ちがう人間ですよ  - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

B-REViEWは終わった

詩を愛するすべての方へ

詩投稿サイトは終わったのか、そもそも始まっていたのか、ただひとつわかっているのは、作品をとおした交流が求められているということ——

沙一

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

時の名を考える

奇妙な味わい

時の名前、おもしろい発想です。黒髪ワールド炸裂です。

yamabito

声明 流木から

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

魔法はある 犬ver

うまいと感じました(内容は15禁)

レスが少ない順から眺めていったんですが、埋もれてましたので掘り出しました。

yamabito

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

初恋

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

藤の花

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

犬のしっぽ

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

あなたのために

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

十月

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

死んだベテルギウス

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

この作品は読んだことがありません。


批評対象
作品を読む

ちがう人間ですよ     

<批評対象作品>
出口がない


ちがう人間ですよ               ぼくがあなたと  親しく話をしているとき  ぼく自身は あなた自身と  まったく ちがう人間ですよと  始めから終りまで  主張しているのです  あなたがぼくを理解したとき  あなたがぼくを確認し  あなたと ぼくが相互に  大きく重なりながら離れようとしているのです  言語というものは  まったく ちがう人間ですよと  始めから終りまで  主張しあっているのです  同じ言語を話しても  ちがう人間だということを  忘れたばっかりに恐怖がおこるのです  ぼくは 隣人とは  決して 目的はちがうのです  同じ居住地に籍を置いていても  人間がちがうのですよと  言語は主張しているのです  どうして 共同墓地の平和を求めるのですか  言語は おうむがえしの思想ではなく  言語の背後にあるちがいを認めることです  ぼくはあなたと  ときどき話をしていますが  べつな 人間で在ることを主張しているのです  それが判れば  殺意は おこらないのです      (『直感の抱擁』長谷川龍生詩集 思潮社) わたしが多くを学ばせてもらい酒も飲ませていただきクダ もまかせていただいた今はなき詩人長谷川龍先生の詩です。 高校の教科書にも載ったそうです。 どうしてこんな詩をわざわざ引用させていただいたかとい うと人間はあなたが考えもしないことで恐怖を覚えるもの だということを理解する想像力をもっていただきたいとい うことなんです。 ふつうの人にとっては出口がないくらいどうしたというの だ。いつまでもつまらないことでぐだぐた言いやがってさ っさと出ていけばそれで済む話だろと思うかもしれないこ とでもその人にとっては恐怖や言い知れぬ不安の源泉であ ることがある。そんなことをまったく想像できない人たち が詩を書いていることにわたしは実のところあ然としてい る。  言語というものは  まったく ちがう人間ですよと  始めから終りまで  主張しあっているのです  (同上) わたしたちは詩の投稿者をみな同じ人間だと考えている。 そして自分に理解できないことにいつまでも執着してい る投稿者を見ると憎悪まで覚えて「おめえは人間じゃね え」とまで言い放つ。しかしもしもその人が白血病の恐 怖のなかでエビのように背を丸め震えながら夜を過ごし た人だとわかったらひょっとしてそのことによる心的外 傷後ストレスが原因かもとどうして想像できないのか?  いや理由はもっと他にいくらでもある。他人にとって ある単純な解決方法に映るものがある人にとっては触れ たくない不安や恐怖の源泉であることがある。それを嫌 がらせにしか考えられないのは他者がじぶんと同じだと 盲信して他者のへの思いやりや想像力が欠落しているか らだ。そもそも嫌がらせなどして得になることなどその 者にあるのか? 頭から嫌がらせと考える想像力のなさ にはあ然とする。  ぼくは 隣人とは  決して 目的はちがうのです  同じ居住地に籍を置いていても  人間がちがうのですよと  言語は主張しているのです(同上) どうして出口に執着するのかは本人にすらわからないもの だ。わかっていても触れたくない防衛規制が生じているの かもしれない。しかし今回作者はあえて"そのこと"に触れ た。わたしのような愚鈍な人間にはとてもとても白血病の 子どもや少年の経験話など読めないし読むのに苦痛を覚え るからずいぶん時間がかかった。  必死でここまで漕ぎつけたんだよ  ほんとうにおそろしい  渦巻き状した闇だった  走っても走っても頭の上をついてくるんだ  もう駄目だ  思い出しただけで  まだ震えが止まらない  ガクガク。  居場所がないこと  それは身分を明かせないこと  自分の身分の中にある  自分以外の誰かの秘密が  自分の身分を明かさないように  口封じをする これはなにも嫌がらせでもなんでもない。 じぶんの出口に対する執着について考えを煮詰めて不安を 覚えながら書いている。その作者に対して「人間じゃない」 って......他者が自分と同じでないならてめえなど人間じゃ ねえから殺してもいいんだという思想につながる。それで 詩人といえるのか。わたしは今ほんとうに怒ってます。ど うして他者が自分と同じ人間じゃないことが認められない のだ。どうしてなんだよ、どうしてそこまで想像力もやさ しさも思いやりも失くしてしまったのだよ。教えてくれよ。  ぼくはあなたと  ときどき話をしていますが  べつな 人間で在ることを主張しているのです  それが判れば  殺意は おこらないのです (同上)


作成日時 2023-02-05
コメント日時 2023-02-07
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作品データ

コメント数 : 20
P V 数 : 972.3
お気に入り数: 1
投票数   : 0

ちがう人間ですよ  コメントセクション

コメント数(20)
タヌキが掘った穴
作品へ
(2023-02-05)

拙作を取り上げて頂きありがとうございます。 どのようにお礼を申し上げればよいのかわからず、わからずまま、思ったことを書きました。 僕の知人が長谷川龍生さんと面識があり、よく長谷川先生の話をしてくれました。今でも時々してくれます。そのような縁で、長谷川先生の詩集が2冊、いま目の前にあります。僕は、長谷川龍生さんとお会いしたことはありませんが、長谷川先生の詩集が目の前にあることを、いま、誇らしく思っています。 長谷川龍生さんの詩の印象は、既に印刷された、その印字の言葉のひとつひとつに、棘がビッシリと生えていて、まるで言葉が文字になることを拒み、文字が容易に意味になることを拒否しているようだと思ったことがあります。 社会が社会としての成り立ちを、容易に説明しようとする強引さに対して、僕は否定的です。簡単に、とか、わかりやすく、とか、その類の言葉を容易に使用することは、どこかハラスメントを受けているように思えて、抵抗があります。しかし、それでも、長谷川龍生さんの詩を読んでいると、如何に僕が言葉に対して、デリカシーが無いか、をよく思い知らされます。 子供の頃から祖母によく、 「寒がりいちばん暑がりいちばん。」 と言われていて、僕は他の子供より大袈裟だったのだと思います。そんな子供が13歳の時に白血病になったのですが、ちょうどその時期に、親の離婚再婚、それに伴う生活環境の変化などが重り、家も僕も荒んでいたので告知されたときは、白血病もその荒みの中のひとつとしか受け入れらなくて、ショックはありませんでした。でも、いざ入院して治療が始まるとその強烈な副作用の辛さに身体が耐えかね何度か危篤状態になったのですが、危篤状態の時に見ている夢はとても色鮮やかで、好かったときの思い出だけで構成されていて、とても楽しいものでした。もしものあの世があのときみた夢の通りならば、どなたのあの世も好い思い出の中にしか存在しないと思えるほどでしたよ。 しかし目が覚めると地獄でした。髪の毛は抜ける、ものすごい吐き気がする、吐いた食べ物はトラウマになって寛解してからも数年は食べられない、口の中から喉ちんこまで口内炎に埋め尽くされてしまって水も喉を通らない、点滴の針は手の甲に刺さったまま、外泊が可能になる前くらいまで抜いてもらえず、2年間ぐらいずっと点滴台を引きずっていました。僕はここで闘病自慢をしているのではありませんが、これでも闘病生活で体験したことのほんの一部です。 しかし、それでも僕より苦しい思いをしている人々は、この今もたくさん必ずおられます。そのような人達に対して僕は無力です。 寛解して20年くらい経ったとき、治療に携わって頂いたそのときの助教授だった先生とお話しすることがあり、先生は、 「僕の治療にタッチできたことが医者冥利に尽きます。」 と仰っていました。僕は運がよいのか悪いのか、薬は飲まずにゴミ箱に隠す、又、何回か病院を抜け出したこともあり、それで感染症で死にかけても復活して、そんなこんなで寛解してもう35年、1度も再発することなく、今こうしてのうのうと生きています。そして、今日も、僕の詩のコメント欄を読んでいて「にくまれっこよにはばかる」とはよく言ったものだと思いました。だからなのかわかりませんが、 「あなたは人間ですか?」 と問われても、あまり痛みを感じないのです。その言葉が完全に人格否定であることは承知しているのですが、でも人格を否定されたところで、「今更幸福のひとつやふたつ、もったいないけどくれてやってもいいや。」とあとになって、ふうわりと思い返すくらいなのです。 しかし、不用意に黙らされることには、まだ我慢が出来ないみたいです。痛いときに痛いと言えないような苦しみを、それが笑い話にできるくらい、自分なりに味わってきたつもりなのですが、それでもまだ味わい足りないのか、ふと不用意に黙らされると、怒りが無意識に自然災害のように降りてくるのです。 僕にとって人格は幸福です。そして詩作とは、幸福に伴った精神の状態のことだと思っています。ですので詩は言葉を駆使して表現した幸福と同じなので、それに対して面白くない批評をされると、面白くないのは至極当然のことなのです。そこで、なぜ自分の幸福が面白くないのか?自分の幸福の何が楽しくないと評価をされているか?とたまに思います。そしてこの作業はときに孤独を伴います。 先日、室町さんに孤独について、助言して頂き、孤独について考えたとき、三木清の「人生論ノート」の言葉が思い出されました。 「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」──それは物質のものでなくて人間のものである。」 「いかなる対象も私をして孤独を超えさせることはできぬ。孤独において私は対象の世界を全体として超えてゐるのである。
 孤独であるとき、我々は物から滅ぼされることはない。我々が物において滅ぶのは孤独を知らない時である。」 「我々が孤独を超えることができるのはその呼び掛けに応へる自己の表現活動においてのほかない。」 「表現することは物を救ふことであり、物を救ふことによつて自己を救ふことである。かやうにして、孤独は最も深い愛に根差してゐる。そこに孤独の実在性がある。」 あのとき、もし、室町さんの助言がなければ、僕はもっと孤独の条件に対して狼狽えていたかもしれません。 重複しますが、人格について、僕にとって人格とは幸福なので、僕はBレビ運営さんの幸福を奪った、だから「あなたはそれでも人間ですか?」とコメントを頂いたのだと思っています。しかし僕にとって幸福は人格ですが、他の人にとっての幸福はカレーライスかもしれないし、或いはまた違う形や言葉で表現され存在しているかもしれません。そして、僕はBレビ運営さんの被害者ではありませんが、Bレビ運営さんは僕という存在の被害者かもしれません。僕は人格を否定されてもピンと来ないと先に述べましたが、僕は知らず知らずのうちに、他の人の人格を傷つけていると思います。そのときは僕はどうすることもできませんが、出口を、その為に必要な出口を探すことができます。言い換えれば出口を探すことしかできません。

3
室町礼
室町礼
タヌキが掘った穴さんへ
(2023-02-06)

Comoestanuquiさま お読み下さりありがとうございます。 いったい何から語れば良いのか語ることが多すぎてまた自分の心の隙間も 心配りの至らぬこともありそうでしばらく天井を見上げていると一番最初に思い出したのは ご病気で亡くなられた投稿者の田中修子さんのことなんです。 わたしは田中修子さんがそこまで深刻なご病気だとは知らなくて何度かメールを 頂いたときも軽い調子でよもや話程度にしか相手にできなかったことを悔やんでいます。 そんな御病気だと知っていたらもっと慎重に用心深く語ったのにと。 そのときつくづく思ったんです。みんな一人一人それぞれ違った重みを抱えて生きている。 みんな自分とは違うのにそのことへ想像が至らなかったことを情けなく思いました。 そしてそんな情けない悔しい思いをしたことをいつもすぐに忘れてしまっている。 田中修子さまだけじゃない。知らない相手を相手にしていることに配慮が足らなかった。 わたし自身もそうだったんですよ。幼いとき親父から風呂場で湯に頭を押し付けられ殺されそうになりました。 あとで母から聞いた話ですが腹を蹴られて腸捻転を起こし救急車を呼んだこともあったそうです。 ずっと虐待を受けていたのに風呂のことが少し記憶に残っているだけなんですね。 おそらく怖くて何も思い出せないんです。だから小学生の初めてのプールで水に入るのを大暴れして 拒んだのですが同級生は大笑いするし教師は力ずくて水に引き込もうとして結局わたしが泣きじゃくるので 舌打ちをしてやめました。わがままなただの臆病からきているとしか考えなかったのです。 みんなが水泳を楽しみに来ているのにわたしの恐怖のせいで波乱が起きたことをわたしは謝罪すべきなのか?   子どもたちは水泳を愉しむためにここにきてます。   きみは迷惑なので立ち去ってほしい。   非常に不快です。   ここにいるのなら死んでもいいからプールに入れ。 もしこんなことをいう教師がいたとすればその教師の神経がどうなっているのか実のところわたしにはまったくわからない。 ましてや   それでも人間か。 というのは、相手を人間とみていないということになります。 だれかがプールに入れないトラウマを抱えて拒否しているだけで本人が無理にプールに入れられようと しているわけじゃない。いわば傍観者です。そいつが「それでも人間か」と叫んで憎悪を撒き散らしている。 この心的構造がわたしにはまったく理解できない。どうすればここまで他人を憎悪できるのか? これは詩作品にもいえます。 ひとつの作品はその作品をつくりだすもとの感情や思想がなんであれ作者の人格とはまったく独立した ものです。それが芸術的昇華ということであることは中学生でも知ってます。 その作品を見ようとしないで作者の人格を憶測して憎悪までつのらせる。作品をみようとしないでかってに憶測して 「嫌がらせに困ってます」とTwitterでおおやけに宣言する。これこそ人間のやることでしょうか? 数回言葉を交わしただけでていねいに話し合おうともせずにここまでやるなんてありえない話です。 不快だといえば何でも通る集団というのは幼稚園児の未熟な世界です。不快。つまり気持ちよくない。 世の中には気持ちよくないことなんていっぱいあるし大人の世界ってのはそういうものと関わりつつ 成長していく構造になってる。そんな社会人としてのいろはもわからない御仁が詩を書き運営をしている。  もっとわからないのはこういう方に限ってナチの強制収容所体験をしたユダヤ系詩人のことを 苦悩のポーズで語ることが大好きだということです。おそらくそういうことを語れば 知的な人間でヒューマンだとみなされるのでしょうね。なんという茶番か。わたしの見るところ今日 ことが起きれば一番かんたんに顔色も変えずに気に入らないやつらを皆殺しする思想や体質の人間に かぎってリベラルやヒューマニストを気取っている。 ああ、話が脱線してしまいました。怒りは何も生み出しませんね。 そもそもわたしには何も語る資格はないのですよ。『出口がない』という作品を読んで的確なコメント をなされていた湖湖さまには頭が下がります。わたしこれからは湖湖さまに足を向けて寝れないです。 湖湖さまの以前の投稿作品に批判的なコメントを付けたことをいま反省しています。これほどの方だから わたしになんらかの読み落としがあったのかといま狼狽しているところです。 吸収さまも最初のコメントは作品だけをみていたと思います。 それでも人間かといったコメントをした方は謝罪の気配もないし運営はカードを出すような動きがありません。 なんとも情けないし残念に思いますが他のコメント者にこういう方々がいたことはわたしには救いでした。

3
柳煙(りゅうえん)
作品へ
(2023-02-06)

運営との対峙という意味では、まあ、これだけキッパリとした態度を示せるの賞賛に値する。しかし、馴れ合いというのではないけれど、情に訴えかけるという基本姿勢、赤穂浪士のような、単純な庶民への同情の訴えかけとしては、やや知性に欠ける。

1
室町礼
室町礼
柳煙(りゅうえん)さんへ
(2023-02-06)

柳煙さま。お読み下さりありがとうございます。 おっしゃるとおりだとおもいます。 ただ運営と対峙しているわけじゃございません。 申し訳ないですが運営さまが対峙するほどのお相手とは まったく思っていおりません。またひどいコメントをした方にも 対峙しておりません。こんなことをいうとなんですが歯牙にもかけておりません。 ほんとうにすみません。幼稚で単純で自己愛一辺倒の大人になりきれない 方々を相手にしたり対峙するほど暇ではありません。わたし忙しいしやること いっぱいございます。失礼をいたしました。

1
タヌキが掘った穴
柳煙(りゅうえん)さんへ
(2023-02-06)

室町さんは運営さんと対峙していないよ。対峙しているは僕だよ。 そして室町さんが僕の作品にコメントしようとしているときに、蛾蝶さんが僕と運営さんの問題が悪化しないようにと思って凸ってきてくれたんだよ。蛾蝶さんがそのときに僕を人格否定をしたから、室町さんは人格を否定するのはよくないと言っているのだよ。 みんな人目を憚らず血を流しなら走っているんだよ。 そして単純な庶民なんてどこにもいないよ。みんな単純じゃないし、それぞれ違うというのが、今ここで扱われているメインテーマだよ。

1
室町礼
室町礼
柳煙(りゅうえん)さんへ
(2023-02-06)

追記 それと柳煙さま。お礼にというわけじゃありませんが フォームに立てられて問題的に「批評について」へコメント したいのはやまやまなんですがわたしのフォーラムへのコメントは すぐに反映されず一旦検閲にかけられます。荒れているトピックスへの 対処ならわかるのですが新規でもそういうことがありました。 わたしは検閲にかけられるというその事自体が非常に不快ですので 今後いっさいフォーラムにはコメントしないようにしております。 いいお題のトピックスで残念ですがじぶんが書き込んだものが検閲 されているという意識だけでも不快を通り越して非常に不愉快なもので もうしわかありません。 そのうち投稿作品へのコメントまで検閲するようになるのかな。どうなんだろう。 ひどいことをひどいと思わないで平気でつづける運営さまを見守っていきたいです。

0
柳煙(りゅうえん)
室町礼さんへ
(2023-02-06)

戦前みたいな雰囲気ですねぇ。戦後の間違いかも?

1
柳煙(りゅうえん)
タヌキが掘った穴さんへ
(2023-02-06)

北さんの人間性をとやかく言うつもりはないのですが、ご自身の過去をさらすと言うことは、以前あなたが仰られた、傷口を表現することになりかねないので、危険と思い心配しているのです。

0
タヌキが掘った穴
柳煙(りゅうえん)さんへ
(2023-02-07)

よく覚えてくれていますね。ありがとうございます。生傷をネタにするのはダメですよ。誰が聞いても痛々しいような生傷ネタは。 でも治れば徐々に話していく方がよいと言ってなかったかな? もし伝わってなかったらごめんなさい。 傷が癒えたら少しずつ表現していかないと、今度は逆にその傷がいつまでも自分の孤独の条件になってしまうよ。僕はそれに耐えられない。 この白血病ネタは5年くらい前にも一度挑戦したのですけど、まだ痛々しくて、、汗。 自分なりに作品としては駄目だったのですよ。何がダメって完全に超自虐ネタになっちゃったのですよ。 そこで今回、5年前の反省を踏まえて再び白血病ネタに挑戦したのですよ。 具体的に何をどう反省したかと云うと、詩文の中に、僕、私、などの自分を意味する文字を一切使わない制約を設けてみたのです。 なんて云うかな?この詩は、僕の白血病がネタなんだけど、その僕のことを、読み手は詩の中では語れないように表現をしてみましたよ。 作詩のきっかけは? それは自分の辛かった思い出から、「辛かった。」だけを取り除き、まずはふつうの思い出にすること。そして将来的には、「辛かった。」「おかげさまで。」にすることだよ。 柳煙くんならこの意味を理解できますよね。 でも詩の読み方や感じ方は、時期や気分によって、人それぞれあると思います。だから楽しいのだと思います。 ありがとうございます。いつまでも綺麗な心のままでいてくださいね。 そうそう、さっきも書いたけど、ここのメインテーマは、『それぞれが違う』だから、もしよかったら柳煙君も、コメントに、自分と他人との違うことを書いてみてよ。自動的にそれが僕の作品の批評文になると思うから。 室町さん、カード発行されたから、柳煙君がそんな返信してくれると、きっと喜びと思うよ。わかんないけど。

0
タヌキが掘った穴
作品へ
(2023-02-07)

いや、室町さん、もし柳煙君が返信してくれても、それに返信しないでくださいね。レッドカードになるそうです。 オレンジカードにより、2023年1、2月分の投稿作品が選考対象から外れ、サイト内での活動が2023年4月8日まで禁止されます。活動禁止期間内に作品やコメントを投稿された場合、レッドカードとなります すごい閉塞感ですね。これこそまさに小児血液内科病棟のようです。 病棟では家族意外は面会謝絶でしたので、あのときと同じ感じです。すごく寂しいです。

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タヌキが掘った穴
作品へ
(2023-02-07)

いや、室町さん、もし柳煙君が返信してくれても、それに返信しないでくださいね。レッドカードになるそうです。 オレンジカードにより、2023年1、2月分の投稿作品が選考対象から外れ、サイト内での活動が2023年4月8日まで禁止されます。活動禁止期間内に作品やコメントを投稿された場合、レッドカードとなります すごい閉塞感ですね。これこそまさに小児血液内科病棟のようです。 病棟では家族意外は面会謝絶でしたので、あのときと同じ感じです。すごく寂しいです。

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タヌキが掘った穴
作品へ
(2023-02-07)

柳煙君だけじゃなくて、僕にも誰にでもです。4/8まで返信しないでくださいね。レッドカードになってしまいます。よろしくお願いします。ここ本当に日本かなこりゃ?

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タヌキが掘った穴
作品へ
(2023-02-07)

まだ、いただいた批評文への返信の続きがありますので、清書したらここに書きにきますね。また来ます。

0
柳煙(りゅうえん)
タヌキが掘った穴さんへ
(2023-02-07)

非常に難しいでしなぁ、待つことを要求するのは難度の高いことでしょうけれど、人間というのはどこかしら違って、その力関係に苦しむ、理解をすればするほど共感できなくなり、その二元論的な相互作用に、誰も価値を見出せなくなっているのが現代で、つまらない詩ばかりが評価されるのは世の常ですが、後世に残せるものがあれば残したい。違和感に気付くことなく老いるくらいなら、強制的に自らに何かを敷いてしまうのは現状ではありますがね。

0
タヌキが掘った穴
柳煙(りゅうえん)さんへ
(2023-02-07)

なんか柳煙くんも言うようになったね。やるじゃん。 二元論だなんて、白隠禅師みたいなこといっちゃって。 共感かぁ、僕は女の人の体は好きだけど、女の人の考え方が嫌い、いや違う!! 嫌いなんかじゃない!! 理解できないんだ。でも理解できないからといって嫌いになったりしちゃいけないよねー。そう思う。 と、そう自分に言い聞かせながら、共感なんかしてる奴はバカだなと周りには言い聞かせている。 野球なんか観て、人が金儲けしてるのがそんなに面白いんか? と言いながら、実は阪神ファンは共感することに飢えていたりしている。 ほんとほんと、つまんない詩ばかりが良い評価をされて、中身が薄くなったよね。だって万葉の頃と今を比べたらね、コンビニがなかった昔の言葉の方が分厚いに決まってる。 だけど母乳はいつも濃厚だよ。 だから私、 わたし母乳みたいなの。 って言っているような詩が読みたいよね。 あ、ご飯、 ご飯おかわり半分で。 それでも人間かと言われてしまう。 人間ってなんだよ?人間て存在してんのか?人間って人と人の間にある虚像じゃないのか?そんな亡霊みたいなものが、人間なんだと思う。 人格ってなんだよ。人格は幸福だろ? 戦国時代 おまえはそれでも武士か? 太平洋戦争 おまえはそれでもにっぽんじんか? 現代 それでも貴方は人間ですか? よし、拙者は武士でござ候。 今から武士らしく腹を掻っ切ってござ候。 わーっ!天皇陛下ばんざーい。 ドカーン!! 役所で住民票とってきましたけど、これで人間として認めて貰えますか? だめ、人間ならばここを去れ! まじっすか? あ、あにき、あにき、 み、みんな、人格を証明するために みんな死んでますぜ!

1
タヌキが掘った穴
作品へ
(2023-02-08)

こんにちわ。お元気ですか? 今日もとても寒かったです。バイト中、人格について考えをめぐらせていました。まだ『人格』という文字から『違う人間ですよ』という文字の間に道路を渡すことができていませんが、 それでもあなたはそれでも人間ですか というような言葉は、今も僕の作品のコメントに残っています。 そして僕はまだ、それでもあなたは人間ですか?という言葉に鈍感です。 しかし、この掲示板の、僕の詩によせられた、人格否定の言葉をしょっちゅう眺めていると、日毎に腹立しくなってくると思います。 そして、自分の詩にコメントされたこの言葉が、掲示板に存在するかぎりは、しっかりと眺めておかなければならないと思います。なぜなら、僕自身、他人の人格を否定してしまうことがあっても、そのとき気付けなくなってしまうな、と思うからです。

0
タヌキが掘った穴
作品へ
(2023-02-10)

こんばんわ。 たぶんこれが最後コメントになると思います。室町さんの批評文のおかげで人格について考えることができるようになり、その大切を感じるようになりたい思えるようになった自分がいます。また現フォかどこかでお会いしましょう。ありがとうございました。蛾蝶さんの人格否定コメントには削除依頼を出しておきます。

0
タヌキが掘った穴
作品へ
(2023-02-12)

こんばんわ。なんかお忍びでコメントしたみたいになってますが、 元気ですか? 僕は運営から悪質な迷惑行為をしたと言われてますが、カードも発行されたこと一度もないし、アカウントも削除されてないみたいで、こうして今も書き込みできます。 さいきんは、公人と個人の違いについても考えさせられてます。こんなのハッキリいって暗黙集団リンチですよ。でも僕は人格という幸福を守るため、また書き込みさせてもらいにきます。 表現するとこが、人格を守るし、他者のことも幸せにすると思います。

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タヌキが掘った穴
作品へ
(2023-02-12)

こんばんわ。 寒い日が続きます。 風邪などに気をつけてください。 長谷川先生の詩集を読んでいます。野に作く花ノートのページに四葉のクローバーが挟んでありました。これはこの詩集を僕にくれた知人からのプレゼントでしょうか? また来ます。

0
タヌキが掘った穴
作品へ
(2023-02-16)

こんばんわ。 考えていて、今日、思ったのは、 世界には、あなたよりより苦しんでいる人が沢山いるというのに、なのに貴方はこんな小さなことで大袈裟に痛いだなんて! と言われて泣いている人ともしも出会したら、 どんな些細なことでも人にとっては恐怖や言い知れぬ不安の源泉であることがあると伝えようと思いました。

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