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本能   

作成日時 2019-11-08
コメント日時 2019-11-08

華奢な体、長い髪、花のような香り—— すれ違った女性が、かつての恋人にそっくりだった。思わず振り返って、声をかけた。 「あの・・・」 あらためて見ると、顔は似ていなかった。それにしても、あまりに蒼白な表情。うすい唇が微かに震えている。白いカーディガンに、白いロングスカートという服装が、彼女の姿をよりいっそう儚く見せていた。消え入りそうな声で、彼女は言った。 「わたしになにか用ですか?」 声をかけてはみたものの、そのあとをなにも考えていなかった私は返事に窮して、咄嗟に思いついたこと、おいしいアイスクリーム屋があると聞いたんだが・・・と苦し紛れに言った。彼女は細い指先で指し示した、その先には、まさしく〈牧場のおいしいアイスクリーム〉という看板を出している店があった。無意識に見たこの店の謳い文句が私の頭に刷り込まれていたのだろうか。 「せっかくなので、奢りますから、一緒に食べませんか?」 なりゆきとはいえ、私は人生最初で最後になるかもしれないナンパをしていた。 「ええ、よろこんで」 そして不覚にも成功してしまった。 「そう、旅を・・・」 ベンチに二人並んで座り、アイスクリームを食べながら、自分はあてもなく旅をしていることや、旅先で最近あった不思議なことなどについて話した。 「わたしにとっては、人の心より不思議なものはありませんけど」 意味深長な発言、メランコリックな表情や仕草から、なにか深刻な悩みがあるのかと、心配して彼女に訊いてみた。 「忘れられないことがあるのです。それが、つらくて、つらくて・・・ どうしたらよいのでしょう?」 そうだなあ・・・——  約束は要らないわ  果たされないことなど大嫌いなの  ずっと繋がれて居たいわ  朝が来ない窓辺を求めているの   ※椎名林檎『本能』より 華奢な体のいったいどこから、こんなに声が出るのか。忘れられない感情を発散するには、思いっきり唄うのが一番だ。なりゆきで、私たち二人はカラオケに来ていた。 それにしても美しい声。玲瓏、という言葉がよく似合う。しかし、どんなに力を込めて唄っても、彼女の表情は蒼白なままだった。依存的な恋の歌ばかり熱唱しているところを見ていると、彼女の悩みの原因がなんなのか、わかる気がした。 「あなたは唄わないの?」そう言いつつも、彼女は胸元でマイクをぎゅっと握りしめている。 「いや、自分はいいんだ。君の声を聴いている方が楽しい」 そんなことを言ったものだから、彼女はさらに調子づいて、気がついたときには三時間も経っていた。 「とっても楽しかったです」無表情で彼女は言った。 外は陽が落ちてすっかり暗くなっていた。冷たい夜風に身震いしていると、冗談のつもりなのか、彼女はいきなり抱きついてきた。 「あったかい・・・」 そう言った彼女の体は、ところが、体温がまるで感じられなかった。彼女の背に腕をまわして、ぎゅっと抱きしめてみても、それは変わらない。しかし、いまこの胸に抱いているのは、知り合ったばかりの女性ではなく、かつての恋人であるように思えてならなかった。ありえないことだと、わかっていても・・・ どれくらい抱き合っていたのか、抱擁がふっと解けると、彼女は素っ気なく立ち去ろうとした。 「あの・・・」 もう二度と逢えないだろうという名残惜しさから、私は彼女を呼び止めた。出逢ったときと同じように。彼女は振り返り、狐みたいに微笑むと、夜の闇に溶け入るように去っていった。頬に、ひとひらの冷たいものがふれた。初雪にしては、すこし早いというのに。


項目全期間(2019/11/19現在)投稿後10日間
叙情性22
前衛性11
可読性44
エンタメ55
技巧00
音韻00
構成11
総合ポイント1313
 平均値  中央値 
叙情性22
前衛性11
可読性44
 エンタメ55
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2019/11/19 02時56分44秒現在
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