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そこに切り株はない
なんで、そんな顔をしているの 大丈夫、大丈夫 立とうとしても 膝が笑って 手から地面が離れません 私は行けるよ 大丈夫なのに どうして、 困ったように、歯がゆいように、 苦くわらうのさ ああ、きっと可笑しいのね この子鹿のような手足が 額に光る生傷が そう思うと なんだか走りたくなって その「笑顔」の力が 私の関節を固めました 這うように、脱兎 二足歩行の矜恃を捨てて
そこに切り株はない ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 437.3
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-10-10
コメント日時 2025-11-03
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
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| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
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| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


必死の力で、倒れたところから前へ進もうとしているのが、いじらしいです。存在の主張とは、他者へ向けてのものなので、この頑張りが世界を救うわけです。切り株、がないということは、木が切られていないということでしょうか。自然である、ということかな。何となく気になる詩です。
0コメントありがとうございます。 存在の主張が世界を救う、深いですね。完全にイコールではないと思いますが、「倒れている私がいる、倒れているけど起き上がろうとする私がいる」ということを主張すれば、自分そのものが問題提起になれるのかもしれません。 タイトルは、童謡の「まちぼうけ」から引っ張ってきました。「脱兎」から連想した感じです。
1すると、普通は「待ちぼうけ」のうさぎから、教訓を得ようとしますが、うさぎの立場に立って、思いやりを与えようとしたわけですね。もっと、その構造が露出したほうが詩として能弁かと思いますが、そういう視点を持てる人は、あまり多くないと思いますよ。
1何か動物化するきっかけが、偶然時から発生して、二足歩行の矜持を捨てるに至る。額に光る生傷が妙に印象的でした。
0コメントありがとうございます。 「額に光る生傷」のくだりは、実体験から持ってきたものです。人間、本当に立てなくなると、真っ先におでこを怪我するんです。なぜなら手で踏ん張る力がないから。
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