かつて、ベイシティ・ローラーズというイギリスのバンドがあり、中高生たちに大人気だった。ただ、音楽の先生だけは彼らを否定しており、授業で「あれは音楽ではない」と話すと、一斉に非難の声が沸き起こったものだ。
最近、ブックオフで中古のベスト盤を見つけたので聴いてみたが、先生の感性は正しかったと判断せざるをえない。伴奏のようなギターリフに気の抜けたロック、私は、あんなものに熱狂する同級生たちに付いていきたいとは思わなかったし、そもそも多数に迎合し空気を読むことが嫌いだった。
先生たちの反応はどうかというと、音楽の先生を除いて妙に物分りが良かった。というより、優等生が洋楽を聴くことは褒むべきことらしい。劣等生には厳禁だが。そして、合唱行事でクラス全員、声を合わせて「サタデーナイト」を歌った。音頭を取った優等生に賛同し指導した英語教師は極めて不快な男であった。
卒業式が近づいたある日、その英語教師が言った。「卒業式を潰そうとする連中がいる」。それに優等生たちが呼応した。「僕たちの卒業式を潰そうとするなんて許せない、みんなで卒業式を守ろう!」私は直感で嘘だと思ったが、結局、卒業式では何も起こらなかったのだから、やはり英語教師による意図的なデマだったのだろう。
体制に順応し、大衆の非難を怖れ、権力者に依頼されると、どこにでも出かけて何でも歌う自称「ロックンローラー」。私は、日本のロックが、どうしても好きになれない。そして、どんなに過激で反体制的なものも、日本に輸入されると濾過されて清涼飲料水に変わってしまう。その理由は言葉の壁だけではあるまい。
ベイシティ・ローラーズを「第二のビートルズ」だと称賛していた連中は、今、何を聴いているだろうか。興味深いところではある。
作品データ
コメント数 : 7
P V 数 : 573.0
お気に入り数: 1
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ポイント数 : 0
作成日時 2025-09-11
コメント日時 2025-09-12
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
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2025/12/05 18時35分19秒現在
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実力はそこまでなくても人気が出ているバンドに魅了される人たち、英語教師のデマに踊らされる生徒達、多数の考えに流される怖さ、自分の感性を信じる大切さを考えさせられました。 ベイシティ・ローラーズを音楽でないと否定した音楽教師は「周りの考えに流されてはいけない」と読み手に伝える警告者のような役割を作品の中で担っているのだろうと考えました。
0エッセイ風の詩と言うか、確かな主張が有ると思いました。物語仕立て的なところも興味深い。ベイシティローラーズも創作詩だけに、でっち上げだと思ったのですが実在のバンドですね、安堵しました。時期的に第二のビートルズと言う言い方は納得させるものがあります。批判精神も詩になっていると思いました。
0「たとえ思想が違っても尊重し合うのが大切。」という 伝説的ロックバンド、BLANKEY JET CITY(ブランキー ・ジェット・シティ)の元ボーカル・ギター浅井健一の 発言をわたし個人は支持します。権力に迎合しているか していないか、それがもし政治的立場からの発言であって は一般性を失うような気がします。
0多くの場合、いろいろと考えるより、まずは自身の感性を信じたほうが正しい結論に至りますね。 確かに、その時には論理的な筋道は立っていないかもしれませんが、論理よりも感性のほうがおかしなところに気がつくものです。 「周りの考えに流されてはいけない」ことを大切にするためには、まずは多数の他人ではなく自分を信じることであり、それは不可欠の前提だと思います。
1当時、ベイシティ・ローラーズの人気は凄かったですね。 「楽譜が読めない」ビートルズよりベイシティ・ローラーズのほうが格上だという連中までいましたから。 人は現実を解釈するのではなく、自分の知識レベルに合わせて現実を作り直すことがあります。 それに気がつくかどうかが、現実に対応するうえでの重要な分岐点になりますね。
0どんな素晴らしい考えでも、ポジショントークの道具として使われると、その輝きを失ってしまいますね。 それを避けるためには、自分の都合の悪いことにも誠実に答えるべきなんだろうと思います。
0大事なことは「何の為、だれの為に」政治をやるかということです。 政治家は「ささやかな庶民大衆のささやかな生活と命を守る」ために 政治をやるのであって己の高尚な理念のためにテロをやってまで やるのではないと思います。そういう考えはいずれファシズムに行き 着くでしょう。 わたしはこれにてコメントを去ります。ありがとうございました。
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