フィラデルフィアの夜に Ⅵ - B-REVIEW
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エセ詩人

いでよ、エセ詩人!

コトダマ とはよく言ったものだ。 ハキダセ と 男は言う。 おまえは誰だ? わたしは何者だ?   

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大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

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世界は自由だ━不死━

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あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

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ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

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生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

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afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

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羽田恭

喘息の少年の世界

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久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

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あなたへ

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きょこち(久遠恭子)

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海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

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あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

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フィラデルフィアの夜に Ⅵ    

 フィラデルフィアの夜に、針金が踊り出しました。 それは一人の白い服の浅黒い肌の男。  異国の歌をかすかに口ずさみ、足を遠心力につけて振り回しています。 かすかに人の形を取る針金が、男に合わせ、足を高く振り上げ空気を切り裂きました。  誰もいない街角。 誰も入らない突き当たり。 白い服の浅黒い肌の男が、針金を手に現れ、それを放り投げました。  動き出します。踊り出します。 知られていないステップで。知られてない腕の振り方で。 後ろを振り向き屈み、足を人の頭の高さに。 両手をついて、逆立ちして回転力のままに両足伸ばして、独楽のよう。 片足着いて、もう一方、人の顎、その高さ。  ピュンピュン音鳴り出す。 針金、人の形作りだし。 男のステップ。男の腕の振り。そのままに。 針金足蹴り上げ。 男はそれに合わせて足、下、伸ばし。 針金飛び跳ね、横回転。蹴り。 屈んで男、つま先、天に向け。 ねじり避け、針金。着地して距離を取る。 踊る男。踊る針金。 回る針金。回る男。  歌う男。歌う針金。 男はペレレ、ペレレと口ずさむ。 何の意味なのか、何の歌なのか。 針金、ピュン、ピュンとリズム。 同じ様に、同じなリズミカルに。  それは奴隷の踊り。 舞いとして隠した、祖先の闘いの武器。 遠く離れたここ。 孤独なここ。 今はただ、針金と踊る。  男が去り、また静かに。 針金はただ、地面に転がる。  もういない。 男はもう来ない。  本当に誰もいない街角。 誰も来ない突き当たり。  ただ針金が、そこに。 ただ針金がそこに立っている。 細い針金に、廃材を絡みつかせ、毅然と立つ。  誰も来ない、そこ。 男が、誰かが来るのを。 見つけてくれるのを。 踊ってくれるのを。 今は、じっと待つ。


フィラデルフィアの夜に Ⅵ ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 5
P V 数 : 914.2
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2018-05-22
コメント日時 2018-05-31
項目全期間(2024/04/20現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
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閲覧指数:914.2
2024/04/20 16時11分49秒現在
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    作品に書かれた推薦文

フィラデルフィアの夜に Ⅵ コメントセクション

コメント数(5)
まりも
(2018-05-24)

映像がくっきり立ち上がって来る作品になっていると思いました。 「男」が、作り出そうとしていたものは、なにか。そこにファンタジーが及んでいる。 「男」が手品師のように「針金」に命をあたえ、「男」が共に踊っている間だけ、「針金」は「男」の幻想を現実化する・・・ 針金、が文字、であるなら。「男」は詩人、ということになるでしょう。 散文は歩行、韻文は舞踏、とたとえた詩人がいましたが・・・イメージを現実化する、ということを考え続けた作者が「見た」景色を、共に見ているような感覚を覚えました。

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羽田恭
(2018-05-24)

まりもさん、こんにちは。 >針金、が文字、であるなら。「男」は詩人、ということになるでしょう。 なるほど、その解釈は面白い! そう言われれば即興で体を使って、詩を詠っていたといえるかもしれません。  元ネタは、ブラジルの格闘技でもあり踊りでもある、カポエイラです。 もっとも、昔立ち読みした入門書と格闘ゲームと格闘家のマーカス・レロ・アウレリオぐらいしか知識ないんですが。  即興芸術とカポエイラの競技者は称すので、まりもさんの解釈はあっているんですよね。  実際のフィラデルフィアにもブラジル移民はいそうですし、カポエイラを自らの支えにしていてもおかしくないかな、と思い書きました。  ちなみにペレレというのは、片足の妖怪の事で、片足ばっかり使っているとそれをはやす意味もあってそういう歌詞の歌を周囲が歌う場合があるとか。特に意味もなく歌う事もあるそうですが。 (カポエイラは競技中、周りを人が囲んで楽器を演奏したり、歌を歌うのです)

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藤 一紀
(2018-05-24)

こんにちは。しまった!昨晩読みながら、カポエラみたいだと思っていたのです。先に書かれていました。 カポエラは両手を繋がれた奴隷たちが、密かに編み出した格闘技ですね。ぐるぐる回って、足がダイナミックに動くし、為政者の目を隠すために舞踏を装ったと読んだことがあります。リズミカルで、ステップもダンスみたいだし。その様子が言葉でくっきり現れています。昔、NHKで深夜に流れていたなあ。 舞踏といえば、舞いというのカポエラがいつか立ち上がる日のための対抗手段であったように、為政者の暗殺手段として物語に使われますね。踊り手はもっとも狙う相手に接近できるし、いかに勇壮でも舞いと思って見る限り、警戒は薄れてしまう。そう考えると、舞踏というものは華美な外見で偽装して周囲を欺くところがある。 ときに、偽装された外見が主流になって、本来こめられていた意味が忘れられつつある状況においては、影を相手に舞いながら見つけられる日を待つしかないのだから孤独ですね。 私たちは何かを忘れてきているのではないか、などと考えてしまいます。

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羽田恭
(2018-05-25)

藤一紀さん、こんにちは。 それでもカポエイラをしているその時は、理屈なしで楽しいかなと。 この作品では、孤独な中で針金相手にやっていたわけですけど、人生の支えになったなだろうなと。 楽しさを忘れなければ、根本は間違えない気がします。 仲程さん、こんにちは。 なぜヒエロニムス・ボスの混沌とした世界が浮かんだのか、わかりませんけども。 かなり静かな世界観の作品だと思うので。 (いや、悪くありません。ユニークだなと) 気に入ってくれてなによりです。

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羽田恭
(2018-05-31)

仲程さん、再びこんにちは。 神聖代なる小説は知らなったのですが、ボスの「快楽の園」が絡んでいるようですね。 ちょっと興味湧いてきました。 今回の作品とどうリンクしてしまったのか、気になります。

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