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寒月とその他   

作成日時 2017-12-12
コメント日時 2017-12-23

(俳句) 寒月は蛇の卵の艶やかさ 真っ直ぐな急坂の下一面の墓地 梅香れ桜咲け吾(あ)の知らぬ里 刺青(しせい)朱に染める渡世の背を眺む (飯山温泉にて) 雪も未だ降らぬ安達太良(あだたら)冬眠す 漆黒の髪微動だにせぬ女将(おかみ) 福島の酒「写楽」ばくぜんと呑む 淋しげなブランコのある蕎麦屋あり 旅先で海苔弁を食う女史と居る 耳すまし夜飛ぶ鳥の声を聴く


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コメント数(8)
み う ら (2017-12-12):

投稿ありがとうございます。 雪も未だ降らぬ安達太良(あだたら)冬眠す これ気に入っちゃいました。以前、東北地域に仕事で行っていたのですが、安達太良には、まさにこの作品で感じるところがあります。これを読んだ時に安達太良を通過する時の東北道を思い出してしまい、苦笑いしてしまいました。 すみません、こんなコメントしか出来ず。。 今後とも宜しくお願いします。

蛾兆ボルカ (2017-12-13):

三浦さん コメントありがとうございます。 苦笑というのは分からなくて、少し読み直したり想像したりしてみたのですが、安達太良山は、名は有名ですが思いがけないほどたおやかな面影の山で、それと教えてもらわないと、あれが安達太良だと気づかなかったりしますね。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-12-17):

なんだかいいなぁと言う感じです。僕も福島出身ですので(といっても海沿いなのですが)安達太良山登った思い出も思い出しました。両親が登山好きで、福島県で子供にも登れる百名山でいうと、安達太良か、磐梯山だったなぁという事を思い出しました。 ただ、成人してから行ってないので、行ったらもう少しは大人の楽しみ方が出来るのかなぁと思いました。多分10年くらいしたら、30代になったら楽しめるのかなと思いました。もうちょっと兄さん姉さん方の感想が聞いてみたい作です。

渚鳥 (2017-12-19):

こんにちは、 感想です。 詠まれている事象と作者さんの間に、紙一枚の隔たりがあり、 さりげなさと精確さを同時に備えているような視線をお持ちなのでは、と思いました。 冒頭、 >寒月は蛇の卵の艶やかさ 拝読しまして、十首ある中で特に象徴的だな、と思います。 無関心なのかと思うくらいのさりげない描写の中に、鋭い視点が混じっている……。 うまく言えませんが、読めてよかったです。

渚鳥 (2017-12-19):

(誤記、訂正します。) 正しくは十句、でしたね。 十首と書きましたのは私の誤りでした。 申し訳ございませんでした m(__)m 参考: http://www.sanabo.com/kazoekata/ct_ha/ha/haiku/

蛾兆ボルカ (2017-12-19):

hyakkinnさん、渚鳥sさん コメントありがとうございます。 私は短歌は好きでして、「週間実話」でゴーストライターと言いますか、常勝投稿者をさせて頂いていた時期もあります。自由詩を主に書いてはおりますが、なぜか時々短歌を書くと、体調が整うような気がして、煮詰まったりスランプを感じたりしたら短歌を書いています。 一方、同じ定形なのですが、俳句には苦手意識があり、数年前、小林一茶を読んで目覚めたばかりです。 今年は、口語自由詩の先輩が創立した句誌に、強引に、ではなく豪快に誘われまして、「短歌ではダメですか?」と伺うとダメだ、との仰せ。ただし、季語字余りその他一切、まるまる自由に気軽に作ってよろしいとのことですので、フリースタイルで書いております。 安達太良の句は、雪はまだ、と、冬眠す、と季節を示す語を重ねた、季語重ねになる句かと思うのですが、フリースタイルとしては問題なく、自分では気に入っています。目に止めて頂き嬉しく、福島に住んでおられた方に、想起して頂けたのは光栄の至りです。 また、詠まれた事象と作者の間の紙一重の距離をご指摘頂き、そちらも何となく得心がいきました。 私は、自分の内面に、何かしら語るべきことを見つけ、自分の口の語るに任せる、「短歌的な真実、真情」で作るフレーズを多用します。それは、自分の自由詩の方法として、僅かながら自覚してもいます。 しかし俳句は文字数制限があまりに厳しいため、「私」を描く余地がありません。その結果、情景を見ている「私」を含めた、客観視点の情景描写で書くことに落ち着いているようです。現実の、また作中主体の左肩から30センチだけ、ずらした、カメラ視点のようなもので、私の自由詩と短歌にはあまり使いたくない、ある意味「スカした(意気がってカッコつけた)視点」なのですが、普段は使わない分、禁を解いて楽しんで書いています。 細かいところ、コメントして頂いて嬉しいです。

まりも (2017-12-22):

俳句、とは何か、と言い出すときりがないのかもしれませんが・・・いわゆる きれ があるかどうか、という部分で、俳句と一行詩は別れるような気がします。その意味では、今回の連作は、俳句の韻律を用いた一行詩の連作であると思いました。 寒月が蛇の卵、に「見えた」のではなく、その「艶やかさ」で光っていた、という捉え方、とても素敵だと思う一方で・・・形容動詞を名詞化して用いているわけですが、それゆえに形容性が強くなる。 寒月が、産みたての蛇の卵のようにつやつやと輝いている、という景なのか、今にも蛇が生まれてきそうな不気味さ、不穏さを秘めた月光なのか・・・ そこも自由に想像してください、という作品であるのかもしれません。 坂下の墓地、刺青と、ひなびた温泉宿、夜飛ぶ鳥の声・・・鵺(ぬえ)が、雪もまだ被らない安達太良山の眠りを破るが如く、闇を切り裂いていく・・・ 自由律のリズムを試してみるだけではなく、おくの細道のように地の文と俳句を組み合わせるとか、自由詩の中に俳句を埋め込むというような手法も良いかもしれないと思いました。

蛾兆ボルカ (2017-12-23):

まりもさん コメントありがとうございます。 今回は、切れ字は使用せず、多くは体言か終止形により、句末で切れを表そうとしました。 今回は、語り手を含めた光景を描く、客観的な写生をしようとしました。 たとえばヘビ玉の句で、「寒月や」と切ると奥行きは増しますが、作為がまさり、主観を語り手が語る句になる、と感じて避けました。 ご意見は、そのまま戴きます。ありがとうございました。

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