こんなに-し合っている私と君は - B-REVIEW
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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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こんなに-し合っている私と君は    

わたしと君は本当は届かない腕なのかもしれない。いつもすれ違って空を掴み、てのひらを血が流れる程ににぎりしめる、君はがらすの国の王子様。君のくちびるの形を賞賛する、薄い、繊細な、整った、赤い唇に触れようとすると、パチン! ほんとは君は幻なのかもしれないね、それでもこんなに向かい合っていられるのなら、私はずっと君を-す。 今日も空がきらきらと輝いていて、硬直した私たちが、空のなかで雲になる。このまま天にさえ昇れてしまえばいいのに、そうしたら私たちは、-し合うことができるかもしれないのに。 君は甘すぎる桃のジュース 冷たすぎるかき氷 青い時代に がらすの国の王子様 私は ぬる過ぎる夏の温度に 蕩けかかったアイスクリーム まっかな空に 地に埋まる骨


こんなに-し合っている私と君は ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 21
P V 数 : 950.8
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-08-04
コメント日時 2017-09-03
項目全期間(2024/04/25現在)投稿後10日間
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閲覧指数:950.8
2024/04/25 11時17分04秒現在
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    作品に書かれた推薦文

こんなに-し合っている私と君は コメントセクション

コメント数(21)
竜野欠伸
(2017-08-04)

田中修子さま 伸びやかな感性としなやかな理性のあいだにある叙情に甘美さを覚えました。抑制された表現が逆に真夏をクールにもします。そんな読後感とタイトル周りの初見にあった印象がとても颯爽とした季節感を感じます。よかったです。随分と行動的な印象もお茶目な気がします。

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田中修子
(2017-08-04)

はああああ! 誤字を発見いたしました。(叫んでいる) 取り急ぎ~「がらすの国も王子様」→「がらすの国の王子様」ですっ。 訂正していただけますと助かります、申し訳ありません。

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田中修子
(2017-08-05)

花緒さま 申し訳ありませんっ!! 叫んでいてルールを失念しておりました。 運営の方だけでなく、このサイトを利用されている皆々様も、いままで修正を受け付けられなかった方も、もしいらっしゃいましたら、本当に、申し訳ありません。私のミスです。 竜野欠伸さま、冷や汗のおさまる明日ごろ返信させていただきます~。お待ちくださいませ~。

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田中修子
(2017-08-05)

竜野欠伸さま、素敵なコメントをありがとうございました。 これはかなり昔に書いたもので、何を思って書いたのか自分でも忘れてしまったのですが、そっかぁ、颯爽・甘美・お茶目かぁ! と、とっても褒めていただいた気分になりました。 「-」の中に「愛」「恋」「殺」などいろいろ入るぅウフフ、などと思っていた気がします。 竜野さまの詩もゆっくり拝見してコメントいれさせていただきます~。

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竜野欠伸
(2017-08-05)

田中修子さん 昔作った糸電話みたいですけど、何だか愉快ですね。 「-」の中に、「握手」、「手遊び」、「いたずら」とか色々と置き換えることができるのですね。 これは、ある意味で、とても楽しい会話です。 コメントお待ちしています。ここには、素敵な詩があることもさることながら、 とてもウィットのあるレスポンスもあり、何だかとても嬉しいです。 他に仕掛けがないか、忍者になったような気持ちです。ウフフ。 よろしくです~。

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繰る井 莎鬼
(2017-08-05)

初めまして。とても好きだと感じました。 甘いようでいて、何処か諦めのような切なさも感じながら、やはりどうしようもなく焦がれるような、そんな求めて止まない想いを見たような。この「私」を抱き締めたくなりました。

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田中修子
(2017-08-06)

竜野欠伸さん あ、そっかあ、そうですね、『「握手」、「手遊び」、「いたずら」』たしかに! このころとってもすさんだ恋愛をしおりましたので、「愛」か「殺」かくらいしか入らせねぇぜウフフ、なんて思っていたんですけれども、そういった視点で見るとなかなかかわいらしくもありますし、自分で書いておいてばーっとあかるいイメージが広がったような感じがします。ありがとうございます! いろんな見方をいただけるので、こういったコメントのやりとりはとっても楽しいですねぇ。 繰る井 莎鬼さん はじめまして! 女性かな? やはり女性の方が、女性の書いたそのときの気持ちみたいなものは、伝わるのかもしれません(違ったらゴメンナサイ~)。 これを書いたのは、たしか、すさんだ、片思いのような、お互いを殺しあうような恋愛をしていたときだと思います。 あの頃の私を抱きしめようとしてくれて、ありがとう、そうしてこの気持ちが分かってしまうご自分のことも、ご自分で抱きしめてあげてくださいまし。

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なかたつ
(2017-08-11)

 まずタイトルですが、この-に何を入れるのかわかりませんが、なぜこう表現せざるを得なかったのか、想像するに、結論を出したくなかったという思いがあるような、それか、二人だけの世界で終わらせたかったということでしょうか。ただ、作中は「-し合うことができるかもしれないのに」と、まだ可能性であったのであり、まだ実行できていない行動であることが示唆されています。それかもしくは、タイトルと作中の-には違う表現が入るかもしれない、そんなことを考えました。  作品は、わたしによる君への一方的な視線で描かれています。つまり、君がわたしをどう思っているのかはわからない。それでも、一度だけ、君のくちびるの形を賞賛して、君に触れようとすると、おそらくはたかれてしまっています。これが君がわたしに対しての思いが読み取れる唯一のヒントです。(ちなみに、冒頭のわたしだけがひらがななのは、何か理由があるのでしょうか)  そして、最初に書いた「-し合う」の意味。私は君を「-す」ことはできているけれど、それが「-し合う」ことができないのは、君が私を「-して」いないから、「-し合う」と合うことができなかったのですね。  地上にいるままでは「-し合う」ことができないから、天に昇ることで希望を抱いていますが、結論を急げば、私は「地に埋まる骨」であるから、天に昇ることができずに「-し合う」ことができないのでしょう。  「がらすの国の王子様」という表現。あくまでも僕のイメージですが、何かをがらすに喩えるのは便利ですが、僕は綺麗なものだとは思っていません。それは、形を変えることも色を変えることもなく、また、動くこともなく、何も変わることのないままにただ壊れる・無くなる瞬間を待つだけの存在だからです。ただ、君は「がらすの王子様」ではなく、「がらすの国の王子様」であって、ただのがらすではなく、がらす界の王子様なのです。それはそれは、言うならば、がらすの中のがらすであって、よっぽど特別なのだと感じました。  最後は温度差のある食べ物によって、君と私のいる世界の違いを描いているのですが、それこそ、食べ物を用いて、天に在るがらすと地上に埋まる骨が感じるであろう、気温・地温の身体感覚の違いが鮮やかに描かれていると思いました。

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ハァモニィベル
(2017-08-13)

コメントさせていただきます。よろしくお願いします。 オクタビオ・パスによれば、実用品と芸術品を見分けるポイントは、「ポエジー」の有無だと言いますが、本作品のポエジーは薄いので、実用品に近い印象です。 ただ、芸術品でもなくまして実用品にはならないものも割りと在ることを考えれば、実用品に近いというのは、すでにかなりなものだと(わたしは)思っています。 が、同時に、実用品だから浅くてもよい、とは考えていないのです。 さて、 この作品では、「-し合う」「わたし」と「君」の関係が悲恋気味に語られています。語り手である女性「わたし」は、王子様とも認定する男性である「君」を、それでは本当に愛の対象として心に存在させているか、というと、語り手の女性は実のところはクールに割り切って見ているという感じが伝わってきます。 それは何故か、順に述べていきます。 本作は、アール・ヌーヴォーではなく、アール・デコな感じの整った一品です。そのせいなのか、文章が整い過ぎているがために、気付かれ難いような僅かな歪がかえって私には気になりました。 気軽に読むと、男女が「-し合っている」関係=恋愛という感じに、読めるし、そういう印象を与えるようにライト感覚で書かれてもいるわけです。 したがって、恋愛を基調に、ごく自然に読んでいくと、 恋愛模様には曲線が似合うのに直線で構成されています。作品じたいが、ピンクの女性的な額縁ではなくグレーの鉄で出来た額縁に嵌め込まれている。あるいは、ピンクの描線ではなくさめた青で描かれている。なので、 表面的な作品の基調と、深層に流れる作者のほんとうの気分のギャップが感じられ、むしろ強調されるのは、本来は、アンチ恋愛という心性を持った読者に訴求する作品でありながら、「らいとぽえむ」の読者にも売ろうとしている、という捻じれている印象を受けなくもない、といったカンジの違和感です。 (たんに恋愛表現を異化するというレベルを超えて、積極的なアンチの表現、もしくはパロディーになっているからです) 恋愛というか、強い愛がある、という場合には、お互いがその人でなければならない、と感じる(簡単に言えば、欠点も美点だと思う)世界なので、この作品のように、「わたし」と「君」を数理処置して客観的に対象化してしまうと、愛情の深い世界は見えてこない。と(わたしは)感じます。文章が整い過ぎている、といったのは、そういうニュアンスを含みます。 本作品の言わば眼玉である異化表現 「-し合っている」は、 気の利いた何でも代入できるイカス表現のようですが、 《愛》だけは、その本性上入らない。 だけど、本作では入るように数理感覚で書かれている。 恋愛もパズルだ、というライト感覚。(=極薄ポエジー) というわけで、本作品は、 よく読めば、「-し合っている」だけの関係にある二人(男女)に関する、女側から見た、ただの人物評なのです。 それは、ラストの部分によく出ています。 テクニカルな対句が綺麗に決まっているラストのところ。 >〔君は〕冷たすぎるかき氷 >〔私は〕蕩けかかったアイスクリーム これは鮮やかなのですが、しかし 本文をみると、 二行づつのセットにしてあり、そうしてしまった書き手としては 表現を結晶化しなければならない文脈の圧力を受けるところです。 そこを、作者は、 >君は甘すぎる桃のジュース >冷たすぎるかき氷 >私はぬる過ぎる夏の温度に >蕩けかかったアイスクリーム と処理しましたが、この対比はどうなんでしょうか? 彼の方は=「すぎる」ジュース=「すぎる」かき氷 彼女の方は=アイスクリーム(「過ぎる」のは温度であって彼女ではない) 「すぎる」は否定語になっていますが、 彼は二重に否定されている のに 彼女は「蕩けかかっ」ているだけなので、 普通のアイスに近い状態だから、実際はたいしたことはない。 なので、リズム以外(わたしには)成功した対句には見えません。 この破綻には、おそらく作者も気づいた筈です(それだけの腕はあるので) けれども、もともと、彼は甘すぎる「桃のジュース」だ、 というレッテルの方が先行してあったのでしょう。だから、決めの部分で、あまりにも紋切り型であるにも関わらず、どうしても、「彼」を、ただの甘い(すぎる)ジュースという、自分が安心できる枠の中に嵌め込むことは、むしろ動かしたくなかった(積極的にむしろ使いたかった)のではないか、と思料します。 スチール製の灰色の額縁のなかに、鮮やかな筆さばきで青く塗られた絵があるが、よく見ると、僅かな一箇所だけが、ピンクのマジックで塗られている。そんな印象を受けました。 以上です。

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竜野欠伸
(2017-08-14)

おはようございます。 コメントしますのでよろしくお願いします。 「-」については、解釈の仕方が分かれるのだろうと思います。1.初見では、「-」に何か伝えることが当初にだけあるような、戸惑いにも似た気持ちが「-」があるのだろう。そのような推測やら好奇心がありました。それらは、無限にも表現を求められる叙情でもあるのかな?とくる感情が思わせぶりでもあって、それらが愉快でもあります。ある意味で、読み手による自由な気持ちをくんでいるからです。「-」には、主体的で相手を汲み取る言葉なりを代入できます。2.「-」と言う語を使うだけで、叙情詩であるはずの詩が、詩も相手があることで成り立つ表現ですから、自由なコミニュケーションを想定している詩形式を作者が編み出したのでは、との試みには、楽しさを感じていました。恋愛感情を想定することによっては、これは叙情詩です。しかも、コミニュケーションを想定することができるので、ある意味で、読み手の感情を尊重してもいる形式をとっていると思います。3.「-」は、糸電話の糸やランケーブルなど、信号などを伝えることをできる、象徴記号かなとも感じました。象徴記号のあしらい方も上手だなとの感想です。 一方、この詩は、「-」を補完するメッセージが、詩言語であるため、よくもわるくも、フレームとして詩言語に意味が出てきます。「-」がイメージできれば良いのですが、イメージのフレームが額縁として、この詩の感想を左右する問題があるようです。フレームこそが詩言語であるがゆえ、表現の適切さやその他のことが、読者への印象にもなると思います。僕はより、この種の詩作を続けることで表現の可能性を探るのも一興だなと思いました。

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田中修子
(2017-08-15)

なかたつさま、花緒さま、ハァモニィベルさま、竜野欠伸さま、コメントをありがとうございます。 まず最初にこの詩? の詩的未熟さの言い訳とか、これを書いたときの私の状況について、申し上げます。 これは、たしか10年ほど前にさっと書いてプリントアウトしていたものを、投稿させていただきました。 「パチン!」というところだけ、いまの私がつけたしたものです。 当時、私はまだ詩を書こうと思っていません。なので、対句ですとか、そういうことも意識しておりませんでした。たぶん、浮かんだ風景とか、好きな単語とか、そういうのを書いたような記憶がうっすらとあります。詩として、あるいは文章としての完成度が低いならば、それは当時の私の幼さからのものです。 当時の私の状況ですが、私は、土下座するまでお説教をやめない、ニートの男性と付き合っていました。働かず家事もしない、綺麗な絵だけ描いている人でした。「男以上に働く女であれ」という母の教えに従ってすべてをこなして帰れば毎日お説教が待っていまして、過労からアルコール依存症になり、もともとそういう傾向であったのが決定的にほぼすべての神経症を発症しまして、やっとのことでたどり着けた治療機関で複雑性PTSDと診断され、薬漬けになっておりました。(いまはめきめきと元気です。) それでもなかなか別れられないという、一般的にモラルハラスメントとか共依存という状況だったのですが、その時の私がふたりの関係を書いた詩である、と思って読み直していただけると、なんとなく面白いかもしれません。 「がらすの国の王子様=君」は相手への過度の理想化・「地に埋まる骨=私」はすでに死んでしまっているような私として、心理を学びつつあるいまの私としては、おう、症状丸出しの複雑性PTSD詩だわぁ~と勝手に名付けております。 すみません、眠くなってきました。個別の返信は、また明日にさせていただきますね。おやすみなさい~。

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ハァモニィベル
(2017-08-15)

田中修子さんへ お話し、興味深かったです。昔から文章が巧かったんだな、とあらためて感じました。 過去の男性と当時の作者、お聞きしたその関係の中にいる女性が《この詩を》書いたというのは、若干解せない感じもしますね。「説教三昧」の王子様は、ジュースより漢方薬のイメージなので。あと、この作品の語り手はドライな性格だからです。でも、まあ、関係というのは時間の幅もあるし、心理状態にも幅がありますから、貴重な告白談を尊重して感動するだけにしたいと思います。 本作を読むにあたって、ひとつ、どうしても作者に是非お聞きしたいな、と思うのは、 どうして、10年前の作品を、「パチン」だけしか直さずに、今此処に出されたのか? そこに意図があれば、参考にお聞かせいただければと思います。 (普通はあまり思い出したくない過去を、成長した本人がそのまま無修正では提出しないものだ、とわたしは、ですが、なんとなく思うから、の質問です) 特に解答する義務があるはずもありませんので、質問がお説教のように感じられたら適当にお茶を濁して頂いて全然かまいません。(無視でも、わたしは気にしませんので大丈夫です)

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fiorina
(2017-08-15)

こんにちは~ もともと修子さんの詩には、「届かない腕」を読者のもとに置き去りにして、 何か太いことばのリアルさをずっしりと残しながら、 ぶっ飛んでいく快感があると思っていますが、 本作では「届かない腕なのかもしれない。」 の周辺をぐるぐる巡りながら、追認しているだけに見えます。 最後まで新たな展開が見えず、 読者も一緒に逼塞感の中に取り残されてしまいました。 表層の下に潜んでいる痛点を、なんとか探そうとしているのかも知れませんね。 その行為そのものが病だったのか、治療だったのか、 私にはわからないのですが・・・。

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kaz.
(2017-08-15)

返詩 バニラ-スを食べる。下の中でとろけるのは、君の舌。百舌のはやにえになった飛蝗が越冬し、春先に凍ったまま見つかる。誰にも埋められない言葉。私、-し合うことがこんなにも難しいなんて知らなかった。私、とても不思議なことをしているのね。-っていう。私、私、よくわからないの。-ってなんなのか。唾が翼になって、背中に貼り付いても、空を飛べない、Hの次は-、その次はJK、私、若返りします

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田中修子
(2017-08-17)

非常に長くなりました。みなさまへの返信をさせてただきます。 なかたつさま ああああ!! 冒頭のわたしだけがひらがななのは、誤字です。お見苦しくて申し訳ありません。 当時、私のなかでこの詩の「-」には、「愛」「殺」「許(あるいは赦)」の三文字が入りました。でも、他の人の恋愛の形ではどんなものが入るんだろう、という遊びもあったかもしれません。 「-し合うことができるかもしれないのに」は、「あんたアルバイトか家事くらいできるでしょー!(してくれれば付き合うのに……)」というズルズルな思いが出ているのかと。笑 彼はネットに発表する絵だけ描いていて私にあれこれ言う自分を誇りにしている、まさに「がらす界の王子様」であり、私は体を引きずるようにして限界まで働きまくって神経症やら何やらを発症していて、現実に生きてるが死んでしまうそうだった「地面に埋まりってお骨になっちゃいそうだよもー」という感じだったのかもしれませんねぇ。あはは……。 花緒さま えーっと、質問させていただきます。ポエムとは詩とは別なんでしょうか? 「ポエム」とはいわゆる「あなたの頭のなかってポエムだね~」みたいな感じなのか。 純粋にポエム=詩? 「詩」っぽいけどぎりぎり「詩」っぽくない?? むむ?? ふっと疑問に思ってしまいまして。 すみません、あまり自分で詩を書いているという自覚がないまま、どうも自分が書いているのは詩らしい、というノリで遊びに来てしまっているので、いろいろ尋ね歩いてしまう感じです。もし、お返事いただけたら喜びます。 ハァモニィベルさま 二回のコメントありがとうございます! まず、忘れないうちに二回目のコメントのお返事から。 「パチン!」を入れたのはそこの部分だけあきらかに文章として破綻していたからなのですが、もしそこも直す必要がなかったなら、私は全文をそのまま載せていました。 「普通はあまり思い出したくない過去を、成長した本人がそのまま無修正では提出しないものだ」と、私は考えられないからで、たぶんそこは私の病気と治療の関係があるからなんです。 私の普通って、症状的に普通の人とはズレちゃうんですね。 文学的というより心理療法的な話になってしまいますので、興味がありましたら≪≫内をお読みください。 ≪私の病のひとつにあるフラッシュバックという症状は、当時の状況と似た気温であるとか湿度であるとか、あるいは匂いをかぐだけで、嫌な過去が侵入してきます。 同じ症状を持つ友人とは、「体ごと昔に持っていかれる」と話します。 「当時泣くことも怒ることもできなかった外傷体験を安全な場で反復し語り、そのとき感じては生きていけなかった悲しみや怒りという感情を取り戻していくことでフラッシュバックの症状がやわらぐ」そうして理想形では「外傷体験をした自分が回復し、自分の体験を語り続け、同じ症状に苦しんでいるひとの回復をサバイバーとして手助けすること」と、PTSD患者である側面の私としての愛読書J・L・ハーマン「心的外傷と回復」にありますので、私はおそらくはふつうの人なら消し去りたかったり忘れたかったりする自分の過去を普通の人より大事にするとともに、その過去に書いた文章を過剰に大切に思わざるをえないのです。 ただ、安全でない社交の場でこのようなことを発言すると、トラウマがトラウマを呼ぶといって、「こういう目に遭ったからには泣き寝入りするタイプの人間だろう」とつけいってくるタイプの人がいることも確かで、そのことをご心配くださったのとしたら、ありがたく思います。気を付けています。≫ 一回目にいただいたコメントですが、ジュースにつきましては、えーと、 「働かなくて家事もしないなんてオマエはほんと甘ったりぃな!」とか思ってたのかもしれませんね。笑 そうしてそろそろ体を壊して働けなくなりつつある自分がアイスクリームだったのかなぁ。 さて、私の書くものは本当に「狂者の自己治癒のためのもの」であります。 「すでにかなりのもの」なんてお褒めいただくと照れを超えて恥ずかしいです。 きっとここにいらして詩あるいは文学を書こうとして勉強なさっている方には、永遠に追いつけないでしょう。 また、いちばん苦しかった10代20代を乗り越えてプクプクとした30代にはいった私には、この痛ましい感性ももうありません。 書くことだけは好きなので、じみ~に書き続けていこうと思います。 ハァモニィベルさんの絵のたとえ、とっても面白かったです! なるほどな~と思いました。そういう絵が浮かんできました。 竜野欠伸さん こんばんは~! なんというか、ハァモニィベルさんとともに、すごくしっかりした解釈をいただいてしまって嬉しいような恥ずかしいような。ほんとうにあんまりなにも考えていなかったはず。 当時の私としては、「-」には「愛」「殺」「許(あるいは赦)」が入りまして、どれもシャッフルしてどこにでも当てはまるので、えい、「-」にしてしまえ~というような投げやりさでした。 ただもちろん、ヒトサマが恋愛詩としてこれをよむときに、「-」には何が入るんだろう、おしえてほしいな、というような想像も働かせておりましたから、楽しさを見出してくださると本当にうれしいです。 「-」を使うという適当さというかあいまいさというかは、いまの私には頭が固くてちょっと出来なさそうですが、愉快なことに下でkaz.さんが返詩という形で書いてくださってますね。面白い! fiorinaさん こんばんは~! そうです、ほんとうに、ぐるぐるしていた時期でした。 心の中には、砂漠の中を全力で走っていたらこけてしまって、傷だらけで脱水症状を起こしてやっと起き上がるとどこからきてどこへゆくのか分からなくなっている、という風景が広がっていました。 閉塞感があるというのは、このときの私にfiorinaさんがほんとうに寄り添ってくださっているのだな、と思います。 いまの私が書くものは、もしかしたら、「生きることを決めた」ことが「ぶっ飛んでいく快感」なのかなぁ。 あれらのことは、病だったのか、治療だったのか。 病になることではじめて治療される、ということがありますので、病であり治療だったのかもしれません。 もし私が病を得ず、治療にもつながらないで、そのまま「健康体」で生きてきてしまったら、それはそれで、きっと、オソロシイ人になっていただろうな、とふっと思いました。 kaz.さん わーお、と思いました。スッと書かれたんでしょうね、すごいです。 この「-」の中には「バニラ-ス」ということで「アイ」しか入らないのだろうかとか、案外別の単語が入るんだろうかとか、いろいろ想像してしまいました。

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小笠潔
(2017-08-20)

田中修子さま <私はずっと君をーす。> <そうしたら私たちは、ーし合うことができるかもしれないのに。> この<ー>の発想が素晴らしいと思いました。一般的な、ありきたりな言葉(例えば、愛、など)を当てはめたくなるけれども、<ー>が「そんな言葉でいいの?その言葉の意味は確かなの?」と問うているような気がして、読み手側に浮かんでくる、陳腐な言葉を拒んでいるかのように感じます。読み手はもちろんのこと、実は書き手でさえも、当てはまる言葉を定めることはできないのではないかと…。言葉ではない、記号<ー>を使った表現方法が非常に新鮮でした。人それぞれ解釈の異なる言葉というものの重みを考えさせられました。 詩全体の印象として、甘やかでほんの少しの酸っぱさを感じましたが、最後一行、<地に埋まる骨>で「どんっ」と鈍い音が響いて、現実に引き戻されました。容易に甘さや酸味だけでは済まない、生の真っ只中にいる人間のにおいが放たれていると感じました。

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田中修子
(2017-08-28)

小笠潔さん 丁寧に感想をいただきありがたいです! いちおうこれは恋愛詩なんですけれども、その当時、「お前(当時の彼)がほざいてる恋愛なんて所詮お互いの優位性さがしだろ、ああ?」みたいなやけっぱちな気持ちで、入る言葉を探せずに「-」にしてしまったんです。 「地に埋まる骨」はきっと私のことで、当時のかなり本気で死にかけていた私が絞り出した私の状況みたいなものなんですが、「最後一行、<地に埋まる骨>で「どんっ」と鈍い音が響いて、現実に引き戻されました。容易に甘さや酸味だけでは済まない、生の真っ只中にいる人間のにおいが放たれていると感じました。」私よりずっと上手に私の気持ちを書かれていて、小笠さんはすごいなぁと思ってしまいました。 つくづく批評が書けず、批評に対しての幼稚な感想文でなんだか申し訳ない・・・・・・。有難うございました。 花緒さま ご回答ありがとうございます。 参考文献のurlにさっと目を通しましたが、1. そもそもの始まり では ポエムと詩は違うものであると書かれていますが、2. ポエム蔑視の終わりに、 しかしながら、そもそも、ポエムと詩とを区別する風潮、文脈そのものが、ポエム/詩という二項対立に基づいており、しかもポエムにはそもそも詩という意味が含まれていたことを考えると、ポエムの方がむしろ詩というものを規定していると考えられ、その結果詩の優位性が崩されて、ネット空間におけるポエムと詩との区別はつかなくなる、とも考えられる。 と書かれており、立ち上がりよりも結に近いほうが論文の「言いたいこと」は示されるので、「ポエムと詩の区別はついていない」というのがこの論者の意見かと。 さらにこの記事自体が「考えられ」を多用し非常にあいまいであるので、参考文献として示されるのはちょっと弱いような気がしました。 書き込みの 「構造 #SFo5/nok URL >はかいし それについては時系列完全に逆だろと思う。 ポエム蔑視から詩蔑視に拡大したわけじゃなくて 詩蔑視があったからポエムとして(詩人側が)切り離したんじゃね。 」 という方がもしかしたら花緒さまの理論に近いかもしれませんね。 花緒さまにとっての詩が「構築されたリ重層性の伴うものである」であり、私のこの詩?は「構築されたリ重層性が伴っていないように見えて案外そうでもない」と批評していただいたことは理解できました。 私は構築したり抑制するものを意識的に書くことはできないので、私の書いてあるものは文章ではあるが、一体何なんだろうとやっぱり謎が深まるばかりであります・・・・・・。

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竜野欠伸
(2017-08-28)

こんにちは。 ポエムと詩にある語義の相違について、僕の両者の語彙の使い勝手を考えたのですが、ポエムについては、喋り言葉/話し言葉として使っています。その方が、現実レベルの世界に残しやすさがあるからです。詩とは、一言で済ますと言う意味で、音として残りにくいはずです。ポエムの方が話し言葉としては圧倒的に言語作品であることを、主張しやすいです。詩については、文学言語とも思っています。詩であることの伝統的存在感は、詩と呼ばれることにおいて、言語作品とする主張性にはかないません。日本には短歌、俳句、川柳、ショートメッセージ文学のジャンルがあり、詩は、これらを包摂する意味合いとして、言語文化として構成させやすいと考えます。ショートメッセージ文学を標榜する場合でその限りだと思います。結論としては、ポエムと詩は言語作品としては、同じ意味合いで用いることもできますが、ショートメッセージ文学としては、多用途な使い勝手があると考えます。真面目に考えるとそんなところでしょう。

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田中修子
(2017-09-03)

竜野さん こんばんは! これってひとりひとりのこだわりというか感じ方があるというふうに思うようになってきまして、あんまり考えこんでも仕方がないのかなーって思ってきたところです。 poemの語源がギリシャ語の「作られたもの」の意であるなら、詩もポエムも作られたものであるからして、みな作られたものである。(ん?) やなせたかしさんはたしか「詩とは現実生活の圧力の中で結晶される言葉の宝石」と書かれていた気がする。 そういう意味ではこのこの言葉の連なりは私にとってすごく現実生活の圧力でできたものなので、詩なんじゃないかなーって思ったり思わなかったり。 よくわかりませんねぇ。 面白いなー。 竜野さんの意見をうかがえて嬉しかったです! もし他の方も、ご自分の詩/ポエム論などあれば拝見したいです~。

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survof
(2017-09-03)

ポエム論、なかなか面白そうな議題なので参加させてください! ポエム問題(とポエムを蔑視する風潮問題)は花緒さんが貼ってくださったリンク先のページにあるように、ネットの普及との関連が一番大きいのではないかと思います。昔は、イラストであれ文章であれ、音楽であれ、写真であれ、他の人に見てもらったり読んでもらうためには同人活動をするか、あるいはそれなりに権威のある雑誌といったメディアに投稿して、そこの審査員に認められる必要があったのに対して、ネットの登場でそうしたフィルターがいらなくなった。一種の権威主義が崩壊したというか、それとは別の軸が発生してむしろそちらがメインストリームになっていったという印象があります。で、ツイッターとかの普及によって、ちょっとしたの感傷的なつぶやきとかを共有できるようになって、そういった手軽なものが、<感情を共有するという役割を果たすものとしての「詩」>の役割を果たすようになったのではないかなあと(例えばですが)。なので個人的な意見なんですが、「ポエム」として蔑視されるものと一般に「詩」として評価されるもの一番大きな違いは、それを評価・批評する枠組み(というか権威)があるかないかの違いだと思います。 花緒さんのおっしゃる「中学生がノートに書いて喜んでるような若気の至りな詩篇をポエム」と呼ぶ、という定義はつまり、そうした「若気の至りな詩篇」は詩、文学、思想のもつ文脈に照らした本格的な(あるいはアカデミックな)批評に耐えうるものではない、よって「詩」とは呼べない、ということではないかと感じました。じゃあB-REVIEWにおける「詩」とは何なのかということになるんですが、意地悪な言い方をすればB-REVIEW運営の方達(という一種の権威)が何かしらの形で評価し得るものかどうか、シンプルにただその一点に尽きるのではないかと思います。つまり運営側の花緒さんが「構築されていたり抑制されていたり重層性の伴うものを詩と呼ぶ」と定義されている以上、B-REVIEWにおける詩というのはそういうもの(あるいは運営の他の方が詩だと定義できるもの)であるというほかないのではないかと。良い悪いではないとは思いますが、それはこうした掲示板の性質上どうしても避けられないことではないかと思います。おそらく運営の方々もその辺りのことにはとても自覚的でいらっしゃって、それに伴って発生する問題については頭を悩ませておられるのではないでしょうか? 個人的には、よく揶揄されるようなネット上の「ポエム」に対してはどちらかというと肯定的です。気軽にみんなが感情や感覚を共有しようとしているのだから、それは素晴らしいことじゃないのかと......。あとは好き嫌いでしかない、という気持ちがあります(アカデミックで権威主義的な批評も最終的には好き嫌いの問題に行き着くといういうのが持論ですが、ここを語り始めるとさらに長くなりそうなので、このへんで、笑)

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survof
(2017-09-03)

追記: 長文投下したうえに追記だなんて、申し訳ありません。上記読み返して見て、批判とは取られたくないな、と思ったので追記します。B-REVIEWの運営の方は全く頭が下がることにほとんどすべての投稿に対して誰かしらがコメントされています(つまり評価を試みておられます)。なので、この掲示板の存在によって、面白みを見いだせる文章の幅をどんどん広げていきたいという「脱権威主義」的な理念もあると思っています。それはとても素晴らしいことだと思います。 なんだか全体的に理屈っぽくなってしまい申し訳ありません。。

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