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水族館
水の中 アザラシが泳ぎ 影を 落とし 輪郭を 照らし出す 巨大な乾いた街の中 楼閣の小さな狭間にて ここにいられるはずのない アザラシが その命を見せつける 膨大な 重油と核を燃やし その上に 仮初の海が 冷たく波打っている アザラシは来る そして興味をなくし 去っていった お前は全力で生きろ 愛されてくれ 何も考えるな ただ ただ アザラシとして 燃え続けろ それだけで この蠢く人間たちは 洗われる 水の中 アザラシの輪郭は見えない コンクリートの上に寝ころび あくびをしていた
水族館 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 320.6
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-05-30
コメント日時 2025-05-31
| 項目 | 全期間(2025/12/06現在) | 投稿後10日間 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


アザラシの命を見せつけられ、仮初の海。コンクリートの上に寝ころび あくびをしていたもの。蠢く人間たち。興味を無くして去っていったアザラシ。詩の中のフレーズを抜き出していくと、詩の全貌が解かるような気がしました。
0>お前は全力で生きろ >愛されてくれ >何も考えるな >ただ ただ >アザラシとして >燃え続けろ とても切実な祈りですね。 アザラシを仮初の海に閉じ込めてしまった人間の愚かしさと、 それすら跳ね返すアザラシの鮮やかな生命力。 それと、これは単なる感覚なのですが、 アザラシという生命に、生き物と生まれた悲しさ、 例えば、人間にうまれた悲しさ、牛に生まれた悲しさ、を、重ねているように思われました。 ところが、アザラシは、そんな切実な想いを他所に、 >コンクリートの上に寝ころび >あくびをしていた という拍子抜けな様子が、とてもユーモラスに思えました。 ありがとうございます。
0東京のすみだ水族館やサンシャイン水族館、札幌のモユク札幌などの都市型水族館というのが探せばありまして。 東京旅行した際、すみだ水族館にアザラシ(オットセイだったかも)がいたのが少し驚きでした。 本来なら絶対生存できない環境でそれを知ることなく全力で生き続ける生命だなと。 水族館はそんな生命ばかりですが。 そんなところからできた作品になります。 これらのフレーズが全貌といえば全貌ですね。
0人間の愚かさといえばその通りで否定しようもないのですが、例えばさかなくんみたいな人間がこのような水族館に訪れたとすれば、脳内でビッグバンが起こったような感激を受け続けることでしょう。 また、しばしば貴重な種の保存にも役立つことも考えられます。 とすると完全にこのような水族館に意義はあるのだと思います。 そこで生命力を浴びるのは悪いことでは決してないですし。 水族館のアザラシは自らに悲しみを感じることなく、牛もまた生きる悲しみを感じずにひたすら全力で生き続け、燃え続けていると思います。 そんな命の在り方をみて、人間であるわれらは勝手に悲しく感じるのかなと。 アザラシも牛もはあくびして寝ころんでいます。 それを見て、なんだかうれしく感じたのは事実です。
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