別枠表示
追憶は夜空の隅にそっと置いていった
丘の上に咲き誇った花たちの名前は未だ知らず その花の上たちで横たわって 数えた星たちの名前もずっと知らなかった 思えば、その傍にいた人のことだって 何もわからなかったように思うんだ 追憶は夜空の隅にそっと置いていった 思い出さないでください、僕のことを 火の消えた火鉢のように寂しいものですから 忘れてください あの星々を 死ぬにふさわしいほどの、あの星々の灯の響きを そっと引き出しにしまってくれたら、それでいいのです あるいはあの丘の上の花を添えてくれるだけでも
追憶は夜空の隅にそっと置いていった ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1145.2
お気に入り数: 2
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-06-18
コメント日時 2025-07-06
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


正岡子規が確か、上五を忘れたけれど「名も知らぬ花白い花」って詠んでいて、そういう曖昧さというか、未分化したものを詠むのが禅であーる、と喝破したのが鈴木大拙なんだけれど、どうなんだろう、その日本的霊性とおフランスな詩の止揚といおうかなんといおうか、曖昧とした描写というかタッチの中にも、胸を掴まされる、何に似ているか、っていったら野口雨情かな?って感覚だけれど2025年仕様にアップデートはされているんじゃないかと思う。しかし、その内容が、まあ最近僕の周辺で亡くなった方が多かったんだけれど(少子高齢化じゃんね)人が死んだときっていうのは、そっけないものなのか、この詩で詠われるように淡すぎるものなのかはわからないものですね。人それぞれ受け取り方が異なりますからね。そういう意味で、死を、ああ、死んじゃった、と、短絡的に扱っていない、根っこの、人の良さ、優しさが見える。こんなこと批評でいうことじゃないけどさ。
0何度か読んでみました。暗示が点々と散りばめられているようで、気になる作品です。読むたび毎に解釈が変幻します。また、時をおいて読んでみるのもおもしろそうです。
0テイムラーさんの長いタイトルの作品。何とも言えず叙情が漂っていて好きです。前回の「夜の果てで……」はコメント欄でも賛否わかれていたようですが、僕としてはいいんじゃないかい?と陰ながら好感を持っていました。
0コメントありがとうございます! 実のところ、僕の詩というのは「21世紀の星菫主義」とでもいうべきか……昔の抒情詩とかを2025年仕様(あるいは尹東柱仕様)にアップデートしたものが多く、僕自身もそれは自覚してやっている。 ※野口雨情について知れたので本当にありがとう……さっそくアップデートの用意を進めておこうと思う。
1コメントありがとうございます! 多分、僕が読んでも内容は変わるかもしれない……(それはそれで書き手としてどうなんだということになりかねないけれど)
0コメントありがとうございます! まさか好感を持っていただけていたとは……本当にありがとうございます! ※韓国文学に少し影響を受けたからか、どことなく作品名が長くなる傾向がある
0その語り手はジキルなのか、ハイドであろうとするのか。 「追憶は夜空の隅にそっと置いていった」。~ 丘の上に咲き誇った花たちの名前は未だ知らず。 過剰な情緒が気持ちわるいです。 もちろん、そうでも無い人たちもいるのだろう。 ~思い出さないでください、僕のことを~ 僕の人称で語られると一般的には青年を思い浮かべますね。 それでいてこのタイトルの文面や上記した~丘の上に咲き誇った~未だ知らず。 と書き込まれたら話者の二面性はどうしても伺い知れることになる。そのことは、つまり時という時間か、あるいは語り手=作者という空間(場)の二面性に置かれて読めるのか。と読み手の思考が働くのは当然でしょう。また語り手=詩ならば、読み手は意図的にそう解釈し想像しなくてはならない。 その境界が曖昧で上記に述べたようにわたしには気持ちわるく読めるのです。 ならば僕の語りの部分と、先に述べたタイトルの一文や丘の上に咲き誇った~未だ知らず。 これをはっきりと分けてほしいと思うのです。 それは、 、成長した語り手が醸し出す追憶の小夜曲。 こうした配慮が文章として少しだけ不足しているのでは、と思うのです。
0今はもう居ないものへの、手向けの歌のようです 「火の消えた火鉢のように寂しいものですから」 このフレーズが特に好きです ほんのり温かさが残っているのに、 さっきまで燃えていたものと同じ火は二度とつかない すべての明かりをふっと消すような、 あたたかくて寂しい気持ちになりました
0コメントありがとうございます! ……実のところ、「語り手=作者」と「語り手=詩」の協会はわざと朦朧にしてる部分がある。 確かに「語り手」は僕だろうという部分は今までの詩でも僕自身が感じたし、でも同時に「いやこいつ絶対僕じゃないな。まあいいか」という感じにも書いてきたから。
0誤字訂正 協会→境界
0コメントありがとうございます! そのフレーズは確かに自信を持って刻みましたね……!
0