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そして境界を過ぎる
好きな言葉も 好きな一節も 心に残る詩も 何も 自分のことを答えられず 何が作家だろうか 趣味が思想が選んだ本が 全てが 受け売りのもので 感情さえ鏡写しのもので いつ私がいるだろうか どこに中身があるのだろう この気取った容器に見合う 中身はあるのだろうか いつになったら私は 自らサリンジャーを手にできるだろうか
そして境界を過ぎる ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1548.6
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 9
作成日時 2020-04-03
コメント日時 2020-04-18
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 6 | 5 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 3 | 2 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 9 | 7 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 3 | 3 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 1.5 | 1.5 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 4.5 | 4.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


>自らサリンジャーを手にできるだろうか バナナフィッシュ日和では最後に拳銃自殺を遂げますし、テディでは悲鳴により終わりますね。サリンジャー自身は東洋思想や禅に傾倒したみたいですが。
1自分語りは退屈とかキモイとかよく言われるので、我々はそういうことをしてはいけないと思い、だんだん潜在的な意識にその思考がしみこんでいくと、いつしか何も自分のことを語れなくなる。しかしそれは中身が存在しないからではなく、その表現方法をすっかり忘れてしまっただけだと、僕は思うときがあります。「光あれ」とは言わなかったかもしれないけれど、私たち人間もまた「あってあるもの」です。初読の感想ですが、そんな風に、元気だして!みたいな、ことを思いました。(僕は全然素人なので変に引用するのもいけませんが。) 実は、まだタイトルの「そして境界を過ぎる」がわからないでいます。この境界とはたぶん、空の容器の自分のことと思いますが、なにか別の読み方や伏線を分からないままにしているような気がしています。
1サリンジャーのような小説や短編を、影響を受けないで自ら手に取れるかという話ですよ。
0なんでしょうね、この詩は僕が詩を書く所以や根幹でもあるのですがそれ以上に自分の殻の中身の質を憂いたものなんですよ。 自分のことを語ろうとする表現方法すら、自分で作れず考えれず、どこからかの引用。 そして、様々なありとあらゆる「境界」というものも曖昧です。自分が何者であるのか、自分が何で構成されているのか。水にふやけて溶けかけているような境界線、どこにもいないような感覚。まして、最終的には境界という概念すらにじんでしまう。でも、滲んで認識できないような境界を越えられたら…… 一縷の望みというやつですかね。
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