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いつも窓辺じゃ寂しいでしょう
祖母を見つけたとき 既に死後二日経っていた。 濁った風呂の底で沈黙した後頭部と 赤くずる剥けた顔が忘れられない。 車で旅行に出かけた兄は、首を折って帰ってきた 耳を失くした横顔に、痛みの影はもう見えない。 実家の窓辺には、 無傷なお土産と兄の遺影が飾られている。 病に伏した叔母は、骸骨のように痩せ細り その眼には何もうつしてはいなかった 私はただ、 減衰する振り子を見るように、 往復する喉仏を見つめていた。 死とともに穢れた私の家族。 醜い蛋白質の塊 石ころと変わらない それでも彼らは、私が愛する家族のままだった。 私は今日も、 片耳がない兄を助手席に乗せ、 ふやけた祖母とお風呂に入り、 骸骨のような叔母の隣で寝る。
いつも窓辺じゃ寂しいでしょう ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1715.9
お気に入り数: 0
投票数 : 3
ポイント数 : 3
作成日時 2020-11-08
コメント日時 2020-11-15
項目 | 全期間(2024/12/15現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 3 | 3 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 3 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>私は今日も、 片耳がない兄を助手席に乗せ、 ここすごくリアリティがありました。 うまく言えませんが、車内の様子や空気まで仔細に伝わってくるようです。
0家族愛に基づく心象世界ですねっ!
1祖母もお兄さんも亡くなっているのなら、早く死亡届を出して火葬しないと。なんか辻褄があわないな。
0ああ、この作品は良いですね。読んで良かったと思いましたし、何より重く陰鬱な題材を扱っているのに最後までスムーズに読めました。戦争かな?震災かな?とイメージは膨らみますが、寓意を含む家族の詩、作品としてもクオリティは充分。実は震災でも戦争でもなく、心理的な家族の葛藤が描かれているのかもしれませんが、そこには自嘲もないし、憐憫もない。鬱屈を吐き出しただけでもなく、描写そのものは陰惨な印象がするのに読んでいて苦痛じゃない。良作だと思いました。
0ありがとうございます。 隣に兄が座っているかもしれません。
0コメントしていただきありがとうございます。 作中の「私」が本当に家族の遺体と暮らしているとすると、確かに辻褄が合わないと思います。
0ありがとうございます。良作と言っていただけて嬉しいです。 やはり内容が重すぎると読み手を遠ざけてしまう向きがあるので、そういう心情描写はなるべく避けるようにしました。 震災や戦争のような大層な出来事ではなく、ごく日常的な家族の死にまつわる葛藤を描いたつもりです。 しかし、改めて読み直すと日常感が足らなかったように思います。
0とても「実感」のある詩ですね。 また打たれた句読点が非常に効いていると思います。 経験された方にしか書くことのできない力強さを感じました。
1いい詩だと思う。そしていい死だとも思う。 死というのは本来悍ましく、汚いものだということを思い出す。 あらゆる動物は綺麗なままでは死んでいけない。 人間もまた、肉体を持つ以上動物の宿命からは逃れられない。 現代の葬儀における死体は綺麗なものが多いが、 一方、飾り立てようのない悍ましい見た目の骸もまた確かに存在する。 残酷だが、これが死の真実だとあるいは納得できるかもしれない。 しかし愛する者がそうなったとしたら? この詩はそう言ったことを語っていると思う。 愛する者の悍ましい骸はどんな温度の火で清められても、 見たものの心に一種の穢れとして残り続けるのだろう。 そして生活の中で、何度も繰り返し繰り返し不意打ちのように訪れては 残されたものの耳元で死の真実を囁き続けるのだろう。 死とは本来、そういうものなのだ。生活の一部なのだ。 そういう死は、飾り立てて覆い隠した見知らぬ死よりは余程いい。 故にこれはいい死だ。そしていい詩だ。
2誰もがきっと日々を生きるごとに、減衰し、欠損し、傷を負いながら生きているのかもしれません。 致し方なく引き算されていく人間ですが、多くを引かれた姿を見てもなお、人を愛すことができることこそ愛であり絆なのかもしれません。 この詩は一見目に見える描写で語られた詩でありながら、内容については深淵。じっくりと読ませていただきました。 最後に「穢れ」ということばは世界中のあらゆる宗教において古来から扱われるテーマでありながら、日本においては忌まわしき差別の過ちを連想させる言葉でありますので、使用には最新の注意をされるのが良いのではないかと考えます。
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