気がついたらここに居ました
自分で来たのは確かです
疲れているし、景色も少しは覚えているし
破いた障子の穴から小さな庭を覗くような
そんな微かな記憶だけがあります
望んで来たのは確かですが、満足しないのも確かで
来たかったのは本当にここで合っているのかと自問し
自答できないままでも足を進めます
進めなくてはいけないのだと教えられています
誰にかは、もちろんわからないけれど
すっかり遠く、遠くなった、いつかのあの日から
きっと繰り返しているのだと思います
春がいなくなって夏が居座って
秋とすれ違って冬がやってくる
冬の空気を飲み込んで
胸の内の狭い狭い路地に木枯らしを吹かせる
冬の空気は、薄くて軽い
吸っても、吸っても足りないのに、ため息は一丁前に重いから
どんどん、私が減っていく
中身ばっかり空いていく
柔らかい殻が冷気に刺されて
体が、世界から痛いほどはっきりと切り離される
だから私は障子に新たな穴を空けて
外の見てきた景色を思い出します
そこに何があるのだと言われても、私は全てには気が付けないから
全てを言葉にすることは出来ないけれど
私はきっと、そうして選択を思い出す
自分の人生を覗き見る
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作品データ
コメント数 : 4
P V 数 : 583.8
お気に入り数: 0
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作成日時 2025-11-23
コメント日時 2025-11-25
#現代詩
#縦書き
| 項目 | 全期間(2025/12/15現在) | 投稿後10日間 |
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| 技巧 | 0 | 0 |
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| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
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閲覧指数:583.8
2025/12/15 14時36分15秒現在
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冬ッてのはそういう季節ですね。 こたつに入って木枯らしを聞きながら 過去の印象的な事柄を思い出す。 そこに置いてきた"ほんとうの自分"を 覗き見る。それも冬の贈り物の ひとつでしょうね。
1感慨深い詩です。 2~3才頃かな。 家族揃って障子の張り替え(昔は何処の家庭でも家で張り替えていたものです) あ!居ない!僕の姿が消えたらしい。 張り替えて一息ついていた家族親戚が障子の処へ直走る。 !あ~あ~~僕ちんが張り替えて真新しい障子の枠ひとつひとつに穴を開けていたそうです。 愉しそうに人差し指で障子を突き刺している僕ちんが、 ~まあ、なんて手癖のわるい子! その後で、怒り狂ったばばあ(母親)から、 手の甲に大きなお灸を据えられてしまいました。 熱い、熱いよう~と泣き叫ぶ僕ちん なんとなく覚えてますね。 以来大人になっても過敏な僕の指先は、魔法のランド母こころ。 3分で女性を逝かせる神秘な鷹の爪先、と自負していました。 お灸の跡はいまでも微かに見てとれます。 泣きも痛みもよく覚えてはいません。 しかし確かに熱かった痛かった。憎かった。 それとなく思い起こさせていただきました。
0破れば怒られると解っていて 開けた障子の穴から見る景色は 想像よりも大きかったけれど 大人になると同じ穴なのに 同じ景色が見えないんだと感じました。 四季の移り変わりの表現が 個人的に凄く好きです。
1皆さんの障子に関しての思い出を読ませてもらっていたらなんだか懐古的な気持ちになったので、作品の景色の補足を兼ねて少しばかり思い出語りを失礼します。 3歳くらいの頃。当時同居していた祖父母の家では、使われていない客間が私の遊び場で、そこの障子を開け放った先の窓からは小さな中庭が見えました。冬になるとうっすら雪が積もりました。 私が生まれる以前、祖父母はここで小さな旅館を経営していて、遊び場の多い館内で、私は毎日走り回ってはいたずらばかりしていました。障子に穴を開けて祖母に叱りつけられるなんて、数え切れないほどありました。小さな穴を開けて怒られる度、毎度毎度しっかり心の底から申し訳なくなって、謝って、お詫びとしてお気に入りのシールでその穴を塞ぐのですが、子どもというのは不思議なもので、その一時は本当に懲りて、なんてことをしたんだと反省するくせに、また繰り返すんですよね。今も私は子どもみたいなもんですが、幼い頃の思考は自分自身でも解読不可能です。 そんなふうにいつも厳しく叱ってくれた祖母ですが、一度大病をやってからは、回復しても、やはり以前ほどの元気はなく、その大きな家を取り壊して、小さな借家に引っ越しました。その頃には私たち家族と祖父母は同居していませんでしたが、祖父母の体調が心配だったので、借家は私たちの家の近くに借りてもらいました。 家を取り壊す際、祖母は、建具を父と協力して外す私に、もう好きなだけ穴を開けていいよと冗談めかして言ってくれましたが、その時の私に全くそんな欲求はありませんでした。これは大きくなったからとかそういう話ではなくて、ただの障子にはその価値を見いだせなかったからなのだと思います。その穴から庭を覗いて、わくわくして、祖母に叱られて、あの家に、お気に入りのシールなんていう自分の痕跡を残していく、それの全てが嬉しかったのだと思います。 私のペンネームのアクノーは、ロシア語で窓を意味します。私は窓が好きです。 区切っているのに繋がっているようで、実のところは何ひとつ見えていない自分の視点からでも優れたものが見えているような気分にさせてくれます。障子から見た景色も、特別なように見えていたんでしょうね。
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