作品投稿掲示板 - B-REVIEW

るるりら


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わたしも 波音をひろってみようと 思いました。 (ある朝に見た夢)

2023-07-21

●藤 一紀さんへ わたしは、小学校高学年の頃に、毎日 家の前の川で遊んでいました。粗野な遊びをするのは男の子くらいの年齢に達していたというのに、私ったらハヤの漁を男の子たちと追い込み素手で捕まえては、今でいうキャッチ&リリースをしていました。この詩にある椅子の足の下をハヤが泳ぐのは見たことがないのですが、わたしの足の間をハヤが抜けていくのは、毎日みてました。それで 懐かしくて、楽しくて つい 描写のひとつに加えてみました。 机の上に置かれた《河骨の花》への視点誘導は ふかく考えてたわけでもないのですが、漁をした経験だと、川では きょろきょろするのが普通だったからかもしれません。 びっくりしたのですが、私の祖父が とても河童の話を嫌がっていました。そうです。「あんなくだらない話はするものじゃない。」と言っていました。昔の方は、妖怪に真実味を感じておられたからこそ あんなに嫌がっていたのかもしれません。 ゲゲゲの鬼太郎だとか 妖怪ウオッチングなんかだと ほんとうには命の話だとは本気では思う人はいないでしようが、ただの河童の話がでただけで祖父は本気で怒ってました。(遠い目)河童という名前の地名の場所がありまして、祖父には どうしても 受け入れられないようでした。(あれは、怖がっていたんだと思います。) モノガタリとして自然発生して定着したのだとしたら、くだらなくはないし、叡智の一つだよね。ということだと言っていただけて嬉しいです。遠い昔に読んだ柳田邦夫の文章に触れたくなりました。あと、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)とかを再び読んでみたくなりました。小泉八雲のことなんかを想うと、ほんとに 土地に携わるファンタジーは、誰にも 存在するような気がします。 わたしのは、柳田邦夫とか小泉八雲とはちがって、妖怪なのかなんなのか良く分からない描き方ですが、それでも前作と今作、第一稿と決定稿を続けて読んでいただいてありがとうございます。 (ぬくい ≪令和元年八月版≫ )

2019-08-10

おはようございます。一連目、二連目そして三連目の彼女に共通していえるのは、女子力が上がっている彼女たち典型だなと 思いました。女子力というものは なにかしらのお手本の真似しているのだと思われます。ハウツーにさえ出会って その通りに行動したら女子力は かならず上がります。 つまり、彼女たちと 作者さまとの違いは お手本に出会っておられないんじゃあないのかあ。って思いました。お手本なんて なければないで お気持ちさえ安定させられば 幸せな気持ちになるはずだと私は思います。でも、どうも不安定なお気持ちがお辛いのなら とにかく今より 視野を広げて 様々のものに触れて、嫌ではない自身になる努力をするしかないような気がしました。ご自分を変えられるのは、ご自分しかないですよね。 わたしもなにかがんばろうって思えました。ありがとうございます。 (彼女と私)

2019-05-16

二連目の冒頭の 「だいず、」は ミスです。意味はないです。すみません。 (くだる)

2019-05-16

縄文土器の手話みたいな部分が気に入ってくださって嬉しいです。 この詩の視点は、現代人として書きました。現代人が縄文土器の手話をしている感じです。あくまで 現代人を書こうとしたので、縄文時代に生きた人の想いについては まるでかんがえもしなかったというのが 正直な気持ちです。 縄文人がならば、この詩のようなもののことを「そもそも わしら漢字なんてしらねぇし」と言われてしまう気がします。  だいず、もし わたしが縄文時代に生きた人たちの想いに触れた作品が書けたら どんなに素晴らしいでしょう。そういえば、つい先日北海道で 縄文時代の人のおひとりのゲノムが解析できたニュースをみました。とても詳細に身体的な特徴を可視化できているというニュースでした。その解析の結果である その人物は、どこかであったことのあるような方で、あたかも なにかを喋ってくださるような気がするほど生き生きとしており、わくわくしました。わたしは、縄文がどうやら とても好きなのです。 身体的な特徴をどんなに明確に知ることができたとしても、縄文時代の想いは想像の翼の力でしか触れることはできません。たしかに、縄文時代に生きた人たちの想いみたいなものにも、思いを馳せるのは 魅力的で、詩でならではの示唆ですね。暇をみつけては縄文の人に思いをはせて またいつか言語化してみまたいです。 貴重なご意見ありがとうございます。 (くだる)

2019-05-16

●ふじりゅう さま 詳細に分析していただいて、嬉しいです。とくに、一連目と最後への分析が嬉しかったです。 1連目で「あいまに」を連呼していることを、既視感はほとんどないと言っていただけるとは、思いませんでした。鉄棒している人って、そういえばめまぐるしく景色がかわっているはずですね。だから、既視感はほとんどない。って表現が すごい感性で捉えてくださったなあ。びっくりしました。いろいろと恐縮です。好意的に読み解いていただいて、 なんなら 公園にいって、こどもみたいに また さかあがりの練習でも始めたいほどに、嬉しいです。ありがとうございました。 ●哀愁亭さま わたしは、こどものころ クラスの中で一番最後に できるようになりました。あれができたからといって どうだというのか なんなのかわかりませんが、どうしても当時の教師が みなにさかあがりをさせることに燃えていたのです。 「自分の力で何とかできることと、自分の力じゃどうしようもないこと。生きるというのは鉄の棒に掴まって、両者の間をぐるぐる回ることなのかな、」というご感想は、まさしく私が表現しようとしたことだと感じます。わたしこそ 感想がいただけて ああ哀愁亭さんのお気持ちに出会えたな。と、思えました。コメント ありがとうございます。 (そらおそろしい)

2019-04-27

こんにちは 前回の作品のコメント欄で わたしは多弁すぎたと感じています。 今回の私の目標は、簡素に書くことを目標にします。 まるで催眠術中の出来事のようです。ワンツースリーと だれかに声をかけらて 様々な事柄を失ってゆく。そんな印象を個人的には持ちました。 私は、古典単語を覚え続ける人の うつくしさの箇所が好きです。私には、あの箇所だけが現実実めいて感じられました。 乗り物が多くでてきますね。遊覧船、観覧車、そして スーパーカー。 使い切ってしまった色があるらしいですね。多種多様な乗り物がでてきますが、実像ではなく まるで絵かなにかのようです。水彩画を水に沈めるみたいに しだいに すべては消える世界観を感じました。まるで「ほうら みっつかぞえたら、すべてを忘れてしまいます」と 催眠術者が言っているかのようにです。 す すいません。またも、多弁になりました。ああ今回も 「また 全部うけとめた」と お言葉をいただく予感がしてしまってます。これからも 魅力的な作品を楽しみにしています。 (消失点)

2019-04-27

そうでしたか。わたしが知っているのは 植えて初年度は 店で売られているあのアスパラは土からでてこないことと。あと、雉は隠れそうなふわふわの草姿になるもんだなだと感じたのですが それは私のただの主観です。 店で売られているあのアスパラを放置したら、雉がかくれるような姿になるんですねぇ。雉はわりと大型の鳥ですものね。あの鳥が隠れるというのだから かなり すごそうです。作品理解のための予備知識をありがとうございました。 (アスパラ)

2019-04-25

こんにちは。 この長文詩を たった一言で、表現するなら「浮生」という言葉だと思いました。 浮いているモノのように儚いのが人の生というものだという考え方があると聞いていたからです。 中年の女性が砂場を毎日整えている様子から、話し手は なにかしら心が救われるかもしけないと思い、彼女に また会いたいと思うが 彼女は来なかった。孤独だ。という思いを読み取りました。 私は女性ですので、話し手よりも 中年の女性に惹かれました。私はむかし、知らない土地で生活していたころに 親切に家でのランチなどに誘ってくれていた女性が、砂場を整えていたのを思い出しました。彼女の場合は、腰が痛くなったので、公園での砂場の掃除は辞めたと言ってました。 本題に戻ります。話し手は、中年の女性が 公園に来なかったことをきっかけに、過去のに継続できなかった事柄を思い出して、自分を悔います。!英語教室、スイミングクラブ 陸上部、美術部。高校。会社。恋。友人。 わからなかったのは、公園の掃除を毎日するといっていた 中年女性が それを止めたことで、あらたなストーリーが始まらなかったといって、なぜ そんなに後悔の事柄を連想できるのかが、私には分かりませんでした。 その中年女性は その女性の理由があって、来なくなったのであって、話し手は公園に来ているから 行動は継続している。なのに、なぜ 継続できなかった事柄を列挙して後悔を再燃できるのかが、私には分かりませんでした。 最初に言いましたが、私は この長文詩を たった一言で、表現するなら「浮生」という言葉だと思いました。主人公が主導権をにぎって決断した事柄と、出会って日が浅い見ず知らずの女性が主導権をもって選択した事柄とを いっしょにして後悔しているのは、よくわかりませんでした。 しかし。文章に対する並々ならぬ熱量を感じさせていただけた点は、すばらしかったです。 (砂場均し)

2019-04-23

こんにちは アスパラガス好きなんで、いいなあと思いました。 ただすこしだけ 私としては、勝手に ひっかかっていたところがあったんですが、帆場さんて聡明な方なんだあと思った箇所があるんで 紹介します。 >アスパラガスの夏芽が にんまり笑っていて はっ、とする アスパラガスの畑をみたことがあるのですが、アスパラガスの葉っぱって なんだか ううわうわと細い毛みたいに揺れている葉だという印象をもっていたのです。あの葉のようなモノがでてきても おいしそうではないけどなと。  よく調べてみたら、スーパーで売られているアスパラガスには 茎に三角形の つくしのはかまみたいなのがついてますが、あれが葉っぱらしいです。 わたしが 葉だとおもっていた うわうわとした形状の葉のようなものは葉では ないし、スーパーでうられている茎のような形状のモノも 葉ではないらしいですね。夏の芽。なるほどです。 ふわふわとした葉のように見えるものが土から出てくるのは、夏ではないですものね。 それにしても「オランダキジカクシ」っていうんですね。雉が隠れるとしたら、ふわふわの葉のように見える「偽葉」というモノが鳥を隠すんでしようねえ。魅力的な作品を拝読できました。ありがとうございました。 (アスパラ)

2019-04-23

Anemone coronaria next sorena ってnaruyone 両岸からふりそそぐ桜が川面におりた先のシーラカンスは二匹だったよrairarai rairarai rairarai 雷魚の親戚みんな見てるのに気がつかないのねって、姉もね。さくらcolonyのなかで姉もね咲いていたよ。imoutomo 咲いていたよ。ああ見えて みんなつらいみんなつらいみんなつらいの かくしてんね。シーラカンスが アネモネのうえを泳いでいくよ サクラサクは達成感だしサクラチルはチルチルミチルだね。 過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くけど、結局のところ自分達に最も手近なところにアネモネは咲いてます云々。Hey、こんどは これ朗読するんだって? 質問に答えるのは きみじゃない、ぼくだ。 ***************** できごころで、真似しちゃいました。ぺこり。 (Anemone coronaria)

2019-04-23

●静かな視界さま もう何年前のことか すっかり忘れましたが、わたしは 全力で静かな視界さまのファンであることを公言していた頃がありました。もしかしたら シャイな方なのかもしれないので あまり情熱的なファン宣言は やめとこうと思いつづけて幾年月です。 わたしが、徐々にレベルアップしていると お書きになってますよね。びっくりしました。 むかしの天然さと 現在とか どこが どう違うのか、私自身には よくわかってません。 けれど、静かな視界さまに「さて、詩集はいつ発売ですか?」なんて言っていただけるようになる程度には まともになってきたのでしょうか?だとしたら 嬉しいです。 昔は、詩集をすでにお出しになっておられる方に、私も詩集を出したいというと「そんな野心のある方とは つきあえない」と 言われたことがあります。 わたしが詩集を出したいと願うだけで「野心」と言われてしまうって、どんだけえ。 ぶっとびぃ。……です。私の程度の低さが推し量れるってもんです。 でも でも なななんと 静かな視界さまが私に「さて、詩集はいつ発売ですか?」って お書きになっているではないですか。そのコメントを一日に三回は読み返しつづけてしまうではないですか?わたしとしては「ありがとうございます。」のひとことも そんなに簡単には言えないくらいに、嬉しくなってしまうではないですか?こうやってレスのお返しをしたら、読み返すことがすくなくなるんだろうか?いやだなあいやだなあ。でも感謝は表して なんぼだから、書かせていただきます。 ほんとうに ありがとうございます。もうすこし、がんばれそうです。 (みつまたカノン)

2019-04-22

わたしも、せいろんさん と同じく、箱とは 学校とか組織を示していると思いました。でも 読者がピンとくるものを想像させていただいて良いみたいですね。 だったら私は もうすこしだけ自由な読解を試みてみることにします。 わたしは、冒険家です。わたしは自身のことをただの小石な人間だとは思わず、かと言って立派なダイヤのような人だとも 思っていないような人です。ですが冒険をしてみます。私は宇宙を旅しています。  宇宙には 無数の星があります。様々な特性をもった星々があります。だから、宇宙は素晴らしいです。だから宇宙は美しいといって、私は笑っています。 あるとき 宇宙を旅する冒険家の私は、ダイヤモンドでできた惑星にたどり着きます。 惑星は、地球のように恒星をまわっています。地球の表面のような土や岩ではなく ほとんどがダイヤモンドなのです。ダイヤモンドが山のように存在する惑星があります。けれど、そこに人はいません。ですから 別にダイヤに高価な価値を見出す人なんて だれもいやしない。ダイヤはダイヤなのですが、冒険家がたったひとりで ダイヤを手にしても、そのダイヤを評価する人がいないのです。孤独な冒険家がたった一人の虚空でダイヤを手にしたところで 裕福になったり ダイヤの美しさをひけせかして自慢することもできません。  そのとき冒険家は きがついたのです。 自分が生まれ育ち 人類がたむろしている地球こそが、宝石を宝石にしている箱だったのです。 なんてことを妄想してました。多弁で申し訳ない気もしますが、簡素な物語風の作品なので いろいろな解釈が可能ですね。拝読できて楽しかったです。 (箱)

2019-04-17

こんにちは 語り口調の詩ですね。 >どこへいくか、きいてくれますか >どこへいきましょう ↑ この コール&レスポンス風の語りかけ。いいですね。 読ませていただいていて、詩の中に入りやすいと感じました。 現状の場所には居場所がないから、友人のいる場所ならなら居場所がある気がするので、住む場所を変えるという詩ですね。 新天地に行くような覇気なんてものは、まるでなさそうで なかなか しおしおとした語り口調ですね。 ひらがなという選択も、さびしさからか 難しい表現はしたいとお思いにはならなかったので、ひらがなを選択しておられる気がしました。 どうもこの詩のお別れを前にした話手は、別れる相手に プレゼントしたいものがあるみたいですね。それがなにかは 読者につげず おともだちのところへ 引っ越してゆかれる様子。未練たらたらですね。 さみしさを表現するのに、冒頭のコール&レスポンス風の語りかけは効果的です。まあそんなに気落ちしないでと背中をさすりたくなりました。 (おひっこし)

2019-04-16

●石村利勝 様へ つい先日NHKのいじめ防止番組をみていたら ある元ボクサーの人が子供の頃にいじめられたとして発言している中に「こんなこというとアレですが、田舎にはいじめがすくない気がするんですよね。」と言っていて、私としては ちょとんとしました。田舎だからが優しくて親切なんてのは都会人の幻想だと私も思います。都会にも暮らしましたが無視してくれててたすかることもある。最後の一行は、自分でも気に入っているので 着目していただけて嬉しいです。ありがとうございました。 ●南雲 安晴 様 『さかくだり』は どうやらお気に召したようですね。良かったです。私自身も書いていて気持ちがよかったです。リフレインを多用したり、言葉の語感をそろえたりして書きました。まるで自身で催眠術にかけて思い出を文字列にはめ込み起承転結のルーティーンどおりに書いたって感じです。半分寝たような精神状態でしたので、書いていて気持ちよかったんだと思います。 とにもかくにも、南雲 安晴 様のおきにもめすものが書けて良かったです。 しかし、わたしは いつも美しい詩が書きたいとは思ってないです。調和がとれた作品については、それもいいかもね派です。  私は これからも玉石混交でいくつもりではありますが、勉強になりました。ありがとうございました。   ●左部右人 様 〉さかあがりが できないころ さかあがりのあいまに けんかした 好意的に詩を書く人としての人物評価をいただき、恐縮です。この詩のテーマは「負けない」「継続して練習しつづける」というのがあった気がしています。けれど、わたしが書くべきテーマをいつも決めているかというと、    とてもあやしいです。うらやましいとおっとおっしゃるほどのこととは思えないのですが、ありがとうございます。 「さかあがり」冒頭と「さかくだり」のラストを気に入っていただけて嬉しいです。 実際のさかあがりは最初の気合が大切だし、さかくだりは 着地が実際にも大切な気がします。ありがとうございました。 (そらおそろしい)

2019-04-16

わたしは、身体感覚のある詩が好きです。身体を離れて無限に広がる想像力で書かれた作品を多く読みすぎてきたせいかもしれません。脳みそだけで考えたとこは、一見 個性的のようで 実感を共感しにくいという点で どこかで読んだ無個性の作品に思えるのです。  本作品は、わたしには 個性的だと感じられました。 >ミイラ男だったころ >身体は包帯を巻いてひっかけるための >ものでしかありませんでした ↑身体は本来、いろんな動作や行動ができるはずなのに そうではない状態。 身体はいつも、脳を活動させて いろんなことをさせているのですが、脳でできることは どこかのだれかもしていているもんだとも いえます。 >歩けば犬が吠え、親は子どもを隠します >皮膚が引き攣るのでよたよた、していると >見知らぬ人たちが不幸だ、不幸だと騒ぐ ↑個性的な者は、迫害にあうことが多いのです。 >包帯をといていけば >そこには何もない >空っぽ、あぁ、みんな包帯をみていたのか >包帯が風にさらわれていくなかで >何もないのに熱と痛みと痒みが >生きている、と訴えていた 「なにもない」とか「空っぽ」とは、意味が深いように私には思えました。 透明人間なのか?いや ちがう。透明人間のような なにもないではなく、熱と痛みと痒みがあるが その他にはなにもない。これって つまり、脳が機動していないことを意味していて、強い身体性を感じます。 脳の活動がやたら高速で回転していると、人は人として 正しいし健康なのかもしれない。脳活動が高速で回転しているような 多くの作品よりも、 本作品のように身体性のある作品のほうが、好きです。 身体性あることを この詩は。空っぽっていうけれど。からだが からっぽなのは、なんだか 音の響きも似ているし、身体というもの本質のような気までしている私なのです。 (わたしがミイラ男だったころ)

2019-04-15

夢が夜霧に濡らされて 私に指が生える頃 この箇所が好きでした。わたしがどう感じたかを書くと 野暮になるのですが 妖精さんを   その あの ですね。 感じました。 (花運ぶ舟)

2019-04-12

南雲 安晴様 重ねてのコメントありがとうございます。やはり二連目が不調和であるとのご指摘をいただきました。ありがとうございます。私も あの二連目は不調和であると思っています。しかしながら わたしは 「そらおそろしい」を表現したかったわけですから、不調和である必要を感じたので 生々しいセリフを挿入してみました。たとえば、琥珀に虫の入ったまま石化したモノがあるように、この詩 生々しいモノを挿入したかったのです。 なので、不調和であると指摘をいただくと 私としましては、成功したように感じられるのです。 当初から違和感を感じた連ですので、ほかの行開けよりも一行多めに行開けを設けましたので 紙などで隠していただいて読んでいただいても、良い気がしないでもないです。 また、セリフ部分を他の作品で生かすほうが調和がとれるという貴重なご意見をいただきましたので 書いてみました。元の作品は「さかあがり」でしたので、今回は「さかくだり」です。よかったら読んでみてください。 *********************** さかくだり      るるりら   あの懐かしい橋を渡れば 蛙のひしめく道がある いきものを ころさないように 体が傾むく川下にむかって 足をゆっくりと あるく  あの懐かしい橋を見下ろせば 大雨の日に流れていた大木が見える 身を乗り出して声を立てて笑いながら 激しい濁流を眺めてみると大人は怒る あの懐かしい橋のむこうで こどもたちは 喧嘩して仲直りもせず こどものままで いまも 住んでいる きょうもあの子は言う 「おまえんちの家の前の空き地は むかし なまくびがならべとったんど じゃけえ おまえんち のろわれとるんじゃ けけけ」 妖怪のような いたずらを 風のように じようずに うけ流すこともしないで こどもたちは いまも あの橋のむこうに 手を取り合うこともなく 住んでいる (そらおそろしい)

2019-04-12

小寄道 様 秀逸とかいい詩とか 言っていただけて とても嬉しいです。ありがとうございます。 「じゃけえ」とは、関西以南の方言ですよ。広島弁です。書き言葉では書けなかったのです。素顔がでてしまった気がしています。私は、たまに 方言も詩に使うことがあるのですよ。 (そらおそろしい)

2019-04-12

はじめまして ほかの方へのコメント欄で かなりのご尊老の方とお見受けしております。私は 不勉強で 書いておられる内容をきちんと理解できた自信がありません。しかし、「自分以外のことに属するもの、それこそ真実。」とも書いておられるので、アホなことしか書くことしかできない者のコメントとなるのを承知のうえで 書かせていただきます。 他者との関係が空疎化しているのが現代と言われおり、私自身も 隣に住む人がどういう人かも いまひとつ理解できてないままに暮らしています。拝読して せめて伴侶とか ごく近しい人々との関係を もっと確かな関係にしていかないことには 闇しかないような気がしてきました。ニュースなどを見ても多くの人々が、絶対的な孤独の淵で「己」は意味なく笑っているというような、一言でいうなら 狂人のような境涯に居るように思えるからです。 先日 叔父の法事で、江戸のことが書かれた書物を貰ってきました。あの時代の江戸という街は 世界でも類をみない大規模商業都市であったと聞きます。ひとりひとりの創意工夫から派生した様々な職業が存在した世界であったとも聞いています。江戸の町に私の叔父は なにか光のようなものを感じていたようです。もしかしたら泉の在りかを 叔父は感じたのかもしれません。 わたしも 自分の殻にひきこもらず、自身の知らないことがらに向かった歩を自分なりに一歩づつでも すすめたいものだと思わせていただけました。本作品をちゃんと読めた自信はないものの、拝読できて よかったです。ありがとうございます。 (涅槃西風黄昏るる己かな)

2019-04-10

●南雲 安晴様 さかあがりを気に入ってくださって嬉しいです。 なまくび部分は、わたしの耳にいつまでも残っている 本当に言われた文言です。 ちょっとゆきすぎたノイズのようなことではあります。この箇所は わたしが ある男の子に実際に言われたセリフをそのまま 書きました。わたしは いつも転校ばかりしている子供でしたので、その子が 意地悪で言っただけなのか それとも その子の親が 言っていたから その子は私に そんなことを言うのかと 悩んだものです。仲の良い友達に、「広島に住んどるんだから、どこもかしこも死体ならあったにきまっとるじゃろ。」と言われ、そりぁそうだ。怖がってもしようがないと きがついて 気持ちは収まりました。  そうはいっても大人になってからも同和問題とかが話題になったときなどは、わたしの住んでいた地域が もしや本当に該当するのではないかと ちょっと耳を そばだててしまいます。  つまり、わたしの人生の中で 耳に残っているノイズ。それが この詩だとも言えるかもしれません。 ●静かな視界 様 ありがとうございます。静かな視界 さんにそういわれると 俄然 パワーがみなぎってきます。とても励みになります。 ●沙一様 なまくびのあたりが、秀逸です。今作の核をなしていると思います。 平和な日常も、ぐりんと逆さまにみたら、そこには残酷な光景がある(あった)のかもしれませんよねえ。ほんと そらおそろしいです。 追記もありがとうございます。作中話者にとっては、日常こそおそろしいものであったのですが、この詩を私自身が読み返したいときって 大抵の場合は、平和な日常も、ぐりんと逆さまにみたら、そこには残酷な光景があるなあと感じているときなのです。 だから、とても良い評を頂戴できたと思っています。ありがとうございます。 ●帆場蔵人 様 どんな場所でも、ごく普通の光景にも様々な出来事が眠っているのだと思います。 なにもない山奥だから そんなことは ないと思われる地域であっても、 狩猟しかしなかった時代までさかのぼれは、なにかしらあったはずです。 コレラの死者を積み上げて焼いた場所とかいろんな場所にありそうですね。 想像すると 身が縮みます。  わたしたちは 累々と積み上げられた死体なんて目にしたことがない とても珍しい時代に生きているのかもしれません。 文字とか伝達の方法を進化させてきたのだし、死体が累々だけはなんとか回避する知恵を持つはずだと思わないではいられませんねえ。 ●●※最後にみなさまに 謝罪しなければないないことがあります。 実は、このサイトに本作品を投下したのは、なんと二度目でございます。 わたしにとって あらたに有益なご意見がいただけたので 感謝しています。しかし、 不快に思っておられる方もいらっしゃることでしょう。申し訳ありませんでした。 もしよろしければ、この詩へのコメントは いまも絶賛募集中でございます。 どうぞ あたたかい目でみてやってくださいませ。 (そらおそろしい)

2019-04-10

衝動で 前衛に百ほど 入れちゃいました。理屈ではなく 押したのに、水の沸点にような脳に きちゃいました。 (カップの底に貼りついた焼豚よりペラい三分間)

2019-04-01

●社町 迅様 三つ編みは春の形かもしれません。 しめ縄だと 新春の形ですし。 立体が組み上がっていくような感覚があったという評が とても嬉しいです。 詩文中にある植物の花の様子を見ていると、なにか立体がせりあがってくるような気がしたことを詩のようなものに おこしてみたくなったのです。 ●八朔三 様 ありがとうございます。たのしんでいただけて嬉しいです。植物が好きなのです。わたしには 様々な手段で 植物を堪能したい気持ちがあるようです。八朔三様は、柑橘の八朔と同じ字ですね。なんだか 刺激的なお名前でコメントをいただき心にビタミンが補充された想いです。ありがとうございました。 (みつまたカノン)

2019-04-01

こんにちは、詩文にある「ぽつんとしている」という行に わたしの心は すっかり持っていかれました。 きがつくと、わたしの周りにある ぽつんとしているモノ探しをしている自分が居ました。すると、My favorite Thingみたいな詩を書きたくなったので 書かせていただきました。   ぽつんとしている          るるりら 石垣に咲いた たんぽぽ ぽつんとしている 杉木立の山道で 電柱 つん、と 立つ 根も葉もない柱は カオスな話と話を繋げているの鴨 ん? どういうわけだか道路端に 車のミラーがある ごろりとした目をした鏡は 何を映そうとしているのか ダンディなライオンかもしれない ぽつんとしたものは 仲間の居ない場所で戦っているの鴨 ぽつんとしたものを そっと つんつんと つつくと ん?と 首をこちらに向けてくれるの鴨しれない (ぽつんとしてる)

2019-03-27

●沙一 様 あれは 泣いとったんかの までの冒頭だけでもよかったのかもしれまんね。 ただ この作品は、わたしにとって 過去作でして すっかり ひとかたまりな作品として存在していて、いまでは  動かせない作品なのですが、 詩作していたときには、確かに そこで手が止まったのは、事実です。 >うまれつき ふたごの人間だけが ふたごじゃ 思う考えは 気のせいかもしれんぞ 人間には だれしも多面性があるものですよねぇ。 情感を醸し出していると言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます・ ●仲程 様 >お、ボタンみたいなもんができとった。押してまうな。 まじっすか。まだ その機能が機動してないときに 噂で、パラメーターになると聞いたときは、えー戸惑うすけどお。って 思ってました。わたしも 試してみよっと、おもしろいんかなあ。あたらしい機能て どきどきですねぇ。 ●左部右人 様    >ねぇちやんが なにか 今日も わしに手紙を書いている 相変わらず支離熱烈な手紙なんで 気の毒だ。悲しまんでほしい。 まあ そこに 注目してくださいましたか。 この詩を書いて以来 ある種の詩を書かなくなったという事実もあるにはありますです。 だから、その箇所は わたしには大切な文言なのでした。ありがとうございます。 ●右肩ヒサシ 様 わあ おひさしぶりです。お名前に 興奮してしまいました。しかも、とても好意的に感じてくださっていて この喜びの表現が私には見つかりません。 語り手の死者だけでなく、死んだ兄や姉、父母の情の太い綱が錯綜している様が見えました。でも実はそれは一本に繋がっていて、端が死の深い闇に消えていく……。というように 書けていたのですか?どうしよう私ったら 感動しました。広島弁にもお礼を言いたいです。広島弁、ありがとう。素晴らしいです。 ●田中修子様 私の作品は、なぜだか気力を奪うんじゃなくて 与えていることがあるんですかね。 それは、嬉しいです。ですが、 読者の方に 気色が悪すぎる。気分が悪くなった。と言われてた作品は、あるにはあるんですよ。 醜いという評のついた私の作品を もし修子さんが お読みになった場合は どのような感想をお持ちだろうかと、いじわるをしたい欲望が沸いてしまいました。ですが、花を失いたくないので 我慢します。過分なお言葉をありがとうございます。 ●穴秋一様 読みやすかったですか?味ありましたか?よかったあ。ありがとうございます。 (グリコのおまけ)

2019-03-27

誤字あります。最後のほうです。 ×もしか姿ると 〇もしかすると 失礼しました。 (花)

2019-03-22

おはようございます。 わたしは たまたま現在、自分史上でもっとも美しくドライフラワーを作るべく暮らしているので、本作品に親しみを感じました。わたしは工作脳しか動いてなかったのに、詩の心で花と向き合う方が おられることが、まず 目を見張るような思いでいます。 好きな作品だけに、すこし ひっかかる点も感じてしまいました。個人的な意見です。 的外れな指摘になるかもしれませんが、書かせていただきます。 まず ひとつ。連が もう一連欲しいと感じました。二連目と三連目の間か、もしくは 四連目が欲しいと感じました。 理由としては、最後の連では 静かな石になりたいという思いを書いておられるけれど、この詩の題名は「花」であるので なんとなく調和がとれてないような気がしました。 ふたつめに、冒頭の「晴れの日」は「ハレの日」のほうが良いのではないかという気がしました。「晴れの日」という表記で なにも間違えてはおられはしないです。あとで雨の日の様子の描写が出てくるので、様々な日々が経過していることを表現するのに「晴れの日」という意味は ある意味では良い効果がでていると思います。しかし その反面、 作者が本当に表現したかったは何であるかを考えたら、孤独な思いであるように思いました。でしたら、「ハレの日」というカタカナの表記にすると、「ハレ」とは 「ケ(普通の日)の対義語なので、なぜ孤独に対する想いを抱いておられるかが明確になるような気がします。 あと、この詩に ちょっとした発見がありましたので、ついでに報告させていただきます。 >水がじぶんを穿つのを拒むこともできない と、いう詩行に おどろきました。「雨垂れ石をも穿つ」という言葉を思い出したからです。「雨垂れ石をも穿つ」とは、水滴のような すこしの力でも ずっと継続的に落ちつづければ、石のような強いモノに打ち勝つという意味の言葉ですが、この詩は 負けているはずの石の目線で書かれており 私にとっては斬新でした。さざれ石(国家のある石)なんかの場合だと、だんだん成長して岩になる石です。ですが、この詩は 違う。穿かれていく石の美に憧れておられる。素晴らしいと思いました。 あと、ほんとうに余談になりますが 初読みでは「花」という題よりも「石」という題名のほうが ふさわしいんじゃないかと勝手なことを 思っていた私なのです。じゃあ「石編に花」だとどうだろうかと勝手になことを考えて辞書をひいたら その漢字は、牡蠣を示す漢字でした。石編ですが生き物を示す語だったのです。 そのとき わたしは 思ったのです。牡蠣のことを石の花と表記した故の人がいるのか!もしか姿ると 作者のいっておられる「穿かれていく石の美」とは、生命でありたいということではないだろうか。 生きるとは穿かれていく石の美をみつけることなのかも しれません。 (花)

2019-03-22

推薦していただきありがとうございます。感激しています。なんだか元気がでてまいりました。 (一月作品 [フルキュレーション]投稿作103 推薦4 優良3 大賞1  黒髪による)

2019-02-12

詩でレスを書いてみようとおもいます。   るるりら版「るる」 あふるるルルをなんとかしてよ ルル三錠 まあるいルルがるるっとまるいミルクいろ なんもかんももうしらないしろさあふるる るるのるるはめがまわるるおなかのうえに いつのまにか猫がねていていきがぐるじい    るる       って、そっとかいてみたらさ おめめがまわるみたいだよ ******************** るるって文字は、ハンドルにあるのですよ。それで、わたしとしては百万回は見てまして。ひそかに、人の顔みたいだとおもってたですが、猫の目のようでも あるなと。この詩を拝読して感じたものですから 即興の詩のようなものを描いてみました。ぺこりん。 失礼がありましたら、ごめんなさいませ。 (るる)

2019-02-12

作者より  拙作は、ishimuratoshi58さんの 秘法(第一巻)のうち、心にのこっている部分を一部、使わせていただきました。 (点子ちゃんだよ)

2019-01-31

こんにちは 感じたままを感じたままに ひとことで言い表すならば、胎内回帰願望が表現されていると感じました。 題名は「やわらかいおり」としておられますが、むしろ「やわらかい殻」ではないのだろうかと感じました。いうまでもないことですが 卵殻をイメージしたからです。 文学極道のほうも閲覧させていただいたのですが、どうやら「柔らかいおり」は「檻と澱」が かけられているようですね。 そのような説明を聞かないで「やわらかいおり」という題名を目にしたときには「やわらかい檻」だとばかり思いました。やわらかいという形容詞がわざわざついているのだから、次に来る言葉は元来は固いものであると連想しました。ですから「澱」というゲル状のものが「おり」という言葉の中に含まれているとは 思いもしませんでした。 魅力的に感じた点は、生体を表す言葉ではなく、「スライム」という人工物のセレクトです。なんだか今っぽいです。生き物との乖離が感じられる言葉なのに、わたしの場合は懐郷心みたいなものを感じて 本作品に強く惹かれました。 なお ゲームに登場するスライムは、わたしの意識には無い状況で、わたしの場合は本作品を拝読しくした。わたしがイメージしたのは 玩具のスライムです。手作りでスライムをつくったときの触感などをたよりに、私の場合は 本作品を拝読しました。 (やわらかいおり ※)

2019-01-18

まりもさま 冒頭の「水面」の読み方については、読者の方々には「みなも」と お読みになる方もあろうかとは 思います。それはそれで良いです。ですが、わたし自身には「めん」という意識が働いています。わたし自身は 「すいめん」と発音しながら描きました。  実は。水面という語を選ぶの前段階では、「湖面」という言葉が思い浮かんでいました。しかし、湖という全景は 別の行で表現させて、ここでは触れられる面を意味する言葉を探し、「すいめん」を選びました。 詩の内容については、読んでいただいた通りです。 人の心の内面(表はたいらかでも、内面は嵐のように渦巻いている)を 奥深くを見ることなく、すべるように歩んでいきたい、というような願いです。 「にくむ」という言葉に対するご指摘については、もうしわけありませんが おっしゃっていることが、理解できているかどうか不安です。 「憎む」という感情をしめす言葉ではなく、具体的な動作を示す言葉である 例えば「刺す」という言葉を使うことはどうだろうかという ご提案で よろしいでしょうか? たしかに「ゆびさし」から ただの 目的の方向を「指す」というよりも「刺す」を連想させたいがために「にくむ」という言葉を選択しました。だから「刺す」という漢字をみたとき、ああ わかっておられるなあと思いました。ご提案は 的を得ていらっしゃいます。 しかし、わたしは 「刺す」という強い動作を詰めす言葉を、使いたくありませんでした。 刺しかねない感情である「憎む」とう言葉を、ひらがなにして  柔らかく感じさせつつ、「刺す」を 表そうとしています。 それは、 人の心の内面(表はたいらかでも、内面は嵐のように渦巻いている)を 奥深くを見ることなく、すべるように歩んでいきたい、というような願いを表したかったからです。 おかげさまで、この詩のテーマは回避だったと、客観的に理解できました。ご批評ありがとうございます。 (ゆび)

2019-01-18

●環希 帆乃未 さま 無意識の意識。と、言っていただいて 嗚呼、そういえば そういうことなのかもしれないです。 流れが気に入っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。 ●かるべまさひろ さま 投稿してよかったです。どうも最近 自信がなくて、 削除できるサイトに投稿すると 自身で削除してしまいそうで、 すると、また 自問自答の日々になるので こちらに投稿してみました。 タイトルをつけるのは、難しい作業ですね。 ひねったタイトルは、なにも浮かびませんでした。 改稿は行いませんが、どなたか この詩に他の題名をつけてみてほしいです。 次回は ひねったタイトルで始まる詩も 書いてみようと思います。 アドバイスありがとうございます。 (ゆび)

2019-01-18

こんばんは 世の中には 様々な17歳がいると思うのですが、わたしが初めてマニキュアを塗ったのは たぶん17歳くらいだったです。懐かしい気持ちになりました。 はじめて塗ったときには じょうずには塗れませんでした。それだけに まともに塗れたときは、嬉しかった。けれど、いずれダメになっちゃって 残念な状況になる。 17歳だと 突然 五歳になったような気持ちでもゆるされて そのうちには 五歳の気分が許されない感じがする気持ちの感じが、解る気がします。 わたしの場合は、17歳なんて だいぶ昔なのですが、どんなに年を かさねても 私の場合だけかもしれませんが、心だけは五歳の心の瞬間はあります。なのでチコちゃんくらいには喜んでもらえるかもしれません。けれど、年齢を重ねない人はだれもいませんし子供のままではいられないです。これって ほんとうに ちょっと死みたいな絶対的恐怖ですよね。 なんと おそろしい。けれど、この恐怖からのがれられる人はいないんですよね。しょうがないから きれいな爪でもいいし、ほかのなにかでもいいから  綺麗なものを見つけたいなと この詩を読んで思いました。 (1月14日の朝)

2019-01-15

お答えありがとうございます。 わたしの質問は、画詩の部分を描く際に つきみさんは、立体(球体)をイメージされたのかどうかでした。二か所ほど私が不思議に感じた点をあげましたが、どちらも立体を描くためではなく、表記の文字ままで意味があったのですね。絵画のような手法のため 文字の脱字や逆さになったのかとばかり思ってしまいましたが、どうやら 勘違いだったようです。 円なのか丸なのかについてなのですが……。 わたしは、二次元に表記された形のことを「円」と言いました。 「丸」という言葉は、立体を言い表すときにも使うので さけました。 たとえば、丸い風船といえば立体を思い浮かべますよね。 わたしは、つきみさんのモニター上という二次元に書かれた円形の部分に、立体(球)を感じたのです。あとにつづく図形のぬけぐあいからも 立体(球)を感じたのです。綺麗だなあと思いました。 ただ、残念ながら 詩全体については、まるで理解できませんでした。 しかし。 読解は読み手の自由なので好きにしてよいとのことですし、そう させていただくしかないなと おもっています。対処していただきありがとうございました。 作品を 堪能させていただきました。失礼します。 (To all readers.)

2019-01-10

わたしのコメント欄の冒頭に脱字箇所があります。 ×現代詩フォーラムで、と違い右から読ませようとしておられることに 〇現代詩フォーラムで、通常と違って 右から読ませようとしておられることに 失礼しました (To all readers.)

2019-01-10

おはようございます。さしつかえなければ読解のためのアドバイスをお願いいたします。 。。。。。。。。。。。。。。。。 。。。。。時るありの実。。。。。 。。絶対よすでのう合り釣は秤。。 。事な事大はのてっいなま拒が水。 私すまてっ守見で中いし険がりの道 抽てせら迫まで髄の芯をさ由自の風 。宝ものる映けだノモない嫌に鏡。 。。償代てい続もでま時何石涙。。 。。。。。騒潮はと火灯。。。。。 。。。。。。。。。。。。。。。。 現代詩フォーラムで、と違い右から読ませようとしておられることに きがつかれた方がいらしたので、わたしにも ある程度は この箇所が理解できたのですが、いまでもよくわかりません。さしつかえなければ 読解のためのアドバイスをお願いします。 以下の文章は、単純に右から読んでみました。 実のりある時 秤は釣り合うのですよ対絶※(絶対とい意味でしょうか?) 水が拒まないってのは大事なこと 道のりが険しい中で見守ってます私 風の自由さを芯の髄まで迫られて抽※(この漢字は、「ちゅう」という音読みしかない漢字ですが、抽斗「ひきだし」という意味でしょうか? 鏡に嫌いなモノだけ映るのも宝 涙石 何時までも続いて代償 灯火とは潮騒 対絶※と、抽※が るるりらにとっては、意味不明です。 意味不明ではありますが、このふたつの語が理解できないことから この円で描かれた文字は、円ではなく球なのではないかと思っているところです。 透明な球形の物体に黒い文字がうきでている様子を想像しました。 端の部分は、球であるために 文字が逆さに映し出されているかのように映ったり、はたまた脱字になって表れている様子を この丸い箇所で表現をなさっていると、るるりらは解釈したのです。 さしつかいなければ、わたしの推察どおりなのか それとも 私の推察が間違えているかを教えていただけませんでしょうか? (To all readers.)

2019-01-10

おはようござます。 おこたえいただき ありがとうございました。おかげで、詩読みが深まりました。 月清は、るるりらもよく知っている詩人なのですね。あは ところがどっこい るるりらには、わかんないです。 とりあえず、月清というネーミングセンスが 素晴らしかったので、わたしは質問せずにはおられなかったのです。 つきみさんへの返信で、「この求道者は、いにしえの若き僧かも知れず、現代の一詩人であるかも知れないですね。」とも言っておらるので、月清とは fiorinaさんなのかもしれない。(そうだとは おっしゃらないでね) いやまて、フェイントで るるりらでも 良い気がしてきました。 はたまた、つきみさんでも悪くはない気がしてきました。 だって、つきみと名乗っておられる方が、「月清」という謎の人物を特定しようとされているわけでして、名前にそもそも つきがついておられる。 九条兼実の場合は、別称では 月輪殿ともいわれていたそうですね。地図でみると、東山のあたりには「月輪」という地名もあるようですね。つきみさんの書き込みで、その息子さんが月清と知り、驚きました。 なんとも月づくしですね。 先月、たまたま 列車で琵琶湖のまわりを通過しました。瀬戸内海を知っている私には、琵琶湖は海の規模に思えるのに、さすが湖です。しても しずかで美しい様子が、 とても不思議でした。あのように静かな湖面にもし月が映っていたら、格別でしょうね。 月清とは、だれかという類推の時間は、私にとっては 琵琶湖の月におもいをよせる人々のお気持ちは、どのようなものかに思いを馳せることとなりました。おかげで お正月に古都を想うことができました。ありがとうございます。 (【哲学の道散策】※)

2019-01-04

以上の二作品の酷評をいただけるならいただきたいです。 しかし老婆心ながら、過去作も酷評しても良いということになると、管理的に大丈夫なのかと心配をしてしまいましたので、ほんとうは全作酷評も大丈夫ですが、二作品にしました。 そらおそろしい 2017-09-03 よしっ。いや、ちょっと マテ。 2018-11-15 (【実験企画】酷評OK箱の設置 )

2018-12-13

おはようございます。短詩で短い命を描くことの かなしみを想いました。 言わないでいた言葉を蚊に例える。せつないです。 蚊はそういえば、虫偏に文なのですが、 おそらくそこは関係ないのでしょうが、よく思いつかれたなあと思うのです。 味わい深いのは、 網戸の目から抜け出せない蚊の死骸は、普通に考えると見えるはずですが、 消えてしまった言葉ってモノも、話手にとっては 苦くも死骸のように存在している。 言葉の死骸を あぁ、、、消えてしまった ↑と、表現しておられ この、詠嘆が私には たまらないです。 (言わざりし言葉)

2018-12-13

拝読して感じたままに 書かせていただきます。 初読では、瞑想の詩と捉えていました。しかし、瞑想と言い切るには激しい男気を感じました。なにしろ【大海の王者】ですもの すごいです。とてもとても強そう。しかも、弱気のモノに対しては ふとっぱら。 >私だけが覚醒しているのではなく、虫けら一匹、木の葉一枚、森羅万象が覚醒しているのであった なあんて、言われた日にぁ。私は もう、この風景の中の虫けらにでもなってしまいたいです。この詩の中に私(るるりら)が含まれているならば、さぞ冴え冴えとした心を得た虫として居られることでしょう。 私は、この詩の中の虫にでもなりたいのですが、しかし この詩の話者の視点は 虫になんかに留まることはなく、万里を移動していると感じます。わたしが、ほかの読者の方々が仰っているような水平線と地平線の違和感を 感じなかったです。この詩は定点観測の詩ではなく、長距離を移動していると感じたからです。それは次の詩行で、あっ!この詩って、移動ナウだったのねと思ったのです。↓ >故郷が見えてきた。 だから水平線と地平線が一遍の詩編の中に同居していても、私の場合は不自然には思わなかったです。むしろ水平線と地平線があることで、空がまんまるに開けている感じがしました。 蓮華の中のダイアモンド。←この表現も、素晴らしいとしか言えません。ブリリアンカットされた宗教画的言葉は眼福の極みといえるでしょう。 シヴァ神について、私(るるりら)は不勉強で 破壊と再生を司る神ということしか知りませんが、なかなか性的に神でもあるような表記を見つけて狼狽えました。この詩は、基本的には男性向きの詩だと思いました。 (大海の王者)

2018-12-11

×古めの家屋でも雨戸のある地域と ある地域があると思うのですが、 〇古めの家屋でも雨戸のある地域と 雨戸のない地域があると思うのですが、 訂正です。 (かえっておいで)

2018-12-06

こんにちは かえってこない方を思い遣る表現が、やわらかで 素敵です。 とくに、境界を示すガジェットが素敵。 たとえば、雨戸。古めの家屋でも雨戸のある地域と ある地域があると思うのですが、雨戸が重宝がられる風土の土地なのだということは、強風や長雨も めずらしいことではない地域の物語だなあ。雰囲気でているなー。と、思いました。 あと、「降り続く破線」が、好きです。雨を破線と見立てて、破線に切り取られた日常。ショックな出来事がかかれているのですが、細部には こんな 美しさ。 破線というと、まるで 折り紙の切り取り破線にきりとられたかのような やさしみがでている気がしました。 (かえっておいで)

2018-12-06

ひぃ。まちがえいる箇所があります。なぜか、コピー機能が作動しちゃっている箇所あります。ごめんなさい。 (それは素粒子よりも細やかそれはあやとりそれは贈り物)

2018-12-05

こんにちは 本作品は、うつくしい繊細な糸で編まれたかのような世界をお示しになろうとしていると捉えました。そこで私が、思い出した作品があります。 宮沢賢治の【インドラの網】という作品です。 以下引用します。 ------------ 引用はじめ※ 「そら、ごらん、インドラの網(あみ)を。」 私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変(かわ)ったその天頂(てんちょう)から四方の青白い天末(てんまつ)までいちめんはられたインドラのスペクトル製(せい)の網、その繊維(せんい)は蜘蛛(くも)のより細く、その組織(そしき)は菌糸(きんし)より緻密(ちみつ)に、透明(とうめい)清澄(せいちょう)で黄金でまた青く幾億(いくおく)互(たがい)に交錯(こうさく)し光って顫(ふる)えて燃えました。 -----------※引用終わり。 いかがですか?まるで、素粒子よりも細やかそれはあやとりそれは贈り物だとは お思いにはなりませんか?本作品の題名は、宮沢賢治のインドラの網のように美しいです。 ですが、冒頭の箇所では、【苦海浄土(石牟礼道子の著作)】であるかのような阿鼻叫喚が聴こえます。 そして、最終の結語部分は >陽は冷たかった。水は石だった。花は茨だった。これまた宮沢賢治の【十力の金剛石】のように夢想的です。 賢治も うつくしい世界を編んでいますが、つきみさんも うつくしい世界を構築しようとされていますね。 宮沢賢治と違うのは、この詩の背後には なにやら とてもお辛い経験があるせいだと 感じました。 幻想的な美しい造語が 様々に、ちりばめられています。たとえば、 幻想的な美しい造語が 様々なに、ちりばめられています。たとえば、 湖面鯨。兆陰花。そして、晶月。といったようにです。 といったようにです。 人の不幸の姿は色々です。この詩の話手は、苦しみが固有であるという孤独を埋めるべく、似たような苦しみの人を救いたいという思いを抱きつつ、苦しみが色々ことに比例して 美しい心の情景も色々であることを示そうとしているかのようだと、私は捉えました。 本作品は、とても美しい作品です。美の構築の意欲を感じました。しかし、ほんとうは苦しみが根底にある。本作品は、とても深い作品です。 ですが、私にとって、本作品は 受け入れ難い作品でもありました。 それは、私自身の個性に問題があります。私の母は、視覚障碍者なのです。全盲にほぼ近く、色の識別も難しいのです。こんな私にとつて、詩文にある「盲目」だの「色盲」という語は、受け入れがたいものでした。 すべての言葉には歴史があります。歴史的にみて「盲目」という語が、モノを理解できない人ということを示し、差別語でもなんでもないことは理解しています。 でもまあ。わたしの母が視覚に問題があるのも人の苦しみは 多種多様であることの証拠なだけです。 苦しみが多様であるのは事実なのですから、苦しみをぬぐえるような美も多様であってほしいものですね。 見えないものを観る力を、わたしも会得したいものだと感じます。 湖面鯨。兆陰花。そして、晶月。これらを、私も しばらく夢想してみます。刺激的な作品を拝読できました。ありがとうございます。 (それは素粒子よりも細やかそれはあやとりそれは贈り物)

2018-12-05

替え歌で お返事します。 「どこのだれだか 知らないけれど 知る必要もあんまし ない♪」by月光仮面のテーマより。(るるりらは、月光仮面世代ではないです。) (正義の味方)

2018-12-04

おきづきではないようですので、お知らせさせていただきます。まりもさんの該当作品の投稿欄に 「※ビーレビュー杯不参加作品 書き忘れました。」と書いておられます。つまり枠がおひとりぶん 空いたことになると おもわれます。それをどのように判断されるかは、つきみさん次第です。 失礼しました。 (十一月分フル選評)

2018-12-03

おはようございます。 「僕の中の/人間が奪われた」と書いておられますので、人が人の中の人間である部分を奪われたと、感じる時とは どのような時だろうかと考えてみました。 基本的人権が保証されない時には、もちろん そう感じることでしょうし。衣食住はこと足りているとしても人間関係のビラミットで下位に落とされたと感じたときも、自分の中の人間が奪われたと感じることでしょう。 いずれにせよ人間って 他者との比較でしか自己を理解できないので、「僕の中の/人間が奪われた」と、感じるときも 他者があって感じる。つまり人間関係があって感じる。ということは人間だから「僕の中の人間を奪われた」と、感じる。 こんなふうに考えてみたら、他者が僕の中の人間を奪うと感じることはあっても、人間が人間の人間性を ほんとうの意味で奪うことはできないはずですよね。 この詩文の題名は【芽生え】です。この題名が持っている気づきは 尊いと思いました。 人間の中心にある 種のようなものは、果実の甘い部分が失われても けして失われず、条件がそろったときに 芽生えの時期を迎えるのだと思います。 心の中に本当がある 難しくもない本当がある それをみんなあなたたちにあげる ↑ここ、きまえがいいですよね。 ビリージョエルのHonesty という曲を思い出しました。これは、わたしが人生の岐路に立った時は、なぜか思い出してきた曲です。  本当の心は希少で しかも 誰もが望んでいることだと歌っていて、なんど聞いても 腑に落ちるのです。Honestyほど大切で貴重で簡単だけど、だれもができることではないことは無いと感じます。この詩も、ほんとうを謳っておられて 良いなあと思いました。 あたたかな人を想うとき 心はやさしい芽生えを果たすのは、ほんとうにこころやすまる ほんとうのことだなあと想います。拝読できてよかつたです。 (芽吹く)

2018-12-03

こんにちは わたしは、そもそもが クレーンだの消防のはしご車だが好きな読者です。よって、この詩も私にとって どストライクです。  そういえば、幼き頃の写生大会で 私は梯子車を描き、賞をとりました。私の伸びゆくものに対する愛と興奮が、大人にも見て取れたのでしょう。こんな私ですから、この詩のクレーンに対して 私の信仰となりえるかどうかを すこし考えてみます。どうやら この詩は ただの伸びゆくものへの偏愛では無さそうです。読者に「拝め」と言っているのです。  私の近所に たくさんのクレーン車が駐車してある場所があります。伸びる物フェチの私としては、突如 鉄骨を伸ばしてシンクロナイトスイミングのように踊ってくれないかと夢想せずにはいられません。しかし、この詩のクレーンとは違います。この詩のクレーンは 唯一のクレーンなのです。たったひとりで つきぬけていった なにかに選ばれしクレーンなのです。    行動に思惟がなく、思惑うことなく伸び続けるクレーン。空を殺して 神になるクレーン。 これは、おそろしい存在です。もしも 無機質であるモノが なぜか生命になったという話だったのなら、なにかしらの思惟が生じる気がします。たとえば、高木が枝葉を伸ばすのは より多くの光合成のためという理(一種の思惟めいた働き)があります。理がないの やみくもに巨大になる物体。しかも、私たち人間の頭上で鎮座する物体。私には、おそろしいです。 >お父さん お母さん 見上げてください >そして拝んでください 呼びかけで普通に思いつく言葉に「ladies and gentlemen」というのもあります。しかし、そうでは無い。読者に作者が望んでおられるのは、父母として もしくは父兄として このクレーンを自分たちの子どもとして愛を持って観ることです。我々人類が産み出したモノと言えば、今の世の中のIT化やAI技術の進歩のことを想起いたしました。 >あなた方の白痴の子は >空を殺して 神になりました 「空」といえば、仏教思想の空の思想を想いました。このクレーンには思い遣りなどという高度な思考は、ありそうもないです。わたしたちが拝んだところで、クレーンという無機質なもののが 私達に感謝で応えてくれる可能性もなさそうです。 しかし、私達は もうすでに無機質なものに、この身を既に委ねている気もします。IT化やAI技術のことを考えると、すでに私たちは、なぜだか伸びている巨大なモノを拝んでいる状況とも言えます。理のないものを愛しきったり信仰のような心境で拝んだりすることは、おそろしいです。 >空は見えない血を噴き出しました 空の見えない血を観る力を養うのが、詩を書く人の もっとも重要な仕事のひとつだと思いました。本作品は、私にとって刺激的な作品でした。拝読できてよかったです。ありがとうございます。 (たったひとりで伸びていったクレーンへと捧げる詩)

2018-11-28

●渡辺八畳@祝儀敷 様 次回から「選評」と入れさせていただきます。ガイドラインの不徹底、もうしわけありませんでした。書き込みを見つけていただけているので、よかったです。 ●蛾兆ボルカ様 わたしのような者のことを、過分に評価してくださる方が蛾兆ボルカ様が いらっしゃり感謝です。わたしは、成長しないという特異な才能を持っていると詩友に 言われました。あれから十年は経ってます。そして なんやかやと時間が経って、結局 現在のところ泣かず飛ばずです。だから、たまに猛烈におだててくださる方がいてくださることで、やっとこさ 心のバランスがとれています。ああ きょうも、力を頂きました。ありがとうございます。 該当の作品について ほかの方の評と比べて 簡単に書いてしまっているので、追記します。本作品のことを、わたしには 忘れることがないと確信しているので選ばさせていただきました。 本当の理由は、普通だからです。えらそぶったりしている作品は たくさんあるのですが、本作品の場合は 【普通に】尊いものが表現されています。【普通】であることに耐えきれない作品には、うつくしく飾りたてた言葉や音があるものです。ですが、そのようなものは色あせやすい気がします。わたしは、この作品の愛されキャラのような普通に尊い人になりたいです。この詩は、普通だから 私の心をつかみました。 ●ゼンメツ 様 素直な評です。こちらこそありがとうございました。 ●帆場蔵人様 また評を書くとしたら、また なにか自身にゲーム性を与えて評を書きたいです。 ほかの方は、よく順位をつけられるなーと思います。わたしは お遊びの要素がないと無理なのです。 (十月のるるりら選)

2018-11-26

おはようございます。 まず、題名についてですが なんども見た覚えがあります。 みうらさんがブログの表題にしておられたからです。 わたしは、「たとえ偽りに終わったとしても 」とう表題を目にするたびに感じていたのは、 元ビーレビそして、いまもビーレビを育てつづけている人物の御一人としての、情熱。絶対に色あせない想いが この方にはある。と、感じていました。 本作品において、心に残ったのは「この世には絶対があります。」という言葉です。 あと、「誤解は誤解のままに。」という言葉です。誤解は誤解のままに合理による共有は無理ですが、体温を持つ態度で絶対を感じておられる詩人に あたたかいものを感じさせせていただきました。 このように書いている私ですが、わたしは私の思うを結局は うまく言えてません。がしかし、わたしも初めて私が言葉を学ぶように 謙虚に詩と向き合いたいと思えました。心の奥く深くで知り合った詩人に 再会するための努力をおしむまいと思えました。 ありがとうございます。  (たとえ偽りに終わったとしても)

2018-11-26

誤字多数です。もうしわけありません。心で読んでいただけたら幸いです。 (障害者)

2018-11-26

おはようございます。 突然ですが、わたくしごとの話をさせていただ きます。 昨日は私の友人が自身の家を出て、我が家に居候していた日の一周年記念だとメールがきました。友人は今は自宅な戻ってますが、心の病が良い状態になるたびに 無理をして仕事をして、病理を悪化させ ついにい何年も引き籠りになってしまっていたのです。 病理を内に秘めてなんとか働き、そして挫折してしまうことの辛さは 経験をされた方にしか分からないのかもしれない。わたしも理解してない気もします。 ですが、本作品の終盤の描写の肌感覚を通して、感じ入るものがありました。 本当になきたいのは バ先のひとたち と、いう多者を想う気持ちが苦を深くしてしまう話者の心の奥にある表現しきれずにいる苦しみにも 心打たれました。 (障害者)

2018-11-26

●ふじりゅう様 爽快であったなら 成功です。ありがとうございます。 人生経験ですか?んー。どうなのでしょうか。話手が 自分以外の人の家に入って困惑している部分に人生があるといえば、あるかもしれません。しかし、困惑が表現したかったわけですから。できれば 読者の方々に 想像を絶する状況がこの詩の中にある情景なのであろうなー。と読んでいただけることを目標としていました。  とは言ったものの、正直 前作で表現しきったつもりでしたので、爽快を感じていただけたので わたしとしてはエニシングオッケーな幸せ気分です。ありがとうございます。 ●stereotype2085 様  はーい。人間素直が大切です。出ました。「よしっ。パート2」でございますよお。 この詩の投稿直後に、わたしには見えました。それは、この詩の上に赤い朱肉の桜のハンコで「大変良くできました。」つていう印を どどーんと、stereotype2085 様が捺印してくださる映像が見える気がしましたよ。予想道理に気に入っていただけたようで なんだか ほっとしました。 「よしっ」の第一作めは、数多い るるりらの作品群の中でも、作者が暗唱できるほどの会心の作です。なので、リクエストいただいたときには まったくアイディアがなかったのですが、まあ こんなふうにしてみました。 これで、第一作が見事安住の地を見つけたのですね。安心です。おかげで、本当に詩を書く人として、また再び走れそうです。ほんとうに ありがとうございました。 ●ishimuratoshi58様 まず、これ以上ないくらいの応援のお言葉の数々をありがとうございます。 拙いこの詩の突拍子もない走りっぷりに、まるで伴走者ランナーのような言葉を頂戴できました。拝読して楽しくて嬉しくて、どうしょうかと思いました。ありがとうございます。 リア王の独白はかりシェークスピアのさせる技ですので、とても恐れ多いです。 いま自身でふりかえっても、 ずいぶんと ずっこけ箇所があります。けど、いただいた言葉は ほんと 盲人ランナーの横で適切な方法で道を示す人のように安心できました。 たとえば、ヨモギのくだりって人様にとって不思議なのですね。夢の中でしかなりたたないらしい。そうなのですね。不思議なロジックも、当然のごとく「そうだよね」と納得してくださったのですね。なんてお優しい。優れた人とは、優しい人であるのですね。いつもの誤植女王ぶりも笑ってくださってありがとうございます。ここだけの話ですが、誤植って、一体どうしたらなおるのか、治らない病のような気がします。おもわず、道路の真ん中で派手に転んだ気分でした。かなりへこみました。でも、ま いっか。(笑)と、思えました。るるりら宇宙かあ なんだか、すごいなー。びっくりしました。ありがとうございました。 ●藤 一紀様 アメリカの自由の女神像にまつわる話は、興味深いです。自由の女神は フランスか贈られたもので、足元には鎖がある画像を見つけました。自由の女神は、鎖を踏みつけており、すべての弾圧、抑圧からの解放と 人類は皆自由で平等であることを象徴しているようです。(wiki) わたしには、自由の女神の足元の鎖は、まるで陸上競技のスタート時のスターティングブロックのようにも思えて興味深いです。 ついでに自由の女神は、手になにやら板のような物をもっているのですが、あの板にはアメリカの独立記念日と フランス革命勃発の日が 書かれているらしいです。ス  どうやら アメリカの自由の女神が象徴していることは、まだ縛られているという訳ではなさそうです。ですが、人間 って、なんの縛りもないなどということは ないですね。私にも なにかと色々と縛りを感じることがあります。アメリカにも縛りはあることでしょう。 人はひとりでも人でいられるけれど、人間は 人と人の間があってはじめて、人間なのかもしれないなとも思います。思いがけず、大きな視点を得ることができました。貴重なご意見をありがとうございました。 ●鈴木 海飛様  この詩の叔母さんは、ほんま存在を証明できてよかったです。 ドキュメント番組で取り上げられることもある孤独死は、リアルな日本の大問題であり 考えてみるべきことの大きな問題だと思います。 それにしても ぼた餅って、なんとも おじいちゃんおばあちゃんを想える食べ物ですよね。わたしの祖母もよくつくってくれました。とても優しい気持ちになりました。ほっとするコメント、ありがとうございます。よしっ ぼた餅をつくってみますっ。 (よしっ。いや、ちょっと マテ。 *)

2018-11-21

まりも様 お読みいただき 細部まで読み込んでいただいて、書いた甲斐がありました。 心よりお礼を申し上げます。ありがとうございます。 まずは、お願いがあります。お手数ですが、できれば訂正をお願いしたいです。 〈やにやら光った!保険証通帳印鑑の発見だ!これで 家主を証明できる!  彼女は 列記とした 私の叔母様だと証明できた 〉の箇所ですが、 「なにやら」 「れっきとした」、で あります。 投稿前に読み返したつもりでしたのに、題名ではありませんが「ちょっと、マテ。」ですね。まさか自身が自爆ネタをやっているとは思ってませんでした。ヨモギをいれたのは  廃れた外観を入れることで、玄関入る前に「ちょっと マテ。」っている感じにしたかったのですが。うまく機能しなかったかもしれません。   〈ぢぁり〉〈じぁあ〉や 〈保存された時間が死んだまま/シッカリ動イテイル 〉そして 〈すべててのものが繭ごもっている~うごかない時間が/ユックリ揺レテイル 〉にしても  ちょっと待っている感じを 描くことを目標としていた気がします。    全体として 煩雑な状況を描いて、しかし 心には なにかうまく言えないパッションのようなものがハジケル感じを描きたかったのです。しかし、わたし自身が とりちらかってしまいました。とても勉強になります。ご批評ありがとうございました。笑っていただけた部分もあったようですので、嬉しいです。 (よしっ。いや、ちょっと マテ。 *)

2018-11-15

こんにちは、 緑青という色味など 古来から日本人が愛してきた古色ぎみに描かれており 興味ぶかく拝読しました。題名も 四方を海で囲まれた国の都の名として、【塩の都】も相応しいです。原生動物に対する示唆に魅力を感じました。 とくに、私達が一個の袋であるという視座が凄い。個人的には まるで超お袋様です。生きものは ほとんどが、みな袋。透けた薄皮が欧州の音楽であるオペラのように壮大に響いていると思いました。装飾ぎみであるという意見や 好きな人にはたまらんはずだという意見がありますが、わたしは好きです。 たしかな知識の裏付けがあって書かれている本作品ですが、わたしの場合は妖怪(とくに河童)を感じました。どろりとほかの生物と溶け込んで生きている共同感覚に わくわくしたのです。楽しい詩の時間をいただきました。ありがとうございます。 (塩の都)

2018-11-10

推薦ありがとうございました。 下記の部分で笑いました。↓ >「勝負魂」ここにあり! というのはたしかに気が引ける 勝負する気は ええ まあ なかったです。うふ。 けれど、なにか綺麗なものをと開店祝いにお花をお届けするような心で投稿させていただいた私には、過分なお言葉が頂戴できたと思っています。ありがとうございます。 (【選評】201810XXの乱。ステレオが行く!「見せてみよ。己が勝負魂」)

2018-11-10

ひとこと選評ありがとうございます。今月はスランプで一作しか投稿できなかったうえに、ビーレビ祭に適したと思われる過去の作品の中から 壁に貼られていたら おそらく、にぎやかしにはなると思われるものを投稿させていただいただけでしたので、まさか とりあげていただけるとは 思ってなかったので びっくりしました。  とても嬉しいです。ありがとうございます。 (10月分 フル選評(まりも))

2018-11-10

エンタの神様へ声や文字を差し替えてある動画も あわせて拝見しました。 まず 声質が似ている。そして、有名すぎる詩をネタとして採用しておられて 笑いました。すごく楽しすぎる時間でした。チクショー (ポエムでチクショー)

2018-11-10

こんにちは すごく好きな恋愛詩でした。花の色も月の在り様も心が満ちてくる。 出会いの場所も、フェンスを含む情景描写も、いい です。ベタな東京タワーも いいな。 むかし「あの娘」(中島みゆき)って、曲がありました。「さしい名前をつけた子はあいされやすいというけれど♪」って歌詞と 女性の名前がいっぱい列挙されていて、愛されキャラに対するジェラシーの歌でした。 この詩のひとりだけのユキさんは、まちがいなく 愛されキャラで、たまに女子に憎まれるタイプじゃあないかな。 ほとんど、どうでもいい 本音を言うと(書いたあと、絶対 わたしは後悔するけど) わたしの本名には「ゆき」って 発音する部分あるし、わたしには東京の思い出も神社の思い出もあるぞ。と、赤面して しまったのでした。で…ですね。 なんども 読み返したのですが、この詩を評価しますかといえば、はずかしいです。ってことになるのでした。 でも 本音の本音をいえば、自分の昔の日記帳を にやにや読み返すみたいに、また ひそかに、ああ うっとり……とか思いながら、再読すると思います。あは (コーヒーを飲もうか。)

2018-11-09

おはようございます。 あなまどいとは、秋の彼岸を過ぎても、冬眠のための穴にこもらないでいる蛇の様子のことだと、検索で 知りました。 しずかに くびを しめられているときとは、ただらぬ状況です。 真綿で首を絞められるかのような困難を経験したという比喩表現でしょうか? 個人的には、わたしには 昔の職場で 首を絞める癖のある上司の下で働いていた体験があるので、首を絞められると、ただただショックだったな。あれは、あらゆる思考力が停止するんだがな。と、自身の嫌な記憶を辿ってみました。ですが、詩文では その時、話者は いきていたと あります。 >しずかに くびを しめられているとき >わたしは いつも いきていました 「必死」という言葉のことを想います。必死とは かならず死ぬと書くわけで、漢字とはうらはらに、とてもその場その場で生き生きと生きていることを示しています。そんな 困難のさなかの人の 苦い意気地を想いました。 くるうことさえできたら って、ことは 人間は 狂うことはできないでしようから 艱難は艱難でしかなく、やわらかくまるい くずもちのような かたまりなはずはなく、おそらく、とても つらい現状の詩なのでしょう。 人生には、もう寝るしかない方法のないようなことも あるのでしょう。 そうやって どうにかこうにか生き抜くことも、あるのでしよう。 凍えながら眠るかのような しぶい作品だと思いました。 (あなまどい)

2018-11-07

●ゅう様 速攻、ダッシュしていただいて ありがとうございますっ。 ●stereotype2085 様 わお、宿題を頂戴いたしましたあ。今度は「よしっ」から「走れ!」に至るまでの詳細を描いた「よしっ!パート2」ですか? うぅむ。たとえば運動会の徒競走ピストルのよーいと、「ドン」に至るまでの詳細の場合は、宇宙のビックバンを表現するのに匹敵するかもしれません。(自分で課題のハードルをあげてみました。あは。どーしょ。書くべきか書かざるべきか それが問題だ。) ●ヤエ様 この詩は、なにやら降りてきたのですよ。朝、夢の中で だれかに このように言われたのです。中学生の頃にも夢で「走れ」と言われたことがありました。意味もなく早朝ジョギングを始めたことがありました。そして、そういえば初恋もしたかも。うおーーー。そうだ。はしりましょー。  ●黒髪様 ありがとうございます。自分に対して発する命令には、従える私でありたいです。 自分に対して発する命令に従えるうちは、他人に従うときも 自己に責任が持てるに違いないです。じぶんサイクルは、よくわかりません。でも あれ?わたしは じぶんサイクルを分かっているのかも、だって走ったとしても 絶対いつかは 自然に止まちゃいます。あらま 私は、じぶんサイクルって 分かっているのでした。まあとにかく 走ってみます。レスをありがとうございました。 ●らくがき烏様 らくがき鳥様のハンドルって、わたしからみたら 走っている感じがします。 すいすい走るかのように走るかのように詩世界を描いてみてくださいませ。たのしみです。ぺこり。   ●オオサカダニケ様 「かなしい」を、頂戴いたしました。かなしい……は、すぐれた芸術と同じで、ふかいです。ふかすぎて 私には、よくわからない感慨です。でも、とても好きな日本語です。ありがとうございます。 ●渡辺八畳@祝儀敷様 魅せるためのアドバイスありがとうございます。けれど、私のベクトルは そっちではないのです。魅せようという気は、ありませんでした。面白さも私は追及してなかったです。  わたしがやりたかったのは、シンプルに記す。て、いうのを やりたかった。 だから、短い詩である必要がありました。字をデコレイトしちやうと ダメなのでした。 そういえば、草野新平の「冬眠」という作品の詩文は、「●」だけだとか。さすがだと 感じます。短くて良いです。 ●Mar-to様 まあなんと、感動とのお言葉。うわあ 嬉しいです。小躍りします。そして、がんぱってまた走れそうです。ありがとうございました。きゃ嬉しい。どうしょ。どきどき。 ●蛾兆ボルカ様 おもいがけず素敵な詩論が うかがえて幸せです。書いておられることと対極にあるとしか思えない詩編が この世の中には たくさんあるのですが、でも ちょっと 紙に書き写したくなるほどの詩論だと思いました。  わたしのこの詩の場合は、なんだか 気持ちよかったようですね。よかったです。ハッピー。 ●ロ三様 「よしっ」の中に「走れ!」が入っている。をお、そういえば そうですね。 努力の努力は おんながまたに力をいれて さらに力をいれて出産するが如く、努力できるなにかを 孕んでいる者を示すと、むかし卒業式で校長先生がおっしゃったんですが……。 走ることのできる者は、「よしっ」という言葉の中に 「走れ!」が すでに入っていることを感じているのかもしれません。(なんちゃって) ●蔀 県様 みなさん色々なレスをしてくださっていて嬉しいです。しかし、みじかい詩ですしね。こんなにレスがいただけるとは、あんまし おもってなかったです。まるごと すっと、読めちゃうはずですよね。爽快な気分を感じていだたけたのですね。ありがとうございます。 ●湯煙様 題「走れ!」詩文「よしっ」ですか? 走っている状況を 褒められた感じが 個人的には、します。 もしくは、わたしの詩と まったく同じ意味にもとれるし、うぅぅむ。 ●ishimuratoshi58様 石村さんだあ。(嬉)     ようこそ、ビーレビへ。 えーと、ハンドルが いしむら年58ですか?なぬ?石村さんは、もしかして年齢が58でらっしゃるのですか?いつも るる姐といってくださっていて嬉しいと思う反面、実は 気になっていたのです。石村さんて年下なのかしら?って。もし58歳でらっしゃるなら、わたしは年下ですよお。でも、呼び名なんて なんでも良いです。姐さんて、なんか芸人さんみたいで笑えます。それに、小学校の時のあだ名が「おばちゃん」でしたし、私の おばちゃん歴は実際にも相当ながいです。といいつつ顔が真っ赤になってるのは たしかです。だって、天才って。うわあ 顔が熱くなります。ありがとうございます。 (よしっ)

2018-11-06

こんにちは。 新大陸といえば、いつだったか 黒髪さんのお話の中に 思春期が十六世紀のヨーロッパのようであると良いとか、良かった みたいなお話を伺ったことがある気がします。大航海時代に見たことのない大地を目指すかのような精神を、「新大陸」という言葉には感じます。 真実はわからなくてもやっていくのが人生だし 真実ならば人を遠ざけて距離を測らねば 理屈続きの人生だ 理屈が負けた人生だ 架空でしかなかった見たことのない大陸を目指すのは人類だし 真実の追求のために 親しんだ人々を遠ざけてでも人は、歩んでいくことがある。 理屈では、領土拡大や女王のためだとか 大儀がなければ 船は出ないのかもしれない。 けれど、そんな理屈よりも あらたな場所への好奇心が勝っていたのが、もしかしたら 新大陸を目指した人々の本音かもしれません。 人類は アフリカ大陸から派生したといわれていますが、 じやあ日本人なんて、太古の時代から 新天地をひたすらめざしてきたから ここに、居るのかも。あたらしい何かを、めざさずにはいられないのは 理屈ではなく、もしかしたら 血に骨に刻まれたどうしようもない本音のところにある願望かもしれません。 人間だからこその病みを 持つことは、たれしもありゆることです。 わたしは、黒髪さんの葛藤を感じさせる詩文にいつも励まされてきました。 心の新大陸は/いつだって見つかる/  ↑ この箇所にしたって、混沌のなかから ひかりを見出そうという姿勢に背筋がのびる思いがいたしました。 拝読できて よかったです。ありがとうございました。 (新大陸と理屈)

2018-11-06

誤字がございました。 テレビジョンの評の欄です。 ×パワーが放たれる瞬間は、詩文中にいる人々ではなく、【いち読書】でしかない わたくし るるりら自身の心の中である。と、感じました。 〇いち【読者】でしかない わたくし るるりら自身の心の中である。と、感じました。 (十月のるるりら選)

2018-11-05

おはようございます。 こどものころに、「新聞に のるような人になりなさい。」と言われて 新聞の上に立ってみたことがあります。「んな意味とは、ちがうわ」と 親につっこみを入れられましたが、新聞には乗るではなく載るという意味なのだと考え直してみたところで、子供のころの私には、新聞に載っている人は悪いことをしたか ただ目立っている人ばかりで たいして立派とは思えず、新聞の上に実際に立ったほうが なにかしら誇らしいと思ったものです。  本作品では、もちろんテレビジョンが題材であり新聞ではありませんが、テレビやネットといった媒体のほうが 顔を実際に合わせている人々よりも強い発言権をもっているかのようなのが今の風潮ですよね。わかるわーと おもいました。 最近ひとんちがそこかしこでぶっ潰れてる。そのようなニュースは 東北で大震災があって以来、とくに今年の場合は、異常な気象でしたので 実際にテレビを通して「最近ひとんちがそこかしこでぶっ潰れてる」ニュースを目の当たりにしました。しかし、豆腐のくずくずのほうが よほどリアルでした。テレビに出ている人をみていた詩中の父さんが突然、「こういうのは空気を少し抜くと乗りやすくなるの」かと作者は言わせておられますが、そりあ.そうです。バランスボールは すこし空気をぬくと安定する、ふあんていに ゆれされているテレビジョンというバランスボールの上に居るかのような心を心のそのままに この詩は書かれている。 テレビだのマスメディアだの スマホだの、これらは他人の視点を編集して映し出されているぶよぶよのバランスボールです。わたしは、新聞紙の上に乗るような素直なアホで居たいなと 思いました。 他人のだれかが つくりだしたバランスボールで ただただ揺らされているではなく、 自分の目で自分の体で風にあたって、立ちたい。そして 走りたい。という気に個人的には なりました。 よしっ。わたしは、走ります! (テレビジョン)

2018-11-01

おはようございます。 とにかく、脊髄反射的に思いつくままにレスを さしあげてみたい作品と出会わせていただけました。その反面 反射で書いてはならない気もしています。何年もかけて集めた赤い羽根で女性はビルから飛んだ。のなら、読んだ読者も 脊髄が刺激されて当然。弾けてしまうやろ。と、いうものです。 >カマキリを踏むと、白い線虫が蠢く はりがもむしですね。こどものころ 見ました。ぎょえぇー。と、思ったものです。 トラウマって、白い線虫のように蠢くものなのかも。とも思えてむしろ静謐だとすら思いました。 それは、一読者の私を 冒頭の詩情が 素直な心に させたせいかもしれません。 また、ぜひ123123123 さんの作品を拝読させていただきたいです。 (123123123)

2018-10-29

おはようございます。 この話手は なにかに依存する傾向のある人物を思っておられるようですね。 この作品を拝読して 私が感じた ちょっとショックにも似た感じを うまく書けると良いのですが、あまり自信はありません。 》依存じゃなくて接着したのです 心の働き次第ではがれるようなものじゃなかったのです ↑この一文は ショックな断言を詩にしておられるなと思いました。 依存とは なにかを頼って存在していることであり、依存が依存症となってしまうと、日常生活に支障をきたしてくるようなことをイメージします。たとえば、お酒依存。買い物依存。あとは、ネット依存というふうに。だから 依存傾向を自覚した人は かならず落ち込むことも ある。 落ち込みやすい人に対して 黒髪さんは 》あなたは僕に素晴らしいものをくれた素晴らしい人なのです と、いううメッセージを届けようとしておられる。 》マンホールの下を流れる水を 》気にしているのは僕だけだろうか マンホールの下を流れる水は雨水かもしれないし下水かもしれないけれど、その水は、水道という循環の中で浄化されて清い水として供給されているはずで、 狭い 思いにとらわれている人にしても 地下ではつながっていて、清いものに変換されたものは常に供給されていて、 清い笑顔を だれかにみせることは きっとできるだろうと、わたしは思いました。 あと、個人的なきづきとして 【依存】じゃなくて【接着】したのです 心の働き次第ではがれるようなものじゃなかったのです。 と、いう一文に、わたしは ちょっとした救いを得ました。 友人に ぬいぐるみ依存の子がいまして、その子はいつも ぬいぐるみを我が家にくるときもつれてくるのですが、ぬいぐるみにキスしたり 私に ぬいぐるみを介してキスさせたりするのです。わたしは きしょくわるくて 鳥肌がたつことがあったのですが、 【依存】じゃなくて【接着】したのか。じゃあ とてもきれいな笑顔だし まっいいっかと、おもえるようになりました。ありがとうございます。 混沌や暗い思い狭い思いにとらわれることは、だれしもあることですが 》マンホールの下を流れる水を おもいたいです。 (狭い)

2018-10-29

拙詩を 《推薦》していただきありがとうございます。はげみになります。 (選評 2018年9月分〈初めてフルキュレーションをやってみた〉)

2018-10-24

誤字ありました。 ×実際には、国のトップなでどはなく 〇実際なは、国のトップなどではなく しつれいしました。ぺこり。 (遺影)

2018-10-23

おはようございます。 素朴な感想しか書けそうもないことを最初に あやまらせていただきます。 すみません。 この詩のようなことを実行するなら、その人は 全体主義的な国のトップだと可能な気がしました。自己顕示欲はんぱない感じなところに、そのように思いました。 実際には、国のトップなでどはなく、詩人でらっしゃるのですから 「私の遺影はデジタルカメラで撮影してください」ではなく、「デジタルカメラで撮影しておきました。」 「アナログフィルムでは絶対に撮らないでください」ではなく、 「アナログフィルムなんてごめんだったからです。」といったように、 拡散の大元のデータくらいは 確認したほうが良いのではないかなと個人的には思いました。つまり、生きている間にすべきことも他人まかせな感じが。なんとなく ついていけなかったです。どんな画像が遺影でもいいのかな?と、おもったのです。 「変わることのない私の微笑が映し出されていることでしょう」とあるので、きっと遺影は笑っている画像のイメージなんでしょうけれども、だったら アカウントに自画像ぽい漫画の画像が貼っておられますよね。アレが遺影で良いのではないかとも、ふと 思ったりしました。        なんちゃって的な感想で、すみません (遺影)

2018-10-23

つい よなかに ねぼけておりました。良い詩だと思います。しつれいしました。 (蠅)

2018-10-21

しつれいしました。生きている人々にわいたのは しらみでした。 詩作品を汚すようなコメントをつけてしまい もうしわけありませんでした。心よりお詫びいたします。 (蠅)

2018-10-21

こんばんは。元になったお話というのは、 わが子の死をどうしても受け入れられない母親が、お釈迦様に  「わが子を生き返らしてほしい」と懇願したところ お釈迦様は 「よろしい生き返らせよう。ただし、誰一人死人を出したことのない家の芥子をもって くることができたなら生き返らせよう」と おっしゃったので、母親は 一所懸命に死人をだしたことのない家を探した。けれど、人が死んだことのない家は 一軒もなかった。 なん日もかけて家々を巡ることで、その母親は ようやく 自分の子供も しょうがないのだということを やっと理解した。という風な あらすじの話を聞いたことがあります。 この詩と 私の知っている話との違いは 病の子を治す妙薬を探す話ではなく、死人を再生させようとしている母親の話だということが 違います。 また、この詩ではハエがすでに死をおしえてくれていたことになっているのですが、 ハエは生きている人間にも たかることがあります。 日本でも 戦中戦後に多くの生きている人々の体に ウジがわきました。それでアメリカが大量に殺虫剤を噴霧したりしたようです。死人のほうが生きている人よりウジがおおくわくことはあるとはおもいますが、ウジは直接的には死を意味しないのではないでしょうか? そんなかんだの理由で どうも ふにおちませんでした。 わたしが不勉強のせいなのかもしれません。 失礼がありましたら、すみません。 (蠅)

2018-10-21

こんばんは。 「病める鳥は少しの毒を好む」という詩句に 毒にも薬にもならないという言葉があることを想いました。漢方などでは、毒とされている植物を病人の状態を診て、分量などを配合して調合するらしいです。つまり、毒は薬となりえるそうです。 鳥が薬を調合していることを想像してみました。まるで 何かの魔法のようです。 わたしには美しく感じられました。 さら・さら、さら・さ、 さ行の音のつななりは、小川の水音のように さわやかです。おだやかで、治癒しようとしている体や心にながれる綺麗な血液のようでもあるなーと感じ、すてきだと思いました。 (癒ゆ)

2018-10-21

蛾兆ボルカ様 返信が遅れて申し訳ありません。じつは、寺山のその言葉が「ビブリア古書堂の事件簿」というラノベにおいてどのような引用効果がされているかが気になって 購入してしまいました。五巻を手に取ると巻末に引用箇所の列挙があり ずらりと寺山の名前があるので買いっ!とレジに走ってしまいました。 どんな鳥も、想像の翼より高くは飛べないだろう これ、↑素晴らしいです。私の拙詩には、鳥を登場させています。 「ほととぎすは 夜通し歌をもやし、カッコウは霧雨を もやし」 わたしは登山道入り口に住んでおりまして、まあほんとうにホトトギスは徹夜で歌うものですよ。霧の中のカッコウときたら萌えぇ~です。「溶接工は、鉄を燃やして」とつづけましたが、亡き父はかつて造船の溶接工でしたので、じっさいに鉄を燃やしてました。造船の町には近くに空港がありましたので、わたしの子供の頃は ぼんやりと船を観たり飛行機をみたりしていました。 鳥は血をにじむような進化の果てに飛行をてにいれています。人も血のにじむような努力のすえに思いをかなたに運びます。人は想像の翼を駆使して実際に船をつくり、飛行機をつくりもしてきた様子が、わたしを夢想家にしてくれました。 どんな鳥も、人間の空想の翼より高くは飛べないのは ほんとの話です。 しかし、いきものは素晴らしいです。生き物も生きている者も素晴らしい。 鳥よりもかなたに飛ぶのが人です。ですが、人は鳥よりも いつも着地に苦労している気がします。 人の行っていることのすべては  まるで すぐに消えてしまう虹のように足場から不明瞭になる傾向がある気がします。 すべては うつろいやすい美です。 【どんな鳥も、想像の翼より高くは飛べないだろう】という寺山の言の葉は、 「ビブリア古書堂の事件簿」の中で どんなふうに飛行し着地しているのだろう。 どんな素敵が あるのだろう。わたしは、今 妄想がふくらんで わくわくしているところです。 それもこれも拙詩を読んでくださっただけでなく、「素敵な詩だなぁおいっ!」だなんて言ってくださったおかげです。 とても嬉しい。ありがとうございます。 (虹よ)

2018-10-17

●かるべまさひろ 様 ここだけの話。コメントがゼロでも 良いと思って投稿しました。なぜなら、ビーレビテンという おそらくとても刺激的であったであろうお祭りの壁に貼っていただきたくて投稿したのですから。コメントは期待していませんでした。 この詩の鑑賞なんて、「きれいだなぁと思いました。」←このような感想が、いちばん、ただしい鑑賞ですのに、おもいのほか とても深く読んでいただきました。 色があまり連想されないというご意見は、わたしにとって宝です。この詩から、砂漠を思ってくださったなんて、驚きです。あっ わたしの詩文にある【砂漠が隠している たったひとつの井戸】のせいですよね。あれあれ?砂漠の砂がざわわとレスポンスからあふれてくるようです。 実は、いただいたレスポンスを旅の空で閲覧しました。早朝にバスに乗車して、ぽんやりとした気分で車窓を眺めておりますと、私は 平野部に掛かる ほんとうのほんとうに虹を観ました。私の詩の゛虹゛は虹ではないというレスを、ほんものの゛虹゛をみながら 鑑賞させていただくという贅沢な時間は 奇跡そのものでした。 わたしがレスを拝読したときに実際に表れていた虹は、とても大きな景だったのですが、明るい空に浮いていた虹ではなく、曇天に浮かぶ曖昧な虹でした。 走行中なのでポイントが移動してますし、光の加減も刻々と変化するので ぼんやりと虹のような姿は現れたり消えたりするのです。 虹というものは、じっさいにも 虹に見えたり見えなかっりするものです。 だから、かるべまさひろ 様にとって この詩の姿が虹に見えなかったのなら、それは この詩が ほんとうのほんとうに虹だからかもしれないですよ。なんちゃってね。 (虹よ)

2018-10-15

●stereotype2085 様 この詩のようなものは、ビーレビのお祭りに寄せて詩を壁に掲示してくださるという呼びかけに応じて投稿させていただきました。実際の壁に貼られることを想定しましたので、 視覚的効果だけで、読まれもせず この詩が 佇んでいてくれたら それだけで私は幸せだったのです。 でも、視覚効果だけはない良さをこの詩からは感じていただけたのなら、そりぁ 作者冥利につきます。「一粒の涙の中にも」←わたし自身も ここが一番好きです。こちらこそ、ありがとうございます。 (虹よ)

2018-10-15

●社町 迅 様 小さな恋のものがたりとは また なつかしいです。 ぼんやりとキャラクターの輪郭が浮かんだものの、かすかな記憶でしたので検索してみて、ああ これこれ なつかしいなーと ひとしきり幸福な思いになりました。 >音楽みたいに あなたの両みみを あまがみしたい を、サリーがギター弾きながら恋の歌と詠んでくださって、とても嬉しいです。ありがとうございます。 ●三浦天才詩人果実 様 題名を誉めてくださってありがとうございます。団鬼六の「花と蛇」というと、それそこ耳朶のあたりが熱くなります。踏み込んで性のリアリズムを書くのは、団鬼六におまかせしたいです。わたしには、無理ですよー。壇蜜さんのファンなので、わたしにも書けるといいなーとは思います。でも、無理です。刺激的なコメントをありがとうございました。 ●こうだたけみ 様 〈どれみふあ空のかなたどちらさまでしょうか〉 この一行を気に入ってくださってありがとうございます。おかげで、いちにち中 この短いフレーズを脳内で歌って過ごしました。 うん、ちょっと書くのは恥ずかしいんだけど書いてみちゃった。って、感じです。笑。 ●ミナト螢 様 音楽が あたしのみみを あまがみするから みみたぶ 熱いです この表現、素晴らしいですね。体温がぎゅっと上がりました。 ↑ あっりがとうございます。むしろ、この二行だけで詩として提出する勇気が欲しかったです。すこし心が寒いときのホッカイロ的な言葉として使えるかもしれません。きゃっ (あまがみ)

2018-10-15

賞についての蛾兆ボルカさんの案に基本的には、賛成です。 1大賞 1から数作品(同点の場合両方受賞) 2準大賞 次点作品(大賞複数の場合、次点なし) 3大賞ノミネート賞 大賞に推挙された全作品 3佳作 審査員が褒めた全作品 大賞は複数作品で良いのではないかという意見を 私もここに書きました。だから賛成です。 ただし、確認したいのです。このサイトは どこにむかっているかによると思いなおしているところです。 まりもさんに、大賞の一作品は、他サイトである「面白いぞ!現代詩」に転載させていただいているという お話をうかがって思ったのです。一位は、おひとりだと他に紹介しやすい実例があることを、どう考えるかなと。 たしかに、ビーレビで選ばれると ほかのサイトでも紹介されたりするというのは名誉なことです。ほかに紹介することを想えば、はえある一位が存在してたら紹介しやすいですよね。賞もらうとビーレビ以外でも広がりを持つのは、ちょっと良いなと 思うのですが、みなさんは どう思われますか? (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-06

冒頭の詩句に口舌しがたい思いを感じました。 あとの行は 口舌しがたさの艱難や煩悶をうまく表現されているなあと思います。 余談となりますが、フラの曲に「プアリリリフア(サルビアの花)」という曲を思い出しました。その曲の場合はラブソングなのですが、べつにサルビアである必要なんのかなあとおもうような歌詞なのです。正直、本作品も なんでサルビアなんだろ。と最初はおもったのです。ですが、5or6さんのこの作品を読んでいると、とつぜん「あっサルビアの必要あるわ。」と思いました。 「プアリリリフア(サルビアの花)」という曲の歌詞には、 遠くにいく恋人の心を【放さない】とか 八重に編み込まれた縄のように 私を貴方からひき【放す】ものはないという意味の歌詞があります。  サルビア類の花姿って、つななっていて ちょっと縄みたいなんです。 この詩も 【はなさないで】【はなしてほしい】とか、愛憎がまるで あざなえる縄のようです。そして思いました。ああ この詩って、サルビアだなあと。  作者の意図と わたしのサルビアへの思いは違うかもしれません。ですが、サルビアが この詩のおかげで より好きなりました。ありがとうございます。 (サルビア)

2018-10-06

大賞候補者が林立した場合に追加される決戦選挙についてなのですが、 わたしは不要と考えます。 みなさんが 一所懸命に考えて選び、蓋をあけたら 何人にも該当者が現れたのなら、 複数の人が一位。大賞で、私は良いと思います。 決戦投票を行えば、すでにあたらに投稿しておられる当月の作品が閲覧する時間が少なくなるからです。 わたしにとって 大切なのは、まずは作品が 多くの人に読まれる可能性が増えることです。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-05

こんにちは まずは、渡辺八畳@祝儀敷さんが以下の質問を投げておられるので、わたしの場合を お答します。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ てかこれは皆さんに聞きたいのですが、自作や自推薦作が降格したら本当に「恥をかいた」と思うんですか? 私は別にそんなことは思わない、自分の力足らずだって思うでしょう。これはちょっと聞きたい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ わたしは、自作や自推薦作が降格したら恥をかいたとは 思いません。ただ自推薦作が降格したら、残念には思います。 また自作作品が選ばれなくても、しょうがないです。なぜなら、 参加者増加に伴い自作作品が選ばれる確率なんて、減少傾向ですから。あは。 そんなことよりも、とりあえず みなさんがすくなくとも 私の詩の読んではくれたサイトであると思えるかどうかが、わたしにとっては大切です。フル・キュレーションをした人がいらっしゃるということは、すくなくとも 全部を読んだ人がいる。わたしの拙詩も読まれているということです。これこそ、大事です。 より読まれる場を作るには、フル・キュレーションをした人が 増加する。フル・キュレーションをした人の熱意が作者の方々に届きやすい場である必要があると考えます。 フル・キュレーションをした人の労が報われるシステムを模索すべきでしょう。 では、どのような制度が、フル・キュレーションを行う人が報われる場なのでしょう? ▼引用開始------------------------------- ①フル・キュレーションで候補にあげられた作品のうち、11作品目以降はコメント人数が少ない順に優良へ降格(10作品までが大賞候補) ②大賞候補のうち6位以下は優良へ降格(2~5位までが準大賞。同率があった場合は準大賞ボーダーを繰り上げる) ③2位~5位はアーカイブ内で順位を表示 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2368 -------------------------------引用終了▲ 上記のルールでいちばんに首を傾げたのは、①の【11作品目以降はコメント人数が少ない順に優良へ降格。】コメント人数が多いケースって、掲示板として良いケースばかりとは限らないのではないでしょうか?投稿板が炎上すればコメント数は伸びるはずです。また、コメント数がのびないケースが かならずしも不良作品とは限らないです。詩作品のあまりの感動でレスしようにも 言葉にもできないケースもあるはず。 フル・キュレーションを行うには、だれかを落とさなくてはいけない。これって、過酷ですよ。選ぶのだという気概が必要です。 全部を読んでフル・キュレーション選出を行っている人の思いに熱がないとできないです。フル・キュレーションを行う方々の熱を維持してあげるシステムが必要です。 それには、大賞に推したものが大賞候補になるという結果として反映されて、はじめてフル・キュレーションの甲斐があるというものです。 だから、わたしの意見は 大賞候補に推された作品の すべてが大賞候補であってほしいです。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-05

おはようございます。 楽しく拝読しました。はっきし、いって 好き。 ちまたには 多くの文章や言葉が表情ゆたかに溢れていますが、人は 自分に関係するものに より興味を持ち、他人の幸せなどは内心どうでも良いのが本音ではありましょう。 わたしにとって この詩は、わたしに関係する詩でした。だから、好き。  実は私、自分のことをアップルパイ職人と言っていた時期があります。毎日毎日まあいにちに鉄の窯の前でパイを焼いておりました。おまけに るるりらが おっちょこちょいなのは、みなさんご承知のはず。&ベイビーも身近に居ます。おかげで私の家族ラインは、毎日毎日まあいにち ベイビーだらけです。さすがに二年後のケーキ予約なんてしやしないですが。けれど、関係のない方々にわたしのスマホ画像をみせたら胸やけするに違いないです。ベイビーを思いすぎる家族の様子は はたからみたら、アホがすぎる。 「とっとと帰っておととい来やがれ」といわれても 私の無意識が この詩の結語に見えないリフレイン記号をつけてしまったのです。だから、わたしの場合はこの詩を当分の間は 読み返しそうです。そして、わたしの この雑文も また(あつくしいすぎる) 自爆 ( アップルパイ屋の独り言)

2018-10-02

ファミコンのゲームソフトが下書きだったのですね。 作品は作者の手を離れて、さまざまな読者に読まれ さまざまに変化するものですねー。 わたしは、この詩を読んでいると落語の二人羽織を連想しました。 「背に負いし」とか。なんだか足の数が多めな感じとかが二人羽織ぽい。 そうおもうと、つい落語的なものを書きたくなりました。 あまりの変えようを どうぞ怒らずに、ご笑納いただけたら嬉しいです。 なお 落語的なものを描こうとして下記の動画を参考にしました。 http://www.nicozon.net/watch/sm20813636 【犬落語】「御題 多産型」 どどん ちんとんしゃーん 古今東ざーい えー  毎度バカバカしいお笑いを一席  犬でございます。 犬が落語をやっております。うそだろ その羽織の中に人がいるだろ 背に負われている そいつぁ誰だ  人間が入って居るんだろうなんて 野暮なことを言っちゃあ いけません えーぇえーぇ そうなんでございますよ。 わたくし犬でございますから白い尾ゆらめかせているのですのが どうです?人と犬との足だと六肢のはずでしょうが、そうは見えませんでがしょ。 あら わたくしの黒目がちの目が 可愛いですか? はい よく言われます。 あれですね お座敷というちいさなコミュニティを掌握しようとするとですな。 犬のように ただ吠えているだけぢゃあいけませんね  そのときどきの環境や 人々のエネルギーがどうはたらくかを 考える必要が ございましょ? D   Y    C    S   K どうか やさしい コロニー 育って ください てなことを言ってみたモノの 頭だけで考えていてはお手上げです ここで落語的発想が必要となってくるのでございます。 とんち とんちんかん どんでんがえし 大事なのは おおよそ この三つでございましょ ちょっと 耳をかっぽじぃてきいて おききください 全体を包む空気のような風のような太陽のような気持ちが大事ぃ すきゃらかちゃんちゃん 愛が必要なのよー。すきゃらかちゃんちゃん なにしろ 環境は整えて、エネルギーを絶えず蓄えてくださいよー・ 犬だけに 犬印の腹巻でもして たくさん詩あわせを孕んで   たくさん詩あわせを産んでくださいよー。おねがいしますよー。 ってなもんで どうもおあとが およろしいようで…… (お太鼓 すててんてんのてん。そして  緞帳、落ちる) (わが子)

2018-09-22

おはようございます。 詩を読むという行為は、読むときの たまたまの感情や置かれている状況で 詩から書き手の心情や言いたいことが、読者に 届いたり届かなかったりするものですね。 わたしがこの詩をはじめて読んだ時の場合は、冒頭箇所だけを読むのがやっとで、なかなか次に進めませんでした。 わたし自身にも 恨みたくはない人がいます。  わたしも その人を恨みたくないので その人自身ではなく、その人を取り巻く社会と世界に恨むべき原因があるに 違いないと、思っていました。 「誰かよ 俺を許してほしい 俺はお前のことをもう許した」 わたし自身(るるりら)の場合は、一年ほど前に 土下座だって実際にしたりしてね。 相手が私をどんなに恨んだとしても、 俺(るるりら)が (るるりらではない他の)誰でもないことを、当人が憎みきるのは無理です。 わたしの冷蔵庫には ずっと 「あなたの   かわりは   どこにも     いないよ」 と、いう文字が 貼り付けられていたのですよ。わたしはとても へなちょこです。私には詩が書けない時期がありました。 でも、黒髪さんは苦悩の混沌を文字をおこそうと苦心されておられて、凄いです。 狂っているとしかおもえない太陽のような灼熱に花なんかが さらされると、 その花は 急速に萎えてしまうのは、常ですよね。 クールを探そうとしておられるこの詩に 私は励まされました。 戦っておられる詩を読ませてくださって、ありがとうございました。 (恨みたくない)

2018-09-19

おはようございます。 わたしの身近に うまれたてベイビーが居るのですが、どうやら四肢です。 この子には、六肢で尾もあるのですね。なるほどお 地球の中にあるコロニーは、地球上にたくさんありますが コロニーの中に地球が青く光っているのですね。ほほお そして、話し手は この子の親御さんなのでしょうね。 そ そうですか。 はじめまして  ──どうか優しくしてください って、思いました。ぺこり。 (わが子)

2018-09-19

おはようございます。 まず こさんが提出された課題だという「魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが 」って良い題ですよね。最終行は あのサーモンピンクなんだろうな。だとしたら、 「本日はエーお日柄もエーよくってね」は、夕方はじまりのコンサートかも。なんてことを想像いたしました。 (魚肉ソーセージは飼育係のゴトウさんが)

2018-09-19

管理者様へ 大変 もうしわけありません。 もしもお手数ならば、現在の題名のままで 結構です。 しかし、選評のさいに こんどは みなさまが赤面をされることとなりそうです。 もしも、お手数でなければ「あまがみ」への変更を お願いします。 (あまがみ)

2018-09-17

ふじりゅう様 朝っぱらから お恥ずかしい限りです。 恥と入力する手すら、ふるえました。「恥」耳の心、それが「はじ」。 この詩の話し手は 赤面している状態であるというのが この詩なのですが、いえ わたくし ほんとうに 赤面してしまっておりますから。 しかし、顔をあげると 自身の詩を肯定できる解釈も頂戴することができました。 この詩でいう あまがみは 何らかの比喩表現であるというのは嬉しい読みでした。 バファリンの半分は優しさで出来ているのだそうですが、 おかげさまで、きっと 世界の半分も優しさで出来ているのだと思えました。 題名についてですが、実は私も「るるりら」のままでも面白い気がしてきたのです。 どうせ私は赤面しているのだし、わたしの面である るるりらが全面に出ても、問題は無い気がしてきたのです。 詩文中にある語である「あまがみ」よりも、詩文中にない語である「るるりら」が、案外より一層 謳おうとしていることが 読者に響くかもしれません。 良いアドバイスを頂戴したと思っております。ありがとうございました。 (あまがみ)

2018-09-17

管理者様へ 大変 もうしわけありません。 題名欄に 「あまがみ」と挿入するはずが、ハンドルとなりました。 お手数ですが、「あまがみ」と、変更していただけるよう お願いいたします。 (あまがみ)

2018-09-17

ふふ ふ。かさねがさねのレスも たのしゅうございました。ありがとうございます。 わては、このへんはあんまりそしゃくしないで、あなたさの愛嬌のある やわらかい言葉の角を ていねいに箸でつまんで いただきとうおす。           合掌いただきます。 (冷や奴と申します)

2018-09-17

推薦 ありがとうございます。  いつから服を着ていたのだろう。と ふとしたときに あ また考えていたと思う私がいます。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年8月分>)

2018-09-15

おはようございます。 できることなら デーモン閣下に この詩の朗読のオファがしたいものだと思いました。 題名が かっこいいです。でもオファするのなら「悪魔家への婿入り」とか どうでしょうか?なんちゃってなコメントで すみません。 (SENTO)

2018-09-15

おはようございます。 この詩を最初に拝読したときには、まだ平成最後の夏のさなかという気候でしたが、 最近 すっかり秋めいてきましたが、ほんとうに今年の夏は病的に暑かった。 うちの娘の将来の夢は びかちゅうになるのが夢だと言っています。 全力で愛で世界を照らすのだそうです。わたしは子どもは産んじゃいました。 でも、傑作は どうなのか不明です。傑作が生まれるタイミングは、結婚とか あんまり関係ないんだと思います。うまれるときには、どんどん うまれちまう気がします。 わたしも 女なのに虫取りばっかしていて、弟はまだ自分より背が低くかった頃があった派なので、なつかしいやら共感するやらで ホットな気持ちでいます。 なので、なつめさんは 傑作を どんどんどんどん産んじゃってください。 (まとめのにがてなこどもみたいな、こどもっぽい、こと。)

2018-09-14

こんにちは 残念ながら 私(るるりら)は まともではないのかもしれません。題名からして何なのか分かりませんでした。そして詩文も読解できませんでした。ぼんやりと感じたことしか言えません。この詩は まともであることの狂気を表現されようとされておられる気がしています。 高知能動物であるという自負の上でもたらさせる 高知能動物ではないものへの残酷さ。ですし、なんだか すごいですね。 もしも 病だとハルディンホテルには行かないらしい。つまり、この詩でいうところの高知能動物には 病持ちだったら該当しないようです。 この詩は個性的なことを言っているわけでもないようです。 話し手は 高知能動物という種類の凡庸な生き物として 叫んでいる?のかも。群れる高知能動物。おっとろしい気がします。 どうやら、自閉症の方もハルディンホテルには行かないらしい。つまり自閉症だと、この詩では おそらく高知能動物に該当しないようです。自閉症のなかにも優れた詩を書く人はいますが、この詩でいうところの高知能動物には該当しないらしい。 その高知能動物たちが、ハルディンホテルで 会うのですね。群れずにはいられないのが高知能動物の生態なのでしょうね?群れる。しかし、家族とかのことは顧みないのですね。だったら わたしは、ハルディンホテルには行きたくないわ。 わたしは この詩を読んでアホこそ最高だと、思いました。だって この詩の世界観は、猛禽類的に俯瞰している人の属する宗教団体みたいです。 こわいです。困ったな。そうだ。自閉症の方がお書きになる詩を 読んでみたくなりました。なんだか 彼らこそ選ばれし方々のような気がしてきました。 おかげさまで、また読書欲がわいてきました。三浦さんの本意ではないが、探してみよう。ありがとうございました。 (そのみひうまたはひむ)

2018-09-12

気迫を感じました。 この気迫は、まるで話手が落ち武者であるかのようです。 けれど、日本のウイスキー山崎がでてくるあたりで、 リアルな今を感じさせるます。しぶいお酒をセレクトされますね。 ただ、描こうとされている世界観がよく分からなかった箇所がありますので、 もしよろしかったら 説明がいただきたいです。 「すずめの匕首、断ち切る入日に」アイクチはぼんやりと時代劇などでみたことがあるのですが、すずめの匕首 の 感慨が、わたしには解り兼ねました。自身の不勉強が悔しいです。教えていただけると嬉しいです。 (薄明)

2018-09-12

【光はどこからきたのだろうと ちりが問うている。】この結語が私は、好きであります。  塵にすら人間味を感じました。だってね塵が光に問うているのですよ。塵に擬人法をあてはめるなんて、なんてなんて人間らしい。だったら光にだって血が通っていないはずはないではありませんか! そうです。問うということは、人という生き物にとって そのモノに血がモノ通わせることであります。つまり、人とはどんなものにすら血を通わせることができる者のことであります。 (と、いうことで これより以下は、作品を光の目線で 追ってみます。) ************************************************* そおして、 光はどこからきたのだろうとちりが問うている。そして、光さんは自発的に光自身の自由意志で、戻ってくるんだ。それは戻ってくる。光はどこからともなく戻ってくる。 積み木を立てる時に。野菜をうえる時に。光はもどってくる。 日が昇るときのように、幸いの声として光が聴こえる。 天使の梯子が宙に浮かび雲間の上を示すように。もどってくる。 たとえば、サンゴが魚を食べる音はあるのかもよ。だって光目線だと、サンゴにとって魚は食べちゃいたいほど可愛い子供かも。もしかしたら波のうねる音だって光としては キコエルかも。サンゴは魚を抱きかかえる。まるで、光が誰かを抱くように。 じゃあ ほこりって何だろう。光として、ほこりの音を聞こうとしてみようか? ほこりの音。プライドのことかしら?んな 駄洒落なわけはない。 でもプライドは 驕りがつきものだもの。あれま。そういえば、不必要なプライドは頭皮のカスみたいなものかもしれない。 驕りと 頭のふけは似ている。とても人間臭い。臭さにはさすがの光も遠ざかる。けれど、もどってくる。光の奴って、必ず もどってくる。それって、  神。かな。なんでもかんでも神が作ったのか?生という生。生でないものもすべて。 見えないものを見る力で語り掛けてくる何かがある。それが この詩だと思いました。そして、この詩は、塵みたいな 存在のひとりひとりを 照らそうとしてる。解読しておられる方々も そうなのかも、 (わたしの場合は、この詩作品ををこのように 自由に ぼんやり楽しませていただいたのでありました。深礼) ([])

2018-09-10

鈴木 海飛さま こ これは、なんでしょうか?大大、大の大傑作ではないですか? この目を見張るような返信をいただいた夜は、 ひとしきり爆笑し とても幸せな気持ちで 眠りました。 なんと この返信をいただいた翌日には、関西に赴く用があったのです。 昼食が食事会だったのですが、中居さんが 愛嬌のあるかた つんとしたかたと色々な方が お給仕をしてくださったのですが、湯豆腐が冷めた感じの中居さんとか クールなのに はんなりと湯豆腐ぽい中居さんとかと 談笑したんですよ。笑うしかない。 なんだか、鈴木 海飛さまの おみずのような清々しい こころが いちだんと沁みました。ありがとうございます。 (冷や奴と申します)

2018-09-10

おはようございます。 正直、この詩作品のようなものを アップするまでは、わたしの心は詩から 遠ざかり 荒ぶる身近な人との心の行き違いに悩んでいました。 わたしには 自身の身辺にとりまく事柄を客観視しきることが できなかったのです。ご指摘にある「今、現在、元気に過ごしている義母に、心の中で捧げた作品である、ということも、読者には伝わりにくいのではないだろうか。」これは、とても的を射ておられます。たしかに義理母と共に過ごす景がどこかに挿入されていればよかったです。 ただ残念なことに、義理母と私の実際の交流は とてもじゃないが良い関係とはいえない状況にあり、どう和していくべきかと悩みながら書いたので、そんな いい感じのエピソードの景が浮かばない状況で この作品は書きました。それでもどうにか この詩が書けたことで、 わたしは改善したい事柄を整理し自身が何を理想としているかが 明確にはなりました。  でも、理想がわかったところで どう歩むべきかという部分がわからずにいました。 こんな私にくださった まりもさんの評は わたしにとつて、これからの実際の生活の舵となりうる評です。 義理母と共に過ごす ちょっと良い風景を私の人生に挿入できるように努力してみようと思います。 人生は変えられる。人は言葉で変わるものです。だから、詩は 人生を変えることをこれからの人生で証明していこうと思います。ありがとうございました。 (【選評】8月投稿作品)

2018-09-10

一部、書き足しをさせていただきます。 ●革命的レム睡眠 タムラアスカ様への評です。以下の【】の部分を追加いたします。 でも もし そんなへんな朗読会が あるとしたら、 最終連が不満だなー。わたしが その変な朗読会の主催者なら、あの連を 私が大声で゛声でやりたい。そうだな「ラジオ体操第一ぃ」と  体操の前にみなを先導する感じで 私が【朗読会の最初で】アナウンスしたい。 …てな 妄想をしてしばらく楽しみました。楽しかったです。ぺこり。 ……大変、失礼いたしました。 (八月のるるり選。より一層の素直を大切にしました。ほんまどすて。)

2018-09-04

東風 (三浦END果実氏の帝王切開へ贈るオマージュ ) # 天才だけど 顔は庶民の「庶」なのだ # 西からのぼったおひさまが東。の反対だから # あっちは西なのだ # 一周まわって、西日で顔 あつい # 死にたみの君の首元の無数の傷跡が「#」 # ネアンデルタール人が 最期に書いたのも「#」 # あっちは永遠だ # こっちには限りがある # 無人島を離れるための いかだ完成 # あとは風を待つだけ (帝王切開)

2018-09-04

おはようございます。 ハッシュタグというものは、同じワードで書かれた他者の言葉で繋がる性質があるため わたしも 詩全体とは関係なしに、ひとつひとつの行で思いつく事柄が 霧のように浮かぶような気がします。 ですが、まずは三浦さんが 表現したかった発信したかった内容を掴みたかったので、ハッシュタグを削除して 読む必要を 私は感じました。そのうえで、たぶんこんなことが言いたいのだろうなという言葉を追加させてみました。 以下は、その文章です。ハッシュタグを残した部分は、わたしの言葉では置き換えることができなかったので 疑問や私の心の声を()内に書いてみました。 ************ 脱ぎ捨てた僕の下着が、 クロスワード雑誌の上に落ちる。 白くてふわふわする中学生の靴下だ。 少しだけの臭いがする #スピーカーが壊れていなければ #2回するんだった (何をすると言っているんだろ?) けれど昨日から 死んだ。みました。(だれが死んだんだ?) 世界はくだらないところで変わってしまう。 世界が変化した理由を語り出すと、ベランダに雨が落ちる ゲリラ豪雨だ。(うるさい。) 死にたみの君の泣く幻聴が僕には やたら聞こえて うるさい (君には 心の中に こどもがいるんだ) 仕方なく僕は (君から きみ中に居る)子どもを取り出してあげようと思った *********************** つまり、【帝王切開】とは アダルトチルドレンとも呼ばれているような人の心の中に棲んでいるという子供を なんとか取り出してあげようとしている詩と わたしは受け取ったわけです。 そのように考えると、 #スピーカーが壊れていなければ #2回するんだった に、対する私の(何をすると言っているんだろ?)という疑問が理解できる気がしました。三浦さんは、たぶん 三浦さんの ご自身の放送での心境を この詩にしたんじやあないですか? 心に子供を抱えた人を楽にしてあげたい。スピーカーが壊れていたので なんどもいわなかったが、強くリフレインして発信したいことがある。それは、死にたみの君をヘルプしてあげる言葉をかける。ってことかもしれないなと 感じました。 ちなみに昨日のニュースで 子供の自殺者の報道がありました。毎年 九月になると登校を拒否したい子供による自殺者が増えていたが ここのところどうも 八月の終わりに そのピークが来ているというニュースでした。 #死にたみ と、いう発信も 増えていると聞きます。 わたしは、以上のように この詩を解釈しました。そして、この詩が私は好きです。 大人になれない多く人が、苦しみの原因となっている心の中の子供を 出産してほしいです。 (帝王切開)

2018-08-29

黒髪 さま やっぱり貴方のお書きになる文章は、含蓄があります。レスをいただくとしばらく恍惚します。 この詩が開く地平~なんて、言葉だけで 私は 目を瞑ってしまいました。 人同士の関係が、自由闊達で、思い入れを含んだ美しさを目指すことの意志のようなものでかかわりあう~なんて、理想郷です。わたしの詩のことだったかと ほんとうかしらと疑ったけれど、そういわれてみれば 自由きままに書いた箇所が多数ありました。てへ。 夢幻~て、詩などの文芸でないとほんとうは味わうことができないのかもしれません。 たとえば 映像という文化の場合は、読者の経験で培われた脳でのイメージでの再現ではなく、映像化した人物のセンスのものとなり 言葉が読者の血肉にはならない気がします。 精霊バッタ~て、私は好きです。虫自体のフォルムの美しさとか。ちょっと、小泉八雲が好きそうな名前の響きとか。私の好きなモノが、爆に対抗するための幻視になりえるのでしょうか?そうなの?すくなくとも そのような凄いことを黒髪さんは感じてくださったのですね。 生きて死ぬために必要なことを、仏教などの宗教は、教え諭して くれてるのですか?不勉強なので 学んでみます。やる気スイッチが入りました。 ありがとうございます。 (ラ・ラ・ラ族)

2018-08-28

まりもさま うつくしい詩で返してくださり もったいない気持ちでいっぱいです。 とても嬉しい。ありがとうございまいす。 実は、この詩を書く前に、 もう一遍の別の詩を書いたのです。その詩は、 なんともうしますか詩の話手が語る手法でして、爆風で飛びながら喋る形をとった作品でして。 なんとも気色の悪い作品でした。 それこそ一気に上昇し、花火となる描写を 私にしては、かなりえぐい感じのリアルを描こうとしてました。そして、すっかり へこんだりしたのですよ。 いただいた本詩の場合は、「見ていた歌い手」とあるので すばらしい芸術作品を鑑賞するときの なんともいえぬ至福に包まれる感じがして 私を幸せにしていただけました。ありがとうございます。 (ラ・ラ・ラ族)

2018-08-28

斉藤木馬 さま この娘は、まちがいなく絹ごしです。 やっぱり、木綿ではなく そして 絹の衣擦れの音なんてさせて歩くのです。おほほ (冷や奴と申します)

2018-08-28

こんにちは。 美術作品というものは、たいていの場合は 故人が描いたものが多く 美術品の落札って、ある意味 故人の死に値段をつけるようなものだなーと思いました。 作品の背後に政治的なものが織り込まれているケースもあれば、接吻というようなエモーショナルな情のようなものにも 美術品には値段が付くのだけれども 美術館にある間は、値段が無い。 盗まれたとたんに ふたたび、評価額が発生するのだけど、 なんだろ 評価額って、生きている感じがするなーと思いました。 流通するのって 別の命を持つのは あたりまえなんですが、人間のへんな習性を客観視させてくれる詩だと思いました。 (a)

2018-08-28

仲程 さま 何度も読み返してくださったのですか?嬉しいです。 わたしも また読み返しました。(作者だから あたりまえか) 技術とか、感性とかは んー。そーいう おつむは あまりつかってないです。 でも 読んでいただくと ほんとうに力が むくむく沸きます。ありがとうございます。 (ラ・ラ・ラ族)

2018-08-23

stereotype2085 さま 原爆というなかなか重いテーマで書かせていただいています。 義母が被爆者なのです。年少のときに お父さまを亡くされてます。 人間は、人の間と書くくらいですから 人間関係が人間を構築するし、 親子という最初の関係がなんらかの形で 欠いていると、のちのちまで 表現のしようのない深い穴を持つように思います。 昨年の夏あたりに、とても深い穴を義母は持っておられると私が感じる出来事がありました。以来、わたしは詩らしい詩が 書けなくなっていました。 せめて、私のイメージの中だけでも義母とお父さまを会っていただきたいと思って書きました。義理母を思って書きましたから、メッセージ性はあると思います。がしかし、実際には こんな神の声みたいな生意気なことなんて 義母に言えるはずはありません。 タイトルについても、どこか仄かなユーモアがあると思っていただいて、嬉しいです。 当初は、るるりらというハンドルを もじった うかれぎみな表題にするつもりでしたが、自爆すぎてイタイと考え、とある素敵な映画のタイトルを おかりし表題としました。 この感想の書きにくいにもほどのある詩文を読んでいただき、感想まで書いてくださり ありがとうございました。この拙詩のようなモノを、どなたが詩文として読み解いてくださったと実感できたことは、わたしには とても大きな喜びです。  ずっと悩んでいました。(といっても本当に考え込んでいたのは、ここ一年ですが) 義理母に喜んでいただくようなアイディアなんて なにひとつないと、ついこの間まで 思い込んでいたのですが、おかげさまで いま ちよっと 義理母の心の深い穴に ほんのすこしかもしれないけれど、義母の心に すずやかな風が吹くアイディアを思いついたので、努力してみるつもりです。読者にリラックスしていただけた このわたしは、ふつうに 大きな心で なにかやれそうです。ありがとうございました。 (ラ・ラ・ラ族)

2018-08-23

残暑お見舞いもうしあげます。 今年ほど ニュース&天気予報で 熱中症の注意が報道されたことはなかった気がしています。ですが、きっと秋が訪れることでしょう。たのむよ 秋。ばっちこい! たいがいもう涼しくなって送りますれよ。と、わたしも思います。 太陽の光線が秋になる感じは、太陽がなんだか席を譲ってくれた感じです。 >ビールは飲まずともいい >だってもっとするべきことがある ↑ここ、ダイエットナウな私には うれしかったです。 あと、三浦さんの評を読んで、文学極道でのゼンメツさんの評を再読させていただきまして、ああ わたしは「体育座り」なる自体に 悪いイメージを あまりもっていないなー、へぇー そーなんだ。わたし自身の言葉の感覚は人と違うのだなと思いました。なので わたしは変なことを言ってしまうかもしれません。 「体育座り」って、わたし自身は 体育の時間くらいにしかしたことないんです。 体育の時間の待ち時間って、「静」だけど 心の中は「動」と「動」とに挟まれた「静」ですよね。次の動作のことを考えている思惟の姿勢だと思います。たとえば、文学極道でいうところの ねむのきさんがお書きになった【朝の詩】なんて、体育座り的詩の名詩だと思う。「体育座り」も かなり素敵なものがある。  ただ、この詩の場合は 体育座り的詩ではないと思いました。寝ていた人が 起きようとして、自身を鼓舞している詩。   >ビールは飲まずともいい >だってもっとするべきことがある ビールなんかで 幻こいてる場合じゃない もっと すべきことがある。じゃあ なにをする? わたしの場合は、体育座り的詩にチャレンジしたくなりました。秋。ばっちこい! (秋が訪れるだろう)

2018-08-22

★澤あづさ様 URLの付記、ありがとうございました。 ▼徐々でいいからさん「隔てて」について 澤さんと同じ作品を選んだ自分が誇らしいです。 選評が負けておられるなんて 謙虚にもほどがある お言葉ですよ。さすが 澤さんだ。 勝ち負けって、苦手です。でも 真摯な精神での勝ち負けって 人を幸せにしますね。 ▼鷹枕可さん「血と黒」について https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=2050 作者は、私の選出をもしかしたら迷惑に感じておられるかもしれません。 しかも なにが書かれているか分からない評者の推しです。あんまりかもしれません。 しかし、時間がたっても この詩のインパクトは忘れそうもないのです。 題名ひとつとっても 凄いです。コメント欄で作者は、 >黒はナチスドイツ、 >血は赤、 >赤と言えば共産主義国家機関、ソビエトの旗章、という至極簡単な種。とおっしゃっていますが ヒットラーと 彼が率いる一味と 赤と黒のデザインセンスとプロデュース力は卓越していて、うっかり単純に多くの人々が熱狂したわけですよね。 詩という芸術が、できうることは何でしょうか?単純なだけでは まずいと思います。(私は単純なことしか書けない書き手ですが、そうでないものが お書きになれる方は宝だと思います。) 日本語という漢字と仮名文字という 世界に類を見ない複雑な思惟が可能な芸術は、単純な思考と 戦おうとする志向だと 私は この詩で思いました。 【陰穿孔、薔薇為る私を私為る薔薇を鳴る】ってものすごい詩句ですよね。個人的には、パウル・ツェランの「誰でもないものの薔薇」を想いました。 ▼渡辺八畳@祝儀敷さん「サバンナの光と液」について 「ライオンもカバも夜行性だ」というツッコミどころかあ。 思いもしませんでした。だって 詩の中の動物たちは、液体だし。 キリンに 和名がキリンの首の長いキリンと、幻の麒麟があるように 文芸の中での 動物は、麒麟のように墨や絵の具でしか書けないことがあるから わたしにとっては、ただ魅力的な作品でした。悔しいです。 ▼蛾兆ボルカさん「ビサイド 」ついて 【テレビで批評家の人が 美とはBeに通じていて とても魅力的だと言っていたからです。】なんという作品に対し適切な評文だろう。 ↑ 評文ていうような ごたいそうなものでもありませんが、美サイドなコメントを いただきました。ありがとうございます。 (るるりらの七月選)

2018-08-20

★湯煙湯煙さま どういたしまして 牛さんに かなり ほっこりさせていただきたもの。          牛 もー。 (るるりらの七月選)

2018-08-20

★三浦さま 「いかなる批判を恐れずに各個人の主観を大いに発揮して選評して欲しい」 おおなんという慈愛に満ちたエールでしょう。 批評とは、批判も含まれるのだと思います。 批評と批判の共通点は「批」比べることなのでしょうね。 正直、比べるのは 苦手です。 けれど、好きなものを選ぶのが楽しいのは プレゼントを選ぶ時間が楽しいのに似ています。 好きに選ばせていただきました。 わたしだけの選であり わたし以外の人は そうではない。 なので 私が選らばなかった方々が 気落ちされないでください。 比べのが嫌なのは、だれかが傷つくかもしれないからです。 今回 たのしかったのは 勝手に賞をつれることができた点です。 おもろかった。また 賞をさしあげられると 楽しいなーと おもってます。 (るるりらの七月選)

2018-08-20

★まりも様 〈あなたさまのなかに わては溶け込んで〉この一行、冷や奴の「単なる」擬人化からだけでは出てこない言葉だと思いました。←妖怪憑依。こわいですね。 わたしの心の中から浮上して来たなにものなんだと思います。人の中の水から浮上して来たなにものか…ということは、わたしは人でしたね。たまに もしかして私って人でなしだと思われているか不安になるのですが、なんくるないさーですね。 わたくし、 うりずん ナウです。とけとけとろとろに潤って蘇生しました。 ありがとうございます。 (冷や奴と申します)

2018-08-17

★stereotype2085様 毎日毎日まあいにち、食べているのが 冷や奴なんですよ。 水の流れのように逆らわず、かと言って流されるままでもない、そんな姿勢かあ。 すてきですね。で生きていけたらと感じました。残暑厳しいですが、涼しい気持ちを頂戴しました。ありがとうございます。 (冷や奴と申します)

2018-08-17

★二条千河様 粋ですか?ありがとうございます。 日本いち、粋な言葉が「粋」だと思ってます。 「うそなんてついてません」で一旦、京ことばが消えるのは狙いかな?んー。 芸子さんたちは ほんまは みなさん様々な地方出身者なのです。この芸子さんは、あせって 素の喋り方がでちゃったのです。 嘘じゃないとわざわざ断るということはおそらく嘘、ですよね。 ええ そうです。そもそもその存在自体が(京ことばも白塗りも芸名も)虚しか書いてないのですが、色白なのは ほんとです。(え?) (冷や奴と申します)

2018-08-17

★仲程様 みんなのうたみたいな印象ですか?光栄です。 ほわっと 頂戴しました。ありがとうございます。 「つられて むきむきの白山かたどうふの唄を書いてみましたが、ダメダメであきらめました。」←拝読したかったです。 まるで関係のない話なのですが、お盆に小旅行で 東山動植物園という場所に向かう電車の中でコメントを拝読したので 「白山どうぶつの唄」と わたしの脳が誤読してしまい興奮してしまいました。(以下は独り言。突然の物凄い雷だったから旅の思い出は無いです。豆腐の角に頭をぶつけたのかも。) (冷や奴と申します)

2018-08-17

★藤 一紀様 「四角四面は豆腐屋の娘。色は白いが水くさい」という口上。 そ それは、寅さんでしょ。大好きです ふうてんの寅さん。 「四角四面は豆腐屋の娘、色が白いが水臭い。四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベン、ってなどうだ。 」 勤め先が御茶ノ水だったことがあるのですが、はじめて御茶ノ水の駅に降り立ったときの わたしは 色白だったけど、寅さんほど四角い顔ではなかったでふ。きゃーあきゃあ (冷や奴と申します)

2018-08-17

拝読いたしました。 友人に昆虫にとても詳しい者がいるので、「オオゴマダラだよ」と実際の蝶を教えてもらったことがあるのですが、この詩をきっかけに検索するまで 生態について まるでしりませんでした。どのような地域にいるのか、どのように珍しいのか また どのような幼虫なのか なにを食べるのかということを 検索で知りました。どうも 本州では見ることのがない蝶なのに、見かけたものだから 友人は驚いていたらしい。そうだったのか。という具合にです。 幼虫は夾竹桃の葉を食らう。…そうですね。ハウスだと樟脳ぽいの匂いなのかー。なるほどお。と、興味しんしんで読みました。  夾竹桃は毒のある植物として有名です。ちなみに、広島の県の花です。そーとーのことがあっても蘇ったという凄い生命力を秘めた有毒植物が夾竹桃ですので、詩文にもある沖縄の悲しい戦火の歴史とも相性の良い植物かもしれません。  雲の切れ間に粉になって黄金(きん)に光りふりそそぐダナエ・・・または、クリムトのダナエ…とは、まるでオオゴマダラの幼虫の金色の姿ような気もいたしました。この詩は、自然の美の根源に 触れているのかも。 羽化するとき蛹の中って、ドロドロになっているのだと聞いたことがあります。だから羽化したての昆虫は透明に近い色しかないことが多いとか。 雲の切れ間に粉になって黄金も ある意味では透明とも言えるかもしれません。 光。なのですから。 うりずん……いい言葉ですね。潤いはじめ…ですか? わたしもドロドロに溶けて自由になることを夢想しました。 うりずん……変身できそうな予感を感じさせる言葉ですね。 (うりずん)

2018-08-17

強炭酸派も三ツ矢サイダー的青春の揮発性を思い出したで賞は、   夏に靡くスカーフ/yuuは でございます。失礼しました。 (るるりらの七月選)

2018-08-15

フル・キュレーションのつもりで書き込みを行いましたが、締め切り期日が今日までみたいなので書き加えを行います。 フル・キュレーションの条件であるーー 作品名のみを書いて投じる行為は不可。ーーを、充足してなかったことを 補足したいのです。 【大賞候補】徐々でいいから 隔てて    【優良】鷹枕可  血と黒 【推薦】 渡辺八畳@祝儀敷 サバンナの光と液 蛾兆ボルカ ビサイド *【大賞候補】徐々でいいから 隔てて*について 詩には もしかするとガーゼのような役割りが担えるかもしれません。 歌に必要な筋力がない心の未明といいますか 傷口にあてがうガーゼのような とりあえず栞のように 記憶にとどめておいた 心の成長点が蠢いているような世界だと思いました。 *【優良】鷹枕可  血と黒 正直 衝撃的なほどに 意味まではくみ取れていないのですが、 言葉に対して 言葉でできうることの可能性の多さを感じさせていただきました。 優良は 三作品をめどに選考して良いようですが、優れて良い作品と思ったのは この作品だけでしたので『優良』とさせていただきます。 *【推薦】は、読むことで視野が明るく開く思いになったものを推薦に選びました。 渡辺八畳@祝儀敷 サバンナの光と液  私自身がもっているサバンナ愛がうずきました。 蛾兆ボルカ ビサイド  愛よりほかに 寄り添うことよりほかに うつくしいものはないです。人の温かい気配が必要ないなら 詩も必要ないです。 *【おまけ。るるりら賞をいくつか進呈します。】この賞は、なんも書けなくなっていた るるりらが、書いておられる方の熱意 を感じつつ、なんども再読につぐ再読をしたものに進呈します。よって短詩を書いておられて詩人の蹉跌を感じさせるものに進呈してます。たぶん時間が経っても時折 るるりらは、思い出しそうな作品群です。 愛を求めずにいられないことで賞 ままごと/ 桐ヶ谷忍 もう るるりらも牛になりそうで賞 牛/ 湯煙 強炭酸派も三ツ矢サイダー的青春の揮発性を思い出したで賞  上手なウソをつきたいで賞 下手なウソはつかないように/黒髪 医者のように分析したいで賞 解剖/蔀 県 (るるりらの七月選)

2018-08-15

わたしにとって、ふしぎの連発の詩文でした。 ふしぎ度が 最終行に進むたびに アップしている印象でした。 だれかに問うこともなく自問自答のままに進む詩文ですね。 1.花はなぜ夜咲くの?  昭和のむかし藤圭子が、夢は夜開くと歌ったのを思い出してしまいました。 問うてはいけない重いムード感漂う昭和の歌を思ってしまいました。Hikouは非行かな? (年齢のせいです 滝汗) 2.夜に咲こうとしているのは 花というより話手だったのだなと思いました。 埋められないものを埋めるために夜の中に突入して行ったのでせう。たぶん。 カビがはえたらいけないから 霧吹きを用意する。謎です。 カビって湿度で生えるのが普通だけど、加湿するものを用意するのね。 3.世界の何が知りたいんだろう何を得たいのかなんにもわからないまま進む歩行が弾けています。オルガンにはペダルがあるのでオルガンの奏法は 前に進まない歩行のようにおもえました。 Hikouは弾こうかな? なぞは謎のままで いいんだなと おもえました。 (Hikou)

2018-08-15

「下手な嘘はつかないように 」と諭していただいた気持ちになりました。 はじめて読んだとき わたしは たまたま ひどいスランプだったのです。 私はもう ものすごく書ける人であるかのように やけくそぎみに嘘ばかりついてしまいたい気分だったのです。しかし、おかげさまで下手な嘘はつかないように すこし冷静になろーかなと思えました。 詩を書くにあたって 虚構はよくあることなのですが、なにかの本質に触れるための方便のような虚構でありたいものです。知識の集積が 本質から離れすぎがちな つまり下手なウソを叱ってくれる本質から離れることから守ってくれることは 世の中に多くある気がします。 初めて読んだ時期は、わたし個人が 被害妄想ぎみだったのだと思います。わたは憎まれていると感じていました。わたの周りに愛しい顔が並んでいるとは思ってなかったです。 しかし 冷静になれば 書籍たちも言ってくれているように 書籍たちが好意的に私にむかって開かれているように 実際の人間関係も 開けているような気が、いま 現在はしているから ありがたいです。 心があると言っている コメント (下手な嘘はつかないように)

2018-08-15

わたしは 本作品を小旅行の移動中で拝読しました。なんというか、 旅の目標地に行く時よりも 帰途の移動中のほうが この作品が胸に きました。 帰途とは振り返る時間だからだと思います。 旅を終えようとしている道すがらって「僕のようなものが一枚噛ませてある」という表現が ぴったりすると感じました。私は旅先で写真をいくつも撮ったのですが 脳裏に残したい事柄には写真になった自分という視覚だけの存在ではなくて、本当は リアルなもうひとりの自分を残したいという思いがあります。  だれしも五感を有するもう一人の自分が記憶には噛ませてあるに違いないです。なにかの拍子に もうひとりの自分が息をふきかえす。 傷の癒し方のひとつに ガーゼをあてがうという方法がありますが、 記憶の中から もう一人の自分に息を吹き返してもらうことも 傷の癒し方の一つだと思いました。 そうこうしつつ、 またも振り出しに戻るなんて 上等じゃあありませんか? すくなくとも私は自分の人生に対して 振り出し上等だと思わせていただけました。 (隔てて)

2018-08-14

帆場蔵人さま 軽いノリで書いてみました。三連目四面目で急激にトーンがかわってしまってますね。 するどいです。ほんとうは くずれかけた感じ(アンニュイ)な語り(だめな女でしょみたいな)があったんですよ。 でも なんだか しゃっきーんと おさめてしまいました。  上善は水のごとしといえば、わたしが 生まれて初めて呑んだお酒の名前は「上善如水」でした。うつくしい言葉を思い出せました。 時には、お酒を飲みながら言葉を味わうような気持ちで、またときには まじめな気持ちで 詩と関わらさせていただこうと おもいます。ありがとうございます。 (冷や奴と申します)

2018-08-09

こんばんわ まずは、率直な感想を。 なんだか 妬けました。 わたしは とあるサバンナをモチーフにした挿絵をコピーして何年も 持ち歩いているのですが、一度も 自身の心の中に培ってきたサバンナを詩にしようとしたことがありません。だが、ここには まるで絵のようなサバンナが存在している。ジェラシーです。 この詩は絵だと思います。「液」という語が一体 何個あるのでしょうか? 半粘性の液、流れる液体は動物たち、などなど。 「液体翡翠」という造語は 宮沢賢治ぽいなと思いました。物質の状態+鉱石だからです。なんだか賢治がやからしそうな語だと感じました。 けれど、せっかく 詩なのだから 視覚的なものだけではなく、 風や匂いが感じられるなにかがあっても よいのになーとも ちょっぴり思いました。 (サバンナの光と液)

2018-08-06

この詩のなにが 凄いかってね。 ドラマ作品にできそうだと感じさせてるだけの構成だと思います。 あと、題名を思わせる語が わたしには見当たらず。骨っていうけど、だれも死んでなくはないかと 首を傾げました。 (夏の骨)

2018-08-03

おはようございます。 一見したとき ああ美しい。ああ懐かしい。と感じました。 子供の頃に見た祖父(明治生まれなので常用漢字以外も多数使用していました。)の日記帳のように 意味は分からないが美しいと 思ったのです。 二度目に眺めたときは、ああ漢字は絵画的刺激を受けると感じました。詩を読むときに感じていた脳の箇所ではない部分に刺激を受けます。    死をイメージする語が多い反面、生き物の冴え冴えとした使い方から受けるイメージの鮮烈。たとえば葛藤花、葛と藤がつる植物だから葛藤ですが、葛藤花と 書いておられる方を初めて知りました。うつくしい。単語に命がある。 狂婦メルセデスとは また なんと キャッチィなことでしょう。財と権力と美と恐怖。暗雲立ち込める世界観にあって さまざまな事象が鮮やかに散らばっていて、わたしは ただただ 美しいとおもいました。 そういえば 戦争を経験された方が戦火におちる町を美しいと感じたといっておられました。それに似た狂気が この作品にはあるような気がします。 (血と黒)

2018-08-02

おはようございます。恥ずかしながら タブララサという語が初耳でした。 なんとなく「無」という意味であろうなーと 解釈して拝読しました。 詩自体への感想は、青春の葛藤て感じだなーと 感じました。 けれど、個人的にはタブララサという語を教わったのが、楽しかったです。 たぶらなさって 重ならなさ…… みたいな日本語かと初読では思っちゃいました。 タブーについてのオトマトペのようでもあり 魅力的な語感だと個人的には思いました。いつか タブララサという語を私も使用してみたいと思います。読めてよかったです。 ありがとうございます。 (私のゲノムは沈黙する。)

2018-07-20

おはようございます。わたしにとって魅力的なモチーフを選んでおられるのです。 というのは とても個人的な理由なのですが、わたしの家の窓も緑なのです。 もちろん 我が家が緑の多い場所に建っているという意味です。 ただ わたしには読み取り憎い作品でした。情景が分かり難かったです。(わたしの個人的な意見です。ほかの方には分かったのかもしれないです。)分からなかった箇所を列挙してみます。 ●一連目の「不自由な緑色の束は朝から夜まで部屋の前」 家の中の どこかに花瓶かなにかに緑が生けているということでしょうけど、部屋の前って どこのことだろうかなと思いました。前とか後とか なにを基準にするかでかわるから 分からなかった。 ●二連目 どっかから反射した明かりが葉、葉、葉にぶつかって散る 落ちてくる光を見るときは窓を開けているとき 隙間程度 電気を消したら夜 窓を開けているときは 光があるけれど、電気を消したとたんに夜のなる。というミラクルが魅力的だと思う反面 よくわからなかったです。 ●三連目 空はいつもそこにあるけれど、二連目では電気を消すことで夜ですが、三連目ではどうも夜は幹の断面の中に消えているらしい。 ●四連目 前には知らない家の電灯があった 以前には 窓から見える光景に どこかの家の電灯が映り込んでいたという意味なのか それとも 家の前には 今も知らない家の電灯があるということなのかなー。と、瞳子さんが描きたいことが わたしにはよく 伝わってこなかったです。 ですが、 風は窓を揺らす音の表面 この最終行には心が揺さぶられました。御作の三月くらいの短詩であったほうが より 揺さぶられたかもしれません。見ておられる視点がなかなか瑞々しくて また詩を拝見させていただきたいです。 (みどりの窓)

2018-07-20

うわあ わたし この詩、大好きです。 まず、マヨネーズが 花瓶に生けてあるところが好きです。 うつくしい。(…んなはずはないか) 適正である。(マヨネーズは、口を下にして生けてほしい。) あれは おいしいやつなんだ ↑ ここ、奇跡的です。 わたしは その 美味しい奴を 何年購入してないかしら。 おいしいマヨネーズが生けてある愛憎。いいですわー。 (マヨネーズをめぐる愛憎劇)

2018-05-30

おはようございます。 いままさに 閉塞的な人間関係をどうしたら良いのかを考えていたところなので 詩を通して 自分を客観できるきがして なるべくじっくりと拝読しているところです。 人間の悩みのほとんどは、いや ぜんぶが、人間関係の悩みであり 繋がるか繋がらないか どう繋がるかがもっとも 人間を人間にする行動だと思うのです。 だからこそ できるだけひろく外と繋がることで人は幸せになれるのだと思いました。 檻は 出るためにあるのだと思う。 さて、いうのはたやすいのですが それが 出る方法が簡単ではないです。 檻が見えてないなら 扉がどこだかも 見えない。 いろいろ試して、ぶつかって 扉を見つけてみようと思いました。ありがとうございます。 読めてよかったです。 (繋がり)

2018-05-29

たのしい詩ですね。 わたしは こどものころ 家の敷地のまわりが田んぼだらけだったので 懐かしいカエルの鳴き声が脳内で再生できました。 わたしは 大人になってから 法話を聞く機会がありまして、周囲を大音量の読経に囲まれたことがあります。すごい音でした。そして、その夜に見た夢は まさしく 人々の声が蛙の鳴き声になっている夢だったんですよ。 だから、なんというか うまく言えないのですが、この詩って解ると感じました。 読者諸氏がいつか解を得ることを祈る。なあんて言われてしまうと、 一読者として 正確にいうと 解るような気がしているだけで まったく 解ってない気がかえってするのですが………。、 この詩って、なんだか いいなー。なんだか 原風景に繋がっていて とても なつかしいよ。と、感じました。 (かえる経)

2018-05-28

おはようございます。 隙間のない人生って 面白いですね。 隙の無い人生なら すぐにイメージが湧くところ(例えばゴルゴ30とか)ですが、 隙ではなく隙間というところが、面白いです。 なにかとても大切な きづきに 手探りで近づこうとしておられる感じがしました。 ただ 隙のない人生をおくってきた。と書いておられても 意味が通る気がします。 隙間のない人生って面白いです。でも面白いチョイスが活きていない気がします。 隙間(あそび)を発見したという実例のようなものがあったら よかった気がします。   (隙間)

2018-05-28

おはようございます。 わたしは つい先日から鉛筆によるデッサンをはじめたばかりだからなのか この詩の絵心のようなものを 思いました。白象紙が解らなかったのですが、 画用紙の一種なんですね。 パラパラ漫画にできそうなぐらいに絵が浮かび上がってきます。 色彩が、ピンクと青だけなので 鉛筆画で書かれたパラパラ漫画に 印象的にピンクと青だけがはいっているような感じが想像できます。 自販機でサイダーを買って 冷蔵庫に入れたで終わっているので回転させて絵を繰り返し投影できるタイプのパラパラ漫画を想像しました。 つまり、この話手は サイダーを飲んでない。それは作品中の人々にのませようとしている感じがしました。 なんか いいです。 好きな作品でした。 (夏待ち、曇天)

2018-05-28

こんにちは 最初の問答で思い出したのですが、さねよしいさ子さんの【マルコじいさん】と いう曲があります。もしかしたら、お好きなのではないかと 思います。よかったら、検索してみてくださいませ。歌詞に あんがいと詩人なのさ 詩人だけど ただ それだけのこと と、いう箇所があるので 思い出しました。なにものでもないものでいる 素敵さを、個人的には おもわせていただきました。 (問答)

2018-05-22

投稿されてから ずいぶん時間が経ってからのレスで失礼しています。 この詩のおかげで たのしい気持ちになったことをお伝えさせていただいておきたくて、きました。 わたしはこの詩を読んだ夜。実際に夜中に ひとりで踊りました。 結構 辛い思いでいたのです。エトワール、オーガンジー この二つの言葉を使って私自身が詩を書いたことがあるせいで、踊れたのだと思います。 もちろん エトワール、オーガンジーとは 関係のない パジャマ姿でしたが、 辛いことを脱却するきっかけをいただけたので 感謝しています。ありがとうございました。 (夢みる踊り子)

2018-05-16

黒髪様 返信が大変 遅れてしまいました。ブッダが最後の旅でるーしーを見つけたら仏性を認めたかもしれないかもしれないのかーと 想像すると、恐れ多くて 身にあまりすぎです。おもわず、言葉を失いました。 それとですね。言うか言うまいかと かなり悩んだことを告白します。  るーしーというのは ある日 そのような夢をみたのです。夢を見ただけだったら 詩にするほどのことではないなー。で 終わっていたのですが、 ある日、たまたま 正信偈を読むことがあり 三蔵流支【さんぞうるーしー】という ふりがなを目にしたときに あ 詩を書こ。っと 思ったのです。 だからといって仏教的な意味で書くつもりは 私には まるでなく、読者には脳内で蛇口を ひねってほしかっただけなのです。  実際、ひねればきゅっとなる音、水の流れる音、金属の外観とかを想起していただきたいと思って描いたのが、この詩です。  それなのに、黒髪さんは わたしが望んだ通りの想像をしてくださっただけではなく、 わたしが書こうと思ってること以上のことを見通す力をもっておられる気がして、驚きました。 ありがとうございます。     合掌 (今日も るーしーを探しに行く)

2018-05-16

おはようございます。 アイヌの言葉は、残そうとする人々がいらっしゃって初めて、口承で伝わっていると聞いています。さぞ、単語のひとつも 大切な思いがあるのでしょう。 わたしのアイヌに対する知識は、テレビで放映されていた「アイヌ ネノ アン アイヌ」と題した番組をみたことがあるのと、一度だけ北海道旅行のときに アイヌの方々による演奏を聴いたことがあることぐらいですので、アイヌについてなにも知らないといっても過言ではありません。 この詩を拝読し、アイヌについて もっと知りたいという衝動にかられました。  たとえば、死と再生を背負う常磐木、……とは 冒頭のオンコ(イチイとも言われる植物のことでしょうね) イチイの果肉は甘くやわらかで、その種は致死の毒があるのですね。その植物も初めて知りました。 R さんにとって 自衛隊基地、アイヌ、屯田兵は 身近でらっしゃるとの事。 わたしは、東京に住んでいた頃に 米軍基地の近くに住んでいましたので 戦闘機の爆音は理解できます。わたしも戦闘機の姿をカッコいいと思ったことがあります。ですが、あの爆音だけは いただけません。≪演習場のアリアに己が子の耳を覆った、≫と書いておられるのは、とてもよく理解できます。あの爆音を【アリア】っておっしゃっているところに、衝撃を受けました。アリアとは凄いです。神表現だと思います。 それにしても、この詩は私にとって 難解でした。 私とRさんとでは、生物知識やアイヌの知識に 大きく隔たりがありすぎるのだと思います。Rさんが 既存のアイヌの伝統による知識で書かれているのか それともRさんの独特の詩的比喩表現なのかが曖昧でよく解らないことが、私には多々ありました。 ≫青空を透かした ≫雀を頬ばった ↑どういうことでしょう?雀を食べるという そのまんまの理解で良いのでしょうか? ≫雉は今 ≫妻ではない女と頬を寄せ猟師の家に眠る ↑ 雉が妻でない女と頬を寄せるとは どんな絵を頭に浮かべたら 良いのでしょうか? ≫白樺の塩基とは無縁の日常を ↑ この一文を理解するには 白樺の基本知識が必要な気がするのですが、 わたしには わからないので、どーいう事?と 首を傾げてしまいました。 わからないことばかりだという 愚直な感想で申し訳ないのですが、とても刺激をいただけました。ありがとうございます。 (Elegy)

2018-05-14

おはようございます。わたしは、草千里を 一度しか 見たことがないのですが、わたし自身が得た感動体験が蘇りました。すばらしいです。 (阿蘇にて)

2018-05-13

アニメ映画のサマーウォーズみたいな 家族一丸感覚を 感じました。 たのしかったです。 (母、帰る)

2018-04-30

こんにちは。 人間である以上、人間に対する興味はつきません。 この詩も人間について語られており 興味深く拝読しました。 ただ、書くことを趣味としている人間のひとりとして 素朴な疑問を持ちました。 ≫人間、 と、書いておられる箇所のすべてに もしも改行が行われていたなら もっと 読みやすいのではないかと思いした。 改行がなされていないことにはなにか理由がおありなのでしょうか? (人間)

2018-04-30

拝読していると、 スチームパンクな世界の造形物を やたら見たい衝動に かられました。そして、実際にいろいろ検索してしまいました。 SF映画を制作する前段階では、この詩のようなことを文字化したり絵にするような思索の時間が実際にも あるような気がします。 しかし、映画や造形物では得られない詩の醍醐味は ≫牛の舌のような丘陵を幾度も巡る というようなさまざまな言葉の仕掛けによって、全体の世界観自体を一つの獣のように 読者の心で感受できる点が、詩からいただける興奮と恍惚だなあと あらためて思いました。すばらしいです。 (夢見る宝石)

2018-04-25

おはようございます。 「眠いなー」で終えておられる詩文に「おはようさんです」ってよ。 毒にも薬にもならない言葉という言い方がありますが、たいていの毒は、患者の状態や調合によって薬になることが多いです。私にとっては、詩文にある「どくろのかたかた」は、良い薬でした。 実は わたしには、るるりらというハンドルネームの他に 「点子」という名前があります。点って自由です。どこへでも行ける。だから 私は点子と名乗ることがあります。 私は 私の詩では自分の親を殺したことはありません。でも実生活の心根の奥深くでは 殺すほどの激しい感情で母親と向き合っていたことが多々あります。社会からみたら、「自立」と映っていたはずです。けど、実際には醜い感情が私にはありました。 でも 私をつくってくれた人ですから どうあがいても私の中に生きているんです。不死なんです。だからこそ、心の中で なんども殺せたのだと 今は思ってます。 わたし(るるりら)は、人の子の親でもあるんですよ。でも わたしって点子だし。我が子にも 点の素敵さを、こころの中で これからはもっと告げていこうと思いました。 点であることは、自由を示す鈍色の鉈だと思います。 きっと その舵で 母と子は自由になれます。 そして もしも我が子が私をたまに思い出してくれたら、私って真っ黒い人ですが、それでも一粒の点でしかない骸骨ぽい人として、ちょっとは愛らしい感じで カタカタとカスタネットみたいに笑ってみようと思います。 目の醒めました。良作を拝見できました。ありがとうございます。 (線)

2018-04-25

おはようございます。 みうらさんも黒髪さんも聡明すぎて、私からしたら なんかすごいなと思うだけです。わたしのは ただの感想ですので あしからず。 笹竹は 竹にくらべて 立派ではないイメージですよね。 話者は「ねじくれてしまっている僕もあなたの中へなら入っていける」といっておられるので、ここはひとつ ひねくれた私(るるりら)も ぜひ 笹竹の中に入りたいものだと思いました。 竹でしたら かぐや姫のごとく 安易にイメージの中に すっぽり入れる気がするのですが、笹竹かあ。細いですよね。えーつと ダイエットしなくて大丈夫ですか? さて、がんばらねば。 ≫では僕とは何ですか/そんな気持ちになるけど/皆嫌がる質問だ 僕は何なんだというということと真摯に向き合い ご自分の本質を掘り当てたいと思っておられると感じました。  そういえば、竹も笹竹も 根の性質が同じです。一本の笹竹を掘れば その周辺のすべての笹竹は同根であるという性質がある。だから、すべての人間もまた 同根であるというイメージを この詩の「故郷」という語に感じました。 春になると つんつんとたくさんの若い笹竹の生誕が 地面から顔を出します。 あれを、人の心として例えておられる気がします。とっても オープンマインドの若い笹竹の姿です。若い笹竹のような感じで心を開けば きっと春の陽気のように笑える気がします。 笹竹は うまれながらに 故郷を形成してます。 うまれながらに 故郷の心と言う おおきな心に成っている姿が この詩にはあるように思えました。 こんなふうに読めた私は、なんだか励まされました。ありがとうございます。 (笹竹)

2018-04-24

誤字ありました。 × けれど、はてはて 話が大きくしずきて 〇けれど、はてはて 話が大きくしすぎて (あるある、ないない)

2018-04-24

こんばんわ わたしには この詩は、宇宙でした。 宇宙では上下左右はないようですが、図式化などして なにかしらの基準を置くと 上下左右が現れるわけです。  ひとつの団子のように太陽を中心とした惑星をカタマリとみなすこともできる。けれど、はてはて 話が大きくしずきて 私なんかには宇宙なんて あるのかないのか 実感が もてないです。するとですね、この詩は宇宙だという考えに至りました。 別の見方もしました。わたしには この詩は「幸」という字にも思えました。なぜなら 字の真ん中に団子があるからです。 いずれにせよ 魅力的でした。へんな感想になりましたが、楽しい読解の時間を頂きました。ありがとうございます。 (あるある、ないない)

2018-04-24

はじめまして 拝読いたしました。 三連目なのですが、中原中也 の 「春日狂想」という詩からの引用であると思われます。 もしそうであるなら、 行の終わりに(中原中也 「春日狂想」) とかいうような表記が必要だと思いました。 中也の詩がお好きなのかもしれないなー。 中也は器用な生き方のできなかった人ですが、フリージアさんの心の深いところに沁みる言葉をもった方なのだろうなあと思いました。 フリージアさんの詩文に ≫愛するものが死んだ日に ≫生まれるものは とありますので、出産時に 子供は生まれたときに どなたかが亡くなられたのでしょうか? 中也の場合は 「春日狂想」の詩で 以下のような終わり方をしていますよね。 ≫ではみなさん、 ≫喜び過ぎず悲しみ過ぎず、 ≫テムポ正しく、握手をしませう。 ≫つまり、我等に欠けてるものは、 ≫実直なんぞと、心得まして。 ≫ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に―― ≫テムポ正しく、握手をしませう。 と、ある意味では妙に陽気な感じに 詩文を終わらせているわけですが、 実直に生きるのは素晴らしいことで 切なければ切ないだけテンポが必要なのかもしれません。 いかなることがあっても毎日愛を生み、新たな愛を見て 誰かを愛しつづけけ実直に生きることほど尊いことはないです。 それには リズムのようなもの 気合いのような何かが必要な気がいたしました。 心臓の鼓動が聴こえるような詩との出会いがあると フリージアさんには 良いことかもしれないなあという気が、いたしました。 偶然かもしれないけれど ハンドルにしておられるフリージアというお花は、一枝にいくつかの花がついています。なかなかテンポを感じざるお花ですよね。 素直さや実直さを感じる良いハンドル名ですね。 また別の詩も拝読させていただきたいです。 (愛の誕生)

2018-04-23

まりもさんへのレス、拝見しました。ありがとうございます。 (手枷 ――「幸」字解)

2018-04-21

●花緒様 好意的に受け取っていただいて 感謝です。 蛇口の話だけに ひねったライトヴァースとは、うまいことをおっしゃる。 「ウオーター」と ヘレンケラーのように叫びたい気持ちになりました。ありがとうございます。 (今日も るーしーを探しに行く)

2018-04-21

再度 失礼いたします。あたらめて「幸」という漢字の成り立ちを検索にかけてみましたところ 手枷の象形でこの字が成り立っていることを確認しました。わたしは知らずにコメントを書いてしまいました。無学を恥じるばかりです。 「幸」という文字は、手枷をはめられることを免れた象形であるとか。 手枷くらいの罰ですんだ事に対しての幸せである。だとかという 検索結果がでてまいりました。 辛いという字のほうが意味合いとしては適切であるのが、「幸」という字なのだなーと思った次第です。 おかげ様で、勉強させていただけました。ありがとうございます。 (手枷 ――「幸」字解)

2018-04-21

二条千河さんには このような思い出はお持ちではないのですね。失礼なことを書いてしまいました。 (手枷 ――「幸」字解)

2018-04-21

おはようございます。 わたしも 今思えば「幸」という文字の字解の詩を書いたことがあります。 わたしの場合は、わたし自身の名前に「幸」という字があるから書きたくなったのですが、 私の場合も、やはり「幸」の字のシンメトリーな字姿をモチーフとして描きました。 世の中バランスよね~肩甲骨だって ふたつだしぃ~みたいなライトな詩で なんということもない詩だったのですが、この詩の場合は自立した大人が立ち上がってきます。 私も 両親に両手を握られて道を歩いた経験があるので懐かしいです。かけがえのない幼児体験ですよね。人格が形成されるうえでも なにか重要な意味のあった気もします。 冒頭一行目で ≫私たちはその姿を幸せと呼んだ、 と がつんと幸せの明示がありますね。きっと 該当しない方々も居らっしゃるに違いないと 感じました。 一方の手を愛する者に繋がれてもう一方を欲する物に繋がれることを、幸せと呼ぶ人たちに わたしも該当しています。が、なんだか私自身をある種のカテゴライズしてしまえた時点で、これって、怖い詩だと思いました。幸福とは何かを限定した時点で、そうでない方々の存在に気づかされたからです。 なんだか、とりとめのない感想で すみません。 (手枷 ――「幸」字解)

2018-04-21

●三浦⌘∂admin∂⌘果実 様 うわあ。するどすぎですよ。この作風は、持続なんて無理です。 うっかり出現したようなものですから、ほっこりしていただけて よかったよかった。 わたしの作品の全部が、読むと安心する気持ち、という訳には なかなかいかないです。 ごうら うらうらあということもあると 思うのですよ。 でも るーしーが深夜に 枕元に居たという方がいらして 私はとても安心しました。 ありがとうございます。 (今日も るーしーを探しに行く)

2018-04-20

●まりも様 る、という文字の可愛さ・・・大切です。かわいらしさこそ 大切にしたい詩の醍醐味のような気もしてきました。 おさるのるるるは、またも 知らないのですが、わたしの好きな「る」の文字がたくさんあるというだけで 素晴らしいです。 モーツァルトの頭の中には蛇口があって、ひねると天上の音楽が溢れてくるだなんて、溜息がでる話ですね。モーツアルトの蛇口は、※ヒネルトジャーなんだと思います。  (※結婚するまで知らなかったけれど蛇口のことをヒネルトジャーという言い方があるらしいです。カタカナはなんとなく外来語ぽいので、モーツアルトといわれると どこか硬い感じするという意味です。 ) ≫精気、までは、言わずにおくほうがいいのかな、とも思いますが・・・。 ↑ 鋭い!ここは、とても悩んだ箇所です。精神とかいう概念を入れたら言わずにはいられませんでした。 人類の母と言われた骨の主にもルーシーという名前がついてますよね。ある意味、特別な名前ですよね。 この詩の場合は、夢の中で るーしーって名乗っている人と出会ったので、音声が脳内で響いていたのですが、頭の中で声が聴こえるというのは夢の中ではふつうのことですし、「精気」は強すぎる言葉だったかもしれません。 (今日も るーしーを探しに行く)

2018-04-20

l ●蔀 県蔀 県 様 最高とか すごいとか言っていただいて びっくりです。読者に ここまでおっしゃっていただいて、作者冥利です。わたしのほうこそ、うれしい気持ちでいっぱいです。どうしようかと思うほどに嬉しいです。ありがとうございます。 (今日も るーしーを探しに行く)

2018-04-20

しぶいですね。落語の「死神」を思い出しました。三毒とかいう仏教感覚をおりまぜておられ、しかもこれが誕生日の詩なのですね。しぶいです。 (ロウソク一本)

2018-04-16

まりも様 あは。はんだメン! おもわず、スーパーマンみたいに かっこよく 発音してみました。 名前それは燃える命です。大切な人の名前は付けなおすことで、思いが さらに加わるように 思うのです。このようなことにも 詩の発見があると言っていただいて、また詩と向き合いたくなりました。 ありがとうございます。 (鋳掛屋 )

2018-04-16

おはようございます。 人は だれしも語らないことがあります。自身の心をまもるために黙していることもあるかもしれません。人は喋るのではなく聴きたいときにも人にも黙します。読書の時も、人は黙します。そうではなく、相手との信頼関係が失するときにも、人は黙します。   ≫ふいに語るべき時がきて 心ゆくまで語る人の語り得ぬことが響いてくる その声と私自身の語り得ぬことが 涙ぐんだり笑ったり語り合ってる ≫ 私は、ある方の詩を拝読しているときの私自身の感動を思い出しました。 その詩を読んだ私は、ああ これこそが 私の語りたかった事柄だと涙しました。顔は涙臭くて もうぐちゃぐちゃでした。一編の人様の詩の中に、私自身には語れない表現できずにいた事柄が人様の詩の中には、あるのを発見したのです。私の心の中の なんだか分からない思いは言語化可能されているという事実に感動しました。わたし自身が黙していた多くの時間の昇華されました。わたしの心が、人様の詩の中に あったのです。  さて、話は飛びますが、わたしは あなたに るるりらの心は舌足らずであるという お褒めの言葉をいただいたことがあります。その時のわたしには 反感しかありませんでした。人様に なにか足らないと言われる場合のほとんどが、揶揄です。(足の長さが足らない。知恵が足らない etc)  私は語彙も乏しく、表現もありませんので、私が舌足らずなのは図星です。しかし、私の詩に現れている表層的な部分が足りていないと言われたのではなく、【心が】舌足らずといわれたことが、嫌でした。わたしにとっての心とは、人様の詩の中に私の心があっても すこしも おかしくないのです。心とは限りのないものだと 私は思っています。  本作品は素晴らしいです。詩は ほかの芸術である音楽とも絵画とも劇でも表現できないことを表現する芸術であるという思いに、至りました。つまり詩は語り得ぬことを語り、読者のおひとりおひとりに 味わいの時間経過を まかせることできるのが詩だと感じることがができました。 。拝読できて、よかったです。ありがとうございました。 (語り得ぬこと ※)

2018-04-16

再度 失礼します。わたしの感性と この詩の話者に 齟齬があっても、おもいやれるのが愛であり、 美しいです。 では退散します。 (二点)

2018-04-06

顔文字が、変換されなかった。あせった 感じの顔文字が、ついてました。 (二点)

2018-04-06

え?カタツムリのふんは 本当に きれいですよ。ニンジンを食べたら ニンジンの色と いうふうに、あまりにも きれいなので、タイルをつくった人が いるようです。 友人に まじで こういうことに 詳しいタイプなので、ほんきで こういうタイプはかわいいとおもってしまいました。(_) (二点)

2018-04-06

かたつむりのふんの 美しさを 知る人なんて あいらしいと おもいました。 すいません。詩への感想ではないですね。ふんの特異な特徴を はじめてしったものですから おどろきました。 (二点)

2018-04-06

うひ。誤字いっぱいだわ。愛で 読んでくださいね。すみません。 (或る朝)

2018-04-05

私の住む地域でも 明日には葉桜になりそうですが、新緑の季節は すごしやすいですね。 私が本作品の中で、もっとも 好きだったのは、登場人物が、ありのままでありつつ 互いを尊重している所でした。 しかし、いまひとつよく分からない箇所もありました。 題名は朝ですが、詩文は夕暮れになっている点です。 わたし個人の感性では、朝に統一されたほうがよかったと考えます。 理由は、朝より夕方は疲れているものですし、夕方のことを 昔の人は逢魔が時と 言ったくらいに、魔がさしやすい時刻ですから、ときには 何にでも染まってしまいたい心情になることもあるのが、夕方という時間帯だと思います。 それにひきかえ 朝は、すがすがしいだけでなく、場合によってはビーナスベルト現象という空がピンク色に染まる自然現象もありますし、桜との相性も良いかもしれません。 なんだか勝手な おしゃべりになっちゃってますが、ビーナスベルトのことを思い出せので、朝の葉桜ビーナスタイムを凛として やんちゃな誰かと楽しみたくなりました。 (或る朝)

2018-04-05

読んで良かった作品の ひとつに、わたしの詩を 挙げていただき ありがとうございます。とても、はげみになります。 (選評)

2018-04-05

おはようございます。 詩編を漠然と眺めたときに、語と語の関連が解らなかったので、まるでトランプゲームの神経衰弱のようだと思いました。 題名と結語が同じフレーズでしたので、実はこの詩は全部のフレーズに 「なにも知らない」というサブリミナルメッセージ言が 掛かっていねように感じました。 そこで  返詩として、全部の語を 神経衰弱の数字が同一の絵札で隠されているかのように「なにも知らない」という語を 置いてみました。 すると、「なにも知らない」という心情が すくなくとも 私には解る気がしました。  途中で詩文に「何も知らぬ 」という語があるので、この詩のエモーションは「なにも知らない」から「何も知らぬ」に変化したしたと判断して、途中から「何も知らぬ」に変えてみました。 なにも知らない ためらい  なにも知らない 離れざる風潮 なにも知らない 名誉のため  なにも知らない 深林よ なにも知らない ひそみたつ火と得入するが なにも知らない 人の地か なにも知らない 得体の知れぬ なにも知らない 顔無しよ  なにも知らない 殉教 なにも知らない されば光 なにも知らない 岸辺へ出で  なにも知らない 反抗こそ  なにも知らない まあいいやと なにも知らない よべる哉  なにも知らない 転べ転べば なにも知らない 何も知らぬ 何も知らぬ 動くなと 何も知らぬ 切望 何も知らぬ 寄り添い 何も知らぬ 競う哉 何も知らぬ 麻袋を被れば正義 何も知らぬ ほら正義よ 何も知らぬ 愛はどうか  何も知らぬ 誹りあえば 何も知らぬ 無抵抗  何も知らぬ 何も知らぬ罪なきも 何も知らぬ 永遠有れよと  何も知らぬ 沈黙するは 何も知らぬ なにも知らない 駄文を 失礼しました。(深礼) (なにも知らない)

2018-04-05

すてきです。 とくに りょうほうの みみが ぽっぽするところ かわいいです。 (ワルツざか)

2018-04-04

らに、身を委ねるに 感情移入できなかったので、わたしには むずかしい詩でした。 (回旋塔)

2018-04-04

評を 読んで どきどきした自分がいます。いいわあ (選評)

2018-04-04

この詩文を受けて私が妄想したのは  青春の恋愛によくあるパターンの話を まず想起しました。 つまり、男女が初めて触れ合います。はじめてだからか、うまく交流できなくて 衝撃的なハートブレイクを経験してうずくまるという ラブストーリーです。 しかし、二枚貝の地層という表現が とても素敵です。 以下は 貝の地層から発送した、私の勝手な妄想です。 二枚貝の地層とは、貝ばかりでてくるような貝塚古墳のような地層ではなく、 サンドロ・ボッティチェッリの描いた【ヴィーナスの誕生】みたいな貝を妄想しました。 つまり、巨大二枚貝の内側で 眠っている美女を想像しました。 ねむりから目覚めて うっすら二枚貝がひらくと、 貝の内側の螺鈿の色彩 が きらきらひかって 女神のように、すっくと立ちあがる。 そんな妄想を勝手にしてしまいました。 ただの妄想を描いていたのですが、神話だとすると 世界が一週間でできた話があったなーと 思い出しました。 ≫五日前の卵は落ちて割れた 第5日目というと、神が鳥などを作ったことになっています。 これって ただの偶然かしらと 不思議な気持ちになつているところです。 妄想がたくましくて たいがいにしろと おもわれそうです。す すいません。さきに あやまります。詩文をよごしたかもしれない。ごめんなさい。でも とても素敵な詩文だと思います。 (接触)

2018-04-04

311を意識してお書きになった本作品ですが、 今頃になって感想を 書くのは ちょっと ためらいがあるのですが、書かせていただきます。 東北の災害は あのとき たとえ被災地に居ない人々も、心を痛めました。私もショックでした。 テレビで いままさに 命を落とさんとしておられる方々を多数目撃してしまったという衝撃は、脳裏に刻印された感じがしています。それまでにもっていた死生観が 大きく揺るがされたという印象をもっています。 この詩では、蜜蜂だけがいないことを示すことで、いつもとと違わないようで なにかが違うことを暗示しておられるのだと思いました。 植物の状況がいつもとは変わらないのに、ある種の生き物がいないという表現は、魅力的な表現方法だと思うのです。この書き方に 世界が終わることを危惧した【沈黙の春】 レイチェル・カーソン著の冒頭を 思い起こしました。 ただ、気になったのは 災害のあった2011年よりも 二、三年前に 蜜蜂が大量に いなくなったことが メディア報道で盛んに取りざたされた年が実際にあったような気がしているのです。そのときの報道の一つに、蜜蜂がこの世から 全く居なくなってしまうと 多くの植物は受精できないので、あらゆる生物に影響が出て大変な危機が訪れる可能性があるという報道だったように思います。 それで、気になったのは  蜂が大量に居なくなっていたという事件の話を 御存じでお書きになったのかな。それとも まったく蜂の事件を知らずに、蜂のことをお書きになったのでは  だいぶ意味合いが違ってくるような気がします。 個人的には後者のほうが 好みです。平穏に過ごしていたが  すこしだけ動物的なアンテナが立っていたって感じなら 表現として悪くないと思うのです。 でも、どちらだったのでしょうか? 前者だと 個人的には あまり好みではないのです。これでは地震が原因で蜂が居なくなったみたいに読めてしまいます。 (写生)

2018-04-03

fiorina 様  私の本当の魅力が心の?舌足らずさにあるとしても、わたしは貴女の言葉を 褒められたこととして感じることは できません。あなたが わたしにくださった【広島】という詩を 私は理解したり受け入れたりすることはできていません。  2010年に最初に広島という詩をいただいたとき、私はお礼しか言いませんでした。それも二行程度のレスしかしていませんでした。複雑な心境でしたが、あえて短文レスを差し上げました。  理由があります。私には兄弟と死別した経験があります。その痛みのせいで わたしは2010年に 本当の気持ちを何も言いたくなかったのです。 2010年の私は、なにも いえませんでした。 それでも 「舌ったらず」だとは おもわれたくありません。 なお 本作品のレスをいただいたあとに鯨の生態を調べたら鯨は70年以上生きることがあることを知りました。感動しました。しかし、この詩は被爆の鯨を描いたのではありません。福島事故のときに鯨の被爆が心配されている情報を見聞きしました。鯨が生態系の長にあるため体内被曝の心配が多数報道されました。ですが、この詩は 被爆の詩では ありません。 わたしは舌たらずではありません。喋るよりも黙祷を ささげたいことがあるだけです。 なので 替え歌をつくりました。 おもてなし妖怪主題歌【かに座星雲の女】 いいえ私は かに座星雲よ 舌のない甲殻類よ笑うがいいわ あなたは ほめたつもりでも 超新星の大爆発だわ 重い話ね いのち いのち いのちの話よ そうよ私は かに座星雲 かに座の星は 爆発の星よ  (おもてなし妖怪2018)

2018-03-31

日本のキメラを お尋ねならば、河鍋暁斎の絵を お探しになってみると、イマジネーションの参考になるやも しれませんよ。 (Chimeraが残す羽音を聞いて)

2018-03-30

しずかな呼吸を意識しながら拝読させていただきました。 まりも さんはこれまでも お母様としてのご経験から詩をこちらのサイトにも投稿しておられますが、私の場合は この詩と 私の拙詩に 乳飲み子を想う母としての書き込みをくださったときに はじめて 哺乳類の母共通の感覚を共有していると感じました。 そして、この詩を拝読して、 詩の批評家でもビーレビの主要人物でもなく、一人のたおやかな女性として ほんとうの意味の まりもさんが、一読者の私の前に現れてくださったと感じています。 失礼ながら まりもさんのサイト以外での詩のキャリアとかに 今 はじめて興味を持たせていただきました。自己紹介に使用されている画像の詩集の帯に 目が止まったのも 実は今が初めてです。 素の自身として詩と向き合うことを 学ばさせていただきけました。ありがとうございます。  (火花)

2018-03-30

いやー。いいですね。驚嘆讃な褒め言葉を探したいです。(はいそうです おやじギャクです強炭酸ですね。わかってます。) 題名のsodAXXXXは、よくわかりませんが何かのソーダ割りをイメージしたのかしら? でも私個人の印象ですと、見た目が マヨネーズの商品包装のようなデザインみたいに思えました。 作者は詩を書いておられるのに、作者の意図とは無関係に「絵」として記憶してしまいそうです。おもわず マヨネーズを購入するたびに この詩を思い出すかもしれません。   一行目の「暴れる、勝手に裸になる。」でもうすでに射抜かれて ぷっはー、です。活きの良さの炸裂です。ついでに 彼女もとても オープンマインドですね。おやおやあらまー。 とにもかくにも、この詩の読後感は、感覚機能を持つ細胞が みなヤッホーと叫んでいるかのようでした。 私が強炭酸という飲み物が好きで 良かったです。おかげで この詩がより楽しめます。 (sodAXXXX)

2018-03-30

この詩は 一つのささやかだけど確かな宇宙だと思いました。 一遍の詩に、ちゃんと時間が織り込まれて言葉がつぎつぎと生まれ来る感じがするという意味です。 具体的に言うと、 産ぶ声えが鳴ってった や 帰り途になってった などが つぎづきに変化するスプリング・エフェメラルのような性質が この詩に 美しく映えていると感じました。 花たちが どうせどうせと枝に広がるだなんて 見たことのない表現です。 どうせだなんて なげやりな言葉の連呼すら、個人的には電車の進行する音にも思えました。 しかも 燃やす滸(ほとり)。 滸という漢字の選も たおやか。日本には「嫌なことは水に流す」という心境がありますが、 燃えたぎる思いをそっと手離す水際の心境があると感じました。 あと、↓ここも好きです。●引用はじめ 古い俎板を たてかけて そこに、そこに いたことを 日は正しく折れ曲がる ●引用おわり この詩には時間が美しく 折り畳められていると感じます。 ただ この詩は はなむけの詩だと思われ、わたしには言葉を辿って ただただ うなづくことしかできません。産ぶ声えが鳴ってった。とか。つま恋の帰り途。ということは この別れは、赤ん坊の誕生したことに関係する別れ。ちいさな傘は あかちゃんへの想いでらっしゃるような気がします。しずかに瞼を閉じさせていただきました。 余談となりますが、「Sternsingen(星哥い)」 という作品も好きです。すみれの花の砂糖づけについてがとくに勉強になりました。銘菓にはおよびませんが、今の季節には私は 毎年、すみれの砂糖づけを つくっているからです。これからも Clementine さんの作品が拝読できることを楽しみにしています。 (「ちいさな傘を」)

2018-03-29

(ひとつ)

2018-03-27

解答ありがとうございました。 実は、わたし自身も死体に対して『この世を生きた証に遺すもの』という感覚で詩作に取り組んだことがあります。それで棺のディテールに興味を持ちました。 『ホルマリンの棺』は、私にとって詩的表現であるとともに、実体でもあること。よく理解できました。ありがとうございます。 ちなみに、わたしの扱った作品の場合は、青銅の含まれる棺に土葬されていた死体が 生前の姿を残したまま死蝋化し、七十年以上経って掘り起こされたときには、生きたままの姿であったという実例を元にした作品でした。 私の作品と比べて、この作品は 詩の骨格が明確で心に響くものがありました。おかげさまで とても勉強になりました。わたしに足りないものを鹿さんは 持っておられます。  鹿さんは、私が勝手にリスペクトさせていただいている書き手の 数少ない方の おひとりです。これからの作品も 楽しみにさせていただいております。わたしの素朴な疑問に解答していただき ありがとうございました。 (或る女の剖検)

2018-03-27

優曇華について初めて知りました。 テレビで百年ごとに咲く花ならばみたことがありますが、古来の人々のロマンを感じさせることを教えていただけました。ありがとうございます。憐憫に対する感じ方も共感させていただきました。魅力的ですね。 ただ、とても細かいことが 気になりましたので報告させていただきます。 ≫このチョンの間に埋めるか このチョンという表現ですが、ちょっとした感じしかしない生き物というイメージなのはわかりますが、昭和の頃に父がむかし簡易型カメラのことをバカチョンと呼んでいたことを思い出しました。そのすぐ後ぐらいの時代にチョンという言葉は、差別語としてメディアに取り上げられました。当時のマスコミが言いますには、チョンは朝鮮を連想するから止めろ。だとかと言っていました。  わたしはカメラの話をしているのに、なぜ?チョンがなぜ差別語なのかは 今も納得はできてないのですが、でも この詩の詩文で カタカナでチョンと書いておられいるのを拝見するとバカチョンの時のような 雑味を 感じてしまいました。 (優曇華)

2018-03-27

こうださんのレスを読んで、ヘッセがとても好きだった十代の頃の自分を思い出しました。そういえば、私がヘッセを読まなくなった理由は、ヘッセが嫌いだと言う人に恋をしてしまったことを、思い出してしまいました。 当時は恋だとはきがついてなかったのですが、わたしにとってヘッセばかりを読み続けること自体が ダメなことである。それでは両想いにならないと思ってしまったようです。したがって、この詩の題名はダメと判断する私になっているのだと思いました。  だから、私の場合は 彼女の気持ちからひっぱるのではなく、自分の気持ちから題名を引っ張った方が良いなどと 言ってしまうのだな~と 思いました。 おかげで、春らしい甘酸っぱい記憶が蘇りました。ありがとうございました。   (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-27

一で十を知るということである、と思いました。 ただ 私の場合の一読目は「±(プラスマイナス)とか、土(つち)」とかいった クイズの答的な発想が浮かんでしまい。そんなことを書くと作品を汚すコメントは控えようと、私は一度は黙ることにしてました。 今朝は、クイズ的な発想でない事柄を思い出したので、コメントさせていただきます。 江戸時代の商売の一つに、僧侶が 小さな紙の上の方に「僧」したの方に「一」とだけ書いて、家々にその紙を投げ込み、あとで回収して 報酬を貰うという商売があるという話を聞いたことがあります。検索で確かめてみたところ いち僧侶が じゅうしょくに なるという意味だとか いちが じゅうになるという祈りもあって人々は お金を落としたのかもしれません。 (ひとつ)

2018-03-27

こんにちは 雉や孔雀は どうして あんなにも ありうべからざる見事な色彩を持っているのでしょうかね。 私も、鮮やかな生を感じさせる鳥に 心を奪われがちな人間の ひとりです。 この詩の場合は、話手の生と死の狭間での感覚であるので なおさら 鮮烈です。 ふと、私の雉体験を思い出しました。私の雉体験は 一度だけです。東京のわりと奥地に住んでいたころ 自宅のあるアパートの裏が雑木林になっており いきなり雄の雉が飛んで林をつっきっていったのでした。 ついでに 孔雀体験も 思い出しました。東京のとある動物園では孔雀を放し飼いにしており、道路を歩いていると 五メートルくらいの距離で 突然 みごとな羽根をひろげてきたのでした。わたしは、そのあと 孔雀に求婚されたと 大喜びだったこととかも 思い出しました。 私は、この詩に出会って はたと思ったのです。 雉と孔雀は種が違いますが、雄雌の距離の取り方を考えたとき もしかしたら確かにかなり類似しているのかもしれません。 ●詩文引用 はじめて野性の雉をみたとき ずれて生きる番いの角度そのものが 雉の生きかたであると知った ●引用終わり 鳥の番の有り様であるという、ずれて生きる角度というものを わたしなりにイメージしてみたのです。私が見た雄の雉も雄の孔雀にも ずれた場所に きっと 雌がいたのだと思います。 雄と雌には、雄と雌にだけに解る生の有り様がある。 私も うつくしく生きたいものです。 私のような 凡庸な人間である存在にだって  うつくしい生き方の関係性の角度が きっとあるにちがいない。そんなことも 思わせていただけました。生死の境で 関係性の角度を感じるなんて、知恵を超えた智慧だと 私には思えたのです。 なんだか目の醒めるような詩文でした。拝読できて よかったです。ありがとうございました。 (雉)

2018-03-23

白均様 月に三作と、こちらのレス欄に 書いて おしまいになってます。 (くつのうら・舌の味・僕らの行方)

2018-03-22

こんにちは 職場にベッドがある。それは終末医療を意味しているようですね。 モチーフとされている青いセサミとは セサミストリートのクッキーモンスターというキャラクターであるような気がしました。 もしも クッキーモンスターであるとすると 普通の人形ではなくて、口を動かすことのできるタイプのマペットというタイプであるなら腕を人形の中にいれて動作するタイプですから、 路上に放置されていたりすると、見た目のヘタレ具合も そうとう くたびれた残念な映像になるような気がします。 異様な絵を掲示されていると驚きました。もしもクッキーモンスターであるならば、 とても魅力的で この詩にとって適切なモチーフだと思いました。 (青いセサミ)

2018-03-22

●鈴木 海飛様 正直いうと、 よくわからないのですが、お礼を詩にします。 とりあえず お返しは、もうええですからね。笑 題【泪】 泪 零れ 虹光る 情熱迸り 躍る言葉は てんでばらばら 貴方は今日も火を くべる私の気球にも 他の誰かの心根にも 生まれたての火の粉よ はばたけはばたけばばば コサックダンサーよ座して飛べ (飛ぶ)

2018-03-22

こんにちは。 想像する力がためされる作品ですね。 キメラかキマエラとは?一般的には、なになのかすら私には検索しないと 分かりませんでした。以下は その結果です。 1 ライオンの頭、蛇の尾、ヤギの胴をもち、口から火を吐くというギリシャ神話の怪獣。キマイラ。 2 生物学で、異なる遺伝子型の細胞が共存している状態の一個体。植物では接ぎ木したものにみられ、動物では異系統の発生初期の胚を融合させて作った人工キメラマウスなどがある。 検索の結果、幻想動物の意味であると同時に、現実的な意味でも 使われる言葉だとわかりましたが、この詩では 鳥獣であるようですね。 それにしても、文体の癖が強いなと 思いました。 ……ですら。……にすら。という表現が、めっちゃありますね。っていう簡単な感想を 持ちました。 この詩は、妊娠願望が絶たれたかもしれないという悲しみを表現しておられるような気がしております。とてもナイーブな心情を表現しておられるように思いました。ですのに、私の「…すら」が多いね。という短絡すぎる簡単なレスは、どうなのかと、はばかっていましたが、書かせて頂きました。      るるとかいう おっぱい星人の雌のいうことですので、要領を得ませんが ゆるしてやってくださいませ。    (Chimeraが残す羽音を聞いて)

2018-03-20

竜野欠伸様 ぶっはは。ふいてしまいました。 たしかに。 けど、【るる】も、やばいです。わたしの、愛称ですし。 なぜ、うけたのかは もうひとつ 理由が ありまして このレスくらいのライトな感想を 竜野さんの 作品に私も、もったんですよ。明日、書かせていただきますね。 (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-19

●カオティクルConverge!!貴音様 詩文に「しなやかさを なぞるように 」という行をいれておいて よかったです。 ありがとうございました。 (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-16

●まりも様 まりも様も お子さんが おありだったのですね。 あの さあっと体の中が抜けていく感じは、実際に自身の身体が食料であるのだなーという感慨の経験でもありました。 子に与えているというより エネルギーが移動しているという感じだと思います。 経験しておられる方がいらして ほんとに よかったです。ありがとうございます。 (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-16

●原口昇平様 乳房は男女の両方からさまざまなイメージや意味が重ねられていますね。実は、そこいらのことも覚悟していたのですが、ありがたい読みをしていただきました。ありがとうございます。 ちなみに、わたしの亭主も 子宮も乳房も男性のままであると良いのにと 何度も 言う人です。 (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-16

●渡辺八畳@祝儀敷様 うっ君説を頂戴しました。感激です。 「コモンな詩」の意味が理解できていません。勉強不足の語彙不足です。どういう意味なのでしょうか? うっ君説は嬉しいです。るるりら的には、乳房のことを なんとはなしに桃の果実のような まるみの存在感。桃太郎の桃、 太郎を抱いたまま流れていく謎の存在感とでもいいましょうか。人格は無いが実はある感じとでもいいましょうか。やはり、うまくは言えないです。 ですが、うっ君説は 独立した存在を感じさせてくれるので、わたしのニュアンスに けして遠くはない と感じます。とても嬉しい評でした。ありがとうございます。  ついでに告白します。私の苗字が まじで「う」だったりするのも、ちょっとしたミラクルです。 (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-16

●エイクピア様 黒髪様にもお知らせしたのですが、わたしったら その曲のことが まるで念頭になかったのです。あんなに有名なのに わたしとしたことが 恥ずかしいです。  そうです純粋に乳児が母親の乳房を吸って居る状況を描きました。「春」が母親のような感じに うけとっていただいて嬉しいです。 ほとんどを ひらがな にしてみましたのですが、そんな中で春は 数少ない漢字です。春という語は 存在感があってほしかったので とても嬉しい評でした。ありがとうございます。 (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-16

●岩垣弥生様 ただの石や だだの空気 ただの木。そして ただの人は もっとも尊いのかも しれません。 玄妙という 美しい表現を 学ばさせていただきました。玄妙という表現は わたしにとって含蓄のある語でした。「ぬばたま」とは、とほうのないものに対する感慨だということや、玄武岩は星糞とも呼ばれているというような深遠なものを 個人的には想起したからです。  この詩自体には 高尚な部分は無いつもりでしたが、尊いことに通じていると読んでいただいて素晴らしいです。嬉しいです。恐縮です。ありがとうございました。 (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-16

●花緒@B-REVIEW様 これは、、、書けそうで、書けないタイプのやつだったのでしょうか?嬉しいです。 うっくん、うっくん、の重ね方は とても きにいっています。ありがとうございます。 (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-16

●黒髪 様 おはようございます。 題名は 最初におもいついたときに なにかどこかで聞いたことのある気が、自分でもしていました。「時には母のない子のように」カルメンマキ  と言っていただいても すぐには曲を思い出せなかったのです、むしろ あれあれ ほかにもあったような……と、なんどか題名を反芻してみましたら、「時には娼婦のように」というフレーズが 浮かんでしまいました。この気分は えーと 例えるなら、パンクロッカーです。笑  それはそうと ご病気が治癒されたのですか?それは これからがますます楽しみです。創造力の爆発が期待できそうです。ぜひ また 作品を拝読したいです。 (ときには 名もない おっぱいのように)

2018-03-16

ご配慮ありがとうございました。 (飛ぶ)

2018-03-13

感想を書かせていただきます。 ある花言葉を 思い出しました。「霧の中の恋」という言葉です。これは、ニゲラという すこし変わった姿をした花の花言葉です。花の姿が糸状のものに囲まれている 不思議な花姿の花です。雨を受けると 水滴をまとい 美しい花です。わたしは、この詩に この花言葉と同質の浪漫を感じました。  暗中模索で お互いのことをしろうとする二人が歩み寄ろうとする恋心は 辛く苦しいかもしれない。恋心の中にいるときは、近くにいても遠くに感じたり 遠いと思う人が すぐ隣に居てくれていたりすることがあるように思います。恋心は簡単ではないです。  そけだけに 心を凌駕するとは、もの凄いことのように思いました。理解不理解に苦しんでも わかりあえうという永遠の一瞬のために 心はずっと彷徨ってきたのかもしれませんが、きっと 解りあえる。と、私は思います。 個人的にもっとも興味深く感じたのは、「シーザーとクレオパトラにはしとしととしたムードはなかったのかもしれない環境は絶対に恋の行為に影響を与えるものだ」という一文です。  今のエジプトは乾燥地帯ですが、エジプトには 今よりも かなり湿潤だった時代もあったと聞いています。 シーザーとクレオパトラの時代が どれほどの湿潤だったのかについては、勉強不足なのですが エジプトはナイルの賜物だそうです。水は、命にとって不可欠。きっと、恋愛にも水は 大きく影響したことでしよう。  エジプトが崩壊した理由の一つに 火山噴火によりナイルの水位が上がらなくなったのではないかという意見もあるようです。するとやはり、シーザーとクレオパトラには しとしととしたムードは なかったのかもしれないです。 暗中模索は 辛いことも多いでしよう。ですが、それでも もしも雨降る中に火が燈るならば、生命は 芳醇な文化を継続させるだろうと、思いました。本を読むのは 素晴らしいことに違いないです。読書でわかり合えたら その日は ほんとうに永遠の中の素晴らしい一瞬に違いないと思いました。 (霧雨)

2018-03-13

鈴木 海飛様 返信にすべきところを詩にしてしまいました。すると、あなたはレスをつけざるをえない。これって 無茶ぶりですよね。ですが、やっぱり 良いものが 返ってきました。 すてきな鳥糞めるふぇん詩を書いてくださって ありがとう。   わたしが 元の詩に もっとも惹かれたのは下記の箇所。 君の髪が蝶の羽となって羽ばたくとき 私は模様の目となって同じ景色を見ているだろう 逃げ出した景色へ蘇る彩り、 言葉も生き方さえ 対の羽になってしまえば ただ違うのは風だけさ、と あなたの元の詩には なにげない言い方で たおやかな思想も織り込まれていて うつくしい詩編でした。 過去を 手放して、ともに生きる君と私という一組の理想的なカップルを わたしも描いてみたくなりました。女性の髪が蝶の羽(蝶の羽には 目のような文様がある)となって羽ばたき、 対の羽となって 生きていく。というイメージを もっとも素晴らしい気持ちの高揚部分を、 わたしの言葉で書き直してみたかったのです。わたしの場合は 蝶ではなく鳥にしてみました。 無茶な作品を投稿したもんだと おもうとります。なぜ 私のが無茶かというと わたしのは思想もないので、着地点が無い作品だからです。「飛んでいたいだけ」の詩なのだから 枝にも降りたくなかった。そこも ちゃんとくんでくださっている。あいかわらずGは かかっているままの詩が返ってきました。さて、Gはどうする。すると、糞が おちてきました。あらぁ上手! 隣のお前もでんでろりん……爆笑。 おたけびをあげながら興奮…… そうね。そういうことが、私は描きたかったんです。 落下地点にうれうことなく頬を、よせる。……あひゃあ 人間も飛行物をたくさん量産してきましたが鳥と違って 落下地点をスムーズにこなすのが一番 難しい。落下地点が無いのは 不安なのです。それが解っていながら笑ってしまう心のおおらかさ。さすがです。 魅力的な詩編をいただきました。ありがとうございます。 (飛ぶ)

2018-03-13

ユーカラ様 飛んでいる状況のリアルを、表現しとうございました。それだけを、やりきりたかった。ただ、それだけなんですが、んー。まだ 書ききってないです。 飛ぶことは、不安や 様々な 感情の 混じった状況やもしれません。 この詩の光景を読者が感じてくださって、うれしいです。 誤字は、意味が通じているなら、今回は みなさまに ゆるしていただこうと、おもうとります。 読んでいただき ありがとうございました。 (飛ぶ)

2018-03-12

鈴木様 パソコンが 不調なので レスのおかえしは、すこし まってください。 (飛ぶ)

2018-03-12

おはようございます。 体調の悪そうな ご文ですね。 昼間 とても 人を きにするのに、夜になると 自分以外を きにしないと いう感覚は、自然で むしろ ほっとすると 感じました。 夜昼 逆転で、まっくらな心に、むりやり常夜燈を 灯すような ことより、すっきりしない気分のままに、書かれた この作品に 温かな人間味を 感じました。 (他人の中にある自分---)

2018-03-10

てんとう虫は、できるだけ 高い場所に 移動してから 飛ぶため、天道虫という話を思い出しました。 かわいい情景が目に浮かびます。 (てんとう虫)

2018-03-10

自分を信じて みよっかなーと、おもいました。ありがとうございます。 (『アラーム』)

2018-03-10

ですね。いっそ作品を、削除していただけたらと おもいます。 (飛ぶ)

2018-03-10

誤字がございました。 四連目 ×耐えず ○絶えず 失礼致しました。 (飛ぶ)

2018-03-09

詩と思想の件。確認しました。この機会にわたしも、なにか 投稿してみます。ありがとうございました。 (猫)

2018-03-08

こんにちは  ヘッセは 思春期に ほぼ全部読みました。熱病にとりつかれたみたいに 読んだ覚えがあるのですが ひとつひとつの作品内容を忘れてしまっています。こんなにスイートだったのだろうか。と、読み直したくなりました。この作品は 私にとっては、なんとも眩しい作品です。 ただ わたしも 題名が好きではありませんでした。 彼女の言葉から ひっぱるのではなく、話者の心が ちらと見えるような題名のほうが、効果的だったのではないでしょうか? たとえば、「僕が知ってる世界で一番悲しい音楽 」とかだったら わたしの場合は、さらに きゅんと きます。 (自分勝手なロマンチスト)

2018-03-08

おはようございます。素朴すぎるかもしれない感想と、質問を書かせていただきます。 この詩を読んで わたしは、山寺の和尚さんという童謡を思い出しました。 山寺の和尚さんが 毬(まり)はけりたし 毬はなし 猫を かん袋に 押し込んで ポンとけりゃ ニャンとなく ニャンがニャンとなく ヨイヨイ この童謡も、そこそこ ひどい話です。しかし、こどものころに初めてこの歌を聞いたときは、笑ってしまいました。この詩では「猫引きちぎり」と書かれていて ひどいことをしているだけではなく、「元から猫を嬲っていただけで」とまで書かれていて 「死」がはっきり書かれているのですから 童謡とは全然ちがうのですが、かわいい猫を描こうとしている点が同じなので、思い出しました。 余談となりますが、詩と思想を購入してみました。ですが、該当の詩および批評が見当たりません。わたしの購入した本は 【詩と思想③ march2018 no.370 vol.3】なのですが、該当の号は 具体的な どれだったのでしようか? (猫)

2018-03-08

春らしい詩だと思いました。 ひとつだけ ひっかかった箇所があります。三連目 小さき雄たち なぜ オスたちなのかと 思いました。メスもがんばっていると 思うのです。 (春の歌)

2018-03-07

おひさしぶりです。 黒髪さんファンの私としては、やっと黒髪さんの作品を拝見できたことが嬉しいです。 さまざまな生き物が 話者のまわりに いつもは意識にのぼらない月のように寄り添ってくれている気がしました。 落ち込むことは 誰にでもあることですが、落ち込みきったときに なんとか気をとりなおして前を向くのはなかなかの至難です。歪んでいく世の中や折れそうなプライドのようなものを確かめながら たばこを呑んだりしていた話者が、負の方向に ゆれながらも 自身をとりもどしてゆく その道程に 私は励まされました。  話者は 最後に自身のことを黄色のバッタといって、他者の心の印象の変化に とまどいながらも、それでも「薄い緑だよ君は」と言う やさしさにも、励まされました。 ちなみに、 「傘とバッタ」の題名で なんとなく わたしがイメージしたのは ピノキオにでてくるコウモリ傘をもった紳士な姿をした昆虫キャラを思いました。 あと、高見のっぽさんが みんなの歌で歌っておられた「グラスホッパー物語」も 思い出しました。 代わりのないバッタ とは、黒髪さんであり。そして、読者のひとりでしかない この私 るるりらのことかもしれないなあと思ったのです。。 (傘とバッタ)

2018-03-07

もうすぐ 三月十一日ですね。 あたりまえが あたりまえでなくなった瞬間は ただただ 音を全身で心で聞くしかなくなる感じが よく出ていると思いました。 (地震)

2018-03-07

おはようございます。 この詩の椅子の腰かけたままの人は しあわせだと思いました。 さびしすぎると 察知してくれる人や、気がふれたのではないかと おもってくれる人の気配があるからです。 わたしも 人さまに きがふれそうになっているのではないかと言われたことがありますが、それがありがたいことだと 思えるまでには時間が必要だったです。あのときは なんでもないわ!と憤慨してしまったものです。 みまもる人がいると感じさせる しずかな詩を、はじめて読みました。ありがとうございます。 (小網戸)

2018-03-06

それではお暇いたします ホルマリンの棺なら 訪う者なき無縁塚より 立派な墓標となりましょう  だなんていわれたあと、チーンと 音がした気がしました。 初読では おもわず、ただただ ふるえました。 二度目に読んだときは、司法検視を行う人が、被害者の検視を行いながら 被害者の代わりにセリフを言っているような詩と受け止めながら読んで、この詩は愛だと思いました。 三度目に読んだときに、ふるえた理由が 解りました。正直いうと 検視が登場する小説やドラマは見ないことにしているし想像したくない分野のことなので 私の脳は この詩を まじめには映像化してないのです。ですが、「ホルマリンの棺」でイメージしたまいまして、私は ふるえたのです。 わたしの場合は、理科室にあった ホルマリン漬けの瓶をイメージしました。 それで 悪寒がしたのです。 すると、 疑問がわきました。これが実際の検視をモデルにした詩だとすると、 ホルマリンの棺に該当することは、本当に私が思ったホルマリン漬けの瓶に似た状態のことなんだろうか?そんな状態に死体をしなければいけない状況が 実際の検視にはあるのかなー。と疑問に思いました。 檜の棺とかと違って ホルマリンの棺は、 詩ならではの表現で す か? あー。きいてはならぬことを聞いております。なかなか引き込まれる作品でございました。 (或る女の剖検)

2018-03-06

●イチゴミルク様 「僕、これ、最初、鯨が戦艦に思えたのです・・。」 まあ、すてき! 戦艦に思われたのですか? それは祖父が喜びます。祖父は戦艦の設計に たずさわった人なんですよ。だから、戦艦愛の半端ない人でした。戦争には 強く反対します。ですが私は戦艦に対して、大きくて大海を泳ぐという鯨との類似点は素晴らしいです。その点については 戦艦に対しても 尊敬に似た感情を 持っています。 そういえば 日本の戦艦は凄いのですが、ことごとく 残念な結果と なってますね。なるほど、この詩で そのことを想起されましたか。私にとって嬉しいコメントでした。ありがとうございます。 (おもてなし妖怪2018)

2018-03-06

●百均様 妖怪について調べてくださって ありがとうございます。 妖怪がなにかは 正直いうと 私自身は よくわかっていないのです。ですが、たとえば「あずきあらい」は、ただただ毎晩 小豆を洗っている音をさせる妖怪であったり、たとえば「ぬらりひょん」という妖怪の場合は 家の者が忙しくしている夕方時などにどこからともなく家に入り、茶や煙草を飲んだり自分の家のようにふるまう。家の者が目撃しても「この人はこの家の主だ」と思ってしまうため、追い出すことはできない妖怪だそうです。わたしの詩のようなものの場合は、ちゃんと 挨拶をする妖怪にしてみました。 ちゃんと妖怪だと感じていただけて 嬉しいです。そうです!お化けではないんです。 おばけというのは 鯨を調理したときの料理名に「おばけ」というのが 本当にあるのです。だから、ずらしてあるというのは 結構 大切だったりします。うふ (おもてなし妖怪2018)

2018-03-06

どきどき しました。 (いろか におう)

2018-03-05

つけくわえです。入水することの暗示の件は、よく わかりませんでした。 (電球の海)

2018-03-05

こんにちは わたしも 兄弟がいないです。わたしの場合は居たんですが、いまは 居ないです。この詩が相手としている方と 同じだなあと 思いました。ですから、わたし自身の持っている喪失感のままに素直に、詩と対話させていただきました。自分の根幹を伴にした人の存在が あやふやなのは しんどいことです。 兄弟が居なくなるのは 運ですが、両親は 年上ですから ふつうに考えたら りょうしんって いなくなるもんです。 ところが 年を重ねると、おさなごのようになり、その居なくて当然の両親を さがすようになる。居ないものは居ないのですが、でも さがすようになる。私の親世代の人々も みな老人になってきたので、私にとっても ふしぎな思考の人々と なってきてます。 やさしみを持てるかどうかが、今の私の課題です。こんな私には、【かそけき海】とか、【銀】から【鈍色】への色調の変化とかが、 こころに 沁みました。 やさしい彩の ゆたかな和の言葉。そこが、私にとっては ここちよかったです。 いつくしみを感じました。裸電球の灯火みたいに ほの明るく 私の心をゆらしてくれる詩だと感じました。 どうやら 痴呆症と対峙されて感じたことを詩にしておられるようですね。痴呆症にとどまらず、わすれるということを描くことに成功しておられると 私は思います。良い詩を拝読できました。ありがとうございます。 (電球の海)

2018-03-05

こんにちは 渚鳥 さんは、すごいです。 純粋な何かを燃やすことを「綺麗だね」と 渚鳥 さんは言っておられるところが、すごいです。 さとりに似ています。でも純粋な「何か」ですから、抽象的で判然とはしてないので、さとりと言えば おおげさかもしれませんが たとえば煩悩を燃やすにしても 純粋に発火する瞬間は、「綺麗」かもしれません。 たとえば脂肪を燃やすにしても 「綺麗」な瞬間がある気がします。  地球の水が蒸発するのも ある意味では燃えているので、綺麗かもしれません。 地球という生き物の中にいて、蟻のように道を歩き  綺麗なものを探し当てようとしておられて、すばらしいです。 ところで 星と星がつがうことはない のですか? そうかもしれません。でもそれは、織姫と彦星にだけは 言わないでおいてさしあげたいなと おもいました。 (星)

2018-03-05

なんだか、走馬燈を拝見しているかのようです。 「屑篭の無い家」では、愛娘さんが暴言を吐いて家出をしてしまわれたのかもしれない。家族は その暴言を反芻するしかないのかもしれない。 「#現代詩」現代詩とは何なのか、わたしは知りませんが きっと現代の詩のことなのでありませう。ハムも現代だし チーズも現代だから ある意味では、現代詩に現代詩と現代詩を挟んで食べているようなもののような気もします、世の中 せわしいことばかりです。そんな中、 「冬に」大切な人の気配が消えたりすると、 明日がよく解らずとも、きっとどこかに楽園はあるのでせう。痛い心は どこかやっぱり地獄ですが 「巣立ち」すると、ぽっかりと空間ができてしまい溜息がでますが、深呼吸ですね。 「さようならは鮮やかに」鮮やかな さようならに 思い出が明滅します。呼吸たいせつです、 「強風ハローワーク」強風波浪注意報のことを ながいこと 挨拶注意報だと思ってました。人生の波のことでしたか? 「東京スカパラ」東京という言葉が含まれていると、上京を連想してしまうのは、私だけでしょうか?私は ガーデニングが趣味なのですが、そういえば 根が ちゃんと抜けたら移植は成功なのです。 「星帽子」 空っぽな聡明さに脱帽させていただきました。   (家族八景)

2018-03-05

おはようございます。 本作品は気になって何度か再読した作品の 一つです。 歩いて移動中などに なんどか この詩の冒頭を思い出していました。  太陽が落下するのは だれのものでもないからなのかー。と、いうふうにです。  毎日毎日が、さまざまな選択の連続です。時間も 物も すべて自分のものだと思いたいから選択をよぎなくされる。けれど 太陽が落下するのはだれのものでもないからなのかー。と思うと 心が ほっとしました。 ついでに ほかのことも連想しました。落下するものは ほかのものも だれのものではないのかなー。と、思いました。たとえば、私の気分が落下する時 だれのものではないなー。とか。または、ボールが落下するとき だれのものではないのかもとか。 皿が落下するとき だれのものではないなー。と、落下するほかのモノを連想してみました。  ただ本作品の語は【太陽】です。太陽は また昇るモノ。この詩では 太陽が帰ってくることは言ってないのですが、太陽が 落下することを想うと、わたしの心が 自然と浮上するのを覚えました。スノードームが逆さにしたときのように 私の周りのものが浮上するような感覚を覚えたのです。  アフリカの凧って、日本のものとは かなり違うようですね。わたしが検索で目にしたのは ご陽気な風船のようなモノでした。アフリカ凧は あがるというよりも 浮いているという感じがしそうでした。  この詩の中に流れる時間は、すべてが止まっているかのようにゆっくりです。この詩にながれる時間もまた だれのものでもなくて 自由ですね。 色々書きましたが、本作品で わたし自身が一番好きだった箇所は、太陽でもアフリカの凧でもなく、牡蠣の殻です。牡蠣を見続けたら羽根が生えてきたーだなんて、なんて恍惚でしょう。牡蠣の形状って そういえば羽根のようでもあります。まったくもって、羽根が生えそうです。 (未処理)

2018-03-01

おはようございます。 1からゆっくり数をかぞえるというメソットが禅にはあると聞いたことがあります。 ゆっくりと考える静謐な時間は こころをゼロへと解法してくれます。 ゼブラは うまれながらに美しいデザインを持っていて 驚きですよね。この詩のゼブラは、わたしに シンプルなモノクロームに永遠を想わせてくれました。 すこし 余談となますが、昨日 牛さんの絵を拝見しました。じつは わたしも いたずら書き中です。牛の線画も また 永遠を想わせるモノクロームですね。 ずっとずっと 考えていたいです。 生と 創造性のいとなみは無限です。 (現代のしまうま)

2018-02-27

わたしは、二連目が 好きでした。とくに、かえでの はっぱと、言葉遊びが、好きでした。 ご自身のレスを拝読して この詩に 欠けているのは、酩酊の告白が ないことだと 思いました。 酔いどれの名詩に、李白の【月下独酌】がありますが、月と自身と自身の影の三者で 酒を飲む詩です。本作品にも 自己と他者の判別が曖昧な去来がみられて 興味深いです。 酔いどれ詩だったんかー。強きと弱きが いりまじるよねー。と、思いました。 詩で、酔拳を やるのも楽しいかもしれないなーと、思わせて いただけました。 (社会)

2018-02-26

わたしが抱いた本作品の印象を 書かせていただきます。 まず この詩には、牛が登場しています。牛の関係する詩と、読みました。人間が家畜に行っていることは、あなどり はずかしめ【凌辱】の逡巡であるという視点も あります。 青酸カリではないカリとは、【カリウム】だと思いました。牛に不可欠な塩に関係するカリだからです。 【減塩しお】は、カリウムで 減塩させています。 作者は、ご自分のハンドルに 爺の字を使っておられますし、老の問題を抱えておられ、減塩を考えておられると 思いました。脊椎の電気も しかりです。 そうすると、冒頭の 水の声が きこえてくるきがしました。老とは、死に繋がるカナシミです。 牛と たのしく 暮らしていても、寂寥も あるのではないかと読みました。 (あだらいっぱい)

2018-02-26

わたしには 他の どの参加者の みなさまとも ちがう作品印象をもっております。明日、本作品の評を書かせていただこうと、おもっておりました。 そして、できれば わたしの作品で 構造評なるものをいただきたいです。 しかし、そもそも 参加者を バカ扱いした 単文レスを つけておられます。 このサイトの発足は、荒れないサイトを 目指して たてられたという 共同認識を 持てるか 持てないかは、大切なのではないでしょうか? (あだらいっぱい)

2018-02-25

さしみさん とても魅力的な詩文だと思いました。私自身も、きよらかなモノに憧れます。きよらかな者に なるには どうしたら良いのか?食べ物かしら?  雪を食べたら、きよらかになれる気が確かにします。宮澤賢治は「永訣の朝」のなかで 病の妹に「あめゆとてきて」と言われて 妹の口に なにやら きよい物を運びます。この「あめゆ」というモノを、さしみさんの おっしゃている「雪」から 連想しました。清いモノを食する人は 清いと、私も感じます。  花を食べたら、きよらかになる気が します。花って、食べることができるように育てれば食べられます。(エディブル フラワーと言います。)わたしも 食べてみたことがあります。すこしは、きよくなるかなーと 思ったんですよ。 瞬間ですが きよい気分がしましたよ。でも、神のような きよらさかとは まるで違います。 わたしは キリスト教徒ではないので、キリスト教的 きよらかさに触れる機会が すくないのですが。 わたしには、クリスチャンの友人がいます。  あるとき、そのクリスチャンの友人が わたしにアドバイスをくれたことがあります。「水 清ければ 魚 棲まず。だよ」というアドバイスでした。私の友達は、人間は 潔癖すぎると、仲間が離れてゆくよというアドバイスを私に くれたのです。 そういえば、相思相愛になりそうな男女が居るとして、その女が「きよい関係でいましょう」と言ったとしたら 相手の男は 不幸を味わいます。 きよらかであることと、幸せは 一緒ではないです。宮澤賢治は「永訣の朝」も 幸福ではないです。 きよいことが しあわせとは 限らないです。わたしに できることは、きよいイメージを持てる しあわせな瞬間を すこしでも たくさん持とうとすることしか、わたしにはできそうも ないなー。と、いうことを漠然と思わせていただきました。 (きよらかなもの)

2018-02-23

まりも様  あたたかい感想を寄せてくださってありがとうございます。 寅さんは すこし意識してました。寅さんの口調は、自由な感じの口調を想定しようとしたら、なんとなく思い出した口調です。 それにしても、ちょっと盛り込みすぎだったかもしれませんね。とくに「詩が無い」は、やりすぎでした。聞き書きというアイディアかあ。その手もあったかもしれません。  頭の良し悪しとは別の価値観。 風貌の良し悪しとも別の肝っ玉の健やかさ。寅さんのような天衣無縫ぶりって、そういえば私は憧れてました。 「俺には、むずかしいことはよく分からないけどね、あんた幸せになってくれりゃいいと思ってるよ。」とかいうような人が傍に(小鉢の中でも なんでも良いから) そんな人に私は居て ほしいのかもしれません。  でも、寅さんは、さくらさん的な人がいないと成立しない人です。なんだか、まりもさんが さくらさんみたいな気がしてきました。 トビウオ坊やの名作ですか?私は しらないんです。こんど 是非 子ども図書館で勉強させていただきます。ご批評 ありがとうございました。 (おもてなし妖怪2018)

2018-02-22

本作品を拝見しました。  どうやら 私は みなさまとは違う読みをしていました。 題名が 人物名ですので カズオ イシグロと詩文についての因果関係を思いました。 イシグロ作品に「わたしを離さないで」という作品があります。 クローン技術が発達した近未来に置いて 臓器移植のための人類が存在するようになったという設定の物語でした。 また、イシグロ作品には ドイツのナチス政権下でナチス側の人々の物語もあると聞いています。 この二つのイシグロ作品のイメージから、この数字の羅列を目にしたとき、 人間をナンバーリングして即物的に管理するイメージを 私の場合は 受け取りました。 コメント欄に イシグロ氏が受賞した年号までの素数であるとの付け加えを拝見したとき、ああ私の読みは  「はずれ」だったのだなと理解しました。 しかし、まさか カズオ イシグロという題名でなくとも 昨年の出来事を示す事柄が題であっても成立する詩文だったとは、私の場合は まるで思わなかったのでございます。  おかげさまで、私には詩を読むときの 癖があるのことを知りました。 つまり、わたしは どうやら題名に重きを置いて読むタイプの読者であることを知りました。 私自身の心に癖があることを 知れたので、わたしにとって本作品は ためになった作品です。ありがとうございます。 (カズオ・イシグロ)

2018-02-21

この作品は、昨年に投稿した作品です。 みなさまに真摯なコメントをいただいておきながら なんの返信もしてなかったことが 心苦しいので お詫びを書かせていただいています。 この作品を投稿したあと、私生活で 怒涛の変化があり、ネットのすべてを切っておりました。 この作品を投稿したときにも すでに 精神状態は ギリギリでした。この詩は自分を奮起したい気持ちをあっての投稿でした。 この詩は もともと ある方に「もしも自作詩に動画をつけるとしたら どんな作品にしたいか」という ご提案をいただいて書いたものです。だから 私にとって 詩が詩という媒体以外の表現に繋がることを体現させていただいた作品でしただけに 恐縮しています。 昨年中に失礼があったことを深くお詫びします。 私は現在に立ち みなさんと一緒に未来のビーレビに参加させていただきたいです。 このビーレビには、詩にとどまらない無限の可能性があると 信じていますので どうぞ これからも よろしくお願いいたします。                                        るるりら拝 (砂の中の海)

2018-02-21

今、わたしの机の上には うずたかく ダイエット本が重ねられていますので、この詩に釘付けになりました。 キャッチィで とても魅力的な詩文です。 そして なにより 文字通り味わい深いです。良い詩なので、さらによくする方法は ないかなあと 思いました。 そういえば、小学校か中学の頃の授業で、詩作する時間があり 詩作のヒントを教わりました。 「同じ単語が詩文にあるときは、ほかの単語が ないかを探してみる」という ヒントでした。 この詩の題名は 詩文と同じ題名があります。もしやほかの題名ならば、もっと魅力的なのではないかと考えてました。 私が、おもいついたのは、こんな題名です。 〇ダイエット〇脳萎縮とダイエット〇「diet」って国会っていう意味なんだってよ。 〇やるせないダイエット〇リストラ〇俺は煮えてきた ざっと こんなふうに ほかの題はないかと考えてみたのですが、結局。 この詩は わたしがなにかを考えるよりも 作者が考えておられる このままが一番 良いと思いました。脱帽でございます。 (鰹節)

2018-02-20

わたし個人は、この「過眠」という作品を どのように とらえたかと言うと、寝すぎていると どこかで認識しながらも、眠りのなかにいる自身と 半分覚醒している状況の せめぎあいを描いておられると 感じました。 【アベンチュリン】という言葉が美しいですね。はじめて しりました。  アベンチュリンで検索すると宝石が出てくるのですが、アベンチュリンのもともとの意味は宝石ではないようですね。アベンチュレッセンスという言葉から派生した言葉で、宝石内部に他の小さな鉱物の結晶がいっぱい入っていて光があたるとキラキラする効果のことを言うらしいですね。 だから グリーンアベンチュリンと呼ばれているモノなんかは、ヒスイのようなものに 砂金のようなキラキラしたものが混在した石を示しているという 検索結果がでてきました。 この詩の息遣いは、冬眠から醒めようとしている小動物のように 繊細だと思います。 わたしが この詩から 受け取った感触を例えるなら、まだ眠っているつもりだった小動物が 木漏れ日のように降り注ぐ光に当惑して 必死に影に隠れるような感触です。 ちいさな生き物のような息遣いを 最初に感じたのは 一行目と 二行目です。 光を消して過ごしました 朝に揺れる光を消して過ごしました 同じ表現の反復に、まどろみを 感じました。 また もちろん 詩文のどこにも小動物なんて居ないのですが なんだか瞳が つぶらな小動物ぽい感じが 個人的にはしたのです。うすぼんやりと 瞳を開いたり、そうかと思うと 急に ぎゅっと瞼を閉じたりしていているような 感じがしました。 現代詩フォーラムには「過覚」という詩を投稿しておられるようですね。 私は、たまたま 「過眠」を拝読した直後に「過覚」を拝読しました。ほぼ同時に二作品を読むと 本作だけで読むのとは、また別の味わいありました。 (過眠)

2018-02-19

コーリャさん あなたは ネットに 救われてきたと、書いておられる。わたしは、コーリャさんのしてこられた ほんの わずかな部分しか 存じません。 でも わたし、コーリャさんの言葉に 救われたことあります。 ありがとうございました。 今日は、新月らしいですよ。真っ白な気持ちになるには最適です。また、あらたな世界で なにかをえられることでしょう。 では、また (さよなら、インターネット)

2018-02-16

fiorina様 なんども読み返してくださっちようですね。ありがとうございます。 この詩を なぜ書きたくなったかというと、二つ理由があります。 一つには、実際に鯨を 実際に食べたこと。 二つ目は、オリンピックの報道が盛んなので、「お」「も」「て」「な」「し」という言葉を思い出したのです。題名に年号がふってありますが、あれは 同じ題名で違う作品を書いたことがあるので 別作品である印として 記入しました。ちなみに前回作品の主人公は、「あんこう」で オリンピック日本開催が決まった年に書きました。 ちなみに、わたしの生まれ故郷は下関という場所です。外洋とも面しています。あそこは、隣国の陸も ときおり見える場所です。土産売り場には、鯨や河豚やウニなどが ありますし、あんこうも あがります。本作品の場合は鯨にしました。つまり わたしは、懐かしい人々と囲んだ「おもてなし(料理)」が、書きたかったのです。 終盤は怖い感じに終わったほうが、 詩が更に大きくなるのではとのご意見ですが、恐ろしすぎる話にしてしまうと、食が すすまなくなると思いましたので、これ以上 話を大きくして 詩を終了させするつもりは、私には ありません。  瀬戸内海に鯨がいるかどうかを お調べになったのですね。そういえば 私も瀬戸内海という内海で、鯨が上がったという報道をテレビで見たことが あります。ならば この詩には ヒロシマが描かれていると とっていただいても 良いのかもしれませんね。ただ、私自身が持っている鯨のイメージは 外洋です。 そして、私自身が この詩で書いた戦火とは なにも原爆だけのことではなくて表現したつもりで ございました。もっと漠然と 戦火を鯨に喋らせてみました。 もしや海って煮えてしまっているのではないかと 思わせるような出来事って、なにも長崎広島ビキニだけではない気がしているのは 残念な事実です。 (おもてなし妖怪2018)

2018-02-16

奇偶 様 をお。それは きがつきませんでした、 今日から夕飯をつくるまえに これを音読してみます。 料理を美味しそうに感じさせる何かがある可能性があるかもしれません。  やってみます。ありがとうございます。 (おもてなし妖怪2018)

2018-02-15

藤一紀 様 嬉しいです。喋ってほしかったのです。悲惨な話ですが、鯨さんに 話をしてもらいました。 斬新だったと 言っていただいて、なんだか恥ずかしくて嬉しいです。ありがとうございます。 (おもてなし妖怪2018)

2018-02-15

R 様 私が生まれた場所が、鯨で有名な場所なものですから、私は鯨が好きなのです。わたしを育ててくれた人たちは、酢味噌で食べるのが好きだったです。 それで、私は おばけを いつも酢味噌で食べてます。 是非一度、食べてみてください。味噌汁って、美味しそう。それは 知らなかったので、ためしてみます。 コメント頂いて、人間に残酷というのは、ほんと同じ人間だけなのかもという ご意見に ふかく うなづきました。 話が 飛びますが、もうすぐ春節ですね。中国の爆買いが すさまじかったころに 中国人観光客のお坊ちゃんの頭が「酷」の字に刈られていたのを見たことがあるんですよ。驚いて調べてみると、日本人の感覚だと 酷は「みにくい」ですが、中国では「クール」という意味みたいです。我が子はクールだという洒落だったみたいです。 なにが言いたいかというと、なにを酷だと判断するかは、人それぞれであるうえに、ひとつひとつの言葉の意味自体も 様々に違っている。人間同士って、 分かるようで 解らないことだらけだなあと思ったことがあるんですよ。 大海で悠遊としている鯨さんたちなら もっと、悠々とした感覚でものを感じているような気がします。 (おもてなし妖怪2018)

2018-02-15

渚鳥 様 まあ 凄い高評価をありがとうございます。(補足)がとても 嬉しかったです なぜなら 惚れられすぎて、本当に 本作品への評価かを すこしだけ 疑っていました。 やっぱり私の作品へ 評価だったんですね。ありがとうございました。 (おもてなし妖怪2018)

2018-02-15

蛾兆ボルカ 様  本作品への大絶賛、ありがとうごさいます。 わたしがオードリーヘップバーンです。なんちゃってね。 あ ちがった。 綾瀬さんが、オードリーヘップバーンでしたね。 蛾兆さんも 相当自由ですね。しかも気持ちの良い自由さです。でも あのカズオ イシグロの書いた【わたしを離さないで】のドラマ化で すら「おっぱいでかい!」という人物設定になっている 綾瀬はるかさんに「※暗くなるまで待って(※オードリーの代表作、蛾兆さんのおすすめ作品は なるほど 良かった)」って言わせないであげてくださいね。 わたしはというと 私自身が経験したことのない長期間、まったく書けなくなっていたので、正直いうと投稿するのも 恐かったのです。だから、あたたかくて いい感じに ゆるいコメントが とても嬉しかったです。おかげさまで平和が一番だと 思えました。ありがとうございます。 (おもてなし妖怪2018)

2018-02-15

はじめまして 衝撃でした。一行目から 目が醒めるような写実です。 おもわず ボールペンと紙を用意して うつしました。全文を うつし書きしました。 うつしたあと なにを感じたかを、書くべきですよね。 残念ながら ことばに できません。わたしのことばのすべてが かすみます。 ただ、わたし自身が ごく最近に 赤ん坊の誕生に立ち会ったことがあったので、 わたしの心もまた祝福のファンファーレ状態だから 余計に この詩の感想を言語化できないのかもしれません。 世の中にある詩という媒体そのものが 私の手から遠ざかってしまったような気持ちのときに拝読しましたので、 この詩を拝読できたことで、ああ やはり詩の時間は 良いものだと思わせていただけました。 ありがとうございます。 (立会人)

2018-02-12

凄いなー。過度なだけの 愛の すごみです。実際の母乳は 片だけだと、痛くもなるもんです。でも 意外と 長期間おっぱいを あげる例ならば、あるようです。 何年かまえに モンゴルで 60歳の母親が 18歳の息子に おっぱいをあげている番組を みました。 ですが、けして おっぱいを 離さないと、いうのは まあ ありえないです。 童話の【金のガチョウ】のようにミラクルです。どんな寓意がこめられているやらと おもってしまいました。 おんな親に とって、最初の息子は かけがえのものなので ありませう。そして、この息子は、もはや おっぱいを ただ 吸っているのではなく、母親や 母親に群がる男たちにも、なぞの エナジを 配布しているのかも しれませぬ。くわばらくわばら おっぱい成人。おそろしくも 楽しませて いただきました。 (種子)

2018-01-26

はじめまして わたくし るるりらの父も 海に関係した人でしたので、なんとも 言えない気持ちに なりました。 なんとも言えぬでは、感想にも なってませんので、オススメの動画を案内させていただきます。 TEDという番組内でスティング(イギリス歌手。父親は造船業)が、【再び曲をつくりはしじめられたわけ】と、題した 番組に 感動したときの 思いと、本作品から いただいた感動が 似ておりました。よかったら、ネットで御覧になってみてください。 また、ほかの作品も 拝読してみたいです。それでは、ご機嫌よう。 (遠くで船が往く)

2018-01-26

こんにちは。 昨日、クリスマスケーキの予約を入れました。ケーキ屋店内は 可笑しくなるくらいのお菓子の良い匂いでした。 お菓子で出来てるような心とは おかしい心であると、ご自身の心を もてあましておられる様子を うかがわせていただきました。ご自分のすることを うわべだけ 綺麗にしていると感じておられる ご様子。 ラの次は何 この答は シかなあ。死でしょうか? みんないずれは死に向かうのですが だからこそ この詩のように 人の顔を美しくみて 自分自身の醜さを 自覚できれば きっと 良いクリスマスを迎えられるだろうなーと、思いました。 追伸です。私の拙詩への丁寧な文章を添えてくださって ありがとうございます。 家庭の事情で 詩に向かう時間がとれなくなっておりまして、たいへん失礼しています。 ですが、おかげさまてせ 詩を友だと思うことだけはできています。ありがとうございます。 (お菓子な心)

2017-12-14

はじめまして。 たしかに 耽美的です。甘い背徳感が むせかえるようです。 食べられなかったバナナのことは いつまでも忘れられないものだと判明しました。 一読者の 私のバナナの記憶も よび覚まされたからです。 おもわず この詩を拝読して、バナナを購入してきました。それも 皮に黒い変色部分がなるべく多いものをセレクトしての購入です。 くやしいです。わたしのバナナは、この詩の想像上のバナナのおいしそうには かわなかった。 くやしいから 針でバナナの皮に文字を書いてやろうとしました。 バナナの皮に傷をいれたら黒く変色して文字が浮き出るはず。せめて 私の言葉で短文詩でも バナナに書いてやりたかった。 なんも うかびませんでした。 くやしいです。わたしの脳は この詩に 勝てません。 腐りそうです。しかし食べごろを過ぎた方がおいしそうなら 人生の熟しかたも おいしそうな熟し方があるのかもしれないので、わたしは腐らないです。 腐らないでいて、永遠の おいしそう、に、 わたしは成りたい! (空想のバナナ)

2017-11-23

おはようございます。 わたしも 父の死に際して 詩を書いたことがあります。 死と対峙すると、その人の 死生観が大きく変ります。とくに肉親の詩は 人生観に大きな影響を与えます。わたしの場合は 臨終に際しての詩と、時間がずいぶん経過したあと、『人は海に還る』というイメージの詩を書きました。大切な方の死と対峙した言葉は、ほかの方も 是非書くべきと 私は考えます。 この詩を拝読して、私自身が臨終の私の父に人工呼吸をして 蘇生させようとしている状況を想像しました。涙がでました。私の脳内で、ごぼこぼという音も再生できました。お父さまと 主人公の関係が 美しいです。畳の上で死ねたこと 親子の距離がとても近いことが 美しいです。 わたしの父が亡くなった時、わたしも泣けませんでした。 わたし自身も まりもさんと同じように どうしてなのかと 考えたことがあります。 涙が流れたならカタルシスが生じたはずですが、泣けませんでした。 この詩を読んで 泣けたのは ありがたいことです。 肉親の死を描くことは 私自身にとって必要なことてしたので、まりもさんにとっても必要なことであったのだろうと思います。レス欄に詩には虚構も含まれていることがあることを書いておられますが、死後の世界への道を ただしく知っている人は いません。お父さまの体の中の水音は、 人が海から来た証拠と言えなくもないです。わたしの場合は 虚構だとは思わずに読みました。 生者には聴覚があり 読者それぞれの脳で音を再生させます。 こどものころに おぼれかけたときの感覚に似た恐怖も 思い出して、気持ち悪さも感じました。  死者には もう 恐怖という感情が きっと無いであろうことを思いながら読むと、 光源が見える思いがします。   (海)

2017-11-23

おはようございます。 正しく モノを見たり 正しく物事を理解できているとは難しいという事実を 論理的には分かっていても 我が事となると、ついうっかり 自分の考えは絶対に正しいという考えに偏り 物事を見誤ることは 確かに よくあることだなあと、詩を拝見しがら思いました。 たとえば 湖畔の水に森林が映し出されていても、水鳥は 映っている雲に惑わされることなく 魚をとらえるのでしようが、人間の場合は 美や醜い事柄や その他のもろもろの雑事に脳が囚われてしまって、 感じるべき風や水や土の移ろいを感受できないことがある。 たとえば、誰かのことが悪人しか見えなくとも、それは誤解で 真実は、違う場合があっても 思い込みにより 悪人のレッテルを貼ってしまうことがあるかもしれない。  「みんな失敗してしまったんだね」という詩文に出会ったとき、わたしの場合は人間がこれまでおかしてしまった大きな歴史的過ちのことを想いました。NHKの特集番組の冒頭のように 人類の失敗と思えることがらの映像が バラバラと頭に浮かんでいました。  除外されたもの苦しみは、いつも時代にもありました。今の時代にもあります。そして すこしずつでも 人々の苦しみを考え続けようと呼びかける詩人がいる。黒髪さんの真摯な詩へのこれまでの取り組みと この詩は、わたしを 勇気づけてくれました。 苦しみをすこしでも思い遣る。これこそ詩の大きな意義の ひとつだと 私は思います。 あと、いままで知らなかったことがあるんですよ。恥ずかしいのですが、告白します。 「直截」という文字を 私は知りませんでした。 直接と直截の違いは、水鳥の視線の場合は、『直接』 ものを観る目であり、 人のエモーショナルな心の働きは、『直截』であるような気がします。心を鎮めたいときに この二つの熟語を思い出して手かがりにしようと思います。ありがとうございました。 これからも 黒髪さんの詩が拝読できることを 心から望んでいます。 (良く考える)

2017-11-13

スマホで操作ミスをしてしまい「あり」などという謎のコメントを表記させました。すみません この詩の試みによって 私の目が感受したものは、 アラビア書道を アラビア語圏ではない地域の建物に描いているアーティスト エル・シード(eL Seed)の芸術に通じるものも 私個人は、感じました。 みなさまあての コメントを拝見し、kaz.さんのおっしゃるコミュニケーションの過剰とでも形容すべき、ある種の飽和状態という見解姿勢にも 目が醒める思いがしました。 わたしの初読の感動を 作者にお届けしたかったのですが、難しかったようですね。しかし、心が動いたのは わたし個人の心の自由です。 再三にわたり 失礼いたしました。 以上です。 (かもめ)

2017-11-11

あり (かもめ)

2017-11-11

それは、失礼いたしました。 (かもめ)

2017-11-11

すみませんが、みなさまあてに 返信を書いて おられるならば、るるりら以外はという 明記を お願いいたします。 (かもめ)

2017-11-11

こんにちは わたしは、今日 この詩に まつわる すこし不思議な体験をいたしました。 私は、この詩を ちいさま山の中にある広島市現代美術館で開催されている 藤森照信という方の{自然を生かした建築と路上観察}なるものを観た直後に読みました。 如何に自然物を建築と融合するかが 藤森照信の取り組みのようでした。 それがですね。そこで、わたしは この詩と そっくりなモノを 見たのです。 美術館内の壁のかなりの面積の白い壁に無数の 炭が埋め込まれていて、その様子が この詩に そっくりだったのです。白い壁面に なにやら無数の すがすがしい黒いものが点在していました。それは 壁一面に炭を点在させるという藤森照信の試みの 一つでした。 静かな館内を出ると いままで感じたことのない感じの 鳥の生き生きとした声を聴きました。 たぶん 私の耳が しずかな場所にいたせいで研ぎ澄まされていたのだとは思いますが。 そして、この詩を 呼んだのです。 おもわず、この詩の可視化と 可聴化が 同時に おこったのかと、思いました。(カモメはいませんでしたが) 当然のことながら、私は 想像したのです。このモールス信号詩が美術館の広い壁面いっぱいにに 表現されている様子を想像しました。すると、とても至福でございました。貴重な体験をありがとうございます。 (かもめ)

2017-11-10

雷に打たれたような心地になりました。 まっすぐに、光が落ちてきたという意味です。 まず一読した時に、脳裏に絵が浮かびました。ブロッケン現象のような絵です。ふつうの人の人影に虹色の光の環ができる自然現象のような絵が 浮かびました。 その次のすぐ後の瞬間には、ブロッケン現象みたいな特別な現象ではない 日常の中にある奇跡のような夕陽がこの詩に違いないことは ちゃんと理解できていました。 私は嬉しかったのです。 世の中は複雑なことが多すぎです。こころが知らず知らず澱みがちです。 私は、まっすぐな言葉を 欲していた。私には、この詩が必要でした。 レスを拝見して さらに 腑に落ちました。 人は相対的な生き物ですが、 夕陽は絶対的な生き物みたいです 夕陽とは、生き物であったのか! 相対し合う悲しい様々な事柄に 私は疲れていたんだ!けれど、 絶対的な生き物が、 日々の生活のなかに生きていたんだ! と、私は震えたので ございます。 (夕陽)

2017-11-09

わお。 こんにちは。 わたしのこの詩を、息づきなしで 全文を読もうとしました。 できたら ほかの方も 音読を おためしあれ。脳内や肺のあたりに血液がめぐり 血管がキレソウな感覚になります。そして終盤を迎えたころなると、なにやら 拍手が聞こえてくる……はず。すげーです。ほんとにサーカスだと思いました。いきをもつかせぬ勢いでした。 (曇天サーカス)

2017-11-09

エルク様 祖父を描こうとしていたので 基本は童心になっていると思われます。 幼い「私」の心象風景とも言えます。 いただいた評のなかで、わたしがもっとも ありがたかったのは、カテナリーに注目していただけた点です。 ガウディ建築について調べておりましたら、カテナリーという語に出会いました。 わたしにとって カテナリーという語は、既読感のある言葉でした。カテナリーは、わたしが小学校の低学年くらいの年齢の頃に、祖父の口から 聞いたことのある言葉でした。祖父は下関に住んでおり 関門海峡の橋を見ながら、孫の私に橋の構造について 話をしてくれたのですが、当時の私には さっぱり意味は わかりませんでした。  しかし、関門海峡は こどもにとって 大きく 海に隔てられた大地を結ぶ 巨大な建造物であり、なにか人間の大きな力のことを カテナリーという言葉に感じたような気がします。 エルク様に、「カテナリー(ここでは縁、のような使い方だろうか)」と言っていただいています。 そのとおりです。架け橋の構造を示す語を置くことで、繋がりとか縁というものを感じていただけたのなら 嬉しいです。 また『「私」が成長する上で必要だったもの、糧を得て大人へと成長する過程にも読めた。』と言っていただいてますが、糧という解釈は 楽しいですね。 橋の基本構造と糧という語の音が似ているだなんて、とても 楽しい発見をしていただきました。「ポエジィ」は、つまり「人」が成長する上で必要なものですから、人の糧であると思います。 レスを拝見して、心に栄養を得ました。ありがとうございます。 (がうでぃでぃ)

2017-11-07

●二個優 様 「なんて 詩 なんだ これは !」という感想に感嘆符です。 うれしすぎです。 ゆれるるるるて、なんじゃそれ。って、私も 思います。わけわからん詩ぃ…です。でも すこしだけ ゆれるるるる気持ちになるという ちょうどいい分かる部分の塩梅が たまらないです。 つまり、ほとんど 不明ですよね。 うわあ、楽しいです。 それにしても、 もし、たまたま買った詩集にですね。この一篇があれば。 この詩を目当てに嵩張る詩集を鞄に入れて持ち運び、電車やバスの揺れるる中で読むとまで言っていただいて 嬉しくない訳がないです。  「公開していただいてありがとうございます。」とまで 言っていただいて、どうしましょ。 おもわず、興奮してしまいます。ありがとうございました。 (がうでぃでぃ)

2017-11-07

●なかたつ様 冒頭に 目をとめてくださったようで 嬉しいです。自身では、旅行会社のCMのようだと思いましたが、つまりは どなたかの目に止まりたかったのです。 「じぶん以外のひととおなじ ゆめをみる」のは、違う人を知る多様性と出会うと、それと同時に 共感力が発生する。人の心は違うからこそ 同じだというマジカルなことか ふつうに 起こると。思うのです。 自分ではない自分は、「わたし」の体に変化をも たららす。それって、まるで 恋の話みたいですね。とても エモーショナルな変化のイメージを、なかたつ様の文章に感じます。  「がうでぃでぃ」という造語は、がうでぃの形容詞化だったのかは 自分でもよくわかりません。 読者の胸のうちに 響き方が 形容詞だという方がいらっしゃることが 嬉しいです。 造語ですから、自由に作った言葉です。自由にとらえていただけると嬉しい。 発声していただけていると思うと、とても 光栄です。ありがとうございました。 (がうでぃでぃ)

2017-11-07

●こうだたけみ様 こうだたけみ様 実は、私も この詩の祖父とは 同居は していないんですよ。盆と正月に あっていた祖父のことを書いてみました。 ただ、赤ん坊の頃に 祖父と同じ街に住んでいたのです。 けれど、盆と正月には かならず合っていました。 たまにしかあわなかったので、キラキラとしたほほえましい出来事しか 思い出せないです。こどものような気持ちで書いたので、ぽえじぃは、東急ハンズにもあると 素直に書いてみました。 〈詩的な言葉〉というものが、どういうものなのかは 勉強中なのですが、勉強しなければ 身につかないようにことだけが ポエジーではないですよね。でないと 息が詰まりますもの。 メカが壊れてしまってたんですよ。ああ時間がたってしまいました。どうぞ私の返信が こうださんの目にとまりますように。 (がうでぃでぃ)

2017-11-07

●まりも様 東急ハンズの身近さ、うまれくる森のファンタジーや音の面白さの 弾け具合に着目していただいてうれしいです。どこに行くんだ?と 思わせておいて やっぱり結局、「はじけて」いる。言われてみれば その通りだと思いました。 〈「もう一回いうと がうでぃなんだよ」~ 風呂場に 魚や蟹の形のタイルを入れての部分ですが、祖父の口癖は、 初めてする話であっても 冒頭に「もう一回言うと」と始めるという癖がありました。職業のせいだと家族は説明してました。正確さが大切な仕事であったためだと。 まりもさんに近しいお爺様に、孫を「ピカソ」という方がおられるのですか? わたしも ピカソだとも言ってくれた祖父がいます。きっと、地球上には 大勢のピカソが 本当は居るのではないでしょうか?きっと それが真実です。(笑) がうでぃでぃ、という語は造語なのですが、楽しい音の中から響いてくると言ってくださって、 なんだか秘密のオルゴールをいただいた気がします。ありがとうございました。 (がうでぃでぃ)

2017-11-07

みなさま 深く この詩に こころを 寄せていただき ありがとうございます。パソコンが 破損しており 現在は スマホで 書き込みを 行ってあおます。 わたしは、普段でも 誤字脱字が 多い性分なので、今は 各人各様に御返事を 書けません。しかし、感謝をしています。明日から 次月ですので、おつたえさせていただいています。 ありがとうございます。 (がうでぃでぃ)

2017-10-31

よくない想像より、今現在までの ことばになってない積み重ねを、感じさせて いただきました。 尊い思いが、にじみでています。 (柔い種)

2017-10-07

また、【言葉の溶接面】という発想から、わたしと同郷の方のような気がします。 わたしは海辺の造船業と鯨文化の発達した場所で 生まれました。 言葉の溶接面という言葉が好きです。鉄は あついうちでないと 溶接できないし、 この詩も 作者の情熱のようなものがあるうちに 書かれた詩であると感じたからです。 (潮音)

2017-10-07

おはようございます。 金子みすずの郷里には、鯨を供養する墓や行事がのこっていることを思い出しました。 わたしたち日本人は、というか クジラで有名な場所で生まれた私は、鯨を食べてきました。 わたしは 実は くじらのお肉が好きです。 しかし、こんな私でも くじらのなみだに 思いを馳せる人を、わたしは うつくしいと思います。 他国のほかの食文化の方は「くじらにも知恵があるのに なぜ食うのだ?」お怒りのケースもあるのですが、食べるときにも 人には 心がある。浜で うちあげられた くじらを思う人の情感を思うことができる。 くじらのなみだを思う うつくしい人が ほかにもきっと大勢いらっしゃる気がして、うれしくなりました。  思い遣る能力 心の うつくしさを 感じました。    (潮音)

2017-10-07

森田拓也さん  温かい感想をいただけて嬉しいです。ありがとうございます。 この詩は、過去に書いたものを改編した詩です。もともとの詩の題名は「るるりらん」でした。 多くの人々に読んでいただくつもりは 正直、あまりなかったので ハンドルと似た名前にしていました。  しかし、現在の私は人生の分岐点にいるのを感じていまして、祖父を思うことが必然に思えます。 創造性を奮起する底ぢからみたいなものを もっていた祖父を今の私が思えるだけで 誇りを感じます。 せっかくなので どなたかに批評していただいて、この作品を わたしにとって より大切な一遍にしたくて、投稿させていただきました。 温かい感想をいただいて わたしのほんのすこしだった やさしさが、倍増した気がします。ありがとうございました。 (がうでぃでぃ)

2017-10-06

おはようございます。高度な詩座で書いておられなあとは 思いましたが、わたしは どうも詩人の視座ではない 生活レベルで読んでしまいます。とりあえず なにをこの詩から感じ取ったのかを 書いてみます。 一連目では、湯呑が壊れる。 二連目では、壊れたときに 話手の脳のなかで パッションのようなものがおき、脳が刺激を受けることで広がった空虚。陶器の破片で怪我をした話者が 壊れた陶器を前に 再生を願う。というのがこの詩ということで よかったでしょうか? 最初は ちいさかった ひびが 次第にひびに色が加わって 味のある風合いの湯呑になっていたものが 壊れてしまったという喪失を自身にあてて書いておられる。 【焼成】という題名は、ヘルプミィなご自身の心境をしめしていて、どなたかほかのだれかの手で  新しい器となるようにしてくださいよお。という 願いがこの詩だと 読みました。 しかし、【焼成】という題名と、【ひび割れ】の 二つから 私が勝手に連想したのは、日本独自の陶器の修理方法である【金継ぎ】を連想してしました。陶器は、破損しても その ひびわれを活かして新たな陶器にする方法がありますよ。と お伝えしたくなりました。 既に焼かれて完成されたものが壊れると、もう ねんどではないので 捏ね上げるのは無理だということは分かっておられて でも再生できたら良いなあという思いを書いておられて、そここそが鑑賞のポイントだとは 理解できているつもりなのですが。 でも、陶器って以外と 大丈夫だよ。もっと素敵になる技術があるよ。などと 思ってしまいました。 このように読む私は詩人ではないのかもしれません。なにかしらの学びがあるので まりもさんの詩は いつも楽しみです。読ませていただきありがとうございます。 (焼成)

2017-10-06

おはようございます。 週末は、こちちらは快晴の空でした。 空気の綺麗な山の谷間で友人と 木の実を拾ったりしました。 辛いことも話をしたのですが、快晴の空を見ると 晴れ渡る心地でした。 友人は詩を書く人ではないのですが、 「トミカタウンのような空だとは おもわない?」と言いました。 ほんとうに 澄み渡っている日の空は、だれかが 作ったかのように感じられるものだなあと つくづく思いました。 だれかって 人間にできることではありませんから、神様かもしれません。 この世が終わったことはないにも関わらす、  それでも人は 世界の終末を 確かに、しっている気がします。それは懐かしい宇宙と接する瞬間かもしれません。 ひとりひとりの人の人生の終わり方は、さまざまです。平穏な終わり方をするとは限らない。 けれど、だれもに通じる空を見ることができることが ほんとうの幸せなのかもしれないなー。と、思いました。 (ある終末の一ページ)

2017-10-05

すてきです。明日は、十五夜ですね。 今日、読めてよかったです。 (行軍の名月)

2017-10-03

●こうだたけみさま こんにちは。こちらでははじめまして。某即興投稿板も ふたたび参加させていただこうとしているところです。ひかえた感じといえば そうですね。過剰なの書けるときのほうが わたしは のっている時なので、こうだたけみさんが ちょっぴり羨ましいです。 ●まりも さま 【アカツメクサ】を書かなかったら 詩をやめていたかもしれないです。 私は 血塗られた感じのことを想起することは あまりない書き手なのですが、 めずらしく こんなのを書いてみました。 【ヘクソカズラ】 たしかに・・あんな可愛い花なんです。白い小花なんですが、中心は ほんのりピンク。でも 、雑草ですから栄養のない場所に咲くと かわいい花とも感じられないこともあります。 すごく繁殖しのす。 シクラメンを「豚の饅頭」とも呼ぶみたいですね。花屋でパートしたことがあるのですが、本にのっていた通りを 偉そうに紹介したら、お客様が オランダで購入した立派な球根をもってこられました。豚がよろこんで食べそうな 大きくて無骨な格好をした球根でしたよ。 篝火草、というイメージは おもむきがありますよね。女性詩友と ちょっと句をひねりあったことがあります。 【ドクダミ草】 〈毒と言う名 どくというな 〉ここが面白い。毒と言うな!という禁止にも読めますね。薬にもなるからこその、毒。葉はハート、花は十字型のドクダミ。 植物のようにやさしくなりたいです。けれど、 結局はですね。 人は人でしか 癒されないっです。(手は腰っ!) (三大へんな植物名の花(三篇からなるオムニバス))

2017-10-03

★fiorinaさん わたしの題名を変える意見を受け取ってくださって ありがとうございました。 世界と一人の人が、どちらが重いという問題を わたしは  お話したのではないです。 世界は一人の人なんて、時折 虫けらのように葬ります。それが事実です。まさに地獄は この世にこそあるといっても過言ではないです。地獄に墜ちた人々はカオスの中を右往左往しながら 思考すればするほど、アリ地獄のアリが地獄の奥にさらに堕ちてゆくような状況に 顔や心を ゆがませます。 そんな様々な人の様々な艱難のときにも 「そげんあたまをつこうたらいかん」という魔法の言葉がすくいになるかもしれません。 この詩をお読みになる方々が、「へぇ るるりらって人あてなんだあ。」などと 思われるのは極力 遠慮をしたいです。人々が この詩を、単にfiorinaさんの詩として お読みになることを 祈っています。「るるりらってどんな人なの?」とかいうことは、やっぱり不特定多数の読者にとっては 不要ですよ。わたしは、そう思うなあ。    そうは言っても ほんとうの本当は、この詩が私あてであることは 理解しています。私は 実際になんどもなんどもこの詩に対する思考を反芻しているし、この思考は わたしを成長させてくれるに違いありません。わたしのことを 心にとめてくださったこと自体にも深謝いたします。ありがとうございました。 ★花緒 さん 対応ありがとうございます。三者が期せずしてタイムリーに同席していたのは奇跡な思えます。このサイトには 詩の神様が確実にいらっしゃる証のようにも思えています。ビーレビのさらなる発展を こころからいのっています。さっそくの対応を ありがとうございました。 (広島)

2017-09-27

老だけではないです。震災も広島も老の問題も、それからナチスも。この作品には 混在しています。 どの問題をとっても 本来なら軽く扱える問題ではないです。 それなのに るるりらという個人あてなのは、辛いです。 (広島)

2017-09-27

つづきです。 あの映画は老を----描いた作品であり、2010頃には笑顔で受け止めれた映画内容が 今の私には 昔よりも より気の重い事柄を含んだ内容と感じられます。 2010頃にはじめてうけとったときは、ただただ ありがたかったのです。しかし 今は老の問題は もののついでに お話する気になれない心になる問題へと変化しております。 賞は素晴らしいことです。ですが、 わたしあてだと思うと 私には重いです。 できることならば、わたしあてでないという作品題名に変更して 賞の欄に掲載していただきたいです。 (広島)

2017-09-27

わたしは 2010頃に つまり東北の震災の関係のない作品を 現代詩フォーラムで初めて読ませていただいています。あのとき とても嬉しかったことを覚えています。 ですが、「 るるりらさんへの返詩」という題名で多くの方が御覧になるのは、わたしには 重いです。 森繁のあの映画は老を (広島)

2017-09-27

そうでしたか。おめでとうございます。 (広島)

2017-09-27

この作品は、大賞だということでしょうか? (広島)

2017-09-26

この作品を コピーして 包装紙を制作し、 その包装紙で包んだプレゼントを彼女に渡しほしいなと思いました。 ちなみに 私は あっつあつの詩を恋人に書いて 相手にどんびきされたとあります。口で態度でも 相手は どんびきだったけど、 ほんとうのほんとうは まんざらでもなかった様子でした。 ぜひ試してみてほしいです。 (一生愛したい)

2017-09-26

失礼しました。 旧ガス式の湯沸し器で風呂をたてる と、ありました。旧式の湯沸しの時代では 現代は無いという意味だったんですね。あたしは アホでした。お邪魔しました。ああ なんて はずかしい。きがむいたら るるりらのことを、ながい目でみてやってくださいませ。 (小さな実験)

2017-09-26

おはようございます。 お風呂の中で水温変化による流れを肌で感じつつ 海の対流に思いを馳せることのできる気持ちの良い作品だと思いました。 ただ 二か所ほど残念に思った点があります。 一つは、「そんな生活も現代ではなかなかないことだろう」と一行は、要らないような気がいたしました。 ≫そんな生活も現代ではなかなかないことだろう そんな生活とは どんな生活のことかを、だれもが同じ明確なイメージを持つとは限らないと思いました。 「そんな〇〇」とかいう言葉や「それ」「これ」というような指示語って、文章を書くときには 注意の必要な語だと思います。とくに短文の詩文では できるだけ指示語を使わないほうが 読者はスムーズに詩文を読むことができるのではないでしょうか?しかもこの一行には【現代】という大きな くくりがあるのですが、現代と言われて何をイメージするかは 人それぞれですので 共通の認識が さらに持てないです。 指示語の代わりに、たとえば、五右衛門風呂という語でもあれば、 この詩文で表現されていることは すこし前の文化であることが解ります。ですが、風呂で対流を感じるのって よくある現代のユニットバスで可能です。 この詩は現代の生活で体現が可能ですよね。すると、この詩のどこが 現代ではなかなかない体験なのかが 私には わかりませんでした。  たぶん、この詩における「そんな生活」とは、 「下へ下へ滑り込んでゆく混じりけのない水とが/干渉することなく浴槽の中に同居していることを」感じられるような生活とも読めます。だったら、それは現代という大きなくくりの必要はないと思うのです。、  話者の心境から 風呂内で対流を感じる心境には ひさしくなかっただけのことだと 思うのです。  指示語と現代という語の示す意味は 人によって違うという理由から「そんな生活も現代ではなかなかないことだろう」と一行は不要だと、私個人は思いました。  もう一つ、残念に思った点は、題名です。 【実験】とは、事柄の当否などを確かめるために、実際にやってみることですが、この詩は別段、事柄の当否を問題にしている様子がないです。  私はこの詩を拝読して、海の対流の中に身を置いているかのような 心地になりました。海って好きです。 題名からも海が感じられたら もっと素敵だったのになあと思いました。 以上の二点が気になったのですが、 全体的には 気持の良い好きな作品でした。 (小さな実験)

2017-09-26

誤字ありました。 ✖ 雷のあとに 音が大地をゆさぶめるように。 〇 雷のあとに 音が大地をゆさぶるように。 失礼しました。 (戸惑い)

2017-09-19

おはようございます。 最初の一行目が わたしには とても こころを揺さぶりました。 そのあとの詩文が そこそこ長文なのに 読み進めている間も 一行目の良い意味でのショックが持続した状態で、拝読いたしました。 感情は少し遅れてやってきます。 ショックなできことのあと 感情が失ったかのような孤独な感覚になることがあります。 思考をせずにはいられないのが人間という生き物なのに 考えられないという時があります。 そんな人に この詩は そっと寄り添い。大丈夫だよ。と、いってくれてくれています。 感情は少し遅れてやってきます。 雷のあとに 音が大地をゆさぶめるように。心がパルスを放つのは すこし後のことです。 青空がにわかに かきくもるように、ゆったりとした空も突然変調することがあり、 感情をなくしたかのように私が思うのも そんなときなのかもしれません。 少しずつ自分が解明されていくのを待つのは なんと こころもとないことでしょうか。 こころが見えないのですから こころもとないのは しょうがないこと。 それでも葛藤のあるこの詩を ゆびでなぞると、呪いの歌を歌わない自由が  わたしにも あるのだと思えました。 (戸惑い)

2017-09-19

すばらしい!正直いうと この作品に対して 私には既読感があります。レスを拝見すると 過去に書かれたものとあるので、ああ デジャブぅではなかったのだな。と、思うとともに 再読できて感激です。 一行一行 目に浮かぶようです。実際には牛を見ていないというのに 牛を感じます。 人間に生まれてきたから この詩が読めたんだなと 思います。 なぜ すきなんだろうか?比喩が 無いからが その理由のひとつかもしれません。 不必要な比喩が まったくない。たぶん そのせいで、直に見た感じが 凄くしています。 世界を見ることすら 比喩ではないと感じました。 だいたい人は、動物を もっと見るべきなのです。 そう思いました。 ただ、ひとつだけ はて?と思った箇所があります。最後の行なのですが、センターに文字列があってほしかった。一番の主張どころだと 思うのです。センターが良いと 個人的には思います。  (同じ日に)

2017-09-16

なにはなくとも胸を張る勢い、人と人の比較なんかでは汚れないモチベーションを わたしも体得したいものだなと 思いました。 【0の下にある/勢いのよい二本の線 】に、該当するような へこむような現実は 大人になってもいくらでも あるのですが、 【お見事/と/言われた気】がした時点で、勝利です。 いきいきとした白紙に 敵は無いです。 正直、一読者の私の今日の気分は、0点だったのですが、 なんだか ま いっか。と、おもわせていただれました。ありがとう。 (白紙)

2017-09-15

こんにちは まずは、読者が とても親近感を持ちやすい 詩の描き方をしておられて、勉強になりました。 話者が絵を描いているという立ち位置の静けさが、一読者として 詩に寄り添い易く、この詩の冒頭は とても気持ちが良いと感じました。そのせいか、あたかも 鳥が 読み手であるはずの私のテリトリーに 落ちてきたような気までしました。 人々は よく鳥を自由の象徴のように表現しますが、この鳥の 悲しみは 心の深いところに落下してくる感じがします。 鳥が 舞い降りてきたのではなく、落下してくる。いわれてみれば悲鳴の寄る辺なさとは、まさしく落下のような気もします。 あらがうことのできない悲しみの残響。生きる力のある鳥なら 舞い上がろうとしたりする選択もあるでしょうに この鳥は落下してくる。 悲しみを 共有する芸術は、詩以外にあるのだろうか。それは、無い。 そのようなことを 思いました。 悲しい日には、この詩を くりかえし読み返してみたいと感じました。 (リトル・ムーヴメント)

2017-09-12

ささやかなことがらから 異国の歴史に出会う。 ちょっと 素敵な発見ですね。 わがやには 日本の古銭があります。価値は低いものばかり。 でも なにか喋ってくれるかもしれません。 詩を発見する心は かたすみにも あるのだなあと おもわせていただけました。 (1セント銅貨が居りまして)

2017-09-07

湯煙 さんへ 恋愛感情というものがいかなるものか 判然としない時期を詩にしてみました。 残酷な世界であり矛盾や不条理といった世界を美と呼ぶ人は いるようです。 そういえば、特撮物のヒーロー物語は 廃墟で撮影されていたりします。対比で美しさを表現していることは むしろ普通にありますね。   まりもさんへ いつも深く読解しようと向き合われておられて、頭がさがります。 ああころすふうけい〉にゆるんだのかあ。と、ほんとうに そのとおりだと 私自身がきがついてない部分に きがついていただけました。 ネガティブをポジティブに、嫌い、を好き、に、苦手、を得意、に・・・反転させたいです。 もう ぎりぎりの気持ちで 実は 昔に書いた詩を投稿させていただきました。 未完成の私なので、言葉を探し続けようと 思います。ありがとうございます。 (そらおそろしい)

2017-09-07

うつくしい詩文ですね。レスを拝見していますと、お友達の出産が きっかけだとのこと。 わたしも 身近な人が 出産を控えているのですが、命のはじまりに  こころを寄せることは さまざまな生き物(狸とか 星々の獣道とか)への やさしみに通じるのだなあと、感じました。 詩とは なんであるかに この詩を読むと はっとさせられました。ありがとうございます。 (道へ)

2017-09-07

かたつむりのように ゆっくりと よみふかめたいです。 光のように眠い  すごい表現だと思いました。  光はどちらかというと覚醒を意味するのに 眠いのですから  題名と次行とのかねあいで 死者の視点のように感じました。 軽々しくもルビに塗る  はくげきほう だろうか  ことばにたいする 躊躇となにか アナログな所作を感じました。  いまどき 様々な 表記物は 活字なのに 「塗る」という表現。   過ぎ去っていった記憶  昭和の時代に 話者が存在しているような気がします。  ルビが塗られているのは レタリングという作業を意味しているような  気もするからです。 世界からアンテナを引っ込めて  かたつむりの動作 生きもののゆるやかな速度と  世界の情勢は あまりに ちがうのかもしれません。   アカウントに鍵をかけるときのような    昭和だと勝手に思っていた私は、  昭和なんかじゃあないよん。と 話手に告白されてしまいました。  でも 黙するとき すべては 無になり 自在となるとも 思いました。 その耳元で  おもわず、黙しました。 全体を通しての読後感は、おかげさまで しずかな時間を得ました。 ありがとうございました。 (黙すること)

2017-09-06

おはようございます。 はじめに ことわりますが、なんども読み返しました。私の大切な記憶を喚起させる力がこの詩にはあります。 わたしは、今まさに自身の現在の不安と格闘していた時に、 この詩を拝読しました。わたし自身には 小学校の低学年時に 鉄棒の課題が出され、私の場合は成功体験としてのこっているところがこの詩と違うのですが、ク私はクラスで 最後に さかあがりができたので、たいして違わないです。私の中に いまもなお内在する心が煮える思いが さかあがりというワードに感じます。 煮え心情が蘇ったのは、この詩と 同じように私にも弟がいて 私も 弟に謝ったことなどがあるからです。。また鉄棒にたして、エッチという表現があったので 小学生低学年というより 思春期を思うことで、わたしにとって身近に感じました。 わたしは エッチという言葉がリアルな二十代にもさかあがりにチャレンジしたことがあります。 おさないときに さかあがりができなかった人も 艱難に出会ったとき、さかあがりをしようとするかもしれないです。多くの人が 普通にできる簡単なことができるという 成功体験獲得のために、エッチという言葉が思いつくような精神年齢のときに、さかあがりに かける。 そんなことは きっと あると 思いました。それができたら 世界は変わるに違いないです。 さかあがりによって獲得したい心情が おなじルーティーンの訓練の先には あるのだと思いました。わたしの場合は 弟を亡くしているので あのとき 謝罪できたことすら 宝なのです。ですが、こんな私は 普通ではないなー。とも、思いました。  駄文になりましたこと、謝りたい気分です。うなだれている詩は そうでない詩より 地面が近くて いいなあと 思いました。こんな うなだれぎみの詩がかける方は 共感力の高い方、よりそう気持ちのあるかたような気がしました。  (世界)

2017-09-04

おはようございます。 わたしは、まず この詩の題名が魅力的だと思いました。 宗教画などで黄色がよく使われるのは、黄色は光を連想させたいからだと思います。通常では足跡はへこんでいるのですから、影をともない どちらかというと暗いはずであるのに光を連想させようとしておられる。 根拠は、この詩文全体を見渡しても黄色が随所にありますし、影の中に 様々な箇所に黄色を使っておられて、しかも 仏教的な花である蓮の花まで登場している。 この詩文において黄色は、この詩は 泥の中でこそ咲く蓮のような【光】(交感神経とか副交感神経を刺激する色)を表現しておられると思いました。   ちなみに わたしが読んだ この詩のあらすじは こんなふうです。  猿を殺すという猟奇的な夢を 見続け、猿を実際に殺して 母はその猿を調理して、主人公は猿を喰らう。 猿を食べる文化圏の人も存在してますが、この詩には八月十五日終戦記念日もあるので、日本人が多くいる地域ですね。だったら、猿を喰らうのは猟奇的行為ですね。 猿食いの主人公の彼は、病院で 様々な苦悩をかかえた人と 待合室で、治療の怖さを聞く。 恐怖していることのたとえ話に 猿の比喩が多いですね。 ≫わたしは怖くなったが 誰も帰ろうとしない ≫むしろ 嬉々としている ↑ 泥の中でこそ咲く蓮だと思いました。 ≫壁付の大きな鏡越しに ≫一頭の黄色い猿がすわっていた ≫もう弱々しいが ≫杖を携え ≫神々しいほどの聡明な視線だ ↑ 猿は 食べられてはいなかったんですね。猿の気配である足跡は生き抜くという光を示していると個人的には感じました。 「腑に落ちる」という言葉を思いました。わたしが腑に落ちたと言っているのではないです。腑、つまり 食べる。消化する。ということについて想いました。 漠然とした不安を 具象化してくれる猿が、食べられてくれて 心の病の人々が猿のような声をあげる。けれど、その不安は 消滅するのでした。題名の示唆している とおりに。 わたしも猿のように悲鳴をあげるような困難な事柄に出会うことはありますが、困難から産まれる悲鳴ごと まるごと食べて エネルギーにかえたいです。( ´艸`) (黄色の足跡)

2017-08-24

おはようございます。 「赤い旗」とは、共産圏を連想しました。そして、「右足首の痣 には鬼がつけた手形」とは、政治的思想による制圧による傷だと思いました。 レスに どなたも書いておられないので 書かせていただきました。 そのことについてのわたしの感想は うまくまとまりません。 母は無効 赤い旗 の向こう 「むこう」という音が音叉のように響きあい余韻を感じます。 (手を振る)

2017-08-24

こんにちは 思ったことを想いのままに書かせていただきます。 広くて深い心の持ちようを 感じさせていただけました。 この作品と向き合うと まるで 海そのものと 会話をさせていただいているかのような感覚になりました。私の脳裏には、表層のさざなみを ふりわけている詩の中の人物が スローモーションのように 眼前に現れてきたからです。 実際の海においては、海の流れの速度や温度は 海上近くの表層と海底深くとは違いがあると聞いています。海流なるものが大気にも大きな影響を及ぼしているのと聞いていますが、 この詩を読むと、その大気の中に身を置いておられながら 心は海の中にいらっしゃる。この立ち位置におられることが、すごいです。自然の摂理を 体現ともいえる感受をしておられる気がして、ためいきがでました。  きっと自身の海を知っている話者には、表層の感情だけじゃなく、もっと深くて広い壮大なものに 触れておられるのでしょう。 すがすがしい 開放的な気持ちを頂戴しました。 (流露)

2017-08-23

わたしにとって この作品は、詩作品ではなく詩集でした。一行一行が ひとつの作品であると感じたからです。一行一行が 読者である私のハートという的へ かなりの的中率で当たりました。ときどきは まるで いたずらのように、私のハートには 命中しない(具体的に私のハートに命中しなかった部分とは、アンドロイド……の部分)のですが、そこがまた人間味あふれる詩人と読者の交流のように私には思えて、快感でした。  この詩集には 生死と愛との刹那があります。私自身の記憶の中にもある大切な人との別れが走馬燈のように鮮やかに蘇ることを感じました。  特に、お兄さんのことを表現しておせれる部分に 私の場合は特に惹かれました。それは私自身の弟に対して個人的な喪失感体験を もっているからだと思います。私が持っている痛い気持ち、癒されることのない私の痛みに対して、この詩は なかなかどうしての効き具合だったのです。 この詩集には、せつなる願いがあります。 ≫拳ほどに育った胎児は両親に伝えますクラシックよりあなたの夢をお聴かせください この詩集には、ほんとうに ≫今を託する覚悟で書いた信号 であると思いました。実際に この詩を読み終わった 直後の私が目を閉じたとき、色彩が明滅しました。 この読後感覚は、わたしは少女時代にしかない経験したことのない感覚です。これは、なにか とても心を揺さぶられたときにしか起きない現象です。 しかも、これらの鮮烈なイメージの数々のあとに おとずれる揺らぎは、ゆりかごのように優しい。 ≫地平線からウインクする夕方の光を目蓋の奥で感じたあとに目を開けたら凪 ↑しずかに寄り添う風を 感じさせていただけました。しかも、 ≫銀河鉄道グループの本社は太陽です定額料金でフレンドリーに宇宙を循環いたします ↑広がりのある夢想にも 私を、いざなっても くださいました。 この真夏に、胸が痛いような涼しさを得たこと。この詩集に 出会えたことに感謝します。 ありがとうございました。 (小夜瑠璃物語)

2017-08-21

この詩には題名に、私の ハンドルネームも 記されているのに、あんまりにも単純なレスになってしまったので、気をとりなおして、もう一度 お返事を書かせていただきます。 あらゆる場所のあらゆる風景には、その場所なりの力があると 感じます。 この作品では、心理学でいうところの つり橋効果の表れなのか 橋での楽しそうな様子を表現しておられ、ほほえましいなあと 思いました。ただ、この橋は それだけの橋では無いかもしれません。この橋は、もしかしたら「工兵橋」かもしれません。 もしも あの橋であるとしたら 基町アパートがほど近いです。ご存じだとは思いますが、基町アパートは復興と大きく関係しています。 原爆投下後、なにもなくなった場所での人々は ご自分たちで  それぞれが家を建てておられました。にもかかわらず その方々の家々は、都市計画のために立ち退きが よぎなくされ、基町アパート移動して住まわれること なりました。 つまり 詩の中に登場している橋は、原爆の記憶をもっておられる方が多いアパートの近くにある 橋のような気が 私はしています。 前作で書いておられたドレスデンも廣嶋も 戦争被害にあった場所です。ドレスデンのあるドイツの国民性は 戦争によって破壊された建物もできるだけ 元の姿に再構築するという選択をする国民性だと私は聞いたことがあります。  広島の選択は、ドレスデンは違います。まったく違う街を構築しました。中心に公園を据えて、その周辺には ありとあらゆる文化が集まるような街にしたのです。当然以前の廣嶋とは まったく別の街になりました。  ドレスデンは文化的独自性重視の美ですが、今の広島にも 風景としての美が力があると 私は感じています。人々の幸せのために 街を造ったのは 同じです。  前作の詩についてなのですが、私には すこし疑問点がありました。ドイツ兵が破壊されないと誤解するような力を強調し そのような力はある。という表現をしておせれる。そこに 私は首をかしげたのです。  でも、実際にはドレスデンは破壊されたと書いておられるではないですか?美の力だけでは 崩壊は まぬがれなかったということでは(・・? 風景には破壊を免れる力は無かったのです。  ドレスデンの魅力は、過去の人々の心にあるのではないと思います。現在のドレスデンに繋がる人々にあるのではないでしょうか?戦争で崩壊しても 以前のような姿に再構築したいから再構築したドレスデンの人々の【ドレスデン愛】が 現在のドレスデンの魅力だと 個人的には感じているところです。  ドイツの話は、それはそれとして、広島の場合は 街が白紙になったあと まったくの別物の街を 造りました。なかなかの多様性重視です。だから、広島にも素敵なパン屋もありますよ。 いい匂いをさせています。   さて、あなたのお書きになった詩の中に出てくる つり橋に 話を戻します。さきに いいましたように広島と廣嶋の光景は まるで違う風景です。ですが、この詩にでてくる橋が「工兵橋」だとすると、工兵橋だけは 廣嶋にも存在していた数すくない建造物かもしれません。 私は、この詩の中にでてくるご年配の方のセリフ部分が好きです。私も暗い様々なことに頭を使うことばかりが良いこととは 私にも思えないからです。 ただ、詩中にある橋が  もしも「工兵橋」だとしたら、それは広島と廣嶋の光景を結ぶ大切な橋である気がして、そのことだけは お伝えしてみようと思った次第です。橋の位置が原爆の波動と水平だったために骨格が 壊れなかったのが、工兵橋という橋だと聞いています。工兵橋は 兵隊さんが利用した橋でも ありました。 (広島)

2017-08-19

詩の半分も、理解できてないです。【脱字でした】重ね重ね、すみません。 (広島)

2017-08-09

拝読いたしました。広島でのご家族との 温かい交流や景色が 美しいです。 恍惚の人も、ソフィも わたしは 観てませんので、詩の半分もできていません。 こがいに、頭をつかんようなやつで、もうしわけないです。 (広島)

2017-08-09

推薦図書ありがとうございます。図書はいずれ読みます。 本音もうかがいました。わたしの本音は 現フォの私信にしました。失礼します。 (ダグマ Ⅲ)

2017-08-08

おはようございます。 わたしは この詩を読んでスマホのアプリを思いつきました。 ネット依存の可能性があるとおもわれるネット使用時間を超過すると、この詩が表示されるアプリです。 ネット詩を趣味としている私ですが、正直いうと リア充が損なわれている面がいつもきになってます。この詩は、アプリになるべきです。 この詩を読んだので、今日のところは さようなら。掃除をします。ではまた (今を)

2017-08-07

最後の連の うつくしさが 素晴らしいです。人生は泣き笑いだと思いました。 悲しくて、悲しいということがらが 人を温めているのだなあと、思えました。 冷たく暗い場所から 雪が最初に降りてくる感じは、 先の見えないトンネルの中で 遠くに ひとつぶの光をみたときと似ていると思いました。 自分と違う温度を持っている雪は、他者との出会いに似ているとも思いました。 冷たいと感じ悲しい思いになると同時に 嬉しい。 わたしの場合は むずかしいことは よくわからなくて、人に笑われる人格のままなんですが。 笑われると悲しいけど、でも 触れ合えるなにかがあるのは 嬉しいなあと、自分の心の中を見つめました。 そして、題名の【不在】が なんとも気になります。(なにかしら詠嘆をおびいて うつくしいと感じました) (不在)

2017-08-07

fiorinaさん もう書かないでいようと思ったのですが、やはり もう一度だけ書き込みをします。 どうも 私の最初からの気持ちについて お気づきではない気がするのです。  わたしの意見は、はじめから 違う文化同士が お互いの多様性を認めることが 大切なのではないかという意見でした。 私は今では過去となった廣嶋の町の古地図を持っていることを紹介しました。その意味なのですが、私は fiorinaさんの過去のドレスデンの美しい風景を尊ぶ お気持ちが 分かるという意味なのです。 また軍人の美意識について言わせていただきます。実は私の祖父は将校でした。日本の軍人さんにも美意識ってあります。ドイツの将校さんたちにも美意識があったことでしょう。それは私にも 私にも理解できますよ。同じように、ヒットラーにも美意識はあったことでしょう。彼は風景を愛したが破壊も行った。それは、事実です。 わたしは事実を事実のままに発言しただけです。それを恨みという感情があると考えるのは早計だと思います。 そんなことより、建造物や風土への美意識をもっていても、戦争相手に破壊を行えるのは どうしてか?です。  それは、相手の自分たちとは違う多様性を尊ぶ気持ちが持てない状況だったからです。それを戦争と呼ぶのだと思います。 わたしのもともとの意見は、多様性が大切だという意見だったのです。 だから、服を着てないのかパンを食べないのかとかを尋ねられても困惑しました。 極端な話ですが、わたしが服を着てなくとも 例えば裸族だったとしても、もしくは着物しか着ないで お米しか食べない人だとしても、お互いの多様性さえ認められる状況であるなら 喧噪状態には ならないです。 つまり、わたしが言いたかったのは、多様性に私は あこがれているということなのです。 (ダグマ Ⅲ)

2017-08-04

●運営の皆様へのお願いです。 お手数ですが、もし よろしければ、改訂原稿を書きましたので、差し替えていただけたら、嬉しいです。 【以下は、改訂原稿】 瞼を閉じると  ピラミッドの中に閉じ込められている自分が 見える ときには 女王としてそこに留まって居ると勘違いしている 奴隷として 居場所のない居場所に存在していると 思う いずれにしろ 想像と意志とが しばし休戦しているときに ピラミッドが そびえたつ 決まって他人の価値観に翻弄され あらがう意志の力が微弱なときに 権威の象徴が現れる なすすべもなく ときには地べたに ひれ伏した思いのまま やるせなく 涙にくれ ノートに 自分の瞳を描く 瞳の中にピラミッドを書く ちいさくちいさく黒いペン先ほどの大きさで  ひとりの人の姿を記す それが私 ある日 いつものピラミッドが 想像と意志とを超えた 草の匂いを嗅ぎ 水を飲み 汗を流し へとへとになって 大の字になる 両腕両足を大きく広げ まぶたをとじて  身体に似合う大きさの四角錐を  空間に想像してみた 底辺確保 と、心が しずかに叫んだ時 全身が目となり クリスタルが はじけた もう なにも こわくない (△)

2017-08-03

●湯煙さま リクエストの誤字指摘をしてくださって、ありがとうございました。確かに 誤字脱字です。 お目汚して言葉は、卑下してて嫌な感じでしたかね。わたし個人の感性だと なんとのお はんなりとした表現の一つだとしか 思ってません。そこのところは ちょっとした ただの感性の違いですから、どうか お気になさらないでください。 【お目目汚し】という表現にしても、わたしは嫌いじゃあないです。なんだか なんとなく 愛らしいです。詩の題名にしたいくらいです。 (△)

2017-08-03

●蛾兆ボルカさま 「底辺確保」というフレーズについて、ここまで褒めてくださってとても感謝しています。 悩みというものは あるときは ボジディブに消え去ったかのような気分になりますが、すぐに ネガティブな心情に戻ったりするものですが、【魔法の言葉】とまで 言っていただけたので、私の勇気は 百倍にも二百倍にもなりました。きっと私は、過去のどの時代の自分よりも これから先、より自由に生きてゆくことでしょう。ほんとうに 感謝です。  「PoetryJapan出ればいいのに。勝てばパリに行けるよ。」メモメモぉ。わくわくぅ。調べてみます♪ 太陽エネルギーを浴びる視線で、水平方向を見ることの発見だなんて、そこまで言っていただくと凄すぎです。お天道様も ご機嫌に大笑いしていらっしゃいます。私の実生活の悩みなんて ちいさいことのような気がしてきました。かならず 完全に払拭できそうです。 ほんとうに ありがとうございます。 (△)

2017-08-03

わたしは、わたしなりに この作品が好きだから、レスをさせていただきました。 わたしのほうに誤解を産むような 表現があったからでしたのなら、もうしわけありませんでした。 (ダグマ Ⅲ)

2017-08-02

んように。 送信ボタンに触れてしまいました。失礼いたしました。 (ダグマ Ⅲ)

2017-08-02

再レス失礼します。 わたしも、子どもたちには 喜びの多い美しい環境があってほしいと思いますし、世界中に 美しい場所があると良いと思います。 ただ、私の人格をテストするかのような荒唐無稽な ご質問は やめてください。 「るるりらさんは美味しいパンや芳醇なぶどう酒をヒトラーゆえに遠ざけていますか?」と、いう質問は、荒唐無稽であると思います。 ヒットラーさんがご存命の頃に わたしが彼の眼前にいたら、わたしに なにかをあげるとかいう選択 を私の側にあたえてくれるとは 私には思えません。  もしも、私が美味しいパンや芳醇なぶどう酒をもっていて、彼が それらを欲しいと思ったなら 彼は私から それらを取るだろうし、私も さしあげます。 それから、わたしは ヒットラーが描いた絵を、美しいと思いました。 また、現代の日本に住んでる私が 洋服や靴を履かずに生きているはずは ないではありませんか?わかりきったことを おたずねにならないでいただけませんか? もしも私が当時のユダヤ人であり ヒットラーと対峙したならば 彼は私の洋服や靴だけを残して私の身体を 石鹸にもできます。 それでも、わたしは ヒットラーが描いた絵を、美しいと思いました。うつくしい都市に罪はないことには同意します。 どうか美しい都市が世界中にありますように。そして、破壊されませ (ダグマ Ⅲ)

2017-08-02

おはようございます。 ヒットラーが 描いた絵画をネットで見たことがあることを思い出しました。ヒットラーの絵は、美しい都市を描いた風景画でした。 そして、ナチスの将校達も攻撃されることはないと楽観するほどの 美しさを誇った場所は攻撃された。 私は、広島に育ち 古地図なんかも持っているもっていますが、美は立場によって違うと思います。 例えば、いまの広島は平和をテーマとし、美が世界の防衛となることを夢みた建造物や公園もある場所なのですが、廃墟と化した廣嶋にも 美は あったはずなのです。寺町でしたし人々の大切にしたい美が廣嶋にも あったと思います。 すべての人々が無防備に楽観できる世界であるためには、美の多様性を想像できる人々が多い必要があると思いました。ナチスが醜いと判断し 撲滅しようとした人や物にも、美は あったに違いないのですから。 (ダグマ Ⅲ)

2017-08-01

湯煙さま 拙詩を読んでくださったうえにコメントまで よせていただきありがとうございます。 この作品は、比喩飛躍のない作品です。かろうじて 褒めてくださった「呼吸、リズム、そうした韻律というものを意識した置き方」についてですが、それらは わたし自身は意識して書いたのではありません。偶然にも 湯煙さまにとっては呼吸、リズム、そうした韻律に感じられたにすぎないです。わたしからしたら どこの箇所を褒めてくださっているのかも わかずにいます。 なぜ 私が、この詩のようなものを書いたついて疑問をお持ちのようなので 答えさせていただきます。ずばり、自身が 人間関係の上下関係からくるプレッシャーを どう解決してよいかに 迷いがあったからです。人間関係の圧力を感じ どうしたら良い思案すらもできない状況に陥ったときに、どうも私は いつも決まって、大昔に夢の中にでてきたピラミッドのイメージが脳裏に くっきりと浮かぶことに気がつきました。そして、その屈強なピラミッドのイメージを無力化することを、この詩では こころみています。 夢分析のフロイトやユングなら、こんな私に対しても なにかしらの分析をするのでしようね。ユダヤ陰謀による野口英世の目についてや、yesあたりのプログレアルバムのjacket等は、三角形&目との複合イメージですよね。それらを目にする時の私は、いつも (ああ 大昔に見たピラミッドの夢が なぜ忘れられないのだろう)などと、なんとなくではありますがいつも思ってきました。  今回は、私自身が長年抱えてきた私自身がもっている謎のイメージを 作品化することに向き合ってみたに すぎません。 その結果、お目汚しだったようですね。失礼いたしました。どうぞ今後の私の詩活動を長い目でみてやってくださいませ。 誤字脱字の指摘も ありがとうございました。 このサイトでは削除や訂正は 自身ではできません。 削除や訂正は、運営者の方々の判断です。運営の方がお手数でなければ 是非訂正していただきたいと思っています。  ただ、全体で三か所あるとのことですが、わたしの目には まだ一つしか理解できていません。もしよろしければ、どの箇所が 誤字脱字なのかを 教えてやってくださいませ。 ちなみに、 いまの時点で私が理解できている誤表示は、×やすせなくではなく、〇やるせなく、です。 (△)

2017-08-01

▲竜野欠伸さま コメントをいただいて 逆に 私の詩を古代象形文字にしてみたい衝動にかられました。ネットでみつけたラインスタンプの例をみつけました。たまたま例にあげられている 文字が結構 わたしの表現したかったことを網羅していて、おどろいているところです。 http://kai-you.net/article/13674 ▲仲程さま わたしにとって、今後の詩生活の糧となるご指摘をいただきました。 三連目と最後の三行についてのご指摘は、わたしにとってとても腑に落ちるのです。 まず、三連目は、ごく最近にリアルな私が 土下座なるものを体現したことから書けた行なのです。 現在の土下座が過去の私が トゥゲザしているかのような感じがします。お褒め言葉の言葉で金太郎あめのように 滋味あふれる詩体験となりました。 最後の三行目を私が書いたせいで、なんとなく これから先、詩のようなものが書けなくなる気がしていました。安定しずぎる状態は 死に似ています。もう ダメかもと内心思っておりました。けれど、三行目は無いほうが良いと言ってくださったので、とても自由な気持ちになりました。ありがとうございました。 ▲花緒 さま この詩は、思春期にピラミッドの夢をみたことがあることが きっかけとなっています。当時はテレビなどで スピリチュアル系のことを紹介する人々が、ピラミッドパワーなることを紹介をしていました。かれらは、あの形の中にモノをいれると 腐りにくいなどと 言っていました。  私は当時、実際に 試してみたのです。、紙でピラミッド型のモノと 立方体のモノをつくって中に お花をいれて変化の速度を確かめてみたりしたことがあります。結果は、ピラミッド型の威力は、立証できなかったです。汗。  ただ ピラミッドって太陽信仰なので、立証するまでもなく、おひさまの力なら絶大であることは 間違いはないです。自然にあふれている光を 意識下に ちゃんと落とし込むには、ピラミッド形は優れた造形であるような気がしていますです。 ▲まりも さま 題は、さんかく、と 読むしかないと、わたしも思います。 朗読向きの題名ではないです。 この詩は思春期に見た夢にアイディアを得ているのです。私は、本屋などで プロビデンスの眼やフリーメーソンのマークに触れたときにも、私は なぜ 変な夢が忘れられないのだろうと 漠然と思い続けていまいた。この詩を他のサイトにアップすることでキリスト教系の方がメールをいただいたりしたので、すべてを超越したところから見つめることのできる超越的な神を この詩に感じた方も 読者の中にはいらっしゃるようです。 わたしが昔から、あの夢はなんだったのだろうと 思い続けていた事柄って、――自分を監視する存在、自分を超越したところから見つめる超越的な第三者としての自己―の投影なんだろうなあ。コメントをいただいて、やっと 客観視できた気がします。 〈想像と意志〉が戦いがちだと思います。ダイエットをする意志が このケーキはとてもおいしいという想像と戦ったり、財政が破綻した夕張市の病院のベッド数が減ったことで、市民の健康意識が高まりしているらしい。なにかあったら病院にいけばよいと なんとなく想像していると 健康のための努力が難しかったりするなどといったように、人間の〈想像と意志〉が戦いがちだと思います。 人って、他人の価値観や状況に翻弄されがちなんだと思います。 ・・・それが、ある日、なぜか反転する。 ここなんですけど、この蛹から蝶への変貌みたいなことが もっともっと 別な表現方法があるかもしれません。 変わりたいのに変われないでいる自分を 上手に変貌させつづけてゆくために できることが、もっともっとあるような気が、コメントを拝見して思いました。 それから、×やすせなくではなく、〇やるせなく、です。 誤字癖が どうしてもなおらなくて、やるせないです。丁寧に読み込んでいただいて、誤字指摘もしていただいて、感謝しています。ありがとうございます。 (△)

2017-07-31

こんにちは。 おもしろい 視覚詩ですが、性の文字のあとに 女男の文字の反転があると、妊の文字がより際立つきがしました。 (結婚)

2017-07-29

こんにちは ひとことで、感想を書くとしたら 海江さんて、どんな人なんだろうなあ。と、思いました。 すこし変わったお名前だなあ。女性の名前みたいな名前だけど、海江田という政治家もいるし、彼とあるから 男性なのだろうけど、 詩として お名前を掲示する必要が、作者には なぜか あるんだろうなあ。と、思いました。  どうやら六十歳まで ご職業があったということは 収入もおありだったろうし、温かい人たちの囲まれた最期を迎えられたらしい。と、思いました。 わたしなんかも きのおけない仲間と リラックスした状況で なんとはないに たたずんでいるときには 話かけておいて 別に話の内容はなにもないような状況のときは あるような気がしました。(思春期くらいには そんな関係が私はあったですよ。いまは しがらみおおすぎて、そんな時間がないです。) 結婚願望のある独身のかたなら、多くの方が、「ことしこそは結婚する。」くらいのことは言うだろうし。  ただ もし私が、まったくの他人の六十歳の方に「俺が、文字を読めないのをどう思う?」と言われたら、六十ということは 日本だと 識字率がかなり高いはずだなあと 漠然と思います。なにから ご事情があるんだろうなあ。と私なら、思います。 しかし、お仲間の方々は、【僕らはただ「そんなことは関係ない」と答えるだけ】だということは、 海江さんは、周りの方々を喜ばせ、楽しませ、勇気さえ与えてくれた逸話の数々があるからだと思います。まったくの他人の私は 文盲である ご事情がいまひとつ 分からないなーと。思いました。だから、彼の人生も 私には分からないです。 つまり わたしには、職場のみなさんを彼が喜ばせている数々の逸話の雰囲気が この文章では 足りてないです。海江さんのよさが いまひとつ私には 伝わってこなかったです。 この話がもし実話だとしたら、海江さんを御存じの方々で 彼を偲ぶ場所でこの詩を朗読されたら良いと思いました。それならばきっと共感が得られると思います。 でも わたしの場合は なにも知らないのですから、共感は できませんでした。 どうも ご家族には恵まれていらっしゃらない方がいらした。 その方は家族はいなくとも、お仲間には恵まれておられる方がいらした。 という 感想しか 私の場合は持てませんでした。 ****************** 追記です。 コメント欄を読んで、わたしには さらに よくわからなくなりました。 ご存命中の人が亡くなったと仮定した文章。しかも2017年7月の酷暑厳しい夏に亡くなったという想定の文章は、 わたしの感覚だと 海江さん対して とても失礼だと思います。 (海江さん。)

2017-07-28

こんにちわ。この詩から 何を受け取ったかをお知らせすることしか私にはできそうもありません。 個人的には、この詩で 私にとっての一番のツボは、一連目にある ≫私に書かれている文字は読めなく、 と、いう一行が ツボでした。 私に書かれている文字だということは、この詩の話手の視点は、人ではない可能性がある。 文字の書かれている別のモノの擬人である可能性がある。たとえば、記念碑、墓石、などです。 わたしの実家の墓も この詩にあるような墓地と似た風景の場所にあるので、この詩に絵描かれている場所に対して親近感を持ちました。わたしは私の実家の墓石に手足がある姿を想像してみました。 墓石が靴を履いて、夜な夜な山道を歩くのです・ 人のような姿に変貌している墓石が、彼の周辺にある卒塔婆を背負います。シャイな彼は、人のように腕もありますし 人の価値観では口に運ぶことは無い木製の物体を どうしても 舐めたいという衝動に駆られてしまい 人の気配のない場所に移動し、舐めたいと感じてしまった卒塔婆をを こころゆくまで、舐めるのでございます。 ≫私は卒塔婆を、墓に刺さっていたほうから、 ≫文字の書かれいる先のほうへと、 ≫ゆっくり順々に舐めていく。 ≫黒い蛇たちは私の唾液にぬれてつややく。 ≫卒塔婆に付いた泥が口の中に入っていく。 ≫泥は粘膜を汚していく 卒塔婆とは なにかを ちょっと調べてみました。私自身の家の宗派では 立てないのですが、あれは 骨を入れる五重塔の形を模したデザインだそうです。 卒塔婆のフォルムに凹凸がありますが、あれは 宇宙を形成している五大という考え方が元となっているようです。卒塔婆のフォルムは、下の部分から【地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)】の五つの要素の意味が あるようです。 それを踏まえた上で、詩編を拝読すると、 墓に刺さっていたほうから、 文字の書かれいる先のほうへと、 ゆっくり順々に舐めるとあります。いうことは、地を味わい、そして 水を味わい、この世の火なるものを飲み込み、風を凌駕し、空に至るということとも 言えます。 このような読み方をした私にとって、 この詩は、死者の視点の詩と、私には思えました。 (卒塔婆を背負いて山をゆく)

2017-07-27

蛾兆ボルカ さん 返信が遅れてしまいましたが、興味ぶかいコメントをありがとうございます。 「アガルタのシャンバラ」という表題の詩が気になります。桃源郷的な架空の地の首都がシャンバラなのですね。しらべたらシャングリラとも関係しているみたい。アホなのでシャングリラと言えば、 チャットモンチーさんの『シャングリラ』くらいしかしらなかったです。ご機嫌な曲だと思っていたのですが、はじめて ご機嫌パワーが 半端ないことが解りました。そのアガルタのシャンバラが、なぜか温泉の詩になったのですね。 むむむ 未知の世界が全開ですねぇ。きになるわー。 私の詩のほうは 元となったのは 自身の見た夢です。 まだ高校生くらいのときに 夢にでてきたピラミッドが元となっています。ななぜか現実以上に忘れられない夢の存在は、現実ではなくても実体験に近いような感覚があって、いつかは書いてみたかったので書いてみました。 わたしの詩は、幽閉から 開放される詩たけど、都市からのアプローチで温泉の詩は解放感が軸になっている詩でしょうから 私のとは 全然ちがっていそうですね。それもまたどんなにか魅力的なことでしよう。 わたしも心の旅がしたくなりました。ありがとうございます。 (△)

2017-07-27

おはようございます。 このうえもなく 澄んだ水を こころや体に しみわたらせたかのような読後感覚でした。 渢(ふう)、と 渢(みなも)、というように 同じ語にふたつのルビをふっておられるのは この【渢】が この詩を つらぬいていることを感じさせる表現だなあと思います。 青という色は、精神と心が融合するかのような色だと わたしは なんかの拍子で思うようになっている読者なのですが、この詩文の青にも 精神と心が触れ合うって生まれる しずかな ふるえを感じました。 風のようで 風であってはいけない とか ない、という場所があってほしいとかの箇所には 禅問答のような印象を持ちました。ないことであることの自由。ありながら空に身を置くというようなことを想わせていただきました。 (水のおぼえ)

2017-07-26

こんにちは。 わたしは誤謬なしに東西が理解できなかったことのある読者です。 私が初めて東西を学校で理解するより前に、天才バカボンの名曲が流行しておりました。 「西から登ったおひさまが 東に しずむ……これでいいのだこれでいいのだ……」という歌詞でした。 わたしが学校に行くときなどは、朝に太陽があるほうがバカボンの曲の反対だから 東というふうに理解してました。わたしの人生は、誤謬石が 飛びまくっております。 かたやお蚕様のお暮しぶりときたら、とても決まりきったお暮しをしておられます。 まず羽のある蛾なのに 飛べないし、自分では桑の葉をあつめるほど移動することなんてできないので、決まったルーティーンで成長するのを人間が世話しないとならず。詩文のマスコットキャラクターというのは いいあてておられるなあと思いました。だれかの世話なしには存在できないという 不便な体をもっているのが お蚕さまです。 湯でカリカリするというのは、作者がカリカリしているような取り方もできるなあと思ったのですが、 絹の製造過程のひとつに、繭を湯の中にいれて糸をとる作業のような おきまりの作業のことを示しているような気が 私はしてます。  ≫カラーの手紙が届いた ≫家訓がびっしり書かれて居る ≫自由に私は想起する ≫ラージボールが飛んで来ても ≫小指が階段の壁で突き指しても ≫自由な法律は無くならない ≫テントを増設して ≫誤謬石に備える わたしは ↑この部分が好きです。さっぱりわかりません。だからこそ好きです。 わけのわからないところにあるイタリアから、わけのわからない無理難題(誤謬のラージボール)が飛んできても リタイヤしないぞ。という意味かもしれません。 ただ わたくし るるりらも たいがい誤謬のかたまりだということもあって、詩文の意味とは全然違うことも 想いました。 MITメディアラボが行った、生きたカイコを使ったデジタルファブリケーションの話を思い出してしまいました。カイコの繭生成パターンを解析し、人が作った基本骨格の上に膜を作らせて巨大ドームを作っている人々の映像をテレビでみたことがあるのです。 なかなかのラージボールですので、検索でみつけたものを ご紹介したくなりました。 人間も蚕もすごいです。 https://www.designboom.com/technology/the-silk-pavilion-by-mit-media-labs/ (カイコ~東にあるイタリア~)

2017-07-25

恐ろしい幽霊とも右手で握手するのは できないです。 幽霊というものは 妄想の別名だと思うからです。 握手しようという本気をだしたとたんに、幽霊であるなら 当然 消えてしまう。 だから、わたしは  本気で自分を変えたいと 思いました。悩みはたいがいは幽霊のようなものだと思いました。 (必要)

2017-07-24

率直をむねとしたいと考えていますので、うっかりすると まぬけな感想になってしまうかもしれませんが、どうぞ ご容赦ください。 ≫扉をあけると ≫空が立っている すばらしい詩句です。 一読しただけで 胸がすく思いがいたしました。みなさんが すでにおっしゃっておられても 私も 言わせていただきたいほどに、素晴らしいです。 ただ、お恥ずかしながら わたし自身の読解力に問題があるのかもしれません。 そのほかの詩文には、私の心は あまり近寄れないという印象を持ちました。 老婆に 凛としたものを感じました。 母なる老婆とあるので ひとりの人というよりも 母神と言い換えてもよいようなしっかりとした存在感をもって、白髪も 神がかったスピード感で 逆立っているような気がしました。 ただ わたしは愚かな読者なのだろうなあ、どうも 分からないなあと。と、 恥ずかしい気持ちになっている箇所がございます。 ≫言葉は二重の雲をかかえ 複層的に ことばが なにかを隠しているというのなら、分かるのですが 二重が解らないです。一重と二重めのそれぞれがなにをイメージしているのか 付箋らしきものが わたしには、読めませんでした。 一つには、呪詛にも似た辛辣な祈りかもしれないと思いました。 二つ目の雲が 二枚舌めいた 美辞麗句とか 誤魔化しの雲のような気がしないでもなかったのですが、るるりらが拙い読者だからだとは思うのですが、わたしは この詩からは  人間の味のようなものが いまひとつ伝わりにくかったです。 レスポンスを拝読してみると 「 年金の減額、介護制度の不備、老人に対する敬意のなさ、そのような風潮を 老婆に象徴させてみました。」とあるのに 該当の風潮は レスのやりとりから伺い知ったものの 詩文からは、わたしは感じることができなくて 正直いうと、私は とまどいました。 (扉)

2017-07-21

おはようございます。まずは 返信がずいぶん遅くなりました。もうしわけありません。 なにせ。シュールと冠に題名した時点で、理解してほしいとかいう気が欠落して天才バカボンのパパのように「これでいいのだ」という境地におりましたもので、みなさまのご意見ご感想とかも、 ただ笑顔で拝読したに とどまっておりました。 ●花緒さま ≫やけに重厚感がある。けれど、写生しようとしても、近づけない。人生ってそんなものかもしれませんね。そんなことを考えました。 わたしにとってとても貴重な言葉をいただきました。人生って そんなものかもしれない。わたしは、このレスをいただいたあと シュールではない書き方で もしかしたら人生が書けるかもしれないな。などと、はたと まじめに、立ち止まったのでございます。 ●まりもさま つつむ つつまれる。 包む。包むを、この餃子的な言い方にしてましょう。 包(パオ)です。 まりもさまの文章の中にでできた【包】という漢字を見て、ああ 家族とは【包】の漢字に似ていると思いました。この漢字は二つの部分でできている。「己」も「勹」も、互いを巻き込もうししているかのような造りだなあと。 能ある鷹は爪隠すという言葉がありますが、家族がいなくなったという状況で、 その人が 爪をどのように整えていたかというどうでもよいことを想うのは わたしにとっては、 シュールな気がしています。 ≫鋭利な攻撃性を持った爪を持つ〈キミ〉を連想します。 ↑ ここの部分が私には 宝でした。わたしは家族の性質がどんな性質でも 結局は好きです。家族ですから。人間に攻撃性のない人なんてないです。まりもさんのこの部分の書き込みを読んだとき嬉しかったです。わたしは私以外のどなたかに〈キミ〉を連想してほしかったんだなあ。だって、嬉しいもの。って、思いました。ありがとうございます。 ●hyakkinn さま いただいた文章。随所で爆笑させていただきました。笑いのエッセンスすごいです。 hyakkinn さまはシュークリームがモチーフとして本当にお好きなんなあ。 わたしは、シュークリームをモチーフとして使用したのは 初めてです。むかし軽食を出す喫茶店で冷凍シューに手作りのクリームを入れるという作業工程をしたことがあるので、モチーフとして思いついたのです。シューと クリームは 実際 工程が全然違うので扱いも全然違うんです。 ≫シュー父さんの声 ↑ 受けました。ツボです。でも いただいた文のなかでもっとも嬉しかったのは下記の部分です。 ≫問題なのはここからで、なんで爪切りなんだろう。というところで僕は納得してしまいます。 だって、シュールなんですもの。をほほ あぁあ、正直 へんちくりんなものを書いたと思っていましたが、書かせていただいて とても楽しい気持ちをいただきました。ありがとうございます。 ●蛾兆ボルカさま  もしかすると、ボルカさまはシュールのミューズの申し子かもしれず。誤字のちゃあをなんどか声に出しておりましたら、、ムロツヨシ氏のNHK「LIFE!」という番組での人気キャラ妖怪どうしたろうかしゃん のように、独特キャラが私の脳内で生まれそうになってしまってます。語尾に「ちゃあ」をつける キャラでございます。愛されキャラは 大切に しとうございますもの。をっほほ ラフな感じの歌人といえば俵万智くらいしかしらない私なのですが、まあ とってもラフに描いたのは事実です。これからもいろいろ ためす勇気をいただけました。ありがとうございます。 (シュール)

2017-07-21

改訂版をあげさせていただきます。改訂原稿は、これで二回目なので アップするのを ずいぶん 迷いましたが、この作品は わたしにとって大切なものとなる予感がするのと、この作品に けじめをつけないことには なにやら もじもじしてしまって 自身の次作に心を移すことができなくなってます。  投稿に際しての注意を再読して やはり のせさせていただくことにしました。 ***** 【時鳥】  ある一時  保育園のときのセリフは  小鳥の役柄だった  「ニュースだよ ニュースだよ たろうさんのお宅に あかちゃんができたよ」  小鳥役の私が 時空のかなたからやってきて、二十四時間後には だれかれ関係なしに おおきな声で 宣言するだろう ある二時 鳥のように生きることを夢想する。 いちじは 卵のようだった  にどめには 親鳥に守られ 三度めには成鳥のように生きる   ある三時 空の高さを鳥が示している 声は高くまで響いても 声の向こうにある天空は さらに はるか。  きままな鳥が、私のことを「ピープル」と呼んだ。トンビにも「トンビぃ」と言ってあげたいが 私の返事は鳥には届きはしないだろう ピープルだという鳥の声だけが リフレインする   ある四時 清潔に あらためられたカーテンを 風が部屋のこころを ゆらしている  ケサランパサランの寝床をととのえるかのように シーツも 取り込む あまい匂いがするのは 近くに パイナップルミントが群生しているから ある五時 こんどは ホトトギスが 鳴いた 新築の窓辺にも あの鳥は きっと訪問するだろう  タンポポの綿毛は まだ 飛び立ってはいないが 植物だって鳥になる日がある ある六時 げいじゅつてきだね。 ああ ホトトギスが 「げいじゅつてき」だと言っている  夕方の花の水遣り。ホースの先で 虹が現れたことが「げいじゅつてき」 虫がやわらかいところだけを 食べて あらわれた蕗の葉は うつくしいレース模様 げいじゅつてき げいじゅつてきだね げいじゅつてきだね ほら あなたにも聞こえるでしょ ある七時 すこし日が影に あしもとに差し込む光 しずかに うまれるながい影 鳥のように生きることを夢想する 飛沫を思わせるような囀りで愛を語るのだ 囀りに きがつかずとも さりげない思い遣りのような言葉が しじまを彩る ある八時 そして ある九時 あるいは十時 ホトトギスが鳴いている 少女は いつしか絹をまといピアノフォルテの音楽の中で 大人となり クロスする時計のことを忘れていても ホトトギスは歌い続けている ある十一時 瞼をとじれば どんな生き物とも心を通わすことができる  なにものでもない自分に もどるための歌を ホトトギスが聴かせてくれている ある十二時 一組の恋人同士が 同じ夢をみた。 ふたりが 両翼ように羽ばたいたとき ぷっくりとあたらしい命が芽生えていた (時鳥)

2017-06-30

おはようございます。体によい詩を ご馳走様でした。 三連目の梅干しの製造過程の部分を読ませていただいて、おもいだしたのは 「うめぼしのうた」という歌です。知り合いに百歳をこえてなくなった お婆さんが、歌っていた曲なのですが、お婆さんが とても福々しく歌っておられたのです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%81%E3%81%BC%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%9F 梅ひとつとっても、そこに様々な思い出がある人と、ない人では こころの広がりが  まるで違うのだなあと、思えるような笑顔の歌いっぷりでした。 そんなこんだで この詩も たいへん美味な詩なのですが、ちょっと ちがう気がした点があります。 ≫梅干しの途方もない旨味の記憶が 例え食したことがなくとも 遠い祖先の記憶が瞬時に立ち上がって つばが沸き出る 食べた経験がある人だと、つばがでるんじゃないかと思いました。 食べてなくても 食べた経験が蘇ると、唾が出るのではてな 食べたことがなくても 祖先が梅干しを食べていたら唾はでるのかなあ? そうなんだろうか? 様々な経験が 人を豊かにするんだと 思います。 そういう人に わたしもなりたいです。 (梅雨)

2017-06-20

おはようございます。 この詩の文字列を追っていると、モビールのような気がしました。 天井の一点で 様々に物を 針金と糸で吊し 部屋の中でほんの少しの空気の流れでも ゆれるのを楽しむ、あのモビールです。 モビールは 天井に一番近い部分が大切です。そのあとは 重力のバランスがとれるように構築してあります。この詩だと ≫落ち込んだり元気が出たりするから ≫蝶の美しさにに対して答えられるのだ ≫この世はまるでつぶれてしまった豊饒のあとだ ≫月みたい ↑この部分で すべてが支えられていると、思いました。以後の詩文は 風にゆれるように  書き込まれていて、最終連では 広がりのある表現になっているような気がしました。 心のバランスをかきむしられて 均衡を保とうとしている葛藤がこの詩だと思いました。 個人的には、 ≫憎悪を知っているとは ≫まるで指を曲げるみたいに簡単に言うんだね と、いう箇所に短絡的に憎悪をむけられたときの あぜんとした感じがでていて わかるわあ。憎悪を向けられるのは簡単だけど そこからの心のたてなおしが大変なのは、わたしだけじゃないのかもしれないと 思いました。 この詩は、精神をたてなおすための素描のような作品だと感じました。 「蝶」「月」「鳥」「光」「闇」「涙」「毒」「悪」が 全体としては噴水のように ゆれている。 そんな心のモビールを見た気がします。愛って、バランスをとろうとする心の働きなのかもしれないです。 (good-bye my love)

2017-06-19

濁点を まちがえました。 物語の部屋や町なんかぢゃあない で、ございます。失礼しました。 (シュール)

2017-06-16

まりもさまへ とても丁寧に読み込んでいただいて、次なる創作意欲をかきたてさせていただいています。 ありがとうございます。 ≫一時、を、ひととき、と読んだり、三時、を惨事と読んでドキッとしたり(青空の果てで、鳥打の鉄砲が鳴ったらどうしよう、とか・・・) ↑わたしにとって、思いがけない 読み方をしていただいています。 私の脳内では 「いちじ」と きめつけて創作してました。 でも ひとときから なにかしらの物語が展開する詩が書きたくなっています。(いつできあがるかわかりませんが) 表現の稚拙な部分へのご指摘はほんとうに嬉しいです。二点もあったかと 正直 自身のアホさに おどろいています。 一、「蕗の葉のやわらかいところだけを虫が食べ跡は うつくしいレース模様なのが、」ここは、分かりにくい表現でしたね。もっとシンプルに書けたはずです。 ↓たとえば、こんなふうに 書くべきでした。 「蕗の葉が うつくしいレース模様なのは、虫がやわらかいところだけを 食べたからだ」 二、「翼の両翼ように羽ばたいたとき」わかりやすい重複表現ですよね。頭痛が痛くなります。 ご指摘だけでなく よのなかには 素敵なことは たくさんあることを予感もさせていただきました。 歌の翼に、という曲を確認してみました。おかげさまで さわやかな朝の体験となりました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E3%81%AE%E7%BF%BC%E3%81%AB ご批評、深謝いたします。ありがとうございます。 (時鳥)

2017-06-15

そして、言うたはしから 失礼をしてます。 文中に お名前を間違えました。黒髪さんのことを黒紙と書きました。失礼しました。 (心と空の叫び)

2017-06-09

こんにちは 冒頭の二行がとても印象的です。 とても個人的な私の 黒髪作品に対する感想を まず言わせていただきます。 いつも私個人に向かれて言葉を書いてくださっているという錯覚をすることが わたしの場合は、しょっちゅうです。 そのせいで、涙が勝手に あふれてきたりしたこともあります。 そのくせ 涙までしたのに、さて その作品名はなんだったろうかと 題名を あげようとしても、たいへん失礼な告白なのですが、 その詩の題名を 私は なぜか思い出せないのです。 理由が解りました。わたしの場合は、黒髪作品を読んだのではなくて  食べてしまったのだと思います。いつも滋養にさせていただいてきました。 前置きが ながくなりました。 この作品においては、冒頭二行が詩の前に どなたかと なにかしらの交流がある書き出しです。 それで、いつにもまして、この詩が わたしあての手紙のようなもののような気がしました。 それで、わたしは いままでの黒髪さん作品に対する読み方や態度は、わたしの「おもいあがり」が多かったではなかったかと 思いました。 ≫少しラッピングをしますね 誠実でありたいです。 おくりものをするような心で 詩作に向き合う人が、ここに いらっしゃる。 贈答品売り場の方のように ラッピングをする所作でいらっしゃる。 わたしは、うれしいこころで 詩文を ひともじづつ 読みました。 これからも、黒紙作品の一つ一つをまえよりも丁寧に大切に 読ませていただこうと思いました。 この詩だけが おさまる 豆本がほしいです。 ちいさな本に ちいさなラッピングをかけたいです。 (心と空の叫び)

2017-06-09

こんにちは  見知らぬ人と憩いを分かち合うための空間があれば 普段の様々な煩雑な事柄が それだけで清浄になる気がするものですよね。 さて、わたしには この詩を読んで 思い出した曲があるのです。 八代亜紀の「舟唄」を御存じでしょうか? 詩の構造が 似ています。 派手さのないものを列挙して、 いい。と、言っているあたりなどが、似ています。 この詩の場合は、コーヒーなのですが この詩の精神は やわらかな和の美学なのではないかしら? いつぞやの掃除の詩を かわきりに 私はもっか 断捨離に もえているところなのです。しかし、 この詩では 憩う場って いいよねぇ。ほんと なにもいらないよねぇ などと、しみじみ いたしました。 (在ればいい)

2017-06-08

こんどもし辛い気持ちになったときに、読み返したい作品に出会えました。 (ブラックコーヒー)

2017-06-08

●花緒さま 時計でくぎって書くという手法は なくはない手法のなかで、 読者に優しい手触りが伝わったのなら 成功だったようです。ありがとうございます。 また チャかシズムの件は、承知しました。 ●kaz.さま ミント&セージについて、よくよく考えてみたのです。本作品は、朗読を意識するべきではないかと。 揮発性のある言葉であるべきではないかと。 「パイナップルミント」の方が、セージよりも良いと思いなおしました。 また チャかシズムの件ですが、わたしは感謝しかありません。 今後は、掲載が決定したという事後報告で じゅうぶんに 私は、うれしいです。ありがとうございます。 (時鳥)

2017-06-08

管理人の方々へ kazさまへの返信欄に書いた内容の改訂原稿をここに一応、載せさせていただきます。 どうぞご検討のほど よろしくお願いいたします。 ***** 時鳥 ある一時  保育園のときのセリフは  小鳥の役柄だった  「ニュースだよ ニュースだよ たろうさんのお宅に あかちゃんができたよ」  小鳥役の私が 時空のかなたからやってきて、二十四時間後には だれかれ関係なしに おおきな声で 宣言するだろう ある二時 鳥のように生きることを夢想する。 いちじは 卵のようだった  にどめには 親鳥に守られ 三度めには成鳥のように生きる  ある三時 空の高さを鳥が示している 声は高くまで響いても 声の向こうにある天空は さらに はるか。  きままな鳥が、私のことを「ピープル」と呼んだ。トンビにも「トンビぃ」と言ってあげたいが 私の返事は鳥には届きはしないだろう ピープルだという鳥の声だけが リフレインする  ある四時 清潔に あらためられたカーテンを 風が部屋のこころを ゆらしている  ケサランパサランの寝床をととのえるかのように シーツも 取り込む あまい匂いがするのは 近くに パイナップルセージが群生しているから ある五時 こんどは ホトトギスが 鳴いた 新築の窓辺にも あの鳥は きっと訪問するだろう  タンポポの綿毛は まだ 飛び立ってはいないが 植物だって鳥になる日がある ある六時 げいじゅつてきだね。 ああ ホトトギスが 「げいじゅつてき」だと言っている  夕方の花の水遣り。ホースの先で 虹が現れたことが「げいじゅつてき」 蕗の葉のやわらかいところだけを虫が食べ跡は うつくしいレース模様なのが、  げいじゅつてき げいじゅつてきだね げいじゅつてきだね ほら あなたにも聞こえるでしょ ある七時 すこし日が影に あしもとに差し込む光 しずかに うまれるながい影 鳥のように生きることを夢想する 飛沫を思わせるような囀りで愛を語るのだ 囀りに きがつかずとも さりげない思い遣りのような言葉が しじまを彩る ある八時 そして ある九時 あるいは十時 ホトトギスが鳴いている 少女は いつしか絹をまといピアノフォルテの音楽の中で 大人となり クロスする時計のことを忘れていても ホトトギスは歌い続けている ある十一時 瞼をとじれば どんな生き物とも心を通わすことができる  なにものでもない自分に もどるための歌を ホトトギスが聴かせてくれている ある十二時 一組の恋人同士が 同じ夢をみた。 ふたりが 翼の両翼ように羽ばたいたとき ぷっくりとあたらしい命が芽生えていた (時鳥)

2017-06-07

kazさま 凄い作品だったのでしょうか?だとしたら嬉しいです。チャかシズムに掲載していただけるとしたら とても嬉しいです。とはいえ 六月になって まだ上旬です。これから もっともっとチャかシズムに掲載したいとお思いになる作品が これから先になって投稿されるかもしれないなあと おもいつつも、期待させていただきます。 ただ 掲載となってくると、ひとつだけ訂正をいれさせていただきたいのです。 詩文中のある四時の連なのですが、  「パイナップルミントが群生しているから」とあるのですが、「パイナップルセージ」に変えたいです。 理由は、頭ではセージのつもりで なぜか ミントと書いてしまいましした。 ハーブにお詳しい方なら、「甘い匂い」という表現に匹敵するのは、セージだとご存じだろうから、です。 (時鳥)

2017-06-07

黒髪さま 潔いという 嬉しい感触の報告、ありがとうございます。 いまも みみをすますと なにかしらの鳥の声がきこえています。 「ごめんなすって」っていうのと似た感触とはまた 言い得て妙です。 おかげで なんだか ごきけんな気持ちをいただきました。ありがとうございます。 (時鳥)

2017-06-07

こんにちは。 かねてより、果物は 鮮度が命なので、獰猛な気持ちを 喚起するとおもっておりましたが、 この詩は、みごとに 感情のほとばしりが つたわってきました。 気にしておられた題名は、最初のままが 良いと、おもいました。 理由は、感情のほとばしりが この詩であるとおもったのと、オレンジのスペルが 似ていて、キャチィな文字列に魅力を感じたからです。 それから、関係ありませんが、余恩讐の詩のレスを読んでいただけなくて、すこし 残念でした。 (REVENGE)

2017-06-03

こんにちは  とても印象的な作品です。 一遍の詩に人生が凝縮しているように感じられます。 この一遍の詩が そのまま人生がゆらいでいるかのように 人生の陰を感じさせる波がこの詩には ゆらいでいる。 随所にある揺れが、物語の全体に ながれおり、 個人的には鉄拳さんの「振り子」の動画作品のような 詩ではない別表現もあってもおかしくはないのではないかと夢想しました。 全然関係ない次元の話になりますが、今朝朝ドラ(ひよっこ)をみておりましたら 時代背景が東京オリンピックの翌年の終わりごろでした。高度成長期、唯一の不況の年だったそうです。 あのころに大人だった人々は、オリンピックの大騒ぎと、そのあとの祭りの跡のような不況あったので、世の中自体も うねりがあったのかもしれません。 題名に匠を感じます。この題名だけで幸福と不幸はあざなう縄のようだったのだろうなあと思いました。ただ、この詩には恩だを感じさせる部分が ないので、 無常と 無情のどちらかが この詩にふさわしい漢字は「無常」だと思いました。 題名にもし「恩」の字がなれれば、ぶしつけな言い方で申し訳ないのですが、 事件現場みたいな終わり方の表現だと、思いました。 でも、たった一遍の詩で 人生を読者に感じさせるとは、 すごい詩です。びっくりいたしました。 (恩讐)

2017-05-29

小心者なので、追記の必要を感じて ふたたび 書かせていただきます。 ジョギングでもしたくなったなんて なんと のんきなというお叱りを受けそうです。 血吹雪のような惨事があらわれることを表現されているけれど 人間以外の動物は あたまをつかわずとも 死と接していることを感じているのに 人だけは意識で 死を理解しているような気がしています。 死と接したと感じたら 自然と動くのが 動物。だから私も動こう!と、いう意味なのです。 再レスを失礼しました。 (オホーツクの岬)

2017-05-25

おはようございます。 とても静謐な境涯が この一遍の詩には存在していると思います。 一辺80センチほどの金属光沢を持つ物体、このサイズ感は人間が全体を把握するちょうど良いサイズ感。このサイズであるなら全体像を掌握できるサイズ。だからこそ、得体がしれない。 未来的な素材でできている空中に浮いている方丈庵をイメージしました。魂の浄化装置だと感じたからです。しかし、命を奪うやもしれない強烈な威力のある箱状の物体。 ハマナスは北の大地に生きる方々にとって その実の利用などの関係からか、特別な感情を噴出させる植物なのだなあと おもったことが私にはあるのですが、わたしの住む中国地域でも咲いています。鮮血のイメージとの相性がとても良い植物だと この詩を読んで思いました。 その理由としては、ハマナスははとても細かな多くの棘のある植物であり、鮮やかな色を持った花であるからです。また浜辺という塩害が予想されるような地域でも咲く なにかの堺に置くには最適な植物だなあと この詩を鑑賞しました。 また後半からの早まる心臓の鼓動のような痛覚の描写に、いきとしいけるものが拍動しているかのようなリズムを感じました。この詩に触れたひとりの読者として なにか ジョギングのようなことでも初めたくなりました。 (オホーツクの岬)

2017-05-25

おはようございます。 正直、さまざまな方の詩を拝読していると、 読者である私に対して それぞれの詩が私のことをアホだと 言っているなあと思うことが 私の場合は 多々あります。 黒髪さんのこの詩を拝読していると ほんとうのほんとうには なにもわからずに困惑しながらも拝読しているこのような私のままで良いのだ。思うままに読んで良いのだという 気持ちをいただきました。 なにしろ ≫人に対して答えを求められない のだそうですし、回答があるかのような詩よりも 個人的には とても安心して拝読できます。 分からないのです。解るということは 知性的に自身の可能性を分けるようで 最近の私は、ほんとうになにひとつ わからない。「みんなが狂って飛ぶ鳥の群れに見える」とは 黒髪さんの詩の言葉であるのに 私(るるりら)の言葉のような気がするのです。 飛ぶ鳥には飛ぶ鳥だけが見えている鳥の道があり、様々な人々の書いておられる詩群にも きっと エッシャーの「昼と夜」のような謎のようなものがあるような気だけがして、なんとか読解を図る私なのですが、でも 私には わからないのです。 いちゃもんをつけて満足しているだけにしか見えないストーリーが 私の眼前には、たくさんあります。ちんぴらに絡まれているかのような状況で 人質に取られた姫のような心は救われるべきです。すくわれるべきなのが わたしの ポエジーだと思いました。わたしは私を救出したいです。  このように、わたしは私のことしか考えていないので 偽善者です。でも、ご自身のことを偽善と呼ぶ方のこの詩によって、私は ああ一歩一歩 歩ませていただこうと 思えました。 (人の望み)

2017-05-24

これ既読感があるんです。と、書きましたが 検索かけたら以下の作品がヒットしました。おそらく、この作品のことを いっておられるのだと思っています。  ● シジミ   石垣りん  夜中に目をさました。  ゆうべ買ったシジミたちが  台所のすみで  口をあけて生きていた。  「夜がアケタラ  ドレモコレモ  ミンナクッテヤル」  鬼ババの笑いを  私は笑った。  それから先は  うっすらと口をあけて  寝るよりほかに私の夜はなかった。 (小悪魔)

2017-05-22

これ既読感があるんです。わたしがまだ詩作することを趣味としていなかったころに、授業かなにかで目にしたんだと思います。わたしは 父と よく浅利を掘りに行ったので貝の夜中の様子は良く知っているので、余計に この詩の印象が心に残っているのかもしれません。  この詩は、印象には残っているのですが、私が本作品をかくときには まったく記憶にのぼってはいませんでした。よく似てますね。わたしの潜在意識にまで 石垣りんは到達していたのかしらん。おそるべきなのは石垣りんです。 小品【しじみ】 るるりら しみじみ きみは 黒曜石のように黒光る 生(しょう)と 死(し)の かぷかぷ二枚貝 ぷしゅ~うと 呼吸する生身を夜中だけは さらけだす なんという  艶めかしさか  昼間の石のような意志とは裏腹に なんちゃってね。 素敵なすぐれた詩を思い起こさせていただき嬉しいです。つい、おちゃめな拙詩も添えてみたりしました。 ありがとうございます。 (小悪魔)

2017-05-22

はじめまして わたしは昔、パートタイマーで牛群管理システムにデータを打ち込む仕事をしたことがある者です。酪農家の方々に書いていただいた牛の一頭一頭の情報をデータ化する作業や、酪農家の方々からいただいたアンケートの集計。それから、牛の格付けなどの勉強会で 日々の努力しておられるお話をまじえなからランクの高い牛を 試食させていただいた経験もあります。そのような経験を持つ私にとって、 この詩は とても興味深い詩です。 ≫牛は 動物は ≫明日と死後を考えない 人間は、牛の明日のこと つまり 死後(食べる)のことばかり考えています。明日(未来)と死後は同意語です。人間が考えているのは 牛の明日だけではないです。過去のことも考えていて、私がしていたデータ入力という作業もあります。 牛はどのようなランク付けの両親であるか、そして どのような育ち、最後にどのように 命を終えるかを、人間は記録に残す。 はたと思いました。幸せとは、そもそも なんでしょうか? 人間とは何であるかも 思いました。 人間だって、未来は かならず死ぬわけですが、人間は ほかの動物とちがって 明日と死後を考える。 しあわせとは なんでしょうか? わたしは 牛さんの瞳をのぞきこんで、人間より牛さんのほうが幸せなのではないかと感じたことがあるのです。 人間は 事細かに比較をする動物です。 けれども、牛の瞳は 比較することをしらないように思えて 牛は 人間より しあわせなのではないかと 私は思ったことがあります。 わたしは 牛のような、つぶらな瞳で 詩に向き合いたいです。牛が比較をしないように 私も比較をしない時間が欲しいです。比較するとき 、なにかしら 心の奥にも分裂が生じている気がするのです。 分裂は、ふしあわせな気持ちの種のように思うのです。  わたしは批評が苦手なので  HAneda kyouさんが返事をお書きになりにくい感想になってしまったきもしています。ぜひ また 別の作品も 拝読させていただきたいです。楽しみです。 (牛肉)

2017-05-22

おはようございます。 ひとことで この作品の感想を書かせていただくなら ただひとこと。うつくしいと感じました。 雑踏と人の暮らしと色彩が うつくしく反芻される詩のような一日を思わせていただいたのです。 わたしは、ひょんな時に 人の心とは 都市そのものであると おもったことがあります。 人の意識が町や入り組んだ路を構築しているのは言うまでもないことですが、人の心というものも 街並みが入り組むように路が入り組むように迷路があり 光と影があるからです。 この詩を読むと 私の心の中にパン屋のような良い匂いが あると感じました。 この詩を読むと豊かな緑や緑陰が あると感じました。 鈍色の日がこぼれる、つややかな2階のフロアが私の心にも広がりました。※個人的には、鈍色という色彩の選択に するどい色彩感覚を感じました。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』にも通じる豊かな色彩感覚だと思いました。 生活の中にある闇をカーニバルする創造性を おもわせていただきました。 生活とは生きる活ですが、 創造とは つくり&つくるという構築ですが、 この詩は 人間の生活と創造の心がみちあふれていると感じました。今後のわたし自身の創作に参考になる作品を拝読できたと 思っています。ありがとうございました。 (AV. 68)

2017-05-22

傷がなかったかのように感じるために さまざまな努力精進して 汚れをとったり磨き上げたり、最後にテーブルクロスで 傷を覆うというのが この詩です。とてもリアルなイメージが浮かび上がってきましたので、実話であると 感じました。 実話だとして、このテーブルの傷は詩作品化されたことで、作者の心になにが 今 おこっているだろうかと 想像してしまいました。テーブルをしらない読者も このテーブルには傷があることを知っています。このことから、作者が このテーブルの傷を忘れるには さらに時間が必要だということになったなあと、 思いました。 詩人は「無」のために言葉を奉じることがあるなあと おもうのです。 これは なかなかの感慨かもしれないです。 まるで 生活者としての詩人のありように対する 禅問答のようです。 この詩に限らず、なにかを わすれるために詩人は詩を書くことがあるように 思います。 そういえば、禅は 一に掃除が重んじられ、二に掃除が重んじられ、三四がなくて 五に掃除だそうです。 (なかった、ように)

2017-05-19

●みなさまへ おはようございます。ずいぶんと返信が遅れて申し訳ありません。 返信が遅れた理由は この詩にあるような ちいさなアクマではなく 魔について 思いをめぐらせてしまったのです。具体的にいうと親戚に不幸があり 心が重くなってしまい 小粋のつもりの私の拙詩に とまどってしまいました。(滝汗) ●まりも さんへ おおよそ人のかかえる難題や困難は 手におえると思いたいものですが、 恐いものは怖いです。 「手におえるサイからこそ」ここがとりわけ、ぞくっとされたのなら 作者の冥利です。 芥川のマッチ箱の比喩。検索で 見つけました。 引用 ≫ 人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。 ↑つまり、頭燃でございますね。人生は時折 火宅の境涯にもなりえます。そして、芥川自身が、最終的には自死を選択した作家だったことを想うと、ふるえずにはいられませんです。 芥川のこの本は、下記のような詩文で終わっていました。 引用 ≫眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違いあるまい。  レモンのビタミンを摂取するためには果肉が生きていてはじめて トパーズが炸裂するのです。 死と眠りは似ています。わたしが書きたかった ちいさな小悪魔と 死へといざなう悪魔の違いをおもわせていただきました。おかげさまで貴重な読書ができました。ありがとうございます。 ●黒髪さん おはようございます。 黒髪さんは、レモンを がぶりと かじることが おできになるタイプですか? それとも かじれないタイプですか? おひさまとレモンは お友達です。わたしは瀬戸内海気候はレモンの産地で おひさまと仲よしです。レモンと デーモンは ミスマッチですよね。けれど、「手術台の上のミシンとコウモリ傘」ですか?いやあ それほどのシュールではないという気が私は します。 教えていただいて驚いたのですが、レモンとは、不良品の意味があるですね?欠陥車をレモンカーとかいう例や、 The answer is a lemon. 「(愚問に対して)あかんべーだ;返事はご免だ」(俗語表現) というのがありました。The answer is デーモン でもなんとなくおかしくない気がする例文でびっくりです。 ちょっとアメリカ版に改編してみました。なんちゃって的な 小品です。よろしかったらご笑納ください。      題【アメリカ在住デーモンの場合】      アメリカの野菜室101号に棲んでいる デーモンは      アメリカサイズ冷蔵庫の野菜室に居住していて      お日さま的な すべての事柄を冷気で包み隠し       猫背ぎみの彼は      だれに      なにを聞かれている      いつもThe answer is a lemonとだけ答えて      扉をかたく閉ざすのであった ●三浦果実 さんへ をお、全天候型次世代農産システムの話ですかあ、いいですね。 広島には もやしとかトマトとか あと豆苗の農業工場が 実際にあります。 レモンは悪魔になっているかもしれません。黒髪さんに レモンの英語表現が面白いことを教えていただいたので、この詩は冷蔵庫だけど、もっと 規模を拡張して、悪魔的量産システムの詩にいどんでみようかしら。と 微笑んでいます。 ●花緒 さん ぎゅっとした小品にしたので そこを褒めていただいて光栄です。 長編詩は得意ではないので すきま産業みたいな感じかもしれません。 ●夏生さん まあ 素敵な恋話コメントありがとうございます。 すっぱい艶を出してみました。若い人との恋に悩む大人の心情。 ⇚とっても素敵な鑑賞をありがとうございます。なんだか 燃えてきました。え?                   ●hyakkinnさんへ   遊戯王で「レッド・デーモン・ドラゴン」っていうキャラクターがいるのですね。 ハイセンスのネーミングセンスではないですか? 多分この掲示板では一番ぼくがこの例えに頷いている感じがします。 ↑ まあ 嬉しいです。ありがとうございます。 ●鈴木 海飛さんー がりり、とぱぁず光太郎。⇚すごい キャッチぃですね。 はしれはしれ こうたろう。(……みたいな。ちがうのか) 柑橘系の植物は わたしはほとんど好きです。 ただピールの苦さを 嫌う人は嫌う。 かじるという行動は、わたしには獣的なイメージなのです。野趣を感じます。 歯茎をみせて笑うのって 悪魔的でしょうか?それとも ハンサムの証でしょうか? 【ときに意識を加速させる。】という表現に わたしには はっとしました。 良識ある判断は 多角的に しかも 迅速にすべきときに迅速に判断されてはじめて良識となるような機がします。 詩を読んだりして ぽややんとでも様々なことを想い 反射神経を研ぐことは きっと素敵な ライフを作るために必要だと思いました。素敵な感想をありがとうございます。 (小悪魔)

2017-05-15

こんにちは  まるで今の私に寄り添ってくれているかのような詩文であると思いました。 たまたま私には、私の元を去った人がいるからかも しれません。 はっとさせられた箇所があります。 ≫部屋の中では何本もの棒 ≫アレハ「ジカン」デスヨ暗がりに鳴くカナリア ≫空間は消え失せてしまった 時間が可視化されている。何本もの棒として事象がある。そしてその代わりに 実存しているはずの空間が 消えてしまっている。  時間というものは過去もしくは未来の双方向に無限のはずですが、有限の空間に棒として収まっているという視座に なにか精神的なメソットといいますか、癒しを感じました。 不安に 寄り添う文章であると思います。この詩の話手の声は小声で たどたどしい感触の書き方になっているところも、寄り添ってくれる文の印象をもったのだと思います。 ≫真夜中に太陽は上らない考えること それは悲しいことうるっとくるね 不安なときは、無限に思えるものです。無限なものを有限として整理しなおすというメソットとして私はこの詩を読みました。つまり答えのない闇に居る読者に ひとつの明かりを見出すメソットとして読んだのです。そうすることで 私の こころの場合は 落ち着きました。ありがとうございます。 わたしは癒されました。ありがとうございます (答え尋ね)

2017-05-02

連続投稿するつもりは ありませんでした。機械がフリーズしてしまったために起こった 過送信です。もうしわけありません。 (demon)

2017-05-02

おはようございます。わたしの近作もデビルを扱ったという事情もあって興味深く拝読いたしました。わたしの場合は レモンとデーモンで詩作したからか、BELIAL.BUDDHA. BABEL.という韻に 釘付けになりました。 オスカーワイルドの著作に【ペン ペンシル ポイズン】という頭韻法を用いた表題があるそうです。(読んではいませんが、人様のエッセーで知りました。) 韻律を揃えることで、キャッチィな印象が発生しています。眩誘的でもあり、Plan Do See のような標語的効果が出ていると思いました。 ガフの部屋などにあるように さまざまな文化圏の事象を拾い集めたような本作品はセカイを掌握して一遍の詩に表そうとした意欲を 本作品と感じました。 ブッタやバイブルの後述に、呪詛を置いて〆ておられる。だからこそdemon なのでしょうね。けれど、呪詛にパワーが感じられなかったです。 たとえば 呪いの藁人形に念をいれるのには 人の名前を呼ぶのだそうですが この詩には広大に広がる地球上の祈りや呪いはありますが、ただ この詩には 作者が不在に思えました。 わたしにとって、おっしゃりたいことが判然としない原因は、 そこらへんにあるような気がいたします。 (demon)

2017-05-02

おはようごさいます。 わたしは、今日は おちゃめ担当でまいりました。 初読のときは、デブリという語の違和感について釘付けになりました。 わたしは宇宙のよもやま話が好きなので デブリから宇宙ゴミのことのことを想起したから違和感を感じたのです。 もしも初読時間に、デブリを ただの いらないモノととらえなおしたら ≫デブリを撒き散らしては ≫枯れて芽吹いてを繰り返す と、ありますように植物の生物のいとなみに比喩しておられます。 植物的な やわらかさと デブリという言葉の相性は 良いのか悪いのかと点について、わたしの場合は 躓いてしまったとも言えます。 しかし今日は、私の脳裏に浮かんだ もうひとつの読解を書きに来ました。 それは作者さまは きっとそんなおつもりではないだろうと思います。 ふと、私の頭に浮かんだことです。  おちゃめな私は報告させていただきにまいりました。 もしも、デブリが「おでぶ」であったら 筋が通ってしまうと おもいましたです。すみません。もうしわけありません。 (Answer song)

2017-05-01

まりもさんへ すごい桜を実際に見たので、その迫力が書きたかったので まりもさんに受け止めていただけて嬉しいです。ありがとうございます。 ↓ まりもさんの文≫ 「桜は感覚器をあらゆる方向に のばして花霞の間を、まるで水の中の風景のように時間軸を狂わせていた。」生き物のような桜の妖艶さ、時空を移動する際の鮮やかさが素晴らしい。「逢いたいヒトのことを上手に生き難いヒトのことを待っていた」自らを異質な存在としてとらえる他ない人の淋しさが、美しく現れている部分だと思いました。黄桜の河童の家族の絵を思い起こしつつ、「河童のひきだしからも 春が とびだしてくる 」こんな死者の追悼の仕方、思い出し方、素晴らしいと思いました。 ああ嬉しいです。 「みな底の母子像」は、水底なのか、皆底、なのか。とも書いてくださってますがそのとおりです。そんなことを考えていただきたかった。 「授かる」 まりもさんの文≫「おんながつむいだおとこと /おとこがむついだおんなが 」こういう対句、どこか神話的なイメージも生まれますね。紡ぐ/睦む アマテラスは織物や生糸の神様でした、そういえば。 つむぐ、からの造語なのか、あるいはそうした言葉があるのでしたら不勉強で申し訳ないのですが、睦みごと、であって、むつぎごと、ではないのではないか?という気が、しないでもなく・・・。  ↑【つむぐ】ですが漢字をあてるなら【紡ぐ】です。 それは、オシドリという鳥の色彩を意識しました。雄はとても艶やかな色彩を持っているが、雌は 茶系の地味な色なのですが、その色彩をメスが織ったものであるとしたのです。メスは茶系の地味な色なんすが 枯葉色なので よりいっそう燃やせそうだと おもいました。 メスがオスを 紡ぎ、オスはメスを 睦む。としたのです。 まりもさんの文 ≫胸腺、という術語が、新鮮でした。人類史のイメージと、羊水から空気中へとやってくる胎児、そして、過去の沼、から這い上がって来た、新生する人、のイメージ、が重なりました。 ↑紅月さんのピエタという作品の詩文に「ありつづけるあなたを世界樹たらしめるもの」という表現があったので、そこから私としては【胸腺】という語を選びました。胸腺は人類史というより生命史ですが、細部まで きちんとひろって読んでくださって 作者冥利につきます。ありがとうございました。 (Here comes the spring)

2017-04-26

三浦果実さん 共感詩、ありがとうございます。なんだか とっても うかばれました。 ほんとに もういいんだあと おもってしまいました。 とくに ≫突然降りだした鳥の群れに君はわらっていた ブルーブラックとイエローのバランスを土砂降りの鳥たちが切取って ↑ ここが、とても好きです。書かせていただいた甲斐がありました。ありがとうございます。 (Here comes the spring)

2017-04-26

詩作品については、私は ちょっと苦手なことをモチーフとしておられるのでノーコメントとさせていただきます。 類似二作品投稿についてですが、いち読者としてシステムエラーか 誤って二度投稿してしまわれていると思っていましたので、管理の方によって 作品の どちらかが削除されるのを待ってレスがいれられるべきと感じました。 なぜなら、二作品があるということは コメント欄も二つあるのですから 複数の参加者が きぶんでどちらかを選択し レスをつけると、あとで 合評が閲覧しにくくなると思ったからです。 その後 花緒さんによって、一方が削除が行われたので 円滑になったと感じました。 花緒さんが ni_kaさんに 別の作品の場合は再投稿をとおっしゃていましたが、 ni_kaさんは再投稿をなさらないとのことでしたので、私は一読者として  ni_kaさんは良い判断をされたなあと思っていました。 類似する作品だが別作品であったようですが、コメント欄は 一つのほうが円滑だったに違いないと感じます。あたらしいチャレンジは好ましいことですが、レスをする人のことの考慮という意味でも、花緒さんの判断によって、円滑な議論がなされたと感じています。花緒さんにおつかれさまでしたを、言わせていただきます。 (はるのつき)

2017-04-26

この詩は、心が 澄んだものであれば きっと 「わたし」の中の水鏡に「あなた」の影が映るはずだという祈りの詩。 どうしても 濁ってしまうことを 残念に思うにとどまらせないで腐葉土のように 花か咲くための滋養となるはずだという 心の励ましのようなものを感じました。 でも わたしは 批評が苦手ですので 感想を もっと率直に発言させていただきますね。 わたしにとって 一連目が宝でした。 正直に私の場合をいうなら 「わたし」が楽しいと「あなた」も楽しい とは、限らないです。それぞれ趣味が違うし 「わたし」が退屈だと「あなた」も退屈  とは、限らないです。退屈そうな人の顔をただただ見るのがあんがい退屈ではなかったりすることが私にはあるから) でも 「わたし」が悲しいと「あなた」も悲しい  ・・・とは限らない               ↑衝撃でした。 悲しみは、悲しみだけは だれにとっても 個人個人のものだったんだ!という驚きです。 たぶんきっと 「楽しさ」とは 「わたしとあなた」の間に生まれるものであったのか。 「悲しみ」は 「わたし」の中に生まれるものであったのだ!というところに、驚いたのです。 私の他の方々は、どなたも 驚かないのかもしれないけれども。 すごいことだと 私は思いました。 だれかとだれかの間には、楽しさがうまれる性質がある。 悲しみは、ひとりでに育つ性質があるんですよ。 これは詩論にも通じると思いました。 詩(文化、芸術)は、だれかとだれかの間には 生まれる。 詩になれなかった言の葉が 悲しいのは、ひとりでに沈むからであり それを 丁寧に見つめた人には、詩が現れるのだと 私は思いました。 あらぶる心も 丁寧にしずまるのを見ようとするとき 読んでいただけるような 言の葉が現れてくるような気が 私はしました。 (一枚の鏡のように)

2017-04-20

はじめまして 現代はスマホの普及によって つなかり方の革命がおきていると感じます。 わたしなどは十代のころに戦う仲間がいたかといえば、 わたくし るるりらは昭和の人間ですが、わたしの場合は居るとは言えないです。 わたしが十代のころに共に戦ったような気がしないでもないのは  学校で行われていたクラブ活動くらいですが、 この詩の熱のある十代と 私の体験した十代とは そもそものズレを感じました。 具体的に言うと、「護るものや求めるものがあるから 共に戦えない」と詩文から、 私の場合は この詩から昭和の時代の学生運動を 連想したので、人生の先輩がお書きになった詩のような気がしたのです。 護るものと求めるものが共通認識として 十代が持てている時代が、学生運動を御存じの世代のような気がしてます。 ≫でも求めているものとは ≫少しズレている わたしの解釈はズレてますでしょうか? この詩でいうズレが、どのようなズレなのかが感じられる何かが、もうひとつ書いていただきたかった気がいたしました。 (友人へ)

2017-04-20

こんにちは わたしは なんとなく アルゼンチンタンゴを思いました。 (いもりの)緋色と黒のコントラストのせいだと思います。 一連目は、この詩の話者は 椅子に座っていて 化粧用の凹面鏡ごしに 様々なものを見ているから部屋の中だと読みました。 でも どうして凹面鏡という言葉が 硬さから 化粧用のミラーではない気もして 読んでいて読解に自信が持てませんでしたので、他の読解もしました。 たとえば、黒靴のどこかに凹面鏡のような箇所があるというイメージ。 もしくは、特殊なミラーのある場所(踊りの練習室にそんなところがありそう)を表現しておられるのかしらとか いろいろ考えました。でも 一連目は屋内での状況。 二連目では、屋外に でている。 三連目では、ミュージカルみたいだと思いました。もう闊歩しまくりです。 急に 街角で歌っいながら踊りはじめるというような印象を わたしの場合は持ちました。 アスファルトは穿つためにあり をマンホールは踏み抜くためにある とあるので ステップを感じました。 劇中劇という言葉がありますが、この詩は 詩の中にある劇だと思いました。 人を脅かすみたいな心理的表現もあるけれど、わたしの場合は美人が脳裏にうかび、こわい女性だとは思わなかったです。男性はSな女性に魅せられたいところがあるように思います。この女性は視線をくぎづけにして目から殺すタイプのように思い、この詩の女性を 素敵だと 思いました。 (Heel improvisation)

2017-04-17

とても あまくて、とても 切ない。つらくて かるくて すごいです。 (乙女たちはハッシュタグを忍ばせて)

2017-04-14

B−REVIEW的には返詩カルチャーを応援しているので、投稿を嬉しく思いました。作品として纏まっているように感じますが、初見の読者に、返詩先の元の作も読ませたいのだとすると、もう少し作品のリーダビリティをあげて、読みやすい作にする必要があるようには感じます。 読みにくい作品になってしまったなあとは、アップしてしまったあとに 私も思いました。 ですが、B−REVIEWが返詩カルチャーを応援すると 書いてくださっていて、 とても安心しました。ありがとうございます。実際どきどきもんでした。 (Here comes the spring)

2017-04-13

おはようございます。 批評は得意ではないので 感想を書かせていただきます。 個人的には ダイダラボッチ伝説を思いました。もののけひめでは でいだらぼっちとして採用されていた伝説を思いました。 元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられたそうです。 人間の思惟のおよばぬ 俗世間の考え方を超越した 存在(妖精)が 椎の実がたくさんあるような森を思いました。 ただ、妖精という言葉が 妖精を思っている私はどうなのかなあと 自分でも思うのですが、 わたしの場合は ダイダラボッチ伝説を思いました。 (ふぁんしーあいらんど)

2017-04-08

はじめましてでしようか。こんにちは るるりらと申します。 一見して、住所録のように並んだ固有名詞群が圧巻でした。 文字列の中には、 わたしにとって魅力的なものと そうでないものがありました。 地名というものは、そもそも かつて その地域で名産だったモノから地名となっているケースが多々ありますし、実際に【釜石】というよく似た地名もありますし、石窯という文字列が固有名詞であっても違和感がないなあとおもえたところが面白かったです。 そういえば、電話帳を 朗読して聴衆に感動をあたえた朗読者がいたと誰かに聞いたことがあります。この作品も 朗読者の手腕しだいでは すばらしい感動を与えるのかもしれません。 でも、ただの黙読のみで ながめると やはり量が、おおすぎだと思いました。 ○○店とある固有名詞は、石窯区だからそうなのかー。と、なるほどねえ ふんふんと読んだのですが、さりげな石窯パンはなんども 入れてあるんですね。 たくさんの文字列の中でも、○○店とかではない文字列は、私にとって魅力的でした。 つまり地名でない解釈もなりたつ文字列だからです。抜き出してみます。 石窯ピザ 石窯サウナ 石窯銭湯 石窯ドーム 石窯パン 石窯研究所 石窯リハビリセンター 石窯教会 石窯斎場 抜き出してきがつくのは、煙突が似合いそうな文字列が残りました。 ピザを焼く石窯の横で いいにおいを嗅いでほしいし 石窯造りのサウナで いいにおいを嗅いでほしい 石窯銭湯 五右衛門風呂は鉄ま窯ですが、石も味があるかもしれない 石窯ドーム 窯はドーム型が主流のひとつかもしれない 石窯教会 テンペリアウキオ教会なんかは天然の岩石がくりぬかれてつくれらているってテレビでみたことがあるのですが、教会って石が似合うと思う。 石窯斎場は、もとこさんも 注目しておられるけれど、おつな 文字列だと私も思いました。 これだけの量の地名がありながら 最終連では、 ひとりの部屋で いいにおいを嗅いでいるわけですが、 石窯区だという固有名詞は もっと削ると 煙突を感じられるような温かみが演出できたのではないかと思いました。 (石窯パン)

2017-04-04

海を実際に目にしたときの 果てしない青さを思いました。 海を目にすると へだてるという人間の感覚が ちっぽけなものに わたしは思えるのですが、この詩の読後感覚も 海を目にしたときと同じだと思いました。 ≫助けるのととがめるのは同じ心 個人的には↑ここが、好きです。心の痛みがしずかに緩和してゆく力があると思いました。 おなじ心が ふたつの行動の起源だと思うことで すくわれることがあると思いました。 人さまを 助けるのは 気持ちの良いこと 自分を とがめるのは 気持ちの良いことではない。 心が疲れると 一人の人の心の中でこのふたつが せめぎあって辛くなる。 海にへだてがないように へだてをなくす心境が 超えられるものは、大きいに違いないと感じました。   (海)

2017-03-25

hyakkinn さん わらっていただけたようで、わたしも 声をたてて 笑いました。 よく天然といわれます。でも ポジティブに天然というご意見を聞くと 時折、ひんしゅくをかうので 用心すべき言葉が、天然、という言葉なのだと思うのですが、つまり神の感性!! それは 鰰をこの字にした昔の人が 神の感性なのではありますが ここは、大海原を前に 見果てぬ夢をみている人のように 天然という言葉を 素晴らしい言葉として 受け取らせていただきましょう!ありがとうございます。おかげさまで 私の心は 日本晴れです。 (はたはたパイ 食べろ)

2017-03-06

天才詩人 さん breviewご開設 おめでとうございます。 わたしは、詩を書くうえで 読者にとってどんなに荒唐無稽に感じられたとしても自分の中で具体性のある言葉を詩の中に織り込みたいと考えて書いているようなところがあります。 ただ 今回は、実は作者である私にも よくわかってはいないアイテムを多く使用してみました。 遠い大地に生きている人の言葉に触れたいという想像力で書かせていただきました。 わたしの出会ってない方々の心に私の詩が届くことを願ってやみません。 とても刺激的な試みのサイトで わくわくしています。 (はたはたパイ 食べろ)

2017-02-18

鈴木 海飛 さんへ >読んだあとに、読みながら聞こえてきたのは誰の声だろうと悩んみました。 するどいです。わたしは ほんとうは広島の人間でして、広島弁の詩は何作かあるのですが、最初から 地元の言葉を詩にできたのはなくて、私の方言詩の最初の最初は 秋田のある方への憧れがあるのす。 昔昔、その秋田の方に 方言指導をしていただきながら詩作したことがあるのですが、今回は初心にかえりたくて そのときの詩を改訂し こちらに投稿させていただいています。 「3年も待つんだからお前がもっているもので、ここにあるもので、しのいでみろ。頭よく悩むな。 海は逃げねえ。魚もじき戻ってくる。」← わたしよりネイティブでらっしゃるような。 詩読もすぎると毒ですよね。とてもみすかれている気がします。ありがとうございます。 (はたはたパイ 食べろ)

2017-02-18

kaz. さんへ 鰰という字は、魚編に神なのだなあという単純ともいえる発想ではあるのですが、 元来 漢字には 祈りのようなものが込められているものなのでしょうし 大自然を感じることのおできになる読者に めぐまれた私は とても嬉しいです。 レスポンスをいただいたことで ことしは、もっと 大自然を感じるなにかを始めたくもなりました。ありがとうございます。 (はたはたパイ 食べろ)

2017-02-18

三浦果実さんへ さかなくんというと、魚の帽子をかぶった あの方のことが 頭に浮かんで、ふいてしまいました。 父方の親戚が九州の人が多いので、じつは 秋田弁よりは 九州の言葉のほうが 理解ですます。 博多の神くんと一緒に 大笑いしてみんさいね。(広島弁でつ う。恥ずかしい) どうぞ、よろしくおねがいします。m(__)m (はたはたパイ 食べろ)

2017-02-18

澤あづささんへ まあ、なんということでしよう。 秋田弁主人公の小説を書いておられたのですね。 どうしましよう。わたしの秋田弁は あってますでしようか? もしかしたら 間違えているかもしれません。わたし自身は広島の人であり、けしてネィディプ秋田弁士ではありません。本格的だと 書いている私が意味不明になるのです。 「もはや愛おしい」←このコメントにエア ハグしまくりました。これが小躍りせずにいられましょうか!うれしい うれしい。うれしすぎる。この世の憂さがウサギになる。ありがとうございます。 わたしの感性ではぜんぜんだめ←そんな はずはありません。わたしは広島人です。 ゆるされるものでしたら、秋田弁を ぜひ ご教授くださいませ (はたはたパイ 食べろ)

2017-02-18

ハワイのフラや インドのヨガにしても 人間の運動のすべては まっすぐな体の軸の うつくしさが基本にあることを思いました。 一杯の白湯が ほころばせてしまったのは かたむすびというのは うつくしい表現で、ためいきがでます。そうやって ほぐされた心のことを やさしさと 感じるセンスのよさに おどろきました。やわらかな心に触れさせていただけました。ありがとうございます。双葉月ありあさんの他の詩も是非、拝見させていただきたいです。 (prayer)

2017-02-16

教官、落伍者という言葉から、この詩にも一般社会と同じくピラミッド構造の片隅の物語なんだよという入り方が アプローチとして成功していると思いました。 外圧を感じつつ、二重三重と内向し閉塞的に内向させておいて、最後の最後には読者に羽ばたきのような希望を発露への呼び水を 促している。そんな感じがしたからです。 ロールプレイングゲームのようでもあります。 男も話者は 鍵である口をゲットし、口がゲットできたら歌を歌う権利がゲットできて、鳥に歌を教え込むことができるようになる。 マトリョーシカのようでもあります。 口という名のマトリョーシカを あけると 鳥という名の歌う権利という意味のマトリョーシカがでてくる。 最後の最後は とても大切な吟醸のマトリョーシカがあると予測させている詩の運びが にくいなあと、感じました。 わたしもこのサイトという箱の中に きっと居てくれるだろう私の鳥にわたしの歌を歌わせたいです。すぐに、にげていってしまうのが言葉なのですから。 素敵なサイトの開設に わくわくしています。どうぞ、これから よろしくお願いします (私の鳥)

2017-02-16