死人は - B-REVIEW
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ほば

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たそがれに たれかある さくらのかおりがする

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言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

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カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

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きょこち(久遠恭子)

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海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

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きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

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きょこち(久遠恭子)

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羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

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だれのせいですか

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sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

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渇いた心を満たす雨に満たされていく

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死人は    

ノックしている ノックしている 死が ノックしている ノックしている ノックし続けている 私も逃れられぬ 消えたくない絶対欲に駆られ 心が迷いなく 震える ノックしている ノックしている ノックしている 死が コンコンと 迫る


死人は ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 11
P V 数 : 1110.8
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2018-08-17
コメント日時 2018-08-23
項目全期間(2024/04/26現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
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閲覧指数:1110.8
2024/04/26 04時03分59秒現在
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    作品に書かれた推薦文

死人は コメントセクション

コメント数(11)
stereotype2085
(2018-08-18)

詩は今も刻一刻と誰かに向けて迫っている。そのことを「死がノックしている」との表現。上手い。出来るならばその扉を開けるのはなるべく先でありたいものですね。この内容でタイトルが「死人が」。また良いですね。

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ふじりゅう
(2018-08-18)

stereotype2085さん 評価頂けて驚きました。ありがとうございます。

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ふじりゅう
(2018-08-18)

花緒さん ありがとうございます。そうなんですよ。これは基本的に評価頂けないだろうと考えています。強度が宿っていないというのは正にその通りで、詩の肉付けを一切していません。恐らくスッカラカンの印象を受けられると存じます。 兎に角このような愚作にコメント頂きありがとうございます。

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三浦果実
(2018-08-18)

「ノックしている」を三連打すること、「ノックしている」をただ一言だけ置くことでは、大きな違いがあると思う。三連打されることによって何らかのレトリックがあるんじゃなかろうかと深読みさせ、探しているものが無いと判明すれば残念になる。「ノックしている」が一つだけ置かれていたとしたら、つまり、 死人はノックしている この一言だけの方が、レトリックの効果は増すと思う。更にいえば、エモい。大胆だし、作者の極私的な魂と覚悟を感じると思う。

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鷹枕可
(2018-08-18)

簡潔な表現。そしてリフレインが奏功を醸し、最適に機能をしていらっしゃられる。 メメント・モリも死語の様なものではございますけれども、 肉体―精神の死、その陰画でもある生きて在ること、絶無に帰趨するべき万有、死の奇跡。 それらに肉薄する為の、主題が佳く伝わってきます。 「コンコン」は昏々でしょう、か。

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羽田恭
(2018-08-22)

「では、どうすればよいのだろうか?」 というのが最初の感想です。 死が迫っているのは、当たり前といえば当たり前なので。 「我らはここにあって死ぬのだと覚悟しよう。そうすれば争いは止む」と釈迦のごとく受け入れるのか。 そうでないならいっそ。 「耽美なる死よ。いつかお前は私に追いつきその甘味に溺れるのだろう。だが、今はその時ではない。ドアに爆弾仕掛けて走り去る」 ぐらいやってもいいかと。

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ふじりゅう
(2018-08-22)

三浦さん、ありがとうございます。 うーん、残念。確かに残念な作品ですかね。 ノックのリフレインを何らかの技巧と捉えてしまい、浅い内容に愕然となられたと解釈しましたが、 やはり私の勉強不足、技術不足であると思います。

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ふじりゅう
(2018-08-22)

鷹枕可さん、ありがとうございます。 死を想うことは案外誰しも経験のある事でありましょうし、何か生み出すのであれば一度はそれに迫りたい、と誰しも考えるのでは無いだろうか、と個人的に考えております。 これはその残骸のようなものであります 笑

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ふじりゅう
(2018-08-22)

羽田恭さん、ありがとうございます。 ではどうすればよいのだろうか? 死が迫っているのは、当たり前といえば当たり前 至極真っ当なご意見です。しかしここからこの問の答えのようなもの、考えのようなものを導き出せなかった。 そこに私の限界がございます。

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日下ゆうみ
(2018-08-22)

この詩では「ノックしている」という言葉が複数回繰り返されて用いられており、その意味ではこの詩の主題は一つこの部分に現れているとみることも可能だと思います。そうだとすると、この言葉は「語り手が閉じた部屋にいること」と同時に「ノックする者との邂逅の不可避性」を示すものでもあり、従ってこの詩では語り手が感じている主題的な恐怖として死の不可避性に焦点が当てられていると言えると思います。そして、同時にこの詩の「ノックしている」という語の選択はそのようなイメージに加えて、他の興味深い影響を死のイメージに与えていると思います。 まず一つ興味深い点は、「ノックしている」ということは恐らく扉の向こうに叩く人物がいるのだと推察されますが、ここでは語り手がその存在を推察する手段は一つも場面の状況として明示されていないにも関わらず、「その存在が死である」と疑念の余地がない形で(「死が/ノックしている」と自然に示されている)認知されている、という点です。扉の向こうにいる存在が見ずとも誰だか分かるのは相手が日常的に良く知られている存在である場合が一つには考えられますが、そうだと仮定するなら語り手は日常的に良く知られている死の存在に不安を覚えているということであり、この一見した矛盾は興味深く思います(死の来訪が既に予定されていた可能性もあるでしょうが、死に限って何時に訪れるかが明確に知らされているといったことはないでしょう)。 また次に、「ノックしている」ということは死の存在は扉をノックできるほどの明確な実態を持った存在として現れているということであり、ここでは死霊や死神などに一般的に与えられている浮遊、すり抜け、などのイメージとは対照的なイメージが与えられている点も興味深く感じます。例えば幽霊の恐怖とは「いつ、どこに現れるか分からない」という点にあると思われますが、ここでの死の存在はむしろそうしたイメージとは対照的であるように感じられ、いつ命を取られるか分からない恐怖とは異なってこの明確な実態を持った死の存在は、果たしてどのような不安において捉えられているのかという点は興味深く思いました。 以上を踏まえ、私の解釈としては、このような「ノックしている」死の存在はむしろ語り手の不安を説明するために持ち出された架空な存在ではないか、と思いました。実際に語り手は「消えたくない!」と急に叫び出しはせずに「消えたくない絶対欲に駆られ/心が迷いなく/震える」と自身の心の内部を冷静に分析することが出来ており、自分の不安を説明しようとする態度で語っているようです。しかし死は、やはりいつやってくるのか分からない不可知なものであり、それ故、説明のために持ち出される死の存在は架空のままであるように思いました。 ただもし以上のような形ではなく、死は「ノックしている」ということに関して別のイメージを付与しようとしていたということであれば申し訳なく思います。後学のためにご指摘頂ければ幸いです。

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ふじりゅう
(2018-08-23)

日下ゆうみさん、ありがとうございます。 うーん、ここまでこの詩に対して考察なされるとは、瞠若と言いますか、驚嘆と言いますか、兎に角驚きと感謝でございます。 そうですね、「死人がノックしている」のではなく、「死人はノックされている側である」という所はまさしくその通りでございます。 基本的に死というものは偶発的にやってくるか、病等で刻刻と死の接近を感じ続けるかでありますが、健康体であっても死はいつ来るか分からないという偶発性が「ノック」に現れたのだと考えております。確率は極めて低いが、10秒後には死が訪れているかもしれないという事実、実は己の命は吹けば飛ぶようなか弱いものだというこれらをはっと認識すると、突然心の奥底で死が呼んでいる音が聞こえる、コンコンとノックする音が聞こえる、そういった場面を想像して頂けると幸いです。 説明のために持ち出された死は架空だ、とのお考えもその通りです。実際に死が迫っている訳ではございません。むしろいつ扉を破って侵入を許してしまうのか分からない、ここが死の恐怖であるとこの詩で表現したかった訳であります。

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