作品投稿掲示板 - B-REVIEW

中貝勇一


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趣味詩人。文学修士(高見順の研究を少しやっていました)。国語屋さん(中学・高校教員)。2012年に「にいがた市民文学」詩部門奨励賞受賞。主に詩作、文学、教育、文化についてつぶやきます。お歌の趣味もありますがそれはまた別の姿。詩への感想、詩評や創作の依頼、同人のお誘い等、お待ちしております。

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コメントありがとうございます。 なるほど、「視点の移ろい」というのも面白いですね。僕も勉強になりました。 ただ、僕はその「視点の移ろい」でさえも「なぜ移動させるのか」と考えてしまう厄介な読み手です。(苦笑)ですので、なぜ視点を移ろわせないといけなかったのか、と考え始めております。 僕がこの評で「回想の饒舌」という表現を用いたのも、その回想のあり方、それも些細なあり方ひとつで、「別にそれがなくても詩が成立する」表現が生まれ得ることを指摘したかったからです。 飛躍感の演出だとしても、そのように読者に見えるかとか、そういった神経の使い方が詩書きには求められているのだなあと感じております。 (思い出すことと思い出さないこと。あるいは、語ることと語らないこと。)

2021-02-14

夕暮れのアンニュイな空気感がうまく描写できていると思いました。 身体性も感じられ、まさに「神経」が通っている感じを覚えました。 質問というか、確認したいというか、ちょっと疑問符がついてしまった点をば2つお伝えします。 1つめ。 >鉛筆の硬質な響き そこへと 指先から滲みでた神経が 廊下から戸を硬くしまっていた季節だ はじめ、「神経が廊下から戸を硬くしまっていた」という係り受けで読みました。 「(戸を)しめてしまっていた」あるいは「戸を硬くしてしまっていた」とも考えられそうだなと思いました。述語が飲み込みきれませんでした。 二つめ。 >あらゆる吐息にあらゆる感覚が伸びている それらは全て諦めているから 夕暮れはいつも 気怠げだ まず、「あらゆる感覚が諦めているから夕暮れは気怠げ」という係り受けでOKですか?これは些細なことです。 それに、上手く言語化できておらず恐縮ですが、係り受けというレベルではない次元でもつかえています。 二連目の「神経」は、個人の(生徒ひとりひとりの?詩の語り手の?)もので、かつ緊張感が感じられるのに対して、三連目の「神経」は、「あらゆるもの」の「感覚」(=神経と読み換えは可?)であって、「夕暮れ」の「気怠さ」と繋がるゆえに緊張感のなさを感じます。 この二連と三連の「神経」あるいは「感覚」のレベルの差があるところで、なんだかあれこれ考えてしまいました。 曖昧な評ですみません。が、描写は成功しているのではないかと思いました! (気怠げな夕暮れ)

2021-02-14

滋味深い、そういう言葉が読後にふと思い浮かびました。 2箇所だけある読点の使い方(あるいはスペースの使い方との差異)が気になりました。 (クロソイド曲線)

2021-01-23

コメントありがとうございます。 語り手の位置という視点で読んでくださいました。普通のいわゆる叙情的な詩を、部屋の中で書こうとすることへのフラストレーションがあり、その反動が本文だと解釈することも出来ると思いました。 叙情詩を捨て、(といいつつもバラッドに習おうともしている訳ですが)自動筆記的な口語体にはなっているのですが、でもどこか見られることを気にしている、そういう語り手を設定しました。 そして、この詩は「叙情詩」の装いに失敗し、「ネット詩」的な装いをしながらも、そのバラッドも装うとしている、一種の文体練習としてプロダクトした作品だと自分自身では考えています。 (下手くそが書くバラッド)

2021-01-10

コメントありがとうございます。 入れ子構造についても、バラッドらしさについても、だいぶ意識して書いておりました。 ある意味これは、ポエジーで勝負することをやめている作品だと思っております。 丁寧に筆を尽くして、鋭い指摘をしてくださいまして、大変嬉しく思います。 (下手くそが書くバラッド)

2021-01-10

信号を待つ、何も感じない人であればほんの一瞬でちっぽけであるような時間に、この詩の語り手はあれやこれやと思考している……こうした構図が、タイムラプス的な効果を読者に与え、情景をイメージさせているのだなと考えました。場合分けをして考えるなど、語り手の饒舌さが、ある種の「詩らしさ」(煙に巻くような表現でごめんなさい)を付け加えています。個人的にはもっと饒舌であってもよかったかもな、とも思いました。この語り手が見ている情景や、語り手が執着している「人間」についてのくどくどとした考察をもっと眺めていたいという感想も得ました。 (常時幹線青方式信号機)

2021-01-05

沙一さん、コメントとても嬉しいです。 その「いやらしさ」を感じていただければこの詩の目論見はある意味、大成功であります。(私からはこれ以上多くは語りませんが……) ありがとうございました。 (下手くそが書くバラッド)

2021-01-04

コメントありがとうございます。 狙い通りの評でございました。僕としては大成功であります。 饒舌に作者が語り過ぎてはならぬので、詳しい話をもし聞かれたければ直接どうぞ……。 (下手くそが書くバラッド)

2021-01-03

竹を観察するうちに、「日常を生きる」ということを共通項として、その客体である竹が主体に接近してくる、そうした気づきをレトリックとして表現できている作品だと私も読めました。 >でも鉈で割ったら空洞は死んだ 一連目では「死」についても取り上げていますが、竹の死は語り手自身の生命とつながることはあったのか、なかったのか……。そういった意味で語り手の設定が気になりました。(ひらがなの「ぼく」としているのも何か関係がありますか?) (竹林にて)

2020-11-22

旅が掻き立てる詩情、それを丁寧に描いている作品だと思いました。特に以下の2点について、丁寧さを感じました。 ①「老いた馬」、自身の限界(?)、「爺さん」との重なり(「老い」というか「非力」というかそういう観点において……) ②北の地(それはノスタルジーも含んだ土地)から海へ向かう語り手の視点の移動 また、滝本さんが指摘していた、「海は//開かれていた」の連変えも、海を前にしてはっと息をのむ語り手の呼吸が伝わりました。 まさに、ここを機転に「俺」は「ひらかれた」のかと考えました。 (帰路)

2020-11-21

キャスも含めありがとうございました。 「力はとっくのとうに」の部分は、最終連の減衰をより示すために、改行を避けた記憶があります。(「力は/とっくのとうに」とすると空間が多くできちゃうなという判断です。しかしながら、この指摘を踏まえれば「とっくのとうに/力は」と入れ替えると韻も確保できるなと思いましたが、いかがでしょうか?) 五連目は音よりも形式的なリフレインでした。時間への気づきを通過して、肉体に流れ込む、五連目はそうしたターニングポイントの意識はありました。 題材はそんなにたいそうなものでもないのに、ある意味仰々しくキリストと重ねちゃうところが、個人的には「ユーモア」あるいは「アイロニー」的な表現になっているな、と目論んでおりました。 (退廃的青年の降誕)

2020-11-21

コメントありがとうございます。 だんだんと、1行を短くして、音楽でいうところのデクレッシェンド(だんだん弱く)を意識していました。 力が抜けて、かつ断絶的にという狙いが伝わって何よりです。 (退廃的青年の降誕)

2020-11-18

コメントありがとうございます。これはもう僕の中では「ファルス」でして、もう人間の(というよりかは自身の)だらしないところを、もう一人の自分に中継させたような詩でありました。まさに動物になる一部始終。耳原さんのコメントの表現、的を射ているなぁと思いました。 そして、〆のアーメンは完全にギャグです。 (退廃的青年の降誕)

2020-11-17

コメントありがとうございます。 現代詩、特にアマチュアの詩は、妙にウエットなものか、ぶっ飛んでおどけているかのどちらかだな、と最近考えてしまうなかで、本作は、ドライでさり気ないユーモアを念頭において投稿してみたものでした。 ねらいが伝わったようで、嬉しい限りです。 (退廃的青年の降誕)

2020-11-05

まず大文字の件については、やはり原口さんの指摘の通り、AllegroとTempestosoという語義の隔たりのためです。 イタリア語の普通の付け方に反したというよりも、この2つの「曲想」の結びつきの距離を示す大文字とでもいいましょうか。大変鋭いご指摘で、タイトルをつけた感覚を言語化することが出来ました。感謝です。 西洋の詩型には明るくないのですが、やはり可読性や僕の(いかに締めくくるかを考える)傾向を踏まえて、こんな形になりました。 ただし、これもご指摘の通り、変拍子の表現と言いますか、促音を使ったり、単純な対称性を排したりということはかなり意図的にやっていました。 苦しめど苦しめど結局は個人だけの問題だ、というそういう諦念が僕の中にあって、それがこの作品の動機のひとつにもなっていました。 西洋や古典とつきあわせたコメントで、大変作者である僕自身勉強になりました。重ねて御礼を申し上げます。大変ありがとうございました。 (Allegro Tempestoso)

2020-09-16

帆場さん ご丁寧にコメントありがとうございました。 眠れないときの肉体の感覚と、音楽性(特に促音を歯切れよく入れることに努めました。)を感じてくださったようで何よりです。 苦しんでも時間の経過はどんな形であれ受け入れなければならない諦観と、一方でそれに悶えながら耐える人間の様を、まさにTempestoso(テンペストーソ、嵐のように)と結びつけて表現した次第です。 (Allegro Tempestoso)

2020-09-13

なるほど、よくわかりました。 ありがとうございます。 (判断する たましいよ)

2020-09-06

質問を2つ。 ①「有難う」「ありがとうございます」「ありがとう」の書き方の違いは意図的ですか? というのも、この作品の特徴の一つは、話し言葉的であるということを思うからです。詩句がすっと読者に入ってくるのも、この文体のおかげで語られるように感じるからだと思われますが、「読む」行為を経ている以上、書き言葉的な要素(漢字の変換、あるいは常体か敬体か、など)も含めてあれこれ考え得てしまいます。 特にここで私が気になっている感謝の言葉についてですが、私なら「ありがとう」と書き方を統一して明確なリフレインを狙っちゃうなあと思います。 ②感謝の対象である「たましい」「肺」「心臓」など、その順番の意図というのは何かありますか? タイトルが読者を惹きつける力を持っています。そのフレーズは第一連の半ばに現れていますね。 ただし、その「たましい」に次いで他の身体が出てくる。そして「あなた」(この「あなた」は誰か?)も出てくる。すると、なんだかせっかくのタイトルのフレーズが薄まる感じがしてしまってなりませんでした。 モチーフとしては、他の方がコメントしてくださっているように評価できる点だと思います。自身の肉体への眼差し。ポエムアイだと思います。 あとは、その眼差しの持って行き方かなぁと。 (ちなみに私なら、ベタかもしれませんが、肺→心臓→たましいの順で視点の深化を狙います。) (判断する たましいよ)

2020-09-06

ふとした瞬間に吹く風にこころ改まる1シーンを描こうとしたことは、なるほど分かります。 きっかけとしての風、モチーフとしては共感できます。 しかし、表現が紋切り型であることと、描写がないことが課題かなと思います。たとえば、街の景色は?辛い日々の様相は?なぜ「通っていく」ではなく「通ってく」なのか? そもそもの気持ちの描写は? ……などと問いはいくつも立てられます。 これらの問いに対するものを、説明ではなく、オリジナルの言葉の組み合わせで、自身の感じるぴったりな状況に一番近そうなように、描きあげることが肝要かと思います。 (とおる風)

2020-09-06

コメントありがとうございます。 先のコメントにも記したように、音楽用語を用いたタイトルの作品です。したがって、オノマトペや促音の積極的な使用は音楽性と、狂乱の表現のためにあるものでした。 諦観と救い、ある意味、個人的にま大切な(詩作だけでなく人生の)テーマの1つです。それを感じて頂けたようで、何よりです。 (Allegro Tempestoso)

2020-09-05

コメントありがとうございます。 まさに実験のつもりでした。 タイトルには「Danza」の示しており、つまり「舞踊(曲)」を詩をするという試みで、全て動詞で書くというモチーフが決まりました。 (Adagio Danza)

2020-09-05

「だれだ」と繰り返し問うのが、読み手に突き刺さる。そしてその問いは詩の大きなリズムも作る。リフレインが上手く効いているなと思いました。 「けったましい」という表現(口語的?)や、「起こす」と「山を越す」という言葉遊び的な側面も見えて、面白い。 夏のモチーフと、言葉遊び的な面とが、うまく重なる作品だと思います。 (犯人 はだれだ。)

2020-08-31

あまりにも突き抜けた青空の夏は、「凍る」という動詞が似合う、そういう感覚が私にあるゆえ、最初の一行にシンパシーを覚えます。 「その気持ちを呼ぶのはそうなのかしら」の繰り返しで、ドライな様子を見せつつも、最後に「さみしい」を連呼する、このこころの揺らぎが素敵です。 ただし、「冬の寒さを待ち望むようだ」だけが紋切り型なので、そこを気にする読み手もいるかもしれないな、とも思いました。 (ひとり)

2020-08-31

透明さが「割れて」、「墨色の景色」が見えるようになる。 時間が動きながらも、意識的には止まる(とどまる)。 リアルと理想の断絶と、そのどちらも実感する様子が、読者の共感を誘います。 私は、この作品の「感覚」、どことなく分かります。 (東京の蜻蛉)

2020-08-30

暁美玲さん、コメントありがとうございました。 題名はイタリア語で、いわゆるクラシックの音楽用語でもあります。「速く、嵐のように激しく」という意味です。 読みながら音楽的な要素も味わっていただけたら幸いです。 (Allegro Tempestoso)

2020-08-30

様々な形式で「好き」を書いており、確かにゲシュタルト崩壊的な物を狙っているのかなとも思いましたが、私は(途中までは)目的語がないのが肝なのかなと思いました。 つまり、何を愛するのか? そしてそれが見事に外国語の連でこの問いが深まる。 「I love i love i love you (略) 我爱我爱我爱你」……私を愛するのか?あなたを愛するのか? はたまた、あなたを愛する私を愛するのか……。 単なる羅列かもしれないし、そうでないかもしれない。そもそも「愛する」とは……。 穿った見方かもしれませんが、言語の違いみたいな点も面白かったです。 (好き好き 大好き 愛してる)

2020-08-29

「『ダクトテープでふさげないものを愛して』」の詩句で、異なる断片を見せる。また、蝶やアリのモチーフと現実世界のドライな様子とが綯い交ぜになっている。コラージュ的な構成で面白いと思いました。 肝は、最後、「ダクトテープをふさげないものを愛して」と括弧が外れるところにあるのだろうなと感じた。地の文的になることにより、詩を「うたう」者自身の、リアルな声になる。 ただし、これは私の見方が単純であるせいかもしれませんが、後の吐露と比べると、第1連だけ浮いて感じられる気もしました。 (ダクトテープでふさげないものを愛して。)

2020-08-29