才能あふれるあなたは
言葉の上で 詩のように
たやすく回転する。
雨降りの 次の日の
〈ひらがな〉の降る朝の
微かな鼓動のように。
いつもアキラメ半分
手を振っている わたしは
何人もの人と別れた頃
たまたま 〈ひらがな〉が降る朝に
あなたと出会った。
あなたはわたしを待っていてくれたの
そう聞いてみたいのだが
今はただそう信じている。
公園を横切って
カキツバタの池の傍らを過ぎ
あなたと待ち合わせた記念樹の森のそばで
カッコウの鳴き声が
蜘蛛の糸のように かすかに
あたりにコダマする。
吹きすさぶ季節はもう
彼方に 過ぎ去ったけど
身を屈める記憶は残っている。
晴れやかな朝
降りそそぐひかり
〈ひらがな〉の ふる あさ
諦めていた昨日に
諦めかけていたわたしを
投げかけてみる。
遠くの空から還ってくる
待つ時間のかがやきとサウン・ガウの音色。
わたしは わたしは
青銅の温もりを身に纏い
あなたに
何処にもない異国の言葉で話しかける。
「ナムサラーム」
懐かしいメロディー
わたしの胸の奥の 記憶の湖面に
一艘の小舟が走る。
あなたは 二両編成の列車が走る
あなたの故郷のことを 話してくれる。
わたしも 海の向こうの
十歳近くまで住んでいた故郷のことを話す。
打ち寄せる波に何度も洗われ
消えてしまいそうな
透明な思い出の中に住む
幼い妹と母のことを話す。
「ナムサラーム」
あなたと出会った朝
わたしの胸の奥に生まれた言葉。
思い出と海と
遠くから聞こえてきた
祭りのざわめきの中を
夢のように
吐息のように
あなたの声を頼りに その言葉が
駆け抜けて行った。
今まで誰にも使ったことのない言葉で
挨拶をしてみよう。
「ハルサラーム」
あなたはそう言った。
わたしは応えた。
「ナムサラーム」
作品データ
コメント数 : 5
P V 数 : 2058.5
お気に入り数: 1
投票数 : 4
ポイント数 : 30
作成日時 2021-04-13
コメント日時 2021-04-27
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/12/13現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 10 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 10 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 10 | 0 |
総合ポイント | 30 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 10 | 10 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 10 | 10 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 10 | 10 |
総合 | 30 | 30 |
閲覧指数:2058.5
2024/12/13 22時19分01秒現在
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わたしとあなたをテーマにしているのか?ずっと書かれていますね。 これはセカイ系詩人だなと思いました。
0『〈ひらがな〉の降る朝』とはどんな朝だろうかと、読み終えてその説明があったような気がしたけれど、実際「これだ」という説明はされてないのですよね。けれど不思議と読み終えて納得した気持ちになりました。なぜこのタイトルなのか?という疑問は残らず、明確な理由はないけど「なるほど」と思いました。不思議。 それは異国の言葉に振った読み仮名でしょうか、それとも幼き日の会話でしょうか。どちらにしても、通じ合おうとする二人の優しいやりとりが感じられました。
0おはようございます。 本作品は、ひらがなが降っている世界を描いておられるのですね。 しかし、私が感じたのは 異国を感じました。ナムサラム?は、私にとってはインドぽいです。 かきつばたも、カタカナですね。 かきつばたという名前の和菓子があると聞いたことがあります。エリザベス女王に さしあげたことのある和菓子と きいてます。和歌を元に名付けられた和菓子と、聞きました。 そんなこんなで、わたしは 異国情緒を感じました。
0こんにちは。タイトルだけ見て読んでいなかったのですが、読んでみたら良かったので反省してます。ごめんなさい。 まずタイトルですが「〈ひらがな〉の降る朝」ってなんだそりゃと思いました。普通に考えて、降らないし。でも、作中では、 >雨降りの 次の日の >〈ひらがな〉の降る朝の >微かな鼓動のように。 って書かれていて、天気とか連続した時間の流れとか身体の間に挟まれてるからか、〈ひらがな〉が降るというのも、違和感なく入ってきました。語り手にとっては割りと自然なことなのかな、と。で、〈ひらがな〉が降るってちょっといいな、と思った。実際にはあり得ないと思うし、しかじかの理屈からこういう表現は成り立つとかじゃなくて、あり得ないことでも言葉のなかに置くことで、違和感なく、いいなと感じられるのは詩の魅力のひとつだと思います。 三連の二行目の《いてくれたの》が三行と四行に同時にかかっているのもニクい。相手への問いかけと自分に言い聞かせる二つの《いてくれたの》。 で、四連はもう。個人的にはここが一番いい。言葉が語り手の動きをしっかり見せてくれてる。動詞をいくら置いたところで動かないものは動かないのだけど、ここでは見事に動きが見える。端折ったりしない端正な手つきを感じます。いやあ、いいものを見せてもらいました。
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