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2025年3月のBレビュー
90点~...世界文学の水準で読むべき 80点~...日本文学史に残る 70点~...名作 60点~...プロレベル 50点~...独自の表現を確立している 詩界隈をウロつきはじめたのは、ちょうど約1年前の3月半ばだ。だからといって、何か特別な感慨があるわけでもないのだが、この1年で、つまらないものをたくさん読んできた...そう思うと、ただ、ため息が出るばかりである。 かつてのオルタナティブの夢は完膚なきまでに破壊されている。旧来のメディアの影響力が至るところに圧迫し、日々impを集める面々も、めをこらせばオールドメディア出身の要人たちばかりで、すでに状況が固定化されて久しい。 そんな中、詩は、ひとり時代の流れに背を向けるように、いまだに「わたし」の特別さにすがり続ける。ふと、こんなことを想うのだが、詩が雲散霧消した暁には、こいつらどうなってしまうのだろう?、と もしそうなれば、まあ全員とは言わんが、でも一人か二人くらいは、本当の意味で「世に出て」、ブレイクスルーするかもしれない。アベマTVに出演するとかして、つまり、もっと活気のある場所で、ようやく報われるのかもしれない。よしんば「わたし」が特別なのだとして、本来、それくらいのビルディングス・ロマンがなければ、しかたがないような気がする。 誰だったかは忘れたが、かつての(伝説のネット詩投稿サイト)文極のユーザーだった方が「自分たちは塵芥になった」とコメントしていたのを憶えている。その痛切さには真摯なものがあった。確かに、あると信じていたものが、ある日突然、まるで最初から存在しなかったかのように消え去ってしまう。こうした地獄のような喪失を、詩というものは、いとも容易く召喚するらしい。 田中宏輔 「コピー。」 ...91点 https://www.breview.org/keijiban/?id=14467 この作品はコピー&ペースト、ひいては生成AIの時代において、唯一無二であることの絶望的な困難さを示している。読者の理解に寄り添うような抒情性やぬくもりはない。ただひたすら、淡々とコピーし続ける。 現代詩や対する強烈な批評性があるように思う。ネット詩に顕著な「自己の特別さへの執着」や、「読みやすさ」や「共感可能性」への最適化、そういったものへの、制度を熟知したうえで内部から皮肉るような精神が、淡々としたリズムの中に編み込まれている。 ここにあるのは「虚無」に違いないのだけど、ただしそれは、自己憐憫の中でまどろむようなあまったれた虚無ではない。もっと鋭く、もっとむごい。詩人として生きる者の、地獄の底に澱のように沈殿するような虚無である。 詩人は自らの身体をコピーする。左手を、右手を、顔を、胸を、お腹を、脚を、 次々とコピーし、セロテープで貼り合わせ、ついにはペラペラの「ぼく」が出来上がる。だが、その行為の果てに出来上がった「ぼく」は、紙のように軽く、薄く、風に舞う。実存なき実存、コピーによって量産された自己は、もはや自己である必要すらない。 とはいえ、この作品には、ある種のナルシズムもある。とくに90年代ーゼロ年代のポストモダン文学の文脈、たとえば村上春樹や笙野頼子が描いたような「自己の実存」を巡る彷徨いの潮流の中で、作者も生きていたのではないか。コピーとは自己の複製であり、鏡の中の自己と向き合い続けるナルシズムの一形式である。 作者は、自分という存在の証明=詩作を試みつつも、その証明がもはや成立しない時代の空気を、肌で感じているのかもしれない。 後半になると、コピーした紙を「風に飛ばす」という行為によって大きく転回する。だがそこに希望はない。あるのは、絶望の末に訪れる、身を任せるしかないかなしさである。吹き抜けるビルの隙間を、「ぼく」はひらひらと飛んでゆく。だがその軽さは自由ではなく、存在の希薄さそのものである。コピーされ、切り貼りされ、軽くなった「ぼく」は、どこにも帰る場所がない。 ほんらいコピー不可能なはずの「詩」とは何だろうか。おそらく、その核心は「気分」の感染である。そしてこの作品には、最果タヒや谷川俊太郎には欠如している、或るとくべつな「気分」がある。
2025年3月のBレビュー ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1115.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-04-08
コメント日時 2025-04-11
| 項目 | 全期間(2025/12/06現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


そういえばこのBレビューシリーズで近代的な抒情詩系の作品が紹介されたのをあまり見たことがない……。 このBレビューシリーズは色々な作品をある意味興味深い視点で語るから、この筆者が近代的抒情詩の精神に基づいて書かれた作品をどう評価するのかが気になる。
0近代的抒情詩、、 といっても、その大半はハリボテのまがいものの花鳥風月で、ハリボテの青白い美意識で癒されるほど筆者も暇じゃないので、とりあげることはほぼないでしょうね。 あと、いうまでもなく、才能が本物ならばとりあげますよ。
1今回も面白く読ませて頂きました。
0ronaさん、ありがとうございます。楽しんでもらえて、何よりです。
0ちなみに、このレビューは自己採点で何点くらいでしょうか?
0批評の場合、 点数云々ではなく、反響や、読む者への打撃の大きさでしょうね。 どうでしょうね。
1作品もまた、どれだけ感動を与えたかだと思います。 もっとも、点数をつけた批評が無意味だとは思いませんが。 結局のところ、歴史のふるいに耐えられるかなんでしょう。 作品も批評も。 返信をありがとうございます。 スルーされるかなとも思っていたので、返信をいただけて、ちょっとうれしかったです。
0~その確信は「気分」の感染である。 ある特別な「気分」がある。の「気分」とは如何様な気分を指して言っておられるのか。問うてみたいのです。
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