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ワンス・ア・ディ
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作成日時 2020-10-07
コメント日時 2020-10-11
ワンス・ア・ディ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1147.0
お気に入り数: 5
投票数 : 1
ポイント数 : 21
項目 | 全期間(2023/02/09現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 7 | 7 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 6 | 6 |
音韻 | 3 | 3 |
構成 | 5 | 5 |
総合ポイント | 21 | 21 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 3.5 | 3.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 1.5 | 1.5 |
構成 | 2.5 | 2.5 |
総合 | 10.5 | 10.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「語る/語らない」といった表記に、複数の可能性が重ね合わせの状態にある量子力学的な連想をさせられました。 ブルトンの小説に出てくる「ナジャ」を思わせる、ふしぎな魅力を湛えた少女のイメージ。それが最終連では、どこか地母神を思わせる、普遍的な霊性にまでひろがっていくような印象です。 個としては失われたようにみえることがあっても、総体としては失われるわけではない、生命あふれるこの地球の母性を感じさせられるようでした。
1こんにちは。ヒトの記憶というのははっきりのこっている部分と曖昧な部分とあると、この詩を読みながら我が身を振り返って思いました。そんで、はっきりしていると思っていることでもよくよく思い直してみると、ちょっとぼやけてしまうようなこともある。それから、過去に起こったことについて、あれからどうなったか想像してみると、一応の予想はつくけれども確実にわかるわけではない。そういう点で一連、二連を読むにつけ、リアリティがあって、「僕」の存在感や書かれていないはずの生きてきた時間の層まで感じました。 だから「僕と息子」がボートで漕ぎ出す場面でも奇妙な現実感があります。ここでぼくは会田綱雄の『伝説』を思い出して、哀しいものを感じたのだけど(その後、この父子はどうなったんだろうと思わずにはいられませんでした)。 最終連で少女の瞳の緑はすべての湖(うみ)の緑と重なって──あるいはすべての湖の緑へと広がっていく様は幻想的で美しいです。深く印象に刻まれたことは世界を色づけることがある。そんなことも実感として思いました。語りすぎず抑制のきいた語り口と断定からくる余韻なども生きていると思います。 最後になりますが、ワンス・ア・デイは「一日一度」などといった意味をもつイディオムですが、ひとまずぼくは「エミリー」という名を当てて読みました。瞳の色はブルーでなく、やはり緑ではなかったかと思います。
2沙一さん ありがとうございます。 少女が少女として生きるのはほんの数年。思えば儚いものですが、その少女は、彼女の成人後も彼女の中に小さく生き続けるでしょうし、しかしそれは地母神のように巨大なものかもしれません。 コメント頂けて嬉しく思います。
0藤 一紀さん ありがとうございます。 この詩はボートに乗ってる時に着想したものですので、コメントを拝読して、なるほどなぁと思いました。 思い出すというのは案外難しいことと思うのですが、連想は自然に訪れ、記憶と、目の前の景色に色彩をもたらします。 ワンス・ア・ディという奇妙な名前ですが、おっしゃるとおりでして、薬の処方箋などに使われるイディオムだそうです。この詩を書くときは忘れていましたので、ご指摘頂いて作者ながらハッとしました。 ワンス・ア・ディは出処はあるSF小説のヒロインの名前ですが、一日一度どころか、ごく気まぐれにしか登場しません。 しかしこの詩を書くにあたって、作者は無意識に、一日一度、毎日会っていた少女にその名前をつける選択をしたようです。
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