別枠表示
無題
全部を捨てた。 制服も、財布も、携帯も。想い出も、繋がりも、温もりも。 生き甲斐とか、理由とか、目標地点とか、帰る場所とか。 肉体も。骨も血も。自分自身も。 影だけが、残った。 その影さえも、闇に溶けていった。 誰もいない部屋。 カチリ、カチリと秒針が正確な音を刻む。 朝が来る。太陽がやって来る。 闇の中。影の中。天に乞う。 朝よ! 来るな! ここは寂しいけど、苦しくないんだ。 光に当てられ、さらけ出され、自分の醜い黒に気づいたとき。 きっと、俺は耐えられなくて、消えてしまう。 時計は秒針を打つ。 やめろ! 止まれ! だけど影の俺はガラスのカーブを滑るだけで、ボタン一つ押せない。なぞれない。指紋一つ付かない。やめろ! 朝よ! 来るな! ノックの音が響いた。 誰だ! 来るな! ここに来るな! 誰も来るな! 「大丈夫」 だいじょうぶ……だいじょうぶ。柔らかな声だけが響いていた。 「眠るのが怖いのね」 違う! 目をつむれないだけだ。 声が、唇が、近づく。80センチ……60センチ……50センチ。空気の流れが変わった。ここは風すら吹かないのに。 「人は、生き物は、眠るものよ。きっと影だって」 違う! 違う! 闇こそが永遠なんだ。星の輝きだって、瞬き終える。太陽だって燃やし尽くされる。全ては膨張の後、圧縮し、消えていく。 この闇だけが、眠らない夜だけが、永遠なんだ! 「そう……。なんか、あおくさぁ。あほくさっ。まっ、いっか。じゃ、その永遠の闇ってのを終わらせてあげよっか」 なっ? 「うん、そうしよう」 研がされた聴覚は、音の形を正確に捉える。 四角い箱が、取り出される。マッチ箱。 やめろ! チッ。 ボゥッ。 眩しいハンコ色のマッチ棒が指先で揺れて、しばらくそこに留まって、次いで弧を描いて、オレンジの火が灯る。 ロウソクの明かり。 ゆらゆらと光。 そいつは、闇の上に色を持って浮かびあがった。 少女だった。 如何にもな女の子した声に反して、背丈があって、細い。アヒル顔は抗議の印か、もともとなのか。妙な愛嬌があった。 おいっ、お前! この! 生意気な面しやが 「うんうん。光、浴びて、オトクなこともあるでしょ? こうして新宿美人を拝めたりさ。いやいや、実は神奈川っ子だったりするんだけど」 そうこぼしながら、背後に回る。 「はい」 影踏み。 俺の背中の影と、あいつの足元の影が交わる。 闇は闇と交わっても、何も変わらないけど、確かに二つは影でつながっていて。 背中を、ぽんぽんと、叩こうとしている。 「お客さん、こってますかー」 「やめてくれ!」 「くすぐったいの? くすぐったいですか? 「お客さん、こらなきゃダメですよ。肩こって、腰こって、関節ぴきぴきいって、そうやって生きていくのよ。わたしなんか」 「こらないだろ? 能天気がっ」 「いやいや、こるんだな。こう、ゲームやったり、食後のゲームとか、寝る前にゲームとか」 弾むような声を出しながら、くいくいと肩を回す。 「ねえ、こんなゲーム知ってる?」 「カエルになった何の変哲もない冴えないおじさんが、悪の魔王と戦うの!」 「伝説の剣なんて持っちゃって、それで一騎打ちをして、勝つのよ」 「あの、カエルが。それもトノサマガエルってよりアマガエルちゃんが」 「やめろ!」 「いいですかー、お客さん。カエルにだってそこまで出来るんですよー。 いや、人間がカエルさんにまでクラスチェンジしちゃったから、魔王様をやっつけれたのかもね」 「やめろ!」 肩へと力が込められた。肩へ? 思わず大声で叫んだ。声で? 「いいですかー、ここから重要ですよ」 「やめっ!」 「私があなたをカエルにしてあげる、なんて出来ないけどね。でも人間になら出来るんだ」 「どう? 温まってきた?」 「ほらっ!」 そっとダイヤモンドを労わるように、肩がなでられた。温度がある。手から伝わる温度が。 体温が俺の人差し指からつま先までの、その血の流れを教えている。 生きている。俺には肉体がある。光に押しつぶされないそれが。 「な、なんでだよ! なんだよ! そんな都合よく!」 「まーね、私ってスゴイからね、うんうん、ってか、思い出せなかっただけよ。体の輪郭を。 けっきょくのとこさ、影だけのモノなんて無いの。世界が無に帰るとしたら。 それは影だけの世界じゃなくて、全ての物質、地球も太陽も山も海も闇もわたしもあなたも、みんな消えちゃって。影のない世界。 光の洪水。光だけ。どう? 軽くなった?」 「そんなの詭弁だ!」 「駅伝?」 「このっ!」 「ジョーダンよ」 「じゃね、人間の王子様。ローソクは消してあげるわ。じゃ、その体で、その肩ブンブン振り回して、わたしを助けにきてね」 光は、消えた。 声も存在も消えていた。闇だけが残った。闇だけ? 痛み? 痛みがある。 きりきりとした冷たい闇が張り付き、肌が悲鳴をあげている。冷たさは芯の方にまで伝波し、酷く背中がきしむ。 だけど、その隣の血と肉の境目に熱が佇んでいる。確かな、体温が残されている。 手と手をこすり合わせる。手の平に温度が飛び散り、じんと触覚が蘇る。 深呼吸を。凍るような空気を吸い込み、息を止め、指先に吐きかけると、温かい。 固く手を握った。 俺は生きていいのか。今からでも、がむしゃらに体を動かせるのか。もがけるのか。 何のために? そうだ。何のために? そうだ。そうだ。あんなに馬鹿にしやがって! 決めつけやがって! 俺には目的なんか無いじゃないか! 存在理由なんて捨てたんだ! このやろう! 俺なんかに構いやがって! あいつ! 決めたぞ! たとえ嫌って言われても! 歪ませてやる! 悔しがらせてやる! 泣かせてやる! そう言ってやる! そうだ! 言ってやる! 誰もいない部屋。 カチリ、カチリと秒針が正確な音を刻む。 朝が来る。太陽がやって来る。
無題 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 411.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-10-25
コメント日時 2025-11-02
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


こんにちは。 時折、自分が生きていることがただの現象のようにしか思えなくなるので、この詩の冒頭部分に共鳴を覚えます。 そしてタイトルが、無題。 詩の内側に全てがぎゅっと詰まった構成だなと感じました。感情が生きていますね。
0ぼんじゅーるさんへ えへへ、なんか暗いですね。自分。 もっと明るく生きたいです。 これは自分の中でも大切な部分を書いたものだと思うので、そう言っていただいてとても嬉しいです。 ありがとです。
0秒針を刻んでいるのは何だろうか。当然時計なので、いちいち時計とは明示されて居ないのですが、太陽とか出て来るので、意外と秒針を刻んでいるのは時計ではないのかもしれません。時計は秒針を刻むと言うフレーズはありましたね。迂闊でした。「研がされた聴覚は、」、この部分は「研ぎ澄まされた聴覚は、」なのかもしれません。
0エイクピアさん 今回は表現が荒かったです。読む人にやさしくない作りになっちゃった。がんがります。
0