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ダメだダメだダメだ
ダメだダメだダメだ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 582.7
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-09-30
コメント日時 2025-10-09
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


シンプルながら地味深い詩だと思いました。畳みかける様な比喩的な表現に、引き込まれました。思わず立ち止まって八月を殺したの意味を考えてしまいましたが。
1エイクピアさん、ありがとうございます。 エイクピアさんが、何か魅力を感じてくれたのなら、もうそれでOKです。
0プツ...と突然BGMが止まる感じの終わり方が良い。陰キャがある日、職場でぶち切れて大暴れするレアイベントが発生して職場の晒し者になるが、上司だけは内心密かに見直している、、みたいな良さがある。
1おまるたろうさん、いつもありがとうございます。 実は学生時代、その手のレアイベントに遭遇したことがあります。 そういうのは、起こした人はもちろん、その場にいた人にとっても印象深いものですね。 レアな感じのする詩、書きたいなと思いましたよ。
0信号機をけ飛ばすところが痛そうですね。痛みについての詩なのかな、と感じました。スーパーは、日常の象徴だと思うんですが、そこに救いがないということは、何らかのピンチが感じられます。ここから持ち直すには、何かの助けを必要としているのかな、と想像しました。街について、かなり不満がありそうですね。ということは、山猫の雄がやはり、一番主張をしている感じかな、と思いました。否定によって、上にいくにしても、何らかの手掛かりはいると思うのです。そのとっかかりみたいなものを、どこかに必要としている人がいるのかな、と。少し、心の中に踏み込んで読みましたが。詩というのは、必然的に心を提示するものだと思うので、詩人は、存在と言葉に対して、親しみを持っており、ハイデガーの言うような、「存在の家」を作ると思うのです。いまは、家を建築し直すべき時なのかな、と思いました。
1「ダメだダメだダメだ」八月を殺した~山猫の雄は~ こうして引かれ続く言葉たちがすべてを物語り、 エイクピアが言う後に続く比喩的な効果はこれらに付随させたようなものです。 欲求不満に彩られているわたし(雄)はこころの内に叫び声を語らせる。 しかし、それでもダメだダメだダメなのだ。という解決に向かわせない心情。 これは比喩に見られるように語り手を使って作者自身に呼びかけている。 この思い、不満感は創作するという思考活動に対してでしょうか。 一つ佳いのは~八月を殺した。この八月という時期を持ってきた。ということでしょう。 一昔前の夏。或いは青少年の頃ならば少しはロマンも感じられる八月という季節。 昨今の狂暑にはうんざりする我々。この八月という時期は、誰しもが殺される。または殺したい。という破壊的な欲求に駆られてくるのです。 上で黒髪氏が建築を見直すべきだ云々の発言をされておられるのはそのとおりで、 近年の猛暑、豪雨災害や多発する地震のことを考えれば一昔前の和風住宅ではもう対応しきれない時期にきています。 かといって耐久性のある味気のない直接的な対照造りの家がこの国に合うとも思えない。 先ほど19世紀中頃から流行したジャポニズムを取り上げていた番組を見たのだが、 西洋人の、とりわけ有名な画家でもあるモネが壁に日本の扇子を飾っていたが、 なんともそのアンバランスな不似合いさには辟易したものです。 理由は簡単で、部屋の造りから壁紙が西洋式そのもので、 やはり曲線的な構図に描かれた和式の風景は障子や襖紙を好むものだな、と。 そういう意味に於いても 今日雑多に混交している和洋折衷という文化芸術の様式も、まったく新しい視点から見直されてもいい頃ではないのか、とも思う。
1↑ごめん。エイクピア(さん)が抜けおちている。
0黒髪さん、ありがとうございます。 そうですね、自分自身が今過渡期的な時なのかもしれないです。 そして社会自体も、今大きく変わろうとしている時だと思います。 本当はもっと、ガンガン変えていきたい気持ちもあるのですが、時間も体力も限界があり、休む時間をたくさん取らないとなかなか活動もままならなく。 自分が純粋なエネルギー体なら、ただ振動するだけで事足りるのでしょうが、物質という固体のエネルギーを変えるのは、なかなか難儀なものです。 トムとジェリーのような追いかけっこも、お互い楽しいうちが華のようなものです。 そういう意味では、今は社会が大きく変わろうとしているので、自分自身が変わろう変わろうとしなくても、時代とともに踊るだけで、新しい世界に踏み出せるのかもしれませんね。
1アラガイさん、ありがとうございます。 不満感は行き詰まりを打ち破りたい叫びでもあるかもしれません。 さなぎにしろ卵にしろ、割れるのは、内側からなので。 個人的なことを言えば、「八月」という季節に、あの日の感傷にひたっているところからはもう、出ていかないといけないのかもしれないと、少し思いました。 偏見かもしれないですが、白人の人は白人の文化的文脈上でしか、他文化を理解できないのかなと思ったことがあります。 それは絵を観た時です。 黒人の女性に、白人の女性が着るようなドレスを着せて描いているのを観た時にそう思いました。 黒人の女性には、黒人の女性としての魅力がある。 黒人だからこそ似合う服装もある。 でも、白人の人は、白人的良さしかうまく飲み込めないのかもしれない。 だから、洋室に扇子をそのまま飾るということが起きる。 ただだから白人はダメとかそういうことを言いたいわけではなくて、白人の人は白人の良さを大切にして、黒人の良さは黒人の人が表現すればそれでいいんだと思います。 新しいものは、同時代にはなかなか理解されなくて、その時代に賞賛されるのものは、既知のものである場合が多い。 新しいものというのは、未知のもので、既存の言語化からは外れたところにある。 だから新しいものを前にした時、その人の言葉の力が試されるのかもしれないですね。 いまだ言葉にされていない何かを、言葉にする能力が。
0直接的→直線的ですね。 読み返して見ると誤字が多くて、 すまんことです。m(_ _)m
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