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差別する
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差別する ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 586.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-11-11
コメント日時 2025-11-12
| 項目 | 全期間(2025/12/05現在) | 投稿後10日間 |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文


差別というかイジメというか、そういうのが蔓延する今は 嫌な時代だと 思いますね。わたしのような戦後数年たって生まれた 団塊の世代には今のようなイジメが学校になかった。 何故なかったかというと社会構造が違ったからでしょう。 わたしたちの頃は「ガキ大将」とか「番長」という腕力の 強いのが一人いて、そいつが各教室や学年、学校を束ねていた。 だから教室全員の反発や嫌悪はその「番長」一人に向かった。 ところが全員の嫌悪や反発の対象は腕力が強いから、 だれも手が出せない。つまり独裁と暴力によって逆に教室 の平穏が守られ、イジメの芽すら出ない構造がつくられていた。 ところが70年代を過ぎて80年代に入ると突如、受験競争が 活発化し、学校はその競争を勝ち抜くために管理が強化された。 かつ生徒たちの間でも腕力よりも学力のある者が幅を効かせる ようになって自然に「ガキ大将」や「番長」は駆逐されていった。 つまり教室や学校の民主化と管理の強化、知的能力の価値の 見直しによって、生徒たちを束ねる力の中心が消失してしまった。 そうするとどうなるか、 生徒たちを束ねる力の中心が消失するとそこに空白が生まれる。 しかし集団は中心がなければ平穏を維持できない。そこでだれでもいいから 空白の中心に落とし込む存在を必要とした。それは少なくとも腕力のある人間 ではなく、おとなしい、しかも、平準的な生徒意識から欠落したやつが 選ばれることになった。こういう存在はしばしば文学青年などに多い。 夢見がちで通俗から遠のいた存在が「イジメ」という空白の中心の生贄として 供犠されることになる。 はっきりいいますとこの詩はイジメをする人間の解剖図としてはなかなかですが イジメの全体的な構造を書いたものではないので、わかりにくい側面をもっています。 ただ、これを読んであらためてイジメや差別について考えるきっかけになり 個人的にはおもしろかったと申し上げておきます。
1表現媒体としての詩には様々な側面があっていいと思います。例えるなら表の顔、裏の顔、そして内面の顔。 どの側面に心を通わせ、そして魂を揺さぶったのかは読み手による無限の宇宙であり、または過去との記憶をリンクさせる一つの手がかりになってもいいと思います。今回takoyo2さんからコメントを頂き、どのような側面をどのようにリンクさせたかを、自分なりに解釈してとても興味深く読ませて頂きました。
0端的に強いメッセージだ。 これくらいはっきりと宣言されてしまえば、 もう何も言うことはできないですね。 元々、人類愛、みんなが平等だ。 なんてのは言葉上の理想であって、 差別するのは悪いことだ。 という認識があるからこそ、 これを克服しようとして人間も理想を掲げる。 この世界から差別や不平等が一掃されれば、 それはもう無感情な砂漠の世界に覆い尽くされるだけだと僕は考えます。 なので、この宣言を否定もしないが、肯定もしない。 黒く塗りつぶせ! いま思う正直な宣言だと思います。
1詩の世界には書き手と読み手のパラレルがいつも存在していて、とても面白いと感じています。 言葉一つとっても幾つかの意味や人それぞれの取り方があり、ましてや文章や詩となると もはやそこには無限の世界観が広がると思います 。 黒く塗りつぶせ! ですか・・・。 なるほど! この詩の強烈なメッセージ性の中からそのワードが湧いてきたのですね。 コメントありがとうございます。
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