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S市
むかし、三年ほど住んでいた中都市を車でめぐる 広大な敷地にいくつもの工業団地が立ち並び その周辺には刈り取られた田圃が季節を煽るように敷き詰められている なつかしい名の鉄工所や、古いビルもまだあった 学校を出て初めて勤める地へ、狐色のコートを羽織り、ローカル線に乗った 初めてもらった給料の少なさに驚いた それでラジカセを買ったり、鳥の巣のようなパーマをかけた 白衣の白さに気恥ずかしさを感じながら、菓子づくりもやらせてもらえた 文通をしていた 手紙を大家さんから受け取ると長大な文章を書いては投函していた 文字数の多さが募る思いの大きさだと思い込んでいた頃だった あの街は、社会人としての出発点であり、もうひとつの巣だった気がする まったく奇妙な人の集まりで、個性に満ち溢れ その人たちが皆、一つの構内でパンや菓子を作っていた それぞれの細かい動きや、話しぶり、今でも鮮明に覚えている なつかしい街の様子はかなり変わっていて、よく立ち寄った喫茶店やデパートは無かった よく飯を食いに行った食堂はかろうじて存在していた しかし、もう営業はしていなく、人の気配すらもない タバコ屋の大家さんはもうとっくにこの世にはいないだろう かつて工場があった場所を探すがほとんど解らない 時代はまるでどこかに急ぐように走り続けているのだと思った * 乾き物の肴で 覚えたてのタバコを吸っていた みっチャンという酒場で 飲んでいたんだ ショーケースの中には ショートケーキやシュークリームが並んでいたし 売店の女の子は可愛かった ミニを履かされていたからきゅんとした 女子寮で膝を立てて下着を見せる子が居た 街を歩いていると 金木犀のにおいがした 秋、鈴木と言う男とよく歩いた スパゲティ屋でワラエル夢を語っていた 住んでいた周りに側溝があり 夏は強烈に痒い薮蚊が出た 熱帯夜 冷たい風呂に浸かっても眠れなかった 仕事中にアイドルの歌をうたっていた水野は この間の訃報欄に載っていた 佐々木さん 小娘を弄び堕胎させた フィアンセの眼球は取り除かれていた。 なんだか今 ひどく僕は疲れていて 紙芝居のような 思い出を辿っていると なんだか 瞼がふくらんで 頭の中が痒くて仕方ない 丸い椅子に座り パチパチと炎の前で それらを眺めている 絵は一枚一枚炎にくべられ きな臭いにおいとともに 火の粉が舞い上がった
S市 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 788.4
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2023-07-05
コメント日時 2023-07-08
項目 | 全期間(2023/09/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは。 昔の思い出を語った詩ですね。 この詩で印象的だと感じたのは、やはり最終連です。 「思い出を辿っていると なんだか 瞼がふくらんで 頭の中が痒くて仕方ない」 といところ。なぜ、そんな感覚が生ずるのか。 そして、一枚一枚炎にくべられている絵がこの思い出の隠喩だとしたら、なぜ燃やしているのか。 その理由は、昔の職場のあった場所を訪れた理由と繋がっているような気がします。 それらの理由は詩句の中には見出だせないのですが、 「この間の訃報欄に載っていた」 「フィアンセの眼球は取り除かれていた」 という2つの文と何か関係あるのかな、などとも思ったりしました。 何か不思議な感じのする詩です。
0青春の思い出を語った詩だと思いますが、yamabitoさんと同じような年代、あるいはもう少し古い時代かと思われる、新井高子さんの『タマシイ・ダンス』という詩集を思い浮かべました。情景が似ており、新井高子さんは女の人らしく、すごく情熱的な詩文なのですが、yamabitoさんは寡黙で静かな感じ、でも現実への思いは同じように熱いと思います。僕自身は、3年間の学生寮暮らしくらいしか思い出がないです。後はネットで詩を書いていたくらい。この詩を読んで、一人の人の確かな過去を懐かしいような思いとともに読めて、良かったです。騒がしい現実はいいですね。火を眺めている今、僕も昔は、ネットの焚き火のBGMを聞きながら詩を書いていたなと思い出しました。
0m.tasakiさん、おはようございます。 皆様お若い方々ばっかりで大昔の話など恥ずかしい限りなんですが、特にこのS市で過ごした三年間は私の人生の中でも特に思い出深いものでした。 お話についてはすべて実際の出来事なのですが、その頃の人々の伝を知るあても皆無となっています。 後半の下りについては、あまり意図は無くて、とにかくその頃の思い出が強く強く印象に残っているのです。 お読みくださり、ありがとうございました。
0黒髪さん、おはようございます。 新井さんという詩人さんは私はわかりませんが、機会があれば読みたいと思います。 私はおそらく皆様の親世代くらいの年齢なんですが、過去は美しく見えてしまいます。皆さまも残念ながら生きている限り老人に近づいていきます。それは避けることができないんですよね。 しかし、過去は昇華していかなければならないと思うのです。 BGMを聴きながら詩を書くという作業は私も好きでして、私もよくやるんですよね。 お読みくださり、ありがとうございました。
1S市がどのような場所なのかは本当の処は分からない。 実際に訪れるとこの作品から受ける印象とは全然違う場所だったりするんだろうなと思う 作者の想いが作者なりのS市を形成している事は分かっているし 個人的に、この作品と言うか想いを共有したいかと言われれば、共有する事が出来なくて 安心すると言うか 淡々と書かれている印象だが 作者の思念の様なものはそれこそ炎の様に近寄り難い、側にいるからこその 心地良さと言うか、つい、触れると 何処までも侵食されて焦がされる様な そんな恐ろしさを感じたな 作者にS市について100程作品を書いてくださいと言えば恐らく書けると思うし、作者の中でS市は其れこそ忠実に再現出来ているかどうかは問題では無く、作者の思惟の中に深く入り込んで意識に侵食してるんだろうと思う 例えになるかどうか分からないけど 形の良い盆栽みたいな 何か表現される全てがそこにある様な 詩人がたどり着く一つの境地みたいなものがこの作品に表現されているのではと感じました 海軍 大将
0吸収さん、おはようございます。 過分な(勝手にそう思ってるだけかも…)御批評嬉しく思います。 私は古い人なので、詩というものはツカミと飛躍と着地(言ってみれば起承転結)、そして、色合いなどを気にしていますが、やはり感情に流されるだけの恨み節が多くなっていたりします。基本、私はどちらかというと「私」という」一人称作品が多いのですが、今回、他者を介し、S市を強調した作品になっているのだと思います。最後は結局自分に戻ってしまいますが。 自分的には、ハリボテ作品が多かったりするのですが、シンプルさが良かったのでしょうか。 御批評、ありがとうございました。
0人々にある固有な出来事は物語になりますよね。物語として焼き付いてしまっているというか。なぜ、あの時のあの場面が焼き付いてしまっているのかと、そう想いを馳せていたら、何故にあの土地に自身が居たのかという、謎だけども心地良い事実。いや、事実だったはずなのに、事実ではなかった(物語)りしますよね。読んでよかった散文です。
0三浦果実さん、おはようございます。 今から思えば、昔はみんな異常で狂っていた気がします。みんな本性で生きていたかのようで。でもどこか、体の芯にロウソク一本灯していたような気がするんですよね。今はそれがあるにはあるのだけれど拡散し過ぎている。そんな気がしています。 お読みくださり、ありがとうございました。 すみません、一個送信操作間違えました。
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