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あたまとからだと言ったときの あたまとは何か からだとは何か
かつて からだは誰のものでもなかった 当のもの それですらなかった というのも 第四紀における人類は いまだおのれ自身を 私という人称代名詞によって表現する機会を持 たなかったからである それゆえ 人類は存在したが 人口はゼロであった いや そういうことであれば すべてのものをひっくるめてただ一人とでも いうべきか いずれにしろ それから気の遠くなるようなときを経て あるものが あるとき 私のからだという表現を使った この言葉は そこに秘められた 所有の観念の発生という意味において 人々に形容し難い魅力を与えたといえよう ひょっとすると ある種の人たちは 私のからだと口ずさんで その所有の観念が醸し出す魅惑的な雰囲気に酔い痴れ 卒倒したかもしれない 以上は ことごとく私のつくり話である そうではあるが 私のからだという言葉は 紛うかたなく 誰もが持つ所有の観念を あやしくくすぐったに違いない しかし その当のからだは 恐らくこのとっぴな観念に 思わず顔をしかめたのではないかと推量する なぜなら からだはそのような軽いこころを持つ人ではない 人間の歴史を 進化の過程の中で 黙々と支えて来た生粋の自然人である 愛嬌などに呵々ずらっていては 進化の波に吞まれてしまう ひたすら進化の波に随順する人 作為の行使がわが身の破滅をま ねくことを熟知した人 そういうおのずからの人なのである ところで 二十世紀末になって 大いに驚かされたことがある それは おのずからを推奨する あたまよりもからだを推奨する まことの眼を持った一群が出現したことである 理性とか 自我とか 科学とか…… ここのところ四分の三世紀程 朝から晩まで 無理やりゲテモノを食べさせられ いつか食傷気味が高じて本格的中毒となった そこへ 先の朗報である まずは あたまよりからだを大事にしたいと思う それにはみずからを控えて おのずからに生きなければならぬ そして時間ではなく いま・ここ・自己における瞬間を大切にしなければならぬ
あたまとからだと言ったときの あたまとは何か からだとは何か ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 621.9
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2025-02-01
コメント日時 2025-02-01
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


からだ、自分の所有物でありながら自然物であり、特に取り扱いが難しいものという印象があります。 誰の目にも触れるが決して接触してはいけないものという認識も私にはあります。
0すみません。しっかりと返信を書いたのですが、パソコン操作が慣れないので、どこかに消えてしまったようです。それでも、残っているような気もするので、とりあえずお詫びの返信をさせていただきます。
1ユニークな作り込みをしているなと思う反面、作りすぎているような印象も受ける。 しかし、音としては不思議とスラスラ読めてスッと入ってくる。通りすがりにあったことのない人に漫談を聞かされて、こういう人がいたら面白いかもと思わせる印象。 奇想に説得力を持たせるにはお話の着想やそう思うに至った経緯など、全体像がもう少し見えるといいかもと思いました。
0浅川さん、大丈夫ですよ。 私もdeleteになったことがあり、あの時は随分と落ち込みました。 そういうこともあるので、大丈夫です。
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