荘子かー!ってなりました。何かで知っていたような気はするのですが、書いた時はまったく念頭にありませんでした。不勉強ですみません。 本作は即興ゴルコンダ(仮)という即興詩のサイトで出題されたお題「夜明けに蝶のとどく」に対して書いたものです。蝶というモチーフからは、私はビジュアル系バンドの歌詞のような、血とか死とか出てくるいかにもな感じのものしか思い浮かばなくて、そこから離れてどうやって自分のフィールドに持ち込むか悩んで書いた記憶があります。 (夜明けに蝶のとどく)

2019-01-22

即興ゴルコンダ(仮)2015年1月27日投稿。 お題「夜明けに蝶のとどく」はみずけーさんより。なお、ビーレビに投稿するにあたり改訂しています。 (夜明けに蝶のとどく)

2019-01-19

まりもさん、読んでほしい作品に名前を挙げていただきありがとうございます。 うれしいです。精進します。 (B=REVIEW 2018年12月投稿作品 選評)

2019-01-17

かるべさん、推薦作に挙げていただきありがとうございます。 タイトルの「キリモミングフィールド」は、ゴルであまさらさんが出したお題です。見た瞬間に、過去の自作「模範解答(1)」を思い出したので、過去作を引用してこのような形になりました。 つまり書いている私も、お題にハッとさせられています。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年12月分>)

2019-01-17

みうらさんコメントありがとうございます。気づくのが遅くてごめんなさい。 ゴルは、ちょくちょく覗いてはいるのですが、若干スランプ気味なので書けないでいます。 はい、ひねりです。衣更着だから脱ぎません。以上です。 (カブク衣更着ストリッパー)

2019-01-17

即興ゴルコンダ(仮)2017年7月24日投稿。 お題「キリモミングフィールド」はあまさらさんより。 ※「模範解答(1)」という自作のリライトです。 ※大画面推奨。スマホで見る場合は画面を横にすると見られるかと思います。 (キリモミングフィールド)

2018-12-15

まりもさん、ひとこと選評ありがとうございます。励みになります。二重性への言及がうれしいです。 タイトルは即興ゴルコンダ(仮)のお題でした。出題者によると「ひきだしあいた」はサンリオのキャラクターなのだそうです。そういや昔マロンクリームとかボードビルデュオとか好きだったよな〜と子供の頃を思い出すまま書き綴りました。キャラクターたちのようなかわいさの要素は、今はもうないけれど。 今回も大容量の選評に圧倒されました。前回も書きましたが、全員に目を配ってくださっているのがよくわかって、これはなかなかできないことだよなあすごいなあと思っております。 ありがとうございました。 (【選評】2018年11月投稿作品 )

2018-12-15

かるべさん、「ひきだしにテラリウム」を優良作に選んでいただきありがとうございます。名前あった! よかったーって思いました。 11月の投稿作はどちらもゴル作で、本作を書いた後に「ひきだしあいた」を書きました。ある意味で連作です。 ご指摘いただいた後半部分は、根腐れる→腐れているりんご→信州りんご、ストーブにかけよ→鍵かけない、まっくら森(テラリウム)→所有してはならないもの、神→手のひらを見せます(インドの神様は手のひらを見せた状態で描かれることが多い、たしか全知全能を表しているという説があったはず)というように、二行ずつで連想ゲームをしています。その連想ゲームを作品全体でやったのが、のちに書いた「ひきだしあいた」です。 悲しげにしていても、どこかしらで遊んでいないと気が済まない人間なのだと思われます。 ありがとうございました! (【フル】かるべまさひろの選評<2018年11月分>)

2018-12-15

さかさまほうびんさんコメントありがとうございます。お返事が遅くなってごめんなさい。 私はAのことを考えていてもすぐ横道に逸れて気づくとBのことを考えていて、C、D、F……ときて、終いには始めに何を考えていたのかわからなくなる、みたいなタイプでして、その思考回路を文字に起こすとこんな感じかなと思っています。実際は、もっととっ散らかっているんですけどね。 (ひきだしあいた)

2018-12-02

エイクピアさんコメントありがとうございます。お返事が遅くなってごめんなさい。 やっぱり! ゴルにいますよね! いつもお世話になっております。 最近は参加できていなくてごめんなさい。えーと、じつは書けないんです。スランプ? スランプなのかなあ、恐ろしい。 同音異義語やオノマトペって並べるのたのしいですよね。下手するとそればっかりになってしまうので、あまりやらないように気をつけています。 (ひきだしあいた)

2018-12-01

みうらさんコメントありがとうございます。お返事が遅くなってごめんなさい。 コメントがつかないと、私のなんて誰も読んでないんだろうなと思う質なので、コメントいただけてとてもありがたいです。そうか、みうらさんは読んでくれたんだなあ。うれしい。 以前、メザシの詩( https://www.breview.org/keijiban/?id=1489 )のコメント欄でも書いたのですが、私は未来の私のために詩を書いている節があるので、みうらさんのおっしゃるように〈読み手の受け取りを優先させ〉ているかというと、うーん、どうなんですかねえと思ったり。書いている私と読む私を切り離してはいるけれど、結局は、私のために書いているので。 でも、みうらさんがそのように感じてくださることはとてもうれしく思っています。 それと、〈こうだたけみ作品は私にとってはビックコミックスピリッツだ。〉という評価に小躍りしました。漫画って、文芸作品よりもとっつきやすいという点で軽さ(この場合は手軽さ?)があると思うんです。私は、余計な意味やメッセージ性を取っ払って、なんかわかんないけどおもしろいねって言われるような、重くない作品(たとえばシュールなクレイアニメみたいなもの)を書きたいと思っています。なので、軽さを持つ漫画というものに例えてもらえたのはとてもうれしいのです。 (ひきだしにテラリウム)

2018-12-01

即興ゴルコンダ(仮)2014年12月19日投稿。のち、若干の修正。 お題「ひきだしあいた」はさわ田マヨネさんより。元ネタはサンリオとのこと。 (ひきだしあいた)

2018-11-21

即興ゴルコンダ(仮)2014年10月24日投稿。 お題「ひきだしにテラリウム」はメチターチェリさんより。漫画のタイトルから引いてきたそうです。 (ひきだしにテラリウム)

2018-11-21

お礼が遅くなり失礼いたしました。 拙作「円滑水槽」を推薦作に推していただきありがとうございます。 これを書いた15年ほど前の私は、「言葉を道具として扱っている」「変わらないね」などと批判的な意見をもらって、作風に変化を起こしたいと思っていました。こんなふうに他者に倣うと、技術の向上には役に立つかなと考えています。作風はというと、結局もとにもどってしまったのだけれど。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年10月分>)

2018-11-21

お礼が遅くなり失礼いたしました。 拙作「円滑水槽」にひとこと選評をいただきありがとうございます。 これを書いた15年ほど前の私は、息苦しさから逃れたかったのだと思います。 それにしてもすごい文量! 参加者すべてに目を配ることのできるまりもさんだからこその選評だと思いました。 (10月分 フル選評(まりも))

2018-11-21

なかたつさんがそれを踏まえて書いているか本文からはわからないのですが、私は、ここに出てくる〈オー・エル〉にアウトラインをかけて読みました。 どういうことか説明をします。 AdobeのIllustratorというソフトウェアで作成したデータを共有するときは、共有相手が使用フォントを持っていないせいで起こる文字化けを防ぐため、 フォントにアウトラインをかけます(フォントのアウトライン化とは、文字データを図形として保存すること。文字の修正はできなくなるが、文字化けは起きなくなる)。そのアウトライン済みデータのファイル名には、「〇〇_ol.ai」(.aiはイラレデータの拡張子)というように、outline=ol、OLと表記するのが慣例となっています。 そんなわけで、イラレデータを扱う人間は〈オー・エル〉という文字を見ると、オフィスレディ以外に、アウトライン済みのデータを思い浮かべるのです。 さて、アウトラインとは輪郭のことですが、転じて物事の大枠、大要という意味でも使われます。アウトラインを掴むには細部だけを見ていてはダメ。俯瞰が必要です。ここでタイトルの〈俯瞰〉へつながります。 電話中や会議中など、いつのまにかメモ帳に出現している〈赤いぐるぐる〉や〈黒いぐるぐる〉。それに重ねるようにして、ランダムに思い出されては描写される記憶の細部。その細部からズームアウトで全体を俯瞰して、散りばめられた五つの赤い点と一つの黒い点をつなげば話者の生活のアウトラインが浮かび上がる。それは、どうも薄っぺらくて奥行きがないみたいで、Macの画面上でアウトライン化されたフォントを見ている気分になる。話者が見ているという〈轢死したぼく〉には、カートゥーンアニメで車にひかれた登場人物のようにペラペラで、風が吹けば飛ばされてしまうくらいの軽薄さを感じる。その体にフォーカスすれば、紙が破けるほどの筆圧で描かれた赤と黒のぐるぐるでできているのがわかるだろう。 以上、こうだはこのように解釈し、視点の切り替えがおもしろい作品だなあと思いました。 (俯瞰)

2018-11-10

語られているはずの対象が少しずつずれて違うものにすり替わっていく感じがとても好きだなと思いました。ただ、この書き方でこの分量ならばもう少しどこか予測のつかない着地点に〈ぶっ飛んでく〉のを期待してしまうなあと、最終連のCMってどんなかなと想像しながら考えていました(10年テレビなし生活の人)。そして、それがどうしてもできないんだよなーってなことを言いたい詩なんじゃないかなあと、勝手に思ってみたりしました。〈笑顔で足開いてすっ転〉ぶのって、できる人には簡単にできるけど、できない人には相当な思い切りが必要なんですよねえ(遠い目)。 (テレビジョン)

2018-11-10

沙一さんコメントありがとうございます。 はじめまして。 海にまつわる言葉が多いのは、オマージュとして挙げている安部公房『第四間氷期』の影響です。ちなみに、タイトルの「円滑水槽」は葛西臨海水族園のマグロの水槽のイメージです。マグロって寝てる間も泳いでるんですって。止まると窒息して死んでしまうから。 すてきと感じていただき幸甚です。 (円滑水槽)

2018-11-03

オオサカダニケさんコメントありがとうございます。 はじめまして。 オマージュの対象となっている安部公房の作品が〈決して明るい雰囲気ではない〉ので、このようになったのだと思います。彼の小説は、モノクロの映像の中に一箇所だけ彩飾されている部分がある、という感じだと思っていて、ひたすらにそれを目指して書いた記憶があります。もう15年以上前だけれど。 (円滑水槽)

2018-10-28

かるべまさひろさんコメントありがとうございます。 はい、まさしくそこが肝です。 ハタチそこそこの小娘にはこの程度しか書けませんでした。今リライトしたら化けるかなあ。これについて書きたい!という意欲がない分、今のほうがだめだめかも? B-REVIEW TENの後、こうだによるこうだのための脳内反省会が行なわれました。そこで「かるべさんとユニットとか組んでリーディングしたらおもしろそう」という意見が出ましたが、物理的な距離があるためぶっつけ本番にならざるを得ず、「アドリブや即興がめちゃめちゃ苦手なこうだには無理」という結論が出ましたことをここに報告いたします。 でも、一緒に何かできたらいいですね! (円滑水槽)

2018-10-28

まりもさんコメントありがとうございます。 ああ、作品を限定するとそういう反応がくるのか、と学習しました。なるほど。 これを書いたのは19かハタチくらいなのですが、当時は安部公房にはまっておりました。すでに亡くなっている作家だから新作は読めないんだよなあと残念に思っていて、ん? じゃあ自分で書いたらいいんじゃね?と血迷った結果の産物がこれです。笑。 そんなわけで、おそらく一番影響を受けたであろう作品が『第四間氷期』です。ちなみに、一番好きなのは『方舟さくら丸』です(聞いてないって!)。 (円滑水槽)

2018-10-28

かるべさん、拙作を推薦作にあげていただきありがとうございます。 私はかるべさんの詩の読み方が好きです。なぜならば、やさしいから。 精進します。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年9月分>)

2018-10-28

注目した作品に拙作をあげていただきありがとうございます。うれしい、のですが、なかなか上位に食い込めないので、精進します。何はともあれ書かなきゃ始まらないですねえ(過去作の投稿ばかりじゃだめだーという自戒を込めて)。 (B=REVIEW 2018年9月投稿作品 選評 )

2018-10-28

渡辺八畳@祝儀敷さんコメントありがとうございます。 渡辺さんから久しぶりにコメントがついて、しかもお褒めの言葉! うれしい。 前に花緒さんが作品で試みていたと思いますが、表記を変えると印象ってガラリと変わりますよね。そこにハマってしまうと言葉遊びの沼もとい海へダイブすることになるのですが。笑。 詩は小説などに比べると短いことが多いですから、一行目から読んでいくというたのしみ方以外にも、見開きページでパッと見てたのしむ、なんていうデザインの要素を取り入れやすいですよね。今だったら最果タヒさんとか、デザインの一部になってもおもしろい詩とかありますし。 デザイン的な作品を書く方法としては、絵文字やアスキーアートなど、それ自体にデザイン性のあるものを援用する方法(足し算的な方法)もありますし、ちょっとした言葉の表記を足がかりにして読者の想像力に頼って全体をデザインすること(引き算、掛け算、割り算的な方法)も可能ではないかと思っています(本作は後者です)。 さて、この読解はあまりにも個人の趣味に偏りすぎているため、先に作品のコメント欄でお披露目し、作者であるクヮンさんによろこんでいただけたのを確認してからこちらへ書きました。 私は、書いたものを読ませる行為って暴力に近い行為だと思っていて。なぜなら読み手は受け取るか拒否するかの二択しかないから。随分と一方的です。 そんなわけで、なるべく読み手のことを考えながら書いてはいるのですが、特に選評を書くときは細心の注意を払っているつもりなのですが! いかんせん思考がバラバラと崩れて寄り道しやすいタイプのため、何か不足等ありましたらご指摘くださいな。 (【ワンポイントキュレーション】からだをひらくと口から火花が出た話)

2018-10-15

三浦天才詩人果実さんへ コメントありがとうございます。 B-REVIEW TEN、結局来なかったですね。ひどい。アイドルにはほど遠いモンチッチ頭のこうだが妙な振り付けのある朗読をあわあわしながら披露するのを見られたのに。笑。 まあ、おもしろがっていただけたようで何よりです。 (「穴。」)

2018-10-10

stereotype2085さんへ コメントありがとうございます。 B-REVIEW TENではお会いできず残念でした。ツイキャス、初めてだったんですが、あんな感じでよかったですかね?? 本作を投稿したのは、ツイキャスのときになかたつさんが、私の朗読を落語だとおっしゃったからです。そういえば落語っぽいと評されたことのある詩も書いたことあるなあと思い出したので。 それにしても、私の朗読は、三浦さんが私に関してアイドル化したらとかおかしなツイートをしているのを見て、じゃあアイドルっぽい振り付けのあるリーディングしたらおもしろくね?って思ってやったのに、落語ですって! 笑。ちなみに、私の思い浮かべるアイドルはWinkです。無表情で最小限の振り付けしかしないやつ。そしておそらく敗因は、自分のフィールドへ引き込むべく小芝居を打ったのがいけなかったのかと(元演劇部)。あれ? あ、うん、やっぱ落語だわ、あれ。 昔、詩など読まない知人に本作を見せたところ、「演劇ぱって誤字?」と速攻で言われたので、読みにくいのは確かですね。話の完成度に関しては、社町さんへのコメントに書いた通りです。 話の筋からすると、もし穴番がいたら語り手は穴から出られているはずなので、穴番はきっといつまでも、現れないのだと思います。 (「穴。」)

2018-10-10

社町 迅さんへ コメントありがとうございます。 B-REVIEW TENではお会いできてうれしかったです。ホント、びっくりしました。あ、朗読音源のほうもよろしくお願いしますね。 □! それ考えていなかったです。そうですね、紙媒体に掲載するならフォントを工夫するとおもしろそう。今のところ予定はないけれど、参考にさせていただきます! 話の完成度については、外郎売という元ネタのおかげかと。一応説明しますと、外郎売は声優やアナウンサー、役者が滑舌練習に使うような長台詞でできた演目です。 あらすじは、外郎という薬を売っている行商人が、「この薬はいろんなものに効くけど舌がめっちゃ回るようになるんだぜ」と言って早口言葉を延々と披露して、最終的に「東方世界の薬の元締め薬師如来も照覧あれとほほ敬って外郎はいらっしゃりませぬか」と言って終わる。すると客席からは拍手が巻き起こるという娯楽性の高い演目。 ですから、終わり方は決め打ちしていたので、そこへ向かって走るだけだから完成度が高いのかと。あと、高校の時に散々滑舌練習に使ったので、今でもほぼほぼ頭の中に全文が入っているのです。 そんなわけで、話の筋はまったく違うのだけれども、オマージュというかパロディというか、そんな感じです。 (「穴。」)

2018-10-10

即興ゴルコンダ(仮)で、2014年11月8日にあまさらさんが出したお題『「穴」』に対して書いた詩。 後、あまさらさんからの提案により、タイトルを「穴。」としました。 (「穴。」)

2018-10-09

途中、名前を呼ばれました。あ、本名のほうです。本命になれたらよかったのに。ほんめいだけに。ぷぷ。 (選評:「うほうほ」におけるスパイラルモヒカンの誤用をめぐっての断章)

2018-10-09

今現在、新宿にいることが多いのですが、見る人が違うと同じ場所でも見え方が違うことに、というか、新宿がいろんな面を持っているというそのことに、おもしろみを感じます。モチーフとして、とてもいい場所。SHINJUKU TOKYO (角質)

2018-10-08

〈どれみふあ空のかなたどちらさまでしょうか〉 この一行がとても好きです。 ちょっと書くのは恥ずかしいんだけど書いてみちゃった。これ読んで。って机の端に折りたたんだ手紙を置かれた気分になりました。ずいぶんでっかい机だなあ。笑。 (あまがみ)

2018-10-08

コリッチ。ブックマークしました! 教えてくれて感謝! 最近は、好きな役者さんが「この芝居観たよ」ってTwitterでつぶやくのを元に、予定が合えば観に行くを実行していたのだけれど、まとめてあると便利ですねえ。どうしよう、芝居ばかり見てたら掲示板読む時間がなくなっちゃう。笑。 お身体どうぞ大切に。 胃腸の弱さをなんとかしたいですね。 常食してる食べ物のアレルギー反応なんてこともあるらしいから、こういうことをすると下すっていうのを一つひとつ潰していく、というのも手かも?? 再発しませんように! (【大阪紀行〜梅田・住之江・難波・天王寺】※)

2018-10-08

ああ! ビーレビって半角の&が表示されないですよね。 理解できました。 ありがとうございます。 サイト復旧も! (魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが)

2018-09-22

かるべさんありがとうございます。 はたしてこちらとはどちら?? なぜかトップページにしか飛べないんですよね。なぞだ〜。 (魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが)

2018-09-21

うーん、だめみたいです。 こさんの「うれしい悲鳴」、読んでほしかったんだけどな。 (魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが)

2018-09-20

あれ? リンクがうまく貼れなかった。 http://golconda.bbs.fc2.com/?act=replytid=5789755#12347924 これでどうかしら? (魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが)

2018-09-20

るるりらさん、コメントありがとうございます。 タイトル、単体で見るととてもおもしろいですよね。ただ、その前のお題「うれしい悲鳴」でこさんが書いた詩のインパクトが大きすぎて、書くのに苦労した覚えがあります。よかったらこさんの詩も読んでみてください! http://golconda.bbs.fc2.com/?act=replytid=5788508#12345612 (魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが)

2018-09-20

タイジュさん、コメントありがとうございます。 勢いで一発書きしてこのクオリティですか。すごい。推敲は吉と出る人と凶と出る人がいるけれど、タイジュさんはどちらですかね。試してみると、さらにクオリティが上がる、かも?? 私の書いた負のコメントは、他の方のコメントにも書いた通り、どうして大賞に選ばなかったのか、その理由を自分自身に確認する作業の一環です。個人的には、最終連はエクストラメーションマークで省略せずにもっと読ませてほしかったです。タイジュさんだったらきっともっとおもしろい展開を読ませてくれる気がするんですよね(暴走しそうなので黙ります)。 私は言葉遊びをやるために一字一句推敲し尽くさないと気がすまないタイプなので、一発書きに憧れます。ゴルでは時々やってるけど、クオリティは低いです。いろんな書き方のできる人になりたいなあ。 こうして作者からコメントをいただいて、どうやって書かれたかなどを知れるのっていいですね。とても勉強になります。ありがとうございます。 (【選評】もどきのEある算数(フル))

2018-09-20

澤あづささんへ 拙作を解体し、再構築していただきありがとうございます。うれしすぎてなんとお礼を申してよいやら! 選評へのコメントにも書きましたが、八月分までは選評を書かれるようでしたので、澤さんの目にとまる可能性の少しでもある作品をと、本作を投稿してよかったです。つい先日観た芝居の主人公が「最短距離で行け」と歌っていたのであっさり夢が叶った私はもしや眠りを殺したのじゃないかしら? 万歳おめでとう。歌う三人の魔女。血に染まった両手は洗わなければ(脳内上演:劇団☆新感線『メタルマクベス disk1』つまり、うれしすぎて暴走中の意)。 澤さんは本作の〈子供たち〉を、一般的な子供ではなく、「自分自身の言葉」と捉えてくださったのですね。 自作解題になってしまいますが、二連目〈視界に言葉が散乱する〉は電車の窓から見える光景、すなわち、まちなかの文字看板のことです。看板にはそれぞれに作り手がいて、それぞれが見る者に意味を突きつけてきます。けれど意味の受け手である語り手=私は作り手の意図通りには意味を拾いきれないばかりか連想やら妄想やらを始めてしまってそこに新たな意味を見出してしまうがために、そこら中に稚魚、まさに「自分自身の言葉」が生まれてきては身体をくねらせることになるわけです。 私は店内装飾という仕事柄、どちらかといえば看板を作る側の人間なのですが、広告の受け手としてはひねくれ者です。パッと見て意味の伝わるものを作ることを求められる立場と、一つの言葉に二つも三つも意味を乗っけて遊んでしまいたくなる性。この両者が折り合いをつけられたらいつか、うまく言葉を泳がせられるし言葉とともに泳げるのではないか、と思っている次第でございます。 それにしても、描かれた情景を頭に思い浮かべてその情景をよいと言ってくれる感受性の高い方や、〈魚みたいな子供たち〉に感応し自らの深い子供たちへの愛を語ってくれる方。様々な受け取り方をしてもらえて、とてもとてもうれしいです。 さらに澤さんには、子供たちを「自分自身の言葉」として捉え、ものを書く(読解する)ことへの警鐘だと自らに引きつける形で再構築してもらえました。 まず共通認識たりうるしっかりとした根拠を示し、その根拠に基づき連を読み進め、作者の意図を汲んだ上で自らの読解を示す(「沈んだ気分のままでの、詩作/読解は禁止です。」)という鮮やかな展開を目の当たりにできて、たいへん興奮しております。 けれども作者である私が何を思って書いたかなどはどうでもいいことで、読んでくださった方の中に何かしらの像を結ぶことが私の詩にとってのよろこびです。普段はついつい言葉遊びのたのしさに溺れて書き募ってしまいますが、こうして余白を残したものを書くのも、様々な読まれ方をしてよいものだなあと思いました。 いろんな意味で勉強になりました。 ありがとうございました! (雨中遊泳)

2018-09-19

澤さんへ 葉月二兎さんの作品は存じ上げませんでした。文学極道に投稿された作品のようですね。不勉強で申し訳ないです。 個人的な話で恐縮ですが、私はとある月刊専門誌を出版する典型的なブラック企業(すでに倒産)にいたことがあって、編集長兼社長から毎日のように人格否定の罵詈雑言を一、二時間ほど浴びせられる生活を一年半ほど経験したため、人格否定をしている人を見ると反射的に逃げ出したくなります。以前、阿ト理恵さんから「文極に投稿したからよかったら見てねー」と言われて覗いてみたのですが、タイミングが悪かったようで、そういうタイプの方の書き込みを見てしまったのですね。それからは、文極は覗かないようにしています。一応精神的な病は患っていないはずなのですが、精神衛生上よろしくないことは避けたいので。 私にとっては作品を読むこと自体が、とてもエネルギーのいることで、さらにそれを読解し、他者にわかるように選評という形で論理的に再構築する行為は途方もなくエネルギーが必要です。 ですから、澤さんの熱のこもった読解にとても憧れます。ビーレビで読めて本当にうれしいです。読んで勉強させてもらいます。ありがとうございます。 (【選評】澤あづさ選2018年08月分)

2018-09-19

かるべさんへ 自由について最近私が考えていること。何かが起こるその時々で、その時点の自分にできる最良の選択肢を自らの手でつかめる、というのが自由ってことなんじゃないかなと。まあ、私の考えなんてコロコロ変わるのだけど。 代理母出産、すてきですね。もし女の子だったら、初潮がきた時「市役所から来た保健のおばちゃんでーす」とか適当なこと言いつつ飛んでって、ナプキンの使い方とか教えてあげたいくらいには協力したいです。 宝くじ当たるかなあ。なんて、そもそも買わないくせに口だけの人。笑。 こちらこそ、ありがとうございました。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年8月分>)

2018-09-19

澤あづささん、拙作を優良に推していただきありがとうございます。 澤さんの7月分の選評やらコメントやらを見ていたら、どうやら8月分までは選評を書かれるらしい。手元に残るはひと枠。何を投じるかで読解のチャンスを掴めるかどうかが決まる! というわけで本作を引っ張り出してきたのですが、本当に解体していただけて夢のようです。ありがとうございます。思いの丈は拙作コメントに後ほど書かせていただきます。まずは御礼まで。 (【選評】澤あづさ選2018年08月分)

2018-09-18

かるべまさひろさん、拙作を推薦に選んでいただきありがとうございます。 タイトルがうまくないとの率直なご意見、爆笑してしまいました。ダジャレを言うのは誰じゃ。我じゃ! いつもならタイトルに寄せてもっと言葉遊びをする(そのほうがタイトルが悪目立ちしなくなる)のだけれど、これを書いたときはこういう気分だったんです。バランスってむずかしい。ちなみに、私はタイトルも気に入ってます。笑。 かるべさんは、まりもさんと同じように、ここに描かれた子供たちを一般的な子供に当てはめて読んでくださったようですね。これを書いた四年前は自分もいずれは子供を産むのだろうと漠然と思っていたけれど、高齢出産の年齢に突入したうえ病気して妊娠の可能性がほぼない生産性の低い身となった今は、別にそれでもいいんじゃないって思える人が増えてくれたらいいなあと思っていたりします。右に倣えができないことに不安を覚えるのではなくて、できなくってもいいってやさしい空気が、子供たち(今の、そしてかつて子供であった大人たち)を自由に泳がせてくれたらいいですね。ありがとうございました。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年8月分>)

2018-09-17

まりもさん、拙作を推薦に選んでいただきありがとうございます。実際にお子さんを育てていらっしゃる母としてのまりもさんの、子供という存在への温かい目線から読んでもらえたこの詩、ここに描かれた子供たちは幸せ者です。 私の詩は、私が産み落としただけでは命を宿しません。読者(未来の私を含めた他者)に読まれて初めて、その読者の中で命の火が灯ります。それは冷たいかもしれないし熱いかもしれないしふっと吹き消されるかもしれないけれど、まりもさんの中で温かい火が灯ったようでうれしいです。ありがとうございました。 (【選評】8月投稿作品)

2018-09-17

かるべまさひろさん、コメントありがとうございます。 フォルムが四角いですもんね、そりゃ窮屈です。書いている本人はギュウギュウに詰めるのがたのしくてやっているのだけれど。魚肉をフィルムに充填するみたいに。 これは、ゴルでこさんが出したお題「魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが」に対して書きました。そのお題は、こさんがその前のお題に書いた詩の一行を引っ張ってきたものでした。いま、元をあたってみたら、ゴトウさんは発泡酒と一緒に魚肉ソーセージをたべてしまったのだそうです。だから炭酸の気泡が出てくるのかーって、自作に改めて納得をしました。 何が言いたかったかというと、見上げた空のピンクがギョニソ色だったよ、ってことです。 (魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが)

2018-09-03

かるべまさひろさん、コメントありがとうございます。 はい、マッハな晩餐です。 〈言葉遊びの崩壊型と改修型〉っておもしろい。これは改修型に分類されるのですね。崩壊型に該当する作品も含めて、他にどんなものがあるのかとても気になります。詳しく聞きたいです! B-REVIEW TENに出させていただこうと思っております。九月の投稿作二篇と、ビーレビ初投稿の自己紹介詩を読む予定です。リーディングは初心者です。練習します。よろしくどうぞ。 (フォトニックマッハコーンの食卓)

2018-09-03

即興ゴルコンダ(仮)にて、みずけーさんが出したお題「フォトニックマッハコーンの食卓」に書いた詩です。 (フォトニックマッハコーンの食卓)

2018-09-02

即興ゴルコンダ(仮)にて、こさんの出したお題「魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが」に書いた詩です。 (魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが)

2018-09-02

右肩ヒサシさん、コメントありがとうございます。 〈イメージの伝言ゲームのよう〉と言っていただけて光栄です。主に女性同士の会話にありがちな、話が脱線して元の話題がわからなくなる現象、それが私には顕著でありまして、その現象を書き付けるには連想やダブルミーニングなどの言葉遊びがとても有効だと思っています。 〈「その日」の記録として非常に有効性が高い〉と書いていただいたのですが、実は本作には父の癌宣告を医師から受けた瞬間(〈三本あればトリあえずは死なないって言ったよね先生あの時〉の〈死なないって言ったよね先生あの時〉の部分に被って思い出されている三年前の7月のとある日)まで含んでいるため、〈作者の個人的な体験からの連想〉によって約三年間のなかの、いくつかの「その日」の出来事が描かれていたりします。 私が書くものはほとんどが身辺雑記であり、ごく個人的な体験ばかりです。そんなものは読者である他人には何一つおもしろくありませんので、表面上おもしろおかしいものにすべく日々、心を砕いている次第です。本当は山之口貘のように余計な感情をそぎ落としてユーモアだけ残せたらいいのですが、それができないのでゴテゴテと言葉遊びで装飾をしています。 右肩さんが〈残念ながら、それ以上に巻き込んでこようとするエネルギーを感じることはありませんでした。〉と書かれたように、おもしろおかしいものに仕上がらなかったという点において、この詩は不十分だと自覚しています。〈父のお墓参りの日程で揉めた〉という目の前の出来事が〈描こうと思ったことは今まさに飛んで〉いくように仕向けて、それにとらわれ過ぎました。書こうとした出来事に客観的になれない時、私の詩は大抵失敗します。そしてそれは右肩さんのいうところの〈時間を掛けた推敲と、世界の造型〉によってどうにかなった部分だろうなとは思っています。 ただ、久しぶりにひと月くらい詩が書けなくて、やっと形になったので、思わず誰かに見せたくなっちゃったんですよね。そんなわけで、読んでいただけただけでうれしいです。ありがとうございます。 (進化の過程¥崩壊)

2018-08-26

まりもさん、コメントありがとうございます。 そうか、肯定感って自己肯定感のことなんですね。それならばわかる気がします。私は自己評価はとても低いのですが、「まあでもできなくたってそれが自分だから仕方がない」っていつも思っているので。変に自分に期待して、がっかりしたり憤ったりするなんて疲れるだけだし。笑。 今月投稿したもう一作「雨中遊泳」のコメントで「諦め」について少し書いたのですが、私は自分のことを諦めています。この「諦め」は、「変な期待を持たないこと」という意味合いで使っています。諦めることで距離をとれば自分を冷静に客観視できるんじゃないかなと考えていて、日々挑戦しているところです。できないときもあるけれど、少しの時間が解決してくれるので、今のところうまく折り合いをつけられています。 (進化の過程¥崩壊)

2018-08-22

羽田恭さん、コメントありがとうございます。 はい、私に断りを入れるまでもなく、羽田さんが、それがいいと思えばそれでよいと思います。羽田さんの作品は羽田さんのものであって、一読者である私にどうこうできるものではありません。 ひとつ前の地( (【選評】もどきのEある算数(フル))

2018-08-17

stereotype2085さん、コメントありがとうございます。 はい、〝私以外私じゃないの〟を若干もじったつもりであります。そりゃ浮きますわ。笑。 タイトルに言及してくださるのは二回目ですね。「雨中遊泳」はタイトル先行、「進化の過程¥崩壊」は半分ほど書いたところで出てきたタイトルです。名詞(たとえば薔薇とか)をひとつポンと頭に載せる勇気がないので、いつもあれこれとこねくり回してしまいます。タイトルも私の作品の一部ですから、遊びたくなるんですよね。悪い癖です。 (進化の過程¥崩壊)

2018-08-17

岩垣弥生さん、コメントありがとうございます。本作を〈淡い希望の詩〉と読んでいただけてうれしいです。感想とは勝手に抱くものですから作者の許可は不要です。どうぞ、お好きなように。 私にとって「諦める」という行為は、その対象と距離をとることだったりします。距離をとることによって、感情に振り回されることなくバランスを保って接することができるはずだと思っています。ただし接すること自体をやめたわけではないため、〈まだ〉という言葉が出てきたのかなと、岩垣さんのコメントを読んでいて思いました。ありがとうございます。 (雨中遊泳)

2018-08-17

蔀 県さん、コメントありがとうございます。 とてもとても、と副詞を重ねるくらいによいと思っていただけてうれしいです。おっしゃる通り、本作では《予感》を書きとめようとしていました。それも吉凶入り混じったものを。蔀さんに伝わったのなら、試みは成功だったようです。 (雨中遊泳)

2018-08-17

帆場蔵人さん、コメントありがとうございます。 ショートムービーと言っていただけてとてもうれしいです。帆場さんの見ている映像を私も見ることができたらいいのにと思います。 まったく別の話になりますが、アイコンのカエルとカメがかわいいですね。私も本を読んでいるカエルの置物を持っています。私のは石の上に座っているけれど。 (雨中遊泳)

2018-08-17

右肩ヒサシさん、コメントありがとうございます。一、二連を気に入っていただけたようでうれしいです。 〈言葉は表現ではなく、世界の再現だと思う〉というのは興味深いです。その「世界」とは、右肩さんが見ている世界ですか? それとも、すべての人が見ているであろう共通認識としての世界ですか? あるいは、作者と読者だけが共有できる秘密めいた世界ですか? ところで私の見る世界はいつだってやかましくて賑やかで、それでいてシンとして取り残されてしまったみたいな世界です。 (雨中遊泳)

2018-08-17

澤あづささん、コメントありがとうございます。 澤さんの貴重な選評をリアルタイムで拝読できることによろこびを感じています。私は文極がどうも苦手で、あちらへ読みにいくことができなかったので。 評を読むことで視界が一気にクリアになる体験ができたこと。作品を再構築されてよろこぶゼンメツさんの姿を見られたこと。この二つの出来事は、私の中の「批評」のイメージをプラスのほうへと変化させてくれました。ついでに批評を書くことへの苦手意識まで減らしてくれないかなと期待していたりするのですが。 推薦作に関しては、いくらもどきでも何がどうおもしろかったかを書くことくらいはできただろ自分、と後悔しております。優良を書き終えた時点で残り時間が30分を切っていたため、締め切りに間に合わすことを優先してしまいました。もっと早くから準備していないとだめですね。次回の課題とします。 百均さんの詩がまた読めるようになるといいなと思っています。全員キュレーター制万歳。 (【選評】もどきのEある算数(フル))

2018-08-17

拙作二篇より二箇所引用していただきありがとうございます。 自分のが入っていてもわからないんじゃないかと思っていたのですが、案外わかるものですね。前回は引用されなかったので、今回はうれしいです。 前半部分は、読んだそばからバラバラと崩れていくように感じました。サンプリングってむずかしいですね。 (サンプリング(REFRAIN))

2018-08-16

ゼンメツさんへ いや、私が勘違いしているのかも。したら本当にスタートラインにすら立ててないので、これは笑ってやってくだせえとしか言えない案件。まあ、それも私らしくていいかー。 (【選評】もどきのEある算数(フル))

2018-08-16

三浦さん、コメントありがとうございます。参考だなんてとんでもないです。 この間の、運営の方も選考対象としていいというアンケート結果を元にこれを書いたのですが、もしかして新しい運営の方限定の話だったんですかね? そしたらこれ勘違いですねえ。かなりがんばって書いたんだけど。やっちまったぜ〜。 (【選評】もどきのEある算数(フル))

2018-08-16

三浦さんへ はい、survofさんにお経読みと言わしめたあれですね。お耳汚し失礼いたしました。 えーと、私なんぞがゴルコンダを名乗るなんて畏れ多いので、別のコードネームを希望します。(入る気満々かよ) (三浦果実7月作品フル選評―かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう―)

2018-08-16

ゼンメツさん、さわ田さんの作品もお好きですか! さわ田さんは作品のかわいさとご本人の見た目とのギャップにグッときます。 あわわ。別名義。もしかして、私はじめましてではないのかしら?? 阿トさんは、4月に百均さんの就職祝いをした時は元気そうでしたよ。詩とは違う遠い世界に行ってしまっているけれど。 個人的な話、とてもおもしろかったです。 (【選評】ゼンメツ選、2018年7月分)

2018-08-16

survofさんへ あ〜いい線いってたのに読み切れなくてごめんなさい。というか愛が重くてごめんなさい(全体的に)。 せめて5ミリくらい(見てわかる程度)は成長したいです。精進します。 (【選評】もどきのEある算数(フル))

2018-08-16

ゼンメツさん、阿ト理恵さんをご存知ですか! 私は阿トさんと一緒にゴルに参加していたから今があります。若干クセのある方ですけどとても大切な友人だと思っています。 じゃあさわ田マヨネさんもご存知ですか? 私、さわ田さんの書く詩や短歌が大好きなんです。アーライユーミー?(荒井由実)って書ける人になりたい。 は! 個人的な話を畳みかけてしまいました。失礼しました。 (【選評】ゼンメツ選、2018年7月分)

2018-08-15

注目した作品に名前を挙げていただきありがとうございます。 いいんだけど決め手に欠けるのよねって言われている気がするので、精進したいと思います。 (B=REVIEW 2018年7月投稿作品 選評)

2018-08-15

最初の50作に名前を挙げていただきありがとうございます。 三浦さんはそっちを選んだのねーって思いました。それがわかっただけでもうれしいです。 (三浦果実7月作品フル選評―かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう―)

2018-08-15

ゼンメツさんへ 【優秀】枠に名前を挙げていただきありがとうございます。〈面白いからです。〉という最初の一言がとてもとてもうれしいです。 私は詩の中で跳んだり走ったり踊ったりしたいと思っていて、できることなら軽くかるくなりたい。現実の自分が運動音痴な分、詩では涼しい顔で軽やかに大技を決めてやりたいです。 どうやらゼンメツさんから見るとうまいことできているようなので安心しました。たのしんでもらえることが一番のよろこびです。 ありがとうございます。 (【選評】ゼンメツ選、2018年7月分)

2018-08-15

お! 動画お好きでしたか! 落ちるときひやっとしますよねー。 意味のわからない外国語ではないのですが、英語を日本語読みしてうまいこと織り交ぜて書く人がいてとても嫉妬します。アーライユーミー?(荒井由実)とか。うらやましい感性。 もっともっと軽々しくなって自由になりたいです! (カタルシス)

2018-08-14

感傷的なメメシスにネメシスが降臨して救ってくれたらいいのにね。あれは変身した女神かもしれないよって、旋回する鳥を鑑賞します。降ってきても、緩衝材くらいにはなるからさ。 (惑星メメシス)

2018-08-14

はじめまして。 初読は作中人物のイライラが感染して読んでいるこちらもイライラしたのですが、コメントをざっと読んでからもう一度読んでみたら、最後にふふっと笑えました。たのしかったです。 それにしても、澤さんに評を書いてもらえるだなんてうらやましい。私も解体されたい。って思いました。 (無題)

2018-08-14

ときにはトリップ。 NICE CHOICEだと思いました。 (徒然草)

2018-08-14

はじめまして。 いいなって思いました。牛が好きだからってのもあるのだけれど。 たとえばタイトルが、最初の一行から持ってきた「見えない向こう」ではなくて、最後の一行の「覗きこむ」であったなら、なおのこといいなと思った気がします。私の勝手な好みなんですが……。 (見えない向こう)

2018-08-14

3回くらい読んでみて、初読でこれ好きなやつだーって思ったことに確信を持ちました。そして、〈引っ掛かる部分があまりな〉いとか〈ただノリで書いているだけ〉とかのコメントを見て、私の好みは軽いんだなーって思って笑ってしまいました。軽々しさ上等。 YouTubeにDance of the Line Ridersという動画があるのですが、ジェットコースター嫌いな人はとても苦手と思われます。私は怖いもの見たさでつい何度も見てしまうけれど。落っこちる感覚、あれが苦手です。小学生くらいまではそこまで苦手じゃなかったのになー。 (カタルシス)

2018-08-14

はじめまして。 煉獄、というと火をイメージするのでメダカのいる水とは相容れないなあと思いつつ、窓辺に置いたペットボトルに直射日光が当たって干上がってしまう恐怖、みたいなのを思い浮かべてメダカも大変だなって思いました。 そして私には、今とは別の選択肢を掴み取る手足があって、よかったなと思いました。 (ペットボトルのなかのメダカ)

2018-08-14

せ、ん、び、き、屋か〜!!!って思いました。 詩と関係ないこと言ってすみません。 (ちょうりょく)

2018-08-14

かるべまさひろさんへ 運営に手を挙げてくださりありがとうございます。ツイキャスを聴いていて、まかせて安心だなって思いました。私もせめてライトレスくらいはできるように努めます。 今後ともよろしくお願いします。 自作を振り返って思うのは、改行のない詩は読み飛ばしてほしくて、改行のある詩はそこに刻み付けたいという気持ちがあるらしいこと。 本作は後者なので、〈頭にながく残っています。〉というお言葉がとてもうれしいです。 (雨中遊泳)

2018-08-12

stereotype2085さんへ はじめまして。 運営は大変だと思いますが、応援しています。今後ともよろしくお願いします。 これは快速電車に乗って窓の外をぼんやり眺めながら、外に見えるているような気がする景色を描いたものです。ぼんやりしていたから、夢っぽいのかなと思いました。 その不穏な夢、面白いですね。先端恐怖症だったら不穏どころか悪夢。安部公房の『笑う月』に出てくる、銃口が曲がって自分のほうに向いてどうやっても逃れられない夢を思い出しました。 タイトル、私も気に入っています。 ありがとうございます。 (雨中遊泳)

2018-08-12

澤あづささんへ はじめまして。 実は一方的に存じ上げておりまして、独自の徹底的な読解をもとに熱のこもった評を書かれる方だと思うが故に、読解には向かないであろう私の詩は見向きもされないと思っていたので名前が挙がっていて驚きました。食べ過ぎた休日の帰りの電車で吐きそうになるくらいに畏れ多くそしてとてもとてもうれしかったことをここにご報告いたします。 ありがとうございます! (【選評】澤あづさ選2018年7月分)

2018-08-12

三浦⌘∂admin∂⌘果実さん、コメントありがとうございます。 テキスト苦手っておっしゃってたのにこんなに長く書いていただきうれしいです(*^^*) 6月から7月にかけて16泊17日も入院していて、ずーっとずーっと暇を持て余していたのに、なぜか詩は一篇も書けませんでした。ゴルも覗くことしかできなかった。 退院してやっと書けたのがこれで、投稿しようかどうしようかとても迷ったのだけれど、三浦さんに読んでいただけてよかったです。 えーっと実は、私は詩の中で何かを肯定しようというつもりはなかったりします。ただ、未来の私に、今をきれいな形にして手渡したいとは思っています。私にとって書くことは昇華すること。それを三浦さんが肯定感ととらえてくれたのだとしたら、報われるなあと思うし、そんなふうに読んでもらえた私の詩は幸せ者です。 そうそう、百均さんからツイキャスに必要なアプリを教えてもらってダウンロードしたので、ツイキャス隊に就任の際は、気が向いたら私も呼んでくださいね。 (進化の過程¥崩壊)

2018-08-08

ヤエさんへ はじめまして。 コメントありがとうございます。 構成で遊ぶのって、たぶんやってる本人が一番たのしいのではないかと思っております。そして一緒におもしろがってくれる人がいると、なおさらたのしいです。ありがとうございます。 (よこしまなきみとさかしまなぼく)

2018-07-24

かるべまさひろさんへ コメントありがとうございます。 全然コメントがつかなかったのでうれしいです。 今月は、甘めな感じで、会話を含んでいる二作品で攻めてみました。 本作は、ゴルに投稿した時はすべて横書きだったのですが、こちらへ投稿する時に、これ横書きと縦書き混ぜたらおもしろいんじゃね?と思い立ってこの形になりました。おっしゃる通り、たのしんでいただければ幸いです。 漢字とひらがなのストライプはおもしろそうですねえ。漢字やひらがな、カタカナの使い分けによる視覚効果は、いつも頭の片隅にはあるのですが、なかなか手を出せずにいる課題です。いつかは挑戦してみたいです! (よこしまなきみとさかしまなぼく)

2018-07-24

かるべまさひろさんへ コメントありがとうございます。 〈自由に流れるように綴られ〉て見えたのならばうれしいです。私は、息継ぎができずに15メートル程度しか泳げないし逆上がりもできないし、バスケをやれば飛んでくるボールが怖くて毎回突き指するくらいの鈍さなので、現実が不自由な代わりに、せめて詩のなかでは飛んだり跳ねたり踊ったりしていたいと思っています。もっともっと、軽くなりたい。 (雨やみ上がり虹のハシまでいと電話するすると吐く恋人のサギ)

2018-07-19

書き忘れましたが、これもゴル作です。お題は私が出しました。 (雨やみ上がり虹のハシまでいと電話するすると吐く恋人のサギ)

2018-07-18

こずAさんへ はじめまして。 コメントありがとうございます。 言葉遊び、大好きなもので。いつだって詩のなかでは飛んだり跳ねたり踊ったりしたいと思っております。 あ、かるいれんあいしたいくらいおもいなんてごめんだひろい宇宙で (雨やみ上がり虹のハシまでいと電話するすると吐く恋人のサギ)

2018-07-18

エイクピアさんへ コメントありがとうございます。 奔放なイメージと言っていただきうれしいです。タイトルありきで書いたのでそのようになったのかもしれません。書いていてとてもたのしかったのを覚えています。 (雨やみ上がり虹のハシまでいと電話するすると吐く恋人のサギ)

2018-07-18

注目作に名前を挙げていただきありがとうございました。 先日のポエケットで、握手をしてくださったのがうれしかったです。 (6月分選評)

2018-07-18

2015年1月29日のゴル作のリライトです。 お題(タイトル)は私が出しました。 (よこしまなきみとさかしまなぼく)

2018-07-02

挑戦している感じが、いいなって思いました。世阿弥が「風姿花伝」で学ぶことは真似ぶことなんて書いていますが、真似て、モノにして、はさみさん独自のものにまで昇華できたらいいですね。私も、真似ぶ姿勢を忘れないようにしようと思います。 (瞬間の話をした子たち)

2018-06-28

おもしろかったです。 「ちくわ詩人」ってすごいな。 ますますのご活躍をお祈りしております。 (ちくわ詩編①)

2018-06-28

〇〇と〇〇 というフレーズが延々とつづいて、対比や並列する意味なんかを細かく考え出したらキリがなさそうだなあと途方に暮れていたのですが、最終連で「と」の使い方に変化が現れて一気に色づいたみたいになって、たしかにこれは極彩色だ上手いなあって思いました。 私の頭の中では13連目までをスムーズに読み上げることができずに途中で息切れしてしまったのだけれど、きっとタムラさんは14連目までしっかり聞き手を惹きつけるようなリーディングをされるんだろうなあと、想像しながら読みました。 (極彩ロード)

2018-06-28

藤一紀さんへ コメントありがとうございます。 はい、いつも、息継ぎなしでどれくらい喋れるか挑んでいるところが若干あります。笑。 たしか、これを書いた時は休みの日か何かで、何度も声に出して整えられたからここまで整っています、ゴル作の割には。 藤さんは、歌舞伎十八番の「外郎売」ってご存知ですか? アナウンサーとかがよく滑舌練習に使うあれです。役者一人による長台詞だけで成立している芝居なんですが、高校生の時、演劇部だったのでめっちゃ練習しまして。さすがにもう完全な暗唱はできないですが、あれ、やっててたのしいんですよねー。その延長線にいる感じです。 (後ろの席でくしゃみする)

2018-06-28

花緒@B-REVIEWさんへ コメントありがとうございます。 これ一応、「ポエム」感を技術でつくったつもりの詩です。それが甘酸っぱさにつながっていたならよいなあと思っております。 (後ろの席でくしゃみする)

2018-06-28

即興ゴルコンダ(仮)2014.12.15のこさんのお題に書いた詩です。 (後ろの席でくしゃみする)

2018-06-25

かるべさんへ コメントがなかったのに選ばれた謎が解けました。ありがとうございます。 もしこの選評に入れてもらえていなかったら、かるべさんが「名づく」を評価してくれていることを、私は知る由もないのだなあと思ったりしました。入れてもらえてよかったです。 そうそう、私も五月の投稿作を全部読んできました。お、と思ったのが四作あったのですが一つに絞りきれなくて、結局、選評は書けませんでした。強いて言うならこれかな?って推すのはどうも違う気がして。 選評って、どうしたら書けるようになるんでしょうかねえ。 藤一紀さんへ コメントに私の名が! 思わぬところで言及していただきありがとうございます。 「遠路、あるいは遠雷」にはかるべさんしかコメントをつけてくださらなかったので、藤さんが同作を評価してくださっているとはつゆ知らず。うれしいです。コメントつかなくても読んでくれてる方はいるんですねえ。ありがたい。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年5月分> )

2018-06-16

まりもさん、取り上げていただきありがとうございます。 本作は三年ほど前に、「名づく」というお題に対して書きました。まりもさんの評を読んでいて、〈彼〉と〈私〉は名付けの意味だけでなく、そもそもペンギンのぬいぐるみの捉え方からして違っていたんだなと思い至りました。そりゃ関係も破綻するよねって納得すると同時に、三年前の私もわかってたんじゃんって思いました。 気づきを得たならサクッと切り替え。 さーて、次いこ次〜。 ありがとうございました。 (BREVIEW5月選評)

2018-06-16

優良作に推していただきありがとうございます。 もう一作のほうにはコメントいただいていたのでこちらはお気に召さなかったかなと思っていたら。まさかの! 私は5月の投稿作をまだひとつも読めていないのですが、かるべさんがおもしろかったなら読まねば!と思いました。これからがんばります。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年5月分> )

2018-06-08

花緒さんコメントありがとうございます。 ゴルには前に、阿ト理恵さんという言葉遊びの天才みたいな人がいまして、彼女におもしろがってもらいたいがために書いていたら、このくらいはすぐ書けるようになりました。 向こうも言葉遊びで来るからネタが被らないように、さっさと書くか向こうの投稿を待ってから書くか、みたいなのがあって、とてもとてもたのしかったのでした。 (ろくでなし)

2018-06-03

即興ゴルコンダ(仮)開催中! お題は「ろくでなし」。 出題者はみうらあ_の_ばでぃすきーさんこと三浦果実さんです。 投稿締切は6/3(日)21:57! どなたさまもお気軽にご参加ください。 即興ゴルコンダ(仮) http://golconda.bbs.fc2.com (ろくでなし)

2018-06-03

かるべまさひろさんコメントありがとうございます。 インディペンデント、初めて聞きました。 おもしろそう! と思って通信制限のかかったiPhoneで調べてみたのですが、サイトがうまく開けない(T-T) どうやら大阪が拠点で、関東ではやってないみたいですねえ。制限解除されたらもう一回サイトを見てみますが、諸事情で遠出は当分むずかしいのでめちゃめちゃ残念です。 それでも、貴重な情報に感謝です! 書いてみるもんですねえ。 他にもおもしろい演劇情報があれば教えてくださいな。 私は詩を書くとき、時間があるならば声に出して読んで整えていきます。一応高校演劇をかじっているので、詩の朗読というよりは台詞に近い感覚かもしれません。 それをおもしろがっていただけたようで、とても光栄です。 (遠路、あるいは遠雷)

2018-05-28

※あの絵本=スズキコージ『大千世界のなかまたち』(福音館書店) (遠路、あるいは遠雷)

2018-05-26

花緒@B-REVIEWさんへ 貶しているのか褒めているのかわからないコメントありがとうございます。笑。 私の詩は、リアル感というか地に足のついた感じを失わないように、日常会話で使わない言葉は基本的に使わないようにしていますし、何かしらの実体験から広げて書くようにしていて、ブログ的といえばそうかもしれません。 でも、ただのブログでは作品にはならないので、ちょっとした仕掛けを組み込むようにはしているつもりです。うまくいってるといいのだけれど。 (名づく)

2018-05-25

asakurasosoさんへ 私は飛影が……飛影が好きでした!(アイコンへの過剰反応による衝動的告白) さて気を取り直しまして、コメントありがとうございます。文体を気に入っていただけたようでうれしいです。 〈それで何の話だったっけ? ペン助の話。ぬいぐるみにつける名前の話でしょ。うん、ペン助の名前の話。〉 この噛み合わない会話を書きたいと思ったら、こんな文体に整いました。 長い文章は、書いてみたいとは思うのですが途中で飽きてしまうんですよね。笑。プロットみたいなものを作らずに衝動的に書き始めるからいけないのだとは思うのですが、どうしたものやら。計画性と持久力、それらを支えるエネルギーがほしいです。 (名づく)

2018-05-25

エイクピアさんへ コメントありがとうございます。 高橋源一郎、前々から読んでみたいと思っていたのに何から手をつけていいか迷ってそのままにしていたので、思い切って「さようならギャングたち」買ってきましたよ! 今は講談社文芸文庫からしか出ていないみたいで高い……って思ったのですが、やはりわたし好みのシュールな文章。清水の舞台から飛び降りてよかった。笑 きっかけをいただきありがとうございます! (名づく)

2018-05-23

黒髪さんへ はじめまして。コメントありがとうございます。 〈彼〉を〈子供〉ととらえて読んでくださったのですね。すると語り手はお母さんか、幼い甥っ子をかわいがる叔母かしら。 愛着や思い入れって掘り下げればなにかしらにたどり着くのでしょうけれど、自分のことならともかく、他人様のことはそっとしておいてあげたいなあなんて思っております。不思議なこと、のままで。 (名づく)

2018-05-23

三浦⌘∂admin∂⌘果実さんへ こちらこそ、即興ゴルコンダ(仮)へのご参加ありがとうございます! お題出しから集計までお疲れさまでした。 お題を出す日時を予告すると、もう少し人が集まったりするんですけどねえ。あと、締切が夜のほうが参加者が多い傾向がある気がします。 ゴルは、お題が出てから24時間以内に投稿するのがルールで、最大24時間の持ち時間があります。ですから、厳密な意味では即興ではないんですけれど。この詩はどのくらいで書いたかなあ。三年くらい前のことなので思い出せない……。 私は、大学を出てから10年近くスランプで書けなくて苦しんでいたのですが、2015年に「ゴル皆勤賞(遅刻可)を取る」と勝手に目標を立てて、1年で100のお題に詩を書きました。それで、今のなんとか書けるこうだがいるので、ゴルにはとてもとても感謝しているのであります! (名づく)

2018-05-23

はさみさんへ コメントありがとうございます。 ゴルへの参加も感謝です! おもしろい仕組みのサイトなんですけど、最近はど〜も盛り下がり気味で。もっとみんな気軽に来てくれればいいのになあと思っておりますたのしいよ!(途中から宣伝) まあ、優勝するとお題出しや集計するのが若干面倒ではあるけれど、自分の出したお題でいろんな人に書いてもらえるってうれしいもんです。気づきや学びがあるし! この詩のかわいさは、ペンギンのぬいぐるみがほぼすべてを担っていると思っておりますペンギンかわいい。 でも、じつはゴルでは一票も入らなかったんですよ〜ああ悔しい! 笑 (名づく)

2018-05-23

注:投稿時から少し手を加えています。P.S.部分は後付けです。 (名づく)

2018-05-16

即興ゴルコンダ(仮)でかんなさんが出したお題「名づく」に書いた詩です。 ただいま即興ゴルコンダ(仮)開催中。 お題は「からめるコードの先のai」です。 5/16(水)23:59まで投稿できます。どなたさまもお気軽にご参加ください。 http://golconda.bbs.fc2.com (名づく)

2018-05-16

タイトルを見て、先月の私とのやりとりで私のダジャレ好きがうつってしまったのかしらどうしよう、と勝手に思ったのですが、中身はいつものsurvofさんだったのでホッとしました。そりゃそうだ。私なんかにそんな影響力はない! 笑 (鮮やかな店長の転調)

2018-05-15

原口さんの、仲程さんへのコメントの中にあった〈私自身が社会的存在としてすでに複数性を帯びており〉という一文を読んで、三月投稿作「殺戮の時代」の〈私、の複数/形をあらわす言葉は私たちではないから。〉の意味がわかったような気がしました。 そうか、「私」は複数性を内包しているから多面体になるんだなって、いま一人で勝手に納得しています。 人間とは多面体であって クジラを保護した同じ手で 便所の壁に嫌いな女の電話番号書いて 「二千円でヤらせる女」とか それなりに味があるけれど せめて恋くらいキレイに キレイにこなしましょうね ここにいないあなたが死ぬほど好き 私も死ぬほどここにいないから ※松尾スズキ作「キレイ」の劇中歌より 聴いたものを書き起こしたので不正確ですが。 (「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ)

2018-05-15

後半の詩の部分を読んでいる時、私の頭の中にはアフターダークの翼の生えたトースターが飛んでいました。古き良き時代のマッキントッシュ。 (救急車をスライスすると指になる)

2018-05-15

まりもさんへ スペース! まりもさんは行分け詩を書かれるイメージがあったので意外でした。参考にさせていただきます。ありがとうございます。 (PLANET NEWS LEVEL 7)

2018-05-06

まりもさんへ おお、国語の教員免許持ってるくせに古典も漢文もさっぱりな私には、えーと、どちらがと言われましても……。笑 奥主さんには、友人の紹介でお会いした時にご挨拶として詩集をお渡しました。まさかそれが書評に取り上げられるとは思いもよらず。 編集部宛に送ったらいいんですね! 次に作るときにはお送りします。よろしくお願いします。 (たまきはる)

2018-05-06

花緒さんへ コメントありがとうございます。 楽しんでいただけたのならよかったです。まあ、内容はたのしい感じじゃないのだけれど。 4月は3月の宣言通りに起承転結のある詩と韻を踏んでいる詩を投稿しましたが、共通のテーマは「生きるってこと」です。 (たまきはる)

2018-04-29

花緒さんへ コメントありがとうございます。 ああ、スラッシュ。ですよねー。 私はどうも改行が苦手で、なんの意味もないのに改行するのが本当に嫌で。単語をこの位置で改行するとダブルミーニングになるよ、とかだったらよろこんで改行するんですけど。 か いぎょうをなしとげるのさ とか。 この作品は一息で読ませたいタイプの作品なんですけども、改行でも句読点でもなく文の区切りをつけるには何がいいかなーと悩んだ挙句の、スラッシュ。つまり、スラッシュに意味はありません! ゴル作は数時間で書くから、作り込みは甘くなりがちですねー。スラッシュじゃないなら何がよかったのかなー。 (PLANET NEWS LEVEL 7)

2018-04-29

まりもさんへ コメントありがとうございます。 この詩を読んで吹き出したとおっしゃった方は初めてなので、新しい捉え方をしてもらえた!とよろこんでおります。 「PLANET NEWS LEVEL 7」というお題を見た時に、宇宙について書くなら俊さまに敬意を表さなくてはだめだろうと思い、かの有名な「二十億光年の孤独」を援用させていただきました。 この詩は現代詩フォーラムにも投稿しているのですが、そちらではここに書かれた事故を震災と結びつけて読んでくださった方が多いようです。 私としては、お題の出た日が9.11だったのでテロのこと、11日という日にちから震災のことも思い浮かべてはいましたが、なぜかお題に書かされているという感じで「とにかく書き上げなければ!」という気持ちばかりがあって、やっと書き終えた時には明け方。あと二時間しか寝られないけど起きれるのか私?って青くなったことだけをはっきりと覚えています。 (PLANET NEWS LEVEL 7)

2018-04-27

まりもさんへ コメントありがとうございます。 全然コメントがつかなくて悲しかったので、ホントうれしいです。ありがとうございます! 「たまきはる」は「命」などにかかる枕詞らしいです。言葉自体には意味がなくて、「魂が極まる」からきているという説があったりするそうです(グーグル先生調べ)。 これらのネットで収集した知識をもとに、「たまきはる」の自分なりの解釈を「し」=詩、死、私と「からだ」=身体、空(カラ)だで受けて(脚韻を踏んで)書きたいと思ってできたのがこれです。 私の基本姿勢は、重いものは軽く、です。詩の中で跳んだり走ったり踊ったりできたらどんなに幸せか、といつも思っています。 じつは、「詩と思想」で奥主榮さんが書評欄を担当されていた時に手作り拙詩集『それでもこの星は明るいってきみが言う、』を取り上げていただいたことがあり、同詩集の中から一部掲載されたのがこの詩でした。その節はありがとうございました。 (たまきはる)

2018-04-26

原口昇平さんへ うわーうわーうーわー! コメント読んで鳥肌が立ちました。 もう一回読み返してみたいと思います。 ありがとうございます! (【選評】もどいてひもといて意図)

2018-04-17

survofさんへ こちらこそありがとうございました! めっちゃからんでごめんなさい。普段は大人しくしてるんですけど、たま〜にやらかすんですよね。根気強く付き合ってくださり感謝しております! (【選評】もどいてひもといて意図)

2018-04-16

〈私、の複数/形をあらわす言葉は私たちではないから。〉 特に目立たせるでもなく差し込まれたこの一文が、なぜかとてもとても気になりました。 私の複数形。私と誰かを含む言葉が私たち、であるなら、私の複数形は私をしか含まない。 いつも私、私と自分のことばかり考えているせいでしょうか。なんだか妙なところで躓いてしまいました。とてもとても気になります。 (殺戮の時代)

2018-04-11

おもしろかったです! (【選評】峰 ひろ樹「彼の島」【動画】)

2018-04-07

田中恭平さん、はじめまして。 トタンは中原中也の「春の日の夕暮」で、直後の竹は萩原朔太郎だろうか。(やれやれ)は村上春樹かもしれないしカンパネルラなら宮沢賢治。きっと他にもたくさんあるのだろうけれど、話者は、自身がこれまで吸収してきたものたちにsukuwareて、いま目の前にある大切な人の不在という現象を冷静に受け入れられている。 そんなふうに、私は読みました。 (sukuware)

2018-04-07

survofさんへ 私なんかより、survofさんと部長さんが直接話せたらおもしろそうですね。部長さんのところには、他サークルや他大学から人が来ていたことを思い出します。私はまた学生の時のように、なんかよくわからんけどおもしろいなーって思いながら側で話を聞いていたいです。それで、本気なのかからかってるのかわからない顔で「たけみちゃんはがんばってるよ〜」って部長さんに言われたいです。 実現はしないけれど。笑 私は、自分の書くものは言葉を使っている以上、最初から、過去の人間が作ってきたもの=言葉を借りて作っているのだと思っています。そのうえでさらに大きな物語をなぞることは、借りものの借りものみたいでとても嫌だなと思うのです。 だから、そうならないように注意を払っているつもりだし、だからこそ、簡単に大きな物語に回収されてしまうと嫌だと感じるのかなと思います。 なんかよく理解できていないものの上に乗って話をしているので、余計よくわからないですね私の話。すみません。 survofさんの〈不思議に感じるのはネットが発達して、あらゆる分野において文脈の細分化が進んで「物語」の細分化が進んで、大きな文脈という意味での「大きな物語」の喪失がすすんでいるはずのこの21世紀が生み出しているものが、どういうわけかどれもこれも幾つかの雛形から生み出されたように似たものばかりの大量発生、つまり、こうだたけみさんのおっしゃるところの「大きな物語」に吸収されうるものばかりである、よりユニークな「個人の物語」として生み出されたものが非常に少なくなっているという印象をもつのですが、そのことがとても興味深く思えます。〉というご意見を読んでいて、まったく関係ないのですが、ルーズソックスとかが流行った頃の女子高生の制服のことを思い浮かべていました。 校則から逃れたくてしているはずの格好が、同じように校則から逃れようとする子たちと同じになり画一的になっていく。個性って、ユニークってなんでしょうね。最初にやってみせた人がすごいのか。でもそれだってすでに存在しているものから生まれていて。 でもやっぱり私は、私が書いた、というその事実に意味を見出せたらいいなと、そんなふうに思っています。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-06

survofさんへ これ以上書くとしつこすぎるのでやめようか迷ったのですが。 「ポストモダンは大きな物語の終焉だ」という言い方があって、部長さんの言っていた大きな物語はそこからきているとは思うのです。 忘れようにも忘れられないくらいおかしな人でした。いつも革パン姿で、服のまま海に飛び込んだり、カラオケで床にマイクを叩きつけたり、路駐してるバイクを倒して回ったり。 は! なんかセンチメンタルになってますね。笑 長々とありがとうございました。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

survofさんへ わーい! 無駄に長いのに読んでいただけてうれしいです。しかも、よろこんでいただけたみたいでホッとしました。 twitterでも書いたのですが、私は論理的な思考をするのが本当に苦手で。気づくと枝葉の部分に気を取られて本筋とは別のことを考えていて、あれ?なんのこと考えてたんだっけ?ってなるのはしょっちゅうで。それどころか、実際に人に話をしていても、途中から上の空になってどうでもよくなってしまうこともあったりして。気を抜くと、ホントにひどいんです。 そんなわけで、先ほどのコメントを書くのにものすごく苦労したので、survofさんによろこんでもらえて報われたなあと思いました。きっと、きちんと論理的に書かれている花緒さんのご意見を引きながら書いたのがよかったんでしょうね。 しかも! survofさんがどんなふうに創作するのか、好きな音楽がもたらす効果、影響を受けた作家など、いろんなお話が聞けて興味深かったです。そんなお話を引き出せたということだけでも、こうしてコメントした甲斐がありました。 そうそう、私が大きな物語にこだわる理由は、じつは今回のコメントとは全然別のところにもあったりします。学生の頃に所属していた文芸サークルの部長さんが事あるごとに大きな物語の話を口にしていて、それがどういうことなのかいまだにわからなくて。しかもその人は、たぶん亡くなってしまったのでもう話を聞くこともできないのです。 話してみたい人とは生きているうちに! また機会があればこうしてお話しさせてくださいね。ありがとうございました(*^^*) (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

横道に逸れてごめんなさい。 次に、「自分勝手なロマンチスト」への感想を述べます。 同作から読み取れたものは以下の通り。 【内容について】 ・話者は僕 ・僕は本棚に挟まっている ・側面と天板の90度の角度を何度も確認し、なんてちょうどいいサイズなんだ、この本棚を選んで正解だったと思う ・本棚はスライド式 ・本棚に挟まってクヨクヨするのが好き ・今聴いている悲しい曲を聴かせたい人がいる。僕を叱ってくれるような大人びた女性だ ・彼女は僕の英文の添削をしてくれる。彼女から返された紙は彼女と同じいい匂いがする ・本棚に挟まって、底板の冷たさを足の裏一杯に感じながら少し背伸びして天板を撫でる ・彼女の家の本棚もスライド式 ・ヘッセの文庫をパラパラとめくるふりをしながら、英語で会社の上司と長電話する彼女の声に聞き耳を立てる ・彼女は「ヘッセはね、自分勝手なロマンチストだから君と一緒。だから君は読まない方がいいかも。」といいながら「春の嵐」を僕に手渡す ・自分勝手なロマンチストになったのはこの匂いのせいだと文庫本の匂いを嗅ぐ ・「春の嵐」を読んで、僕は2日ほど寝込む ・チャイムが鳴った気がして玄関を開けるとドアノブに果物の入ったビニール袋がぶら下がっている。野生の匂い ・彼女から「沢山食べてはやく元気になれ」と短いメール ・「ありがとうございます」としか返信できない自分にやきもきする ・ベッドに仰向けになって空想に浸りながら、世界で一番悲しい音楽を大音量でかけ、やっぱり彼女に聴かせたいなと思う ・果物は食べきれず半分は腐らせてしまった これらの情報をもとに、私は「自分勝手なロマンチスト」を以下のように読みました。 冒頭から、話者が本棚に挟まっているというシュールな情景で始まる。そんなことをするのは小学生まででしょと思ったので、話者は小学生くらいの男の子かと思ったのだけれど、英語の勉強を見てくれる社会人の女性(家庭教師?)に想いを寄せているようだから中学生、いや高校生か? 本棚の中で背伸びをするように、年上の彼女に振り向いてもらいたい一心で背伸びをする、ずいぶんと子供っぽい男の子のようだ。ヘッセを軸にして、8連目まではずっと甘ったるい恋愛が描かれていて、そろそろおなかいっぱいと思ったところへ急に、果物を中心に描かれる最終連が投げ込まれる。視点が恋愛から果物へと逸れる。甘ったるさからの解放。最終連の〈もらった果物は結局全部は食べきれなくて半分は腐らせてしまった。だって、あまりに量が多かったもんだから。〉は全体にかかっているように思われる。彼女への甘ったるい恋愛感情も、空想に浸ってばかりの子供っぽい自分自身も、背伸びしたけれど持て余して半分は腐らせてしまった。それが自覚できているから、この話者は、最初に感じたよりもはるかに大人だ。 同作は、「僕の顔」とは打って変わって、描かれているものと作者との距離が開いている感じがして私好みでした。それから、同作は明らかに〈恋愛詩〉という括りに入るけれど、話者が本棚に挟まるなどの奇抜な行動を取るので、〈よくある恋愛詩〉だよね、とは簡単には言い難いと思います。普遍性のある恋愛を取り上げているからこそ、かえって話者の奇行が際立ち、読者は「これは自分の恋愛とは別物だ」と思うはず。よって、同作は〈よくある恋愛詩〉という大きな物語に回収されることのない、作者独自の恋愛詩となると思います。 ただ、他の方のコメントを読むと、ヘッセの部分に共感する方が多いようで、この部分が際立ちすぎると〈よくある恋愛詩〉に回収されることもあるのかな、と思いました。あんなに執拗に本棚の記述があるのに、ヘッセパワーってすごい。 それと、花緒さんは(3)で同作について、〈後半など、ほんの少々、ポエムっぽく読めてしまうところがあって、その意味で隙が残っているように思います〉とおっしゃったけれど、私は〈ポエム〉だとは思いません。私の中でのいわゆる〈ポエム〉の定義は、「話者の特徴が示されず、誰でも感情移入ができるように意図的に作られていて、誰もが一度はどこかで見たことがあるような表現(大道を外れない表現)ばかり用いられている詩」であり、大きな物語に寄りかかっている詩の代表例なので、同作はそれに当たらないと思います。ポエムっぽい書き方はひとつの技術であって、イコール〈ポエム〉ではない。いわゆる〈ポエム〉とは、別物だと思っております。 以上、私は「僕の顔」には好きになれない部分があるけれど、「自分勝手なロマンチスト」はとても好きで、その理由はこれです、という個人的な主張でした。結局おなじことを何度も書いてるだけじゃないかって言われそうな予感がしておりますが、こうやって無理やりにでも参加することで、「批評とはなんぞや」というのを少しでも学びたいと思っている次第です。 最後に、survofさん、2月の大賞受賞おめでとうございます。 なんだか大賞作にたてつくような感じになってしまって失敗したなあと思っています。そんなつもりはなかったのだけど。反省しております。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

さてここで、なぜ私がこんなにも大きな物語にこだわるのか、花緒さんもsurvofさんも読んでくださったようなので、拙作「踏み止まるメザシ(千葉県産)」を例に説明させてください。 ‪http://breview.main.jp/keijiban/?id=1489‬ これは、語り手個人の恋愛体験について書かれた恋愛詩ということは明白です。ただ、全体が魚のフォルムになっていたり魚の絵文字が使われていたりして、恋愛だけがメインとは見えないのではないかと思います。 これを、私がもっとも書きたかった「太鼓の達人の前で起きた出来事」の部分だけを切り取ってストレートに描写した詩として書くとします。それは、結婚したいのにできそうもない三十代女の悲しみが前面に出た痛々しい恋愛詩になると思われます(そんなのつまらないから書かないけれど)。読んで共感できる読み手は「いいね!」と言ってくれるかもしれない。でも、読んで心を動かされない読み手は、こう思うのではないでしょうか。 「これってよくある恋愛詩だよね。わかる、わかる」 この瞬間、私が書いた詩は、〈よくある恋愛詩〉という大きな物語に回収されてしまう。結婚できない三十代女の恋愛、という詩の内容すらなくなる。私は、それがどうしても嫌です(まあ、この場合はなくてもいいくらいの内容ですが)。〈よくある〇〇詩〉でしょ、と簡単にわかったつもりになられるのが嫌だ、と言い換えてもいいのですが。 人様の作品を読んでいて、これは〈よくある〇〇詩〉と言いたくなるものにときどき出合うことがあります。これは〈ポエム〉だな、とか。すると私は反射的に、まるで自分のことのように、「それでいいの? 私なら嫌だ!」と思ってしまいます。その「嫌だ!」が足枷になってそこから先へ進めなくなります。よって、そこが好きと嫌いを決する分かれ目、初読時の評価基準となるのです。 このようなとても個人的な基準をもとに、私は「僕の顔」という作品を、〈思春期特有の現象を書いた詩〉という大きな物語に回収されてしまう可能性があるような気がして、あまり好きにはなれない部分のある詩だなと判断しました。 ちなみに、私が言葉遊びや視覚詩ばかり書くのは、内容から〈よくある〇〇詩〉と言われるくらいなら、「こうだの詩は言葉遊びとか視覚詩ばかりでくだらない」と言われるほうがマシだと思うからです。読者(主に未来の私)をたのしませたいという気持ちと、大きな物語へ回収されないための抵抗という二つの意味があったりします。でも、書いている今の私がたのしいっていうのが一番大きいのだけれど。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

では、両作を読んだ私の感想を書きます。 まずは「僕の顔」から。 私が同作から読み取れたのは以下の通り。 【内容について】 ・話者は僕 ・医者からコンタクトを禁止され、ど近眼なのに嫌いという理由だけで眼鏡はかけない ・視界がぼんやりして相手の表情がわからないから平気で好きな子を見つめつづける。そのせいでその子が好きだとクラス中にバレても動じない(視界がぼんやりしていることに安心しきっているのかもしれない) ・他校の女子生徒に盗撮されるほどモテる ・両親の仲が悪い ・卒業した(中学のときに〜という記述があることから、卒業したのは高校) ・女子から遊びに誘われても応じたことがない ・卒業間際に体調を崩しがちになり痩せた ・「お前不細工になったな」「なんか可愛くなくなったね」という友人の言葉が引き金となり顔にコンプレックスを持つ ・イヤホンで音楽を聴きながら深夜までずっと鏡越しに自分の顔を見つめる ・昼まで寝て深夜のバイトをしてだらだらと暮らし、どうやったらもとの顔に戻るかばかり気にしている。顔が醜い、ということだけがどうでもよくない事象であり、それ以外のことはどうでもいい 【その他】 ・思考を一定の間途切らさず、一定時間息継ぎしないで書くような独特な文体 ・最終連でその文体の特徴が極まる 詩って、こんなふうに箇条書きにしてしまうとつまらなくなりますね。詩を冒涜するようなことをしてごめんなさい。でも、詩は詩という形を保っているから魅力があるんだってことが改めてわかったので、個人的にはよかったような気がしています。 これらの情報をもとに、私は「僕の顔」という作品を以下のように読みました。 「僕の顔」は、思春期にある話者が両親の不仲などの家庭の事情で精神的にも体調的にも不安定になり、その話者の姿を見た友人からの不用意な言葉で醜形恐怖のような状態に陥ったことを描いた作品。ど近眼なのに眼鏡をかけないから視界がぼんやりしているという表現が何度も出てくるが、鏡を近づけて見る自分の顔だけははっきりと見えているはずであり、自分の顔にとても執着していることが見て取れる。話者が最後まで顔を気にしつづけていることから、作品に描かれた執着心と作者の距離が非常に近い感じがする。これが作者の実体験ならば、作者は、もしかしたらこの感情を手放せていないのかもしれない。手放せたから書いた、というより、手放すために書いた、という印象。文体の、思考を一定の間途切らさず、一定時間息継ぎしないで書くような感じが個人的に好みで、それが極まった最終連の一文の長さがとてもよいと思う(ここに何か作者の想いが込められていそうだけれど、私にはわからない)。この文体を私は好きだけれど苦手な人はいるはずで、そういった読者には、そもそも読まれないかもしれないとも思う。 はい、残念なくらい、survofさんの意図が読み取れていないですね。ごめんなさい。 この感想から、私はこのように考えました。 同作に好意的な態度を取らない読者、文体が苦手、長さが苦手、描かれているものが苦手などの理由で、さらっと読んで終わらせるような読者がいたとして、その読者が「自分にはわからない」という感想を持つことが許せないタイプであった場合、「これって思春期特有の現象を書いた詩でしょ。わかる、わかる」と言うのではないか。同作は、〈思春期特有の現象を書いた詩〉という大きな物語に回収される可能性があるのではないか。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

花緒さんへ 出張、お疲れさまでした。いまさらですがお帰りなさい。 そもそも花緒さんと意見交換したくてコメントを書いたはずのに、いらっしゃる前にエネルギーを使い果たした愚か者は私です。いつにも増して思考がまとまらず時間ばかりかかりましたが、せっかく来ていただけたので、何か書かなければとやってきました。 それにしても、花緒さんの評価はまったく変わらなかったですね。笑。今作への評価が少しでも上がればいいな、と淡い期待を抱いていたのですが。でも私は、今作のほうがより好きなんだ!という主張ができた、それだけで満足していたりします。思っても、滅多に表明することはないので。 survofさんへ 書くのが遅くてごめんなさい。 ご許可をいただいたので、再びコメ欄を占拠します。よろしくお願いします。 またなにか気に触るようなこと言ったらごめんなさいね。先に謝ります。 では本題へ。花緒さんのご意見の(2)をまるごと引きます。 〈こうだたけみさんのおっしゃる、大きな物語、ですが、いわゆる「俗情との結託」とでもいうのでしょうか、すでに世の中に認知されている分かりやすいドラマ設定やありふれたパターンに依拠して作品が編まれているか否か、という意味だと受け取りました。〉 えーと、大きな物語は、たぶん「俗情との結託」ではないです。私の書き方が悪かったです(こんなのばっかり)。大きな物語に寄りかかりすぎると「俗情との結託」になりかねないとは思いますが。 たとえば、AさんとBさんが恋愛詩について話をしています。互いに恋愛詩=この作品という具体的に共有できるものがない場合、AさんとBさんはそれぞれ、恋愛詩とはこんな感じのもの、というイメージを思い浮かべながら話します。その、頭の中に思い浮かべているイメージの〈恋愛詩〉は〈大きな物語〉です。この漠然としたイメージは、自身が知っていて、かつ、会話する相手を含めた世間に認知されていると思われる作品の集積からできています。しかし、実在するものではありません。言ってみれば幻想です。 だから、大きな物語とは、ある言葉に付随する、誰もが想起するであろうイメージのこと、と言ったらいいのかも? ごめんなさい、自分で使ってるくせにきちんと定義できていなくて。こういう感じが、批評に向いていないと自覚はしております。 〈前述の通り、本作も、僕の顔も、そもそも、ストーリーや意味を読むものではないと思うので、設定云々は作品の本質からズレるような印象はあるのですが、〉 すみません、ここで意見を挟みます。 花緒さんは両作をきちんと読み込んで、作品の意図を汲み取って、そのうえで解釈なり批評なりをしようとしている人です。(1)でおっしゃることはわかります。花緒さんの選評も、survofさんご本人の意図まで読ませていただけたし(なんて幸福!)。 しかし残念なことに、私はそれより前の段階の、批評ってなに?というところで立ち止まっているような人間です。survofさんの作品を何作か読んで、好みの詩を書く人だなと思っているから両作を最後まで読んだし、こうして意見を言おうとしているから何度も読み返しました。けれど申し訳ないことに、私は作者の意図を読み取るところまでは至っていません。というか、解釈や(公に開けた)評価なんてできないですし、自分基準の好き嫌いの判断程度しかできそうにないです。 そしてさらに、この先で私が言及したいのは、両作に対して好意的な態度を取らない読み手について。さらっと読んで、あーこういうことねってわかったつもりになる読者についてだったりします。 〈設定がありふれているか否か、でいうと、私には本作の方がありふれたもののように思えます。僕の顔は、私の選評にも書かせて頂いた通り、草食系的な、その心理メカニズムが十分に言語化されていない、イマドキの若者が話者であった一方で、本作は、恋愛中の人間の心理という、より普遍性を感じさせる設定で作品が編まれているからです。私には本作の方が、大きな物語、に依拠しているように見えます。ただし、前述の通り、私は、設定を云々する必要はそこまでないかなとは思っているのですけれど。〉 私は、草食系という名を得たから広く認知されただけで性愛に積極的でない男性は昔からいたんじゃないかなと思うので、「僕の顔」の話者のどの部分を以って〈イマドキの若者〉と言うのかイマイチわからなかったのですが、(1)を読んで、それが花緒さんのおっしゃる〈読者自身の無意識を投射したかたちで見出す〉ということであり、これは花緒さん自身の投射ってことなのだなあと、納得できました。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-05

三月の自作の投稿欄にて宣言をしたので。 韻を踏んでいる詩です。 即興ゴルコンダ(仮)というサイトで、2014年10月21日にあまさらさん(百均さん)が出したお題「たまきはる」に書きました。 (たまきはる)

2018-04-02

三月の自作の投稿欄にて宣言をしたので。 起承転結のある詩です。 起承転転だろってつっこまれそうだけれど。 即興ゴルコンダ(仮)というサイトで、2014年9月11日に阿ト理恵さんが出したお題「PLANET NEWS LEVEL 7」に書きました。 朗読してます。 https://soundcloud.com/user850776306/planet-news-level-7 (PLANET NEWS LEVEL 7)

2018-04-02

花緒さん、いらしてくださってありがとうございます。 いま一生懸命コメントを書いているのだけれど、ぜんっぜんまとまらなくて困っています。 そうこうしているうちに治療日が。それから数日は抜け殻になるので、もう少し、お待ちください。 survofさん、コメント書いていいよって言ってくださってありがたいです。かなりご迷惑かなーと思っていたので。コメントがまとまったらまた来ます〜。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-04-02

まりもさんへ コメントありがとうございます。 ここに登場する魚の絵文字の形に見えたらいいなあと思って整えた詩行を、みなさんがいろんなものに見立ててくださって、書いた私もたのしませていただいています。まりもさんにはぎょぎょって音まで付けてもらって、きっと魚たちもよろこんでいます。 じつは最後の部分だけは明確な意味がありまして、メザシは目の部分を串刺しにされるから、絵文字の目=*を目指す、三角形をしているんです。 さて、読み手におもしろがってもらいたいから、言葉遊びやリズム遊びでゴテゴテに着飾って板(舞台)に上がる、だなんて調子のいいことを書きましたが、私には正反対の、完全武装して人前に出る、という意識もあったりします。 たとえばこの詩は、もっとも印象的な場面である「太鼓の達人の前で起きた出来事」だけを切り取って、絵文字などの余計なものを削ぎ落とし、写真的に書くこともできます。たぶん、読んでいてちょっと胸が痛むような恋愛詩ができると思われます。そんな写真的な詩として書いた場合、共感できる読み手は「いい詩ですね!」と言ってくれると思いますが、共感できない読み手は、どう思うでしょうか。 「ああ、よくある恋愛詩だよね。わかる、わかる」 この瞬間、私の書いた詩は私の書いた詩ではなくて、〈よくある恋愛詩〉に回収されてしまう。そういった、ほんとうにあるかどうかもわからない〈よくある恋愛詩〉に抵抗したくて、今回は、フォルムと絵文字の視覚的効果で武装をしているのです。 そうなると、今度は〈よくある視覚詩〉に回収される可能性が出てきますが、私は視覚詩が好きなので、そこに回収されるぶんにはよろこんで飛び込んでいきます。もう、何に抵抗したいんだかよくわからないですね。笑。 まりもさんのお義母さまは、周囲の人を気遣うことのできる、とてもすてきな方なんですね! 私は足元にも及びません。そんなふうになれたらいいのだけれど、たぶん私は顔ではにこやかに笑いながら、その裏で、全力で抗いつづけると思います。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-29

まりもさんへ コメントありがとうございます。 おもしろいと言っていただけてうれしいです。 「脳膜メンマ」を今、初めて知りました。グーグル先生に聞いてみたのですが、どうやら朗読パフォーマンスなども含めてひとつの作品になっているものみたいですね。その独演、気になります。 私は、こんなものはどうでもいいけどでもしゃべってすっきりしてしまいたい!みたいに思っているときには、このまくしたてるような書き方をするみたいです。こちらへ最初に投稿した自己紹介詩もそうでした。笑。どうでもいい、でもどうでもよくない。よくなくなくなくなくなくない?ってやつです。 (ケッコンしきますマスの語かつやくをネガってる)

2018-03-29

fiorinaさんへ わー! キュレーター引き受けたんですか? ステキ! どんな選評を出されるか、たのしみにしています。じつは私がキュレーターをお断りした最大の理由は体調の問題で、6月頃は人生初の手術かもって感じなので投稿できるかわからないけれど、fiorinaさんがどんなふうに立ち回られるのか、見守ってますね! るるりらさんへ 甘酸っぱい思い出を聞けてうれしいです! コメント書いてよかったーって思えました。いいなあ、ヘッセ嫌いの想い人。私の想い人は詩どころか小説すら読まないな。笑。ありがとうございます(*^_^*) survofさんへ 批評のはるか前段階の好き嫌いの話で騒いでごめんなさいね。好きな作品のこと、花緒さんが「これはちょっと……」って言ったんで、えーなんで!ってなって暴走してしまいました。 たぶんこれからもすぐあちこちで暴走すると思うので、もし見かけたら、どうどうってなだめてください。よろしくお願いします。 三浦さんへ 三浦さんの好きと私の好きはなんかちょっと違うような気がしていますが、味方が一人増えた!って、一応よろこんでおきます。 嘘です。笑。なんか、関わり方がお父さんっぽくていいなーって思いました。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-27

fiorinaさんへ とてもとても好意的に見てくださってありがとうございます。 花緒さんがコメント書いてくれたのかなー? もう出張から帰ってきたの? 意外と早かったな〜って見にきたら、なんと別の方! びっくり。 survofさんの最後のコメントを読んで気づいたのですが、私は〈私の個人的な好き嫌いを判断する評価の基準〉の話をしているつもりだったのに、survofさんは〈批評とはなにか〉っていう大きな話をしていたんですね。二人とも、まったく別の話をしていて、そりゃ平行線にもなるわーって思いました。 途中、なんでこんなに必死にコメント書いてるんだろ、めんどくさーいって思ったりもしたのですが、好きな詩を書く人に、なんかわからないけどすごく否定されたままでは悲しいなあと思って、しつこくコメント書いてよかったなあと思っています。twitterで、「平行線のままではつまらないので、また何かお話ししましょう」って言ったら、「ぜひ〜」ってsurvofさんに言ってもらえたし! あ、でも社交辞令だったらどうしよう。したらめっちゃ悲しい。 そうそう、キュレーター云々と書いてしまったのは、つい最近、投稿作全部読むならついでにキュレーターやりませんか?って花緒さんに声をかけていただいて、とてもじゃないけど無理ですとお断りしたからです。 好き嫌いとか、なんでそう思ったかみたいな感想程度のことは書けますが、survofさんのおっしゃる〈作者と読み手の間に「作品」の「意図」に関して一定の共有があってこそ成り立つ〉批評、なんて、私には無理です。そもそも十数年前の卒論で、論じるとはなんぞやっていう初歩の初歩で躓いて、できの悪いエッセイみたいなものを二万字書いて、これじゃ卒業させられないと宣う先生にそこをなんとか!って縋り付いて卒業したくらいなので。笑。 どんな選をするか見てみたいと、そう言っていただけただけで、とてもうれしいです。ありがとうございます(*^_^*) (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-26

survofさんへ 私の2回目のコメントの意味が伝わっていないと思って、何度も同じことを書いてしまいました。すみません。 最後にいただいたコメントは、私の主張をぜんぶ読んでから書いてくれたとわかったのでよかったと思ったし、ああ、survofさんはこういうことを言いたかったのね!って、やっと理解ができました。遅いですね。笑。 作品を読むのもコメントを書くのもむずかしいです。私はどうしても、最初に提示した評価基準で作品を判断してしまうので。うん、私にキュレーターなんて無理だわーって改めて思いました。 twitterと併せて、長々とお付き合いいただきありがとうございました。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-26

survofさんへ おお、やっぱり伝わっていないですね。 どう説明したらいいかしら。実存が見えるかどうか? うーん、そんな話をしているつもりはないのだけれど。 私の二作品の評価の分かれ目は、大きな物語に頼っているかどうか、です。 「思春期ってこういう悩み持ったりするよね、わかる!」という読者の共感が得られるのを少しだけ想定して書かれているように感じた「僕の顔」よりも、「これはないわー」と全否定される可能性もあるのに投稿された「自分勝手なロマンチスト」のほうが、潔くて好きだ、ということです。 極端な例を挙げます。たとえば、十代の若い人に流行る恋愛の歌とか、年齢を問わず流行る応援歌とか、多くの人が共感する歌の歌詞って、大道を外れない表現がされています。大道があるということは、すでに誰かが書いて道をつくっているということです。そういう、すでにある大きな物語に頼っている歌詞は、どんなに流行ったとしても、その作詞家でなくても書けるよなあと、私は思ってしまうのです。 もちろん、survofさんの作品はこんな極端なものではないですよ。これはあくまでも例です。 連続で読んだから二作品を比べたのだけれど、よりsurvofさんが書くからいい、と私が思えたのは、「自分勝手なロマンチスト」のほうです。 どうだろう、実存?の話じゃないですよね? これで伝わらなければ諦めます。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-25

survofさんへ 返信ありがとうございます。 実体験に基づく作品だということはちゃんとわかってますよ〜(^_^) 私は、〈大概の人が共感できるであろう既存の大きな物語をなぞったものではなくて〉、なおかつ、〈作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品〉を読みたいんですね。ちょっと書き方がよくなかったみたいです。 たしかに「僕の顔」は〈作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品〉ではあるけれど、思春期特有の事象という大きな物語に回収されてしまう、つまり、〈大概の人が共感できるであろう既存の大きな物語をなぞったもの〉に見えてしまう点で、あまり評価はできないなと個人的に思ってるのです。 対して「自分勝手なロマンチスト」は、〈大概の人が共感できるであろう既存の大きな物語をなぞったものではなくて〉、なおかつ、〈作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品〉だと思えたので、いいなと思ったのです。 うーん、伝わるかしら。 私、そもそも話すのが苦手なので、伝わるか自信がなくなってきた。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-25

本棚に挟まるの、やっぱり実体験ですか! 笑。いいですねー。私がやってた、他人から見ると奇行っぽいことってなんだろう。小学生の頃、そのへんの木に心の中で話しかけてたことかしら。笑。公園の隅に一本だけ生えてる柳の木とか気になって仕方なかったな。はっ! 木だけに? 親父ギャグ! 〈自分勝手なロマンチスト〉が彼女のことも指す、というのは、読み返してみたけれどあんまりわからなかったです。もっと彼女についての描写があればわかるのかもしれないけれど、この作品に書かれているのはほとんど僕のことだけなので。 ところで、花緒さんのコメントを読んだら、「自分勝手なロマンチスト」より「僕の顔」のほうがいいというようなことが書いてあって、私とは真逆の評価で笑ってしまいました。そこで、ちょっと長くなりますが、両作に対する私の評価を書かせてもらいますね。 私、じつは「僕の顔」はあまり好きではなくて票も入れなかったのだけど(ごめんなさいね)、同作は、作者と感情の距離が近すぎるのと、ありきたりな大きな物語(この場合は思春期特有の事象)に回収されたがっている感じがどうも苦手でした。それでsurvofさんにしつこくコメントを書いたのだけど、survofさんが私への返信で〈私の思春期にはそんなゆとりなどまったくありませんでしたね。。〉と書かれた時に、あ、やっぱりこれは苦手だなって確信したんです。文体は、とてもとても好きなのだけれど。 私は、大概の人が共感できるであろう既存の大きな物語をなぞったものではなくて、作者の生を通して借り物でない言葉で書かれた、小さくても作者自身の物語のある作品を読みたいと思っていて、「僕の顔」は、思春期特有の事象=大きな物語に回収されるという点において、その基準からは外れる作品でした。 対して「自分勝手なロマンチスト」は、一見、恋愛というありきたりな大きな物語を書いているように見えますが、恋愛模様や恋愛感情を書いているというよりは、〈彼女〉と〈僕〉という独立した人間同士の固有の関係性や、僕の人間性に焦点を当てて書こうとしているところがよいと思いました。最後の連で、読者の意識を果物のほうへ外してみせたところも高評価です。〈彼女と僕の恋愛〉という大きな物語を書ききるには短すぎるでしょうが、〈彼女と僕の、この時の関係〉を切り取って提示したというふうに見ると、彼女の言葉から引いてきた〈自分勝手なロマンチスト〉というタイトルが効いてくると思います。 さてさて、私はこんなふうに読みましたがいかがでしょうか。花緒さん、出張から戻ってきたら、何かご意見くれないかしら? survofさん、コメント欄を長々と占拠してしまい、失礼いたしました。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-25

おお、読んでくれるとは思わなかったのでびっくりです。ありがとうございます。書いたのは大学三年生の時ですが、詩ではないものに挑戦したくて書いた記憶があります。つづかなかったけれど。 ハルキストでなく村上主義者! 本当に好きなんですねえ。私は安部公房が好きなのですが、訃報を聞いて、新しい作品が読めないならいっそ私が代わりに書く!って思い詰めた時期がありました(大爆笑)。 (相対化する宗教の欠片~まがいもの~)

2018-03-22

わーこれいいなーって思いました。 タイトル、kaz.さんとるるりらさんには評判がよくないみたいですが(笑)、私はいいと思いますよ。彼女の言葉が、タイトルにしたいくらい心に残ってたんだなって思うから。 それにしても、本棚に挟まるっていうのがいいですね。冷静になって客観的に見たら、うわ、俺なにやってんだろって思うだろうに、たぶん、たびたびやってるんだろうなっていう感じが、ちょっと笑ってしまうくらい、とてもいいです。 それから、最後の〈そういえば、〜〉という連があるのとないのとではぜんぜん違いますね。これがないと、なんか恥ずかし〜ってなったまま終わってしまうので。 うん、とてもよかったです。三月の投稿作をアーカイブで上から読んでいるのですが、いいもの読んだ!って思えました。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-21

共有する知識が少なすぎてほとんどが像を結ばなかった、というか、よくわからなかったのですが、冒頭の〈いけぶ黒い赤坂〉の黒だけど赤という色のイメージと、〈反響を聞きたかったのに/絶望を訊いてしまっていた〉という行が頭の中で反響するような気がして好みでした。それと、〈砂の女に対するオマージュ】〉というのは安部公房ですかね。 全体的に、放送が終わってしまった深夜のテレビの砂嵐を眺めているようで、何かが映りそうだけれど映らない、でもじっと見てると何かに見えてくる、みたいな感じでたのしみました。読むたびに見えるものが違うがしれない。 (entre chien et loup)

2018-03-21

ユーカラ(でこちん)さん、はじめまして。 コメントありがとうございます。 ストレートに受け取ったうえで、面白い、楽しいと言っていただけてとてもうれしいです。 ユーカラさんは〈感覚だけで書いている〉とのことですから、なにやら理屈っぽく考えてネチネチと書く私とは違うタイプの書き手だと思うのですが、よく、100人の書き手がいれば100人それぞれの書き方があるなんていいますけれど、どれがいいとか悪いとかということはないと思うのです。みんな違ってみんないいってやつです。 ただ私の場合、言葉遊びや視覚詩などの奇を衒っているような作品が多いので、ついつい、「えーと、こうするのには理由があってだな……」と言いたくなってしまうのでした。 詩の中でのびのびと、跳んで走って踊れたら、なにより素敵なことですね。 (ケッコンしきますマスの語かつやくをネガってる)

2018-03-21

三浦さん、こんにちは。 初コメです。 この内容であれば、もう少しボリュームがあってもいいのかなと思いました。少し軽すぎる感じ。重すぎてもよくないけれど。 読んでいて、なにか既視感があるなあと思っていて、コメントを読んでわかりました。春樹の『1Q84』だ。『1Q84』は一回しか読んでいない(というか春樹は基本一回しか読まない)のだけれど、もう一回読んでみようかなと思いました。 私も昔々、宗教めいたものを書いたことがあって、書くことを志すある種の人が、一度は通過するものなのかも、などと思っております。 私が書いたのは平成15年だそうです。散文ですが、もしご興味があれば、ご笑覧くださいな。 https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=308966 (相対化する宗教の欠片~まがいもの~)

2018-03-21

百均@B-REVIEW ON/さんへ コメントありがとうございます。 〈なに書いてあんのかわかんねぇ〉くらいに言葉で遊び倒そうとしている作品なので、その感想は、作者の期待通りです。うれしい。 負の感情をユーモアや笑いに昇華できたなら、いま書いている私もうれしいし、未来の私という一人の大切な読者もうれしいはず、というのを大前提に書いています。 三月に投稿したもう一篇「踏み止まるメザシ(千葉県産)」でのコメントで長々と書いていますが、私は詩を、未来の自分をよろこばすために書いております。まあ、詳しくはそちらのコメント欄に譲りますね。何度も同じこと書くのもなんだし。 読んでいただきありがとうございました。 「耳男よ。ごらん! あすこに、ほら! キリキリ舞いをしはじめた人がいてよ。ほら、キリキリと舞っていてよ。お日さまがまぶしいように。お日さまに酔ったよう」 (坂口安吾「夜長姫と耳男」より) (ケッコンしきますマスの語かつやくをネガってる)

2018-03-20

竜野欠伸さんへ はじめまして。コメントありがとうございます。 竜野さんの気になる何かがあったようでうれしいです。 ペンシルの形状は想定していなかったので、新しい発見! すてきですね。〈泳ぐことができる鉛筆〉だなんて、それで一篇書けてしまいそう。 他にはどんな形に見えるかしらとしばらく考えてみたのですが……、魚雷? あ、まずい。何か不穏なものに見えてきた。 竜野さんのようにすてきなものに見えてきたらいいのになあと思う、一応作者である人間からのコメントでした。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-20

右肩ヒサシさんへ はじめまして。コメントありがとうございます。 おお、どんな風に詩を書いているのかぶっちゃけてしまってよかったです。未来の作者込みで面白がっていただけたなんてうれしいです。読者になったときは、作品との相性って重要ですよね。 〈モノから作者が離れないのが良い〉と評価していただいたのですが、それなら一月に投稿した「魚とバナナとラクダの話」なんかはお好きじゃないかもしれないですね。あれはあらゆるものをモノ化して、作者から離そうとしているので。 作風の根底にあるものはほぼ変わりませんが、表現方法はたくさん持っていたいです。こんな感じのも書くんだ!という驚きを届けられたらいいなと思っております。もちろん、未来の自分へ。 そして読んでくださった方々には、試行錯誤に悪戦苦闘する作者の姿を笑っていただけたらと思っております。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-20

誰にともなく追伸。 大事なことを書き忘れました。 私は詩を、未来の自分のために書いています。では、なぜこういう場に投稿するのかというと、たとえば私が安部公房の小説に感化されるように、貘さん(山之口貘)の詩に共感するように、野田秀樹の戯曲に大笑い&大泣きするように、もしかしたら、私のような人間が書いた詩でも、読んで何かしら心を動かしてくれる人がいるかもしれない。そのいるかどうかもわからない人に届いたらいいなという想いから、人目に触れる場所への投稿をしています。 言葉遊びとか視覚詩とか、人によっては大嫌いとおっしゃるようなことをやってはおりますが、けっして「わかるやつだけわかればいい」という上から目線な気持ちはございません。そういうものが好みでない方には、こんな詩もあんな詩も書いてますと手を替え品を替え提示したい。それでもだめならごめんなさい、相性が悪いようですと諦めますが。 そんなわけで、四月の投稿作は、起承転結がある詩と韻を踏んでいる詩に決めました。即興ゴルコンダ(仮)投稿作130篇くらいの中から選びますので、ゴルでおなじみの方は、こうだがなに持ってくるかたのしみにお待ちくださいね。それ以外の方も、どんな詩で勝負を挑むか(誰に挑むかって自分にです)、見てくださるとうれしいです。 よし、言いたいことは言ったな。うん。 そもそもこういうこと書くこうだが嫌いだという方には、申し訳ないのですが替わりに提示できるこうだは存在いたしませんので、ごめんなさいと謝ります。ホントごめんなさい。 ここに長々とコメントを書いていて、&の半角が表示されないことに気がつきました。よーし、気をつけようっと。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-15

三浦⌘∂admin∂⌘果実さんへ コメントありがとうござます。 「こうだたけみ論」ですか。笑。ずいぶんと持ち上げていただきありがとうござます。本当に書いていただけたなら泣いてよろこびます(すでに泣いている)。 私の詩の印象を、これまでに何人かが言葉にしてくれているのですが、その中でもっとも好きな表現は、「笑いながら線路に飛び込んでいく感じ」です! 狂気。そして笑い大事! そうか娘さん26歳ですかー。お子さんがいらっしゃるのはなんとなく存じ上げておりましたが、意外と大きかった! 私の親は私の書くものを読んでくれないくれなかったので、生活はだらしないけどまあまあ頼りになる長女だと思っているんじゃないでしょうか、おそらく。あ、でも父には、電車に飛び込むより海に身を投げたほうが遺族にお金がかからないらしいよって言われたことあるな。笑! (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-15

survofさんへ コメントありがとうございます。 私はタイトルも作品の一部だと思っているので、最後まで読んでからまたタイトルに戻っていただけたのがうれしいです。 身体は蝕まれておりますが、精神は元気であります( ̄^ ̄)ゞ (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-15

花緒さんへ コメントありがとうござます。 フォルムから褒めていただけてうれしいです。私、見た目重視ですから(違)。 おもしろさの仕掛けは詰め込めるだけ詰め込みたいですねー。 かわいい絵文字でおびき寄せ、読んでみたならエグかった。でもタイトルに戻ると〈踏み止まる〉を目指したいと意思表示がしてあったりして。さて、この詩における作者の気持ちはと問われたならば、「ね、ね、これおもしろいでしょ?」ですかね。笑。 私は主に自分のことについての詩を書きますが、素の私自身はこれっぽっちもおもしろくないと思っているので、切り取り(写真的)、デフォルメ(演劇的)、そして言葉遊びとリズム遊びでゴテゴテに着飾って板(舞台)に上がりたいと思っております。つまり、詩は舞台。なんちゃって。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-14

原口昇平さんへ 〈勉強しておいでください〉という言葉、私にもザックリと刺さりました。笑。 批評ってむずかしいです。ビーレビはライトレスもOKだからなんとか参加できていますが……。 原口さんの評を読んで勉強させていただきたいと思っておりますので、また私の詩にもコメントいただけるとうれしいです。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-14

藤 峰夫さんへ はじめまして。コメントありがとうござます。 いただいたコメントを読んで、この作品は「藤さんにとっての詩」には当てはまらないことはよくわかりました。 それもそのはずで、なぜなら、私はそもそも詩で〈自分の気持ちを伝えたい〉などとは思っていないからです。 私が何のために詩を書くかというと、未来の自分をよろこばすためです。未来の自分が今の私の書いた詩を読んで、思わず吹き出したり、こんなの書いたんだすごい!と思ったりするような詩が書きたい。そこには、はっきりそれとわかるような〈伝えたい気持ち〉などはありません。 気持ちを伝えたいのなら、それをそのままメッセージとしてストレートに書けばいいだけで、わざわざ詩にする必要はないんじゃないかなあと思ったりするのですが、どうなんでしょうか? それと、藤さんのコメントの前半部分は、社町 迅さんの「喧嘩の夢」に書かれたコメントのコピペですね。詩を書く人は言葉を大事にする人だと思うのですが、コピペでコメントを書く行為からは、残念ながら言葉に対する誠意を感じられませんでした。他の方には、どうかそんなコメントの書き方をしないでください。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-14

仲程さんへ コメントありがとうござます。 お、泣いちゃいそうですか? いいんですよ泣いても。ハンカチ用意しときますね。笑。 心を動かしてくださったようでうれしいです。ありがとうござます。 大人計画の松尾スズキが「キレイ」という芝居の劇中歌で〈人間とは多面体であって〉という歌詞を書いているのですが、私も一応それなりに多面体であって、切り取る場所を限定すると、なんと、不幸な女にもなれるらしいです。そんなわけで、三月の投稿作は二篇セットで哀れな女バージョンで攻めてみました。 絵文字は雰囲気を和らげるために入れてみたのですが、目が*でかわいかったので、タイトルまでメザシになってます。〈さびしい〉は想定外だったのですが、それもありだなあと思いました。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-13

三浦さん! わー修正ありがとうございます。 わざわざ依頼をするのも申し訳ないなあと思って、お声をかけずにおりました。 絵文字はどこかで、反映されるかどうかテストしてからでないとダメですね。次からは気をつけます。お気遣いに感謝します。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-13

魚の絵文字修正版 踏み止まるメザシ(千葉県産) 五十番で買った肉まん半分こして 食べながら神楽坂ふらふら登って たどり着いた龍朋で生姜ラーメン とチャーハンをほおばるデートが したいという妄想に取り憑かれて いる。付き合ってくれる人は誰か しらいるけれど肝心の私の身体が 付き合いきれないのだから嘔吐感 と嘔吐間の朦朧としてる誇大広告       右の乳房に私が不在       でも愛されますか? 仕事復帰を一日延ばしてもらって 今日は〈ずいぶん寝てしまった〉 とラインしたら〈もう二〇二〇年 ですよ〉と返ってきたので〈二年 も寝てたら死んでるな〉って送信 したなら〈生きてるのが不思議な くらい〉だってそうなんだ不思議 なんだよ五年生存率は95.4%で 一年振りのあなたどんな顔したの あらそんな顔してたの魚みたいね       >* ))))><          >* ))))>< ゲーセンの入り口の太鼓の達人に 相性100%!結婚しちゃいなよっ て言われた私は必要以上に笑って いて隣には表情筋がないみたいな あなた。今年で十五年が経とうと いうのに阻む壁は職と病の二枚に 増えて、もうどうでもいいと思い 始めたのはかれこれ五年も前なの だからすでに根が深いし掘り返せ ない埋めてしまえ埋もれてしまえ キライなやつをタヒタヒタヒタヒ いっそ自分がタヒれって言いたい  したらきっと簡単にタヒぬ?      >* ))))>< 三番線を特急電車がツウカします ハクセンの内側でお待ちください          >* ))))><    死んだ魚の目してた     目刺すはどこだ      どまんなか        * (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-12

残念、魚の絵文字が表示されなかった。 (踏み止まるメザシ(千葉県産))

2018-03-12

藤一紀さん、コメントありがとうございます。 この詩は、一方的に自分の主張だけまくし立ててあっという間に終わるという形をとりたかったので、改行詩を入れたり行間を使ったりすることはあえてしませんでした。それが単調さにつながったのなら、ちょっと失敗だったかもしれませんね。 社町さんのコメントにも書きましたが、これは自分の恋愛がうまくいかなくて幸せそうな他人に抱いた妬みみたいな感情を増幅することで成り立っていて、〈恋愛がうまくいかなくて不満〉から〈幸せそうなやつみんなムカつく〉になり〈ネガキャン張ってる自分めっちゃイヤ〉からの〈もう破れかぶれ〉に至るまでの、ほんの一瞬の感情の変化を引き延ばして書いています。 こういう負の感情はあまり見たくもないのだけれど、いっそクローズアップしたら滑稽になるかもね、という試みでした。 綺麗に着地しすぎているのは、着地ぐらいはせめてという気持ちが働いたのかもしれません。 (ケッコンしきますマスの語かつやくをネガってる)

2018-03-11

社町 迅さん、コメントありがとうございます。 お返事が遅くなりましてすみません。 ええと、ネガティブキャンペーンだけで展開していく内容なので、声に出して読んだりしたら、社町さんが汚れてしまわないかとてもとても心配です。決しておすすめはいたしません。 これは「東京タラレバ娘」というドラマにハマっていた頃に書いたもので、自分の恋愛がうまくいかなくて幸せそうな他人に抱いてしまう妬み、みたいな感情を、思いっきり増幅して言葉遊びでゴテゴテにして書きなぐったらちょっとは笑えるんじゃない?ってな感じでやらかしました。 一般的に、詩には美しい光景が描かれることが好まれるのかもしれませんが、私は、滑稽な人間の姿を描けたらいいなと思っていて。 ちょっと詩から離れてしまいますが、私は演劇が好きです。演劇ならなんでも好きかというとそうではなくて、大人計画とかNODAMAPとか劇団☆新感線とかカクスコとか、小劇場出で、笑いとシリアスさとが混ざったようなのが好きなんですよね。たぶん、私が詩で目指しているのはその辺りで、なんかよくわかんないけど笑っちゃうねって言われるのが理想なのだと思います。 そんなわけで、清々しいと言っていただけて少しほっとしました。ありがとうございます。 (ケッコンしきますマスの語かつやくをネガってる)

2018-03-11

社町 迅さんへ コメントありがとうございます。 〈この詩の語り手に歌われてしまってるよう〉だと書いてくださったのですが、一月に投稿した「春とバナナとシーラカンスの速さ」にも、桐ヶ谷忍さんが〈私が常日頃かなしんでいることを代弁して下さっているよう〉だと書いてくださっていて、お二人はものすごく感受性が豊かなんだなあ、すごいなあと関心しきりです。その対象になれて、とてもありがたいと思っております。 もうかれこれ10年以上テレビのない生活をしていますが、テレビがあると、番組ではなくCMを探して延々とザッピングするくらいのCM好きなので、〈「いいちこ」のCMみたい〉と言われて非常にうれしいです! CMって、15秒とかの短い時間の中にものすごく情報が詰まっていて、人の目を惹く方法があれこれ試されていて、すごいんです。よくできた広告なんかもそう! ただ、私は、情報伝達機能が強すぎる詩より、短編アニメみたいに意味はわかんないけどなんか中毒性があるよね、みたいな詩を書きたいと、ひそかに(隠れてない?)思っていたりします。 (現代のしまうま)

2018-03-01

kaz.さんへ コメントありがとうございます。 こちらでははじめましてですね。 おもしろいと言っていただけてうれしいです(*^^*) 私の中では、おもしろいというのは最高ランクの褒め言葉だったりするので。 そうですねえ、30代半ばのいま書いたのなら時間的な経過とも読めますが、18で書いているので、思考が継続しているというのが一番しっくりきますね。 そういえば最近ゴルにいらっしゃらないですねー。また遊びに来てくださいねー。待ってまーす。 (現代のしまうま)

2018-03-01

花緒さんへ コメントありがとうございます。 真似させてもらっちゃいました! これは処女作というよりは、これが処女作だったらいいのにな〜という作品でしょうかね。 〈華美な言葉遣いに走っていないことが、好印象に繋がっているなと思いました〉という指摘に、華美な言葉遣い(私の場合は平易な言葉で書くけれど言葉遊びやらリズム遊びやらでゴテゴテな華美さ)が好きですみません、という気持ちです。原口さんへのコメントにも書いたのですが、「リズム遊びや言葉遊びがやりたかったらためらわない」ことが作風の一要素なので、残念ながらやりたくなっちゃったら気が済むまでやらかすと思います。自分でも止められない。笑。 そうそう、私は詩を「未来の自分をよろこばすために」書いていて、私の書くものは「自由詩」だと思っています。 自由って、何をやってもいいよーということではなくて、外枠があって、そこからギリギリはみ出すかはみ出さないかみたいなところで思い切り遊ぶことだと思うんですよね。私の思う作風とは、自分の詩を規定するものであり、この自由の外枠なんです。 「リズム遊びや言葉遊びがやりたかったらためらわない」「普段使う平易な言葉で書き、背景に大きな物語のある言葉は使わない、または寄りかかりすぎない」「既存の詩(近・現代詩のような硬いものだけでなく中二病やビジュアル系、お花畑や居酒屋系などのポエムも含む)のイメージの上書きにしか思えない詩は書かない」などが私の詩の外枠。その中で全力で遊ぶ姿を見せて、未来の自分によろこんでもらうというのが、私が詩を書く目的です。そしてそんな必死な姿を見て滑稽だねーとおもしろがってくれる人がいたらうれしいなあというのが、私が詩を人目にさらす理由だったりします。 いつだか身近な人間に、「わかるやつだけわかればいいと思ってる? 上から目線な詩」と言われたことがあるのですが、本人としては、万が一受けたら儲けもん、とにかく全力を尽くすのみ!と謙虚な気持ちでやっているつもりなんです、これでも。 おお、なんか話が脱線してしまった。何を言いたかったかというと、〈軽妙なユーモア〉があると言われて小躍りするほど嬉しい反面、いつもの言葉遊び全開なやつはやっぱりダメかーという気持ちになったのでした。 (現代のしまうま)

2018-03-01

藤一紀さんへ 私好みのコメントをありがとうございます。 ひとつ「しまう間」にひとつ忘れて、「しまう魔」にとりつかれた作中人物は、永遠にも思えるしましまの前で途方に暮れているようです。 一方、筆者は、即興ゴルコンダ(仮)というサイトのお題で「よこしまなきみとさかしまなぼく」というのを出したことがあるほどの「しま」好きです。残念ながら物をしまうのは苦手で、永遠に片付かない汚部屋の真ん中で途方に暮れておりますが。 (現代のしまうま)

2018-03-01

原口昇平さんへ コメントありがとうございます。 とても丁寧に読んでくださったようで恐縮です。思わず、ありがとうございますと実際に頭を下げました。 この詩は、大学に入ってすぐ所属した文芸系サークルで、初めて機関誌に載せてもらった時の一篇です。それまでは、自分と同じように詩を書く友人一人にこっそり見せていただけだったので、リソで印刷した手作り雑誌ではあるけれど活字になったことがとてもうれしかったのを覚えています。 ◎リズムについて 最初に、これは自分の作風が決まった一篇だと紹介したのですが、「リズム遊びや言葉遊びがやりたかったらためらわない」ことも作風の一要素だったりします。ただ、ピアノを少しかじっただけで音楽には疎いので、演劇の経験をもとに、声に出して自分で心地よいと思うリズムへ整えるようにしています。 ですから、原口さんに心地よいと言っていただけてうれしかったです。 ◎「ある」「しまった」と書かれたものについて ご指摘の通り、これらはかつて持っていたけれど今はどこにあるかわからないものや、所有したことはないけれど憧れていたものなどの羅列です。中でも思い入れがあるのは〈コンクリートに足跡あるし〉の部分。建て替える前の母の実家の玄関の壁、背の低い子供の目線でしか気づかない下のほうに猫の足跡がついていたこと。その光景は私の心の中にずっとありつづけると思っています。私という人間は、そういった「今はないけれど心の中にあるもの」の集積という一側面があるのかもしれないと思いました。 (現代のしまうま)

2018-03-01

るるりらさんへ コメントありがとうございます。 禅にはそんなメソッドがあるんですね。勉強になりました。 このコメントを見て急に思い出したことがあります。学生の頃は嫌なことがあると泣きながら頭の中で数をかぞえるという妙なクセがあって、ケータイでその声を録音して聞いてみたら数字がとびとびで、さっきまで泣いていたのに笑ってしまったというどうでもいい思い出ですが。あの録音を聞いてからやらなくなったかもしれないなあ。 逆に機嫌のいいときは、頭の中で言葉の連想ゲームを延々としている学生でした。なぜか紙に書くとうまくできなかったんですよねえ。 余談について。るるりらさんの牛の絵がみられる日をたのしみにしています。私は大きな動物が大好きなので、牛もしまうまもキリンも好きです。ナンバーワンは象。それから、シーラカンスとかリュウグウノツカイとかの深海生物も好きです。好きなものを詩の中にうまく取り込めると、とても幸せな気持ちになります。 (現代のしまうま)

2018-03-01

二月、一枠残っているのに二日じゃ新作は書けそうにないので、花緒さんの真似をして初期作品を投稿します。 小学四年生から書いていれば、いかにも小学生らしいものから中二病っぽいものやらビジュアル系っぽいものまでいろいろと書いてきたのだけれど、大学一年生、18のときに作風が決まった一篇です。もう15年以上前だ。笑。 (現代のしまうま)

2018-02-27

社町 迅さんへ コメントありがとうございます。 〈初めて見る詩の形〉というのは詩行全体でつくられたフォルム、見た目のことでしょうか? そうであれば、この詩は本来縦書き用に書かれたもので、中央にぽっかり穴が開く形状にしてあります。父の遺骨は納骨堂の、ロッカーみたいな小さな扉に収まっていて、それをイメージした形でもあったりします。 それと、〈死に対してポップな飾り付けをしているような表現〉と書いてくださったのですが、私の詩は常に、言葉遊びやらリズム遊びやらでゴテゴテに飾り付けがしてあります。なので、いつもと変わず書いた=生活の延長として書いた、となるのです。 一般的な日常を描いたわけではなくて、私にとっての日常を目指していました。ごめんなさい、ずいぶんと説明不足でしたね。 (四駆スカンクラップアドロッカー)

2018-02-24

はじめまして。 最後の新聞の上から鼻をつまむ描写がとても好きです。 自由がない、気がつかなかったです。たのしい! (電気に縛られて)

2018-02-23

survofさん、コメントありがとうございます。人が亡くなったというのに嘆き悲しむでもなく、言葉遊びだらけでふざけているように見える詩にはコメントしづらかったですよね(笑)。スミマセン。 まあでも、これが私の弔いの形なので。めちゃめちゃ泣いたりもしたけれど、笑って見送りたかったんです。どうしたって私はいき詩ているし。生活しているし。毎日のように生ゴミだって出るし! そして朗読まで聞いてくださってありがとうございます。私は基本的にお経読み(?)です。主にリズムに乗ったものを読みたくなるようです。感情みたいな余計な肉付けは好きではないけれど、つけるならとことんやります、元演劇部なので(どうでもいい情報)。 (四駆スカンクラップアドロッカー)

2018-02-23

こんばんは。ご気分を害されなかったようでよかったです。 顔に関して。そうですねえ、「人は人を特に最初は外見でしか判断できない」のはおっしゃる通りだと思います。でも、外見=顔なのかしら? その人全体が醸し出す雰囲気、清潔かどうか、どんな表情をしているかなど、パッと見て得られた情報を総合的に見て判断するのであって、顔の造作は、その中の一要素でしかない、というのが私の意見ですかね。 不細工だってどうしても魅力的な人はいるし、綺麗な顔をしていたって好きになれない人はいるし。やっぱり、私は顔なんてどうでもいいなあと思うので、このテーマで書くことはたぶんないのだろうなと思います。 P.S.安部公房の「他人の顔」という小説があるけれど、あの主人公のように事故などで原型をとどめないほど顔が変わってしまったとしたら、私も顔について少しは考えるかもしれません。 (僕の顔)

2018-02-23

宮田さん、はじめまして。 インテリヤクザという単語を見た瞬間に、将棋の菅井竜也先生を思い出してしまいました。作品とまったく関係がないコメントでごめんなさい。 (約十年)

2018-02-21

survofさん、こんにちは。 そうか、この書き方は「だらだら書く」と捉えられるのか、と、他の方のコメントを読んで思いました。 こういう書き方は好きで私もよく使うのですが、書いている側としては、思考を一定の間途切らさずに書く、とか、一定時間息継ぎしないで書く、といった意識だったので、読み手側との認識のずれにちょっとばかり驚きました。 ごくごく私的な感想を述べますと、顔ってそんなに大事かなあ、です。私は常にノーメイクなのですが、鏡を見なければどんな顔しているか自分ではわからないし、他人からどう見えているかなんてどうでもいい、と思っていて、そういう意味では共感する部分はないように思います。 それなのになぜコメントを書いたかというと、この書き方が好きだと表明したかったからです。うん、なんかうまく伝わるか自信がないけれど。 (僕の顔)

2018-02-21

あ、いつもと変わらない、です。 (四駆スカンクラップアドロッカー)

2018-02-21

朗読音源 https://soundcloud.com/user850776306/an8fc0ln6g2p 私にとっての父の死は生活から地続きで、美化するようなものでもなくてただただそこにあるものでした。だからいつもとからない調子で書いているし読んでいます。 (四駆スカンクラップアドロッカー)

2018-02-21

百均さんへ わーい、朝の4時マジックに感謝! 百均さんに久しぶりに手放しで褒められたー。 この詩はシーラカンスの表紙の手作り詩集には入れておりません。あれは即興ゴルコンダ(仮)に投稿したのをまとめたゴル詩集だったので。たしか阿ト理恵さんとの連詩のフリーペーパーには載せたような気がします。 昔からシーラカンス好きなんですよ。赤坂サカスに冷凍シーラカンスが来た時、観に行きましたもん。いつか沼津港深海水族館に行ってみたいです。あとリュウグウノツカイも好き。というか深海生物が好きだ! (春とバナナとシーラカンスの速さ)

2018-02-03

百均さんへ コメントありがとうございます。 ぐるんぐるん酔いますか。笑。レス出来ないと二回も書くくらいだから相当困ったんだろうなあ。たのしい(にやり)。 survofさんもよいと言ってくださった独逸語の先生の話は自分でも気に入っています。先生から首がおかしいのかと言われた時は、無自覚だったのでただただびっくりしたけれど。不真面目な学生と思われていたのかしら。 何の話か整理をつけたいとのことなので1つだけ説明を。タイトルが「魚とバナナとラクダの話」になっていますが、魚もラクダも男性です。その間でフラフラしている女性の話を書いたつもりなのでした。 まあでも、どうぞ好きに読んでください。 ネット詩は作者と直接作品について話せる場合が多いので、作者の意図を伺うような場面も見受けられます。けれど私は、作品は読者に手渡されたら読者のものだと言ってもいいくらいだと思っているので、どう読むかは、その読者の自由だと思います。さすがに見当違いのことで批判されたりすれば反論するけれど、「こんなふうに読みました」を否定することはしません。 というわけで、自由に解釈してもらえたらうれしいです。 (魚とバナナとラクダの話)

2018-02-03

逸々いつかさんへ コメントありがとうございます。 あ、爪伸びてる。なーんか靴下すぐダメになると思ってたらこれかー。あとにするとめんどくさくなるから今、切っちゃお。パチパチ。ずり落ちてきたメガネを上げようとした瞬間、あ、おふろ上がってからにすればよかったって軽く後悔するくらいの生臭さ。 (魚とバナナとラクダの話)

2018-01-19

アラメルモさんへ コメントありがとうございます。 アラメルモさんの記憶に残っていたなんてうれしいです。もしかして、現代詩フォーラムに載せてあるのを読んでくださったのでしょうか。 今月投稿した二作はどちらも過去作で、現フォにはそれぞれ2012年と2014年にアップしています。たしかビーレビューは他で公開していても投稿可能だったはずなので投稿しました。 この二作は私の中では続き物で、「実際の出来事にフィクションを混ぜることで作品化する」という同じ目的のもとに書かれています。 ご指摘のあった異化効果について少し考えてみたのですが、たぶん私が書いていていちばん異化されたいのは、作者である自分自身なのだと思います。 小説なら、作者が自身の体験をもとに書いていたとしても、読者にはあくまでフィクションとしてたのしまれる。けれど詩は、作者の固有の体験が多く含まれるほどに、作者そのものを表現しているかのように取られる。一人称のままで、作者から離れたところで成り立つ詩を書くにはどうしたらいいか。試行錯誤した結果が「体験にフィクションを混ぜる」という行為なのかな、と思い至りました。 ここ最近はずっと、言葉遊びを多用することでそれを実現しようとしていた気がするのですが、もう一度フィクションという形に向き合いたいと思い始めています。 それから、「〜をして」という接続詞が気になるという指摘にはびっくりしました。私の書き癖なのかもしれません。魚について言及するときだけ使っていたつもりなのですが、赤ペン持ってきてチェック入れなきゃと思いました。妙な書き癖がついたら困ります。助けて、赤ペン先生! (魚とバナナとラクダの話)

2018-01-18

桐ヶ谷忍さんへ コメントありがとうございます。 共感してくださったようでうれしいです。 そして、桐ヶ谷さんが朝から上機嫌になる手助けができたことが、とてもとてもうれしいです。 〈ある種の冷めた見方〉に関しましては、友人から飄々としていると言われるので私の性格なのだろうと思います。妹には「あんた冷たすぎる!」と罵られるのでほどほどにしないといけないのだろうなとは思っています。自覚は、ないといえばないし、あるといえばある。 (春とバナナとシーラカンスの速さ)

2018-01-17

survofさんへ コメントありがとうございます。 とくに雨に濡れた花びらを見ると、魚の鱗みたいだなあと思います。 春になって桜が咲いたら、ちょっと想像してみるとおもしろいんじゃないかなと思います。 (春とバナナとシーラカンスの速さ)

2018-01-17

5or6(ゴロちゃん。)さんへ コメントありがとうございます。 残念ながら中の人は芳根京子さんには程遠い見た目でございますが、作中人物を可愛いと感じていただけたのはうれしいです。 5or6(ゴロちゃん。)さんにとってちょうどよいタイミングで投稿できたこともうれしいです。 (春とバナナとシーラカンスの速さ)

2018-01-17

survofさんへ コメントありがとうございます。 なんだか手放しで褒められて面喰らいました。嘘です。素直にうれしいです。 これを書いていた当時(ネットに上げたのは2012年だけれどおそらく2010年頃)は、安部公房からシュールレアリズムへ興味が移行して、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』や『溶ける魚』をわからないながらも必死に読んでいたように思います。「実際の出来事にフィクションを混ぜることで作品化する」ことを目的として書いていたのですが、最近またそれに向き合いたいなと思っています。日記みたいな文章であれば詩の形を借りなくてもブログで十分であり、詩作品として立つために、私には何ができるのかと考えています。 言い回しによるリズムに関しては、今見ると、もうちょっと手を加えたい気持ちもあったりなかったり。言葉遊び大好きなので。書きだしたらキリンがない(じゃがりこはじゃがバターが好き)。 (魚とバナナとラクダの話)

2018-01-17

そうか、頭の中で映画が上映されていたのですね。脳みそが映画館になっていたんだな。小さな、あるいはどこまでも大きな映画館。たのしい。 私の見た夢は、たしかに映像作品ではよくある手法だと思います。青より赤が使われる気がするけれど。何が印象に残ったかと言うと、いつもカラーで見ている夢がその時だけモノクロ。そして青の綺麗さ。でしょうか。 他には、買い出しの帰り道に白昼夢を見たことがあって、一度に2つの物語が降りてきて、慌てて帰って文字起こししました。作品としては、あまりいい出来にはならなかったけれど。安部公房の短編みたいな夢でした。 私は幼稚園ぐらいまで、一日に一回は泣いてるなっていうほどの泣き虫だったのですが、涙を美味しいと思ったことは一度もないです。塩気で肌がヒリヒリして、痛いって思い出しかないです。笑 作品から話が離れてしまってごめんなさい。お付き合いいただきありがとうございました(*^^*) (嫌な夢)

2018-01-08

見ている夢のキャスティングがそのまま表示されていたのでしょうか? 構造的にすごい夢だなあと思いました。びっくり。 私の印象に残っている夢は、小学校のクラスメイトがたくさん出てきて自分は逃げ回っているモノクロの夢。好きだった男の子のトレーナーだけがなぜか鮮やかに青くて、とても綺麗だった。 そうそう、蛾兆ボルカさんへの返信に「涙は美味しい」と書かれていたけれど、それにもとても驚きました。びっくり。 (嫌な夢)

2018-01-08

終わり方がとても好きです。 涙の雫に映り込んだタイトルが反転する。 綺麗な夢。塩味。 (嫌な夢)

2018-01-06

【お知らせ】 本日11/23の文学フリマ東京で、この詩を掲載した個人誌を100円で販売します。 手の中で魚が泳ぐ仕組みになっています。 たぶんおもしろいので見るだけでもぜひ! 「東京パーラー同人」E-38のブースに置かせてもらっています。 そして、「東京パーラー同人」の紹介。 田代深子、岡 実、軽谷佑子の豪華三氏のおまけにこうだたけみ。 一部500円、苺ののったパフェの表紙が目印です。 雨だけど来てみて買って損はなし! 東京パーラー同人、東京パーラー同人をよろしくお願いいたします。 (魚と鳥と兎と すクロール〜TOTO-to-TO-to-TO-to すCrawl〜)

2017-11-23

なかたつさん、コメントありがとうございます。 ご無沙汰してます。最近ゴルにいらっしゃらないですね寂しいです。そうそうあの時はとてもよいいじられっぷりでした! コメントを読んで、木馬! そこを中心に読むのか!ってびっくりしました。うわー、想定していなかった読みでたのしいです。 まりもさんへのコメントで書いたように、後から読み返した私自身の解釈は、「(私の)生活は、曇天サーカス。つまり冴えない見世物ってことだよ笑える」=冒頭四文字と末尾の七文字だけで要約が可能、という身もふたもないものなので、もう好きに読んでいただいてかまいません。というか、こんなふうに読んだよっていうのをもっと聞きたいです。 曇天という言葉については、〈ん〉が二回繰り返されるからリズムや語感が好きなのです。昔たまというグループの「さよなら人類」という曲が流行りましたが、〈曇天模様の空の下〉という歌詞で初めて曇天という言葉を知ったので、私にとってこの言葉は寂しいけれど滑稽な印象があります。 それにしてもすごいなー、読んでもらえるって! うれしい! 私も、文フリ東京に出す個人誌が出来上がり次第、可能な限り読んでコメントつけますね。ライトレスってやつしかできないけれど。 あ、11/23(木祝)開催の文学フリマ東京に、「東京パーラー同人」で出店します。同人は、田代深子、岡 実( :-) )、軽谷佑子の豪華三氏とこうだたけみです。紙だからできる遊びがやりたくて、編集長の深子さんをめちゃめちゃ困らせておりますが、とてもよい同人誌ができそうです。もし予定が合えばいらしてくださいね! (曇天サーカス)

2017-11-13

まりもさん、コメントありがとうございます。 妙な節回しの最初の一文は、survofさんがおっしゃったように、意味がオーバーラップするように書いています。「生活は(演劇用語でいうところの)明転をしつづけているけれど自然すぎて気づかれない」「(サーカスに溶け込んで)自然すぎて気づかれない木馬は煌びやかな光を放ち回転する」「木馬は煌びやかな光を放ち回転するよファンファーレが流れつづけていれば」「流れつづけていれば腐らないってほんとなの水」「(だったら)水が八十パーを占める身体はきよらかであれ永遠に」「身体はきよらかであれ永遠の愛があるかどうかなんてもうどうでもいい」「愛があるかどうかなんてもうどうでもよくてその手を離さないで」「その手を離さないで離れないで迷子にならないで(幼い日の私)」これらを一文で一息に書きたいがために、読点で妙な区切りをつけています。 この書き方、私はやっていて非常にたのしくて、ついつい遊び倒したくなります。でも、それではお題の〈曇天サーカス〉がいつまでたっても現れなさそうだったので、〈迷子〉というキーワードで思い出した、幼い頃によみうりランドで聞いた園内放送を挟むことで場面転換を図りました。 ところで、以前まりもさんが「マル:サンカク:シカク;バツ」に書いてくださった解釈がとても鮮やかですてきだったので、この「曇天サーカス」で自分もやってみよう!と思ったのですが、私が読むとこの詩は「(私の)生活は、曇天サーカス。つまり冴えない見世物ってことだよ笑える」=冒頭四文字と末尾の七文字だけで要約が可能、という身もふたもない解釈になったので、自作でやるもんじゃないなあと思いました。 そして即興詩について。花緒さんへのコメントにも書いたのですが、即興ゴルコンダ(仮)で私が書いているのは厳密な意味での即興詩ではありません。この「曇天サーカス」も三時間くらいでさくっと書いた詩ではありますが、もうめちゃめちゃ、めちゃめちゃ推敲しています。笑。桂冠詩人が王の前で披露する、みたいな即興詩のイメージからは程遠いです。今だったら、ラップバトルが即興詩に近いんじゃないかなあと思ったり。どうなんでしょう、ラップってあまりよくわからないけれど。 そんなわけで、まりもさんも気が向いたらゴルに遊びに来てくださいね。即興といっても持ち時間は最大二十四時間! ガーッと書ける人ならきっといけると思います。びっくりするほど何も思い浮かばない人は……お題との相性次第ですかね。ぜひ〜。 (曇天サーカス)

2017-11-11

survofさん、コメントありがとうございます。 大好きと言っていただき光栄です。 ゴル仲間のさわ田マヨネさんに言わせると、私の詩には4パターンくらいあるそうです。彼も今回の散文詩的なのが好みだと、以前あった時に言っていました(彼は、やさしくてとてもいい詩と短歌を書くんですよ!)。 私もこのスタイルは書いていてたのしいし楽だったりしますが、もっともっといろんなことに挑戦したいと思っております( ̄^ ̄)ゞ survofさんも気が向いたらゴルに遊びに来てくださいね! いろんなタイプの人が来てくれると、とても勉強になるので! (曇天サーカス)

2017-11-09

るるりらさん、コメントありがとうございます。 わー、るるりらさんがどんなふうに音読してくださったのか、めっちゃ気になります! 聞いてみたい! 自分としては、この詩は句読点があるから息継ぎできて読みやすいほうだと思っていたので。 というわけで読んでみました。うーん、イマイチ。 https://soundcloud.com/user850776306/pdagqp4ntob0 以前、ゴルのお題「フォトニックマッハコーンの食卓」に書いた詩を朗読したのですが、こちらはマジで血管切れそうになりました。もう少し肺活量を増やしたいっす! https://soundcloud.com/user850776306/xypjrrv9an80 るるりらさん、PC復活したらまたゴルにも遊びに来てくださいねー! (曇天サーカス)

2017-11-09

あらー、花緒さんがどんな詩を書いてくれるのかとってもたのしみにしてたのに! 残念〜。 twitterで告知しているので、気が向いたら参加してみてくださいな。自分はこう書いたけど他の人はこう書くのか!とか、普段ならまったく取り組まないだろうモチーフに挑戦できる時があるとか、私は非常に勉強になってますよー。 そしてぶっちゃけてしまうと、お題出す時は優勝を知った時点でお題を考え始めていて、お題を考えるってことは書く内容についてもなんとなく考えてるんですよね。 よって今回の詩は、11/6昼過ぎから11/8昼過ぎまでの二日間で書いたとも言えるし、お題を出した11/7の21時過ぎから3時間くらいで書いて参加者の投稿を待ってから投稿したとも言えます。出題者の詩は投票対象外なのでその辺はざっくりと〜。 即興ゴルコンダ(仮)って即興とはついてますが、お題が出てから寝ないで書けば最大24時間の持ち時間があるので、本当の意味での即興ではないかもですね。あとは投稿者の関わり方次第です。 (曇天サーカス)

2017-11-08

またまた宣伝。 即興ゴルコンダ(仮)開催中。 本日11/8(水)21:16まで投稿できます。 お題はこの詩のタイトル「曇天サーカス」。 すでに四名から投稿がありますので、いろんな即興詩が読めますよー。 初めての方も久しぶりの方も誰でもウェルカム! http://golconda.bbs.fc2.com (曇天サーカス)

2017-11-08

お、るるりらさんお帰りなさい。見てますよー。 おじぃちゃんとの思い出、キラキラしてるって感じたのは間違いではなかったのですね。 はい、息を詰めて作り出されるよりも、深呼吸して生まれていくポエジーが、私は好きです。 (がうでぃでぃ)

2017-11-07

花緒さんへ。 この場で私に対して使うのならばまったく問題ないのです。でも、真似して吸収したものは他所でも使いたくなる(私ならばなる)はずなので、他所で使うときは要注意って言いたかったのでした。 お、花緒さんゴル初参加⁈ たのしみにしています! (わーお題どうしよう、自分でハードル上げてしまった感……) (待チ癖ツイタシイイ人止マリ)

2017-11-06

花緒さんへ。 コメントありがとうございます。 私がビーレビューへ来たのは百均さんことあまさらさんが運営に携わっているからですよー。応援したいと思って! 彼はゴル仲間のなかよしさんでありライバルです。あ、でも片想いかも〜笑。 終わり方の指摘、懐かしいなあと思いました。大学の文学サークルで書いていた頃に先輩から、無理にオチをつけて終わらせようとしてる!って言われていました変わってないのね私。本文中の足枷の言葉たちも全部その頃に言われたものだったり。 そしてこの「待チグセツイタシイイ人止マリ」というタイトルも、その大学時代にサークル機関誌へ寄稿した詩の総タイトルでした。とても気に入っていて、いつかこのタイトルで詩を書こうと温めたまま約十年のスランプに陥り、2015年、ゴルの全お題(その年は100でした)に遅刻してでも書くという無謀な挑戦を経て、今の少しは書けるっぽい私がおります。 そんなわけでゴルさんにはとても感謝していますし、タイトルをお題として提供することによって手放して、ラストで過去の私とは決別してます宣言をしました。諧謔も、始まる予感も含まないのはそのためだと思います。 ところで学ぶことは真似ぶことby世阿弥なんていうけれど、花緒さんのコメントの書き方はおもしろいなあと思いました。私も真似して吸収するタイプ! ただし今回の文体は少々キツさがあるので、私なら他人に向けては使いません。あくまでも自分に向けて使います。あ、だからアラメルモさんに自己慰安って言われたのか(ガッテン!)。 カオティクルConverge!!貴音さん♪へ。 コメントありがとうございます。 お名前にさんがついていたので、迷ったけれど敬称をつけませんでした。つけたほうがよければおっしゃってください。 私なんかの即興詩を楽しみだと言ってくださりありがとうございます。ビーレビューはひと月の間に二篇しか投稿できないので、全体として即興詩の投稿は少ないかもしれないですね。私も、二篇だけの枠ならもう少し大事にすればよかったなと思ったので、今後はあまり即興詩は投稿しないかもしれません(気まぐれなので断言はしませんが)。 そこで! いろんな方の即興詩が読めるサイト「即興ゴルコンダ(仮)」はおすすめですよ〜(宣伝モードON)。 即興ゴルコンダ(仮)ルール 1.お題が出たら24時間以内に投稿 2.締切時間から24時間以内に投票 3.優勝者が次のお題を出す こんな感じで参加者が自主的に回していきます。明日、11/7(火)の夜に私がお題を出しますので、興味があれば気軽に参加してみてくださいな〜。 http://golconda.bbs.fc2.com (待チ癖ツイタシイイ人止マリ)

2017-11-06

アラメルモさんはじめまして。コメントありがとうございます。 即興ゴルコンダ(仮)というサイトで昨晩お題を出したのですが、朝起きて出かける支度をしようとして、出かけたら自作を書くことができないと気づき、朝ご飯をかきこみつつ支度しながらの1時間で書いたのがこちらです。というわけで、ご指摘の通りここ最近常に頭の片隅にあることを吐き出しました。 他サイトの宣伝もありなのかなー?っていうのを確かめるためにこちらに投稿しています。まだ怒られていないからいいのかしら? (待チ癖ツイタシイイ人止マリ)

2017-10-21

即興ゴルコンダ(仮)開催中。お題はこの詩のタイトルです。 と、宣伝をしてみる。だめだったらコメント消してください。 http://golconda.bbs.fc2.com (待チ癖ツイタシイイ人止マリ)

2017-10-21

homaさん、はじめまして。 一読して、最後の連はなくてもいいような気がしたけれど、再び読むと、「辞書」というタイトルの絵本の読み聞かせを聞いているようで、この形がすっと入ってきました。 とてもよいと思います。好きな色が緑という少し不純な動機で読み始めたことを後悔するくらいに。 (辞書でしらべたこと)

2017-10-18

祝儀敷さん、はじめまして。コメントいただけてとてもうれしいです。 この詩を書くにあたっては、「影絵をつくる手が詩になったらいいよね」という思いつきから始まって、iPhoneの画面にピタリと収まるなんらかの形を持った詩に仕立てることそのものが最大の目的でした。完成して私自身、これ中身ないなーと思ったので(ひどい)、読むというよりは、試みを〈見て〉たのしんでいただけたらいいなと思っています。 私は小学校3、4年生くらいから詩を書いていますが、ネット詩を始めてまだ4年くらいです。いまだに見る側の環境(PC、スマホ、ガラケーなど)によって崩れてしまうネット詩の特徴に馴染めなくて。崩れる原因は大きいものを小さい画面で見ようとするからで、大きい画面で小さいものを見るぶんには問題ない、ならば与えられた環境の最小単位で最大限の表現をしてやろうというのが私の現時点での考えです。 それにしても、祝儀敷さんの創作物に対する考え方、 「世のあらゆる創作物はイデア界、概念の世界にあり、詩なり音楽なりはそれを現実に投影する手段だ、と私は考えている。」 というのを読んで、コメントいただけて本当によかったな、ありがたいなと思っています。私は、一人の人間が詩を書くという行為は、その人間の全存在というフィルターを通して行なわれるものであり、他人の借り物のようないわゆる〈詩的な言葉〉ばかりを並べたものは〈詩的〉ではあってもその人間の詩ではない、その人間が書く意味がないよねという考えを持っていて、場合によっては祝儀敷さんとは真逆の立場にいるかもしれない人間です。そんな人間の書いたものにコメントをいただけるなんて、ビーレビューに投稿してよかったなあと思っています。ありがとうございます。 (魚と鳥と兎と すクロール〜TOTO-to-TO-to-TO-to すCrawl〜)

2017-10-18

まりもさんへ はい、何かしらの媒体で先達の方々の作品(たぶんそれはまりもさんがおっしゃるように詩に限らず装飾文様みたいなものも含む)を見て常々おもしろいなーと思っていて、ふと、今書きかけている詩を何かの形に仕立てたらたのしいかもと思ってやってみたのが始まりです。今回は初めて、形ありきで書いてみました。 ビーレビューに投稿するにあたって、サイトの環境(私の場合はiPhone7のSafariからのみの閲覧)でできる範囲で、最大限おもしろいことをやれたらいいなと思っています。しばらくはあれこれ奇抜にも思えることをやると思いますが、ご笑覧いただけたら幸いです。 もなかさんへ コメントありがとうございます。 アスキーアート! あれこそまさに職人技ですね。アートというからには芸術、絵画の領域に入る気がしています。 私がやりたかったのはもっと簡単なことです。両手でつくった影が蟹になり犬になり猫になる。その手が詩だったらたのしいよね。そんな感じです。 また、スクロールの活用について共感していただけてうれしいです。より活かすのであればたくさんの魚を泳がすとよかったのですが、正直、魚に関してネタ切れしてしまって。笑。すべてのパーツを31文字(短歌の文字数)でつくるというしばりを設けていたので、そこが原因かと。 読んで、そして、見ていただきありがとうございます。 (魚と鳥と兎と すクロール〜TOTO-to-TO-to-TO-to すCrawl〜)

2017-10-17

まりもさん、コメントありがとうございます。 別サイトでこういう形のものをちょいちょい投稿していて、そこで見慣れている仲程さんはコメントくれたのですが、こちらでは他にコメントがつかなかったため、受け入れられないかなあと心配していたのでホッとしました。 ネット詩はスクロールしながら読むという特徴があるので、それを活かしたいというのがあって、魚を泳がすイメージが生まれています。鳥と兎は「と」つながりで引っ張ってきているのですが、だいぶ無理があると自覚しているので、形そのものや飛ばし方あるいは跳ばし方含め、まだまだ改良の余地ありだと考えています。 こういう視角詩はなんと呼ぶのかまったく知らずに今まで書いてきたのですが、ギョーム・アポリネールという詩人がカリグラムという詩型を確立しているのですね。もっと勉強しないとなあと思っています。 (魚と鳥と兎と すクロール〜TOTO-to-TO-to-TO-to すCrawl〜)

2017-10-15

おじぃちゃんとの思い出、とてもすてきです。私は祖父母と暮らした経験がないので、キラキラと切り取られたシーンだけを見て、いいなあうらやましいなあと思ってしまいます。 そうそう、ぽえじぃは、東急ハンズにもありますよね! 〈詩的な言葉〉だけがポエジーを生むわけじゃない。って思っています。 (がうでぃでぃ)

2017-10-12

仲程さん、ゴルではいつもお世話になってます。 アンドロイドでは17文字目で改行! 貴重な情報ありがとうございます。こちらのサイト、ガラケーでは見られないという情報もあるので、一行の最小文字数は16文字かもしれないですね。今後は一行最大16文字で遊びます。 じつは、鳥が全然飛んでくれなくて力尽きたのです。まだまだ修行が足りーん!というわけで精進します。 (魚と鳥と兎と すクロール〜TOTO-to-TO-to-TO-to すCrawl〜)

2017-10-12

まりもさん、コメントありがとうございます。 「まだ一肌脱ぐ気はない詩って知っていますか人肌やわ肌鮫肌もち肌/粟の立つ肌……」と書いたことがあるのを思い出しました。とうにやらかしております! 笑。 さて、この詩は残念ながら、記号は無視して普通に読むつもりでおりました。ご期待に添えずごめんなさい。リズムを大事にするあまり妙な節付きで朗読する詩を書いたりはするのですが……。 ところで、まりもさんが解釈すると、なんだか急にかっこいい感じになりますね。私にはこの形でしか表せないからこうして構築して提示するのだけれど、誰かの手で解体され再構築されていくのを見るのはとてもおもしろい体験だなと思います。 (マル:サンカク:シカク;バツ)

2017-09-29

ウエキさん、返信ありがとうございます。 「少年はその瞬間を生きているときは、自分を少年と自覚していないのではないかと僕は思っています。 成長し、振り返ってみたとき、『あぁ、あの時の自分が<少年>だったのだ……』と気づくものではないでしょうか。」 これを読んでとても驚きました。私は女性として三十余年生きてきましたが、「女の子なんだから」「おねえちゃんなんだから」と育てられてきたのか幼稚園に上がる頃には、少年の対になる言葉としての少女という言葉は知らなくとも、自分は女の子なんだという自覚があったように思うからです。 「その意味で、ここに書かれた<瞬間少年>は性を生きる青年・大人のフラッシュバックとしての存在です。 そして、そこには決して戻れないある種、諦念のようなものがあると思うのです。」 ここまで読んで、一つ思い出したことがあります。職場の同僚とご飯を食べているときに、彼女は「最近子供にばっかり目がいくんだよねー。子供って未来の塊っていうか……」というようなことを喋っていました。「未来の塊」という表現はそんなにめずらしいものではないのですが、私はこのとき、「私が未来の塊でなくなったのはいつからだろう」と思ってかるく衝撃を受けたのでした。 ウエキさんのおっしゃる<瞬間少年>のイメージには、この「未来の塊」みたいな要素が少なからず入っているのかなと、想像してみました。 お話しできて、とてもよかったです。 (青年空間・瞬間少年・愛撫)

2017-09-29

survofさん、Macユーザーですか! よかったー。あのテンション低い感じの音好きなんですよー。 (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-28

徐々にでいいからさん、はじめまして。 とても好きな作品です。一連目を読んで、なんか人生訓みたいなこと書かれるのかなーやだなーと思ったら見事に外してくれて、今とても清々しい気分です。ありがとうございました。 (斜になる)

2017-09-28

survofさん、コメントありがとうございます。 大好きと言っていただけてうれしいです。 (ファーン!)の部分はMacの起動音です。ビックリマークはついていますが、ちょっとテンション低い感じの音だったりします。は! 明るい感じをイメージされていたら壊してしまってごめんなさい。 (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-28

ウエキさんはじめまして。 タイトルの「瞬間少年」という言葉が好きです。たぶんこの詩を書いている、あるいは書き上げた瞬間だけウエキさんは少年に戻っていたのだろうなと思えて。 (青年空間・瞬間少年・愛撫)

2017-09-28

百均さん、こちらでははじめまして。アーカイブから見るとコメント欄がスクロールできない問題が解決すると気づいたので、参加してみましたよっと。 読んでいて、「音楽」というタイトルに反して静寂、無音状態を感じました。あるいは、どこか遠くの空の下では賑やかに奏でられているのかもしれないという感じ。 それと、ダジャレ好きでときどき韻まで踏んでしまう人間といたしましては、不真面目でどうもすみませんという気持ちです。笑。 (音楽)

2017-09-28

るるりらさん、こんにちは。こちらでははじめまして。 三篇目の「どくというな」がとても好きです。言葉遊びはいろんな用い方があるけれど、ちょっと抑えた感じのこういう用い方はいいなと思います。ついつい過剰になってしまう私は見習わなければ。笑。 それと、二篇目の方言が出てくる部分。これといって方言を持たない私にはとてもうらやましいです。もっと読みたいと思いました。また書いて読ませてくださいね。 (三大へんな植物名の花(三篇からなるオムニバス))

2017-09-28

加地さん、コメントありがとうございます。 たのしんでいただけたようでよかったです。 こちらにテンポやリズムがよいと書いてくださった方は、私と同じリズム感を持っている方なのかもしれないなあと思いました。 (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-28

はい、花緒さんに限って言えばそんな感じ。笑。 というわけで、この詩の半分は、お題を出したあまさらさんと、私の紹介詩を書いてくれた阿ト理恵さんの力で成り立っております。この詩は彼女の紹介詩に触発されて書いたのでした。 (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-27

花緒さん、コメントありがとうございます。 高水準なんてもったいないお言葉をありがとうございます。 身近な人間にこれを読んでもらったところ、「こんな学級委員長の書く詩なんて誰もおもしろがらないよ」的なことを言われたので、まだまだ修行が足りないようです。でも、投稿しちゃったけど! (マル:サンカク:シカク;バツ)

2017-09-26

花緒さん、こちらでははじめまして。 と言いますのも、7月9日のポエケットで一度お会いしているのです。軽谷佑子さんの隣にいたのがわたくしでございました。以後、よろしくお願いいたします。 タイトルに言及していただきありがとうございます! 実はこれ、2年ほど前に即興ゴルコンダ(仮)というサイトに投稿したものをリライトした詩です。その時のお題出しはあまさらさんこと、こちらにいる百均さん。正確なお題は「会ったこともないのに、よく知ってる感じ」でした。 (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-26

amagasasasiteさん、はじめまして! コメントありがとうございます。夏野さんがつないでくれたご縁に感謝です。 私はiPhoneからのみの投稿なので、スマホ用の画面で見たときにフォルムが崩れないように書いています。自動改行によって単語が意味もなく途切れてしまうのが嫌なのです。途切れるならばそこに意味を含ませたい、というのが正しいかもしれません。 大好きと言っていただけてとてもうれしいです! (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-26

夏野ほたるさんへ 私個人はまったく気にしておりません! はい、次はまとも(?)な詩を投稿します。自己紹介ではないという意味ではまともな詩を。ただし詩に対する基本姿勢は自己紹介詩に書いた通りなので、それをまともでないと言われれば決してまともでない詩を。 読んでいただけたらうれしいです。 エイクピアさんコメントありがとうございます。 「ドアノブ」を読んできたのですが、もしかしてぎわらさんですか? この感じは!と思ったのですが勘違いだったらごめんなさい。 こちらでもどうぞよろしくお願いいたします。 (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-26

夏野ほたるさん、コメントありがとうございます。自己紹介詩にコメントいただけると思わなかったのでうれしいです。 じつは、この詩を投稿したのはこうだたけみ本人です。amagasasasiteさんに、自分はこんな詩書かないよ!って言われてしまいそうなのでなにとぞ。 あべこーべーのくだりは、「夜の会」で岡本太郎がメンバーそれぞれの名前をもじってあだ名をつけた(安部公房はあべこべ)という逸話がもとになっていたりします。 (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-23

はじめまして。 ご挨拶をする場所がわからなかったのでここに書いてみました。 いまのところ月に二篇投稿できるみたいなので、まともな詩(?)は数日後に投稿します。 よろしくお願いします。 (あったこともないのによく知ってる感じ)

2017-09-23