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時の円環
時は帰らぬ どれだけ考えても 時は帰らぬ 人との別れが絶対となる だが考え方を変えてみよう 時はつながって輪になっている 帰らぬのだが返る 子どもは大人になれる つまり 夢が現実となる 夢が消えるのは目覚めるためだ 時はまた巡ってくる つまり永遠の夢ではなく 目覚めなければならないのだろう 繰り返しにより単調さではなく 複雑な変化を可能とする仕組みなのだ 電光が雲から地面にアースしても エネルギーは全体では保存される そういう性質を持つのだと思えば 帰らぬ命も なくなるのではない あまりに長い時のため 決して帰らぬと悲しくなるが そうではないのだ いつかまた会うときの自分は 永遠という言葉が偽りではないと思うのだ 私たちは恋う人を 待って待ってと追いかける そのようなことが善いことだと 絶対なる存在が私たちにそう走らせるようにと 時間は帰らぬと感じるように仕向けているのだ 不安と引きかえに喜びの感情を私たちは得る 真の理を誰も非難してはいけない 本当の本能に目覚めたとき 迷いから覚め 真なる感謝に包まれるだろう 永遠に終わらぬ物語の中で 直線的な死を克服しよう 失われるものなど何もない
時の円環 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 875.9
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-06-21
コメント日時 2025-07-27
| 項目 | 全期間(2025/12/06現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
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| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


語るあなたの理念がわたしを悩ませる。 黒髪さんには黒髪さんの個性があり、わたしがどうのこうのと屁理屈を言う立場にはありません。 あなたの言葉はやさしくてあたたかい。 だけどあたまを働かせてしまう。少しだけ。 病に伏したときジョージハリスンの音楽はやさしい。マイスイートロード。ヒア、カム、ザ、サン。 同じようにわたしが病に伏したときあなたの言葉はやさしくあたたかいでしょう。 しかしながらこの理念が象徴的に何かに置き換えられたときだと思うのです。 例えば、理念の庭に咲く草花のように。
1そうですね、僕は理念的に考えるタイプです。坂村真民さんのように、染み出る味わいの ある詩も、書けたら書いてみたいですが、草花を咲かせたいとも思いました。
0中村元センセーの御本ばかりではなく、どうでしょう、ハイデガーを読んでみてはいかがでしょうか。ハイデガーは存在と時間のなかで、存在の本質を「気遣い」だと見抜いていました。この作品に欠けているのはその当の「気遣い」です。独りよがりなのはよくありませんよ。
0以下に、「存在と時間」のポイントをメモする。 ハイデガーは現存在の存在を「気遣い」であると述べている。いっぱつでいうと、彼がもっとも述べたかったことが、この一言に凝縮されている。前半の、存在論の序説「存在の意味への問い」と「現存在の存在を問う」までの展開は、その論考の鮮やかさにおいて圧倒的であり、これぞ哲学書!というスリルに充ちているが、そこからやや唐突に「良心」とか「ありうべきありかた」とか、言い出されるのがこの書物の白眉というか、この「気遣い」なる概念が導入されるあたりから、一気に不穏になっていく。さっきまで現象学の講義をしていた教授先生が、司教の格好になって再登壇するというような、ちょっと哲学らしからぬ通俗性があって、そこらへんが絶大なる人気の秘訣なんだろうな、と思ったりもする。この「気遣い」(自分に先んじつつ、どこそこの内にすでに在る中で、何々のもとに在ること)を分析していくと最終的に「時間性」にいきつく。時間性には、時間の働きを構成する3つの地平=「脱自態」がある。いわく、 「将来」 →~おのれへと向かって 「在来性」→~に戻って 「現在」 →~を現れさせる 別言すれば、気遣いとは、この3つの時間性の地平のうちにあると、ハイデガーは主張しているわけだ。それまでテツガクシャたちは、時間を通俗的に扱い過ぎていた。本書でやり玉にあがるのは”哲学王”ヘーゲルであるが、その(精神現象学のなかで扱われている)時間概念は「点性としての否定の否定」とある。 ハイデガーはこれを「どの点も自分を対自的に定立するということで、今はここに、今はここに、ということが念頭に置かれているに違いない」と述べる。と同時に、かたや一方で「時間は精神をいわば収めることができなくてはならない。一方、精神のほうは時間と親和的でなくてはならない」 …とも主張する。したがってヘーゲル流の「点」(いつやるか? 今でしょ!)のみに依拠するのは不十分ということになる。「時間性」には「現在」「在来性」「将来」という”行き先”があるのだ。そしてこの3つの地平の統一が、世界の形成でもある、と言う。ここにいたって、ようやく冒頭で掲げられていた「時間を存在了解の地平として解釈」することが可能となる。
0前に私が書いた記事の抜粋です。ご参考までに。
1こんにちは、黒髪さん。 >>子どもは大人になれる つまり 夢が現実となる シンプルにて心にのこりました。
1冒頭の 時は帰らぬ 人との別れが絶対となる がいい。のに だが考え方を変えてみよう、であとはすべて駄文になってしまった。 断定的なフレーズを持ってきて だが、と持ってくるなら 最初から「だが」以降の書きたいことで、詩文を構成すればよい。 今回の書き方のせいで、考え方を変えてみよう以降は、すべてヨレヨレになってしまっている。 すべては構成の失敗。
1ありがとうございます。
0ありがとうございます。
0生と死という普遍的命題への真摯な問いかけ。 やさしさに溢れていて、脱帽しました。 時の円環、本当にいい言葉だと思います。
1すみません、おまるたろうさん、コメント返すの抜けていました! ハイデガーですね、挑戦したのですが、全く分かりませんでした。筒井康隆さんの解説書も読んだんですが、どうにも頭に残っていません。気づかいを、世界や時間や他者や自分に対してするのは大事だ、ということは分かります。コメントありがとうございます。失礼しました!
0生と死については、これから勉強して、研究していこうと思っているところです。やさしさを感じられました?嬉しいです。コメント下さり、本当にありがとうございます。
1黒髪さん、安心してください、わたしも全く分かっていません。「存在と時間」は計3度、ちがう訳書を買って通読しましたが。読めば読むほど凄い本ではあります。
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