やすい幸せはいつもわたし側にあります。夜は深いですが、すこしだけあかるいです。あかるいだろう?と人に言われると腹が立ちますが、昔風のパスタを食べるとそれも許せる気がします。
サメという生物を知っていますか?一般的には知られている生物ですが、わたしは最近までそれを知りませんでした。サメは人を食うらしいです。わたしは、サメを食べたことがあります。フライにしました。しゅわぁ、という音がしたので、きっとおいしい合図です。わたしは人を食べたのかもしれません。もしかしたら。
わたしは人、あるいはバッドばつ丸くん。
それはさすがにバッドに対して悪い、風評被害すぎるだろう、と友人は言いました。どうでもいいですが、バッドばつ丸くんをバッドと略す人を初めて見ました。あまりよくない略し方です。その友人はいろいろな柄のナフキンを集めていました。ナフキンを一枚とると、すべては花に見えてきました。うつくしいナフキンだった。それはわたしのこころを揺らしながら殺そうとしてきました。そしてわたしは殺害されました。誰に殺されたかは分かりません。友人か、あるいはナフキンか、それとも自分自身か。
自分自身とはどういうものだったか、わたしは忘れてしまいました。春風がすべて過ぎ去ってしまったから。
(春に風が吹くというのはおそらく幻)
かなしいと泣くのは夜だけでいいです。ヨーグルトを食べるのは朝だけでいいです。わたしは誰ですか?誰でもないわたしがわたしを殺すのですか、夜はさびしいでしょうか。
羊には慣れてしまいました。ガラスはすこしだけ硬いので頭を割るには十分です。西瓜は駄目かもしれません。子どもの純粋な疑問はいつだってこわいものです。彼らは夜のこわさを知りません。こと夜に関しては、わたしよりずっと子どものほうが強いのですから。
毎回、訪れるような、すてきなこと。風になって返ってくるはずではなかったのでしょうか。カレンダーの祝日は赤いのでしょうか。寝ぐせのある男の人のことをすきになったら、今度は時計をつけないひとをすきになるのでしょうか。かなしいことがない日があったら、なにをしたい?わたしはワクワクさんになりたかった。なり、たかった。だけです
作品データ
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作成日時 2025-11-13
コメント日時 2025-11-19
#現代詩
#ビーレビ杯不参加
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
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2025/12/05 22時53分04秒現在
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>>羊には慣れてしまいました。ガラスはすこしだけ硬いので頭を割るには十分です。 ここの2文がとても好きです。眠れないこと、頭が凝り固まっていることの比喩かなと思いました。 平易な言葉使いなのに、表現に厚みがあって尊敬します。
0日常のなかに滑り込む狂気ともユーモアともつ かない感覚が心地よかったです
0とても良いと思います。 繰り返される自己破壊が、淡々と描かれていて、大袈裟でないだけに悲しみが切実です。 イメージもオリジナリティがあって、説得力があります。 >かなしいことがない日があったら、なにをしたい?わたしはワクワクさんになりたかった。なり、たかった。だけです ラストのこの1文が特に好きです。 >なり、たかった と、詰まっているのが、切ない。 良い詩を読ませていただきました。 ありがとうございます。
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