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お金名人
お金名人 谷川俊太郎は詩人であるので詩人の書く文章を字面だけ眺めて、 予定どおり目的の港にたどり着くことは真黒なスケジュール表を ひとつひとつこなしていくためにも悪いことではないのだろう けど読者は目で詩の文字を追っていると全体的ないわゆる詩脳内 で言葉が飛びちり溶けこみ熟して感無量の嵯峨信之の詩のように 文字に寄り添うけど文字そのものでは決してない世界をみている いやみていないのかもしれないけど、谷川俊太郎に戻していうと 曲や振付けはご自由にの感覚は2次創作への理解もまた共創加速 のひとつとして受け入れて「著作権」で固まらないのが日本食ブームの 原動力になっているのではなかろうか(歴史が大切なのはもちろんで) 日本の食が異次元に今も突き進んでいるのは、本家本元は大事でも、 実食して美味しいを味わえることの大切さ、環境が整っているからで 本家取りある詩も同じ道を進む料理詩にお金を払うのがお金の達人、 つまり、最初から、お金名人(谷川俊太郎)、について書きました。
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お金名人 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 652.0
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-12-14
コメント日時 2025-12-21
| 項目 | 全期間(2026/01/28現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


お金名人とは、噛み砕いて読めば、所謂商売人や、悪く言えば守銭奴、金の亡者的なイメージでしょうか? らどみさんの文章はとても個性的だと思いますが、どこかで皮肉めいたことを可愛く表現するというような芸風をお持ちなのではないか? と察しますが、この読みは正しいかどうか自信がありません。 全体を読み、日本食料理が突然出てくる文脈が読み取りきれませんでした。らどみさんの文章って、こんな難しかったっけ? と首を捻りながら読んでおります。 私の読解力の問題かも知れないため、恐らく後に続くであろうコメントの方々の解釈などを参考にしたいと思います。谷川さんは商売人であるというようなことが一つのメッセージとして軸にあるとすれば、ウンそうなのかも知れないとうなづけるところあり。
0万太郎さん感想書いてくれてありがとうございます。 谷川俊太郎氏の短詩「お金名人」を改めて読み返し ついでに谷川賢作氏と糸井重里氏の対談などからも この作品の作成時期や友を越えた繋がりの大岡信氏 との魔女的関係等からも面白い作品だと感じました。
1あなたが文面でよく扱う共創を加速するという論理がイマイチよく呑み込めない。 その先には何があるのか、開かれるのか、ということが、ですね。
0先日、若くて真面目なお役人が査察に来たときの 淡々とした口調に似ていて驚きます。 「共創を加速するその先に何が開かれるのか」 たぶん港じゃなくて、屋台村だと思うんです。 時刻表どおりに船を動かす人がいて 勝手に踊り出す人がいる いつの間にか鍋が置かれて 「あ、これ美味しいですね」と誰かが言う 共創加速って、 目的地を共有する技術というよりも、たぶん 目的地がズレていくことを許容する作法かな 谷川俊太郎が「曲や振付けはご自由に」と言えるのは 港がどこか知っているからというよりも 港そのものが増殖しても最初から平気だからでしょう 開かれるのは「その答えからの演算」ではなく 「払ってもいいと思える経験」が増えること。 だから私は詩を読む話をしているつもりで 例えば、ついお金の話になってしまつた。 お金名人とは、正解に払う人ではなく ズレが美味しくなった瞬間を気づける人のこと たぶん、そんな定義です。これも結局のところ、 貴殿のとても冷静で知的な問い合わせに対する カスハラマニュアルでしかないのかもですが、、、
0「払ってもいいと思える経験」ズレが美味しくなる。 寛容の差も受け入れるってことですかね。 強調を利するお人なんだな。と。 僕はたぶん真似できないでしょうね。 我慢できなくなる。 人間嫌いな癖に変な弱者救済を由とするゲバラ的にゲバルトです。 結局思うばかりの立ち上がれない傍観者ですね。 なのでブラグマティストに対しての尊敬する念はあります。
0長い期間で、今、まだ残っているネット詩参加者らのログの その書き手のなかで沢山読んできたと思っていた人達なのに 手が届いていない悔しさや怒りすら麻痺しているというより まだここの使い勝手がわからないとこもあるのでしょうけど、 言葉の定義付けのすり寄せの段階だったのは意外という感じ、、、 たぶん私は寛容というより味覚が鈍いだけなんだと思います。 ズレも苦味も噛んでいるうちに「あ、これもタンパク質だな」 と思ってしまう。。。 ゲバラ的にゲバルトという自己診断はかなり正確で詩的です。 立ち上がらない傍観者というよりは立ち上がらない位置から 一番しっかりとよく見ている方なんじゃないのかな と プラグマティストへの尊敬も同様で行動への憧れというより、 「動ける人がいるこの世界で、まだ自分が怒ることが出来る」 という安心感をあなたはこの空間に感じているのかもですね 私の言う「払ってもいい経験」って救済でも前進でもなくて、 我慢できない人が我慢しないまま言葉を置いていける場所が 残ること。古典では自由からの逃走の自由を深化させること かな たぶん私たちは同じ店の別の席で同じ料理を文句言いながら 食べてるだけなのかもですね。とても大きな音をたてながら、、、
1共創加速とはこうも前途多難なのですね
0おはようございます。 アラガイさんと らどみさんのコメント、 両者のコメントが魅力的で 有意義なやり取りをされているのでつい覗き込んでしまいました。 >>「動ける人がいるこの世界で、まだ自分が怒ることが出来る」 >>たぶん私たちは同じ店の別の席で同じ料理を文句言いながら 僕にとってこの説明はかなりわかりやすく、自分の感覚に落とし込めたので 勉強になりました ありがとうございます。 >>文字に寄り添うけど文字そのものでは決してない世界をみている 言葉にはうまく表せないのですが感覚としてはとても共感します。 五感をやこころの機微を文字にしたいために 文字と対話する、感情や感覚を相互的に通訳するという 試みをしている気もしますが、僕はいつも立ち上げに苦労します。あとはピントがずれるというより、 曇っていたり。 らどみさんはあまり感情を昂らせず冷静に書いておられるような気配がしたので、僕も地に足をつけて読めました。
0ぼんじゅーるさん おはようございます。 覗き込んでいただいてありがとうございます。 鍋を囲んでいたら、いつの間にか隣の席から 「それ、いい匂いですね」と声がかかったようで 嬉しかったです。 詩のサイトのコメントは、完成品というよりか 五感やこころの機微を、いったんは置いてみる受け皿みたいなもので ピントの曇りや立ち上げに苦労する感じは迷い箸みたいで共感します むしろ曇りがあるから、触れ直せる余地が残るのかもしれませんから 感情を昂らせずに書いているように映りましたのなら たぶんそれは冷静というよりか、お鍋の最後のほうで 焦がさないように弱火にしていただけだと思いますよ 強火も弱火もどちらとも料理には必要ですから、、、 こうして第三者のぼんじゅーるさんの視線が入ってくれると やり取りそのものがいっそう発酵する気がしました。 勉強になったと言っていただけてそのひとことだけで この場に置いた言葉たちも少しは報われるのでしょう 今は余韻に浸っていますのであまり多くは書けません。 また同じ店で席は違っても文句を言いながら食べましょうよ 食卓は大人数のほうが愉しいし そのほうがだいたいは美味しいので、、、 ありがとうございました、、、
1「お金名人」は鳥取県が、エシカル消費の普及、浸透の目的で谷川俊太郎さんに依頼して作ってもらったものらしいですが。 どちらかというと、タイトルの面白さ、インパクトをベースに書かれた詩のように読ませていただきました。 正攻法を取らない論理の破綻は詩の許容範囲の内に収まっているように感じました。
0難しかったです……! どういった文を書かれる方なのか、別の作品も読ませていただきます。簡単なコメントにしてしまいごめんなさいね。
0コメントありがとうございます。 万太郎さんに「日本食料理が突然出てくる文脈が読み取りきれませんでした」 と書かれて書いた自分もよくわからなくなってしまってそこの部分を見て見ぬ ふりしていたところもあったのですが、紅茶猫さんに「詩の許容範囲」として くれたおかげでなんだか置き場所が安定できました。ありがとうございます。
0えっと、、、 難しかったのですね。ごめんなさい。 たぶん今の私の言語化の限界ですね。 もっと精進につとめます。 今後とも宜しくお願いします。
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