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夢見るディキンソン
ディキンソンの孤独を思って 心の中でそっと手を握ろう 愛されるべき人 歴史の必然 いまも毅然として 涙をこらえていらっしゃる 夢が見える? ディキンソン わたしには見える あなたの瞳の中の炎も 19世紀から 二百年たって 私はあなたの詩を読む あなたは幸せを詩にした 孤独の中で たくさんの夢を抱えた 失恋の痛手に 永遠の今を失いかけた でも詩を書かれた その中で すべてが重なり合って 非情なる世界に ハトの羽ばたきが響いた あなたは愛の人―― わたしには感じられる かつて動いたあなたの心臓の鼓動が 私の先生 魂の隣人 いつか助けに行くよ わたしは愛しい人を手に入れたら あなたの魂を孤独から解放する 共に永遠の地平で会おう ほら来てエミリー! あなたの手紙を見せて あなたの美しい文字 わたしたちは時を越えて つながるよ わたしのこころに光を与えてくれた あなたを わたしが救う番 一緒に食事はとれなくても わたしがあなたを涅槃に招き寄せる 声が響くね 夢を越えて ディキンソン
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夢見るディキンソン ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 428.4
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-11-01
コメント日時 2025-11-02
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


ディキンソン、ファーストネームはエミリーだったのですね。ディキンソンとだけ言われると、思わずファーストネームを忘れている自分がいる事に気付きました。形式的な感情がやって来るとか、印象的なフレーズが多い人だと思うのですが、この詩ではそんな彼女に語り掛けるような調子が好もしいと思いました。
1エミリーさんは可愛い女の子なんですよ。アメリカではあらゆる人に愛されています。日本で言えば、額田王とか、小野小町のようなものでしょうか。才色兼備な人にはなかなかお目にかかりませんが、人生をかけて言葉を追求する人と云うのは、なかなか立派な人だと思います。19世紀当時の女性の生き方が、真実に基づくとどうなるか、といった意味で、アメリカ女性詩人のはしりのような存在ですね。
0“一緒に食事はとれなくても わたしがあなたを涅槃に招き寄せる” というフレーズが印象に残りました。 温かいだけではない、深みが本当に素敵です。
1ありがとうございます。子供の頃から、お誕生会に出たり、色々なお祝い事をしてきて、いざ自分が人生の主体的な大人になって、人を祝うことを主宰する立場になると、こんな言葉が浮かんできました。
1黒髪さんの他の作品も読んでみてでの感想なんですけど、いっつもなんか、感情の表現が一方的なんですよね……そりゃ自身の視点を軸にしかできない分野ではあるんですけどもね…… >いまも毅然として >涙をこらえていらっしゃる や、 >あなたは幸せを詩にした >孤独の中で >たくさんの夢を抱えた >失恋の痛手に >永遠の今を失いかけた だって、(例え本人が自伝か何かで書いていた内容だったとしても)本当に孤独だったのか、失恋が本当に痛かったのか(出版されている本の場合、大抵は売れるためにある程度の他人の手は入るので、より大衆が持つ/共感できるような感情を記述したに過ぎないのかも?)、そういった部分が私には見えなかった。自分自身のことであればいくらでも書けるはず。他人については、実際の行為や実際に発した言葉のみの描写にとどめた方がいいのかもしれません。 エミリー・ディキンソンさんの詩の文体を、日本語の詩で表現するのはやや難しい。元が英語の詩だったとしても、そもそもが風変わりなもの。黒髪さんの思想の結実の近道は、彼女の文体を日本語の詩で再現できるようになること、ではないかと思いました。 ただ、繰り返し作品に取り入れられている「愛」が重要なものであるというのは、私にはそこまで否定できません。 「こういう意見もあるよ」ぐらいで受け取っていただければ幸いです。
1そうですね、わたしは、他人を理解して受け止めるだけの精神力がないんですよ……頭をおかしくしていて。ある人が見れば、それがわたしの、自分、自分、自分、といった形になるようです。エミリー・ディキンソンと対話をして向き合っていくのは、詩人としてのわたしの最上の喜びなので、狂気が癒えたら、もっとよくディキンソンを理解できると思います。わたしの一面性とは、他者性を欠いている一面性だと思います。「愛」については、わたしは、他人に頭が上がらないですね……、縁において。ただ、資質としては、わたしにも結構あると思うんです。コメントを、ありがとうございました。
1むしろ本当にエミリー・ディキンソンが好きなのだろうか?と疑問に感じる作品である。実際のエミリー・ディキンソンは陰キャの王様(女王?)でしょ。
1僕が読んだ限りでのディキンソンは、快活で心の働きの大きな人ですよ。パン焼きコンテストでも優勝していますし。頭が爆発する瞬間にこそ、詩を読んだ喜びがある、というようなことも言っています。晩年は、死に向き合っていたので、そういうイメージがあるのかもしれませんね。
0反駁になってないというか、論争する気もないが、ひきこもりでもネト充的な在り方次第では(界隈内では)「陽キャ」認定になりうるんで、ある意味、エミリー・ディキンソンは200年先を進んでいた存在といえるかもしれないが。物理的には引きこもりの弱者女性でしょう。
1受けた教育は、女性として最高のもので、詩人としての感受性の豊かさから、引きこもりを選ばれたと(僕は)思います。物理的には、仰る通りです。文学者って大抵弱者でしょう。
0>文学者って大抵弱者でしょう。 権力の犬か弱者でしょうね。卵の側か、壁の側かの二択。
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