退廃的青年の降誕 - B-REVIEW
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退廃的青年の降誕    

旨いものを食って飲んで 帰るとソファから動けなかった 幸福感のある不幸とは これを言うのだ おやすみを 誰にも言わなかった顎は ぽっかりとゆるんで 夜と朝の狭間 いつともいえない時間に 宙に浮いて 確かなのは 時計の針 だけだったが それを読み取るほどの 力はとっくのとうに 抜けていた 皆の知る時間から 追い出されたのではない 皆の知るようで知らない時間を 知ったのであった 静けさの中に 冷蔵庫が動く 歯ぎしり のような音だけ 聞こえる  そうした今の居間にて 足首を回した よし、 冷めた風呂を 温めなおそう と思ったら 裸のまま 腕をあげ 足を放って ああ 幼子のように 眠っていた 力尽きた 〆の アーメン。



退廃的青年の降誕 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 9
P V 数 : 1559.6
お気に入り数: 5
投票数   : 2
ポイント数 : 0

作成日時 2020-11-03
コメント日時 2020-11-21
#現代詩 #縦書き
項目全期間(2024/03/29現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
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 エンタメ00
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閲覧指数:1559.6
2024/03/29 17時33分27秒現在
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    作品に書かれた推薦文

退廃的青年の降誕 コメントセクション

コメント数(9)
大塚拓海
大塚拓海
作品へ
(2020-11-04)

どうでもいいことを、詩にする。どうでもいい、素晴らしくない、下らないことを詩にする。 それをすることにはある種の勇気が必要だと思う。どうせ書くなら、良いものをとか考えがちだがこの詩は違う。 むしろ、どうでもよくて下らないから詩になる。 「みんなの知るようで知らない時間」。おそらく私たちがどうでもよい、と切り捨ててしまう時間。詩にすらもならない、と切り捨ててしまいそうになる時間を、どうにかしてすくい取ろうとする。そんな、小さな冒険心と好奇心、優しさを感じられる。そしてそうやって、すくいとったとしてもやっぱりそれはどうでもよいものなのだ。それを知っていて詩にすることそれ自体のユーモアもタイトルから感じ取れる。

0
中貝勇一
大塚拓海さんへ
(2020-11-05)

コメントありがとうございます。 現代詩、特にアマチュアの詩は、妙にウエットなものか、ぶっ飛んでおどけているかのどちらかだな、と最近考えてしまうなかで、本作は、ドライでさり気ないユーモアを念頭において投稿してみたものでした。 ねらいが伝わったようで、嬉しい限りです。

1
大塚拓海
大塚拓海
中貝勇一さんへ
(2020-11-05)

現代詩、とは言えだんだんパターンが見えてしまうことの閉塞感がありますよね。でも、「伝わらないんじゃないか」「地味じゃないか」みたいな不安に駆られる時があり……ドライに書くのはやっぱり難しいですね。 中買さんの、周りを見て何が書かれるべきか考える姿勢は自分にないものなので、参考になります。

1
耳原耳彦
耳原耳彦
作品へ
(2020-11-11)

疲れ果てた人間は動物に似てくる。いや、元より人間は動物である。だとすれば、人間らしくなくなっていく、のだろう。この詩は、その人間性とでも言うべきものが、一枚一枚服を脱ぎ散らかすように剥がれ落ちていく様を見事に描写している。最後の一行、「アーメン」の一言が、残り僅かな彼の人間性を伴って、ため息のように吐き出される。かくして彼は動物となる。

1
中貝勇一
耳原耳彦さんへ
(2020-11-17)

コメントありがとうございます。これはもう僕の中では「ファルス」でして、もう人間の(というよりかは自身の)だらしないところを、もう一人の自分に中継させたような詩でありました。まさに動物になる一部始終。耳原さんのコメントの表現、的を射ているなぁと思いました。 そして、〆のアーメンは完全にギャグです。

1
田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2020-11-18)

力尽きた 〆の アーメン に極端な形で表れているように 一行一行が短く、音的に感受しやすいものになっていて うまいなあと思わせられました。

1
中貝勇一
田中宏輔さんへ
(2020-11-18)

コメントありがとうございます。 だんだんと、1行を短くして、音楽でいうところのデクレッシェンド(だんだん弱く)を意識していました。 力が抜けて、かつ断絶的にという狙いが伝わって何よりです。

0
作品へ
(2020-11-21)

(今夜のキャスを聞き、気になって読んでみました。以下簡単な感想です。)  第一連では二行目と四行目の文末(だ‐た)で、第二連と第三連では二行目の四文字目(誰にも‐いつとも)と最後の行の文末(で‐て)で様式的に韻を踏みつつ、第四連から内容の描写が始まっているという構造なのかなと思いました。たとえば第四連、「力はとっくのとうに」の行が「力は」と「とっくのとうに」の二行に分かれていれば一、三、五、七行目文末が韻を踏んでいましたが(は‐が‐は‐た)、そこがあえて接続されていることで様式から内容へと焦点がずらされているのかな、と。  第五連は冒頭「皆の知る」が一行目と三行目でくりかえされていますが、これまでされてきた文末の音に規則性は感じられません。呼応するように第六連からはこれまでの比喩的な表現とは打って変わって冷蔵庫の音という具体的な環境の描写へと流れていっています。続く第七連では身体の動作がぽんと置かれ、実際の身体感覚が意識されることで、第八連での具体的な意思の説得力が増していますね。  そして印象的な第九連から第十連の「アーメン」の場面へと流れていきますが、ここも面白かったです。第九連の「ああ」は「裸」「腕」「足」といった身体の様子と「幼児のように」「眠っている」状況の間で休符のようにその間の感情を読ませてる機能をもっていますね。「力尽きた」「アーメン」は飲み食いした暴食の罪を寝落ちで贖う語り手と原罪を死によって贖ったキリストとが重なっているように思え、そこにある種の諧謔的な感性というか、最後にフッと力が抜けるような読後感がありました。  全体の印象としては、飲み食いした日の夜というユーモラスなテーマの中で様式から内容へと軽やかに視点が移っていく点が面白いと思いました。換言するなら、聴覚から視覚へと緩やかに焦点がずれていっているように感じられ、そこが興味深いと思いました。

1
中貝勇一
&さんへ
(2020-11-21)

キャスも含めありがとうございました。 「力はとっくのとうに」の部分は、最終連の減衰をより示すために、改行を避けた記憶があります。(「力は/とっくのとうに」とすると空間が多くできちゃうなという判断です。しかしながら、この指摘を踏まえれば「とっくのとうに/力は」と入れ替えると韻も確保できるなと思いましたが、いかがでしょうか?) 五連目は音よりも形式的なリフレインでした。時間への気づきを通過して、肉体に流れ込む、五連目はそうしたターニングポイントの意識はありました。 題材はそんなにたいそうなものでもないのに、ある意味仰々しくキリストと重ねちゃうところが、個人的には「ユーモア」あるいは「アイロニー」的な表現になっているな、と目論んでおりました。

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