ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活 - B-REVIEW
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たそがれに たれかある さくらのかおりがする

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羽田恭

喘息の少年の世界

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誰かがドアをノックしたから

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あなたへ

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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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sorano

衝撃を受けました

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二酸化窒素

ずっと待っていた

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批評対象
作品を読む

ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活    

<批評対象作品>
いつまでもそらにいる


わたしはメタ詩すなわち「詩を書いていることを書いている詩」にうるさい。好きで造詣を深くしたのでなく、初恋のネット詩人の周縁がメタ詩だらけだっただけだ。なにせ詩は様式がすべて。好きな書き手の詩は、そいつに書かれた時点でおおむね好きだ。好きな書き手の好きな詩もまた、そいつの一部が含まれているのでだいたい好きだ。どいつもこいつも内容などは、ありさえすればなんでもよい。なにがあろうとないに等しい。メタ詩だろうが反戦だろうがタビハナことりっぷだろうが一様に、ひたすら都合よく消費され、ついばまれてゼンメツするのみ。 「きみの歩く地上ではサクラ、ツツジ、アジサイにキンモクセイ。そしてまた新しい街路樹に咲いたタビハナのつぼみを、数多のことりっぷたちがついばんでいる。」(作品末尾、後述) この推薦文は本来、これで終わり。厳密には冒頭一行ですでに終わっている。わたしはメタ詩に通暁したので、メタ詩に有効な訴求方法も、豊富な経験から熟知した。ただ心ある、読む意欲のある人に、「この詩はメタフィクションだ。」と伝えるだけでよい。その他の話はすべて蛇足、批評より作品を読むほうが早いので。 以降は余情。不要でも有害でも湧いて出てしまうもの。 *** メタ詩はすなわちメタ読詩、詩を読んでいることを読んでいる詩。作者も自作の一読者にすぎないことを書けていない、すなわち読めていないメタ詩は話にならない。この詩中でも、「僕」は「僕」を書きながら読んでいる。書かれた「僕」に読まれた「僕」が書き足されていく。「きみ」を歩かせたい詩の世界を、築いては壊し、壊しては築く「僕は隕石だ。僕は墜落する乗り物ですなわち物語だ。きみの住む街を目掛けて降りそそぎたい。いらないものはぶち壊してやりたい。ときには砂漠の真ん中に不時着して途方もないそらを見上げたい。勇敢な者たちに破壊されたい。ばらばらになりたい。粉々にして欲しい。」(6聯) 現代短歌において作者、話者(語り手)、作品主体(主人公)は別個だが、この詩ではどうだろう。空中の「僕」が地上の「きみ」に語りかける形式の、一人称文体だが、最後に提示される主体が「きみ」なので二人称に近い。「僕」が神の視点に坐し、詩境を全知する点は三人称にも近い。 詩の世界を滔々と叙述し創造する「僕」のもとで、「きみ」の影は実に薄い。どうやらこの被造物には、まだ息が吹き込まれていない。「きみ」(主人公)は「僕」(語り手)に懐胎され、「僕」ごと作者に懐胎されている。だから「僕」は、自身を作者から奪胎し自身から主体を換骨し、物語をばらばらに引用する「勇敢な者たち」を希求している。 引用されるまで、この物語に主人公は生まれない。「僕」に「きみ」と呼び求められるそれはわたしでもあり、ほかのだれでもありえる。作者が死に読者が生まれる、物語の換骨から表敬オマージュが受肉する。 「きみの歩く地上ではサクラ、ツツジ、アジサイにキンモクセイ。そしてまた新しい街路樹に咲いたタビハナのつぼみを、数多のことりっぷたちがついばんでいる。」(作品末尾、再掲) 「きみ」の、われわれ読者の歩く詩の世界は、花季も弁えず繚乱する夢の百花の花盛り。わたしが切り開く読解の理路には、わたし好みの詞華ばかり都合よく立ち並ぶ。わたしは詩から詞華を摘み取り、引用の経緯で読解を織る、きっとあなたがたが詩を織るのと同じ手つきで。 「テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である」(バルト『物語の構造分析』)、これをかつて文学極道という投稿サイトの、ダーザインという創設者が「言葉の花束」と呼んだ。そういう意味で呼んだのではないのかもしれないが知らない、作者など読まれはしない。まして自分など、自分に読み切れると思うのか? わたしが文学極道で読んだ珠玉のメタ詩たちは、みなこの断絶に物語を沈めていた。さて、このメタ読詩は。 「そうやってそうやって僕はいずれ、誰かや、きみや僕自身の物語になる。そのあとはきっと誰も知らない海の真ん中に墜落して、すなわち僕は誰かのガソリンになる。したらもう知ったこっちゃない。知らんぷりをして抱きしめて欲しい。いつまでも僕を消費して欲しい。いつまでも。いつまでも。いつまでも。いつまで? いつまでも。」(6聯) わたしはこの詩が好きだ。なんの根拠もないがきっと、わたしも好きな詩を読んだ人が、わたしの知らない経緯からわたしには届かない心境へ飛躍して、いまわたしに読ませている。この詩とともに、きっとこの詩の血肉になったわたしも好きな詩を再び読ませている。なん度でも言う、詩は様式がすべて。好きな書き手の詩は、そいつに書かれた時点でおおむね好きだ。好きな書き手の好きな詩もまた、そいつの一部が含まれているのでだいたい好きだ。 したがって、わたしの好きな書き手を好きな書き手の詩を、わたしが推す公算はすさまじく小さい。そりゃそうだろう。あなたあの人からその程度しか読めなかったの、あるいはわたしと同じように読めても書けなかったのと、うんざりする蓋然性がおそろしく高い。わたしは非情な読者だから、これほどのメタ読詩がほかに見つかるなど期待しない。躊躇なくいま、この人に敬服しこの詩を絶賛する。 ※※※ この雑記は、下記炎上批評のコメント欄で受けた邪推への返しである。 https://www.breview.org/keijiban/?id=10356 以上の拙文はすべて筆者の自己表現であり、一切の責任を筆者が負う。この鑑賞にある問題も、鑑賞対象の問題でなく、その著作者に責任はない。



ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 15
P V 数 : 2250.3
お気に入り数: 0
投票数   : 6


作成日時 2023-01-09
コメント日時 2023-01-17

ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活 コメントセクション

コメント数(15)
鷹枕可
作品へ
(2023-01-09)

拝読させて頂き、致命的に自己には欠損している技巧を再確認させていただきました。 つまり、詩を書いている詩人を書く視線、 詩を批評している評者を批評する批評眼。 メタ認知の正確性。 仮想的二人称の限界を苦く、噛み締めました次第でございます。因みに、作者と作品の紐付けに附きましては、「いいとこどり」で宜しいのではと考えて居ります。 感想文、終り。

1
澤あづさ
鷹枕可さんへ
(2023-01-09)

ご高覧ありがとうございます。読めるかたのご感想ってスリリングです。 >作者と作品の紐付けに附きましては、「いいとこどり」で宜しいのではと考えて居ります。 わたしテクスト至上主義者なのに、現に本作も作者など一顧だにしてないのに都合よく、作者様(と、作者様もたぶん好きだってだけでこの詩とはぜんぜん関係ない別のある人)好きいいいとかふざけんな、と自分でも思いましたが。前作のエセインテリごっこでためこんだ、言いたいこと言えない鬱憤を、今回は全力で発散しました。書いてておっっっそろしく快楽でした。認知と正確性にはまったく自信がありませんが、心あるかたを刺戟できれば幸いです。

1
澤あづさ
さんへ
(2023-01-10)

ご高覧ありがとうございます。まあつまり泥酔です、文末の註記を除き、ここに好き以外のことはなにも書いてありません。説明する気がまったくない(それが不要であることを、実際の経験から熟知している)ので、客観的にはかなりの難文であろうと思いますが、好意的に読んでいただけて幸いです。 以前苦行のごとく詩を修煉し、どうあがいても自分の筆致が自分の要求水準に達しないことを悟り、詩はもう断筆したのですが、こういうのを書いてみますと、これがわたしにとっての詩作なのかもしれないと思いますね。適した形が人とは違うだけで、わたしにも書ける詩があるのかもしれないと。

1
ゼンメツ
作品へ
(2023-01-10)

ありがとうございます! 僕ってば自作大好きマンなので、まーーほんと、すっごい回数読み返すんですよね。この「いつまでもそらにいる」はそこそこ長いんですけど何度も読んでも良かったです。自分で何言ってんだって感じですけど、他者からの評価とベツにお気に入り作品ってあると思うんですよね。自分に刺さるってやつ。「トワイライトアテンダント」とか僕いまだにちょくちょく読んでますもん。 なんていうのか、「あ、無条件でいい感じなの書けたなー」って思ったんですよね。無条件でって言い方はアレですけど、いにしえのガルパン良いぞおじさんみたいに、「いつまでもそらにいるは良いぞ……」「良い……」的な、いや、あれは牽制のし合いから生まれたからちょっと違うか。いやでも読んだらわかるってのはまさにそうだと思ってて。これ大体誰が読んでもなんとなくいい感じに受け取れちゃうのでは?? 何度もラブコールで名前出しちゃうんだけど僕、泥棒さんと泥棒さんの作品がとにかく好きで、これ読んでる第三者のために説明すると泥棒さんてまーすぐ作中で詩書いてみたり、第四の壁破っちゃったりするんですけど、泥棒作品読む前って僕あんましメタメタしいの好きじゃなかったんですよね。最強の共通言語すぎてずっこいぞおまえ!みたいな。でも泥棒さんの読んだらどうでもよくなっちゃって、だって泥棒さんて多分メタろうがメタるまいが、なんかもう、そもそも詩人なんですよ。「そもそも詩人」ならそりゃ書いちゃうよなあって。 http://bungoku.jp/monthly/?name=%93D%96_#a04 泥棒さんの初期の名作『姉のネーミングセンスについて、』かわいいですよねこれ。何度もいうけどこの姉みたいなやつになりたかった。 http://bungoku.jp/monthly/?name=%93D%96_#b02 『ギギギギギギギギギギギギギギギギギ 』ビーレビっていわゆるこういうの多いんですけど、それらと圧倒的に何が違うって、読んでると本当に「テキスト越しに目が合う」気がするんですよね。 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/613.html#20181108_314_10885p 『天才か機械か雑魚か学校か刃物か自殺か巨乳か太宰か兵隊のどれか。』 どういうわけか佳作にもなってなかったけど後期で好きだったやつ。 好きな詩を勝手に紹介するかしないかってなったとき、僕の中ではその人を「詩人として好きかどうか」はわりとデカいんですよね。僕も読むときは作者と作品はべっこにして読むけど、やっぱどうしたってこういうところでは切り離せないし、そういったもののために、みな良い詩人であれ。と思うんです。もちろん僕も含めて。

2
澤あづさ
作品へ
(2023-01-10)

※ご閲覧のかたがたへ※ わたしは心理学の専門家ではありません。文末の註記に載せた記事内に書いた通り、ただの心理学部卒です。学部卒に臨床心理士・公認心理師の受験資格はありません。わたしは専攻が臨床ではなかったので、院試の受験資格すらありませんでした。

0
澤あづさ
ゼンメツさんへ
(2023-01-10)

あっ作者様ごきげんよう。回線生きてらしたんですね、それは本当に本当になによりでした。再訪なさると存じてたらもう少しまともな内容を検討したのですが、結果として作者様の顔色窺わずにすみ(※これはわたしの悪癖であり、ゼンメツさんのせいでは断じてありません)幸いだったと思うことにします。それにしてもゼンメツさんは、本当に本当に癒やし系ですねえ。 文極推し活ありがとうございます!!  諸事情でいま、寝ても覚めても文極づけですので、文極URL大歓迎いたします!! ▼泥棒『鳥は鳥、君は君、だから君は絶対に飛べない。』 http://bungoku.jp/ebbs/20160531_106_8855p ↑わたしの印象に最も強く残ってるハート泥棒メッタメタ詩はこれですね。コメ欄かなりのレア物ですので、優良ですけどあえて投稿欄を推しておきます。2006・2016・2019年創造大将がそれぞれ、2015年創造大将をどういう着眼から評したか、文極おたく以外だれも価値を解さない逸品ですよ。 泥棒さんの最盛期はやはり2015年なのでしょうね。以降メタメタしくなりすぎて評価がた落ちましたけど、わたしはメタ詩に造詣が深いのでもちろん推せます。ただハート泥棒メッタメタ詩は「この詩はメタフィクションだ。」の一言だけでは売り込み不可能なので、ヒヒョー家には難敵ですわ。 * 最後のお話に乗じて、もいっこぜひとも推し活したい文極投稿欄(ちな右肩さんの)がありますので、また改めて返信いたします。どうかそれまで、癒やし系ゼンメツさんの回線が延命しますように!

0
澤あづさ
さんへ
(2023-01-10)

ご高覧ありがとうございます、泥酔お返詩の快楽にご注目いただきうれしく思います。タヌキさんの泥酔、ぜひ拝見したいですね。わたしタヌキさんの詩もお返詩も好きなので、それはもうまた拝見したいです。 お返詩のたぐいは作者様不在の場のほうが望ましいし、鑑賞対象が草野理恵子氏ほどの著名人なら、同志を得るのも容易なのじゃないでしょうか。書籍の作品ですと全文転載できない、つまり読者に鑑賞対象を閲覧させられないのが、難しいところですけどね。

1
澤あづさ
さんへ
(2023-01-10)

ご高覧ありがとうございます。とてもありがたいご感想です。読者各位がそれぞれの胸に棲む好きな詩人を再読なさる機会になれたら、本作にとってそれ以上の栄誉はありません。喜びのあまり、盛大に口が滑りそうですので、これにて失礼いたします。

0
澤あづさ
ゼンメツさんへ
(2023-01-10)

右肩さんを推すためまた返信いたすと申しましたが、よくよく見たら問題のレス欄、作品でなくレス欄がですね、ビーレビで扱えるような代物でなかったので中止します。ごめんなさい。ちなみにその作品はメタ詩ではありません、この詩と同種の技術だが大きく違う点を紹介したかったのでした。ゼンメツさんの回線の長寿を切に切に切に祈ります。

0
ゼンメツ
澤あづささんへ
(2023-01-12)

>▼泥棒『鳥は鳥、君は君、だから君は絶対に飛べない。』 あーーーたしかに。この作品は確かに最強が一体。みんなも読んで欲しいなあ。あわよくばどこからか引きずり出してきて新作が読みたい。 ところで泥棒さんのレスレスがまた好きなんですよね。すげー良くないですか? 泥棒さんとネット詩誌作りたいなあ。どこかで見つけらんないかなあ。 >ビーレビで扱えるような代物でなかったので中止します。 おやおやおやおや。おやおや。ビーレビってそもそもは、「面白かったらなんでもあり」を掲げていて、作品に関しては時の流れとともに制限もかなり取っ払われましたよね。でも本来場として最も重要なのは作品の自由度じゃなくて、コメント内容の自由度だと思うんですよね。 「どんな作品でもうけつけるぜ」がビーレビの本質だったのかな。いやーそれはぜってー違うわ。作品の自由度って本来は「ヒヒョー」的な飛躍ありきのものだったと思うんですよね。批評の枠に囚われず、作品に対して二次創作的な広がりを活発に行いたい。これがネット詩の強みであり、ビーレビの本来やりたかったことなんじゃないかな。個人的には推薦文なんて名前は無視して「推薦文」の枠を使って作れる二次創作的に飛躍したものの中から「大賞」より上の賞を与えるシステムを据えるべきだったんじゃないかなって、個人的には思ってるくらいなんですよね。 だって場が盛り上がるためには何が必要かって、そりゃ十中八九コメント欄が活発なことです。どんないい詩が投稿されたって、そこに対しての反応がゼロなら盛り上がりはゼロじゃないですか。もちろん良い詩のほうが場を動かすきっかけとしては強いですけど。とにかく詩を介して、作品で、コメント欄で、第三者を楽しませたもん、唸らせたもん、感動させられたもん勝ちでしょう。 ネット詩のなにがいいって、引用の手軽さだと思うんですよね。連想して語りたくなったらYouTubeから好きな音楽を貼り付けてもいいし。当然に他サイトから詩を引っ張ってきてもいい。最低限人として、他者への配慮さえ守れるならなんでもありでしょう。むしろ文極より殴り合い以外の面でははるかに自由であるべきだと思う。本来は。だってそこを規制しちゃったら本質が解ってない。道路交通法の内側ギリギリでの迷惑運転するマンみたいに解ってない。交通法とはそもそも道を利用するすべての存在の安全を守ることを前提としているわけだ。ルールの内側だとしても他者を脅かそうとすればその時点で本質から逸れるわけだ。詩を盛り上げるためには何ができるのか、ネット詩の強みとはなにか。 ドシドシ推してきましょう。だって読んでて面白いじゃないですか。批評より面白いの書いてやりましょう。むしろギリギリのラインでどれだけ飛躍させられるかが、ネット詩の今後を担うカギですよ。2段ジャンプのシステムが設けられてるならそんなの当たり前に2段目の方が高くあるべきですもんね。

1
澤あづさ
ゼンメツさんへ
(2023-01-12)

く、くそ、なんだこのチート主人公感。言ってる内容のほとんどはわたしがとっくに言い尽くし、半分以上はやり終えたことですらあるのに、訴求力が段違いすぎる。こんなとこでも文極史上最も非凡な創造大将!(当社比) ●ここ最重要● てかゼンメツさんもしかして、caseさん主宰HHMをご存じなのかな、 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=268990 これをご存じなら話が早いのですが、ビーレビはこういう潮流に最適のサイトだと思います。ぜひ会場ビーレビ主宰ゼンメツさんで、なにかイベントを興しましょう。創造大賞ならびにレッサー賞の超新星国語教育が推薦特化サイトで催すお返詩大会ってもう最高じゃないですか。さっそく回線の寿命をどうにかなさってください。 * 予定の推し活を憚ったのは、わたしの口が滑りまくること確実だからです。前回の記事に書いたでしょう「ゼンメツさん、ほんとレスの調子と訴求力だけは文極の初代創造大将に似てるよね。それ以外はなにひとつ感動的なまでに似ても似つかない、初代大将とゼンメツさんの違いを熱弁するだけで、反初期文極最高のアジビラが完成しそうなほど。」あとは国語力でお察しください。 右肩さんのその作品自体は、制作中のブログ記事で扱いゼンメツさんとの比較もするので、よかったら当該記事をご覧くださいよ。これはヒヒョーでなくきっっっぱり「批評」で、かつ「ビーレビにアカのある文極トップクラス8名詰め合わせ」です。泥棒さん(ビーレビに1作だけある)は記事の趣旨に合わないと思い抜きましたけど、ゼンメツさんがそこまでハートストーレンなら入れるかもしれません。

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三浦果実
作品へ
(2023-01-15)

前回よりも感情表現が感じれるレビューです。さらに励まれ、視野が広がる評文を読ませていただきたく、期待してます。頑張ってください。

1
澤あづさ
三浦果実さんへ
(2023-01-15)

急にハネムーン期よろしくどうなさったんです。そっちがそう来るなら、こっちもうっかり口すべらせますけど、ハート泥棒メッタメタ詩はもういい。同担大歓迎。次も読んでください。

0
黒髪
作品へ
(2023-01-16)

 僕はこの批評文が好きです。内容や理解された知識の使い方が凄いし、文章が上手くて面白く読める。なにより信頼できると僕は思ってしまう。短歌や一、ニ、三人称のくだりなど、なかなかアクロバティックで面白い意味の運び。一つだけ分からなかったのでよかったら教えてほしいのですが、詩は様式がすべてというのはどういう意味なんでしょう。内容のない様式ってあるのかな。心を読んだり、筆使いを鑑賞したりするっていうことでしょうか。

1
澤あづさ
黒髪さんへ
(2023-01-17)

ご高覧ありがとうございます、過分の讃辞ですが光栄の至りです。本作が成功したのであれば、理由は「批評対象がよいので当然」としか考えようがありません。評者にここまで語らせてくれる上質のメタ詩は、そうはありませんからね。 論評は寿司と同じでネタ七割と考えています。作品評なら残り三割の腕も引用に尽きると思います。この作品を選んだ時点で、本作の成功はほぼ確定していました。ゼンメツさんを見出した評者は幸運ですね、その幸運に見合う評者でありたいとつくづく思います。 * 「詩は様式がすべて」には語弊が多いようですね、説明の機会をいただけてありがたく思います。様式でなく「スタイル」あるいは「美学」と言えば伝わりがよくなるでしょうか。 自由詩には決まった作法がありませんので、書き手が作品を作法から独創しなければなりません。その作法が様式(スタイル)、様式の根拠となる思想や美意識が美学と、ここでは便宜上お考えください。 たとえば下記は、鷹枕可さんの過去作です。 ●鷹枕可『弛緩する淡湖』(文学極道2016年2月月間優良作品) http://bungoku.jp/ebbs/20160211_639_8621p ※PC(あるいはタブレット横)とスマホで見映えの違いを見比べることをおすすめします。PCではぜひ画面を縮小して、フォルムの全容をご確認ください。 このような作品を評価する際、わたしはなにをおいてもフォルム、そしてこのフォルムを生み出した書き手の美学に注目します。作品への評価を「意味がわからない」という理由で渋りたくないので、読解は度外視します。批評の最も重要な役割である目利きには、判断の早さも重要ですから、「この詩はフォルムがすばらしく、詩文もフォルムにふさわしい、したがって読解するまでもなく傑作である。」と即断します。 「詩は様式がすべて」とはそのような評価の姿勢であり、自分の読解を過信しないための自戒でもあります。特にわたしはテクスト至上主義者で、読解に当たり作者の意図を顧みませんので、当然その読解は自身の認知の限界を超えません。この陥穽を埋めるためにも、書き手の美学の傾聴が欠かせません。わたしをこの持論に至らしめた田中宏輔さんの全行引用詩の作法など、伺った際には震撼したものでした。

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