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キスの仕方って大体誰でも同じでしょ?
少しだけ顎を上げて 世界のどこにも属さないような顔をしてみる 確かに 触れる角度も 閉じるまぶたの重さも 唇が探り合う温度も ドラマのキスシーンみたいだ だけど 触れた瞬間の 名前のない息は 人の数だけ違っていて 初めて会った日の どうでもいい印象との ギャップを感じる瞬間なんだけど それでもやはり キスの仕方って大体誰でも同じでしょ? 人は誰もが 唯一無二だと言い張りながら 行為のほとんどを 習慣と模倣に委ねて生きている 触れる角度だって 見たことのある映画に似てしまうし 息の合わせ方も 昔どこかで学んだ 記憶の残滓でできている ただほんの数秒 自分と相手の境界が どこまで溶けるのか お互い慎重に確かめあっている でも、境界はいつも最後に戻ってくる それは拒絶ではなく 人が世界に立ち続けるための どうしようもない法則のようなものだ ふたりのあいだにわずかに生まれる沈黙 そこに沈む微細な影 それは壊れやすさの証であり ふたりがまだ別々であるという の手触りを感じてしまう キスの仕方は大体誰でも同じだけど 私たちが決して混ざりきれないことの 悲しい感覚を残す そんなこと思う人は 一体どのくらいいるんだろう?
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キスの仕方って大体誰でも同じでしょ? ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1008.1
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-11-26
コメント日時 2025-11-29
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) |
|---|---|
| 叙情性 | 0 |
| 前衛性 | 0 |
| 可読性 | 0 |
| エンタメ | 0 |
| 技巧 | 0 |
| 音韻 | 0 |
| 構成 | 0 |
| 総合ポイント | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


鼻の高くない東洋人のキスって、 僕は絵にならないと思うのだけど、そうだね、 キムタクと松たか子がしてもなんか気持ちわるいし、 伊集院光と綾瀬はるかがラブシーンをしてもキショいだけだし、 玉置浩二と吉永小百合なんてぶん殴ってやりたくなったし、 その点欧米人は誰でも絵になって、やっぱり習慣の違いに顔立ちでしょうね。 キスについてこれほど繊細に見つめてこられた作者様はきっと美人で素敵な方でしょうね。 わたしは女優鈴木京香お姉様のような方じゃないかな、なんて思い浮かべます。
0キスってのは、これ、まえから不思議だったのですが 自然天然の道理と合わないのじゃないかと。つまり、 ふつう二つのものが合わさるときには一方が凸で他方が凹 というふうになっているのが合理的で自然だろうと思うのですが、 現代人のキスは凹どうしてあわさろうとする。 そうするとどうしても鼻がぶつかる。それで互いに頭を逆方向 にねじって唇を合わせるのでしょうけど、どうもそれはやはり どこかに無理がある。キスは本来、古代、アフリカあたりでは 相手の鼻に唇をあてて自分の内臓というかたましいというか、 そういうものを相手に嗅いでもらって自分を知ってもらうため にやっていた。これなら凸凹ですっぽり収まる。しかも自 分の内臓(古代ではたぶんたましいだと思われていた)の調子 を相手に知らせる一種の厳粛な儀式のようなもので、これも合 理的だった。それが唇と唇を合わせることで舌と舌がからみあい もするし、唾も混じり合うことになる。そうするとたましいの儀式が 愛欲のほうへずれていく。 三木成夫という解剖学者の見立てでは唇と舌というのは、魚のエラが 進化したものらしい。つまり解剖学的に言えば顔というのはエラで、 形態学的に言えば腸管が捲り返ったものが顔の表情なんだ、という ことが生物学的な発達史からわかるらしい。そうすると腸というのは つまり唇とか舌というのは非常に「内言語」的な、詩的な言語という ことになる。儀式としてのキスが愛欲のほうへずれてきたのと同時に 非常に詩的な言語(「内言語」)の交換という要素も、もってきた。 とはいえキスは永遠にすっぽり収まることはない。凸凹だったら よかったのにね。 そんなことを考えさせる詩でした。
0あなたの言ってることはキスはキスでもオ●ンコにするキスのことでしょう? ヤーラしいわね。下品だよ。あまりにも人間臭くて。
0凹凸感 あまりにも肉体的/陰獣的 作者様に失礼だわ。
0コメントありがとうございます。 読んでいて思わず笑ってしまいました。 具体的な名前が次々と出てきて、そのたびに頭の中で勝手に再生されてしまい、たしかに、絵になる、ならないの感覚って、文化や顔立ちは大きく影響するのかもしれないですね。 私は自分の顔については特に語ることもないのですが、キスという行為の微妙さや間のほうに興味があってこの作品を書きました。
0とても興味深い考察を、じっくり読ませていただきました。「凸凹」という形態の観点からキスを見つめる発想がまず新鮮で、そこから古代の儀式や身体の進化史にまで遡っていく視点に思わず引き込まれてしまいました。 鼻に唇を当てて「内臓」=「たましい」の調子を伝えるという古い形のキスは、行為というより、相手に自分を差し出すような、とても静かで厳粛な関係の確認だったんだろうと想像します。そう考えると、現代の「唇同士のキス」の少し無理のある姿勢や、舌や唾液が絡む愛欲的な方向への変化は、人の歴史の中での大きな転換として見えてきて面白いですね。 唇や舌が「内言語」であり、顔そのものが腸の反転したかたちだという三木成夫の見立ても、詩を書く者としてとても刺激を受けました。たしかに、キスの中には言葉にできない何か、自分の奥に沈んでいる言語以前のものがふっと交換されるような瞬間があるような気もします。 詩で描いた「境界が最後に戻ってくる感覚」は、まさにそのすっぽり収まらない構造そのものとひそかに響き合っていたのかもしれません。深い読みと、思考の広がるコメントをありがとうございました。
1(全て個人的な感想です。わかったような事を書いているかもしれませんが意見ではありませんので気に入らないところは読み飛ばしてください) 「キスの仕方って大体誰でも同じでしょ? 」っていうタイトルが とってもキャッチーでまずしびれた! またコノ、言葉を詩の本文中で乱用せず、一か所にとどめる所が 贅沢で良いなと思いました。 キスに始まり交わるという行使自体が1つになろうとする気持ちが背景にあるが 結局なれない、どんなに相手を思ってもどんなに相手を感じても 結局は一人で無に回帰する… だとしたら… そしてまた混ざろうとする行為を繰り返す。 でもそれはきっと混ぜれないから繰り返すのですね。再認識しました。
0コメントありがとうございます。 タイトルは、誰でも同じに見える行為の奥に何があるかを揺さぶりたくて置いたので、そこに反応してもらえたのは嬉しいです。 たしかにひとつになりたいという願いが流れているのに、実際にはどれだけ近づいても、最後の最後で境界が残る。その距離こそが人間の宿命なのかなと思ったりしました。 混ざれないからこそ求めるし、求めるからこそまたひとりに戻ってしまう。 その循環の中に、人間的なものがあると個人的に感じています。 丁寧に読み取ってくださって、本当にありがとうございました。
0こんばんは。 >>世界のどこにも属さないような顔 とは どんなかお?? と右往左往考えていたら、 楽しくなってきてしまい冒頭からなかなかつぎへ進めませんでした。 コインランドリーでも空港でも 役者のようにめいめい みんな、 世界のどこにも属さないような顔 をもとめ 顎を上げていたら面白いな と、ぐるぐるあそんでいたら 目が回りました。 しばらくして 冒頭からようやく先に進んだので >>人は誰もが >>唯一無二だと言い張りながら >>行為のほとんどを >>習慣と模倣に委ねて生きている を考えました。 これは 「記憶の残滓でできている」 と僕の中では結びつきます。 たくさんの記憶から 唯一無二の行為や文を創り出そうとするイメージ。 しかしそれは大衆的であり、ひとり落胆する。ところが、 唯一無二⇔大衆的であるならば、 わかりあうという意味においては 淡い希望も感じます。 オリジナルのあくびを探してもやっぱりあくびはあくび、習慣と模倣でしかない。でも結局あなたもあくびするんだね ホッ と言うイメージです。 >>でも、境界はいつも最後に戻ってくる >>それは拒絶ではなく これは抽象的でありつつ 肌感覚として残ります。 それは拒絶ではなく、というのがミソだと思いました。 最後の問いかけはプレパラートの上に「キス」という行為を乗せて 見せたような感覚を起こします。 普段、 みんながどのような解像度で世界を覗いているかわかりません。 しかし 一つの親密な行為を事細かく紐解いていく、 この内面描写の丁寧な進行に あまり煩くない 拍手を送りたいです。 ではまた冒頭に戻ります、 ありがとうございました。
0コメントありがとうございます。 こんなに丁寧にことばを重ねてもらえて、とても嬉しいです。 >世界のどこにも属さないような顔 で立ち止まり、そこから想像を遊ばせてくださったことも、私の詩の外側まで自由に歩いていただけたようで、読んでいて心が温かくなりました。 >世界のどこにも属さないような顔 というのは、日常の仕事や人間関係といった生活の重力から一度ふっと離れて、いま、この瞬間だけは目の前の相手のことだけ考えている。そんな一時的な無所属状態の表情を思って書きました。 コインランドリーや空港でみんなが顎を上げている光景を想像されたことは、むしろ私自身にはなかった視点で、読んでいて楽しかったです。コインランドリーではただ無心で洗濯物を眺めている、空港では旅立つ人や帰ってきた人たちを眺めている、私はスマホばかり見ているので、そういう「今いる場所」を深く味わうことも大切だと気付かされました。 >唯一無二⇔大衆的であるならば、わかりあうという意味においては淡い希望も感じます。 人の行為がどうしても記憶や模倣にかたちづくられてしまう以上、特別であろうとしても誰かと重なる。それに落胆することもある。けれどぼんじゅ~るさんが書いてくださった、 >結局あなたもあくびするんだね、ホッ という小さな救いのような場面が、私にとっては救われました。 触れ合いは完全な融合ではないけれど、それでも近づきたいと思ってしまう。その矛盾のやわらかさを、肌感覚として受け取ってもらえたのも、新たな気づきでした。 そして >あまり煩くない拍手を送りたいです。 静かな拍手ほど、作者にとって心強いものはありません。 また冒頭から遊んでいただけたら嬉しいです。素敵な読みをありがとうございました。
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